2013年09月16日

最近、引っ越し準備のために不要な本をAmazonマーケットプレイスで処分している。

実は300円程度の中古で買った本を売ろうとしたら、絶版後に有名ブロガーが書評したこともあって、AmazonMPでなんと2万数千円まで値上がりしていたことを発見して小躍りした。もちろん、ホクホク顔でAmazonMPに出品したわけだ。

既存のビッドよりも常に1円だけ下を入れる作戦で、その本に既に出品していた中古本業者と凌ぎを削る戦いが進む。数十回もの静かな値札書き換え合戦の後、当初2万円台半ばだった、その中古本の提示価格は1万円前後まで下がった。

私はだんだんとこの果て無き値下げ合戦に疲れを感じてきた・・・

しかも、複数いる中古業者のうち1社はやたらと値下げリアクションが早いのだ。私が値下げビッドを入れてものの数分後には私の入れた値段よりも常に1円だけ下を入れる。(AmazonMPを知らない人のために解説すると、AmazonMPでは事実上、最安値から売れていくので、1円でもいいので必ず競合業者を押しのけて最安値を入れておかないと大いに不利なのだ。)

これではラチがあかない。それに、おかしい・・この速さは、とても人間ワザとは思えない・・・。

ピンときた私は、少し検索してみると、AmazonMPでの大量出品業者向けに、一定の条件に基づき、自動で常に最安値で応札するウェブサービスがあることに気がついた。

「こいつめ、このソフトを使っているな!さすがプロだなー。」「うん?ちょっと待てよ? こいつが、これを使っているなら・・・・うっしっし」

ピンと閃いた私は1万円前後だった自分の提示価格を一気に1000円付近まで下げた。

1000円付近まで下げたうえで、自動落札ソフトの利用業者に、1000円より1円だけ下の価格を入れさせ、すぐに自分は出品をキャンセルしたうえで、その安値で、誰かに買わせてしまい、その後に、1万円前後で再度、出品する、という作戦を思いついたからだ・・。

価格更新のボタンを押して「フハハハ!馬鹿め、一杯食わしてやるゾ」と思っていたところ・・・あれ、1000円に値下げした自分の出荷本が在庫表示画面から消えた!?!?ではないか!

私は、一瞬、起こったことの意味を理解できないでいた・・・。
10秒ほど経った後に意味がわかった。

なんと!!!自分の競合店のビッドを下げるために、囮で繰り出したつもりの自分の大幅に値下げした玉を、(おそらく断定はできないが)、競合店が買い上げたのである!

私は狼狽した・・。

そして、「出荷を拒否(つまりキャンセル)する」という手段があるじゃないか、と心のなかで悪魔が囁くのに気付いたが、DONEしたDEALは尊重せねば!という思いで、泣きながら出荷伝票を印刷し、最初は2万円以上の時価がついていた貴重本を1000円で出荷したのであった・・。

「策士、策に溺れる」ということわざが脳裏をよぎった一日であった。
それにしても、Amazonマーケットプレイスの貴重書籍の世界というのは、異常に薄い板で仕手株やってるみたいなものだ。

いやあ、マーケットって面白いですねぇ!
いやあ、Amazonマーケットプレイスって本当に面白いですねぇ!! 


 


ちきりんさんの言う、教育に関心がある、と言い出したら、その人はアガってる」論というか、問題提起で色々と考えたので、軽くまとめてみよう。



ここからは私の意見だが、まず、広義の「教育」というか、「啓蒙」にも色々あるのでそこを定義すべきだろう。


広義の啓蒙活動、文化・知識の伝承・指導・水準向上活動にも、先達から後進への知識・
経験の伝達を目指す「教育/Education」と、自発的な気づき・学びを重視する「学習/learning」という「姿勢」についての軸がある。そして、学習or教育行為が、少数の参加者に限定されたプライベートな場で行われるか、多数に開かれたパブリックな場で行われるか、という、「場」に関する軸がある。

