2011年12月24日

Happy Holidays!

D3依田です。ブログの更新が出来ないままに、今年も暮れようとしています。
今年は誰にとっても心が揺さぶられる1年だったのではないかと思います。
ほっこりと年末年始を迎えることができますように。
かわいいCMのシェアです。

Happy Holidays!







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2011年08月01日

日常の一コマに「ドレミの歌」♪

昨日アップしたコペンハーゲン管弦楽団のフラッシュモブを色々な方に喜んでいただけて、嬉しいD-3依田です。

今日は一仕事終わって、あともう一仕事だけ。そこで、今日も次の原稿に取りかかる前に、一息つきますか。

今度はアントワープ駅で「ドレミの歌」(サウンドオブミュージックより)のフラッシュモブです。日本の駅でも、どこかパフォーマンスが出来るところないかしら?東京駅の工事が終わったら、以前、ステーションコンサートなどをしていた丸の内北口で出来るでしょうか。。。




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2011年07月31日

日常の一コマに「ボレロ」

今日は、日本地域政策学会@札幌で観光の分科会に参加しました。敷田先生が企画、司会、札幌市大の上田先生がコメンテーター、M-2の八反田さんと吉川さん、D-3の私、依田が発表者でした。

「地域における観光資源の活用とマネジメント」と題し、発表者はそれぞれ自分の研究課題である、ワインツーリズム、宿泊事業、ボランティアツーリズムについて「資源」をキーワードにして、切り込んでいきました。貴重なご意見もいただき、発表者も参加者も新たな気付きを得た時間だったと思います。

無事に学会を終えて、ほっと一息。でもまだ色々仕上げなければならない原稿があります。原稿に取りかかる前に、なんだか豊かさを感じる動画を友人に教えてもらったので息抜きに音楽でも聞きますか。

コペンハーゲン管弦楽団がコペンハーゲン中央駅で行ったフラッシュモブです。日本でもこんなことが日常の一コマとして起こるようになると嬉しいですね。曲目はラヴェルのボレロです。






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2011年07月30日

旅の思い出:スコットランド

今日は、東京少年少女合唱隊とエジンバラのSt. Mary's Cathedralの合唱団のコンサート@サントリーホールに行ってきたD-3依田です。

LSOTacassocks








エジンバラは、言うまでもなくスコットランドで一番大きな都市です。今日は、そのエジンバラの合唱団をゲストとして迎えたコンサートを聴きながら、スコットランドに行ったことを思い出していました。

もっぱら田舎の農場や、森の中の小さな宿に滞在しながら、2週間ばかりをスコットランドで過ごしました。それなのに、覚えていることは多くはありません。

エジンバラで言えば、レンガではなく砂岩でできた建物が黒ずんでいて、とても暗い街だという印象が強いくらいです。

それ以外は、名前もわからないような小さな村での記憶がほとんどです。

夏場だったので、通り掛かった村でハイランドゲームズという村の大運動会が行われていたことがありました。なんとはなしに、そのあたりに座って、色々な競技を眺めていたことを覚えています。力自慢の競技のほか、バグパイプに合わせて跳びあがっておどるハイランドダンスを眺めたり。当時住んでいたアメリカに帰った後も、しばらくはバグパイプの音が耳から離れませんでした。

それから、ものすごく田舎の森の中の宿に行く途中で、小さなバンビを見かけたことも忘れません。宿のご主人が大きなパラボナアンテナで衛星テレビをみていて、日本のことを含め、世界情勢に詳しかったことも。森の中のスコットランド人のおじいさんと、日本のことを色々話すことになるとは思っていませんでした。

それ以外に覚えているのは、アバディーンという港町の近くの農場に泊った時に、「前に日本人が泊った時に、日本食みたいだといって、すごく喜んでくれた」といって、宿のご主人がキッパー(鰊の燻製)とオートミールのポリッジ(大麦のおかゆ)を出してくれたこと。

どれも「小さな思い出」ばかり。

昔行った旅の写真を繰り返し見るような性格でもないので、景色はほとんど覚えていません。時間がたって一番心に残っているのは、行った先々で交わした会話の数々。

私が調査をしているボランティアツーリズムの参加者は、旅をして得たものは「人」だと話してくれることが多いのだけれど、私について言えば、それは普通の観光であっても同じ。

これって、私だけなのか。それとも他の旅人も同じなのか。。。気になるところです。


Dufayという15世紀の作曲家の作品です。今日はこの曲ではなく「めでたし、天の女王」が演奏されましたが、よい動画がなかったので、雰囲気だけおすそわけ。



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2011年07月15日

震災ボランティアツアー(2)

