2024年04月19日

アケビ

生垣のアケビ。花が咲いた。
実が付くだろうか。

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駒ケ根

旅の続き。

馬籠から中津川に下る。
ここは大学のゼミの最初のころ、「地域に根ざす教育」のフィールドとして毎年訪れた。また市の教育委員会に依頼されて2年間、大勢の調査団をつくり、社会教育調査を行った。なつかしい。

中央道で飯島本郷に向かう。

ここに妹の墓がある。照子が亡くなって早いもので8年目になる。一昨年7回忌をやったが、お墓には来なかった。リエちゃんとワタルさんが待っていてくれて案内してくれた。

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墓の前の風景が絶景だ。
天竜川を隔てて向こうが中川村。
そこの米澤酒造さんでつくっているのが今錦。

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otamazyakushitokubetuzyunnmaisyulable2016さらに、写真のまんなかにある棚田でつくられる米だけを使うのが「おたまじゃくし」。
リエちゃんにお土産にもらった。








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プレモントホテルに荷物を置いて、リエちゃんトタカシさんが迎えに来てくれて、市内の居酒屋「和来」へ。
お酒はもちろんもっぱら今錦をいただいた。
生牡蠣をはじめ料理がとてもおいしくて、話も楽しくて、駒ケ根はいい。


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馬籠

旅のつづき。

馬籠は、坂道にある宿場町である。

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宿場の上、妻籠に向かう方にある展望台。ここからの恵那山や中津川の眺望がいい。

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ずっと前からだが、馬籠は妻籠に比べると古い建物は少なく、現代的な観光地である。

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『若菜集』に出てくるおゆうさんの実家の大黒屋。

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藤村の縁籍の人がやっていた四方木屋さん。昔は旅館をしていて、40数年前、宿泊を予約したが、子どもの病気で来られなかった。今は喫茶店。

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藤村記念館のあるところが藤村の生まれた旧本陣である。
昭和28年の火災で離れの一部を除いて焼失した。
手書きの原稿や写真が展示されている。

『夜明け前』で、半蔵は尾張藩の代官所があった木曽福島にもよく行くが、美濃の国の中津川には国学の仲間が多かった。文化や生活は美濃の国とも一体だったのだろう。

展望台でも藤村記念館でも、『夜明け前』に出てくる半蔵が妻のお民に言う「美濃はよい国だねえ」ということばが紹介されている。いつからか、どういう意図かはわからない。

*     *     *     *

「序の章」四に、「新茶屋に、馬籠の宿の一番はずれのところに、その路傍に芭蕉の句塚の建てられた頃は、何と言っても徳川の世はまだ平和であった」とある。
「木曽路の入り口に新しい名所を一つつくる、信濃と美濃の国境にあたる一里塚に近い位置を選んで、…翁塚を建てる」。建てたのは半蔵の父、吉右衛門である。

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新茶屋。今は民宿。

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「是より北 木曽路」の碑。

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一里塚と「国境」の道標。
ここは、半蔵が中津川に行く客人を送る、中津川方面から来る人を迎えに出る、など何度も小説に登場する場所である。
今回はここを見ることが目的だった。
2005年までは岐阜県と長野県の県境でもあったところである。

ウクライナでもガザでも国境は諍いの種である。
人間は移動するし、土地の所属は変わることもある。青山家の祖先は相模の三浦から来たし、プロイセン(ドイツ)の哲学者カントが生まれ生涯を送ったケーニヒスベルグは今はロシアの領地である。


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2024年04月18日

ネコヤナギ

ネコヤナギの花が咲いた。
陽ざしを通してきれい。

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たけのこ 新タマ

P4150246一昨日、キシダさん夫妻が、その日ユウコさんの実家で採ったたけのこを持ってきてくれた。大手術のあと、まだ傷口も癒えていないのにありがたいことだ。さっそく刺身でいただいた。




