From Etajima, with love
さて
いよいよ大学生活も残り僅かとなった。卒業式はさすがに感慨深かったなぁ。
今にして思えば、実に楽しい4年間だった。卒業式当日はゼミにサークルに学部にと別れを告げたわけだけれど、どれもこれも他では得がたい体験をさせてもらったものだ。
学問の方は、お世辞にも褒められたほど頑張ってはいないけれど、大学で過ごした4年間の中には、僕にとって学ぶべきものが山のように転がっていた。授業にしろ人との付き合いにしろ、そこで得た経験はいくらかの血肉となって僕を成長させたと思う。
自分としてはあまり自覚がないが周りの人々に指摘されるという事は、何かしらの変化があったということだろう。それが成長であったかどうかは、これから実感していくこととなるはずだ。
なーんて堅苦しく書いてみたけど、実際卒業してみるとしんみりしちゃうもんです。しかしまぁ色々と思うところはあるけれど、この4年間は文句なしに楽しかったです。本当に大阪に来てよかった。とりわけサークルでは最高に楽しい活動と、一生の付き合いになるであろう仲間との出会いがありました。この4年間で培った経験を少しでもこれからの生活に活かせるように、せいぜい頑張ります。大学生活で僕と関わってくれた全ての人に感謝します。
さぁ〜、いっちょ馬車馬のごとく働きますか。
それでは皆さんいつかどこかでお会いしましょう。さようなら。
あ、今後、当ブログ「蟹と愉快な仲間たち」はサブとして使用しますので更新頻度は限りなくゼロに近づくと思います。これからの僕の生活っぷりが見たいという奇特な方は「uruli.jp」でお楽しみ下さい。リアルなリーマンの生態がご覧いただけるかと思います。なおuruli.jpでのリンクは基本的に蟹愉のものを流用しましたが、明らかに稼動していないものは割愛させて頂きました。御了承ください。ではでは。
トルコの旅七、八日目 〜トルコときどきオランダのち日本〜
久々にネット環境にありついた。色々と書きたいこともあるのでまずは旅行記を仕上げなくては。
で、さっき書いてたら全部消えた。IEなんて嫌いだちくしょう。
気を取り直して旅行記最終編いきます。
トルコでの観光を全て終えて泥のように眠った午後11時。トルコから飛行機が飛び立つのは午前5時。モーニングコールは午前2時。せっかくの五つ星ホテルも眠れる時間はわずか3時間。
そしてお約束通りモーニングコールを無意識のまま受ける。2時半にはっと目が覚める。隣で着衣が乱れたぺーちゃんが寝ている。15分後にはスーツケースを出さなければならない。大急ぎで準備をし、なんとかホテルから出る。正直この辺りからトルコを発つまでの記憶がかなり曖昧だ。なにせ眠かったから。
あとは日本に帰るだけなのだけれど、今回の旅行はオランダでのトランジットが8時間近くある。この貴重な時間を逃す手は無い。ということで5時ごろトルコに別れを告げ、8時にオランダ、スキポール空港へ到着。オプションでゴッホ美術館へ連れて行ってもらえたが、ここはあえてフリープランで。今回の旅行で初めての蟹班単独行動だ。オランダで明らかに浮いている東洋人6人組は無駄に周りを警戒しつつ空港からアムステルダムへと向かう。
僕たちがびびりながら行動していたのにはわけがある。だってオランダ人デカイんだもん。マジで半端なくデカイ。ただでさえ小ぶりなサイズが大勢を占める蟹班だが、オランダに来るとまるでホビットだ。男の平均身長182センチとかありえない。
巨人の間を掻き分けてなんとかアムステルダム中央駅にたどり着く。ここに来るまでにはそれなりの苦労が。まず電車が定刻通りに来ない。しかも遅れた電車が電光掲示板上で存在しなかったことになっていたりと不可解な現象が続いた。
極めつけは改札が無い。空港駅からアムステルダム駅を出るまでゲートなし。切符チェックなし。買った意味な(ry
さすが自主性を重んじる国。
アムステルダム市内ダム広場。なにげにヨーロッパ初体験だったり。石畳の道路。趣のある建物。カッコいい市電。もうなんか無駄にお洒落。建物とかは特に。それは構造上必要な突起なのかい?と突っ込みたくなるような造形の建物ばかり。
かつて福沢諭吉が脱亜入欧を唱えたのにも少しだけ納得がいった。
宮殿や戦没碑など一通り中央街を散策した後に腹が減ったので、適当な店へ。オランダに来てるのになぜかイタリア料理店へ。おもっきりイタリア顔の陽気な店員が迎えてくれて、びびりながらアムステルダム市内を探索していた僕らも一安心。似非英語を駆使しピザやら前菜やらを頼む。食う。美味い。冗談抜きで美味い。トルコではロクなものが食べれなかっただけにこの時食べたイタ飯は格別だった。
