2024年04月18日
過去を見たのだ
何の気なしに、写真の束を見っけた。
古い時代のうちの慰安旅行写真、アタシの若かりし頃の写真とかがでてきた。
オヤジの頃のうちの社員さんたち、ボクは小僧だったから、みんなから可愛がられた。
下のは、ライオンズ関係かな。ラオスのムラで学校建てたときとか、アメリカの国際大会に行ってくると、家族にウソこいて、デトロイトの空港から一人で、ペルーのマチュピチュへ行ったときの空港での写真もあるな。
女性二人と写ってるやつは、うちの慰安旅行のときのやつで、お世話になった、事務の葛山さん、川添さんです。屋久島の縄文杉の時かなぁ。
下のは、現在の爺さん、婆さんになった同級会もありゃ、、土建屋のみんなと行ったどっかの工場もありゃ、ゲンバ行ってた頃の写真です。子供たちと写ってるのは、日本の中学生に、ラオス、カンボジアを見せに連れてった、孤児院で撮ったやつだね。
下のは、土建屋の仲間と、韓国行ったときだね。 若いでしょ。
さて、時代は・・変わっていったよ。その都度、その都度、面白いこと、苦しいこと、悲しいこと、感動したこと、いっぱいあったよ。
土建屋ってのは、旧態依然としたギョーカイでね。いっこの仕事を、毎回、毎回、奪い合うような業界だから、醜い人間がいっぱい登場するんだよ。 裏ワザや、利権を使った連中が蠢くよ。
でも、そんなん、そこに染まらなきゃ、それはそれで、返って美しいものを感じられる生き方できるんだな。
雪の中にも、花を咲かせてた、保月集落のフクジュソウ、、廃村となった、一切の人間界の音も、生活感もないところでも、けなげに咲いてる美しさが、ほんのちょいではあるが、わかった気がします。
モノゴトは、たとえ悪いことであっても、それをいいふうに、、持っていく、変えていく、そこが大事だ思うのです。
長い、時間が・・過ぎましたね。
えへへへへ・・・・
古い時代のうちの慰安旅行写真、アタシの若かりし頃の写真とかがでてきた。
オヤジの頃のうちの社員さんたち、ボクは小僧だったから、みんなから可愛がられた。
下のは、ライオンズ関係かな。ラオスのムラで学校建てたときとか、アメリカの国際大会に行ってくると、家族にウソこいて、デトロイトの空港から一人で、ペルーのマチュピチュへ行ったときの空港での写真もあるな。
女性二人と写ってるやつは、うちの慰安旅行のときのやつで、お世話になった、事務の葛山さん、川添さんです。屋久島の縄文杉の時かなぁ。
下のは、現在の爺さん、婆さんになった同級会もありゃ、、土建屋のみんなと行ったどっかの工場もありゃ、ゲンバ行ってた頃の写真です。子供たちと写ってるのは、日本の中学生に、ラオス、カンボジアを見せに連れてった、孤児院で撮ったやつだね。
下のは、土建屋の仲間と、韓国行ったときだね。 若いでしょ。
さて、時代は・・変わっていったよ。その都度、その都度、面白いこと、苦しいこと、悲しいこと、感動したこと、いっぱいあったよ。
土建屋ってのは、旧態依然としたギョーカイでね。いっこの仕事を、毎回、毎回、奪い合うような業界だから、醜い人間がいっぱい登場するんだよ。 裏ワザや、利権を使った連中が蠢くよ。
でも、そんなん、そこに染まらなきゃ、それはそれで、返って美しいものを感じられる生き方できるんだな。
雪の中にも、花を咲かせてた、保月集落のフクジュソウ、、廃村となった、一切の人間界の音も、生活感もないところでも、けなげに咲いてる美しさが、ほんのちょいではあるが、わかった気がします。
モノゴトは、たとえ悪いことであっても、それをいいふうに、、持っていく、変えていく、そこが大事だ思うのです。
長い、時間が・・過ぎましたね。
えへへへへ・・・・
okakousan at 04:00|Permalink│Comments(0)
2024年04月17日
自覚したこと・・・
ここんとこ、そう、去年の暮れあたりからかなぁ。
いくつかの癌の気配、眼の衰え、ひどい腰痛に、血圧、尿酸値たらの数値も悪くなってゆく。
オノレの体調の衰えを、自分でも自覚してきたよ。
「生老病死」という言葉がある。人間として生まれること、それ自体が苦であり、やがて老いの苦がやってくる、さらに病の苦が追い打ちをかけ、最後の最後、、死という、安楽の場所に還ってゆくという言葉です。
死が安楽であるかは別として、老い、そうして病がやってくる。 これは確かに、「苦」のような気がする。
このアタシのバカな顔も、まだ・・病で呆けてないから、ワザとやってるから、笑いに使えるのだ。
それが最近、いろんなものが次々にやってくる。 やってくるのは、ホントの病に、気持ちが切れること、よく爺さん、婆さんが言ってる、「ここも悪い、あそこも悪い、こりゃもう、呆けるしか、ないかのう」に向かってるばかりだ。
「そういう、年なんだ・・・」を、自覚したよ。
あせってもいないし、絶望してるわけでもない、受け入れるばかりなんだがね。
恐山の三途の川のほとりに、、ござる、脱衣婆である。
