2024年02月20日

生きるLIVING2022

1952年の黒澤明監督の名作『生きる』がイギリスでリメイクされた。
脚本がノーベル賞作家のカズオ・イシグロ。
黒澤監督の物語に忠実な面もありつつこれはこれでオリジナルな雰囲気と新たなコンセプトを感じる作品、全体の佇まい、世界観がとてもいい感じに仕上がっている気がする。
カズオ・イシグロがオリジナルへのリスペクトも踏まえて相当丁寧に脚本書いた気がする。カズオ・イシグロは1954年長崎生まれで今はイギリス人だけどなんか興味深い。

オリジナル版で志村喬の市民課課長の役をビル・ナイが演じている。ビル・ナイといえば映画『マイ・ブックショップ』での森の家に引きこもる読書家ですごくいい味だしてた。俳優として数々の受賞がある演技人。志村喬とは全然異なるキャラで、ほとんどのシーンで小声でセリフ喋る。
スラリとしたビル・ナイ、1953年のロンドンという設定で日本人から見るとオシャレな感じもしちゃう。志村喬が歌う「ゴンドラの唄」はスコットランド伝承歌「ナナカマドの歌」になり、市民課で小田切みきが演じた若女性役もそれなりに踏襲されつつ新たなキャラでありキーになる役柄になっている。
日本の1952年は戦後という感じがあるが、ロンドンではそれはあまり感じず音楽も最初に入る流麗なピアノには、これは黒澤版『生きる』にはない!と思った。最後が多少盛り上げちゃうけど、まあ許容範囲かなあ・・

制作へのエピソードが面白い。カズオ・イシグロとプロデューサーのスティーヴン・ウーリーが1930〜50年代の白黒映画を次々に言うゲームをしているところにビル・ナイが来て、(ナイが言うにはあの2人は映画オタク)そのうち黒澤明監督の『生きる』をビル・ナイ主演で、、、っていうことになったらしい。ウーリーはイギリスのインディーズ映画シーンでは有名なプロデューサーで『・・ブライアン・ジョーンズ』の映画を監督もしている。

(16:56)

2023年12月26日

IMG_5992 (1)

12月22日名古屋緑文化小劇場で名古屋学芸大学の講義の
一環であるナマ楽器でのレコーディング授業。
数年前よりホール・レコーディングを開催している。
学生作品6曲を録った。いい緊張感が続く。
といって西欧クラシックを目指しているわけではないのです。
ここはいわゆる音楽大学ではなくて
打ち込みや映画音楽を学ぶ学部の
学生達なので弦楽四重奏の作曲編曲は僕の無茶振りかもしれないが
春から弦楽器の知識や楽曲例で学ぶ授業をしてきてこの日を迎えた。
キャパ400ほどの小ホールでの弦楽器の響きはめちゃいい!
レコーディング・スタジオで、特にドライなポップ系のスタジオでは
リバーヴ等をかけて響きを出すがここでは演奏中に自然の響きが気持ちいい。
但し、ディレクションとしては響きに心を奪われてしまうので、
微妙なピッチはリハーサル室とかでつめるとか課題もある。
生楽器での響きに包まれると緊張感のなかにも安らぐような
ゆるやかな時間が過ぎていった。
鈴木悦久先生、森幸長先生、安江助手お疲れさまでした。

(16:59)

2023年10月19日

カーラ・ブレイアヴァンギャルドな知的美女姉さんカーラ・ブレイエスカレーターオーバーザ・ヒル、、、旅立ちましたか。

高校生の頃よく聴いていま・し・・今考えると高校生でカーラ・ブレイ聴いてる!?
なんちゅうガキだ。
J.C.O.A.っていうジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ・アソシエイション作ったり。
そのタイトルのアルバム「J.C.O.A.」ではセシル・テイラー(pf)とかが活躍だったかな。
2枚組アルバム・・勇気出して買った思い出あり、、、高校生には高価だし、内容がアヴァンギャルドだし。
1971年の「エスカレーター・オーバー・ザ・ヒル」は3枚組の凄いアルバム、
ジャズ・オペラっていうことでした。凄いこと考えてるカーラ姉さん。
そもそもジャズって演奏家の世界だけど、カーラさんはコンポーザーで頭角現したし
ジャズ・コンポーザーズっていう組織を名乗ったり個性的です。

当時の旦那さんマイク・マントラー(trp)、オーネット・コールマンの仲間ドン・チェリー(trp)といった
フリージャズ派のミュージシャンに
ガトー・バルビエリ(tsで映画「ラストタンゴ・イン・パリ」ベルトルッチ監督、マーロン・ブランド主演の音楽)、
チャーリー・ヘイデン(ba)、ジョン・マクラフリン(g)、ジャック・ブルース(vo)、リンダ・ロンシュタット(vo)っていう
ジャンル超えのキャスティングは単なるフリー・ジャズを超えてました。
カーラ姉御は元々ポール・ブレイ(フリージャズのピアニスト)と結婚していて根性座った!
アヴァンギャルドミュージシャン。マントラーと別れたあとはスティーヴ・スワロー(ba)がパートナー。
中道左派くらいのモード派のジャズや当時だとマイルスの動き、ショーター先生の世界観に一番惹かれつつも、
こういう極左、過激派に近いフリーやチャーリー・ヘイデンの「リベレーション・ミュージック・オーケストラ」
(これはサーカス風もあり必ずしも左ではないか)やアート・アンサンブル・オブ・シカゴなんていう独自な
コンセプトをで活動する流れも魅力的だった時代ですね。チャーリー・ヘイデンももういないけど、
ビル・フリゼールとジンジャー・ベイカーとのトリオでライヴがあったり、よかったです。
ヘイデン、カーラと、、寂しいね。