P4160252昨日、畑に出た。ジャガイモの芽を抜いたり、ねぎ苗を植えたりした。
玉ねぎのとう(どういう漢字を書くんだろう)が立ってきたので、抜いてみるとけっこう大きくなっていた。サイカツさんが今年は畑で一番だとおだてるので、畑の人や近所の人にもらってもらった。


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野蒜とサイカツさんにもらった島ラッキョウ。

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妻籠

先日、「信州文学散歩」の43回目の連載の冒頭、「信州文学と言えば島崎藤村を抜いては考えられない」と書いた。しかし、これが落ち着かない気分である。
それが今回の馬籠行の動機である。

奥野健男も『現代文學風土記』(1968年)で、「島崎藤村は長野県の象徴的人物である。…全県民から藤村のように誇りとして尊敬されている文学者はほかにはいないであろう」と書いている。ところがさらに「信州人が藤村を岐阜県人にされるなど到底耐えられない心情は理解できる」とある。当時からそういう論争があったのだろうか。

『夜明け前』は、「木曽路はすべて山の中である」で始まるが、木曽十一宿は、京都の方から来ると、美濃の国(岐阜県)中津川から落合を経て十曲峠をのぼり、馬籠が第一宿、ついで妻籠となる。

島崎藤村は馬籠で生まれた。馬籠は、江戸時代は尾張藩の領地であったため、1871(明治4年)4月の廃藩置県では名古屋県だった。11月には筑摩県の発足で筑摩県馬籠村になり、74年合併で神坂村、76年筑摩県と信濃県が合併して長野県になる。昭和の大合併(1958年)で山口村に編入されている。

ところが平成の大合併で2005年、岐阜県に越境合併になった。旅の途中、妻籠の人に聞いたところでは村を二分する論議が行われ、最終的な住民投票では百人に満たない票差で決まったのだという。

だから藤村は、現在は岐阜県出身者ということになった。
(ちなみに山口村公民館は長野県の最も古い公民館のひとつであり、長野県公民館活動史などでは最初に出てくる。)

*     *     *     *

妻籠も馬籠もぼくは何度も来ている。
今回はまずは妻籠から。妻籠は長野県南木曽町にある。
景観保存で、宿場町の様子は変わっていない。
今回は、花桃がきれい。

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本陣は、『夜明け前』の主人公、馬籠の本陣、庄屋、問屋を継いだ青山半蔵が嫁に向かえた民(たみ)の実家である。

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旅籠「松代屋」の縁側で日向ぼっこをしていた人に呼び止められて話を聞いた。
外国人の観光客が多いですねと言うと、昨日は324人だったという。数えているらしい。
この人は、松代屋さんの八代目、6月に90才になるという。
今(昔から)妻籠宿は81軒あるが、そのうち21軒は空き家になってしまった。
43軒の旅館のうち、現在もやっているのはこの松代屋だけだそうだ(ほかに民宿が2,3軒)。
この家屋は230年前につくられ、ペリーが黒船で来た1853年(嘉永6年)に建て増しした。(『夜明け前』の物語の最初のころ)だから一番古い。
旅館は孫が継いでくれるので(十代目)ありがたい、というようなことだった。

クルマで馬籠峠に向かう。旧中山道とはときどきクロスするのだが、外国人など歩いている人が多い。

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馬籠峠には「峠の茶屋」がある。
茶屋からすぐ下に中津川、岐阜県との境の道標が出ている。ここが現在の県境である。


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2024年04月17日

昼神温泉の花桃

この日の宿は、阿智村の昼神温泉。
宿を探すとき、軒並みいっぱいで取れなかった。何回目かのとき、キャンセルがあったのか鶴巻荘が取れた。

ここは、もとは村営だったところで、1990年頃から現代生涯学習セミナーの会場だったので、何度も来ている。94年に望月町の吉川徹さん、伊藤盛久さんと出会い、その後の望月町とのお付き合いが始まった、ぼくにとっては歴史的な場所でもある。