グラッツェ!と店をあとにし、お次は旧市街にある教会へ。今は使われていないが、そこには確かに信仰の跡が。
正面には巨大なパイプオルガンが。思わず厳かな気分になってしまう教会だった。
懺悔する部屋なんかもあったりして無邪気に見てまわる。そういえば昔通っていた幼稚園はカトリック系だったなぁ。
この教会なんといってもステンドグラスが恐ろしく美しい。きめ細かいデザインに光が差し込み、思わずみとれてしまう美しさだった。
蛇足ながらこの旧教会が位置する地域は飾り窓地帯といっていわゆる風俗街なのだ。オランダは風俗もマリファナも合法で国の管理の下、普通にヤったりキメたりすることができる。
飾り窓ではエロい下着を着けたネーちゃんがクネクネと踊って客を誘っていた。真昼間から。さすがに写真はとれなかった。おまけに売人みたいな人もいてガチで身の危険を感じるエリアだった。それはそれで面白かったのだけれど。興味のある人は「飾り窓」でググってみるといいだろう。
そんなこんなでアムステルダムの観光も時間切れとなり、適当なお店でみやげ物を漁って再び空港へ。車窓からの風景は、あのBGMがぴったりだった。
空港の免税店でチーズやら怪しげな書物といったお土産を買い、午後3時頃オランダを発つ。
帰りの機内食ではうな丼と寿司が出た。まぁまぁ美味い。KLMは機内食のレベルが高かったなぁ。父親たちの星条旗を見つつ9時間ほどのフライト。
基本的に爆睡。
現地時間10時すぎ。無事日本へ到着。チューリップの球根を検疫でチェックしてもらい無事入国。麻薬犬のチェックがやたら厳しかったのは気のせいじゃないだろう。
長旅でさすがにお疲れのため空港で解散。それぞれ家路に着く。帰宅後も爆睡。これにてトルコ旅行終了。
今回の旅行はエジプトほどではないにしろ、それなりのハードスケジュールでトルコの基本的な観光地は全ておさえていたので、本当にトルコを満喫できたと思う。おまけにオランダ小旅行という大きなおまけもあったし。ただ一つ難点を言えばやはり移動時間が長いこと。分かっていたこととはいえ、それなりに辛かった。あ、あと料理。世界三大料理とは名ばかり。やっぱり食は日本が一番だなぁ。
ちなみに、帰国後に旅行で仲良くなった70近くのとても面白いおじ様と連絡を取り合う仲になった。おそらくGW辺りに会うことになるだろう。また別の機会に詳しく書こうと思う。
今回の旅行記も2ヶ月近くかかってしまい読者の皆さんには大変な忍耐を強いただろう。面目ない。とにもかくにも最後まで読んで頂いた方ありがとう。トルコ関連のキーワードで飛んできてくださる読者にも僅かばかりの参考になればこれ幸い。ではこれにておしまい。
トルコの旅六日目 〜イスタンブール満喫〜
パソコンが使えるうちに更新しなくては・・・
ということでトルコ旅行記六日目。振り返ってみましょう。
am5:30
起床。バスは旅の出発地兼最終目的地イスタンブールへと向かう。4日間かけてトルコの主要な都市をぐるりと回ったのだと実感。
アンカラでは雪景色だったものの、イスタンブールに近づくにつれ寒さは和らいできた。でも雪より雨のほうが嫌なんだよな・・・
しかしトルコの家ってのは何でこんな斜面に作るのだろうか。平らな土地がいっぱい余っているのに。
午前中はすべて移動に費やし、お昼前後にようやくイスタンブールに到着。昼食。キョフテというトルコ風ハンバーグ。見た目より淡白な味わいで肉の旨みはあまりなかった。春巻きみたいなのも見えるが、中身は全然春巻きじゃない。正直不味かった。
雲行きが怪しくなってきけれど午後からはイスタンブール市内観光。これがかの有名なブルーモスク。とにかくデカイ。西洋とアジアの雰囲気が混在している街中にこんな建築物。エキゾチック。
ブルーモスク内部。エジプトのモスクと同じように円形の電飾が吊るしてある広間でたくさんの人がお祈りをしていた。
エジプトの時も思ったけど、このモスクってやつは巨大な空間のくせに柱があまりない。建築のことはよく分からないけれど、これほど巨大な空間でもあれだけの僅かな柱で支えられるものだなと関心した。
相変わらず天井が美しい。
続いてはブルーモスクの真向かいにあるアヤソフィアへ。もともとはキリスト教の大聖堂だ。今は中が博物館になっている。これまたでかい。
アヤソフィアとはギリシャ語で聖なる英知を意味する。
中は思わず息を呑む美しさ。壁、天井、回廊、柱、すべてが美しい。ステンドグラスやパイプオルガンもあり、まさに大聖堂なのだなと。