(21:49)

2023年09月07日

WShorter Quartet2012 (1)



続:ウェイン・ショーター考

2012年のウェイン・ショーターQuartetのパリでのコンサートの映像を久々に見た。
ドキュメント「Zero Gravity」でもこのカルテットのリハやライヴシーンが出てくるので気になっていた。
やはり1960年代のモード手法によるジャズ、、それは1970年に近づくにつれてロックムーブメント、エレクトリック化の流れになっていき、
あの頃のモード手法以上にはもう進めなくなったのか、と考えられていた。しかしこのショーターのカルテットを聴くと
ロック、エレクトロ、フュージョンといった流れに身をおきつつの時代を超えて、
ここでモード系のさらなる発展を完成させているんじゃないか!と今更だけど思った。

ドキュメント「Zero Gravity」でもいろんな方々がショーターを評している。
サックスの巨人ソニー・ロリンズは「ウェイン・ショーターの音楽はどのジャンルにもカテゴライズされない」
「持って生まれた才能がその偉業を成立させている」
ニール・ドミグラース・タイソン(天体物理学者)「今まで聴いた音楽で一番影響された」

Bob Blumenthal(ジャズ評論家)「ウェインの音楽は足し算ではなく引き算でできている、そして開かれている」
Jason Bivins(ジャズ関連書著者)「空間は思考を活性化させる」

「ジャズの曲は40%が従来の曲がベースになっているがウェインの曲は独創性がある」「イマジネーション豊かなら伝統には縛られない」

マーカス・ミラー(ベーシスト)「ウェインは[ネフェルティティ]と[フットプリンツ]だけでやっていける」・・・
つまり、しかしこの有名な名曲2曲に頼ることなく死ぬ直前まで絶えず前に進み続けた、ということを言いたいのでしょう。

(21:52)

2023年08月31日

Zero Gravity_WShorter (1)



Wayne Shorterドキュメント映画『Zero Gravity』

今年3月に旅立ったウェイン・ショーター先生(ココロの師ね)の
ドキュメント映画『Zero Gravity』を
Amazon Primeで観た。
とてもとても、ほんとうにとても興味深い!
episode1、2,3 と3部あり見ごたえある。
肌の色じゃなくて、その人の行動を見て人を判断しなさい、
という母からは芸術的なインスパイアも受けたのかもしれない。

漫画を描いていた子供時代、美術で受賞し、その後音楽をやり、あっという間に
若手の有望株、それもサックス奏者としてだけでなく
作曲家として新しいジャズを想像していく超凄い人へ・・・
しかしニューヨークの大学の音楽の先生の言葉:音楽の道は3つあると言い、
イマ・スマック(当時活躍していた凄いテクニックの歌手)、
ストラヴィンスキー、チャーリー・パーカーの3つだと言う。
日本じゃありえない!!!考えられない独自の先生!
ウェイン・ショーターのティーンエージャー期はチャーリー・パーカーの
ビバップが隆盛してきた時代。当時一番刺激的で新しい音楽はビバップなわけだ。
ショーターはすぐビバップのイディオムをマスター。

episode後半はダニーロ・ペレスらとのカルテットが凄い。
全く予測できない演奏、演奏形態!ジャズを超越。
死ぬ直前まで現役、それも
絶えずチャレンジする精神性の高い音楽を想像していたことがわかる。
ハービー・ハンコック、ジョニ・ミッチェル、カルロス・サンタナ、
ソニー・ロリンズ、レジー・ワークマンらのコメントもある。
テルコ、アナ・マリア、キャロリーナという結婚、宗教などのプライベートのことも描かれている。

作曲家としては1960年頃から2020年代までショーターワールドが一貫しているし、
サックス奏者としてはイマジネイティヴで、おきまりの吹きまくりアドリブという感じがなく
その場で感じた感覚で間の取り方も凄い。
このドキュメントで改めてその独創性が確認できた。
写真左はアルバム「EMANON」より。

(22:21)

2023年08月24日

鈴木伸一の自伝 (1)

小池さんだ!!鈴木伸一さんの本

先日のG9+1で音楽をつけた作品群のひとつ鈴木伸一さん(89)が
信濃毎日新聞に登場していた!!!
最近出版された自伝的な本のことが紹介されている。
鈴木さんは旧満州で小学生時代を送り生まれ故郷の長崎に引き上げ、
その後東京に出てあの伝説のトキワ荘の住人になった方。
藤子不二雄の「いつもラーメン食べてる小池さん」のモデルの由来や
赤塚不二夫らとの思い出を語った本。
1950年代に観たディズニー映画の影響でアニメーションに憧れた
そうだ。

