September 23, 2011

おまけ - Inclusive Business Case Studies in IFC's portfolio =)

P.S. If you are curious about a specific inclusive business model that each company is employing, this is the report you should read: 31 case studies on IFC's portfolio companies with successful inclusive business models.

Welcome to the fascinating world of inclusive business!

Junko

Inclusive Business Models: Guide to the Inclusive Business Models in IFC’s Portfolio (Case Studies)

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Do you believe in market-based solutions to poverty?

Interested in market-based solutions to poverty?

Then check out this newest IFC report!
Based on actual client case examples, we identified 7 successful inclusive business models that expand access to goods, services, and livelihood opportunities for the world's poorest people while generating strong financial returns. One of my key deliverables of the summer 2011 =)


Sending positive vibes to all from New York!

Junko

Accelerating Inclusive Business Opportunities: Business Models that Make a Difference

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March 14, 2011

想いはとどく

今、じいちゃんと、叔母一家の安否が確認できました。

ほんとうに、ほんとうによかった。

詳しいことはまだ全然よくわからない。
どうやらじいちゃんちは大きな被害を受けたけど、じいちゃん自身にはけがはなく、落ち着いているということだけわかりました。

食料が不足し、水が出ないのと、暖はとれない状況にはかわりないけれど、でも5人ともからだが無事だというのはとても幸運だったと思う。恐らく、ライフラインの復旧やまちの復興にはかなりの時間がかかるのだろうけど、忍耐強く、がんばってほしい。


一方で、TVに写る日本の惨状は悪化の一途をたどっており、悲しいニュースがどんどんと流れてくる。今夜は睡眠をちゃんととって、明日から日本から離れた自分にもできることを少しずつ、始めていけたらと思います。


今、被災地で苦しみと悲しみの中にある多くのひとびと、そしてそれにつながる多くの皆さんへ。
「頑張ってください」 ― これほどありふれた言葉はないかもしれません。でも、心を込めて、頑張ってください、と言いたい。

ここNew Yorkでも、みなさんのこと、みなさんの家族のこと、そして日本という国に思いを馳せ、ひとりでも多くの方の救出と、一日でも早い復興を祈り、応援してくれているひとがたくさん、たくさんいます。たとえ小さなことでも、何か役に立ちたいと思って、行動にうつしているひともたくさんいます。
あなたのことを強く、強く想っているひとが世界のどこかにいることを、どうか忘れないでください。

sassy_vanilla_flava at 15:43|PermalinkComments(4)TrackBack(0)

じいちゃん、みんな、どうか無事でいて

2011年3月11日14時46分。

わたしにとって忘れられない時間になった。



わたしの大好きな大好きなじいちゃんと、そして大勢の親戚、大好きな大好きな東北が、震度7の地震と破壊的な津波に襲われた。

NYで、次の日のプレゼンに備えて早めに就寝しようとしていた夜中の1時頃、おねえちゃんから珍しくブラックベリーにメールが届いた。


東京震度5強…今会社だけどパニックだ。
震源宮城だから、じいちゃん、だめかもしれない。
祈って。


目の前は真っ暗なんかにならなかった。それどころか、めまぐるしく、色々な色に変わった。これまでにないほど動転していた。


出来る限りの手は尽くしたけれど、地震発生から60時間近くたって、いまだに安否の確認ができない。

地震発生直後から、日本のニュース番組のオンライン放送をつけっぱなしにしている。惨状がどんどん明らかになり、被害がますます拡大している。大好きだった風景は水の中に沈み、沢山のひとびとの命が奪われた。

わたしの大好きな、優しい東北のひとびとは、氷点下の中電気も水もガスもなくなったまま、避難所で厳しい生活を強いられている。



あの時から、じいちゃんのことばかり考えている。




87歳のじいちゃん。
ばあちゃんが亡くなった後もずっと、「まさみちゃんの思い出が全部詰まってんだ」って言って、築40年以上もする木造のあのおうちに、ひとりで住み続けていたじいちゃん。
自分のことより、周りのことばっかり考えて、行動しているじいちゃん。
その大きな手で、おいしい野菜をたくさん作って、大嫌いだったトマトも大好きな食べ物に変えてくれたじいちゃん。

人間はいつか亡くなるのだということを知って以来、「じいちゃんが死んだらわたしも死ぬ」と幼いわたしがいつも泣きわめくほど、愛しているじいちゃん。


この冬も2週間だけ帰国した時、じいちゃんちに行った。
茶の間のこたつで、じいちゃんと二人、コツコツなる柱時計と外の雪、それから石油ストーブの上で沸騰したやかんの音だけ。その空間にこころだけ、引き戻される。



まだ連絡が取れない。
水もガスも電気もなんにもなくなった。
氷点下なのに、どうやって体をあたためているのだろう。
叔母の家族も安否が確認できていない。
わたしの母方の親戚みんなみんな、みんな宮城にいるけれど、どこでいったいどうやって過ごしているのだろうか。


