2013年03月06日
2013年02月24日
帰国も近づいたので、パリ郊外の墓地へレヴィナスのお墓参りに行ってきた。
デリダが弔辞を読んだ場所だ。
広大な墓地で、レヴィナスの墓は入り口から離れた場所にあった。
天候に恵まれていれば散歩がてら歩いてもよかったのだが、
パリも相当に寒い日だったので、守衛さんが墓地内を循環する車を呼んでくれた。
車の中では、カトリック、ユダヤ、イスラム他さまざまな宗派の方が眠っていると聞いた。
ダビデの星が並ぶ一角に、他の人のお墓と並んで夫妻のお墓があった。
花が吹き飛ばされるくらいに風が強く吹いていたのだけれど、
12月末はおそらくもっと寒かっただろうと思った。
デリダが弔辞を読んだ場所だ。
広大な墓地で、レヴィナスの墓は入り口から離れた場所にあった。
天候に恵まれていれば散歩がてら歩いてもよかったのだが、
パリも相当に寒い日だったので、守衛さんが墓地内を循環する車を呼んでくれた。
車の中では、カトリック、ユダヤ、イスラム他さまざまな宗派の方が眠っていると聞いた。
ダビデの星が並ぶ一角に、他の人のお墓と並んで夫妻のお墓があった。
花が吹き飛ばされるくらいに風が強く吹いていたのだけれど、
12月末はおそらくもっと寒かっただろうと思った。
(06:50)
2013年02月23日
その後カウナスとヴィルニュスでそれぞれ一日ずつ過ごしたのだけれど、
これらについては、自分の中でもう少し深めていきたい。
ホロコースト博物館は地元の人に聞いても知らなくて探すのに苦労したけれど、
内容は非常に充実していた。
パリに戻ってきてから、少し疲れ気味で体調を崩している。
旅慣れも必要だと思う。
(07:23)
2013年02月19日
昨日は、午前中、朝早くから雪の降る中ヴィリニュスの教会巡りをしていた。
到着日だった前日が独立記念日だったのだけれど、特に変わったことはなかったらしい。
教会はロシア正教のものが多く、二本ずつ線の入る八端十字架が多く用いられていた。
とはいえ、カトリックの教会もプロテスタントの教会も多く見られる。
ひとつひとつの教会の中も個性的で、しばしば金銀で装飾されているイコンが特徴的だった。
特に夜明けの門の中のイコンは手と顔を除いた装飾部分がすべて金細工でできており印象に残った。
ちょうどミサの最中、あるいはミサの前にあたる時間だった。
ミサは満員で、熱心に祈っておられる方が多く、ミサの最中は中を見られないこともあった。
昼には、前日に案内してくださったリトアニアの研究者から興味深い話を聞くことができた。
午後はカウナスに移動。
カウナスでは、ホテルを除き、ヴィリニュスとは異なって英語は簡単な言葉さえほとんど通じない。
あまり時間がなくなってしまったので、カウナス探索は19日にまとめることにした。
今日は、十字架の丘に行った。
カウナスからシャウレイまでバスで3時間、そしてまたバスに乗り、
降りてから2kmほど歩かなければならない。
一緒に降りたのは一組のカップルだけだったのだが、
女性の方が気さくに英語で色々と教えてくれた。
足下は氷になっている上を雪がどんどん降り続けている。
道がついているので迷う心配はなかったけれど見渡す限り真っ白。
転びかけながらしばらく歩いたところで、一台の車がやってきた。
そのカップルとこちらとみんな乗せて行ってくれるということで、
カップルの女性の通訳を挟みながら目的地にたどり着いた。
十字架の丘は、よくもこれだけ、というほどのロザリオをかけた十字架であふれていた。
世界中から人が来るらしく、韓国語の札やスウェーデンという文字なども見られた。
比較的最近の日付が多いので、巡礼者の数は増える一方なのだと思う。
ガイドブックには、十字架が置かれるようになった起源は知られていないとあった。
雪をかぶった大小さまざまな十字架が山をなしているのは壮観だった。
予定では、帰りは少ない本数のバスに時間を合わせて同じ行程をたどることになっていた。
が、十字架の丘まで連れて行ってくれた車の女性と、同行することになったカップルが、
全員カウナス行きだということが分かり、乗せて行ってくれるというので甘えてしまった。
おかげでバスに乗るよりもずっと早くホテルに戻ることができた。
ヴィリニュス到着の日からずっと感じていたけれど、
リトアニアの人たちはとてもやさしい。
たとえ英語が通じなくても、色々と教えてくれようとするのが伝わってきた。
到着日だった前日が独立記念日だったのだけれど、特に変わったことはなかったらしい。
教会はロシア正教のものが多く、二本ずつ線の入る八端十字架が多く用いられていた。
とはいえ、カトリックの教会もプロテスタントの教会も多く見られる。
ひとつひとつの教会の中も個性的で、しばしば金銀で装飾されているイコンが特徴的だった。
特に夜明けの門の中のイコンは手と顔を除いた装飾部分がすべて金細工でできており印象に残った。
ちょうどミサの最中、あるいはミサの前にあたる時間だった。