今日も知り合いに被災地に行った話をしながら、早くも多くの人の心から震災に対する臨場感が薄くなりつつあることを感じたD-3依田です。

今回は震災ボランティアツアーについての第二回です。ボランティアツアーを誰が企画し、運営しているのか見て行きましょう。

ボランティアツアーの募集&運営は、大きくふたつのタイプに分かれます。

1.NPO/NGOや自治体など、ボランティアが参加することになるプロジェクトを運営している団体が、募集&運営をするタイプ。現地集合や団体自前の移動手段を用い、希望者は関連施設などに安価に宿泊できることが多い。

2.運営主体は主に現地でのオペレーターの役割を担い、募集や現地までの移動を旅行業者が扱うタイプ。出発地からの往復移動を含む、パッケージツアーになっていることが多い。

ボランティアツアーがあまり一般的ではない日本では、前者の数が圧倒的に多いと思われます。これらは、「ボランティアツアー」や「ボランティアパッケージ」と呼ばれることもないかもしれません。海外のツアーであっても、環境保全調査団体アースウォッチなどは、このタイプです。後者は、HISのボランティアツアーや、生協の「テーマのある旅」に含まれるボランティアツアーなど。

さて、震災から3カ月ほどたったある日のこと。ゴールデンウィークも過ぎ、色々なボランティアツアーが出そろったのではないかと思い、今後の参考のために少しまとめようと、インターネットで「震災、ボランティアツアー、2011」をキーワードにして検索してみました。

検索結果を、それが旅行会社やNPO/NGOのホームページであるならばそこで扱われているツアーやパッケージを、個人のブログであるならば、その個人が参加したツアーやパッケージを調べて、「どこへ、何日くらい、どうやって行ったのか、誰がそれをアレンジしたのか、料金は。。。。」などといったことを、エクセルに地道にまとめ始めてしばらくしてから、驚いたことがいくつかありました。

ひとつめは、NPOや旅行会社が主導してアレンジする普通のツアーと違って、被災地外にいる一般の個人(とその仲間たち)がイニシアチブを取り、ボランティアを受け入れてくれるNPOや自治体をみつけ、自分たちで移動手段を用意するか、旅行会社に移動や宿泊部分だけのアレンジをお願いした上で、募集を掛けたツアーが沢山あったことです。

それだけ被災地が大変な状況にあったということの裏返しでもあるでしょう。その状況をみて、いてもたってもいられない、一般の人が自ら「ツアー」を企画し、募集したということが伝わってきます。そのような「私的」ツアーがTwitterや各種のメーリングリストなどで募集されるのを、私自身も何度か見てきました。たいてい規模も小さいので、足や宿のあてのないボランティア希望者が申し込み、どの企画もあっというまに定員に達していました。

もうひとつの特徴としては、一般の旅行会社のツアーであっても、「寄付」が料金に含まれていたり、余剰収益が出た場合は寄付や支援物資の購入にあてるという注意書きのあるものが多かったことです。なかには、ツアー自体は赤字で、コストとツアー代金の差額は寄付によって賄われると明示してあるツアーもありました。

震災直後の人手も資金も圧倒的に足りない中で、どうにか被災地の力になりたいという人々の思いがそこにあったことが、「寄付」や「支援物資」という、普段ではツアーの構成要素にはならない非営利分野の要素までツアーの一部として取りこませたということでしょう。それが個人によるものであれ、NPOによるものであれ、旅行会社によるものであれ、「ツアー」というパッケージが、移動や宿に加え、ボランティアをする場所や、時には、寄付の送り先まで併せて提供し、支援希望者と被災地を(正確には被災地で活動をする非営利団体と)つなぐ機能を果たしたと考えられます。

さて、これは、こうしたツアーがあらわれた3月も終わり頃から6月初旬、つまり、今から1ヶ月半以上前の状況です。最近のことや、今後求められていることについては次回以降書きますね。

最後に、今日、知り合いに被災地を訪ねた話をしながら思いだした「Unforgettable」のリンクを貼ります。私の好きなNatalie Coleが、亡き父Nat King Coleとデュエットしています。「忘れない、忘れられない」大切な人を亡くしたことのある全ての人へ。


<曲は3分30秒くらいまで。残りは関係ありません>

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2011年07月14日

バグダッドカフェでひとやすみ

おととい、昨日と札幌で過ごして、今日1日を東京で過ごすために戻ってきたD-3依田です。

今から8月の初めは、修士の学生も博士の学生も、学内での色々な発表が予定されている時期です。また、特に授業を沢山取っている修士1年にとっては、レポートの締め切りも近付く忙しい時期です。

私も「学習論」からのアプローチを少し論文に取り入れようかと思って、新しい分野の文献まで読み始め、なんだか忙しい気持ちと身体で過ごしています。

そんな慌ただしい中での、昨日の朝のエスノグラフィーの授業のテーマは「映画と想像力」でした。「2001年宇宙の旅」「マトリックス」「チャップリンの独裁者」の一部をみて、解説を聞きましたが、最後の「ベルリン天使の詩」は映像を見る時間がなくなり、先生の簡単な解説だけになってしまいました。すてきな映画なのに、残念!(個人的には、「ベルリン天使の詩」と「マトリックス」のキアヌ・リーブスに時間を重点配分してもらえたら嬉しかった?)