鈴木さんとのG9+1での打ち合わせの時には
僕が映画『Shall we ダンス?』の音楽を担当したことで
そんな話にも触れていただいた、優しき方。

杉並アニメーションミュージアムの名誉館長。
多くのCMも制作されている。


(17:50)

2023年07月20日

水で書かれた物語チラシ






『水で書かれた物語』(吉田喜重監督 1965年)を上田市の映劇で観る。

映劇という劇場が昭和の名残りあるレトロな場所なので作品とシンクロしてた!
出演:岡田茉莉子、浅丘ルリ子、入川保則 山形勲 音楽:一柳慧

話は石坂洋次郎原作のメロドラマ。不倫、母子相姦、心中、幼児性愛とかなりインモラル。
温泉入浴シーン、キスシーン、濡れ場等々この時代の日本映画としてはかなりのほうでしょう。
しかし吉田喜重ですから、撮り方が下世話にはならず芸術的というか、
カメラワークや照明もこだわっている。
ツッコメば、って言われればあるけど、でもまあ撮り方、話の進め方は説得力ある。
妄想シーンも変態気味だけど芸術的なのかも。
主演の岡田茉莉子の魅力、若き浅丘ルリ子がピチピチしている。
入川保則はよく子供の頃テレビドラマの2枚目な脇役で見た印象がある。

そして音楽の一柳慧は当時現代音楽作曲家の第一人者であり、
ここでも情緒的なメロディは一切ないコンテンポラリーなスコア。
ほぼ統一感あるモティーフで全体を包んだ。
編成はチェンバロ、ヴァイオリン、ドラムス、パーカッション等で2時間の作品に
20弱くらい短い音楽があてられた。
ただ一般人にはおどろおどろしいという感想が聞かれたので、
僕らのような音楽を生業にしているものと聴こえ方が異なるかも。
この時代のトレンドとも言えるこういった現代調は懐かしくも思うサウンドでもあり、
当時最先端のレベル高き作曲でありながら、その後衰退しちゃう音楽なので
流行の音楽のような響きになってしまったのかもしれない。

この作品は上田市、丸子町など信州でロケしていてもう廃線になった
上田丸子電鉄が出てきたり、当時の上田の町並みが楽しめてめちゃいい。ただ撮影が地方の町ということだけで内容にローカル色は全くない。
当時松竹ヌーベルバーグ(大島渚、篠田正浩など)のひとりと言われた
吉田喜重監督は昨年逝去、岡田茉莉子はこの作品の前1963年頃に吉田監督と結婚、
そして結婚直前に撮った作品が代表作でもある映画『秋津温泉』となる。

(21:46)

2023年07月08日

into animation 2023 (1)






INTO ANIMATION 8  国立新美術館で8月4日(金)6日(日)に上映!
https://into-anim.localinfo.jp

昨年12月にある劇音楽のTDが終わった次の日から取り組んでいたのが
G9+1という10人のアニメーション作家集団の全20分弱の
「SWITCH / ON」という作品。
8人の作家が「SWITCH / ON」という共通テーマでそれぞれ2分前後の作品を作る。
そこに私が音楽を作曲した、ということです。

セリフはなくいわゆる物語ではない。音はほぼ音楽だけで、ちょいSEはある。
アートというかナンセンスというか、でも気楽に楽しく見られる作品です。
各作品が繋がって20分弱。実はまだ作業が続いているんです。

今回は8人の作家だが一度に8人の巨匠の方々とコラボするというのもこりゃ〜大変!
と思いつつ仕事に入ったが、皆さんお優しく、ほぼダメ出しなく、
直しはタイミングのことくらいで進み、あとミックスを残す段階。

メンバーの古川タクさんは今度日本アニメーション協会の会長になる方。
海外での受賞も多い巨匠!福島治さんはあの伝説のCM、トリスウィスキーの四角いおじさんの
キャラを描いた方。ひこねのりおさんはCM明治のカールのカールおじさんを生んだ方。
鈴木伸一さんはななんと!あのトキワ荘にいた方、そして藤子不二雄の漫画に出てくるいつも
ラーメン食べてる小池さんのモデルになったお方!

その他、きらけいぞうさん、一色あづるさん、大井文雄さん、和田敏克さんと
和田さん以外みんな年上!
どこ行っても年上な今日このごろ、これは幸せなお仕事、その上皆さん元気で刺激的!