胸が張り裂けそう。

あんなにやさしい東北を一気に呑み込んだ津波。


でもわたしは信じています。

信心深くてやさしい彼の地のひとびとは、今も、困窮しながらも、そのやさしさでお互いを温め合い、守り合い、励まし合いながら頑張っている。


じいちゃんも、そうしている。

連絡はつかないけれど、きっとどこかで無事でいる。

だって、激動の時代を生き抜いたひとだもの。数々の奇跡を起こした、かみさまみたいなじいちゃんだもの。



じいちゃん、どうか無事でいてください。


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January 24, 2011

follow your way

13時間のフライトののち、まだ年末の大雪が残っているNYに戻った翌朝、世銀のトレーニングに参加するため、今度はDCに向かった。

素晴らしい出逢いに恵まれた。

ひとびとの暮らしのSystemにすらなっていたCorruptionと闘い続けた、元La Paz市長。

隣国であるPeruと歴史的平和協定を結んだEcuadorの元大統領。

それから、最貧国、紛争地域など、さまざまな想いをもって世界中のあちこちから一堂に会した、奨学生仲間たち。


心揺さぶられる瞬間が、何回もあった。
Public Sectorに対して、これまで持てなかった気持ちを抱くようになった。


偉大な政治家は、情熱的で、献身的で、誠実で、しかし迷いが拭い去れない若者たちにこう言った。

最後は、自分の心の声に従え、と。



DCを去り、NYに戻ってきた。
こちらに帰ってきてから、素晴らしい新学期のスタートを切り、希望に満ちた充実した日々を送っているつもり。

でも、この一週間くらい、ずっと同じような夢を見る。
金縛りにあう。声が出なくて、助けたい人を助けられない、とても悲しい夢。

死んだばあちゃんまでもが、何回も夢に出てきて、無言でわたしを見ている。
6年前、留学中に、会えなくなってしまったばあちゃん。

そんな遠くまでいって、おまえはいったいどうしたいの、

おまえの本当に大事な人たちは、どこにいるの、

それとも、家族から遠く離れながらも、おまえが追いかけたいものっていったい何なのだい、

と淋しそうな目で問うのだ。


毎晩、夢の中で、わたしは、家族が目の前にいて、ほんとにすぐそこにいて、なのに、彼らを救えない。
うなされて、3時間おきに目が覚めて、また眠りに落ちると同じような夢。

いったいどうしちゃったんだろう。



今日、NYで20年間働いているという日本人女性にお会いする機会があった。
彼女に「あなたはまだ若いから、そんなこと関係ない、自分のパッションに従いたいって思ってるんだろうけど、この国は外国人なんて守ってくれないのよ。こんな社会保障の国じゃ、うっかり病気にもなれない。20年くらい経ってみて、振り返って、ああ、あの時あの人にこんなこと言われたなってきっと思うかもしれない。でも、それじゃ遅いのよ」と諭された。


彼女が真剣なまなざしで投げかけたその言葉は、彼女にとって真実なのだろう。
確かに、彼女にとって、わたしは若くて、自分のパッションに従って邁進している、怖いもの知らずのナイーブ人間にみえたのかもしれない。

でも、少なくとも怖いもの知らずではない。
当たり前かもしれないけど、わたしはたまに、すごくすごく怖くなるから。


そして、「それじゃ遅い」と思うことがあるとすれば、自分の年金とか、健康保険のことじゃなくて、わたしにとっては家族のことなのだろう。


彼女が言っていた言葉

夢がわたしに伝えようとしていたかもしれないこと

社会において、自分が一番取り組みたいこと

真剣なひとのまなざし、どこかの誰かに笑顔が生まれているかもしれない瞬間

でも、何よりも、誰よりも、わたしが一番大好きなかけがえのないひとたち




氷点下20度。

Times Squareのまばゆい光を左目に感じ、人通りの少ない日曜の夜の闇に包まれて、このまま消えてしまいそうな気分になったわたしがその時一番恋しかったのは、大好きな家族と過ごす時間と、それが創り出すあったかい空間だった。

sassy_vanilla_flava at 15:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

December 31, 2010

プレイバック2010

気づけば4か月以上日記を書いてなかったけど、2010年ももう終わり。。。速かった。とーーっても速かった!

「年を取れば年取るほど、1年という時間の長さが(自分の人生に対して)短くなるのは当然」とはよく言ったものです先輩。年齢Obsession気味のわたしにとって、現在1年の重みは対人生4%程度。これってちっちゃいのおっきいの?? 10年前も6%くらいにしか値しなかったことを考えると、うーん、結構昔からあんまり変わってないようなのですけど…というわけで年齢Obsessionは今年で卒業することにします。

そんなこんなで、振り返ったら、せっかく鎮静化させた煩悩が色々と(っていっても結局1つしかないんだけど)蘇ってきてしまいそうな2010年、Let'sみんなでプレイバック!!

