管理人 : 検校
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先週のハロモニ@は本当におもしろかったし愛おしかった。
ガキさんのほっぺから愛ちゃん絵里ちゃんの指の指にそして小春のほっぺへ。
ガキさんのほっぺを愛ちゃんと絵里ちゃんがつねったその瞬間になにか、ガキさんのほっぺから溢れるみたいに、幸福のスイッチが押されたみたいに、娘。の幸福な瞬間があの空間いっぱいに広がっていったみたいだった。ガキさんのほっぺをつねりたがる下の子たちは瞳を輝かし、とうとう座っていられず立ってしまったさゆに「つねってみ」と言う愛ちゃん、子供全快に身をのり出し興味津々丸に覗き込む小春、ガキさんのほっぺにつまっていたその幸福は絵里ちゃんの指先に遷りあつまり、絵里ちゃんはつねりたいとせがむ小春につねってあげると言う、ガキさんから絵里ちゃんの指先に遷りあつまった娘。の悪戯混じりの幸福を絵里ちゃんは「ふん!」と力をこめてふくらませながら小春の小さなほっぺいっぱいに放ったのだった、絵里ちゃんひとりがつねっていたがそれは絵里ちゃんひとりの力ではなかった、小春は娘。にみんなにつねられたのだ、絵里ちゃんの「ふん!」というリキミの声、ガキさんのほっぺから召還されたこの娘。の幸福の時間は小春の小さなかわいいほっぺに痛みを抱いて到達した、絵里ちゃんにつねられた小春は見た事も無いかわいさで美しく愛おしく痛がりながら喜んでいるようだった、小春のほっぺの痛み、僕は爆笑しながら萌え転げて沁みた。
ハロショ新グッズ考案
※オーディオアクセサリー
以前から「スピーカーのうえに娘。の萌え生写真を飾ると音が激変するんですよ!!!」「さゆとか置くと真っ暗なプログレの音もピンク色になるんですよ!!!」という情報がありましたが、今回、そうした証言ははたして真実なのかという疑問を、誰でも試す事のできるオーディオアクセサリーを見つけました、オーディオという狂信世界のなかにあって最高に狂ったアクセサリーを多数生み出しているA&Vvillage誌の新アイテム「おかげこんちゃん」が相変わらず最高に狂っていて、あちゃ〜と苦笑していたのだけれども、よくよく考えてみるとなにか今回だけは少し欲しくなってしまった、上記の娘。萌え写真をそのままスピーカのうえに飾るというのはちょっと娘。たちに見られたら恥ずかしいセッティングですが、娘。写真を「おかげこんちゃん」に抱っこさせれば世界一かわゆいフォトフレーム代わりに使えそうです、何よりこれは娘。たちもかわいい!!って言ってくれるんじゃないでしょうか!、娘。の萌え写真の高音質パワーを存分に引き出すオーディオアクセサリーグッズの誕生ですよ!、ぜひハロショと企画提携などしてほしいです!、名前も「おかげこんちゃん」というこんこんヲタも大喜びのハロプロ初のオーディオアクセサリーになるんじゃないでしょうか!まったく意味不明な「結界シール入り」です!すごい!