日本アニメーション協会の「INTO ANIMATION 8」の中での
プログラムAという催しで上映。
8月4日(金)11時55分〜13時55分 国立新美術館3階講堂
8月6日(日)11時55分〜13時55分 国立新美術館3階講堂

(20:28)

2023年05月17日

MPJ でのオンライン講座2023

2年ぶりのMPJ(MUSIC PORT JAPAN)での映画音楽作曲講座開催です。
7月5日(水)12日(水)26日(水)の3回、
いずれも20:00スタート(30分前よりオンライン)の
Zoomによるオンライン講座です。

今回ゲストコメンテイターに
作曲編曲家ギタリストの加藤みちあきさんをお迎えします!
コンポーザーJirafaもアシスト参加します。

今回は1940年代の映画音楽に焦点を合わせます。
1930年代に劇中音楽がつけられるようになり、
1940年代はそれが通常化していき発展する時期かと思われます。
現代の映画音楽との対比を交え、
また物語、シーンとの
距離感を考察しつつ解説したいと思います。
ロマンス作品のお手本となった作品、
フィルム・ノワールと呼ばれる作風なども生まれ
1940年代は戦争期もはさみ重要な時代です。
いつものように講座3回目は参加者の課題発表になります。
課題を発表されない方でも参加可能です。
詳しくはMPJのホームページで。
http://blog.livedoor.jp/mpj_events/archives/52218618.html

昨年は配信ドラマ、アニメの作曲、レコーディングに追われ講座ができませんでしたので2年ぶりです。
10話からなる配信ドラマの制作〜MAへのプロセスの話もはさみこみたいです。


(21:59)

2023年05月02日

千曲川と菜の花公園 (1)

飯山の菜の花公園。4年ぶりかな、コロナだったから。
ってコロナ完全に収束はしてないか。
とにかくここはとても好きな場所。和む!

(11:33)

2023年04月04日

おおたか静流の会






『おおたか静流を聴く会』

昨年9月に旅立ってしまった、オンリーワンなシンガー
おおたか静流。
彼女と伝説のユニットdidoで活動し、その他でも多くのコラボレーションした
作曲編曲家の加藤みちあきと私周防義和の2人で『おおたか静流を聴く会』を開催することにしました。

『おおたか静流を聴く会』
加藤みちあき 周防義和
スペシャルゲスト:甲田益也子(dip in the pool)
場所: FJ's
   http://fjslive.com
目黒区中目黒5-1-20(駒沢通り沿い祐天寺近く)
TEL:03-6303-1214
Mail: info@fjslive.com

日時:6月23日金曜日
   open 18:30
   start 19:00
   charge\3000+ドリンク\300(ミニマム)
予約は上記のFJ'sまで。

加藤みちあきさんからはdidoの秘蔵!映像やCM曲も含め数々のコラボ作品、
勿論didoの曲を解説しながら聴きたいと思います。

僕はCM曲、それと1987年頃の自宅録音した未発表曲も
はじめて世の中に出しちゃおうかと思っています。
Voice From Asiaというバンドでは数年間一緒に活動したので、そんな
話題もいろいろあります。
キース・ジャレットの「My Song」、スタンダード「Lover Come Back to Me」を歌ってる、
なんていう未発表テイクもあるんです。
また静流さんと交流した方々からのエピソードもあれば現場でうかがいたいです。

今あらためて聴いてもおおたか静流というシンガー、ヴォイス・パフォーマーは
独自の表現力、変幻自在の声、リズムグルーヴの凄さ、アドリブ、
無国籍ノンジャンルな世界観に対応する柔らかい能力、と凄すぎる人でした。
僕やみちあきさん、そしていつも仕事をしていたすべての方々に尊敬されていた
シンガーでした。

飄々とした気取らない人柄、メソメソした人でもないので当日は明るい会として
彼女の歌を我々加藤みちあき、周防義和を通した『おおたか静流を聴く会』として
皆さんと楽しく思い出す時間を過ごせたら最高だと思います。
モデル、シンガー、女優の甲田益也子の参加もご期待ください!
是非ご参加ください!

ご参加の皆さんへは未発表テイク集CDRのプレゼントを計画しています!

(23:15)

2023年03月20日

shorter's albums



Wayne Shorter追悼#3

マイルス、チック、フレディ・ハバード、マッコイ・タイナーと1960年代に日本では
新主流派とか呼ばれた(まあマイルスはマイルス、チックはチックだけど)
アルバムを次々に出してたミュージシャンが旅立ってしまった。フレディ・ハバードなんかは
凄いテクニックのトランペッターだったし、ハンコックの『Maiden Voyage』で凄いソロしてる。
マッコイもコルトレーン死後少ししてから急にコルトレーンの後を継ぐような
アルバムを連発していて凄い勢い感じた。
そしてLydian Flat7thの師匠、チック・コリアがいなくなり、ショーター先生ときちゃう。

ショーター、死ぬ直前までエスペランサ・スポルディングという
若き天才肌のミュージシャンとコラボしているのも凄い。

振り返って
ウェイン・ショーター、1960年代っていうと。
モダンジャズ(スウィング・ジャズは白人の軽いダンス音楽と考え硬派な人はジャズ扱いしていないので
モダン・ジャズ、パーカー以後がジャズという考え方)を作ったチャーリー・パーカーから
1950年代にはハードバップへ進化し
それらを受け継いだ時代で、一方にオーネット・コールマンがフリー・ジャズを
提示し。そしてフリーまではいかなくて全体の枠はあり、みたいなモード手法の発展があり、
バップ以後コード進行が複座になりすぎインプロヴィゼイションの自由さを求めた演奏家たちは
いろんな手法を模索しつつ1960年代を生きた。