やってきた死人が、向こう岸へ渡るための六文銭を持ってないと、身ぐるみはがして、その代わりにするという、恐ろしい婆さんだ。
そこへたどり着くまで、ああ、オイラの旅は「苦の旅」である。
じたばたしたって、どうにかなるものではない。 身を任せ、それなりに・・生きるしかない。
ただ、弱ったまま・・年老いていくのは、ごめんだ。
なにか・・・・何か、、目指すもの、目指すこと・・創らなきゃ。
いくつかの癌の気配、眼の衰え、ひどい腰痛に、血圧、尿酸値たらの数値も悪くなってゆく。
オノレの体調の衰えを、自分でも自覚してきたよ。
「生老病死」という言葉がある。人間として生まれること、それ自体が苦であり、やがて老いの苦がやってくる、さらに病の苦が追い打ちをかけ、最後の最後、、死という、安楽の場所に還ってゆくという言葉です。
死が安楽であるかは別として、老い、そうして病がやってくる。 これは確かに、「苦」のような気がする。
このアタシのバカな顔も、まだ・・病で呆けてないから、ワザとやってるから、笑いに使えるのだ。
それが最近、いろんなものが次々にやってくる。 やってくるのは、ホントの病に、気持ちが切れること、よく爺さん、婆さんが言ってる、「ここも悪い、あそこも悪い、こりゃもう、呆けるしか、ないかのう」に向かってるばかりだ。
「そういう、年なんだ・・・」を、自覚したよ。
あせってもいないし、絶望してるわけでもない、受け入れるばかりなんだがね。
恐山の三途の川のほとりに、、ござる、脱衣婆である。
やってきた死人が、向こう岸へ渡るための六文銭を持ってないと、身ぐるみはがして、その代わりにするという、恐ろしい婆さんだ。
そこへたどり着くまで、ああ、オイラの旅は「苦の旅」である。
じたばたしたって、どうにかなるものではない。 身を任せ、それなりに・・生きるしかない。
ただ、弱ったまま・・年老いていくのは、ごめんだ。
なにか・・・・何か、、目指すもの、目指すこと・・創らなきゃ。
okakousan at 04:00|Permalink│Comments(2)
2024年04月16日
特定技能2号への難関・・・困ったなぁ
シナット君、今は、このカンボジアの故郷へ帰って、結婚式あげて、クルマの免許取ってるのだが。
のんびりとしたカンボジアとはえらい違いのワガクニニッポンは、キビシイのだ。
シナット君は、あと2年ほどで、特定技能の1号から、2号へ移る時期なのだが、試験がある。
これが、えらい難関なのだ。
この2号になれれば、その後はほぼ日本人として生きられるし、10年経てば、家族だって呼べるらしい。預かってる会社(=うちら)にとっても、これからが、ホントの意味での「戦力」になるときだ。
だが、ワガクニニッポンは、「漢字」という、外国人の子らには、まあなんともワケのわからん文字があり、さらに、問題自体もうちの現場監督にやらしても「よく、、わからん」と、難しい。 〇✖式で、50点とりゃ合格ならいいけど、四つのうちから正解はひとつを選び、合格には75点が必要だよ。
実質上、ワガクニは、特定技能2号への移行時期には、99%「チミは、不合格だよ、クニへ帰って百姓に戻りなさい」と、ほぼ全員のクビを切りにかかってるのだ。国交省の、、、アホタレめが!なのである。
外国人の子の助け借りなきゃ、やっていけない、ワガクニなのに、「単純労働だけさせて、日本人にはならせない、この国に生涯住もうという子を、省きにかかってる」なのです。
特にカンボジアとか、ミャンマーとか、「漢字」が意味不明の子に厳しいよ。 漢字がわかる中国系の子しか、クリアできてない、この制度、なんとかしろ。
と、外国人が好きなボクはそう、悩んでいるのだ。
okakousan at 04:00|Permalink│Comments(0)
2024年04月15日
2024年04月14日
「この頃、急に歳をとったなぁ」・・・と、キムラ君に言われたこと
つい、先日、そんなことを言われたよ。
むろん、自分じゃちっとも変ってないし、自慢じゃないが、ちょいと髪の毛が増えて(←決して、なんとかゾウモウとかいう、人為的手法ではないのだぞ、バスクリン社の「髪殿」を ぬり続けた成果なのだ、わははは)、増えて、前より、見映えはマシになったと思ってた。
が、こりゃ、自分で自分を見た想いなのである。 他人から見た自分と言うのは、ま、それが「正解」なんでしょう。
ボクが若かった頃、「オヤジが急に老けたなぁ、、」と感じたことが2度あった。 なんでそんな風に思ったのか、あるいはその時、オヤジの身や心の中にどんなもんが、どんなことが起きてたのか、知る由もない。 ただ、「・・・この頃、オヤジのヤツ、元気ないなぁ、老けたなぁ」があったよ。
今、ボクも、キムラ君から見ると、そんなふうなのかな。
さて、また・・・「やはり、イワちゃんは若いなぁ、頑張っとるなぁ」と、まわりに見てもらえるようになるのは、オレ自身はどうしたらいいんだろうね?