おかげこんちゃん
http://www.localmailorder.com/kankyo/heya/okagkonchan/okagekonchan.html
「お腹の中には結界シール入が入っています。
スピーカーの上に右左1匹ずつ乗せて音を聴いてみましょう。
心温まる音楽に変化します。世界一かわゆいオーディオアクセサリーです。エンゼルポケットの新たなマスコット人形として販売を開始いたします。」
ファッションコーナー
☆Kyawa Kyawa tansu 2danme☆
近頃は女子のボディだけでなく、
女子の着衣であるそのお洋服にも興味津々です。
娘。たちのファッションや女の子のお洋服を、
ここで取り上げて、いっぱい感動してゆきたいです。
以前のハロモニ。ではオープニングなどで娘。たちが普通の女の子の衣装を着ていたので、
毎週楽しみでした。
めざましどようびでの娘。ファッションショーも素敵でした。
3/9
きょうのハロモニ@は娘。の衣装がとても素晴らしく、アジアンテイストと言ってしまっていいのか、小さな花柄のワンピースを娘。たちがそれぞれ色違いや微妙にニュアンスの違うフォルムのものを纏っていた、単色のワンピースではなく、小さな花柄なので、身体の全容がやさしく隠されていて、とってもふわふわしていてフェミニンムンムンミンだった(絵里ちゃんの花柄を見ていたらどっかで強く記憶している柄だなぁって思ったのだけれど、これはそのむかし「カナアカ」などの娘。サイトをやっていたやすなおさんに教えてもらったクリムトの花の絵だった)みんなぞれぞれアクセントとしてアクセサリーをつけたりしていたけれども、なかでも僕がいちばんグッときたのは愛ちゃんだった、愛ちゃんは肩が出てしまっているふわふわのワンピースのうえからデニムのベストを羽織っていた、ちょうど両方の胸のあたりでデニムを纏っているように見えて、ふわふわとタイトが絶妙なバランスで愛ちゃんを輝かせていた、ふわふわ花柄のなかに隠れてしまうはずの愛ちゃんの胸の美しさがいまいちどデニムの力によって救い出されているようだった、デニム地と女の子というのはどうしてこうもグッとくるのか、デニムのスカートやデニムのホットパンツはデニムという蒼い地上が女の子のふくよかによって色落ちてしているように見えて、それが当初は人工的な加工だろうと、そのうち真実にデニム地は女の子のふくらみによってあらゆる箇所が色落ちして女の子のふくよかの痕をデニム地の表面に浮き立たせる、デニムは女の子の肌が直面しているスコヤカエロティックな衣服と言うことで実に素晴らしい、花柄のふわふわワンピースだから、ほとんど肉体を覆い尽くすような花柄で身体が隠れている事で顔や四肢だけが鮮明だからこそ、ここで先程のクリムトと結びつけるような文の繋げ方が恥ずかしい事はわかっているですけど、娘。が浴衣などを来ているときもなぜかクリムトを感じたので一度なんか整理すると、単純に装飾によって人体が埋め尽くされてるとか覆い隠されてるとかそんな安易な発想で抱いてるだけだろうけども、そこに肉体が存在することを忘れてしまえるような装飾とか柄に女の子の命のような肉体そのものが隠れていられる時、女の子の肉体から自由になって隠れる事から取り残された顔や四肢がいつもよりリアルに美しさを見せている事にあらためて気づいて、きょうのハロモニ@の娘。には驚き萌えた、タイトめだろうがふわふわだろうが、絵里ちゃんの胸にはいつでもぞっこんで眼がいってしまうのだけれど、今回の花柄のワンピースはクリムトの小さな花畑のなかに絵里ちゃんの胸がかくれんぼしているみたいだった、だから僕は絵里ちゃんの顔をいっぱい見れた、きょうの絵里ちゃんを見つめたあとに大好きなクリムトの木々の下の薔薇を見返したら、なにか、木々と花々で覆い尽くされたその向こうに他のクリムトの作品のようにもうどうすることもできないほどに生きてしまった肉体が無数にさんざめいているように思えた、接吻などは二人の人間を花々の幽霊のような装飾が覆い尽くしているけれど、薔薇の絵にももしかしたら境界線を無くした肉体が無数に木々のように存在しているのかもしれないと思うと奮えた、やすなおさんと話がしたいと思った、きょうのハロモニ@はあらゆる美しさを想起させてくれる衣装だった、本当に素晴らしかった、残念なのが、小春のワンピース姿を見れなかった事だった、3/11 追記、小春とみっつぃーの花柄のワンピース衣装をハロモニ@の生写真で見る事ができた、小春はなぜかバットを持っていてワンピースを着ているのに少年のように遊ぶポーズだったので小春らしくてとてもかわいいと思った、遊んでいる小春にはワンピースの力もおよばないのかもしれないと思った、先週から放送終了後にハロモニ@でついさっき見たばかりのきらめく衣装を着た娘。