1960年代中期からはエレクトリック、ロックといった新たな価値観、
技術革新のなかで1960年代末は混沌となっていき・・・いやいやメチャ面白い時代でした。
誰かがアルバムを発表するたびにワクワクしたし、それまでの音楽を壊していく、みたいな。
それは業界の枠みたいなものにも革新が起きてフリーコンサートとかも起き、
その後産業として巨大になり過ぎて、マーケティング的に売れ線みたいな考え方になる直前、
いい加減な感じを含めてミュージシャンの自由度が高かったような気もする。
勿論食うことを考えないと、という面はいつの時代もあるけど、確立された体制に向かっていく、
みたいな価値観が若者の間で共有されてた気がする。今はちゃんと売れることやろう、
お客さんが喜んでもらえること、といった良くも悪くも商業的に発展しすぎたような価値観が全体を支配する時代。

ショーターさんは神秘的な曲がひとつのコンセプトで、ハードバップの普通な曲の書き方から早く抜け出し、
オリジナリティを感じる音楽を作ってた。しかし当初ロックをすぐには受け入れていない。
こういうところも自分でコンセプトが建てられる人だから、ロックが流行ったからといってすぐに飛びつかず、やらされてる感がないのがショーター。マイルスはいい意味で若者の中に飛び込みたかったんでしょうね。
名作でいて大問題作『Bitches Brew』(Miles Davis)の中のショーター作品はアルバム中唯一4ビート系だし、
写真中央の上から2番目の『Odyssey of Iska』もリズムはブラジル寄り。
そしてミルトン・ナシメントというブラジルの素晴らしきシンガーソングライターを世界に紹介したり。
WEATHER REPORTになるとロックリズムも取り入れている。

(10:01)

2023年03月12日

super nova







SUPER NOVA(1969)《ショーター追悼その2》

1969年の11月に三島由紀夫が自決し、一方ではベトナム戦争反対、ヒッピムーブメント、
学生運動、70年安保とか世の中が動いていた時代。
自分の通う高校も学園紛争の波が押し寄せ学生運動家たちによって秋に学校が占拠、
封鎖され僕らは翌年の4月まで授業がなかった。(→学校の授業ないので勉強もしなくなっちゃった)

音楽のほうではマイルスの『IN A SILENT WAY』(1969)『BITCHES BREW』(1970)と問題作が連発、
従来の4ビートのジャズに革命が起こったような刺激的な時代だった。
ジャズ保守派からはロックに迎合したという意見もあるが『BITCHES BREW』は通常のロックビートではないし、
普通のポップなコード進行の曲でもない。そんなイージーなロック迎合ではない。

ただマイルスは「俺は世界一凄いロックバンドができる」と豪語していた。
マイルスはロックの奴らが凄い稼いでいるのにアタマ来てたし、いつまでもジャズが
夜のクラブで酒のつまみBGMしてることから抜け出したいという強い気持ちがあったのだろう。
ワイト島の野外ロックコンサートに前座扱いの昼間に出演している。
すでに巨匠域のジャズマンがだ。
またジミ・ヘンドリックスやファンク系にも興味をいだいていた。

坂本龍一さん(父親が三島の編集に関わった方らしい)も当時東京芸大作曲科に入った、
しかし『BITCHES BREW』とかが出ているし、学生運動等激動の時代なのに、
みんなクラシックのお花畑状態で違和感を感じだんだん行かなくなった、と言っている。
ただ民族音楽の小泉文夫の講義は受けてたとか、民族音楽と電子音楽の興味に傾いていった、
ということらしい。僕も小泉文夫の本は殆ど読んだ、当時のテレビ出演もよく見てた。

写真のウェイン・ショーターの『SUPER NOVA』(1969)もそういった革新的なアルバムだった。
ショーターはソプラノサックスを吹き、コード進行の音楽ではない、
そしてモード手法の概念をさらに超えてアブストラクトな世界観にいっちゃった。
これはやはり60年代フリージャズや現代音楽のアヴァンギャルドということだろうか。
ショーターの場合、ロック的なリズムにはいっていなくて南米寄りの感じ。
ただ時折リリカルなメロディがあり、僕は「Capricorn」という全体はルバートで演奏される曲の
モティーフをアレンジして自分達のバンドで演奏していた。
一見カッコよく聴こえるが、今聴いたら高校生の稚拙なアレンジではあろう。
ただコピーとかではなく原曲を壊して独自の発想に置き換えて演奏していた。文化祭でやったと思う。

この『SUPER NOVA』ではジャズやロックを自在に超えて弾きまくるギタリスト、
ジョン・マクラフリンの出現も凄かった。
『BITCHES BREW』では演奏がすごくてマイルスはある曲名に「ジョン・マクラフリン」と命名しているくらい。
またその後ショーターとWEATHER REPORTを結成するチェコ人ベーシストのミロスラフ・ヴィトウスも参加、
またチック・コリアもドラムとヴィブラフォンを演奏している。
集団的な即興アンサンブルで厳密なソロ回しはない。

