増田俊也の執筆生活|公式ブログ

小説家です。「シャトゥーン ヒグマの森」(宝島社)でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞。「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(新潮社)で大宅賞&新潮ドキュメント賞。他著に青春小説「七帝柔道記」(角川書店)、ノンフィクション集『VTJ前夜の中井祐樹』(イースト・プレス)など。

『七帝柔道記Ⅱ 立てる我が部ぞ力あり』の見本刷りが上がってきました。

北海道大学を舞台にした青春小説『七帝柔道記Ⅱ 立てる我が部ぞ力あり』(角川書店)の見本刷りが上がってきました。前回は七大学すべての道衣が表紙にありましたが、今回は北大の道衣だけです。

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僕の代が3年目となり4年目となり、最後の引退試合へ向かっていきます。「絶対に最下位を脱出するんだ」という強い意志をもって。

北海道大学柔道部のどん底の時代に過ごし、当時は苦しくてつらかったのですが、今になってみれば強い時代にいるよりも、弱い時代を過ごしたほうがよかったのかなと思います。この本を読んで、ぜひ柔道部に入ってくれる新入生が出てくることを祈っています。

続編『七帝柔道記Ⅱ 立てる我が部ぞ力あり』は3月18日発売。

11年待たせてしまいましたが、『七帝柔道記』(角川書店)の続編『七帝柔道記Ⅱ 立てる我が部ぞ力あり』は3月18日に発売されます。

七帝柔道記Ⅱ_続編_七帝柔道記_新作

これだけ時間が空きながら、ずっと待ってくださっていた角川書店には感謝しかありません。ちなみに『七帝柔道記』時代の初代担当から6人もバトンリレーで担当編集者が引き継がれ、それも全員が体育会出身者をぶつけてきました。今回ついにこのように形になりましたが、担当はもちろん体育会、某大学某運動部のキャプテンをやっていた編集者です。「七帝柔道記の続編の担当がやりたい」と現在の部署にやってきた好漢です。いや、僕の担当者は6人全員が好漢でした。ありがとう!

以下。『七帝柔道記Ⅱ 立てる我が部ぞ力あり』の章立てです。連続最下位の泥沼から抜け出すために、歴代の柔道部員は練習量を増やし続けます。前作では主人公たちが2年生の夏で終わりますが、今回は4年生の最後の七帝戦まで突っ走ります。

以下が今回の章立てです。

第1章 「たった2人の抜き役」 第2章 「札幌には観光に来た」 第3章 「汗の蒸気と柔道場」 第4章 「沈む泥舟」 第5章 「函館の潮風、札幌の豪雪」 第6章 「怪物新入生がやってきた」 第7章 「北海道大学柔道部の焦燥」 第8章 「後藤主将、七帝戦を率いる」 第9章 「寝技仙人は東の方角にいる」 第10章 「対東北大学定期戦」 第11章 「雪が積もりはじめた札幌で」 第12章 「昭和最後の日」 第13章 「最後の七帝戦」 第14章 「東北大学との死闘」 第15章 「人の世の清き国ぞとあこがれぬ」

『七帝柔道記Ⅱ 立てる我が部ぞ力あり』のAmazon予約が始まりました。

『七帝柔道記』(角川書店)の続編『七帝柔道記Ⅱ 立てる我が部ぞ力あり』のAmazon予約が始まりました。

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発売日は3月18日のようです。

『七帝柔道記』からこの続編まで10年かかりましたが、いろいろ事情がありました。書影は近く公開されます。まだ決まっていないのです。ただ「岩崎」の帯が使われるのは確かだと思います。懐かしい方には懐かしい岩崎製です。

以下の画像はネットで拾ったものです。

岩崎

岩崎2

 

続編『七帝柔道記Ⅱ』が完結。近く書籍化されます。

「七帝柔道記」(角川書店)の続編「七帝柔道記Ⅱ」が並行して連載していた「小説野性時代」と「カクヨム」で完結しました。

「七帝柔道記」では僕の北海道大学2年目の7月の七帝戦で最下位になるところで終わっていましたが、今回はその続きです。つまり2年目の秋から引退試合となる4年目の七帝戦までのお話です。

「七帝柔道記」から10年もたっているので既に内容を少し忘れている方もいるかもしれません。ぜひ前作「七帝柔道記」をもういちど読みなおしてください。「七帝柔道記Ⅱ」は近く書籍になります。