神社まわり、ハタケ仕事、本を読む、水戸黄門見とる、演歌ばかし聴いとる、、こりゃ、みぃんな「こぉとい」よなぁ。 未来に向かう姿にゃ見えないよなぁ。 衰退の・・・風景だよな。
さりとて、、「イワちゃん、急にえっらい外車乗りまわしとるで、身に着けとるのも・・ありゃ、ブランド品ばかしやぞ」も、かなわん。 つまらん。 オレ、そ〜ゆ〜の、、似合わんし、嫌いであるからね。
輝きを戻すには、、こりゃ、みなさんお考えの通りだよ、、「また恋をする」だろうねえ、イチロウ君。
「恋など出来るもんなら苦労せんやろ、オマエのバカも、そこまでいけば・・・リッパなもんだよ。 キツネか、タヌキかサルと、恋しろよ。 がははは。 」
さて、イチロウ君は、いつも「その通り!」のことを、すらすら言うよ。
確かに人にゃ言えない、言っても仕方ないこと、チカゴロ、いくつかあったよ。
さて・・・・
むろん、自分じゃちっとも変ってないし、自慢じゃないが、ちょいと髪の毛が増えて(←決して、なんとかゾウモウとかいう、人為的手法ではないのだぞ、バスクリン社の「髪殿」を ぬり続けた成果なのだ、わははは)、増えて、前より、見映えはマシになったと思ってた。
が、こりゃ、自分で自分を見た想いなのである。 他人から見た自分と言うのは、ま、それが「正解」なんでしょう。
ボクが若かった頃、「オヤジが急に老けたなぁ、、」と感じたことが2度あった。 なんでそんな風に思ったのか、あるいはその時、オヤジの身や心の中にどんなもんが、どんなことが起きてたのか、知る由もない。 ただ、「・・・この頃、オヤジのヤツ、元気ないなぁ、老けたなぁ」があったよ。
今、ボクも、キムラ君から見ると、そんなふうなのかな。
さて、また・・・「やはり、イワちゃんは若いなぁ、頑張っとるなぁ」と、まわりに見てもらえるようになるのは、オレ自身はどうしたらいいんだろうね?
神社まわり、ハタケ仕事、本を読む、水戸黄門見とる、演歌ばかし聴いとる、、こりゃ、みぃんな「こぉとい」よなぁ。 未来に向かう姿にゃ見えないよなぁ。 衰退の・・・風景だよな。
さりとて、、「イワちゃん、急にえっらい外車乗りまわしとるで、身に着けとるのも・・ありゃ、ブランド品ばかしやぞ」も、かなわん。 つまらん。 オレ、そ〜ゆ〜の、、似合わんし、嫌いであるからね。
輝きを戻すには、、こりゃ、みなさんお考えの通りだよ、、「また恋をする」だろうねえ、イチロウ君。
「恋など出来るもんなら苦労せんやろ、オマエのバカも、そこまでいけば・・・リッパなもんだよ。 キツネか、タヌキかサルと、恋しろよ。 がははは。 」
さて、イチロウ君は、いつも「その通り!」のことを、すらすら言うよ。
確かに人にゃ言えない、言っても仕方ないこと、チカゴロ、いくつかあったよ。
さて・・・・
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