1曲だけアントニオ・カルロス・ジョビンの「Dindi」が唯一メロディアスな普通の曲。
この名曲をマリア・ブッカーが歌い。
最後は感極まったのか、泣き声が入っている。
ただこの名曲も前後はアブストラクトな演奏で情緒的に流されていない。
1曲目のペシミックな1モティーフをひたすら展開即興する「Super Nova」は
疾走感の凄い曲、珍しくショーター吹きまくる。
「SweaPea」はチックのヴィブラフォン、ウォルター・ブッカーのガットギターが
神秘的に導入,独自の抽象的なバラードともいうべきか。
マイルスバンドでもやっていたリズムキープの聴きやすい「Water Babies」とめちゃ好き。
ピアノがいないので和声が支配的にならない、いい意味での揺れ、きちんとした感じじゃない
のがとてもいい。ピアニストがいると和声に安定感が得られるがセンス悪いとこういう曲では最悪。
モード系のジャズはコード進行というレールが敷かれていないので
素人ジャズには手を出せない部分がある。概念を理解するのが難しい。

アイアート・モレイラ、ジャック・ディジョネットと最強メンバーがまたいい。

(10:52)

2023年03月04日

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WAYNE SHORTER

感謝しかないです、ショーター先生!
(先生って、こちらが勝手に言ってるだけですが)
音楽家としての最大のリスペクトの存在、作曲家、サックス奏者の
ウェイン・ショーター、89で・・・
2018年の遺作となっている『EMANON』(No Nameの逆さ字)は
80代半ばで作ったことになるが、なんとこの攻めの姿勢!
最後まで余裕でスタンダードを吹くとかじゃなくて、作曲家演奏家
として現役でした。グラミー賞を12度受賞ですか、凄い。

とにかくコンセプチュアルな人。オリジナリティの人。こだわりの人。
若いときからすでにオリジナリティが備わっていたような印象。
1960年代にマイルス・デイヴィスのバンドに入ったが、ショーターの曲は
マイルスは一言もダメ出しや文句つけることはなかったとハンコックは言う。
1960年頃にアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズで来日していて
その映像(確かTBSテレビで放映した)が残っているが、その時日本の
ジャズミュージシャンと交流して日本にモード・ジャズの理論的なことを
教えたという。まだ20代のショーター先生、すでにモードジャズの師です。

マイルスバンドにはハービー・ハンコックが先に入っていたがショーター加入で
ショーターの曲がマイルスバンドのメインになるとハンコックも影響受けて
ショーターのモードジャズの最大のパートナーになっていく。

1969年頃僕は高校生で渋谷ヤマハのジャズのレコード(アナログLP)の
定期的なバーゲンに友達と通った。そこで友達の市川がショーターの『SPEAK NO EVIL』(写真)を買った。マイルスでのショーターしか知らないので多分アヴァンギャルドじゃないかと思っていた。(1960年代の新たなジャズはモード派とフリージャズ派に分かれていた、そしてモードについてはよくわかっていなかった)市川が「良かったよ」と。しかし高校生で
流行の音楽に目もくれずショーターの『SPEAK NO EVIL』いいなんて言ってる、
その後のオタクに通じるかもだ。
そこからだ、ショーター先生を尊敬し何十年も聴くようになった。

ショーターはイマジネイティヴで神秘的な、ペシミックでアジア・アフリカみたいな価値観を60年代に持ち合わせていた。アメリカって前向きでイケイケじゃないと、
みたいなミーハー印象があるが、そして同時代の巨匠ジョン・コルトレーンがイケイケの求道者的な音楽に比べ、ショーターはバンドのアンサンブルとか全体でのカラーを大切にしていた。弾きまくれるテクニックがありながら、そうしたプレイはそんなにせず無駄を省き知的なアドリブをしている。
ジョニ・ミッチェルとのコラボも多いが、そういったショーターのアドリブの特徴が顕著に出ている気がする。

写真の『SPEAK NO EVIL』は1964年ニューヨークのルビーヴァン・ゲルダースタジオでのレコーディング。6曲すべてがモードジャズの名曲。
31歳のショーター、すでに50年代のバップを抜け出し自分のカラーの作品を発表している。
フレディ・ハバード、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、エルヴィン・ジョーンズでエルヴィンはコルトレーンバンドのドラマー。3連の小刻みなドラムワークが、マイルスバンドのトニー・ウィリアムスとはまた別の味。
ハンコックのモード解釈は完璧。この時期ハンコックかマッコイ・タイナーって
ことになるが(チック・コリアが出る前)、ハンコックのデリケートで大胆なプレイは凄い。

(22:34)

2023年02月15日

TresJoyeuxUN (2)


Tres Joyeux 『UN』

30年前にBREW-BREWというバンドをやっていて何枚かアルバム出し、ライヴもやっていた。
その時のメンバーViolinの金原千恵子さんがCelloの笠原あやのさんとのユニットTres Joyeuxの
アルバム『UN』をリリースした。
いろんなコンポーザー、ミュージシャンが参加していて凄い凄い密度の濃いアルバム。
実は僕も1曲書いて、と3年近く前に依頼され僕の曲は弦楽カルテット編成で作曲した。
作曲仲間の加藤みちあきさんの曲もありアコギとの絡みが変化にとんだグルーヴが独自の雰囲気だったり、
他にもスパニッシュ風、クラシカル、ピアノとヴァイオリン、チェロの大曲だったり聴き応え充分。
金原さんはサザンの桑田、小田和正等ポップ系のトップミュージシャンのサポートでも有名だが、
そんな多忙の中にこういう自己発信、自己プロデュースの活動もやっているのはアタマがさがる。

(10:47)

2023年02月01日

鮎川&シーナWOOD



鮎川誠旅立つ

まさか鮎川さん、膵臓癌だったとは・・・めちゃ寂しいです。
病を公表せずにライヴしてたとは・・・凄いミュージシャン魂!