ミサは満員で、熱心に祈っておられる方が多く、ミサの最中は中を見られないこともあった。
昼には、前日に案内してくださったリトアニアの研究者から興味深い話を聞くことができた。
午後はカウナスに移動。
カウナスでは、ホテルを除き、ヴィリニュスとは異なって英語は簡単な言葉さえほとんど通じない。
あまり時間がなくなってしまったので、カウナス探索は19日にまとめることにした。
今日は、十字架の丘に行った。
カウナスからシャウレイまでバスで3時間、そしてまたバスに乗り、
降りてから2kmほど歩かなければならない。
一緒に降りたのは一組のカップルだけだったのだが、
女性の方が気さくに英語で色々と教えてくれた。
足下は氷になっている上を雪がどんどん降り続けている。
道がついているので迷う心配はなかったけれど見渡す限り真っ白。
転びかけながらしばらく歩いたところで、一台の車がやってきた。
そのカップルとこちらとみんな乗せて行ってくれるということで、
カップルの女性の通訳を挟みながら目的地にたどり着いた。
十字架の丘は、よくもこれだけ、というほどのロザリオをかけた十字架であふれていた。
世界中から人が来るらしく、韓国語の札やスウェーデンという文字なども見られた。
比較的最近の日付が多いので、巡礼者の数は増える一方なのだと思う。
ガイドブックには、十字架が置かれるようになった起源は知られていないとあった。
雪をかぶった大小さまざまな十字架が山をなしているのは壮観だった。
予定では、帰りは少ない本数のバスに時間を合わせて同じ行程をたどることになっていた。
が、十字架の丘まで連れて行ってくれた車の女性と、同行することになったカップルが、
全員カウナス行きだということが分かり、乗せて行ってくれるというので甘えてしまった。
おかげでバスに乗るよりもずっと早くホテルに戻ることができた。
ヴィリニュス到着の日からずっと感じていたけれど、
リトアニアの人たちはとてもやさしい。
たとえ英語が通じなくても、色々と教えてくれようとするのが伝わってきた。
(04:52)
2013年02月17日
色々なことが無事に終わりました。
本当は研究上お伝えするようなこともたくさんあったと思うのだけれど
リトアニアから更新します。
パリから始発の電車に乗って空港に向かいぎりぎりの時間で搭乗手続きを済ませる。
ワルシャワ経由でリトアニアの首都ヴィルニュスに15時前に着いた。
今日は現地の方が案内をしてくれることになっていて、空港まで迎えに来てもらった。
街の全景を見渡せることのできる高い位置へ。
全体的に色彩が茶系統だ。また、レンガを用いた家が多い。
ロシアとヨーロッパ各地の文化が混合されているという印象を強く受けた。
ホテルに荷物を置いて街の中心部に向かう時にもこの印象は続いた。
教会はドーム状の屋根だったり、ピンクや茶色が目立っていたり、
かと思えばギリシア式の柱の建物があったりする。
土産物屋のウィンドウにはマトリョーシカと、リトアニアで名物らしい琥珀のアクセサリー、
木彫りや革の作品などが飾られていた。
教ドーム状の屋根だったり、ピンクや茶色が目立っていたり、
かと思えばギリシア式の柱の建物があったりする。
今日は、ユダヤ人コミュニティの跡地などを見学させてもらった。
ガイドブックにも載っていなくて探していたのだが、丁寧に解説してもらう。
建物の見えにくい位置に刻んであるダビデの星など、ひとりでは見つけられなかっただろう。
ユダヤインフォメーションセンターの地下のゲットーには、
ポスター(ヘブライ語、ドイツ語もあり)や隠れ家の展示もあった。
気温は低く、夕方以降どんどんと冷え込んでいった。
ホテルに戻った後に調べてみたら、今日は最低でマイナス6℃だったらしい。
案内をしてくれた、先日レヴィナスで博論を終えたばかりという方も、
今日は特別に寒いと言っていた。
明日は教会見学後、カウナスに向かう。
本当は研究上お伝えするようなこともたくさんあったと思うのだけれど
リトアニアから更新します。
パリから始発の電車に乗って空港に向かいぎりぎりの時間で搭乗手続きを済ませる。
ワルシャワ経由でリトアニアの首都ヴィルニュスに15時前に着いた。
今日は現地の方が案内をしてくれることになっていて、空港まで迎えに来てもらった。
街の全景を見渡せることのできる高い位置へ。
全体的に色彩が茶系統だ。また、レンガを用いた家が多い。
ロシアとヨーロッパ各地の文化が混合されているという印象を強く受けた。
ホテルに荷物を置いて街の中心部に向かう時にもこの印象は続いた。
教会はドーム状の屋根だったり、ピンクや茶色が目立っていたり、
かと思えばギリシア式の柱の建物があったりする。
土産物屋のウィンドウにはマトリョーシカと、リトアニアで名物らしい琥珀のアクセサリー、
木彫りや革の作品などが飾られていた。
教ドーム状の屋根だったり、ピンクや茶色が目立っていたり、