この2軸で、2×2の
マトリックスが出来るのではないだろうか。

edu


まず「プライベ
ート×教育」の象限は、親が子に直接教える家庭学習や家庭教師みたいなものだろう。そして、「パブリック×教育」は、近代の学校教育制度があてはまる。(←ちきりんさんが最もディスりたいのは、この象限では?)教育というと、4象限あるうちの、ここばかりがあまりにもスコープになり過ぎてきたとも思う。

 そして
、「プライベート×学習」の象限には、いわゆるちゃんと教えずに、勝手に見て盗めの、伝統文化における「内弟子」や「徒弟制度」が当てはまるだろう。ここについてはネット時代ならではの「師弟関係」というものが有り得るような気がしている

最後に、これから本当に面白くなるのは「オープン&パブリッ
ク×学習」の象限だろう。これは、オープンソースのプログラマーやなどのコミュニティや、動画編集のワザや切り口を競いあうニコニコ動画を見てれば、どんなものか、少しはイメージがつくだろう。 

私のドタ勘でいうと、伊藤穣一サンが言うように、「教育」という言葉を捨て、
「学習」を拡張していくべきだと思う。

そして「制度化された教育」の一番ダメだと思う点は、教えている側にリスクテイクのないことである。例えばの一例なんだが、色んな結婚式に出させて貰ったが、学校のセンセイのスピーチというのは高い確率で「面白くない」。いつも話なれてるはずの人種なのに不思議だなーと思っていたのだけど、ある時「はっ」と思った。彼らは自分たちのアウトプットに対して、恥をかいたり、怒られたり、冷たくあしらわれて気まずい思いをするといった、ネガティブなフィードバックを受けた経験が少ないのではないだろうか。そんなノーリスク状態、トライ&エラーが求められない状態では、物事は進歩も上達もしない、というのが私の仮説である。

閉じられた教室で、自分より経験の劣る学生向けにだけ語っていれば、恥をかいたり怒られたりするリスクはほぼないまま、虚栄心だけ満たされる・・。そんな人間に付き合う必要はない。そして、補足だが親子でも、友人でも、恋人でもないが、「師弟関係」という関係性には時空を超えた普遍性があるのだと思う。(上司/部下)よりもあると思う。この21世紀のネット時代における 「師弟関係」というテーマは、まだまだ深堀り甲斐がありそうだとも思う。

師弟関係の最大の特徴は、弟子を取るということは師匠の側にもリスクが発生し、コミットメントを求められることだ。(サラリーマン教師にはコミットメントもリスクもない・・。 )

まあ、表題タイトルが私のイイタイことでした! 


2013年09月14日

香港出張の帰り道に機内で「華麗なるギャッビー」を見た。

普段、機内では映画を見ない方で、期待しないで暇つぶし的に見始めたのですが、1920年代のNYを巡るバブリーなパーティシーンの描写と、ギャッビー役のディカプリオが満面の笑みで登場するシーンまでの勿体つけ方や、映像の美しさとGershwinに代表される音楽の使い方にニヤニヤしつつも感心させられながら、徐々に映画の世界に入り込んでいく。

前半の豪華絢爛たる映像演出と、うってかわって後半はどんどんと重くなる人間ドラマにかなり引きこまれた・・・。
うだるような熱さの中で、どでかい氷を部屋に運びこんだNYのホテルの一室で、「修羅場」が展開するシーンなどは白眉。

やはり、良い映画には普遍性のあるテーマがある。普遍性があるがゆえに、観客には自分の人生観に引きつけて多様な解釈をする自由が残される・・・。 私はそういう「ストーリー」に引き寄せられる。

「成功」や「目標」
を心に刻みつけて、高く掲げざるを得ない人生というものの本源的な「退屈さ」と、「夢」というのはかなった瞬間から色褪せる、しかしそれを分かっていてもなお、夢の実現に向けて歩まざるをえない業、というのが、私なりに解釈した「華麗なるギャッツビー」のテーマだ。実はこの夏に見た、もうひとつのラブストーリー?な「風立ちぬ」とも、通底するテーマなのだろう。やはり、普遍性がそこにある。