セミナーの世話役だった岡庭一雄さんは、その後村長になり、「観光と有機農業の里」としての地域づくりを進めた(『協働がひらく村の未来』自治体研究社)。「日本一星空がきれいな村」として有名になり、満蒙開拓平和記念館は全国から人が訪れる。

キャンセルと言えば、もう20年以上も前、昼神温泉に来たときのこと、たかをくくって予約なしで来たのだがどこもいっぱい。途方に暮れたが、最後の「石苔亭いしだ」さんで、キャンセルがあったと泊ることができた。20畳くらいの立派な部屋が3間つづき、豪勢な気分だった。

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今回も、ぼくらがいちばん最後の予約だったと思うが、キャンセルした人が一番だったのか、宿の歓迎の名前も部屋も食事場所も何でも一番で、キャンセルのおかげ。

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セミナーのときは、飲んで議論するだけだったのだが、観光客としてくるとまったく気分が違う。温泉も、食事もゆったりと楽しんだ。ここの自慢は鯉の甘露煮。好物で、おいしかった。
食事のお品書きも社長が自ら書いたのだそうだ。味のある字でもてなしの気持ちが伝わる。

廊下にぼんぼりのようなものが方言で書かれて置いてある。
「とびっくら」というのは「かけっこ」のこと。信州では走ることを「とぶ」(飛ぶ、跳ぶ?)と言う。「くら」は比べる、競うことか。

*     *     *     *

翌朝、朝市へ。
たくさんの店、大勢が出ていてびっくりした。
地域特有の野菜、手作りの食品などがあり、蜂の子やめずらしい野菜などを手に入れた。おみなえしの種ももらった。

阿智村は、村中に花桃の花が咲いている。
息を飲むように美しい。
宿の人の話では昨日一日で咲いたということだ。これもラッキーだった。

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一昨年は友人の細山さんの自宅まで伺ったりしたのだが、今回は時間がなく、失礼をした。
清内路を通って妻籠へ。


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高遠桜

馬籠に行くので、途中高遠の桜を観て行きたいと思った。
いい天気に恵まれた。

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松代のPAから見た北アルプス。
左から蓮華岳、爺が岳、鹿島槍、白馬三山。
青のハリアーがぼくのクルマ。

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梓川PAから見た常念。左峰だけ見えるのが穂高、上高地方面。

伊那インターを降りて、高遠に行き、リエちゃんに聞いていたようにさくらホテルの駐車場に車を停めて高遠城址公園へ。あとで聞くと、リエちゃんのパートナーのワタルさんの実家はすぐ近くらしい。

高遠はほかの機会には来ているが、桜は、連れ合いは2回目、ぼくは初めて。もっとも連れ合いの1回目は大雨で、まだ数輪しか咲いていなくて散々だったようだ。この日は晴れて、満開。

高遠城は、武田信玄が山本勘助に命じて作らせたもので、百名城のひとつ。三重の堀に囲まれている。江戸時代は、内藤藩3万3千石の居城。

ちなみに中仙道の板橋宿、東海道の品川に相当する甲州街道の宿は、内藤新宿。
幕府が内藤藩の中屋敷のあったところにつくったのでそう呼ばれたという。今の新宿2丁目あたり。
下屋敷があったところは新宿御苑になった。

「天下一」を自称するだけあって、見事な桜だ。品種は高遠小彼岸桜。やや赤がかかる。

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南東に南アルプスの仙丈岳。

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中央アルプスの木曽駒ヶ岳。

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2024年04月16日

奇巌城

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小学生のころ、熱中して読んだのが怪盗ルパンシリーズ。
シャーロック・ホームズのものもよく読んだが、ホームズ物は推理物、それに対してルパン物は冒険的な要素も強いので、子どものぼくはとしてはルパンだった。『奇巌城』はそのなかでも好きな小説だった。

ルパンは金持ちから財宝を盗むが貧しい人に分け与える、決して人を殺さない。そのルパンを高校生名探偵のイジマールくんが追い詰めていく。

イギリスからシャーロック・ホームズがルパンを逮捕に来る。しかし、逆にルパン一味に拉致されてしまう。ホームズは形無しだ。

ぼくが好きだったのは、イジマールくんが奇巌城をつきとめる場面。海中の岩の下に夢のような城を築き、ルパンがそこでわずかなあいだが愛するレイモンドと暮らしていた。イズマールはそこをつきとめるが、無粋なホームズの誤射でレイモンドを殺してしまう。最後、ルパンは悲しみにくれる、……。

初版は1958年、小学校5年のときだ。南洋一郎作。もちろん原作はモーリス・ルブラン.