かと思えばギリシア式の柱の建物があったりする。
今日は、ユダヤ人コミュニティの跡地などを見学させてもらった。
ガイドブックにも載っていなくて探していたのだが、丁寧に解説してもらう。
建物の見えにくい位置に刻んであるダビデの星など、ひとりでは見つけられなかっただろう。
ユダヤインフォメーションセンターの地下のゲットーには、
ポスター(ヘブライ語、ドイツ語もあり)や隠れ家の展示もあった。
気温は低く、夕方以降どんどんと冷え込んでいった。
ホテルに戻った後に調べてみたら、今日は最低でマイナス6℃だったらしい。
案内をしてくれた、先日レヴィナスで博論を終えたばかりという方も、
今日は特別に寒いと言っていた。
明日は教会見学後、カウナスに向かう。
(08:56)
2013年01月20日
パリでは昨日雪が降って、少し積もりました。
図書館から、パソコンを守りつつ、また滑って転びそうになりつつ、雪だるまになって帰宅したり、
そうしたら、今日気づいたら外に雪だるま(日本式の二段重ね)ができていたり、など、
という週末です。
東京も雪が積もったようですね。
風邪と事故にお気をつけ下さい。
図書館から、パソコンを守りつつ、また滑って転びそうになりつつ、雪だるまになって帰宅したり、
そうしたら、今日気づいたら外に雪だるま(日本式の二段重ね)ができていたり、など、
という週末です。
東京も雪が積もったようですね。
風邪と事故にお気をつけ下さい。
(06:58)
2013年01月15日
大変おくればせながら、あけましておめでとうございます。
ほとんど更新しないうちに時ばかりすぎていますが、
私のパリ日記も少しずつ終わりに近づいてきたようです。
私は留学中、レヴィナスの生誕100年をはじめとして非常に多くのコロックに出席する機会に恵まれ
(ここで報告していないものも多いですが)
その恩恵は十二分に受けていると思う。
ただ、私のように普通ではない時間をかけて苦労するような真似は、後輩には絶対にさせたくない。
それでもやはりパリで過ごしている時間がいとおしいと思うし、
無駄に見える時間は、私にとっては必要なものだったのだろうと思う。
みなさまがよい年を過ごせますように。
ほとんど更新しないうちに時ばかりすぎていますが、
私のパリ日記も少しずつ終わりに近づいてきたようです。
私は留学中、レヴィナスの生誕100年をはじめとして非常に多くのコロックに出席する機会に恵まれ
(ここで報告していないものも多いですが)
その恩恵は十二分に受けていると思う。
ただ、私のように普通ではない時間をかけて苦労するような真似は、後輩には絶対にさせたくない。
それでもやはりパリで過ごしている時間がいとおしいと思うし、
無駄に見える時間は、私にとっては必要なものだったのだろうと思う。
みなさまがよい年を過ごせますように。
(10:09)
2012年08月23日
今滞在中のお部屋の娘さんが、プレパを終え秋から地方に移るらしい。
娘さんだけバカンスから戻ってきて部屋探しをしていたけれど、
未成年ひとりでパリにいながら地方の物件を探そうとして苦戦した末に
結局父親をバカンス先から呼び寄せて二人で地方に行っていた。
先日は彼女とバルコニーで夕食を共にした。
生まれてから18年間ずっとパリのこの地区で育ったため
離れたくないと彼女は言う。
彼女の学校の友人たちもそれぞればらばらになるそうで、
今は別れを惜しむ期間らしい。
そういうところは日本とあまり変わらない。
ニュースでも、新学期の準備について述べられるような季節である。
いつの間にかだいぶ日も短くなってきたと感じる。
とはいえ、朝6時で、あ、まだ陽が照っていないな、と気づき、
夜は21時で、あ、この時間で既にちょっと暗いかな、と思うくらい。
娘さんだけバカンスから戻ってきて部屋探しをしていたけれど、
未成年ひとりでパリにいながら地方の物件を探そうとして苦戦した末に
結局父親をバカンス先から呼び寄せて二人で地方に行っていた。
先日は彼女とバルコニーで夕食を共にした。
生まれてから18年間ずっとパリのこの地区で育ったため
離れたくないと彼女は言う。
彼女の学校の友人たちもそれぞればらばらになるそうで、
今は別れを惜しむ期間らしい。
そういうところは日本とあまり変わらない。
ニュースでも、新学期の準備について述べられるような季節である。
いつの間にかだいぶ日も短くなってきたと感じる。
とはいえ、朝6時で、あ、まだ陽が照っていないな、と気づき、
夜は21時で、あ、この時間で既にちょっと暗いかな、と思うくらい。
(13:57)
2012年08月07日
2年間住んだモンスーリ公園のすぐ近くの部屋を7月はじめに引き払い
7月と9月はセーヴル、明日から8月後半までは
5区ノルマル近くの知人の家に滞在することになっている。
移動の度の本の持ち歩きが大変だけれどしかたがない。
今滞在中のセーヴルの近くには著名なサン=クルー公園がある。