石をくり貫いて作った階段が、若干ゲームのダンジョンっぽくてわくわくした。
こういったモザイク画が中にはたくさん残っている。世界遺産にも登録されているアヤソフィアはビザンティン建築の最高傑作とされているようだ。(wikiより)
アヤソフィアを見た後はそのままトプカプ宮殿へ。残念ながら写真がないのだけれど、大きな箱庭を中心とした巨大な宮殿をそのまま博物館へと改築しており保存状態はかなりよかった。GoogleMAPで見るとよく分かるが、いくつもの小さな建物が連なってできた宮殿だ。財宝庫ちっくなものがあり、やたらに大きなダイヤなんかもあった。
イスタンブールの市内観光を終えた後にホテルへ。最終宿泊ホテルはマルマラホテル。文句なしの五つ星ホテルだ。夕食まで時間があったために、ホテルを抜け出し夜のイスタンブール市街へ。石畳の大きなメインストリートを沢山の人が歩いており、その間を縫って市電が走っていた。ヨーロッパへの入り口、イスタンブールを象徴するかのような雰囲気の通りだった。
夕食前にも関わらず、街頭で売っていたドネルケバブがあまりにも美味しそうだったので買い食い。ナンのようなパンに、じっくり焼いて味付けした薄切り肉とトマトやレタスを一緒に挟んで食べる。これは美味い。トルコではこのケバブがファーストフードの代表なのだそうだが、マ○ドのようないかにも大量生産しました的な雰囲気が全然無く、ファーストフードと呼ぶには恐れ多い食べ物だった。
街中をぶらぶらしたのちにバスへ乗り込み夕食へと移動。ケバブでおなかいっぱいになったので、夕食にはほとんど手をつけられず。ツアー参加者の皆さんと歓談しながら、ショーを拝見。民族舞踊の後にでてきたのはベリーダンス。エジプトの記憶がよみがえる。艶かしいフォームでクルクルと踊り続ける踊り子のねーちゃん。エロかった。
しかしショーの合間に写真撮影で来たときに僕らは見た。超不機嫌そうなこの踊り子の顔を。今にもキレそうな顔だった。正直怖かった。
宴もたけなわ、さすがに皆さんお疲れの様子で、ぺーちゃんなんかは今にも意識を失いそうなほどに眠そうだった。
夕食を終えホテルへと戻る。相変わらず凄い部屋だ。ほぼ寝るだけなのに正直もったいなかった。同室のぺは限界よろしくらしく、ズボンをかちゃかちゃしながら脱ぎ終わる前にもう寝ていた。よほど眠かったらしい。ということでトルコの観光もこれにておしまい。あとはトランジットでオランダに寄って帰るだけだ。ボスポラス海峡の夜景を眺めつつ午後11時頃には熟睡。
モーニングコールは午前2時・・・・・
つづく。
トルコの旅五日目 〜地下と奇岩と洞窟と美女〜
まさかの連続更新。五日目。この日はボリュームがあったなぁ。
am6:30
この日はカイマクルの地下都市散策から始まる。カッパドキア地方にはこのようか地下都市がたくさんあるようなのだが、中でも有名なのがココ。なんと地下8階。キリスト教徒が迫害を逃れるために住んでいたという。岩の要塞。外から見る限りでは、こんな広大な地下都市が広がっているとは到底分からない。
地下都市を後にし、更にカッパドキア地方をまわる。山に並ぶ家々にはキリスト教徒が住んでいたらしいが、今はほとんどいないという。
やってきました。これぞトルコ。カッパドキアの奇岩群。ありえない光景が目の前に広がる。これが自然の産物とは到底思えなかった。
噴火によって発生した火山灰と溶岩が幾重にも重なり、侵食を繰り返した結果このような形になったらしい。侵食は今も続いており、一定の姿を保つことはない。
NHKなどでもたまに世界遺産なんちゃら〜で放送される奇岩群。雪のおかげで視界は悪いが、雪化粧をした奇岩群もなかなかにオツなもんだ。
奇岩群ではしゃいだ後は絨毯工場へ。写真の中央はココのボスである和泉元彌(自称)。流暢に日本語で軽口を操り絨毯工場の説明をする。もうなんていうか、怪しすぎ。
元彌のセールストークが炸裂。おばさま方大喜び。
エジプトの絨毯工場では小さな女の子達が主力だったと記憶しているが、ここは年功序列っぽかった。ベテランになればなるほど目の細かい絨毯を任されるらしい。目にもとまらぬ速さで織っていく。
当然の如くお買い物タイム。目の前に次々と広げられていく絨毯と元彌の華麗な話術。うん百万もする絨毯を広げられても僕らにはネタにすることしか出来ません。包まったり、記念撮影したりしてそそくさと退散。
余談ではあるが、ここで50万の絨毯を買った方が日本に帰ってから届いた品がニセモノだった、と激怒していた。さすが元彌!見た目を裏切らねえ!
