教職を離れて上京した時に目標を2つ立てました。
1つは「霜降り明星さんに関わる」、
もう1つは「『オールナイトニッポン』に関わる」。
これを2年間で達成できるか
自分の中で勝負にしようと思ったんです。

男性/20代後半/メディア関係
東京都在住
リスナー歴13年

企画の詳細および質問内容はそれぞれのページを参照してください。
これまでのインタビューはこちらをご確認ください。


■私のラジオ歴
東日本大震災をキッカケに地元のコミュニティFMと出会う

 初めてラジオに触れたのは小学校5年生の頃です。東日本大震災が起きた時、テレビはずっと震災関連の話ばかりだったので、「ラジオではどんなことを話しているんだろう?」と思ってラジオをつけたのが最初でした。自分が使っているウォークマンにラジオ機能がついていたんです。その時は住んでいた鳥取県米子市のコミュニティFM(DARAZ FM)が流れてきたんですが、地元についてただただ雑談していて、「ああ、面白いなあ」と思い、たまにラジオを聴くようになりました。

 その時に聴いたのが日曜の22時半から今でも放送している『It's 笑 Time!』。パーソナリティは山陰地方で活動しているすやまとしおさんでした。そこからアイドルやお笑い芸人のラジオに興味が広がることはありませんでしたが、ニコニコ生放送などの配信はよく見ていた記憶があります。今思えば、あれも実質ラジオみたいなものだったなと。

 僕はアクティブな子供でした。陸上大会や水泳大会では毎回学校代表のリレーメンバーに選抜されて、県大会でも陸上2位、水泳で4位になっていましたよ。ハガキ職人と聞くと内気なタイプを想像されるかもしれませんが、僕は体育祭で率先して選手宣誓をしていたぐらいで。根は真面目だと思いますが、みんなとワイワイするのが好きでしたね。

乃木坂46→アイドルラジオ→芸人ラジオ→霜降り明星

 中高生時代はたまに日曜日にDARAZ FMを聴くぐらいだったんですが、大学進学で大阪に引っ越してから状況が変わりました。大学に乃木坂46が好きな友達がいて、「乃木坂はメッチャいいんだよ」って何度も勧められたんです。いろいろと調べてみたら、アルコ&ピースと乃木坂のメンバーが『沈黙の金曜日』(FM FUJI)というラジオ番組をやっていると。試しに聴いてみたらこれが面白くて。乃木坂→『沈金』→アルコ&ピース……と芸人さんのラジオに興味を持つようになりました。乃木坂きっかけでラジオを知り、芸人さんのラジオにハマるパターンはメチャクチャ多いと思います。そういう形が1つできていますよね。

 最初に『沈金』を聴いたのは中田花奈さん時代だったんですが、皆さんが結構歯に衣着せずに話していて、「こんなのありなんだ」って驚きました。それで、『乃木坂46のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)なども聴きつつ、オリエンタルラジオと乃木坂メンバーがやっている『らじらー!サンデー』(NHKラジオ第1)も聴くようになって、やっぱり芸人さんは面白いなと。芸人さんだけのラジオも聴いてみたいと考えて、『アルコ&ピース D.C.GARAGE』(TBSラジオ)や『ハライチのターン!』(TBSラジオ)、『オードリーのオールナイトニッポン』、そこから派生して『菅田将暉のオールナイトニッポン』だったり、いろいろな番組を聴くようになっていきました。

 テレビって言っていいことは限られているし、放送コードを気にしている部分があるじゃないですか。でも、ラジオからはそれをあまり感じなかったんです。特に構成作家が福田(卓也)さんの番組ってメチャクチャだったんですよ。シモネタもありだし、コントチックな話をずっと真面目にやるようなところもある。喋りだけで笑わせることに長けていて、テレビやYouTubeにはない魅力を感じました。そういうところに惹かれたんだと思います。

 『霜降り明星のオールナイトニッポン』(当時は『オールナイトニッポン0』)を初めて聴いた時は本当に偶然で、ただの暇つぶしでした。時間が空いていたから、試しに聴いてみるかと。そうしたら、ハガキ職人のサドンデス対決(2019年10月4日放送、RNポストカードクラフトスマンとRNおもちもちもちももちが第2回MVPを決めるためにネタ対決した)をしていたんです。「こんなにハガキ職人がフォーカスされるんだ。こんなにリスナーを立てる番組もあるのか」と驚きましたね。