原作は持ってたけど、読み通したことがなかったのだが、これをきっかけに、原書でゆっくり読んでみたい。映画版の英語も割と平易だった。

私はアメリカン・ビューティとか、マグノリアみたいな映画が好きなのだが、同じ系譜に並ぶような映画でないか、と思うたね。

華麗なるギャツビー ブルーレイ&DVDセット(初回限定生産) [Blu-ray]
レオナルド・ディカプリオ
ワーナー・ホーム・ビデオ
2013-10-09


グレイト・ギャツビー
F・スコット・フィッツジェラルド
知温書房
2013-04-09
 


2013年08月17日

ご報告が遅れました。ずっと「持ち家は不要の一生ストロング賃貸派」だった私ですが、実は先月末に、湾岸某タワマンを中古で買いました。


君子豹変す、という奴です。モテないブサイク同士の彼氏作らない同盟ではございませんので、全国の賃貸派かつ本ブログの読者の皆様に置かれましては、私の日和見を破顔一笑許してくださるものと信じております。


全国の賃貸派を置き去りにしてマンション購入した理由は

買った理由

(1) 私の場合、いつも物件をほぼピンポイントに絞っての家探しなので、賃貸だけでなく中古分譲も視野に入れたほうが、選択肢が広がるから。今回、ちょうど対象物件内から手頃な間取り、方角のものが出た。


(2) アベノミクスの効果が出たら出たでデフレからインフレへ。出ないと出ないで、国家債務の問題が噴出して、いずれは、輪転機グルグルでの返済作戦になり、どっちに転んでもインフレになりそう。 ゆえに低利の長期固定金利ならば、お金を借りれるだけ借りておいたほうが、トクに思えたため。


(3)去年末からのアベノミクス相場のおこぼれで、頭金を捻出しても、それなりに手元に投資資金が確保できて、自分の個人B/Sの中で不動産に過重にウェイトにはならずに済みそうになったため。

といったところでしょうか。

私のような人間が出来るだけ巨額の借金をするには、家を買ってフラット35を物件価格の90%まで申し込むのが王道です。今回は、フラット35の審査も通ったので、固定金利2.05%で35年融資をロックインしました。頭金を払おうと思えば、もっと払えたのですが、それでは今回のディールの意味がないので、フラット35の上限である90%まで申し込みました。


正直、これまでの家賃支払額 >>> ローン支払額+管理費+修繕積立金+固定資産税であります。これまでの家賃との差額は、各種インデックスファンドやETFでも積み立てて行こうかなと思っております。


もし、万が一、引っ越したくなっても賃貸に出した場合の想定家賃は、(ローン支払い額+管理費+修繕積立金+固定資産税)に対して、120%〜130以上はキープできそう(プロの不動産投資でいうDSCRってやつですね)なのと、中小企業金融円滑化法ありがたーいご配慮により、今やフラット35で買った物件を賃貸に出すことは、住所変更届けを出すだけで可能になっておりますので、モビリティ確保の観点からも問題ないと判断しました。もちろん、空室リスクはありますが。


当機構の住宅ローンにより住宅を取得して入居いただいた後の取扱いにつきまして、従来は、転勤、転職、病気などのご事情により融資住宅から一時的に転居される場合は、事前に留守管理承認申請書を提出いただいた上で、お認めしておりました。

今般、住宅に入居いただいた後の取扱いにおいて、ご事情によらず住所変更届のみをご提出いただくことにより転居ができるようにします(平成221月中旬実施予定)

http://www.flat35.com/user/enkatsu/taisei.html



心情的には、さあ来い!東京オリンピック! ハイパーインフレ大歓迎だぜ〜!