先日散歩道を歩いた。小高い丘になっており、急な坂が多い。
ナポレオンが住んでいた城は普仏戦争時に破壊されたらしく
庭のみが残っている。
造園者はヴェルサイユ宮殿と同じルノートルということだ。
運悪く噴水ショーは行われていなかったけれど、
本来は各所の池が見所になるのだろう。
各公園の雰囲気の違いは面白い。
モンスーリでは、多くの人が芝生を寝そべってピクニックをしている。
サン=クルーは季節のせいか人は少ないのだけれど
サイクリングが中心のようだ。
ただ、どの公園でもジョギングをしている人々や
合気道をしている人々はよく見かける。
この家には昨年も滞在している。
そのときには同じ公園内の陶器美術館を訪れた。
以前に訪れたソー公園内では当時使われていた物が展示されていたが、
ここでは現代の人々の作品が並んでいた。
日本の作家のものもあったと記憶している。
7月と9月はセーヴル、明日から8月後半までは
5区ノルマル近くの知人の家に滞在することになっている。
移動の度の本の持ち歩きが大変だけれどしかたがない。
今滞在中のセーヴルの近くには著名なサン=クルー公園がある。
先日散歩道を歩いた。小高い丘になっており、急な坂が多い。
ナポレオンが住んでいた城は普仏戦争時に破壊されたらしく
庭のみが残っている。
造園者はヴェルサイユ宮殿と同じルノートルということだ。
運悪く噴水ショーは行われていなかったけれど、
本来は各所の池が見所になるのだろう。
各公園の雰囲気の違いは面白い。
モンスーリでは、多くの人が芝生を寝そべってピクニックをしている。
サン=クルーは季節のせいか人は少ないのだけれど
サイクリングが中心のようだ。
ただ、どの公園でもジョギングをしている人々や
合気道をしている人々はよく見かける。
この家には昨年も滞在している。
そのときには同じ公園内の陶器美術館を訪れた。
以前に訪れたソー公園内では当時使われていた物が展示されていたが、
ここでは現代の人々の作品が並んでいた。
日本の作家のものもあったと記憶している。
(01:22)
2012年05月14日
非常によい天気だったので、
夕方少しだけ足を伸ばしてJardin des plantes を散歩する。
実はこの時期に来たのは初めて。
前回来たのは9月で、
サルビアやグラジオラスなどに彩られつつも何か寂しく
盛夏の名残が感じられる頃だった。
赤、黄、白のポピーの花畑が続いている。
人が通ることのできるアーチに絡ませたピンク、赤、白のつるバラは
咲き始めていたり、満開だったり。
脇の花壇をにぎわす、菖蒲色やチョコレート色のアイリスもよい頃合い。
部屋に戻ってから鉄線と同じものだと知ったが藤色のクレマチスも満開だった。
少し前には咲いていたであろうチューリップやクロッカスの名残や、
夏には花が咲くであろう花々の若い葉も見られたこともあり、
時期ごとに訪れたい場所だと思う。
ちなみに、併設の動物園には入らなかったが、
戯れるワラビーの親子を見ることができた。
子はある程度育っている時期らしく、小さな子が親のポケットに入り、
子が顔を出しつつふたり草をはむ様子にしばし見入る。
別のところでは昼寝をしている大きめのものや、
ぴょんぴょんとんでいる小さなものもいた。
1時間少しでリフレッシュ完了。
最近は21時近くまで明るい。
夕方少しだけ足を伸ばしてJardin des plantes を散歩する。
実はこの時期に来たのは初めて。
前回来たのは9月で、
サルビアやグラジオラスなどに彩られつつも何か寂しく
盛夏の名残が感じられる頃だった。
赤、黄、白のポピーの花畑が続いている。
人が通ることのできるアーチに絡ませたピンク、赤、白のつるバラは
咲き始めていたり、満開だったり。
脇の花壇をにぎわす、菖蒲色やチョコレート色のアイリスもよい頃合い。
部屋に戻ってから鉄線と同じものだと知ったが藤色のクレマチスも満開だった。
少し前には咲いていたであろうチューリップやクロッカスの名残や、
夏には花が咲くであろう花々の若い葉も見られたこともあり、
時期ごとに訪れたい場所だと思う。
ちなみに、併設の動物園には入らなかったが、
戯れるワラビーの親子を見ることができた。
子はある程度育っている時期らしく、小さな子が親のポケットに入り、
子が顔を出しつつふたり草をはむ様子にしばし見入る。
別のところでは昼寝をしている大きめのものや、
ぴょんぴょんとんでいる小さなものもいた。
1時間少しでリフレッシュ完了。
最近は21時近くまで明るい。
(10:43)
2012年05月07日
ここは静かだけれどお祭りしている場所は確かにある。
第二回投票が終了。
フランソワ・オランド氏が51,67%、ニコラ・サルコジ氏が48,33%。
予想されていた通り。
数日前の討論でもサルコジ氏が焦りを隠しきれていない感はあった。
2人同時に話されると聞きとれないんだけれど…。
よって司会者は大事。
パリはオランド氏に。しかし、東西でくっきりと分かれた。