続編の書籍版には連載時に「あまりに滅茶苦茶すぎて」書けなかったエピソードを大量に書き加えています。

 七帝柔道記_増田俊也

上の表紙は前作「七帝柔道記」の文庫本です。この3人の背中は紋別での7人制の大学日本一を決める団体戦「優勝大会」北海道予選で畳に上がっていく姿、左から竜澤宏昌君、和泉唯信先輩、増田俊也です。漫画家の一丸さんが描いてくださいました。

「七帝柔道記Ⅱ」では和泉さんが現役を引退するので、私たちの学年も意識を変えていかねばなりませでした。この物語は北海道大学柔道部の若者たちの話ですが、種目関係なくあらゆる運動部の人たちの物語でもあります。そしてあらゆる世代、あらゆる職業の人たちの物語でもあります。ぜひ一緒に青春を走りきりましょう。

下の写真は2年目の夏くらいから同期の竜澤宏昌君とよく通いはじめた札幌の北18条のカネサビルにあった「バップ」での写真です。左からマスターの鈴木真也さん、和泉唯信先輩、体育会委員長の綱島さん、馬術部の女性です。ランプシェードはすべてパンティというシュールなジャズバーでした。マスターは元ジャズドラマーです。

マスターと綱島さんは亡くなってしまいましたが、永遠に僕たちの心のなかで生きています。

バップのマスター_七帝柔道記_鈴木真也

バップは焼き鳥みねちゃんの真上にありました。

みねちゃん看板

以下の写真は和泉唯信先輩の5年目のときの送別会にて。左から僕の同期の工藤飛雄馬君、和泉唯信先輩、みっちゃん、増田俊也、宮澤守君です。

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上のほうにも書きましたが書籍版では連載時に「あまりに滅茶苦茶すぎて」書けなかったエピソードを大量に書き加えています。たとえばボクシング部のキャプテンと僕が殴り合いの喧嘩になり、●●●。とか、竜澤君が買ったばかりの新品のアディダスに僕が●●を●●てしまったり、後輩の●●君が●●●で●●し、●●とか。あるいは僕が●●●したときにみんなが止めて、数週間後、それが●●新聞に載って部員一同●●したとか。昭和時代ならではの●●が満載になります(笑)。竜澤君と吹雪の日に暴走族がたむろする地下パブへ行って●●●●●が●●●で、●●●だったとか(笑)。

そういえば2年目のときに僕と竜澤君に人生初の彼女ができたのですが、じつはその1年以上前に飛雄馬君にはすでに彼女がいました。飛雄馬はすごくもててました。

この写真は北大キャンパス内にあるポプラ並木です。

ポプラ並木

この写真もキャンパス内にある実験農場です。本物の牛です。松井君ではありません。冗談はさておき、中学や高校、大学の練習場に忘れてきた「思い」を持っている方はぜひ北大柔道部員とともに、それを探しにいきましょう。運動部じゃなくても吹奏楽部でも美術部でもパソコン部でも、みんな何か忘れものがあるでしょう。帰宅部にもオタク部にもきっとあります。その忘れものをみんなで探しにいきましょう。

農場の牛

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バイクに乗っていてクマと衝突。20代女性、走って逃げて無事だった。

山梨県でバイクを運転していた20代女性がクマと激突。びっくりして走って家まで逃げて親に言って110番、再び戻ったらクマはすでにいなくなっていたそう。

捨てていった鞄が漁られ、中に入っていた飴「 たたかうマヌカハニー」が食い荒らされていたそうです。

どこかにエッセイで書いたことがありますが、僕は小学生のころツキノワグマに足を掴まれて引っ張られました。爪が長かったのと、すごいパワーだったのを覚えています。

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(ソース、写真/https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/791665?display=1

編集者から頂いた「うなぎパイ」です。「夜のお菓子」というキャッチの意味は、もちろん。

ツイッターXでも紹介しましたが、昨日、編集者から「うなぎパイ」を頂きました。

昔は静岡土産として定番で、子供のころはこういった土産ものを貰えるのを楽しみにしていました。 

「夜のお菓子」の文言はつまり「ワカメを食べると髪がふさふさになる」とか「豚足を食べるとコラーゲンで肌がぷるぷるになる」というのと同じように、ウナギの形が似ているからだということに昨夜気づきました。スッポン料理がうんぬんと同じですね。