とは言え、『「ベルリン天使の詩」は「パリ、テキサス」と同じ監督』と、先生がふと付け足した言葉に、ロードムービーつながりで「バグダッドカフェ」を思い出したので、文句は言えません。



久しぶりに聴くテーマ曲「Calling you」は、どこかせつなげで、乾いた砂漠にどこまでも、どこまでも響いていきそうな歌。

「疲れた時には、無性に砂漠に行きたくなる」体質の私にぴったりの曲と場面を思い出したので、これでよしとしましょうか。




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2011年07月12日

震災ボランティアツアー(1)

東日本大震災の影響で、「ボランティアツアー」という言葉が日本でもすっかり日常的に使われるようになったことに複雑な思いのD-3依田です。

私の研究テーマはボランティアツーリズムです。私がこの形態のツ−リズムについて調べ始めた1年半前には、「ボランティアツアー」や「ボランティアツーリズム」という言葉はあまり一般的ではありませんでした。

book_cover当時すでに『地球の歩き方シリーズ』には、「1週間からできる海外ボランティアの旅」がありました。「ボランティアの旅」ということは、「ボランティアツアー」ということとほぼ同じですよね。厳密には「旅」=「ツアー」ではないのですが。。。

どの書店にも置いてあるほどポピュラーな本ではなかったので、ボランティアツーリズムを調べ始めてからその存在に気付くまで、しばらく時間が掛かりました。また、その本をゼミ仲間などに見せても「知らなかった〜」という反応がほとんどでした。それ位、「ボランティアの旅」「ボランティアツアー」はニッチな存在だったのです。

ところが、それほど一般的ではなかった「ボランティアツアー」や「ボランティアツーリズム」という言葉が、震災を機に新聞でも雑誌でも日常会話でも普通に使われるようになりました。

そもそも、この「ボランティアツアー」や「ボランティアツーリズム」という言葉は、英語圏でも10年くらいの歴史しかありません。一般的になってきたのは2000年頃です。もちろん、それ以前から自分の居住地ではない場所でのボランティア活動(海外ボランティアを含め)に参加している人達はいました。しかし、遠隔地でのボランティア活動の多くは1年以上の長期にわたる活動で、誰もが簡単に参加できるものではなかったのです。それが、学校を1年ほど休んで学業以外の活動をするギャップイヤーが英国を中心に欧米豪州で一般的になり、ギャップイヤーを取得する若者が遠隔地でのボランティアに数多く参加するようになったことで、数か月から1年以下のボランティア活動を含むツアーが登場し、1990年代後半から急速に広がりました。こうした背景の中で、これまでの「海外ボランティア」とは異なる「ボランティアツアー」や「ボランティアツーリズム」という言葉が一般的になり、研究者にも使われるようになったのです。

こうして海外では2000年ごろから一般的に使われるようになった「ボランティアツアー」や「ボランティアツーリズム」という言葉が、日本で使われるようになってきたのは、ここ数年のことです。実は、震災以前から、「旅をしない」といわれている若者たちが、「ボランティア活動を旅程に含む旅」には積極的に参加していることがマスコミや観光庁などの注目を集め始めていました。

しかし、「ボランティアツアー」や「ボランティアツーリズム」という言葉が一気に一般的となった最も大きな理由は東日本大震災とその復興支援のためのボランティア活動にあります。

今回の震災では、阪神淡路大震災の時とは異なり、被災地が広範囲に渡ること、都市部(例えば、首都圏)から被災地が遠く、インフラも被害を受け、公共交通網や宿の利用が難しい地域があったことなどが理由で、ボランティア希望者達にとって「移動」と「宿泊場所」確保のハードルが高いことが特徴でした。そうした「移動」や「宿泊場所」に対するニーズについては、初期には、現地で活動をいち早く始めたNPOやその他の私的なグループが、5月以降は旅行会社も加わって、対応がなされてきました。そのように「ツアー」や「パッケージ」的な要素が、今回の震災でボランティアをするためには欠かせなかったことが、いつのまにかメディアや一般の人に「ボランティアツアー」や「ボランティアツーリズム」という言葉が浸透していった理由でしょう。

さて、今日は、「ボランティアツアー」や「ボランティアツーリズム」という言葉が、世界や日本において広がっていった背景について簡単にまとめてみました。これから少しずつ「震災ボランティアツアー」の特徴、可能性や課題についても、時間をみてまとめていきますね。研究ノートや論文にまとめることを待たずに伝えておきたいことも沢山あるので!