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故竹内整一君の墓参

竹内くんのお墓は保科の清水寺(せいすいじ)にある。
ちょうど桜が咲いていた。
ご冥福を祈った。

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大室温泉

草取りで汗をかいたので、大室温泉に行った。
うららかな天気で、北信五岳をみながらゆったりと浸かった。

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善光寺の桜

今回の長野行の目的は、庭の草取りをすることと「信州文学散歩」の取材に馬籠に行くこと。
12日、草取りが終わったので善光寺に行った。テレビで城山公園の桜が咲いたと報道していたからだ。

大門町。

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西沢書店。高校時代はここで本を買った。
藤屋旅館。元本陣。甥の亮君の結婚式はここでやった。

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唐辛子の八幡屋磯五郎、サンクゼール。

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仁王門。

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門前町。

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山門。

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奥が本堂。

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結婚式はこの近くの蔵春閣だった。

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池。中学のとき、ここで写生した。この時の絵だけは飛矢崎先生に褒められた。
大勧進。父親の供養をここでやった。
回忌もこの近所が多かった。

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2024年04月13日

長野の庭の花

梅は散っていたが、春の花の盛り。

ヒヤシンスに水仙、水仙は7種ある。

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スノウドロップ

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ムスカリ

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花桃

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ヒマラヤ雪ノ下

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雪柳

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レンギョウ

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2024年04月12日

長野

昨日、長野に来た。
横川PAと浅間山。
桜が満開。

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みやらび

10日、みやらびさんで大学の執行部時代の友人たちと会食。Fさんが世話してくれて半年に一度くらい集まっている。いつもの6人。退職した4人は、野菜作り、旅行、自転車、ラグビー観戦などさまざまに生活を楽しんでいる。現役の人たちはますます大変だけれど。いつものように飲み過ぎた。


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2024年04月10日

新宿御苑の桜

桜続きで、すみません。
この観桜会、Sさんに誘ってもらって初めて参加したのは、2015年。だから10年目。
この日は、いつものお二人に、久しぶりのWさんの4人。
4月の第2月曜日と決めてある。
この時期、いつもは八重桜の時期だが、今年は開花が遅れていたため、染井吉野などいつもは見ることができなかった桜を観ることができた。

先日読んだKyon2 の『黄色いマンション黒い家』には、新宿御苑に桜を観に行くくだりがあって、ピンクや白、黄いろい花(緑?、ウコン?)まであることに驚いているが、多分八重桜の時期だったのだろう。

11時からの予定だったが、午後は雨になるという予報が出てSさんの機転で10時からになった。おかげで雨のない空の下で見ることができた。

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新宿御苑には65種類の桜があるのだそうだ。
この日咲いていたのは、染井吉野、大島、長州緋桜、十月桜、十二月桜、小汐山、紅ゆたか、駒繋、などで、八重の一葉、カンザンなどが咲き始め。

そのうち、桜博士のような人に遭遇した。
その人の話では、吉野のような普通の一重の花は、バラ科なので花弁が5枚、雄しべが30数本。
花弁が10枚上になると八重桜。これは雄しべが花びらに変化するのだそうだ。
さらに50枚上の花弁の花がある。これは花の中にまた花ができて2段咲き、3段咲きになる。花弁が細く、密集してくるので菊桜と言う、らしい。花弁が300枚にもなる丸い花もある。写真は、変化中の花弁。