菓子くらいはいいけれど、象牙とかサイの角とかウミガメとか、そういうものの密漁はやめてほしいですが。

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うなぎ

「七帝柔道記Ⅱ」の連載最終回のゲラ訂正を終えました。学校スポーツを愛するすべての人へ。

小説野性時代カクヨムで同時並行連載中の自伝的小説『七帝柔道記Ⅱ』(角川書店)の最終回のゲラ訂正を終えました。あとは書籍化されるのを待つのみです(2月か3月に出版予定。題名は『続七帝柔道記』になるかもしれませんし『七帝柔道記2』になるかもしれません)。

この小説は2013年に出した北海道大学柔道部での青春をモチーフにした『七帝柔道記』(角川書店)の続編にあたります。あの作品では僕たちの代が2年目の七月の七帝戦をたたかうところで終わってますが、今回はその続きになります。後藤主将の代と竜澤主将の代です。

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僕らの代は、5年連続で七帝戦最下位という状況で幹部に就きました。つまり僕らの代は入学して以来、チームが勝つところを一度も見たことすらなかったのです。そんななか、東北大学と何度も戦う因縁を持ちました。当時、2年連続で京都大学と七帝戦の優勝を分け合った強力な東北大学柔道部に万年最下位の北大が挑んでいきます。

小説野性時代で7回連載にしたものを、カクヨムでは1ヶ月遅れで週刊連載に分割、つまり7×4週=28回(もしかしたら30回とか32回になってしまうかも。どういうことかというと野性時代では1回あたり原稿用紙100枚書いているのですがカクヨムではその翌週から25枚ずつ分割して週刊連載になるのです。ですが僕は一回100枚で終わらず200枚書いた回などもあるのです)に分割して連載されます。それが書籍となって来春に出ます。カンノヨウセイとか変な(?)伝統行事もたくさん出てきますが、当時の空気をそのまま書きました。学校スポーツを愛するすべての人に読んでほしいと思います。

下の写真の表紙は『七帝柔道記』の表紙です。『七帝柔道記Ⅱ』の前の話ですね。僕が北大柔道部に入部してから2年目までのお話です。出版されたのは2013年なので、もう10年も経ってしまいましたが、いまだ読者の方たちからたくさんの感想メールをいただきます。

七帝

七帝柔道とか七大柔道と呼ばれるこの柔道は、戦前のルールを引き継いで今も旧帝大七校で戦われています。15人対15人の抜き勝負で、場外なしの一本勝ちのみというデスマッチルールです。抜き勝負のため、誰を何番目に出すかというオーダーが勝敗の流れに大切ですし、「抜き役」と呼ばれる強い数人の選手のために「分け役」の選手たちが滅私のチームプレーで絶対に引き分けようと必死になります。抜き役も分け役たちの頑張りを無にしないようにと必死に抜きにいきます。

どういう試合になるかというと、下の表のような試合です。これは戦前、まだ「高専柔道」と呼ばれたときの京都武徳殿での戦いです。作家の井上靖さんも出場しています。まずは旧制松山高の6番目の選手(6鋒といいます)が四高の正井選手を抜いて、四高7鋒の杉原選手を引き分けて1人リードします。こうして負けた者が退がり、勝った者は畳に残り、次の選手と戦います。引き分けの場合は両者とも退がります。この試合では旧制松山高が13番目の「後藤勇」さん以下が生き残って試合を終えていますので、「3人残しで松山高の勝ち」となります。

北の海

この七帝柔道は、五輪などで見る個人戦の柔道とは違い、役割分担がされた「フォア・ザ・チーム」の団体競技であり、ラグビーやサッカー、アメフトなどに近いかもしれません。ですが1人が出ては相手の1人と戦っていくという側面でいえば、やはり格闘技であり武道でもあります。この七帝柔道には様々な要素、様々な側面があるんです。

▶カクヨム連載はこちらで読めます。

下の写真は4年目の七帝戦、夜の宿舎での竜澤宏昌主将(左)と増田俊也。ロビーで夜中に2人で話しているシーンは小説のなかに何度か出てきます。

増田俊也_竜澤宏昌

下は七帝戦での東北大学との戦い、竜澤宏昌主将(右)はカメになる相手を横三角で攻めます。真夏の内地は熱風が吹きすさぶ炎熱地獄での試合でした。

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下は東北大の輿水君と戦う増田俊也(右)。組み際の関節技を狙っています。

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下の写真は5年間理学部数学科に在籍した2期上の和泉唯信先輩(左)が札幌を離れて徳島大学医学部へ再入学する数日前の写真。北海道大学正門前で撮ったものです。3月末ですが雪がほとんど残っていません。この年は雪が少なかったのか、あるいは雪解けがはやかったのか。