たちの生写真が発売されるという事態が起きていて、僕は3000円という値段にもかかわらず2週とも買ってしまった。
こういう冬な感じのお洋服素敵です。シックな色だと女の子を邪魔しないというか、
女の子の魅力が浮き彫りになりますね。小春ちゃんとかとても似合いそう。
街で見かけるカラータイツ女子ってアバズレにしか見えないんですが、こういう色のはグッときます。
写真の女性は外国人の女子でいちばん萌えてるジェシカアルバです。
ジェシカアルバも妊娠していることを先程萌え写真捜索している時知りました。
しかし、女の子は自ら服を着たんですかね、それとも誰かに着せれてたんですかね、原始時代で真実を見たいです。
第一回目は愛ちゃんの羽織ってるちっちゃいお洋服です。
管理人フルボッキ的ファッションポイント
※愛ちゃんがもの凄くかわいい
※愛ちゃんが羽織っている布が凄く小さくてちょうど胸のあたりで途切れている感じがこちらもアグレッシブになるくらい絶妙だ
※身体に対して極端に小さいがために、着ている愛ちゃんにメルモちゃん的なエロスを感じる、幼女期の愛ちゃんがそのままおっきく今の愛ちゃんになってしまったような愛ちゃんの女の子時間を裁断しない再び繋げ合わせてしまうような機能を生んでる
※けして「きつい」訳じゃなく「ちっちゃく」もない、凝らしてみると愛ちゃんの身体にジャストフィットしている、愛ちゃんの身体の小ささがわかってしまう魔法布
※マジでどうなってんだろうか?と考えてしまうほど構造がわからない、愛ちゃんがこれを着る時や脱ぐときの姿を想像したが素晴らしい、愛ちゃんのなかに配られているお洋服や髪や肌の色の配分が優勝
※愛ちゃんだからこそここまでキマッテルのじゃないだろうかと思わせるクオリティー、オーダーメイド?と思わせる一品もの感がここでは極まってる
※もしかしたらこれは下のTシャツと一緒になってんのかな?Tシャツは王冠、ティアラじゃない所がガール塗れにならずにロックなテイスト
※愛ちゃんのいたいけキラキラパーマがちょうどちっちゃい洋服にかかっているのがファッションポイント高い
※シックな色であるから女の子を邪魔しない、嫌みじゃない、カジュアルな全容にも生まれ持ったエレガンスが満ちてる
れいなちゃんは赤が似合ってますが、れいなちゃんは色自体が生きているような強い色が似合うのかもしれない、少女と十字架はかわいい。
さゆみんミニチュアサイト
☆さゆの鏡☆
3月9日
さゆに対するさんまとショージの驚愕は、ほぼ毎週さゆに会う男たちの証言として信用できる、
さゆを「太った」「痩せた」という上下で、その2色の鋳型で語る事なんてもうできない、さゆはさゆの神秘でその身体の美を一色にとどめずなみうつように輝かす、憧憬の頃が美しいとかプニプ二してるさゆの方が好きだとかいう我々の乏しいさゆの美をめぐる戦いなどそれぞれが判決した美への執着なんて、きょうのさゆの美のまえにはただむなしくかすれてきえてゆくだけだ、憧憬とプニプ二のさゆがコンマ毎に湧き上がっているとしたら!、さんまはとうとうさゆに太った痩せたというふりはばのなかにさゆをおく事をやめてしまうだろう、さゆという乙女の身体の時間の不思議に、その美しさに、これから奴らはいよいよのまれてしまうに違いない、間違いなく、さゆの肉体をめぐる不思議をこんなにも目の前で体感している男はさんまとショージにちがいない、そして、その驚愕を、さんまは口に出す、さんまは驚愕する、さんまはさゆに驚愕する、
11月23日
昨日見たさゆの夢。
階段からかわいい足音がした。
それだけで最早そのかわいい足音がさゆだと知っいるおかしな感覚。
さゆはなぜかリビングで珈琲を煎れる僕のところにやってきて、「もう大丈夫なの」と言って微笑んだ。