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博士は、希少な花も案内してくれた。
汀桜(みぎわざくら)は、まだ小さな木だったが、このほかには建礼門院がいた京都の寂光院にしかないのだそうだ。盗まれると困るので、パンフレットにもHPにも載せていないという。
御車返(みくるまがえし)は、1本の木に一重と八重の花が咲く。平安時代の2人の貴族が(名前は忘れた)一重か八重かで意見が分かれ、御車を引き返させたという花、らしい。(さっきの写真)

以下、何の花かわからなくなった。

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東の端、池にいた青鷺。ここが渋谷川の水源だと思う。

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御苑を出るとき、ポツポツと雨が落ちてきた。
食事は恒例の中村屋「マンナ」。Sさんのお友だちで、数年前にごいっしょした長崎のMさんもここで合流。大変なご病気をされたそうで、Wさんもぼくも含めていろいろあったわけだ。
ぼくはいつも「愛と革命のインドカリー」を頼むのだが、この日はソーセージやピザとビール、日本酒にした。


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多門院の桜

多門院は、桜の本数は多くはない。
染井吉野、枝垂れ桜、白い花の桜、など。
むしろほかの木の花が咲いていたが、これらはまた別に載せることにする。

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工学部ヒラノ教授

昨日、頼まれた小さな原稿を2つ書いた。(年金者組合と大田文化の会)雨だったのでちょうどいい。

111011088780001この本は、友人のマコト君に教わった。題名からして1990年に出された筒井康隆『文学部唯野教授』を意識しているのはだれにもわかるし、文中でもよく引用されている。

『文学部唯野教授』は、講義を定刻に始めることがほとんどなく、自慢話や無駄話で大半を費やし、時間前に終わる、欠席も平気、という怠惰な教育をする教授、教授会は足を引っ張り合ったり、権威主義がまかり通ったりするムラ社会であり、大学は学生にとっては勉強しないでも卒業できるレジャーランドになっているというイメージを巷間に広めた。教育に誠実に向き合わない不熱心の一面があった(ある?)ことは事実だし、パワハラ、アカハラのようなことは許されないことだが、教員や学生への管理を強めるなど盥の水と一緒に大事なことを流すような作用もあった。この本の出版後は、内部告発や私怨を晴らすような、似たような本が相次いで出された。

しかし、この本は違う。
東大工学部を出てから筑波大学、東京工業大学、中央大学で勤務した自分の体験と事実をもとに書かれ、たくさんの同僚教員も本名で登場する。大学教職員の抱える問題、大学の研究や教育の問題が率直に提起される。なかには同僚への批判や揶揄もあって、こんなことを書いて大丈夫かと心配するくらい、痛快だ。なによりも著者、今野浩さんの文章のおかげで面白い。

大学教員の研究、教育、雑務(会議を含む)、社会的貢献にかける時間と労力の配分の苦労。(筑波時代の自身のことは、「教育・雑務マシーン」と、もちろん謙遜で呼んでいる。)
理科系なので、実験や調査にかける時間が文系の僕には理解できないほど違う。
科研費の取得、学生の成績づけをめぐる苦労などはよくわかる。
研究で世界水準の優れた業績を上げる同僚教員や、めぐりあった敬服する学生の話などは読んでいて気持ちがいい。

90年代の「大学設置基準の大綱化」のくだりがとくに興味を引いた。「教養」教育の問題である。
OR、統計学研究ですでに名前を知られた研究者であった著者は、東京工業大学に移って一般教育担当教員になる。「一般教育担当教員の任務は、(レベルの低い)一般教育であって研究ではないというのが(当時の)文部省の方針」で、専門教育と一般教育の教員のあいだには「研究費で3倍、設備で3倍」の開きがあったという。
ただ、東工大は理科系だが、人文社会科学を含む一般教育を重視し、4年生になっても受講できる楔形の教養課程を持っていた。そこには、永井道雄(教育学)、川喜多二郎(文化人類学)、宮城音弥(心理学)、江藤淳(文学)など論壇を動かす「スター教授」が揃っていた。「真右」と「真左」が同居してもいたが、ヒラノ教授にとっては「オアシス」のように居心地よかったようだ。