東がオランド氏で西がサルコジ氏。
選挙っていうと、日本では政治家が楽しそうだけれど、
こちらでは市民が楽しそうだなっていう印象はある。
第二回投票が終了。
フランソワ・オランド氏が51,67%、ニコラ・サルコジ氏が48,33%。
予想されていた通り。
数日前の討論でもサルコジ氏が焦りを隠しきれていない感はあった。
2人同時に話されると聞きとれないんだけれど…。
よって司会者は大事。
パリはオランド氏に。しかし、東西でくっきりと分かれた。
東がオランド氏で西がサルコジ氏。
選挙っていうと、日本では政治家が楽しそうだけれど、
こちらでは市民が楽しそうだなっていう印象はある。
(09:44)
2012年04月16日
やっと荷物が届いてほっとする。
日本で本も増えたから。
そのまま荷物を持って明日からキャットシッターに行ってくる。
最近バカンスでの恒例行事。
私はアルバイト目的ではなくほぼ研究環境目的。
自分の部屋より採光がよく落ち着くから。
日本で本も増えたから。
そのまま荷物を持って明日からキャットシッターに行ってくる。
最近バカンスでの恒例行事。
私はアルバイト目的ではなくほぼ研究環境目的。
自分の部屋より採光がよく落ち着くから。
(02:24)
2012年04月13日
パリに戻りました。
最近は日本のカウンターでも出国時に滞在許可証を見せなければならないくらい
取り締まりが厳しいらしい。
経由地の北京でも相当念入りにチェックされた。
そしてパリに着いたと思ったらスーツケースが行方不明。
カウンターに呼び出され、遅れる旨を伝えられた。
あれだけ乗客がいて、呼び出されたのは数人。
私は荷物トラブルは初めて。
機内にて。
今回、日中窓側の席になる機会に恵まれた。
読書の傍ら、モンゴル、ゴビ砂漠、ロシアなどを通過したのを画面で位置確認する。
見渡す限り茶の砂や山にくっきりと落ちる雲の陰を見ていると、
いつもの生活の場所がいかに小さいかよく分かる。
ヨーロッパに近付いてから見えはじめる街の小さなこと。
けれどその小ささが社会と呼べるものの実際上のすべてであって
面積に還元し得ないほど大きかったりもするのだ、とも思う。
一本だけ映画も見た。
今回フランス語のものがなかなかなくて、未見だった La conquete (2010)を見てみる。
…ゴシップ記事ですね。
でも随所に仕込まれた、人となりを表現しようとする演出が面白かった。
最近は日本のカウンターでも出国時に滞在許可証を見せなければならないくらい
取り締まりが厳しいらしい。
経由地の北京でも相当念入りにチェックされた。
そしてパリに着いたと思ったらスーツケースが行方不明。
カウンターに呼び出され、遅れる旨を伝えられた。
あれだけ乗客がいて、呼び出されたのは数人。
私は荷物トラブルは初めて。
機内にて。
今回、日中窓側の席になる機会に恵まれた。
読書の傍ら、モンゴル、ゴビ砂漠、ロシアなどを通過したのを画面で位置確認する。
見渡す限り茶の砂や山にくっきりと落ちる雲の陰を見ていると、
いつもの生活の場所がいかに小さいかよく分かる。
ヨーロッパに近付いてから見えはじめる街の小さなこと。
けれどその小ささが社会と呼べるものの実際上のすべてであって
面積に還元し得ないほど大きかったりもするのだ、とも思う。
一本だけ映画も見た。
今回フランス語のものがなかなかなくて、未見だった La conquete (2010)を見てみる。
…ゴシップ記事ですね。
でも随所に仕込まれた、人となりを表現しようとする演出が面白かった。
(05:27)
2012年04月11日
今日だけ京都日記です。
明後日にはパリに発ちます。
銀閣寺から哲学の道を歩いてきた。
約1、8キロあるらしいけれど
桜の季節のおかげで観光客がひどく多い。
しだれ桜は終わりかけで、ソメイヨシノは満開。
結局一番落ち着けたのは法然院だった。
特に墓地はほとんど誰もいない。
九鬼周造のお墓参りをする。
西田の歌碑も近くにあるはずなのだけれど場所が分からずじまい。
「人は人吾はわれ也 とにかくに吾行く道を吾行なり」
さて、私は同意するか否かを判断できる境地には未だなく、
明日は大学へ行く。
明後日にはパリに発ちます。
銀閣寺から哲学の道を歩いてきた。
約1、8キロあるらしいけれど
桜の季節のおかげで観光客がひどく多い。
しだれ桜は終わりかけで、ソメイヨシノは満開。
結局一番落ち着けたのは法然院だった。
特に墓地はほとんど誰もいない。
九鬼周造のお墓参りをする。
西田の歌碑も近くにあるはずなのだけれど場所が分からずじまい。
「人は人吾はわれ也 とにかくに吾行く道を吾行なり」
さて、私は同意するか否かを判断できる境地には未だなく、
明日は大学へ行く。
(00:24)
2011年04月23日
たいへん遅くなってしまいましたが、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