さゆはピンク色のパジャマ姿だった。
僕は、さ、さ、さゆ!と夢のなかで叫んだが、これを現実でも行っていたようで、さゆと叫んだその瞬間に舌を噛んでしまいその痛みで目覚めてしまった。
すぐに枕元にあったCDの鏡で見ると、舌の先端がさゆを呼んだ血でゆっくり滲んでいた。
去年まではこの時期にみかんが当然のように食卓の片隅に置かれていても、
僕は、なんとも思わずにそれをぱくついていたが、今朝食卓にみかんを発見した僕は「うお!、みかんだ!、リアルみかんだ!」と心底うれしくなった。みかんを食べながら、いやぁーみかんはなんておいしいんでしょうか、などと絶賛をしていたが、母などは僕がみかんにぞっこんな訳を知っているのだから、まったく調子がいい子だというような事を言っている、母に話をきくと、このみかんは自然に親戚中からやってくるらしい、親戚などというものがまだこの家にも存在していたのかと思うと衝撃だったが、誰が訪ねてくるでもない家であるし行事があるでもない家にも親戚からやってくるみかんがあるのだなぁとか親戚という存在がたしかに存在しているのかぁと不思議に思った。
みかんはこぶりで甘く熟した子供のようだったので、このみかんは娘。だったらいったいどの娘。だろうなどと考えながらいくつも食べてしまった。
ひとつだけ大きなみかんが在ったがこれはすぐに絵里ちゃんだと思い、ひとつだけ食器棚に隠しておいた、もっと寒い冬に密かに食おうと思った。
昨日は、娘。の表紙&インタヴュー&写真が載っているkindaiと、きらりんファンションレボリューションを本屋で買った。
kindaiはみかんのジャケの普通の女の子のお洋服姿だったのでときめいた。
それに「語り明かそう日の出を見るまで」というキャッチを胸に娘。たちのきゃわきゃわの姿やインタヴューを読んでいると涙が出そうになった、女の子たちとサンタの記憶。
この時期、それにkindaiだろうか、娘。たちは毎年同じようなサンタの話や、娘。で行うプレゼント交換の話をしてくれる。自分にとってこうした娘。の言葉が冬でありクリスマスなのだと胸が熱くなった。
さゆは家族一緒に山口から神戸まで夜行バスでルミナリエを見に行ったのだとまたお話していた。
何度かさゆ自身から訊いたはずのその話そのものもさゆと一緒に愛おしい歳を重ねてゆくようだった、
それでもルミナリエを見にゆくさゆを思い浮かべるたびにかならず僕は感動せずにはいられなかったのだ。
きらりん☆ファッション☆レボリューションはとてつもなく素晴らしい本だった。
小春が出ているのはわずか10ページであるにもかかわらず、その10ページのなかで、
小春がいろんなお洋服を着ていて、僕はこの本を開き、小春を見た時、いつも小春がメールで言っている「小春、試着が好きなんです!、試着にハマってるんです!」「小春は負けないんだぞー!」などといった愛しい小春の声が駆けめぐって、自分はその小春の声に粉々に砕かれた塵のようになって、いろんなお洋服を着てはかわいいポーズをしているこの本の小春を見ていたら、小春の休日の試着室に迷い込んでしまったみたいに目眩がした、きらりん☆ファッション☆レボリューションは小春の試着室のようだった。いろんなお洋服を着ている小春はどれもかわいくて美しく、どこかおかしかった。
自分はそのなかでもお嬢様小春に心底ぞっこんLOVEになった。
しばらくの間、お嬢様小春と僕のハツコイリミテッドを心のなかで執筆してしまったほどだった。
昨日のギャオに娘。が出たようで、これを僕は見逃したのだけれど画像や知人たちの熱狂ぶりに、この時点でただ事ではない萌え事変だったことを悟った。
知人のタンブラーを見る、娘。の韓国の雑誌のグラビアだろうか、都会でなく、土のうえ、空のもとに娘。たちがタータンチェックスカートで居る写真がいくつか在って、その美しさに感動した。
昨日のギャオでの「さゆのシャニムニパラダイス」を動画で見る事ができたが、これはもうほんとにきゃわきゃわ閃光だったし愛しかった、それに「さゆの方がぜったいかわいいのにぃ〜」とか横に座るガキさんを「んん〜んん〜」と鳴きながら絵里ちゃんやれいなを手でおすあのMCでの仕草のように、リアルに「ずるい〜」と言いながら押していたそのさゆが、駄々をこねているようでむちゃくちゃかわいかった。