凄〜く濃い思い出あるんです。
30年前1993年の、今となっては伝説的な
フジテレビ深夜音楽番組『WOOD』で
Rolling Stonesの数曲を新たな解釈で編曲!ということで依頼され
鮎川誠&シーナのヴォーカルで収録し、
僕は編曲し同時にギター、グロッケン、パーカッション、
コーラスで出演もした。
番組の趣旨はアンプラグド時代の感じで、ダビングなし、全部せ〜ので撮り録り、
アコースティック楽器のみ使用、その場でのスタジオ・ライヴ方式。

下北沢のダーツバーで最初の顔合わせ、そして鮎川さん宅で打ち合わせ。
鮎川さんが「衣装はライダーズ革ジャンにしよう」と。
僕は「持ってません」鮎川さん「僕のがいくつかあるからそれを貸すよ」と。
リハスタで僕のサックスカルテット編曲を聴いて、鮎川さん
「そうじゃなくて普通にストーンズをやろう」、
僕「普通はつまんない、変えたい・・」と平行線だった。
リハスタはまあまあ修羅場。
結局はアコギのキープリズムをがんがんこないと歌いづらいというあたりから
折衷案に落ち着き、自分のヴィジョンは崩れたがまあ収録は楽しく終えた。
鮎川さんも僕も同じR.Stones愛は変わらないのだが、アプローチは異なった。

シーナ&ロケッツはテクノ的な部分も取り入れてヒット曲してたが、
本質的には完全にロックンロール、ブルースの鮎川&シーナだった。
ベテラン、大御所だが業界的なビジネス感覚より
真っ直ぐなロック愛に溢れていた。温かい人柄でした。
鮎川さんのキース・リチャーズ風をマスターした
オープンチューニング5弦ギターは素晴らしかった。

ロック的な僕のコーラスを「周防君いいよ!」と誉められたが
その後、別の機会でお会いした時に「もう周防君のアレンジではやらないよ!」
と言いつつ熱い握手を交わした。いい感じです、これ。
音楽の真剣勝負なのでしょうがないです。
まあ僕も突っ張って攻めのサウンド求めてたので、
ちょっとだけ反省してます。
鮎川さんは武満徹遺作の『ファミリーツリー』(1996)の詩的な映像ドラマに
出演されている。
シーナさんも数年前に他界されてるし、2人のロック永遠なれ!です。

写真は1993年の『WOOD』テレビエアチェック画像より。

(12:32)

2023年01月20日

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信越放送(SBC)の日曜日18:05〜19:00の
ラジオ番組『うっぴいステーション』にゲスト出演しました。
信州ではよく知られたテレビ番組『ずくだせテレビ』での司会でも
活躍する中澤佳子アナウンサーがMCの番組です。
2週に渡り出演、オンエアは1月22日、29日です。
映画音楽のことなど喋りまくり!ました。

この番組のディレクターが小森さんで2008年ころに
軽井沢FMでやってたワタシの番組『周防義和の音楽工房』の
ディレクターであり、一緒にMCをやっていた旧知の仲なんです。
その時はマニアックな曲かけたりしてましたが、あるコーナーが
あって、それは最近の
JPOPの中から1曲かけ、ワタシがツッコミ入れる、という・・・
ヤバいこともやってました。楽しかったですが!

信州以外でもラジコとかで聴けるのかなあ?

(15:13)

2023年01月12日

truth_jbeck (1)





Jeff Beckが逝っちゃうなんて!!78か。
その病名が細菌性髄膜炎ですか、、気になるところ。
1967年ころかなあ・・中学生の時、同級生の女の子の小山さんが
ジェフベックはいい、と言って、その頃ベックを知った。
小山さんは早いよねえ。
だって1967年じゃクラスで洋楽聴いてる人は少ない時代。
よくてビートルズ、男の子の一部はローリング・ストーンズ。
さらにその一部はクリーム、ジミ・ヘンドリックス聴いてた。

ジェフベックはギター小僧のまま大人になった人、天才的なギター野郎でしょうね。
バックグラウンドにはブルースがあるけどまともにブルース弾くだけじゃ飽き足らず
はみ出してた。クラプトンがまともにアルバート・キングのコピーとかしてペンタトニック
中心のソロなのに比べてベックはこの写真のアルバム『TRUTH』(1967)でも
「ベックのボレロ」とか遊び心があった。

そのアドリブは歌心あるようなブルージィなフレーズから
急にポジションをぶっ飛んで
低音に行ったり、全く独自のアームの使い方、
泣きのフレーズかと思いきや、ズルズルと
そこにはとどまらず全然違うポジションで効果的な音を出しちゃう、
みたいな予測つかない。
親指で弾くのでトレモロ的なフレージングの時は人差し指と交互になり、
音のダイナミクスが多少異なるがそれさえも「味」にしちゃってる。
先生について習ってたらこんなギタリストは出ない、
っていうロック創成期の自己流オレ流時代が生んだ巨人ですね。