問題は山積みですが、住民の目線から言えば国と各自治体との連絡がうまくいっていないようですね。
私も避難した家族のこともあり考えることの多い毎日です。
パリ日記としての近況です。
私の日常は変わりありませんが、
月曜まで、パリはパック休暇です。
一日だけ、休暇らしくフォンテーヌブローに行ってきました。
森ではなく宮殿の方です。
中世から続いた古い城で、主に王の家族が住んでいた場所。
現在の庭は、ヴェルサイユの庭の設計をしたル・ノートルによるもの。
フランソワ1世、アンリ2世、シャルル9世、アンリ4世、ルイ13世から18世、
ナポレオン1世からルイ=ナポレオンと、非常に歴史の幅がひろい。
ナポレオン1世の子どもの特別展が開かれており、
レースたっぷりのベビー服、赤ちゃんの靴、ミニチュアのおもちゃなどについ惹かれてしまいました。
問題は山積みですが、住民の目線から言えば国と各自治体との連絡がうまくいっていないようですね。
私も避難した家族のこともあり考えることの多い毎日です。
パリ日記としての近況です。
私の日常は変わりありませんが、
月曜まで、パリはパック休暇です。
一日だけ、休暇らしくフォンテーヌブローに行ってきました。
森ではなく宮殿の方です。
中世から続いた古い城で、主に王の家族が住んでいた場所。
現在の庭は、ヴェルサイユの庭の設計をしたル・ノートルによるもの。
フランソワ1世、アンリ2世、シャルル9世、アンリ4世、ルイ13世から18世、
ナポレオン1世からルイ=ナポレオンと、非常に歴史の幅がひろい。
ナポレオン1世の子どもの特別展が開かれており、
レースたっぷりのベビー服、赤ちゃんの靴、ミニチュアのおもちゃなどについ惹かれてしまいました。
(20:42)
2011年02月26日
最近ようやく日が長くなってきた。
冬至に近いころは、朝9時まで暗く、
夕方は5時には真っ暗なのだけれど、
この時期になると、朝は8時すぎるとうっすらと明るくなり、
夕方も少し長くなる。
今月レヴィナス全集の2巻が出た。
今から使ってどれだけ生かせるだろうか。
1巻は大変面白かった。
哲学を研究する上で、
日本人どうしの間だと、
「誰の研究をしているか」ということが自己紹介になって、
そこから「その中でどのようなテーマか」という問いが生じるのに対して、
フランス人との会話では「どのようなテーマを扱っているのか」が最初に来る、
というのはしばしば感じる。
無論、フランスの哲学研究者も「誰か」の「何らかの」テーマについて論じているのだけれど。
テーズの書き方で一番苦労しているのはその点だ。
ところで、フランスでは、哲学はリセの最終学年でのみ教えるということになっていたのだけれど、
それを早めることに反対する議論がしばらく前にルモンド紙でなされていた。
具体例はおそらく日本と同じように千差万別と思うけれど、
私としては、研究者を目指す人とは別にして、
日仏問わず、むしろきちんと働いている大人のかたが、
自らの興味で哲学を学ぶことにやぶさかではないという印象を持っている。
冬至に近いころは、朝9時まで暗く、
夕方は5時には真っ暗なのだけれど、
この時期になると、朝は8時すぎるとうっすらと明るくなり、
夕方も少し長くなる。
今月レヴィナス全集の2巻が出た。
今から使ってどれだけ生かせるだろうか。
1巻は大変面白かった。
哲学を研究する上で、
日本人どうしの間だと、
「誰の研究をしているか」ということが自己紹介になって、
そこから「その中でどのようなテーマか」という問いが生じるのに対して、
フランス人との会話では「どのようなテーマを扱っているのか」が最初に来る、
というのはしばしば感じる。
無論、フランスの哲学研究者も「誰か」の「何らかの」テーマについて論じているのだけれど。
テーズの書き方で一番苦労しているのはその点だ。
ところで、フランスでは、哲学はリセの最終学年でのみ教えるということになっていたのだけれど、
それを早めることに反対する議論がしばらく前にルモンド紙でなされていた。
具体例はおそらく日本と同じように千差万別と思うけれど、
私としては、研究者を目指す人とは別にして、
日仏問わず、むしろきちんと働いている大人のかたが、
自らの興味で哲学を学ぶことにやぶさかではないという印象を持っている。
(04:48)
2010年10月05日
また引っ越し。
今回はアパートの水漏れによる工事のせいで、
パリに来てからほとんど毎年住所を変えている。
今度の新居は眼下に公園を見下ろすアパートの最上階。
以前住んでいた、一番慣れ親しんだ場所の近くでよい。
そしてまた新学期の季節がやってきた。
今年、フランスでは、大学の編成についての改革の最中のため、
授業の開始に乱れが出ている。
日本の大学が抱える内面的問題と、フランスのそれとは異なる、と以前人と話していたが、
その通りだと思う。
改革という点で表面的に似ていても、
歴史的に、国家と大学の結びつきのありかたが異なるのだから。