そしてお次はギョレメ地区へ。奇岩群が一番有名な地域だ。バックパッカーなどもここを目指して世界中から集まってくるらしい。ギョレメとはトルコ語で見てはいけないもの、という意味らしい。見ちゃったよ。
奇岩の前でイブさんと記念撮影。このあと蟹と相撲をとり雪まみれに。今は反省している。
ギョレメにも犬。真っ白な雪景色に真っ黒な犬。目立ちすぎ。ギョレメドッグ。
昼食は洞窟レストラン。奇岩をくり貫いて作った素敵レストランだ。雰囲気抜群。でも料理は相変わらず微妙。
そしてここのレストランに居た女性スタッフ(24)が超カワイイ。蟹が猛烈なアタック(?)を仕掛けた結果できあがった奇跡の一枚が下の写真。
注:本人の承諾を得てます。
(クリックで拡大)
多分今回の旅行でのベストショット。
彼の表情がなんともいえない。
昼食後はギョレメ野外博物館へ。レストランと同じように奇岩をくりぬいて人々が生活していた様子がよくわかる体験型の博物館だった。
ここにも犬。もう犬大好き。そして右上の写真は洞窟の壁画。絵がかなり「うすた」っぽい。うすたのセンスはトルコに通じるのだろうか・・・
ここでも記念に一枚。寒かったけど凄かったなぁ。
見つけた!トルコアイスだ!しかも超怪しい!期待に胸を躍らせ買ってみるも普通に美味い。のびる。牛乳を使ったものの他にヤギの乳を使ったものもあって、そちらはクセのある味だった。
これ普通に地球の歩き方とかに採用される写真じゃないだろうか。ノリノリの兄ちゃんはこちらがシャターを切るまで、プルプルとこの姿勢で耐えてくれた。ありがとう。
カッパドキア地方を後にした一行は途中トルコ石の専門店へ。写真はないけど最低価格が5千円くらい。学割あるよ、と店員が耳打ちしてくる。なんでもありだな。
バスはトルコの首都アンカラへと向かう。夕方に出発。アンカラへ向かう途中天気はどんどん悪くなり吹雪へ。路面は凍りつき、道路には横転したバスや車がゴロゴロと転がっている。いや、マジで。ありえないコンディションの中、のろのろ運転を続け、命からがらアンカラへと到着。いやぁ生きててよかった。
本日の宿泊ホテルはビュユック アナドゥール。綺麗なホテルだった。しかしアンカラは首都って感じがしなかった。実際旅行に行くまではイスタンブールがトルコの首都だと思ってたのは内緒。
六日目へつづく。
トルコの旅四日目 〜これがトルコ風呂か!(違)〜
お久しぶりです。まだ四日目。えへ。
am5:30
起床。さすがにパムッカレまで来ると寒いですな。
二日目にスーパーkipaで買ったレッドブルを起きぬけに飲む。トルコでも日本と似たような値段だった。
am7:30
ついにやって参りました。カッパドキアの奇岩群と並んでトルコの超有名観光地パムッカレ。
パムッカレとはトルコ語で綿の城という意味だそうで。山腹に出来た石灰棚を、これまた石灰分を多く含んだ温泉が流れるため、このような光景が出来上がったらしい。
早朝だったためか、まだお湯の量が少なく絵的にはインパクトに欠けた。しかしまぁ日本では到底お目にかかれない光景なわけで、なんとも不思議な場所だった。
中には温泉の中に足をつけられる場所があった。トルコ版足湯。なるほど確かに暖かい。しかしちょっとでも下流に行くとすぐさま湯の温度は下がり、調子にのって下りすぎた僕と蟹は痛い目を見ることに。
恒例のトルコ動物シリーズ。観光地には必ず犬か猫がいる。しかもついてくる。この子もパムッカレの帰り道を出口までのそのそと見送ってくれた。パムッカレ犬と命名。耳がないように見えるのは気のせいだと思いたい。
パムッカレを後にしバスはひたすら東へ。パムッカレでさえ恐ろしく寒かったのに景色は更に寒々しくなる。どこの僻地だよここは。
気温は氷点下へ。昼食兼休憩を挟みバスはまだまだ移動。
ちなみにこの時昼食で食べたのはトルコ風ピザのピデ。ひき肉をつかった割と淡白なピザでかなり美味しかった。
pm3:30
4,5時間ほどの移動の後、コンヤにあるメヴラーナ美術館へ到着。モスクの中に、イスラム教にまつわる様々な美術品が飾ってあった。コンヤには現在も多くのイスラム教徒が住んでいる。