もしかしたら千秋楽でさゆのシャニムニは実現するのではないか。
そう考えてもみても、千秋楽のヤフオクの人間沙汰ではない戦場に打ち勝ってチケを握りしめ見に行く事は無理でしかなかった。
さゆはステージの袖でいつもシャニムニを踊っているという。
娘。は娘。に憧れ、袖で振りつけを踊る娘。がいる。
シャニムニという曲は特別な曲だった。
ミキティがいなくなってしまって悲しんでいたが、絵里ちゃんがシャニムニを引き継いだ時、絵里ちゃんのそれは凄まじい輝きだった。
それに、シャニムニのダンスは生き物のように暦を数えてゆくというか、ミキティ不在であるにもかかわらずミキティを強く感じられる時間であり、ミキティの感じが誰かに宿っていたり、愛ちゃんの動きやれいなの動きやガキさんの動きが互いに遷ったり還ってきたりしているかのように、毎回その瞬間でしか見る事ができないシャニムニが展開されているような気がする。
さゆはさゆが溺愛するかわいい曲のなかにいないことを悲しんでいるが、それでも間違いなくさゆのシャニムニは素晴らしい。それにシャニムニはかわいいだけではない、それと同じくらいにおかしいのだ。
さゆがかわいさだけで在るものでなくおかしさを帯びた曲に夢中なのが愛おしい。
なぜならとてつもなくかわいくてそれと同じくらいおかしいというのは娘。そのものだからだ。
かわいさに向かって、かわいさに見惚れているさゆはかわいい、かわいいという実感とかわいさのなかに溺れているという実感のなかに抱かれているさゆもかわいいが、
さゆのそばに在って輝く世界のかわいさに一緒になれない、そのかわいさに憧れ、そのかわいさのなかに溺れたいと願うさゆもかわいい、まだ手にしてはいないそのかわいさをほしがりながら、かわいさに向かって駄々をこねるさゆはかわいい。
シャニムニを体験する時、ステージで踊る娘。を中心にミキティと袖で踊るさゆをも見ながら体験する事になる。
11月21日
「今夜、愛ちゃんを愛キュンと呼びたくて」
愛ちゃんを愛ちゃんとか呼び出して急にかわいいだの愛おしいだの萌え萌え言っておまえはまったくおかしいとか、そんな事を言うおまえこそが心が死んでいるのだ。
こんにちの愛ちゃんの姿をしっかりと見てさえいれば、どこ萌えの骨か知らない浮浪だって自然に愛ちゃんと呼んでしまうはずなのだ、愛ちゃんに数分間でも澄まして愛ちゃんの命をきけば、愛ちゃんが愛しくなるしかわいいと思うはずなのだ。思わない奴は愛ちゃんを本当に見ていないか、愛ちゃんを感じていないだけなのだ。
愛ちゃんはよっすぃーとミキティがいなくなってしまった事によって、まだほんとうに幼さの残る子供たちだけになってしまった娘。のリーダーに突然ならなければならなかったのだけれど、今夜、愛ちゃんがこんなにも愛おしくてしょうがないのは、ひそめるようにはなれてしまうように急激に大人になる事によって娘。のリーダーになるのではなく、愛ちゃんは姉妹たちと一緒の呼吸でその視線の高さ触れ合いそのままにリーダーになれている事だった、いや、リーダーであってリーダーでない、愛ちゃんリーダーの娘。という季節はリーダーという存在が必要のなくなったはじめての娘。たちなのかもしれなかった、いや、もっと言えば暴言だが「期」なんてものさえ最早消え失せてしまうほどのやさしい季節なのかもしれない、たしかにそれは存在するが時にその期によってその事を意識するあまりに溶け合えない瞬間はたしかにあった、そうしたものが安らかに許されてゆくように、とても緩やかな季節に思える、涙が出るのは、時折、愛ちゃんこそが姉妹の誰よりも幼くおかしく見える瞬間が多々ある事だった、それに、姉妹の娘。たちが愛おしいのは、愛ちゃんを今までの愛ちゃんからリーダーの愛ちゃんへと変わることをどかで拒んでいるかのように愛ちゃんに愛ちゃんのままでいてと願うように触れ合うその仕草だった、愛ちゃんをはなさないその接し方は愛に溢れているのだ、愛ちゃんはだからこそ愛ちゃんのままでいられるのだ、姉妹たち誰一人としてその仕草やその佇まいも呼吸もこの暴力的季節の変容を浴びても揺るがす事はなかったのだ、娘。たちだけが暴力的変容のなかでありのままの呼吸でいつづけているのだ。。。。。コンサートに通うと愛ちゃんは歌や踊りの凄まじい輝きをましてゆくようだった、それと同時に、先輩たちがいなくなってしまった事によって愛ちゃんはただ大人になってゆくのではなく、どこかで、むしろ本来の子供さに溢れていてその息遣いでいま娘。でいるんじゃないのか、そう思えた時、おれは愛ちゃんに惚れていたし心底愛おしいと思ったのだ、愛ちゃんのそういう溢れてくるものをおれは知ったから、だから今夜おれは、愛ちゃんを愛キュンと呼びたいのだ、愛ちゃんを愛おしいと言うのだ。