***
ずいぶん時間が過ぎてしまったけれど、トゥールーズの報告をすると前回書いたので載せます。
報告は全体から見れば一部にすぎないけれど、レヴィナス研究会に寄せさせていただきました。
http://levinasjapon.web.fc2.com/colloque-at-toulouse-2010-sato.html
研究者どうしの交流は、自分の研究にとって有益かどうか、というものさしではからなくても
勉強になるから好きだ。
少し一時帰国したいのだけれど今はかなわないので、できるかぎりはこちらで頑張ろうと思う。
今回はアパートの水漏れによる工事のせいで、
パリに来てからほとんど毎年住所を変えている。
今度の新居は眼下に公園を見下ろすアパートの最上階。
以前住んでいた、一番慣れ親しんだ場所の近くでよい。
そしてまた新学期の季節がやってきた。
今年、フランスでは、大学の編成についての改革の最中のため、
授業の開始に乱れが出ている。
日本の大学が抱える内面的問題と、フランスのそれとは異なる、と以前人と話していたが、
その通りだと思う。
改革という点で表面的に似ていても、
歴史的に、国家と大学の結びつきのありかたが異なるのだから。
***
ずいぶん時間が過ぎてしまったけれど、トゥールーズの報告をすると前回書いたので載せます。
報告は全体から見れば一部にすぎないけれど、レヴィナス研究会に寄せさせていただきました。
http://levinasjapon.web.fc2.com/colloque-at-toulouse-2010-sato.html
研究者どうしの交流は、自分の研究にとって有益かどうか、というものさしではからなくても
勉強になるから好きだ。
少し一時帰国したいのだけれど今はかなわないので、できるかぎりはこちらで頑張ろうと思う。
(07:56)
2010年07月11日
トゥールーズのコロックよりただいま戻りました。
コロックは、160人、40カ国からの研究者の発表や映画上映、コンフェランス等からなり、6日間、初日は午後開始、最終日はお昼すぎまででしたが、2日目から5日までは朝から夜遅く(バスの走っていない時間)までプログラムがぎっしり詰まった大規模なものでした。
英語、仏語の発表が半分ずつくらいあったこと、アメリカ系、アジア系の発表者も多かったこと(極東ーということばがよいのかは分かりませんがー、というテーマで1つのセッションが割り当てられていました)、また、あらゆるテーマに渡って議論が繰り広げられたことなどが特徴でしょうか。
ユダヤ教関係、キリスト教関係が多かったこと、また、レヴィナスと20世紀の人々との、今まであまり大きくは注目されてこなかった関係がまとまって扱われたことは、『困難な自由』というテクストの選択からきたものと思います。(ローゼンツヴァイク関係では2セッション、ブランシュヴィック、シモーヌ・ヴェイユ、アレントなどもそれぞれセッションを充てられていました。その他の思想家もだいぶ大きく扱われており、ジャンケレヴィッチの映画上映もありました)
内容の報告は準備中なので、それ以外のことなど。
まず、レヴィナスの2人のひまごさんがかわいかった。まだ幼いのに、コロックの間、カフェのチケットの分配やランチを渡す係、質疑応答のマイクの受け渡し、その他細かなところでずっと、自分の置かれた立場をよく知っているように、控えめに、でも熱心に働いていて、みんなにかわいがられておりました。とても良い子たち。
それから、世界各国の研究者が議論できる場があるということはやはりよいことと思う。発表は確かに玉石混合だし、すべてがよいものとは思わない。それぞれの人にとって、色々な意味での環境的制限があるために、知識や理解の枠、方法の洗練度に差があることもしかたがない。けれど、対話からしか始まらないこともまた多いと思う。
トゥールーズは、赤煉瓦の街並が独特で、ロマネスク様式の建物に目を奪われます。
観光するのは自転車が一番よいみたいです。
コロックは、160人、40カ国からの研究者の発表や映画上映、コンフェランス等からなり、6日間、初日は午後開始、最終日はお昼すぎまででしたが、2日目から5日までは朝から夜遅く(バスの走っていない時間)までプログラムがぎっしり詰まった大規模なものでした。
英語、仏語の発表が半分ずつくらいあったこと、アメリカ系、アジア系の発表者も多かったこと(極東ーということばがよいのかは分かりませんがー、というテーマで1つのセッションが割り当てられていました)、また、あらゆるテーマに渡って議論が繰り広げられたことなどが特徴でしょうか。
ユダヤ教関係、キリスト教関係が多かったこと、また、レヴィナスと20世紀の人々との、今まであまり大きくは注目されてこなかった関係がまとまって扱われたことは、『困難な自由』というテクストの選択からきたものと思います。(ローゼンツヴァイク関係では2セッション、ブランシュヴィック、シモーヌ・ヴェイユ、アレントなどもそれぞれセッションを充てられていました。その他の思想家もだいぶ大きく扱われており、ジャンケレヴィッチの映画上映もありました)