ムハンマドの髭なんてものもあった。ムハンマドほどの人物になると髭ですら美術品になりえるのか…
pm8:00
4時半に美術館を出発してまたもやひたすらに移動。ようやくホテルへ到着。この日泊まったホテルはカイマクル。地名はそのままホテル名になっている。ホテル周辺はかなり田舎で雪が積もっているせいもあって恐ろしく静かだった。
しかし4日目に移動した距離を改めて地図上で確認すると、ありえない距離だ。
ほとんどバス移動だった気がするし・・・しかしバスに乗っているだけでも何故か疲れるもので、この日も早めに就寝。5日目はいよいよカッパドキアだ。
つづく。
引っ越した
さようなら豊津。こんにちは江坂。また一ヶ月後に引っ越しみたい。
さらに帰省するのでトルコ旅行記が書け(ry
写真は引っ越しに使った段ボール。フォントが恐いよ。
物が多すぎる・・
トルコの旅三日目 〜世界史勉強しときゃ良かった〜
相変わらずのスローペースですがご容赦頂きたい。
ではトルコ旅行3日目。ふりかえってみましょうか。
am6:00
起床。まだ外は暗い。海面に映る月が恐ろしく綺麗だった。ほぼ満月だったようで。
ホテル内で朝食を取り8時頃に出発この日はチャナッカレからエーゲ海沿いに南下しパムッカレを目指す。
エーゲ海沿いの山々に乱立する家々。山の斜面を埋め尽くす程の多さ。日本の家とは違いやたらにカラフルだ。
この後レストランで昼食を。アイランというヨーグルトドリンクを蟹が頼んでいたが、超絶に不味かった。なんかほうれん草の煮物とかにもヨーグルト(すっぱい)がかかっていて散々な飯だった。
pm2:00
道中の食事休憩を挟み、この日最初の観光。ブルブル山(なんつう名前だ)にある聖母マリアの家へ。キリストが処された後にマリアがエフェソスを訪れここで晩年を過ごしたらしい。家の中は写真禁止だった。
そしてこれはマリアの家の下にある、おみくじのようなもの。病が治るとされる聖水がこの壁の隣から流れており(普通に蛇口から)、そこで手を洗い拭き取ったティッシュ等をここに巻き付ける。御利益があるかは不明。
って売ってのかよ!聖水!マリアの家のふもとにあった土産物屋で激写。商魂たくましいことで。
pm3:00
本日のメイン観光地、エフェソス遺跡。ヘレニズム時代よりローマ時代にかけて栄えた湾岸都市の遺跡だ。やたらと大きい遺跡で、かつてここが大都市であったことが伺える。トロイほどではないにしろ、ここもかなり古いが、修復や再現されているものが多く、見所はたっぷり。本当に美しい遺跡だ。
写真はヘラクレスの門へと続く道。
ヘラクレスの門にかかっていた勝利の女神ニケのレリーフ。NIKEの社名もここから取られたそうだ。
石畳の道が続くクレテス通り。ヘラクレスの門から図書館へと続く道だ。観光客が少なく、はしゃぎまくった。
アホな格好で取った写真がいっぱいあるのだけれど公開できないのが惜しい。
トロイに続き、エフェソスにも猫がいっぱい。エフェソスキャットと命名。やたらとついてくる。ちなみに遺跡脇の山にはハイジに出てくるような沢山の山羊が、首にでっかい鐘をつけカランカランと斜面を歩いていた。実に牧歌的だった。
これもクレテス沿いにあるハドリアヌス神殿。中央のアーチ部分に、かの有名なメデューサのレリーフも。ちゃんと神が蛇になってた。その周りの彫刻もとても細かく綺麗だった。コリント様式とかいうらしい。
通りの突き当たりにあるセルスス図書館。2世紀に立てられたもので、巨大な図書館。12万冊を収蔵する規模だったという。写真では分かりにくいけれど、奥に4体の女性像も。それぞれ、知恵、運命、学問、美徳を象徴するものだそうで。
図書館の前では多くの人がスケッチをしていた。それほどまでに美しい建築物。
そして遺跡のクライマックス。24000人も収容できたという大劇場。つい最近立ち入りが禁止になったようで残念だったけれど、保存状態はかなりいいようだった。市民の集会場、劇場として使われていたそうだ。