1月
大学院出願追い込みと共に幕を開けた2010年。締切直前になって、アメリカ人のマネージャーにぜーんぶ添削してもらったエッセイ。。。
提出した後はそのまましばらく気絶でもしたくなったけど、休む間もなく雪が激しく降る中国に「帰国」。そう、もはやわたしの拠点は2009年夏以降、上海。。。
後半からクライアントトレーニングを打ち上げまくり始める。最高の気分!! わたしってワークショップ大好きなのね、天職だわ♪♪ 我愛クライアント!! あなたのtransformationは最後までわたくしがサポートします!!!…と興奮気味の毎日。小籠包食べまくり人生再開だったし、本当に幸せ。外は激寒かったけど。

…でもある日、知りたくなかった「秘密」を打ち明けられ、心が砕かれる。顔は笑顔で、心で泣く。


2月
中国の旧正月で一度日本に戻る。その間に、3年間住み続けた、思い出の一杯詰まった恵比寿のマンションを明け払う。

その後、拠点を台湾に移す。
素直になれない。素直になれない。素直になれない。


3月
中国・香港・台湾・日本・シンガポールなどなど、クライアントワークショップをroll-outしまくり続ける毎日。気づけば出逢って一緒にワークショップをしたクライアント、150名を超す。
そんな中、プライベートでは留学先も決定。


そしてそして、遂に月末に、ついに7か月心の底から愛したクライアント、そしてチームのみんなとの別れ。今でもみんなとのお別れの日のこと思い出すと泣いちゃう。だめ。

二人三脚で走り続けた、ある一人のクライアントのtransformationを通じて、わたし自身も間違いなく大きくtransformできた7か月間。
それは、涙と笑い、悩みと喜びに溢れた、かけがえのない、濃く愛おしい時間の積み重ねだった。
それは、これまでの公私大小全ての「わたし」の集大成であり、これからのわたしの出発点にもなった。この7か月がなかったら、今日のわたしはなかったと思う。

この会社に入って良かった。コンサルタントになって良かった、って初めて心から思った。色んな意味で。

ロールオフの日が近づいて、わたしは毎晩眠る前に、淋しくってこっそりと泣いた。愛おしいものができすぎて、胸がちくちくして涙が止まらなかった。生きて、出逢って、他人と向き合うことって、こんなに切ないことなのだなあと改めて知って、嬉しくて悲しくて泣いた。

中国を去る日、サプライズで、大きなリボンのついた箱に入ったプレゼントをもらう。NYのガイドブックと、I♥NYのロゴの入ったTシャツ。みんなからの手紙。

We don't know what is going to happen in our life, Junko!

という言葉がこだまする。そうだね、その言葉さえもが、自分の人生においてどういう風にinterpretされるのかさえもわたしたちはわからないもんね。
全く違う意味で、この言葉が将来重くのしかかってくるのを、この時のわたしはまだ知らない。

4月
日本に帰国。拠点を東京に戻す。
夢から醒めたかのように、毎日、心ここにあらずで過ごす。
思い詰めすぎ+これまでの過労が祟って、病気がかなりひどくなる。通院と投薬の繰り返し。あまりに体の調子が悪いので、留学は無理だろうと思うようになる。


5月
癒されに、GWに蔵王に向かう。その他は記憶なし。


6月
記憶なし。


7月
アメリカでローンが組めないことが今さら発覚し、さらに日本の金融機関でも一年分の学費も借りられないことが今さら分かった(それまで、日本帰国後ずっと極度の放心状態すぎて何も調べていなかった)ため、現実的に留学はこのタイミングでは難しいかも、と激しく落ち込むが、運よく世銀の奨学金に合格し、晴れて留学最終確定。
アサインされてたプロジェクトがなぜか激しいことになる。もうどうにでもして。


8月
渡米前日までみっちり働いて、晴れて退職♪ 翌朝、NYに出発。
着いた感想…暑い。とにかく暑い。陽射し強すぎ。
語学学校にも行ってないので、時間が有り余っている。まさに遊び時!!! でも若干燃え尽き症候群気味の症状も出てきて、とにかく心が空っぽ。。。あまりの猛暑で外に出るのを控え、また勝手に待ち人気分で部屋に籠もる日々。そしてNYはゴキブリ天国。
下旬、待ち人気分に耐えられず行動する。俄かcloud nine。
手持無沙汰すぎて落ち着かず、職探し開始。