内容の報告は準備中なので、それ以外のことなど。
まず、レヴィナスの2人のひまごさんがかわいかった。まだ幼いのに、コロックの間、カフェのチケットの分配やランチを渡す係、質疑応答のマイクの受け渡し、その他細かなところでずっと、自分の置かれた立場をよく知っているように、控えめに、でも熱心に働いていて、みんなにかわいがられておりました。とても良い子たち。
それから、世界各国の研究者が議論できる場があるということはやはりよいことと思う。発表は確かに玉石混合だし、すべてがよいものとは思わない。それぞれの人にとって、色々な意味での環境的制限があるために、知識や理解の枠、方法の洗練度に差があることもしかたがない。けれど、対話からしか始まらないこともまた多いと思う。
トゥールーズは、赤煉瓦の街並が独特で、ロマネスク様式の建物に目を奪われます。
観光するのは自転車が一番よいみたいです。
(08:09)
2010年06月18日
今年のバカロレアの哲学の問題は以下の通り。
興味深い問題がいくつか。
テクスト注釈はデュルケイム、トマス・アクィナス、ホッブズから。
予想問題が外れると話題になったりする。
- Une verite scientifique peut-elle etre dangereuse ?
- Le role de l'historien est-il de juger ?
- Un commentaire d'un extrait de L'Education morale, d'Emile Durkheim
- La recherche de la verite peut-elle etre desinteressee ?
- Faut-il oublier le passe pour se donner un avenir ?
- Un commentaire d'un extrait de la Somme theologique, de Thomas d'Aquin
- L'art peut-il se passer de regles ?
- Depend-il de nous d'etre heureux ?
- Un commentaire d'un extrait du Leviathan de Thomas Hobbes.
興味深い問題がいくつか。
テクスト注釈はデュルケイム、トマス・アクィナス、ホッブズから。
予想問題が外れると話題になったりする。
- Une verite scientifique peut-elle etre dangereuse ?
- Le role de l'historien est-il de juger ?
- Un commentaire d'un extrait de L'Education morale, d'Emile Durkheim
- La recherche de la verite peut-elle etre desinteressee ?
- Faut-il oublier le passe pour se donner un avenir ?
- Un commentaire d'un extrait de la Somme theologique, de Thomas d'Aquin
- L'art peut-il se passer de regles ?
- Depend-il de nous d'etre heureux ?
- Un commentaire d'un extrait du Leviathan de Thomas Hobbes.
(07:44)
2010年05月15日
パリはずっと気温が低く天気が悪い。
一時期とても暖かくなったのに。
色々忙しくヘブライ語はおやすみ中なのだけれど
日本からいらしている杉村先生のデリダ・リクール関係の授業を聞くため
またエコール・ノルマルへ行っている。
初回の授業は曜日を間違えていて聞き逃してしまったけれど。
「証言」の問題はテーズ後半部分で重要な位置を占めるので、
意識的に捉え直すよい機会だ。
もう少しでバラの季節だと思ったら、無性に見たくなった。
近くの公園にもバラは植わっているけれど。
一時期とても暖かくなったのに。
色々忙しくヘブライ語はおやすみ中なのだけれど
日本からいらしている杉村先生のデリダ・リクール関係の授業を聞くため
またエコール・ノルマルへ行っている。
初回の授業は曜日を間違えていて聞き逃してしまったけれど。
「証言」の問題はテーズ後半部分で重要な位置を占めるので、
意識的に捉え直すよい機会だ。
もう少しでバラの季節だと思ったら、無性に見たくなった。
近くの公園にもバラは植わっているけれど。
(14:59)