猛獣と剣士の一騎打ちなんていうのもやっていたとか。
エフェソスを後にし、バスはホテルへ。道中トルコの革製品を売っている店へ。入ってすぐに見せられたのは、なんとファッションショー。商品を来たトルコの美男美女が音楽に合わせて次から次へと出てくる。それなりに本格的だったが、ここで出されたチャイ(紅茶)がイソジンとしか思えない味で、そっちばかりが記憶に残っている。ファッションショーの後はお買い物タイム。いくら安くなっているとはいえ、革製品だ。とても僕らが手を出せる金額ではない。店員の方も明らかに金を持ってなさそうな僕らはそっちのけで、おじさまおばさまを口説きまくっていた。ツアー客の中には20万もする革製品を買っていた人もいたようだ。13万のツアーで来てるのに・・・
pm8:00
パムッカレのホテル着。雨模様のパムッカレ。ホテル内で夕食をとった後この日も皆さんお疲れで即就寝。この日泊まったホテルの名はコロッセア。
4日目に続く。
トルコの旅二日目 〜これがトロイか〜
うおお。まだ二日目。そしてジャーキーはとっくに旅行記を仕上げているという事実。
他との差別化を図るため、蟹愉では写真満載でお送りします。
ということで二日目。前日午前四時就寝。同六時半起床。
ちくしょう。眠いよ。圧倒的に眠いよ!ハードな日程だ。しかし二日目からは本格的な観光。
寝てる場合じゃない。ホテルでバイキング形式の朝食を取り、いざ出発。
ちなみにこの日から現地ガイドのイブラヒムさん(通称イブさん)が加わる。
流ちょうな日本語を操る素敵ガイドだった。年齢は恐らく30代後半といったところか。
am8:00
ホテル出発。バスに乗りイスタンブール市内を走る。イスタンブールはトルコ国内でもかなりヨーロッパよりに位置しているので、街の雰囲気もかなりヨーロッパ寄り。
am8:30
イスタンブール市内のグランバザールに到着。いわゆる、アーケードの商店街。まだ早朝だった為か、回転の準備をしている店が半分くらい。
バザール内で営業している店はというと貴金属や民芸品や織物。観光客が行かないような奥の方では業務用のネジ?だとかボタンだとか分けの分からないものが沢山売っていた。とてもエキゾチック。写真はエジプトでも度々目にした、水パイプとガラス細工。魔神が出てきそうなランプも有った。
エジプトに続きココでも店員に怪しげな日本語で話しかけられる。持ってけ泥棒!と言われたのには笑った。
am11:00
バザールを後にし、進路は南へ。途中海岸沿いにポツンと建っている、小洒落たレストランへ。ここで、トルコ名物ドネルケバブを食す。街頭で肉をぐるぐる回しながら焼き、包丁でこそぎとって食べるあれだ。はたから見てると美味しそうだけれど、ここのレストランで出たケバブは正直不味かった。しかし我々は後にケバブサンドでリベンジすることとなる。
PM3:00
バスはひたすら南進し、ダーダネルス海峡へと到着する。さらに南へ進むために、ココでバスごとフェリーに乗り海峡を渡ることになる。写真は船を待っている間に港で売っていた謎の食べ物。何やら肉らしきものを香辛料とトマトと一緒に炒めて、パンに挟んだものだった。イブさんに聞いたところ、これは羊の腸らしい。なんか肝みたいで結構苦かったけれど、食べれないこともなかった。
20分程フェリーを待ち、乗船。左下にちょこっと写ってるのが我々が乗っていたバス。しばしのクルーズを楽しむ。船内にはデッキやカフェみたいなのもあり、皆さん思い思いの過ごし方をしたようで。
移動するフェリーに大量のカモメがついてくる。黙々とパンをちぎって投げるおじさん。見事に空中でキャッチするカモメ。おじさんに習ってパンを投げてみたところ、そんな大きいのじゃ駄目だ、もっと小さくして投げるんだよ。的な事を言われる。しばしおっちゃんとパンを投げ続ける。デッキの上はとても寒かった。
pm4:30