9月
学校開始。仲良くなる人はインド系ばっかりという偶然とも必然ともいえる展開。

新しい命の誕生と引き換えに、大事な友人を自分の人生から永遠に失う。


10月
地獄の一か月。プレゼンなどの課題、試験、なぜかコミットを宣言するに至ったイベント、知人の訪NY、8月にばらまきすぎた種(NYでのインターン)の結果としてのインタビュー、その他就活がすべて一極集中。
NYに加え、東京と香港ナンバーの見知らぬ電話番号からの着信アリがいきなり増える。ほぼ毎晩かかってくる投資銀行からの突撃電話が恐くなった。CVに関する質問ですので、と最初に断られたものの、そのままケースインタビューになったりとかして、心労。。。
中間試験とBoston Career Forumがこれでもかというほどきれいに重なったお蔭で(バス移動直前直後がquants系の試験だったの)、最後の方は睡眠時間4時間くらいの日が続く。仕事してた時より寝てなかったかも。げっそり……

とにもかくにもBostonでは、いい出逢い・再会に恵まれたから、まあいっか。


11月
Halloweenから大好きなおねえちゃんがNYに遊びに来てくれたーー♪ 楽しかった! おねえちゃんは家族で大親友。とにかく限られた時間を最大限活用するため、就寝前にNY観光プランを緻密に立てるのが日課に。
その後、同期GirlsがNYに来てくれて、感動の(っていうより離れてたという事実を全く感じさせない)再会。
UNDPのNY Officeにて、BOPビジネス関連のアドバイザリーの仕事を開始。日本にいた頃、次はこういうRoleをやりたいと思い描いていた仕事がそっくりそのままできることになったので、結構運命的。これまでのprofessional experiencesがヘビーに活かせるポジションなので、かなり自由に活き活きとできてる。
Thanksgiving holidays辺りからNYの寒さがすごいことになり始める。
理系メガネとインド人に激しく注目し始める。


12月
怒涛の12月!!!! でもすーーーっごく楽しかった一か月。
努力の積み重ねにより、失った友人に対する悲嘆と煩悩が解消された結果だろうな。NYで、わたしのそばでいっつも笑かしてくれた新しい友達にも感謝。それから、東京にいながらわたしの長いメールをYou're ramblingとはいわずに受け止めてくれたあるひとにも超感謝!!

12月はよく勉強し、よく仕事をし、そしてよく遊んだ素晴らしくバランスのとれた一か月。気づけばNYがだーーーいすきになってた! 2年半悩まされたお酒アレルギーも全快し、試験後はぱーーっと飲み明かしたぜい!!! McK時代の海外オフィスの友達とも再会して遊びまくったし(大体おいしいものを食べてただけw)、Paris時代の一番の仲良し・Linちゃんのご家族とChristmas Dinnerをいただいたり。。。心温まる素敵なひとときをみなさんどうもありがとう!

で、帰国前日は東海岸大雪につき非常事態宣言が出て、NYの全空港閉鎖。5,000以上のフライトがキャンセルになって、わたしも帰れないかも…と思っていたところ、Bloombergさんの頑張り(?)により、翌日なんとかJFKから飛び立つことに成功! で、今は東京の実家でのんびりほっこりしてます。やっぱり実家は最高! 日本大好き。


というわけで、長くなったけどそんなこんななちょっぴり波乱な一年。みなさんの2010年はいかがでしたか??
今年も一年間、色々な形でたくさんの方にお世話になりました。本当にどうもありがとうございました! 来年もどうぞよろしくお願いいたします。

それでは、どうぞよいお年をお迎えください。みんな、あったかくしてね。


sassy_vanilla_flava at 23:02|PermalinkComments(7)TrackBack(0)mA dAys 

August 27, 2010

恋しくって。アジア。

恋しくって仕方ないんです。アジア。

こんなに恋しい理由も分かってるんです。
でも恋しいことには変わりはないんです。アジア。

アジアというか、中国が、上海が、いや、上海にいた頃の記憶そのものが恋しいのです。(日本じゃないのかよ、っていう。)どーーーんなに恋しがっていても、去年中国行きが決まった日からちょうど一年が経ってしまって、なんて無慈悲に時間は流れるのかしら、と切なくて切なくて。。。

…とか考えて両手できゅいーんとなる胸を押さえ、一人部屋の中でしびれているわたしはものすごい暇人なのであって、今日もお昼に目覚めてしまったわけでもあり、2人のルームメートが精力的に遊びまくる中、わたしはただ悶えているわけで。。。


でも一人で悶えるくらいなら、行ってやる!!! 行ってやるわよ今日も!!!!