そして、さゆは愛ちゃんを愛ちゃんと呼ぶ。
娘。を愛する者誰もが愛ちゃんを愛ちゃんと呼ぶだろう。
11月19日
夕方、さゆの「道重さゆみ」を見ていた、このさゆに僕は心底震えた。
さっき、動画整理している時に見ていた05/01/12の歌。ドキュメントで、
さゆがいちばんお気に入りの写真だと言っていた、そんなさゆの発言を忘れてしまっていた、
めちゃくちゃうれしかった。
自分がキャプってるさゆがどこかこの写真と同じような瞬間ばかりだと思った。
川のようにながれるさゆの映像の水面からさゆをいまいちどキャプる事が直接雪崩れ込んでくる耽美に感じられた。さゆを誘拐してしまうみたいだった。
さゆは幼い頃、へんなおじさんに浚われないようにわざとかわいいお顔を隠すためにへんてこりんなお顔をして、かわいくないさゆになって、さゆ自身を護っていたの、と言ってた事を思い出した、さゆごめんね、と僕はさゆに謝った。
大きくなったさゆは、女の子になったさゆは全瞬間、毎秒、かわいかった。
さゆはさゆのかわいさをさゆから奪う事が隠す事ができなくなっていた。
それはいつも露だった。
さゆはさゆよりもかわいくなっていった。
さゆから離してしまったさゆには緒がついているようだった。
さゆのもとへさゆを還したかった、さゆをさゆに放流したかった。
さゆは世界をかけめぐっていった。
さゆはさゆに還る、かならず。
さゆは眠りについているさゆのもとへ還ってゆく気がした。
夜明けが朝日に焼き尽くされる時、
さゆは目覚める、さゆが起きたのならこの世界にかわいいも一緒に起きる。
さゆは起きる、かわいいも起きる。
さゆはかわいいと共存していた。
さゆはかわいいとお話をしていた。
さゆは花結核のようにかわいいを世界にうつしていった。
ツタヤに一緒に出かけた弟が「今さゆって言った?」と訊いて来た。
僕はその時無意識に「さみぃ〜」と言ったつもりだった。
弟は「嘘だろ、さゆって言ってたじゃんと笑いながら言った」
僕は否定しなかった、自身がなかった、寒いと言っていたのか「さゆ〜」と言っていたのか、僕は僕がわからなかった、いつもよりも寒い朝に、Aztec Cameraなんてひっぱりだしてしまった僕はさゆを眺めながらそれを聴いていたから、僕は自身がなかった。
僕は弟に応戦するように「おまえがさゆの事考えてたから、サ行をなんでもさゆってきこえるんじゃねえの?」と言ってやった。
さゆの肖像画のTシャツを自慢した時、弟は馬鹿にしながらも腐った魚の目を生き返らせながら興奮して、やべぇとニヤニヤしていた。さゆは凄いと思った。弟の愛する女の子はこんこん、弟の萌えてる娘。はさゆみん、僕は弟が汚れているとも間違っているとも思わない、ただ、なぜ僕らは同じような境遇にいつまでもしがみついているのか、影をみるようだった、きょうが少しだけ悲しいだけだった。
僕はwalk out to winterの歌詞を弟に見せた。
「ジョー・ストラマーのポスターが壁からはがれ落ち
そこには もう何も貼られていない
甘さと苦さ ぼくらはその両方を味わった
それを飲み干して 」この曲は冬へ向かおうって曲だよって言った。
そして、さゆの写真を自慢しながら、
「真実が町を襲う前に さゆの生写真を掴むんだ」彼らが倒れるのを見て君はぼくに囁いた」ってロディの真似事みたいな事を言ったら、
弟はただ苦笑していた。
けれど、さゆを見る奴の瞳に血が通っていた。
僕は弟に http://www.youtube.com/watch?v=iYtiffXirsg を教える事ができなかった。
11/2
夕日降る浜辺でひとり 夕暮れてゆく君を見つけた
切ないの 君の揺れる髪が
だから僕 君をお姫様だっこして海に飛び込んでしまいたかった
君の切なさ あらいながすために