終電がなくなったのでこれはしょうがないとタクシーを止め新宿二丁目のミックスバーに向かいカウンターに座ると後ろのボックス席のイスに立って『初音ミクの消失』を熱唱している天使を発見した。天使一人に女が二人、歌っている天使をにこやかに見ながらはしゃぐ女二人と、高速で高音を奏でる天使の喉。天使が歌い終わったタイミングで飴ちゃんをやると凄い笑顔で俺の横に座ってくる。
「おじちゃん、お名前は?」
「んー、それじゃスカル」
「スカル! カッコいい!」
「天使の名前は?」
「天使?」
「お前のこと」
「うー、それじゃ天使の名前は天使」
「初めまして天使、俺はスカル、男でヘテロで作家だ」
「初めましてスカル、私は天使、ママとお母さんがいて、パパはいないの」
俺と天使は握手をして、俺はジャスミン割に、天使はジャスミン茶に口をつける。
「天使はいくつ?」
「とし?」
「そう歳」
「女にとしはきかないんだよ」
「んーまぁいいか。タバコ呑っていい?」
天使は俺の前に灰皿をおき、笑顔を向ける。
俺はタバコに火を付け、吸い込み、はき出す。
「ねえスカル」
「何?」
天使は少し困ったような、恥ずかしがっているような顔で、カウンターに置いてあった俺の左手の甲に両手のひらを乗せる。
「ききたいことがあるの」
「なんだい?」
「スカルはママとお母さんて、おかしいと思う?」
「ん? それはママとお母さんがおかしな人かってこと? それともママとお母さんがいる天使の今の家族構成がおかしいかってこと? どっち?」
「かぞくとして」
「んー、まぁいいんじゃない? 俺その状況になったことないし、分かんないよ」
「いいかげんー」
「ん、そりゃいい加減さ、俺は天使じゃなくて、俺は俺で、天使が抱えてる悩みなんて結構どうでもいいんだ。答えだっていい加減になるよ」
俺はタバコの灰を落とし、天使はむずかしい顔をして俺の左手の甲においてある自分の両手の甲を見つめる。
「それじゃ、わたしがスカルの悩みをまじめに考えて答えてあげる。だからこうかんで、わたしのきいたことにも、いいかげんじゃなく、答えて」
「いいよ」
誰かがいれた『慟哭』のイントロがなり、カウンターの中のママが手拍子をする。
俺はタバコの火を消し、天使の目をしっかりと見て、笑顔を消す。
「天使よくきいて、君は今とってもおかしな日常にいる。何がおかしいか分かるかい? ママとお母さんがいるとか、そんなことじゃなくて、君みたいな小さな子が、午前一時、飲み屋で初音ミク熱唱してる、これはおかしなことさ。子どもは寝てる時間だ。君は家で、家族に守られながら、体と心の成長のために寝てなくちゃいけないんだ。レズとかゲイとかホモとかノンケとかそりゃどうでもいいことさ、君には関係ない。でも。君の体と心の成長は守られなくちゃいけない。
ママとお母さんがいる家族は別におかしくないんじゃない? 家族はそれぞれ、君が家族だと思った人間が家族さ。
でも、ママとお母さんはおかしい。君をこんなところで俺みたいなクズと二人っきりにさせて話をさせるような人は君の親としておかしい。
君はここでは天使だけど、お日様の下じゃただの子どもさ。でも、ただの子どもに戻りなよ天使。君にとってそれはとても素晴らしいことさ」
俺は空いている右手で天使の頭を撫でる。
天使は唇を噛んで、俯き、じっと俺の手の上においてある自分の手の甲を見つめる。
「……どうしたらただの子どもに戻れるとおもう?」
天使の絞り出すような声に、俺は口の端を吊り上げて、皮肉るように笑う。
「それを質問する相手は俺じゃなくて、家族だろう?」
優しく天使の頭を撫で続ける。
「……スカル、私の家族になってくれる?」
頭を撫でる手が止まる。
「んー、それは君を産んだ、お母さんかママ、」
「ママ」
「ママにきいてみないと分からないよ」
「それじゃ後でママとわたしとスカル、三人で話をして、おねがい」
「んーまぁいいけど、君がのぞむとおりにはならないと思うよ?」
「ん、それでもいいから」
「ん、それじゃそれで」
「それじゃ約束まもるね、スカル、悩みをおしえて」
俺はもう一度、天使の目をしっかりと見て、笑顔を消す。
「いや、ヤリ逃げしようとしたデリヘル嬢がストーカー化してさ、いつ刺されるか分からないんだ。どうしたらいいと思う?」
天使が俺の左手の上からサッと自分の手を引きおしぼりで手を拭き蛆虫を見るような目で俺を見て、
「チンコモグしかないんじゃない?」
と、いって走り去っていった。俺はタバコに火を付け、ジャスミン割に口をつける。チンコモグしかないか。そりゃそうだわな。それしかないわな。
俺はタメ息をつき、タバコの煙を吸い込む。「ママー! あそこにカスがいるよー! 人間のクズがいるよー!」背中に天使の罵倒を浴びて、時計を確認するとまだ午前一時十五分。始発までは先が長い。このまま死にたいなって思う。死にたい。生きていたくない。死にたい。誰にも迷惑をかけず、罵倒されて、俺が死ぬことで、誰も悲しまない今この時に死にたい。スイッチを切るように、俺の体から魂が抜けていけばいいのに、それを望みながら俺は酒を飲み、タバコを吸う。
俺の背中に嬉々として罵倒を浴びせかける天使に幸あれと願いながら、俺は、この始発を待つだけの下らない時間のような俺の残りの人生に、潔い終わりあれと、願った。