…ということで、今日もチャイナタウンに行ってしまった。
先週はひとりで全身&足裏マッサージに行き、今週は用もなくチャイナタウンに行ってひとりしびれるプラン。


チャイナタウンと、Little Italyは隣接しているので、ついでにLittle Italyも散歩しようかな、と思って地下鉄の駅を出たら、びっくり。Little Italyって、チャイナタウンの激しい拡大により、現在ではMulberry St.沿いの数ブロックだけの小さな小さな一角になっちゃっているみたい。やるな、チャイナ。。。。


とはいえ、Little Italyはイタリア語が飛び交っていて、espressoの深い香りや、甘いシロップの香り、夏のヨーロッパの太陽を思い起こさせるトマトの香りとか、歩いててほんとによだれが垂れそうなおいしそうな場所。(って結局食べ物のことで頭がいっぱいだね)
そして間違いなく、イケメン率が高い…!! 心躍るのを表情に隠せなかったのか、イタリアンな男たちもCiao Bella!と親しみを込めて声をかけてくれる。直訳すると「よう、かわいこちゃん!」なわけだけど、残念ながらこれは単なる挨拶であり、深い意味もこれっぽっちも全くないということを知っているにも拘らず、やっぱり挨拶されると悪い気分はしないわよねっっ(という反応をしてしまうようになったわたしってかなり年取ったわねっ

…とうきうきして歩いているとLittle Italyあっという間に終了。
チャイナタウンの目抜き通り、Canal Streetに到着。もうここからは一気にアジア。


でも、ぷらぷら歩いてみて思ったけど、Canal St.って、チャイナタウンの中心って言われる割に、実は中国度がかなり低い気がする。なんだか、観光客とかを意識しすぎて"INY"Tシャツの出店みたいなのばっかだし、屋台もちょっとは出てるけど、ココナッツジュースとかリュウガンとか果物を売ってるくらいだし。実は、Canal St.より、この前マッサージに行った時に通ったエリアの方が中国っぽい気がする。本当に、庶民の生活のにおいがする商店がいっぱいで、ひとが通りにびっくりするくらいいっぱいいて、ものがいっぱいあふれていてカラフルなのに、なぜか殺風景な感じを与えるあのラフで元気な空間。

すっぽんとかがバケツに大量に入って売られてて、そこらのスーパーじゃ見ないような中国の野菜がいーっぱい並んでて、みんな叫びまくってる、あの感じ。

嗚呼、中国(にいたあの頃、一緒に過ごしたあの人々、わたしの気持ち…)、恋しいわ。。。


とはいえ、色々近所じゃ見当たらないものばっかりだから、楽しむことにしたわたし。

まずは、Canal St.沿いに出てる小さな屋台で、中国人ギャルに混じって中国風鈴カステラを購入。15個で$1。焼きたてのふわふわ、あつあつを小さな袋に入れてもらって、それを片手にぶらぶら。

その後、Tai Pan Bakeryというパン屋さんに寄って、普通欧米のパン屋じゃぜったいに見ないような惣菜パンを購入。欧米で暮らしたことのあるひとはわかると思うのですが、こっちのパンって外がかたくて中はもちもちっとしてて、食べごたえのあるパンが主流で、日本のパン屋さんにあるような、ちょっと甘くて、柔らかいパン生地に、コーンマヨネーズとかが乗ったパンとか、ポテトサラダがはさまったコッペパン(っていうのかしら?)みたいなのとか、お目にかかれないのです。どうせアジアに来た(?)んだから、買わなきゃソンソン!!みたいな軽いノリでお総菜パン購入。ほんとはパン、フランスパン以外は全然好きじゃないのに……笑


その後もぶらぶらと歩き続け、時折みかける北京ダック専門店の前で立ち止まり、ショーウィンドウの中をじーーーっとみつめる。おいしそう。。。ひとりぼっちじゃなかったら、きっと一緒にいる人を誘って入ってるに違いない。
あまりに物欲しそうに見入っていたからか、お店の人がちょっと不安げな表情でこっちを窺っているのに気づき、退散。


締めくくりは、大好きなスーパーマーケット。わたし、スーパーマーケットって大好き。どの国に行っても立ち寄るようにしてる。あまり高級志向のところだとだめかもだけど、大抵寄ればその土地のひとびとの暮らしぶりとか、代表的なおやつとか、パッケージのイラストとかデザインから見える傾向とか、そういうの感じることができるので。ま、そんなこと言って、今日は単純にアジアが恋しい自分のために中華系スーパーマーケットに行きましたのよ。
その名も「東京市場」(Tongin Mart)。お名前の通り、中華系スーパーだけど日本食材の品揃えがかなりいい。値段も、他のところ(わたしが近所で行っているところは、たぶん韓国系)より比較的お手頃。行ったことないけど、日本食専門スーパーとかよりはずっと安いと思う。Parisでも日系はすごい高くて、中華系の方がずっとお得だったのと同じように。


たまにとんでもない感じのものが何食わぬ顔で売られてたりするから、賞味期限はちゃんとチェックしないとね、っていう若干面倒なところ以外は、満足のゆく買い物。というか、賞味期限が書いてないものがなぜあんなに多いのかは意味不明。減塩のお味噌がほしくって探してたら、なんかピンクっぽい水が浮いてきちゃってるのがあって、賞味期限も書いてないからやめちゃった。


近所ですでに、醤油、ごま油、米酢、みりん、豆板醤あたりは買ってしまったので、今日はついにナンプラーとかグリーンカレーペーストとか東南アジア食材にまで手を出すことに。別にそこまで南に下る予定ではなかったのに。
これで学期が始まって料理をする暇が全くなくなったら、ナンプラーとか卒業まで普通に余ってそう


ちなみに、前回行ったマッサージは、「袁氏足部反射保健中心」(Yan's Foot Reflexology Centre)ってとこ。フットバスつきで、その間も肩とか背中のマッサージしてくれます。1時間$30だから、チップを入れると、$35くらいになるかな? 上海でわたしが大のお気に入りだったところ(きれーーーいで、個室で液晶TVつき、おいしいお茶が出て、2時間約1,700円)に比べると随分高いけど、(今円高なことも考慮するとなおさら)東京よりお安いのでは?