和泉唯信_増田俊也

▶カクヨム連載

ニューバランスを陳列風の棚に。

革靴やらホワイツのブーツやらマーチンやら、とにかく下駄箱がいっぱいで、玄関どころか倉庫や車のなか、仕事部屋にまで溢れていたので一部を捨てて整理しました。

整理するためにいくつか靴の棚を購入したのですが、そのなかでも一番可愛かったのが、下駄箱の扉に引っかけるこのタイプ。ニューバランスを4足並べてみました。

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 Amazonで見つけたものです。

「七帝柔道記」と「リバー・ランズ・スルー・イット」。川は流れ続ける。

小説野生時代」と「カクヨム」に、僕たちの北海道大学柔道部での青春をモチーフに描く「七帝柔道記」(角川書店)の続編「七帝柔道記Ⅱ」を連載中です。

僕の代が最上級生となり竜澤君が主将になってから、長らく道場に顔を出していなかった佐々木洋一コーチを捕まえて無理やり引っ張ってきました。 それは柔道部にとって大きな転機のひとつでした。技術うんぬんの前に僕ら現役学生は1人でも多くのOBに僕たちの練習している姿を見てほしかったのです。きっと。

北海道大学農学部

佐々木コーチは当時40歳そこそこでしたから、今の僕より15歳以上歳下です。まだバリバリの頃ですよ。奈良博先輩以来、北大から消えていた本格的な横三角絞めのほか、多くの技術的進歩を道場にもたらしました。

「おまえらは優勝してもおかしくないチームだ」

佐々木コーチは道場に顔を出して練習を見て、竜澤主将以下、僕ら幹部にそう言いました。僕らはとても信じられませんでした。だって七帝戦で5年連続最下位だったのだから。僕らは北大に入ってから1度も七帝戦で勝ったことがなかったんです。

この年、僕らが最後の七帝戦を戦って、もちろん優勝はできませんでした。でも最下位だけは6年ぶりに脱出します。僕たちが引退したあと「北大柔道」というOBと現役向けの部誌に佐々木コーチが寄稿したのが以下の文章です。

「再び登場」
 
 コーチ 佐々木洋一
 
 さて、いつの間にやらコーチに復帰しております。
 思えば九年前、コーチを退いてそれでも暇があれば、道場に顔を出すようにしていましたが、それなりの年月は、文字どおり顔つなぎだけの結果をもたらしていました。
 僕ははっきり憶えているのですが、去年(一九八八年)の秋口の段階では、七帝も終り、学生の夏休みも明けているというのに、その試合結果も知ろうともせず、部誌の来るまで待ちましょうホトトギスの心境になっていました。すでに一年位、道場に行くことは無くなっていましたし、多分このまま行くことは無くなってしまうんだろうなとも思っていました。
 そういう中で、決定的な転回が僕を襲いました。感謝! 感謝! ある夜中、腹が減った僕は、コンビニエンスストアにいました。突然「佐々木さん」と声をかけられました。瞬間、彼が三年目の増田君と判断できませんでした。——記憶にはないボウズ頭、かつ移行して札幌には居ないはず——しかし一方で、彼が迷わず柔道部の人間だとは、その“におい”でピーンときていました。
 試合結果を語り、部の実状を訴える彼の気負いに押されたのはいうまでもありません。確か翌日には道場に顔を出し、今日に到ります。まずは、柔道部に復帰しての忘れ得ないことを書かせてもらいました。では本文に。
ooooo 現在、平均週一の出席というなんとも心もとなコーチですが(かつ練習時間に間に合わないので僕が行く日は延長練習となる)、僕には、あえてコーチになったという意図があります。それは、前回のコーチを離れて八年というOB稼業の教訓ですが、やはり、少なくとも一年単位の戦略と責任を持って臨まなければ、その成果を分かち得ないと知ったからです。僕の担当は技術指導と勝手に思い、それは監督よりも楽な立場ですが、この面でもしかりです。
 僕の強味は、七十年入学組ですから、その頃の先輩から現在まで、OBの得意技の大方はインプットされていると自負しています。前回のコーチ業で知り得たものも多数あります。
 ただし僕の弱点は、学生と一緒になって稽古することが、段々と少なくなってきていることです。現役の頃より少なめの体重と、四十をこえた年齢は、大きな障害となってきております。
 七月に間に合わせるには、大変なことだとも思いますが、道場に通うことがストレス解消という効用もあり、先日常見さんに言われましたが、育てる喜びがあるのかもしれません。
 今、一年間やりましてわかったことがあります。
 それは、どの位のチーム力があれば優勝(もちろん七帝しか考えておりません)を狙えるか、頭の中と現実にギャップがあるか否か、一年前は不安でした。それが今回の七帝戦、東北戦と続く中で、再び眼前にちらつき始めたのを感じます。そうなると、二回の優勝経験とその道筋も、大きな力となって蓄えられていることも感じざるをえません。
 もちろん、一番重要かつ、主体者は現役部員諸君です(アーア、学生でないのがくやしいのか)。しかし、今年の四年目の晴ればれとした表情は必ずや現役に伝播するでしょう。
 この文章を書きながら、興奮してくる自分を抑えつつ、言ってやりたい。十連覇なんて、そんなあまくないことを教えてやるぜ京大。