海峡を渡りきり、また移動。チャナッカレという地に至る。そして二日目のクライマックス、トロイ遺跡へ。僕は世界史を履修していなかったので、トロイについての知識は、蚊ほどにしかなかった。イブさんが丁寧に解説してくれ、蟹からマニアックな知識を教えられそれなりに勉強になった。
写真はかの有名な木馬。残念ながら修復中。これが例の木馬かぁ、とは思ったけれども案外しょぼかったのはここだけの話。
こんな感じで年代別の遺跡が層になって眠っている。何分古い遺跡なので、そのほとんどが朽ち果てていた。
しかし、夕方くらいに訪れたせいか観光客は僕らの団体しかおらず、トロイ遺跡貸し切り状態。高台からみる景色や遺跡の中の雰囲気は日本で味会うことのない素晴らしさで、やはりここは異国なんだなと、ひしひしと感じた。
遺跡の中でツアー一行をひたすら追いかけてくる猫。恐ろしく人懐っこい。トロイキャットと命名。きっと観光客から餌を貰っているのだろう。
それなりの形として残っているのは左に見える建造物くらいで、手前の柱の跡から伺えるように、言われなきゃココがトロイ遺跡だと分からないような状態。それでもギリシャ文字なんかが倒れている石に書いてあったりして雰囲気は抜群だったけれども。
トロイを後にし、5:30頃ホテルへと到着。寝不足だったので早めのチェックインで助かった。
バイキング形式の夕食を取り、ホテルすぐ近くの地元の大型スーパーkipaという所へ買い物へ。
さすがに地元の人向けなので、お値段はリーズナブル。紅茶とかここで買っとけばよかった…
適当に食料を買いあさりホテルへと帰還。部屋からは海が見える素晴らしい眺めだった。
さすがに寝不足だったのでこの日は早めに就寝。ちなみのホテルの名前はコリンだった。コリンて。
三日目へと続く。
Scratch
Tr.5のdolphinがCoccoにしか聞こえない。
や、Coccoも好きだからいいのだよ。
トルコの旅一日目(2) 〜波乱の幕開け〜
〜前回より続く
ツアー客の集合場所で僕らが目にしたものは、大勢の年配の方々だった。
大勢というか僕ら以外は全員50代オーバー(一人だけ30代の女性もいた)。
明らかに浮いていた。まるでどこぞの敬老会に紛れ込んでしまったかのように
目立ちまくる6名の若人達。まぁしかしこれはこれで気楽で良かったんだけれども。
添乗員の方から簡単な説明を受け、無事に出国ゲートへ。
AM11:50
利用航空会社はKLMオランダ航空。
機体もクルーの制服も整備車両も全て青。
そして目的地のイスタンブールまでアムステルダム経由で向かう。
機内食。非情に美味しかった。
というか今回の旅行の中では機内食が一番美味かっ(ry
PM4:00(以降現地時間)
イスタンブールまではオランダのアムステルダムを経由していくため、一度オランダに降り立つ。
日本を出国しておよそ10時間。さすがに長時間のフライトはしんどい。
トルコまでの乗り換えを待つ時間は4時間。適当に空港内をぶらぶらし、休憩することに。
得体の知れないパンやハンバーガーを食べた。久しぶりに英語を使ってドキドキした。
←ロールキャベツお○べ
PM8:00
そんなこんなで空港内でダラダラと時間を過ごしやっとオランダを発つ。
AM1:00
1時間の時差を挟み、やっとのことでイスタンブールに到着する。あたりは真っ暗。
日本を発って実に20時間程経っている。しかしこのときはまだトルコに来た実感はあまり感じず。
へろへろになりながら、言われるがままにバスに乗せられホテルへ。
一日目の宿泊ホテル。エレシン・トプカピ。
とても綺麗なホテルだった。滞在時間が短かったので勿体なかった。
AM4:00
特になにもしていないがとにかく疲れた。
泥のように眠る。
2日目へと続く。
トルコの旅一日目 〜波乱の幕開け〜
さて、ではぼちぼち書いていこうかね。蟹班卒業旅行、トルコ8日間の旅。
今回は残念ながら全員参加とはいかず、6人で行ってきた。
使用した代理店はJTB(書いちゃっていいのか?)の旅物語(通信販売)で
デラックストルコ8日間の旅という仰々しい名前のパックツアーだった。
お値段は、サーチャージ込みで13万程。それなりに安いと思う。