NYはとにかく歩くので、お散歩疲れのひとにおすすめー!


袁氏足部反射保健中心
286 Broome St.
+1-212.925.8515

ちなみにこの前は、「あなた、その顔はコリアンね!!」とか言われて、違うって言ったら怪訝そうな顔されたけど、今日は英語と中国語の半々で話しかけられました。Parisでは、日焼けしてからベトナム人と間違えられることが度々ありましたが、New Yorkでのこれからの自分の変身が楽しみです。


明日は留学生向けオリエンテーションの日!! やっとだよーーーーーーー もう待ちくたびれたよ。そしてその前に筆記試験。めんどくさ。。。ま、なんくるないさ。


ご き げ ん よ う

sassy_vanilla_flava at 11:09|PermalinkComments(3)TrackBack(0)Life in New York 

August 16, 2010

Walkin' Around in Chelsea!

土曜日はとってもいい天気だったから、Chelseaをお散歩。Manhattanの南西部の、のんびりしてて、でもちょっと小粋な地区。


この日は寝坊しちゃったので、まずは遅めのランチも兼ねて、Chelsea Marketに。

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元ナビスコの工場だった建物を利用したマーケット。グルメ食材の専門店はもちろん、そこらじゅうにイスやテーブルがあって、お買い物を一休みしつつイートインで買った食べ物を楽しむこともできる。食べ物だけじゃなくて、小物屋さんやブティックも入っているから飽きない。



お昼は、Chelsea Market内のThe Lobster Placeってとこでlobster bisqueを買って飲みました。ロブスターの旨味と甘味がこれでもか!!ってくらい出てて、とーってもおいしい。Mediumサイズで$5。こんな小さいカップスープだけで足りるかしら、と思ったら、意外なほどボリュームがあるのね。。このお店は、ほんと魚市場!!って感じで所狭しと色んな魚介類が売られています。スープもロブスターの他にもクラムチャウダーとか、お寿司とか、お刺身も目の前で作っていて、シーフード好きにはなかなかたまらない場所かも。

ZAGAT surveyで格付けされているお店もいくつも入っています。中でも、Amy's Breadっていうパン屋さんのショーウィンドウに釘付け。これ、実は全部ケーキ! 思わず目を疑っちゃうほど、精巧なつくり。

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Market内を一通り回った後は、外をぶらぶら。
Chelseaには、レストランやバーはもちろん、ギャラリーやアンティークショップ(中にはへんてこりんながらくたみたいなのを個人的な趣味で集めまくったようなお店も)も多くて、散歩の途中に「なんだここ? 入ってみよう!」と興味をそそられるような場所も結構あります。


わたしがChelseaでいいな、と思ったのは、色彩。それから遊び心。

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めぐりめぐって、結局この日は4時間近く歩いたかな?
お散歩の終点は、この先に見えるEmpire State Building。上には登らなかったけどね。

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まだ明るいからそんなに時間遅くないかと思ったけど、家に着いたらもう20時。ParisもNew Yorkも、夏は日が沈むのが遅いから、なんだか得した気分。(冬は大損な気分だけどね…)


お天気がよく、わたしもいつになく行動的だった昨日とは打って変わって、今日は雨だし、ほんとはSunsetを見るイベントに参加するつもりだったけど行っても仕方ない感じになっちゃったから、大量のロールキャベツを煮込んだ。なんか最近いろいろ煮込んだり煮詰めたりするのにはまってる。これまで、どんなに暇でも料理なんてしなかったのに、もうどうしていいのか分かんないくらい暇をもてあましてるということなのかも。意外と楽しいんだね、料理。
食べるの自分ひとりなのに、こんなに作ってどうするんだろうって思うけど。。。せっせとZiplockで冷凍中。もうフリーザーのスペースを食い尽くしつつあります。


でも学校始まったらどうせ何も作らなくなるんだろうな。今のうちに楽しもう♪

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August 15, 2010

甘くてとろけそう。。。

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Photograph by Zeva Oelbaum

NYといえば、Sarah Jessica Parkerも大好きなMagnolia Bakeryのカップケーキ!!(なの…?) 昨日Marie-Gabとお散歩した時、近くまで来たからってことで寄ることにしました。

金曜の夜9時半だっていうのに、長い行列…!! 10分くらい待って、ようやくちっちゃなお店の中に入れました。

外に並んでいる間も、店内からあま〜〜〜い香りがふわ〜〜〜んと漂ってくる。窓際にはパステルカラーのかわいいカップケーキが並んでいて、お客さんたちがきゃーきゃー言いながら(もちろんおじさんとかもたまにいて、神妙な顔して選んでる)、白い紙箱にセルフサービスで好きなケーキをどんどん詰めている。

でもね、このケーキ、一個500kcal弱あるんだって。。。
かなり大きい箱に次々と詰めているお客さんもいたけど、きっと家族へのおみやげなんだよね。…ね?