 (「北大柔道」平成元年版) 



どうですか。素晴らしい文章でしょう。

佐々木コーチが言う打倒京大は翌年ならず、準決勝で直接対決となりましたが北大は敗れ、京大に10連覇を許します。夜の選手慰労会で佐々木コーチが4年生たちと一緒に号泣して挨拶すらできなかったのを昨日のように覚えています。

翌年、さらに翌々年、北大柔道部は優勝への階段を一歩ずつのぼっていきます。でも僕が言いたいのは北大が強くなったとか、そんなことではありません。そうではなく、自分が引退したあとも後輩たちがあの道場で同じように汗を流し、七帝戦で負けて泣き、勝って泣きを繰り返していたことです。ずっと川は流れ続けていたんです。その川は、あれから40年近く経った今も道場へ行けば見ることができます。僕たちOBの心のなかにも流れ続けています。

北大柔道場1

日本の学校スポーツの特徴に団体戦の結束力というのがあります。時代的にそれを否定する人たちもいるかもしれません。でも、いつになっても団体スポーツをやっていた人間にとって変わらず流れている川の風景があります。僕ら学校スポーツをやっていた者にとって、学校も運動種目も関係なくすべての経験が「リバー・ランズ・スルー・イット」なんです。ブラッド・ピッドがブレイクするきっかけとなったあの叙情的な映画です(1992)。

時間は前にしか流れません。先に逝ってしまった仲間たちにも会うことはもうできません。でも川は流れ続けます。あのときと同じように北海道大学はあそこにあります。柔道場もあそこにあります。想い出もそのままです。時間が経ってあの頃からどんどん遠ざかっても、誰が逝ってしまっても、ただそこに北海道大学と想い出は残り続けます。僕が「七帝柔道記」という一連のシリーズで書きたいのは、きっとそういうことです。

いま日本の学校スポーツはひとつの岐路にあるのかもしれません。でも、どこの大学のどの運動部のことも、俺たちは分け隔て無く応援してるから頑張れ。もちろん北海道大学柔道部の現役も頑張れよ。



★カクヨムの「七帝柔道記Ⅱ」連載はこのリンクへ。

北海道大学応援団はこんな姿をして活動しています。

カクヨムと野性時代に同時連載中の『七帝柔道記Ⅱ』(角川書店)がいよいよ佳境に入っています。竜澤主将率いる北海道大学柔道部は七帝戦5年連続最下位という泥沼から脱出できるのか。

下の写真は僕らと同期、つまり1986年の入学組の北大応援団の2年目です(前列の3人)。左から斎藤シゲ、瀧波憲二、吾平です。北大応援団は2年目までこの格好で、3年目から短髪の学生服姿になります。彼ら3人ももちろん「七帝柔道記」シリーズに出てきます。

▶カクヨムの連載「七帝柔道記Ⅱ」はこちらからどうぞ。

 瀧波憲二

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価格を上げるほど部数が増える伝説の雑誌『芸術新潮』。

出版不況といわれて久しい。とくに雑誌の部数減が止まらず休刊する有名誌が相次いでいる。そんななかで不思議な雑誌がある。「芸術新潮」である。

価格を上げるとなぜか部数が増えるらしいのだ。新潮社の関係者3人から別々に聞いたので本当なのだろう。

下の写真は大学時代に購入した魯山人特集。必要があって書庫から引っ張り出しました。ちなみにパソコンで「北大」と打つと「北大路魯山人」と出てくる。AIというのは頭がいいのか悪いのかよくわからぬ。