ロック創世記、誰も先生いないので個性的な人出ちゃう。
師匠がいると本人否定しても絶対影響受けちゃうからね。

80年代だったか軽井沢のスキー場での夏のライヴで
スティーヴ・ルカサーとサンタナとジェフ・ベックが
ギターバトルをしたが、指の動きはキレイだがまったく心に響かない
エフェクター過多な音のルカサーがひどかったのに比べ、
ジェフ・ベックの音の太さ、フレーズの面白さ個性は抜群だった。
フュージョン系の巧みな速弾きとか、スケールとかじゃなくて、
観ててオモシロイし、ギターで遊んでるような、発想がこの人しか
考えられない感じ。情緒に流されないうちに音色でも楽しませちゃう、みたいな。
サンタナも歌心ある泣きのフレーズがよかった。

1967年のミケランジェロ・アントニオーニ監督の
映画『欲望』にロンドンのライヴシーンが挟み込まれていて
ジェフ・ベックとジミー・ペイジがツインギターで登場(ヤードバーズ時期か)、
ジェフ・ベックがギター壊すようなことをやってる。
但しこれは監督のリクエストらしい。
またこの映画の音楽担当はハービー・ハンコック。

マーティン・スコセッシ監督の『THE BLUES /Movie Project』という
数編からなる作品にもなんとトム・ジョーンズがブルース歌うセッションに
ジェフ・ベックが登場、ディストーションの効いたギターを聴かせてくれる。

ロックやブルースの時代からフュージョン時代にも対応して、
そうこうしているうちに
全く独自のギタースタイルを築いたミュージシャンでしょうね。残念。

(19:41)

2023年01月09日

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謹賀新年。
今年もゆる〜くスローに行きますワ。
・・・なんですが、昨年3月にドラマ音楽の依頼後、
あと2つ、計3つの映像への作曲作業に取り掛かり
今3つ目に取り掛かってしまい、ちゃんとした休みなく今日に至ってます。
とはいえこの歳、休みなく働けるわけはなく、講師仕事で名古屋大阪神戸横浜、あと北千住、に
行った時の空きの時間に散策やら大阪や神戸で友人たちとゴハンなどしてるのが
休み時間と言えます。

それと、たとえば3日間必死に作曲作業、打ち込みデモ制作作業しているとさすがに
疲れて気分転換に車で信州の近場を一回りするとか上田城跡公園に紅葉見に行ったとか、
みたいな、まあサボり休みはあるんです。

作曲やってる方々にはご理解できると思いますが、例えば2週間とか3週間とか作曲日としてスケジュール組むと、
その間いろんなお誘いをお断りしちゃうんです。お断りしておいて、どうしても作曲できない気分の時があり、
例えば東京だったら渋谷をぶらついてた、信州だと善光寺参道を歩いてた、みたいな時があり、
そこでその日NGよ、って言っちゃった友人とばったり会う、
なんてことあるとまずいですわね、これ。なんだ時間あるんじゃないの、ってことになっちゃう。

家でもそうです。作曲してるはずが、
カミさんが来て「何もやっていないんだったらこれやっといてよ」みたいなね、雑用頼まれちゃう。
そうなんです。作曲作業してるはずが、ぼう〜っとしてたり、
これも作曲のプロセスなんです・・・って完全に自分を正当化してますが。
こんなんがワタシの作曲へのアプローチです。
しかしほんと!作曲作業ってこんなもんなんです。
みんなじゃないとは思いますが。もしそういうことあったらほんとうにスミマセン!

またミュージシャンの自主活動プロジェクトも2つペンディングしたままで申し訳ないです。
お茶しましょう、といったこともコロナもあってですが、お待たせが続いてます。
いきなり言い訳から始まってしまった2023年でした!

写真は空き時間に1時間散策した
名古屋則武新町にあるノリタケの森(陶器の有名ブランドノリタケの複合施設)


(11:06)

2022年12月27日

犬山のちんどん屋


犬山城
12月はじめのある日、前日名古屋学芸大学で講義、
そしてこの日午後名古屋から移動するスケジュールだが、
時間の空いた午前中の2時間、名鉄電車に乗り、
犬山城を散策。

参道で久々にちんどん屋さんに出会った。
お囃子、スネア、アコーディオンという楽器編成。
3人の若き女性のちんどん屋さんバンドだった。昔と違う!
ちんどん屋さんというとクラリネットで「美しき天然」の
イメージが強いが、この時の曲は2拍子の明るい曲だった。
パンダの被り物の人はキーをノールックでアコーディオン弾く。
もっとも、アコーディオン奏者はあまりキーを見ないか。

犬山城は日本を代表する城で周りの地形、木曽川との位置関係など
興味深い場所に築いた城だ。信長の父の時代からの歴史。
名鉄の犬山駅からの散策路もいろんなお店があり
短い休息時間を楽しんだ。

(17:39)