初めてこのカップケーキの写真を見たとき、なんか日本じゃありえない色遣いだな、と思って敬遠してたんだけど、こっち来たらものすごくかわいく見えるではありませんか…!!

わたしはピンク色のアイシングのかかったバニラ味のケーキを一個、それからルームメートのお土産に薄いレモン色のをもう一個。しめて$5.5。


今朝、朝ごはんの代わりにいただきました。
ケーキは結構しっかりしていて、まわりはいい焼き色。上に載ってるのは単なるアイシングでさくさくしてるものなのかと思ったら、バタークリームベースの濃厚なお味のふわふわクリーム!

そんな甘党でもないわたし(ケーキはほとんど食べないし、生クリームは基本的に食べない)だから、普段だったら絶対一口でその甘さに噎せ返るはずだけど、なんか糖分を摂取するのが一週間ぶりだったせいか(?)、貪るようにぺろっと食べてしまった。。。いつまでも飾っておきたくなるくらい、かわいいケーキだったのに… でも、とろけそうなロマンチックな味に、ブレーキはききませんでした。


だけど案の定、10分後には水をがぶ飲み、胃薬も飲むことに。One-time experienceってことにしようかな。ほんとはくせになりそうなんだけど、ちょっと危険すぎるもん。
でも、お店に並んだカップケーキはほんとーーーうにかわいくって、いっぱい買って帰りたくなっちゃう気持ちはよくわかる! SATCでCarrieがはまってるのも当然って気がする。


ちなみに、このカップケーキの作り方、こちらのウェブサイトにレシピが載ってます。Magnolia Bakeryが提供したみたい。多分、1カップっていってもアメリカの分量だから、気を付けた方がいいかもしれないけど。


それにしても、このかわいいかわいいカップケーキ、おねえちゃんとかおかあさんに食べさせてあげたら、きっと惚れこんじゃうだろうなあ♪ なんかね、ちょっとHarracaに行く時と同じ感じのテンションになるんだもん。

甘いもの好きの方はぜひ!

Magnolia Bakery - Downtown
401 Bleecker Street (at 11th St.), New York, NY 10014
+1 212.462.2572


sassy_vanilla_flava at 11:54|PermalinkComments(6)TrackBack(0)Life in New York 

5年の歳月はひとを変えるか

金曜の夜、Greenwich Villageにてある再会を果たしました。

Marie-Gab。
6年前の夏、わたしがParisで波乱の留学生活を始めた時の、人生初のルームメート。

彼女のこと、そして彼女との生活の中で感じた様々なこと、数えきれない色んな事件は、初めて出逢ったあの夏日から、1年3か月後にさよならを言ったまた別の夏の日のことまで、鮮明に覚えている。

そんな彼女と、5年ぶりに再会を果たした。
しかも、ここNew Yorkで。

本当は、2007年の冬、Marie-Gabとは再会できているはずだった。わたしは当時仕事でロンドンに1か月ほど滞在していて、ある企業の欧州マーケティング戦略作りに携わっていた。ロンドンに拠点を置きながら、フランスやドイツもカバーしていたので、週末に現地でStore visitをするため、Parisに行きたいとお願いしたのだった。
2年半ぶりの、たった2日の滞在で、もう一度訪ねたい思い出の場所を全て回りきれるわけもなく、せめてわたしは苦楽を共にしたルームメートに再会したいと思った。

で、待ってたんです、彼女のこと。Opera座の前で、1時間、氷点下で今にも雪が降りそうな曇り空の下。
でも彼女は現れなかった。何度も何度も電話をして、留守電を残しても、コールバックすらなかった。

もうこれじゃフライトに間に合わなくなる、ということで、冷え切った体で泊まっていたちっちゃな宿に戻って、メールを見ると、Marie-Gabから待ち合わせ時刻ぎりぎりにE-mailが来ているではないですか。今日は行けなくなったって。

わたしはものすごい落胆した。ああ、彼女昔と全然変わってない、と最後まで好きになれなかった彼女の超パリジェンヌ的側面に改めて意識がいった。


非常に大人げないけれど、あれ以来、Marie-Gabと再会することはこれからはないかも、と思っていた。けれど、わたしがNYにいることを知って、彼女はわたしにメールを書こうとし、わたしも彼女がNYにここ数年いることを知っていて、やはり彼女に会いたいという気持ちに嘘を突き通すことはできなかった。