ぼくは、大学入学以前は政治家と医者と教育者にはならないと決めていた。血を見るのがこわいし、争いごとは嫌い、人を直接に相手にするのはめんどうで、いずれも胡散臭い。そのぼくが一生の仕事として教育学を選ぶことができたのは、教養学部があって2年生の後半に進む進路を決めればよいというLate Specialisation のおかげである。
学生にとっての教養教育と教養課程は大事だが、教員の組織としての教養学部や教養課程はむずかしい問題が多い。

教養教育(一般教育)はベテランの教員が担当するべきだというヒラノ教授の意見には、教員としての経験から賛成である。


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2024年04月09日

富士見市役所の桜

ここはまだ木は小さいが子ども連れの市民がたくさん出ていた。
5分おきくらいで太陽が出たり雲に隠れたりするので、ずいぶん違う写真になる。

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秋ヶ瀬公園の桜と桜草

秋ヶ瀬公園では桜草が前回来たときより格段に増えていて驚いた。保護していてくださる方々のおかげだろうか。

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戸田の桜

先週の週末は各地で桜の満開が伝えられていた。今年は雨が多く、桜はかわいそうだったが、日曜日は晴れの予想。今日しかない。近場だが、何カ所か歩いた。
浮間のヒビキたちの家へ行った帰り、戸田の荒川土手で観桜。

埼玉の近所の桜並木も、浮間の桜通りも老化や虫の発生のためとかで根から切られたり、枝が刈られて無残なところが多い。戸田のここは、見事な並木になっている。

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2024年04月07日

野蒜(のびる)

畑で野蒜が大きくなった。
種を播いて増やしたがまだ少ない。
野草では野蒜がいちばん好きなのだ。
長野だし、貧しかったので最高のごちそうだった。
長野では直売所・あぐりでも販売している。

このブログを始めたのは、2006年6月5日。最初の記事は「野蒜」だった。

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P4050381今年の初物。



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昨日の近所の桜。
どんよりとした空でかわいそう。

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2024年04月06日

花韮

この花も繁殖力が強い。
どこにでも咲く。

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教養を深める -人間の「芯」のつくり方 2

本を読むと、新しいことを発見したり、今までの疑問が解けて腑に落ちるということがあるが、逆に疑問が深まり、解明すべき課題を受け取るということがある。
3つの疑問。

1 教養は「円環的であること」
著者は、教養の始まりのギリシアの「エンキュクリオス enkyklios」着目し、教養は「円環的」で、「ラウンド」「完全」であらねばならないとする。「一芸に秀でる」ことはよくない。そういう立場から「全人教育」「人間力」が推奨される。
しかし、それでは「個性」をどう考えるか、「専門」は悪いだけか、ということになる。閉じた「完全」になるのではないか。
この問題は、ぼくが30才代にイギリスのホワイトヘッドを研究して書いたときの課題でもあった。ソビエトの「全面発達論」や当時の「共通教養論」とも重なる問題だったからだ。

2 教養と人格
教養と人格、学力と人格の関係も教育学の大きな課題だ。教育基本法も教育の目的として「人格の完成」を掲げているし、「学ぶこと」と「生きること」を結びつけることは教育学の課題だった。しかし、それではどういう人格か。ジェントルマンの教育か。イノベイティブで寛容にとんだ経営者の人格か。
対談者になっている藤原正彦さんは「教養」「人格」「品格」を多用するが、世間で使われている「教養人」「人格者」からは胡散臭いにおいがする。いっそのこと別の対談者である五木寛之さんのように「教養や人格ということばがあまり好きではない」と言いたい気もしてくる。

3 What とHow
著者は、何を学ぶか(what)よりもどう学ぶか(how)が大事だと言う。でもぼくはやはり内容が形を決め、方法を求めるのだと思う。


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