 この番組って常連職人の名前がよく出るし、他の番組でメールが読まれ続けるのとは意味合いが微妙に違うじゃないですか。そこが特別に思えたんです。単純にコーナーも面白かったし、お二人の喋りも面白い。よく話題に出てくる『ポケットモンスター』や『遊☆戯☆王』、少年ジャンプ系のマンガについても同じ世代だからよくわかるんですよ。それで、「この番組いいわ!」と感じて、リスナーになりました。

 投稿の初採用は『らじらー!』です。ボケるとかじゃなく、「このテーマで話してください」とトークテーマを送ったら運よく読まれて。その時は体温がバッと上がって、心臓がバクバクしたのを覚えています。

コロナ禍の暇な時間を埋めるためにハガキ職人に

 熱心に投稿を始めたのはコロナ禍に入ってから。大学でも陸上をやっていたんですが、練習も中止になるし、大阪は緊急事態宣言も出たから外にも出られず、本当にすることがなくて。その時に「霜降りさんのラジオに挑戦して、MVPレースで5ポイントぐらい取ってみようかな?」と何となく思い立って送り始めました。

 最初に読まれたのは「ポケットいっぱいの秘密」だったんですけど、最初に掲げた5ポイントは3週間ほどで達成できました。「あれ? これってもしかしたらMVPレースでランクインもできるんじゃないか?」と思って本腰入れたら、本当にランクインできたんです。これは楽しいなって感じて、それからはずっと投稿しています。菅田さんや乃木坂の『オールナイトニッポン』にもふと思いついたら送っていたんですけど、職人と呼ばれるような感じではなくて。熱心に送っていたのは霜降りさんだけですね。

 他の人はどう感じているかわかりませんが、投稿自体がつらいと思ったことはほとんどないです。他の投稿者への嫉妬というのもなくて。スポーツをずっとしてきたからこその感覚かもしれませんが、他の人が採用されても「やるじゃん。じゃあ、俺もやってやろう」っていつも思っていますね。採用されないとしても、それは番組や他の職人のせいではなく、自分が面白くないから、自分のせいですから。

 投稿をするようになってからは、進路としてラジオ関係もいいかなと思う部分はありましたが、最終的には教師になりました。「教師になりたい」という思いは、スポーツを続けてきた過程で持つようになったもので、全然ラジオとは関係ないんです。

 その夢が叶って、中学校の教師になったんですが、1年目が精神的にかなりハードで「ずっとこの状況だったらしんどいなあ」と正直感じました。そんな時、なんとなく「自分のセカンドキャリアはなんだろう?」と考えた時にラジオ関係の仕事が改めて思い浮かんだんです。構成作家に限定せず、技術職でもいいから、ラジオ関連はいいなって。まあ、2年目になって、「やっぱり先生はいいな」と気持ちが逆転してきたんですけど。

 教師になってからも投稿していたんですが、1人だけなんですけど、ラジオリスナーの生徒に正体がバレたことはあります。連絡帳を介して、最初は「同じ地域にハガキ職人のよもぎもちが住んでいるらしい」という話だけだったんですけど、3学期の修了式前に「先生ってよもぎもちですか?」と直接聞かれて。その時は「黙っておけよ」と冷や汗ダラダラでしたね(笑)。ただ、先生をしているハガキ職人はいないことないんじゃないかと思っています。

教職を離れて上京したのは「社会を経験する」ため

 プロフィールにあるように、なぜ教職から離れて、今は上京しているかというと……中学校の先生だから、当然、生徒に進路指導をするじゃないですか。「高校進学や将来のことを真面目に考えろ」って話をするんですけど、先生って小学校、中学校、高校、大学と進学して、学校に就職するので、学校から出ないまま定年までいくんです。それなのに、「社会ってこうだぞ」って語るのはどうなんだろうって思ってしまって。自分で自分に「お前、社会を知らないだろう」ってずっと感じていました。実際、先生をやってみても語れることがないと感じたので、じゃあ、1回学校から出て、社会を経験してみたらいんじゃないかと。

 まだ20代前半だし、1回先生を辞めて、他の仕事をやってみる期間を作ろうと考えて。その仕事は地元の企業でも良かったんですが、それはそれで何か逃げている感じがして、自分自身で腑に落ちなかったんです。じゃあ、思いきった選択をしたほうがいいよなと。作家に限らず、自分の手足を使ってエンタメに関わる何かの仕事を取ってやれたらいいなって、そういうスタンスで東京に来たんですね。