この一週間、あまりに暇で、孤独で、Parisに着いたあの頃のことをぼんやり思い出していたのだ。心細くて、OuiもNonも分からなかった二十歳のわたしを、いつも助けてくれたのは、ほかでもないMarie-Gabだったのだ。



5年も経ったのに、まるでParisにいた時に戻ったみたいな再会だった。
たくさんの人で賑わう、金曜の夜の雑踏で待ち合わせをしたけれど、二人は迷うことなくお互いを見つけ、どちらからともなくハグをし、満面の笑顔がこぼれた。

「Marie-Gabったら、全然変わってないね!」
「ほんと?! ありがとうって言えばいいの? それにしてもフランス語で話さないなんて、ほんとに変な感じね」

5年という時の長さを最初に感じさせたのは、出逢いがしらに一言も飛び出てこなかったわたしのフランス語、それから頬にキスをする代わりにハグをしたことだった。
そして、彼女が時間通り現れたということもちょっと意外だった。(!)


とりあえず、Union Square一帯をぶらぶらお散歩することにした二人。途中でどこかに入って一杯、みたいな話を最初はしていたけれど、結局2時間、話は全く尽きることのないまま、とにかく美しい夏の夜を歩いて満喫することにした。


彼女はその後、フランスで弁護士試験に通り、その後NYの大学でLLMを取得し、現在はFrench attorneyとして世界的なlaw firmで働いている。2週間前にNY Stateのbar examを受け、今は結果待ちで夏休みなんだそう。でも、NYでAdmitされたとしても、多分人事の関係でもうNYにはいられない可能性が高いのだとか。10月からは、恐らくLondon、あるいはParis、一番ありえなさそうなのがNew York。

せっかく再会したのに、入れ違いだなんて。。。


誇り高きパリジェンヌなのに、Parisにはできるだけ戻りたくないという彼女。

「Parisは、こじんまりとしていて、本当に愛おしい場所。ここそこに伝統が染みついていて、レトロスペクティブで。だけど、あそこにいたら、なんだか変化から遠のいてしまう気がするの。50年経っても、何も変わらず、あの小さな街で、自分の周りのこと、Parisでの毎日だけしか見えなくなって、、、それは素敵なことでもあるけど、ちょっとわたしは怖いの」

彼女の言っていること、分からないでもないな、と思う。
あのご近所感というか、「小さな世界」感が、Parisの最大の魅力のひとつでもあるのだけど。


今夜は夜風が涼しく、お散歩するにはもってこいの気候だった。ひとびとは思い思いに夜を楽しみ、わたしたちも例外ではなかった。

Marie-Gabは言った。
「わたしがここに来て思ったこと――まずは何より、Your own environmentを築き上げること。
6年前、Parisに馴染むのは、あなたにとって本当に本当に大変なことだったと思うわ。言葉という側面でも、文化という側面でも。Parisは、ちょっと閉鎖的なところがあるから。でも、New Yorkでは心配ない。すぐに溶け込めるから。みんな、だれがどこから来て何をやってるかなんて気にしないし、自分のやりたいようにやればいいのよ。
何よりも、あなたは今、自分という人間を知っている。この5年間で、あなたは、あなた自身というアイデンティティをより強固に築き上げてきたはず。ちゃんと、自分の根がある。だから、外が嵐だろうと、目まぐるしく動くNew Yorkだろうと、どこへ行ったって揺れ動いたり、惑わされたり、倒れたりなんてしない」


5年間。

振り返ると長い長い道のりで、でも瞬くように過ぎてしまったようにも思える。
小学生の時、1年生から6年生になった時と同じくらい、自分は過去の自分にとっての「先輩」になれているのだろうか。


彼女と別れて、夜中の地下鉄に揺られながら家路についた。
時を経た旧友との再会はとても心地よく、ちょっぴり切なかった。


Marie-Gabの言葉が何度もよぎった。

「不思議ね。5年の間に、みんな全然別の方向を向いて、各々の道を歩き出してるなんて」


その時、咄嗟に私は、うん、すごい刺激になる、とか言ってみたけど、ほんとは切なくって仕方なかった。
今から5年後、10年後、わたしの大好きなひとたちはどこにいるんだろう。
そして、わたしはどこに、誰といるんだろう。

これから先、また新たな5年という時間で、わたしは、あなたは、変わっていくのだろうか。そうなんだろう。でも、きっと変わらないものも、ちゃんと残しながら。


人の数だけ、物語がある。

その物語の中に登場する様々な切ない気持ちたちは、そのひとが出逢ったひとの数だけ、さらにその出逢った人が出逢った人の数だけ掛け算されて、そこかしこにきらきら光っているのだ。

sassy_vanilla_flava at 01:39|PermalinkComments(2)TrackBack(0)Life in New York