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2011年07月04日

The Coal Train from Amandla!

Englishman In New Yorkで音楽魂(?)に火がついたD-3依田です。

敷田先生の「よそ者論」の翌日に出席した、文学部の小田先生のエスノグラフィーの授業ではAmandla!という映画が紹介されました。


<映画Amandla!の予告編>

音楽と社会の関わりについて、南アフリカの黒人たちがいかに音楽で社会を変えたか、また、社会により音楽がどう変わっていったのか。。。という相互変容を紹介する授業内容でした。

授業の中で映画を部分的に見ていきましたが、その中から、The Coal Trainは必聴です!授業ということを忘れて、すっかり聴き入ってしまいました。(残念ながら曲部分の画像埋め込みが出来ないので、リンク先で聴いてください。)

さて、それでは音楽の授業はこれでおしまい。原稿書きに戻りますか。

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2011年07月03日

『パリの異邦人』じゃなくて

歌詞のある曲を聴きながら、原稿を書くのが苦手なD-3依田です。ついついじっと聴き入ってしまいます。

という訳で、たとえ両手はキーボードに置かれていても、歌詞のある音楽を聴くと、75%休憩モードとなります。先ほどもそんな風に過ごしていたら、Stingの"Englishman In New York"が偶然流れました。




先週の敷田先生の「よそ者論」の授業では、『パリの異邦人』(鹿島茂2008)を材料に議論を進めたので、何だかこの「ニューヨークの英国人」も気になりました。

『パリの異邦人』によれば、パリは変わらないで、異邦人達を変える触媒都市。。。とのことでしたが、ニューヨークはどうなのでしょう?授業ではパリとロンドンの違いについては少し議論をしましたが、「異邦人」との関係について、それ以外の都市を比較しても面白いかもしれませんね。

う〜ん、しかしパリも素敵だけれど、ニューヨークの街もかっこいい。そろそろちょっと遊びに行きたい。







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2011年06月07日

五嶋みどりさん@Music Sharing

今日は、銀座の王子ホールで五嶋みどりさんのチャリティコンサートがあったので、火・水と続くゼミの準備の合い間に演奏を聴きにいってきたD-3依田です。

五嶋みどりさんはきっとみなさんご存知ですね。タングルウッド*での演奏中に、弦が3度も切れるアクシデントに見舞われたものの、バイオリン3挺を持ちかえ、みごとに弾き切ったことに指揮をしていたバーンスタインも敬意を表したという、あの有名なエピソードの持ち主です。

今日は、みどりさんが主催するNPOミュージックシェアリングのラオスでの活動報告会と演奏会でした。ミュージックシェアリンでは、訪問コンサート、楽器指導支援、五嶋みどりさんと若手によるカルテット演奏による国際交流を軸に活動をしています。

カルテットの構成メンバーは、みどりさんと昨年12月にラオスの子供たちを訪ね演奏をした、台湾、イギリス、アメリカ出身の若手たち。曲目は、ベートーベン弦楽四重奏曲 第5番イ長調Op.18-5と、シューマン弦楽四重奏曲 第3番イ長調Op.41No.3でした。



(YouTubeは第一楽章と第二楽章)

私はシューマンの弦楽四重奏曲を聴くのは、恐らく初めて。第二楽章の後半の演奏が(YouTubeの演奏に比べるとずっと音に厚みと深みがあって)特に惹きつけられました。

報告会で印象的だったのは、慣れない通訳の役までこなしているみどりさんの姿と、ラオスの子供たちの音楽に対する反応の話でした。普段、クラシック音楽に触れる機会がない子供たちには「どのように音楽を聴かねばならないか」という先入感がなく、楽しい曲を弾けば、笑いだし、隣の子供たちと言葉を交わしたりするそうです。また、哀しい曲を演奏しても、Happyという感想が返ってくるという話も印象的でした。それは、生のクラシックを聴けること自体が幸せだから。

演奏の間中、楽器と一体となって演奏するみどりさんの姿に釘付けになりながら、私は何を以ってどんな姿で社会に仕えていくのかと思い巡らすのでした。

*ボストンの郊外で、毎年夏にミュージックフェスティバルが開催されます。ボストン交響楽団も夏の間はボストンを抜け出し、タングルウッドに滞在しています。

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