 今はそんな風に社会を経験して、またいいタイミングで先生に戻れたらいいかなと思っているんです。今はこの仕事だけで食えてないとしても、先生に戻るという部分で、経験値としてはいいし。先生としてのモチベーションはいまだに高いんです。今も教育系のアルバイトをしていて、先生に戻った時に活きそうなスキルを身につけながら、編集をしたり、お笑いライブや芸人さんのネタ作りに関わったりしています。

 地元にいた頃は、ほとんどの『オールナイトニッポン』と『JUNK』(TBSラジオ)、それと乃木坂関連の番組をちょこちょこ聴いていました。トータルで言うと、1週間で30~40時間ぐらい。移動中の車内と、家にいる時はだいたいラジオを流していました。学校生活と睡眠以外はほとんどラジオ。ネタを考えるのは土日が多かったです。東京に出てきてから、生活スタイルが変わったので、おのずと聴く番組数は減りました。

 ある時、NHK鳥取のドキュメンタリーで取材に受けたこともありました。Twitter(現X)にNHKのディレクターさんからDMをいただいて、「こういう企画を考えているので、取材させてもらえますか?」という依頼があったんです。勝手にやってバレたら怖いので、校長先生に許可を取ったら、「いいんじゃないか」と言ってもらえたので、出演することになりました。

 霜降りのせいやさんや水溜りボンドのトミーさんがリツートしてくれたので、その時のツイートはNHK鳥取史上一番バズったそうです。僕のフォロワーも3000人ぐらい急に増えたので、ビックリしました。ただ、そうなると、逆にラジオを知らない人たちの耳に入るから、教育委員会の人も聴いたらしく……。まあ、いろんな反響がありましたね。

霜降り明星とラジオで共演して目標を達成

 あと、『霜降り明星のオールナイトニッポン』で言えば、スペシャルウィークの企画で番組に出演したこと(2023年10月20日放送)はとにかく大きい出来事でした。僕には上京した時に目標が2つあって、1つは「霜降り明星さんに関わる」、もう1つは「『オールナイトニッポン』に関わる」。これを2年間で達成できるかどうかを自分の中で勝負にしようと思っていたんです。

 そうしたら、スタッフではないですけど、出演者としてこの目標2つがいきなり叶ったので、本当に感無量でした。僕の喋りを地元で前の生徒も聴いているので、その子にも頑張っているところが届いていればいいなって。単純に粗品さん、せいやさんと話せるのも嬉しかったし、いろんな感情が入り交じってましたね。

 コーナーのネタを目の前で読まれたのはヒリヒリしました。一緒に参加していたハガキ職人とポイントを争う形で、4人中4位になってしまったんですけど……実は僕、トークのほうを心配していて。そっちを乗り越えたらなんとかなると考えていたから、コーナーのほうにはそこまで力を入れてなかったんです。そうしたら、放送前の打ち合わせの段階で他の職人さんは「400通送りました」なんて言っていたから、「ああ、これは最下位だ……」って思っていたので、負けた時の立ち回りを必死に考えていましたよ。

 いろいろあったとはいえ、リスナーが実際のブースに行って、生で喋る機会なんてありえないことですから、本当に嬉しかったですね。他にも『オールナイトニッポン』で言うと、舞台『あの夜であえたら』にもハガキ職人の1人として協力しているんで、パンフレットにも名前を載せてもらいました。

東京に残るか、地元で教師に戻るか、悩む毎日

 幸運にも掲げていた2つの目標が叶ってしまった状況なので、次なる目標はどうしようかと。今はまさに人生の分かれ目なんです。もっと踏み込むか、それとも地元に帰って教師に戻るか。

仮にもっと踏み込んで、今からラジオの仕事を本格的にやるとなっても、1年半ぐらい過ぎた時に「地元に帰ります」と言うのは失礼になるじゃないですか。そもそもそういう仕事が継続的に出来るかどうかという話もあります。そんなに簡単なことじゃないのはよくわかっていますから。

ラジオの仕事に繋がらず、貯金だけが目減りするかもしれないし、先生に戻って後悔するかもって気持ちもあるし。いざ地元で先生に戻って、残業して遅くに学校を出る時に「東京のほうがよくねえ?」ってなるかもしれないですよね。