では適当につらつらと書き連ねていくこととするよ。
1月30日午前7時40分。8日間分の旅支度を調えて、家を後にした。
そして同8時。事件は豊津駅にて起こる。まだ関空にすら行っていないのに。
大量の荷物を抱え切符を買おうとしたときに、ポケットの中の異変に気が付いた。
財布がない。
それもパスポート入り。どこを探してもない。おまけに家を出るときにポケットに入れた事を覚えていた。
焦る。そして関前からやってきた二人に事情を説明して荷物を預ける。
すかさず駅から家までの来た道をダッシュで探し戻る。汗だくで家に戻るも見つからず。
さすがにこれはマズイぞと頭を抱え、取りあえず出し忘れていた普通ゴミを出し一息つく。
またもや全力で豊津駅まで走り、交番に駆け込んだ。しかし届けられておらず。
これはもう駄目かも分からんね、と旅行に行かない太郎をどうやって驚かそうか、等と考え始める。
ここで携帯がペカペカと光っている事に気付く。留守電だった。これはもしや・・・
ドキドキしながら聞いてみると、呑気そうなおじさまの声。内容は
「あー、山手町でパスポート入りの財布拾ったんだけど、どうもご近所さんらしいから
また仕事が終わったら届けますよ〜。それでは〜。ピッ。」
という神々しいメッセージだった。
すかさず電話をかけ歓喜と謝礼を伝えると共に、夕方じゃ飛行機出てるよ!と突っ込む。
すると、拾ってくれた方は淀○キリ○ト病院で働いているお医者さんであるらしく
もう仕事が始まってしまうので、放射線科の受付に預けておいて下さるとのこと。
この時点で関空集合までの時間がかなり迫っており、豊津でタクシーを拾い事情を説明する。
よしきた、と言わんばかりに病院まで飛ばしてくれる運ちゃん。しかもこの運ちゃん20年程前に
トルコへ行ったことがあるという。もうなんか色々と運命を感じた。
病院へ着き、競歩並みの速度で放射線科の受付へ。バケツ3杯分ほどの謝礼を浴びせかけて、ついに財布を手にする。
パスポートに頬ずりをしつつ、運ちゃんから楽しんでこいよと淡路で下車。時間もぎりぎり。
天茶行きへと飛び乗り、天茶からもラピートで関空へ向かう。
若干の遅刻をしつつも何とか関空に着く。どうやら間に合ったようで。
起死回生とはまさにこの時の状況だった。JTBの受付を済ませ、何とか仲間と合流。
この一件は大学時代、ノロに侵されて以来のピンチだった。山手町の悲劇として自分史に刻まれることだろう。
安堵と共にツアー客の集合場所へと移動し、僕たちはそこで衝撃の光景を目にすることになる。
なんだか長くなってきたので続きはまた明日。
やべぇ。写真はおろか、まだ日本すら出てねえよw
帰国しました
旅行記は明日以降順次更新”予定”(エジプトは二ヶ月かかったし^^;)。
卒業旅行
第一弾行ってきます。蟹班inトルコ。カッパドキアの最低気温は−10℃。
昭和基地の年間平均気温と同じだそうで。凍死しない程度に楽しんできます。
帰国後は蟹と愉快なトルコ旅行記になる予定。
初めてだ
T芝の携帯が欲しいと思ったのは。
今まではありえないデザインばかりだったからなぁ・・・
というわけで911T欲しい。くーまんかわいいよくーまん。
卒論を書きつつふと思う。
漫☆画太郎って注釈つけたほうがいいのかなぁ・・・・
毎年恒例でして・・・
今年も一夜漬けで年賀状作成。
後ろで何人か酔いつぶれて寝てます。
そんな年の瀬。
生きてますが
丸々2週間も更新途絶えるのはさすがに初めてだろうか。
というわけでこんな時間に更新してる辺り、アレな生活を送っていることが想像できると思いますが生きてます。
卒論はゼミ内提出が終わったため、毎日暇です。限りなくニートに近いです。
ネトゲとかやり始めてしまったり本当に腐ってます。
ところでほぼ仮死状態にあった本ブログですが、蟹がmixiにどっぷり浸かってしまって最早ご臨終間近です。
さすがに2年続けてると飽きてきたので、すっぱりと今年中に閉鎖しちまおうかと思っております。
で、新しいブログ作ります。