この魯山人特集は昭和62年のものである。「昭和62年にも地球は存在した」ということを証明するものだと不思議な考えを抱いた。地層学者たちはそうやって考えて普段を過ごしているのでしょう。

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「七帝柔道記Ⅱ」。和泉さんの広島弁の説教が胸に響きます。

カクヨムで連載中の七帝柔道記の続編「七帝柔道記Ⅱ」の第4回が公開されました。和泉唯信先輩の広島弁が胸に響きます。北海道大学柔道部の不器用な男たちの青春期、ぜひ読んでください。

東北大学との札幌での定期戦。東北大学は七帝戦2連覇の最中、北大は七帝戦4年連続最下位の泥沼。東北大学は「今回は札幌観光に来た」と言ってのけます。そこまで蔑まれ必死に北大は戦いますが、大差で敗れます。
 
以下は今回の連載の最後のシーン。4年目の和泉さんが後に主将に就く2年目の竜澤と僕に思いを伝え、託す場面です。

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竜澤が和泉さんの向かいに座るのが見えた。竜澤にも声がかかったようだ。私はそこへ行き、竜澤の横に座った。
 
 竜澤がテーブルにある空のコップを持った。すると和泉さんが焼酎の一升瓶を手にし、半分ほど焼酎を注いだ。私も近くにある空のコップを手にした。和泉さんはそこにも焼酎を半分ほど注いでくれた。
 
 そして、ひとつ大きな息をついた。
 
「どうじゃ。今日、優勝チームと試合をしてみて」
 
 私と竜澤は同時に頭を下げた。
 
 言葉は出なかった。
 
「あんたら二人については入部んときからずいぶん問題になった。カンノヨウセイで竜澤が泣いて暴れて外へ飛び出したこともあった。追いかけて慰めるトシを突き飛ばしたときはOBや四年目から『退部させろ』ちゅう声もずいぶん出た。そんあとも女人禁制の部にマネージャーを入れたり他の部の幹部たちと大喧嘩したり、あんたらのやんちゃぶりに眉をひそめるOBがたくさんおった」
 
 初めてそんなことを聞いて驚いた。竜澤も驚いたようで顔を上げて和泉さんを見ている。
 
「じゃがの。あんたらが将来の北大にはどうしても必要じゃいう者もたくさんおった。北大がかつての栄光を取り戻すとしたら、それはあんたらの学年が上級生になるときじゃと思うておうた。わしもその一人じゃ」
 
 最後の一言が震えた。いつのまにか和泉さんはコップを手に静かに涙を流していた。

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「七帝柔道記Ⅱ」で再び登場する「カンノヨウセイ」とは何か?

「七帝柔道記」(角川書店)の続編「七帝柔道記Ⅱ」がカクヨムと小説野性時代で始まりました。

北海道大学柔道部の4年目になった竜澤主将(右)と増田副主将(左)は「カンノヨウセイなんてもうやめろ! 試合が近いんだ!」と怒っておきながら、2年目と3年目があまりに楽しそうに準備しているので「やっぱり俺たちもやりたい」と最前線へ出て「誰か写真撮ってくれ」と(笑)。

この年にカンノヨウセイを受けた1年目のなかに中井祐樹もいました。

カンノヨウセイ

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「七帝柔道記Ⅱ」の第3回連載がカクヨムに掲載されました。

北海道大学柔道部が舞台の小説『七帝柔道記』(角川書店)の続編『七帝柔道記Ⅱ』がカクヨムで始まり、先ほど第3話がアップされ掲載されました。

七帝戦最下位を続ける泥沼の北大柔道部の青春。

宿敵東北大学や王者京大に少ない陣容で挑んでいく北大の話です。

ぜひ読んでください。


 ▶カクヨムの掲載ページ


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▶増田俊也(ますだとしなり) 小説家。1965年生。北海道大学中退。2006年「シャトゥーン ヒグマの森」(宝島社)で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞。2012年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(新潮社)で大宅賞と新潮ドキュメント賞。他著に北海道大学を舞台にした自伝的青春小説「七帝柔道記」(角川書店)、「北海タイムス物語」(新潮社)など。「週刊大衆」誌上で原田久仁信先生(「プロレススーパースター列伝」「男の星座」などの漫画家)と組み、木村政彦先生の生涯を描く漫画「KIMURA(キムラ)」を長期連載、全13巻で完結しました。ビッグコミックオリジナルで漫画版「七帝柔道記」の連載も完結。こちらは全6巻です。























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七帝柔道記帝マンガ2

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