 東京で先生をしながら作家業に挑戦するという手もあるけど、先生をするならやっぱり地元がいい。地方に住んでいても、先生をやりながらラジオに関わることもできるんじゃないかと。そういう考えも一応視野には入っています。それこそコミュニティFMは僕の家から近いところにあって、そこの社長さんと話をしたこともあるので。

 本当に答えが出ないんですよ。上京した時は「俺は東京に行って、無理だったけど、夢を叶えるために頑張ったぞ」という話を生徒にすることになるだろうなと思っていたんですから。まあ、とにかく新学期まで時間があるので(※取材は11月)、ゆっくり時間をかけて考える期間なのかなと思っています。

 いろいろありますけど、投稿は今後も変わらず続けていきたいですね。出演した時に「霜降り明星の番組だけに100%送る」と言われちゃったので、他の番組には投稿していません。ただただ霜降りさんと関わっていたいという気持ちが大きいです。「忘れられたくない」と言う人もいますけど、それに近い感じで、あの2人と一緒に夜中にワイワイしているのも楽しいし、採用されるかドキドキ待っているのも楽しいし。「MVPレースで優勝してやろう」って考えるのはもういいかなと思っていて、忘れられない程度に金曜日の楽しみが続いていけばいいのかなって。


■自分が思うラジオの魅力
テレビではわからない深い部分まで伝えてくれるところ

 テレビにはないノリみたいなものが伝播するところじゃないかなって。例えば、乃木坂46の場合、テレビだとパフォーマンスがどうこうとか、チームがどうこうみたいな話になるんですけど、ラジオだと「家に大量の荷物が届いて大変だった」みたいな本当にその人自身しか知らない話を聴けるので、楽しいんですよね。そういう話が聴けるところが魅力じゃないかなと思います。

 『乃木坂46のオールナイトニッポン』で言うと、久保(史緒里)さんは野球の話ばっかりじゃないですか。あれって他の番組では絶対にやらないから、久保さんのパーソナルな部分を知ることができるし、スペシャルウィークに他の野球好きメンバーが来ると、「この人とこの人が仲いいんだな」って部分まで見えてくる。

 あと、『乃木坂46の乃木坂に相談だ!』(TOKYO FM)は清宮レイさんと松尾美佑さんの番組なんですが、結構サバサバしているところが伝わってくるんです。そういう部分ってそれまで全然知らなかったんですよね。それを踏まえてテレビを見てくると、より楽しくなってくるし、深い部分まで知ることができるのはラジオならではだと思っています。ラジオだとメンバー間の距離感も見えてくるのは面白いですね。

 先生をしていた頃に生徒にラジオを勧めたこともあります。友達とは喋れるけど、大人とはまったく会話できないという子がいたんですよ。「お笑い好きなの?」と質問しても、首だけでこっくりと答える子で。「じゃあ、霜降りのラジオを聴いてみな?」って勧めてみました。お笑いが好きなら、笑いがあるコンテンツを通じて、人と話すのが楽しいなと思ってもらえたらいいなって。そうしたら、もしかしたらその子も僕と喋ってくれるかもしれないじゃないですか。後日、連絡帳には「聴きました。面白かったです」と書いてくれてました。そこからハマったかどうかはわからないですけど。まあ、今の中学生がなかなかラジオに辿り着くのは難しいかもしれないですけどね。


■一番好きな(好きだった)番組
『霜降り明星のオールナイトニッポン』と『アルコ&ピース D.C.GARAGE』

 好きなのは『霜降り明星のオールナイトニッポン』ですが、それ以外で挙げるなら、『アルコ&ピース D.C.GARAGE』ですかね。

 『霜降り明星のオールナイトニッポン』を聴いたことのない人に勧めるなら……正直、お二人のトークスキルはぶち抜けていると思います。何も知らない状態で聴いても面白い。単純な漫才力というか、そういうところの強さだけで、その日の放送が面白いのは強烈な魅力だと思います。あとはコーナーもよく理解してなくても面白いんですよ。内輪ネタが強いわけでもないですし、コーナーも他の番組と比べて群を抜いて面白いと思いますね。

 せいやさんは『オールナイトニッポン』だと初っぱなに話題を振る担当なんです。毎回、その週にあったことを面白くしっかり発信してくれる。話のスタートからちゃんと面白いノリを作っていく誘導力は凄いなと思います。現場に行った時にも思ったんですけど、打ち合わせってほとんどしてないんですよ。それなのに、粗品さんはせいやさんの話に乗っていくし、引くところは引く。そこも凄いなって。粗品さんって根は優しい人だというのはリスナーからも感じるし、せいやさんもそれがわかっているから、信頼してツッコんだり、ボケたりする。2人の素の仲の良さはラジオを聴いていて感じますね。

 『D.C.GARAGE』って昔はノリの番組だったというか。アウディがどうだとか、体に虫を入れようだとか、そういうことが多かったですけど、最近は家族のことや生活に根付いた話が増えているから、より人間性が出ていますよね。もちろん今までみたいな変なノリもするし、そこのバランスが凄くいい状態だと思います。今はメッチャ面白いですね。


■ラジオで人生が変わった(心が震えた)瞬間
『霜降り明星のオールナイトニッポン』でMVPレースにランクインした時

 『霜降り明星のオールナイトニッポン』で最初にMVPレースにランクインした時です。「俺ってこういうのに入れる人なんだな」って素直に感じたんですよ。もちろん慢心はしていないんですが、「もしかしたら、自分は面白いという分類に入る人なのかもしれない」というのは驚きもあって。そういう思いを持った瞬間、エンタメ系の世界に興味が出てきました。それは今に繋がっています。

 学生時代からお笑いは好きでしたけど、だからって自分からどうこうするって考えたことすらなかったですし、ハガキ職人なるとは思ってなかったです。別にネタ帳を作っているわけでも、メモしているわけでもなく、目に付いたものを元に送っているだけなんですよね。

 だから、もしハガキ職人になりたいと思っている人がいたら、なれるんじゃないかと思うんですよ。もし「こんなにいろんな人が読まれているから、自分は絶対無理だ」って思っている人がいたら、「そんなことないよ」って伝えたいです。僕でもできるから、たぶんみんなもできるって感覚があって。

 投稿って本当に気力勝負だと思うんですよ。僕はスポーツをやっていたから、気力もあったし、負けず嫌いだったんです。そこが大きくて。「自分は面白い」なんて自信があるわけじゃなく、つまらないことでもメッチャたくさんコンスタントに考えて、それを送って、なんとか打率を0割から、0割1分に持っていけたという。あと、ずっとネタを考えていれば、どこかで慣れてきて、考え方も自分の中で固まってくるんです。それができるまでひたすら継続する。それだけの話なんじゃないかと。そこまでが苦しいとは思うんですけどね。


■自分がパーソナリティになったら、番組のテーマ曲は何を使う?
SEKAI NO OWARIの『アースチャイルド』をオープニングで使いたい

 「オールナイトニッポン!」とタイトルコールする時を想定すると……SEKAI NO OWARIの『アースチャイルド』ですね。曲が流れてないところからFukaseさんが歌い出して、「この夜空に眠れない君を連れて 夢を見よう 朝が来るまで」って歌詞が入るんですよ。これでパーンと行けたらいいなって思うんです。ふと聴いた時に「これ、オープニングにメッチャよくない?」と感じたんですよ。エンディングはやっぱり『BITTERSWEET SAMBA』ですかね。


私にとってラジオとは○○である
私にとってラジオとは精神的支柱である

 ラジオって確実に精神的な活力になるもの、精神的支柱ではあるんです。ただの娯楽ではなくなってきている気がして。「今からラジオなしです」と言われたら、たぶん病むぐらいまで来ているから、生きる源にはなっているのかなと思います。いろいろ考えたんですけど、僕はストレートな意見にしたいなって。お世話になっているし、支えられていますから。

 ラジオってもっと注目されてもいいんじゃないかって思うんですよ。ラジオをしてない有名人のほうが少なくなってきているところがあるし、だいたいテレビに出ている人は過去を含めてラジオをやっている。でも、そのラジオを聴いている人は少ないのは、出演者の人気と比例していないところがあるなと。だから、もっといろんな人が聴くようになってもらいたいです。そこに対して自分は何ができるとか、こうしたらほうがいいというアイディアはあまり思い浮かばないですけどね。

 今後、自分がどんな道を選ぶかはわかりませんが、たとえ地元の教師に戻ってもやれることがたくさんあると思っています。生徒にラジオを勧めて、メールの書き方を教えたりとか(笑)。他にもお昼の放送で何かするとか、楽しいことは地方の学校でもできるので。それこそハガキ職人という形ならば、地元に帰ってもいろんな人たちと繋がれるのはラジオの魅力だと思います。
(取材/構成:村上謙三久)

※これまでのインタビューはこちらをご確認ください。