と言ったところです。

まあ、今回思ったのは、当たり前ですが、住宅ローンの本質は、でっけえ信用取引だな、ということと区分所有のマンション購入って要するに、高級スポーツクラブとかゴルフ場の会員権みたいな もんだなあ。権利の購入であって、フィジカルに「自分のもの」とかいう実感はよくも悪くも全然ないわけであります。

 


今回のマンション購入にあたってはこの本↓と






のらえもんさんの「マンション購入を真剣に考えるブログ」と、湾岸マンション中古ナビが大変に有用でございました。ただいまマンションをお探しの方には激奨しておきます。


2013年08月14日

私は有料メルマガを5個ほど取っているのですが、正直読めてない。
あくまで、「一般論」だが・・・最近の有名人メルマガは、妙に文字量が多い。この方針に経済合理性があるとすると、文字量の多さと購読継続率には相関があるのだろう、それは、何故だろうか?と自問自答したときに思いついた仮説を紹介しよう。

(特に発行者が有名人かつ個人の)メルマガ作成者から、読み切れないくらいに沢山の文字数を送られると読者はどう感じるだろうか?。

読者として
は、「全部を読めていない」>「(このメルマガを)無駄だと判断できない」>「退会するのは、よしておこう」となり易いように推測する。

「メール」という形態が、基本的に、個人からの私信のメタファーで情報が伝達されるアーキテクチャーだということが、メルマガを「読めてない」ことへの心理的負い目を醸し出すことを利用した、大変に巧妙な作戦だ。
(意地悪に言えば、そもそも、全部読む気が
しないような魅力に欠ける「商品」を送ってるのは、供給者側にも問題があるのだが・・・)

これが、ウェブサイトだと、全部読めてないことに対して、負い目を感じずに済む。ゆえに、一部の記事だけを読まれ、それが無料のサイトと比較して、大差のないものだと思われるものが1つでもあれば、なんだ、この有料サイト、ツマンね〜!と思われ、退会されやすい。

言い換えると、自分にとって有益な情報とは何か?と「質」を明確に判断する基準を持っている読者は、少数派なのだ。だから、「メール」マガジンでは、それなりに(文字)「量」を送ってしまい、読者側に心理的「負い目」を与えることで退会率を下げることが可能なのだろう。「メール」というテキスト送信型の枯れ枯れ情報アーキテクチャーは、味わい深い。

2013年06月10日

橋下市長の慰安婦問題を巡る件でのやり取りや、オリンピック誘致を巡る猪瀬知事の失言を追及する記者会見でのやり取り、そしてプーチンにKY?な質問をぶつけたことが話題となったTBSの記者のように、報道しようとする取材の主体者の行い、それ事態までもが、報道メディアのアジェンダになることが増えてきた。

つまり、報道された内容だけでなく、そのような報道を生み出すまでの、メディアと取材対象者とのやり取りそのものが、ニュース・メディアの世界で主なテーマになりつつあるようだ。

 

インターネットの登場によって、時間軸の長さや紙面の限界がなくなったこともあって、記者会見全体が、質問する側の立ち居振る舞いも含めて「見える化」されるようになってきたことがその主な要因だと思う。基本的に私はこのように、報道メディア側自体も批判され、検証されるようになること自体は大変にいいことだと思っている。

しかし、例えば、愛国的だということで、人気のある政治家に対し、厳しい質問を行う記者の存在自体が、ソーシャル・メディアなどで「あいつはKYだ。ブサヨだ。」と猛烈に批判されるような事態が近いうちに起こるのではないか、とやや危惧も感じる。なぜなら、取材過程や記者会見での質問プロセスが可視化され、場合によってはアンフェアな批判にさらされることで、報道メディアを萎縮させることは決して社会全体のためにならないからだ。

報道メディアが取材対象者に、ある意味では厳しい質問をハードに行うことは、プロ野球のバッターが、ピッチャーの投げた球に対して、フルスイングするような、職業的な「義務」であり、当然の努力なのだ、ということを忘れてはいけない。いくら熱狂的な阪神ファンといえども、甲子園で阪神のピッチャーから、逆転のタイムリーヒットをかっ飛ばしたからといって、打った選手を口汚く野次ることが褒められたことでないのは、誰にでも分かるだろう。別にバッターもピッチャーが憎くてフルスイングをするわけではないのだ。

野球でバッターが投げられた球を渾身のフルスイングでぶっ叩くように、あるいは、ボクサー同士がノーガードで撃ちあうように、厳しい意見のぶつけあいが行われる様を英語ではHARD HITという。日本語で、喧々諤々・丁々発止の激論というところだろうか。

そして、この文字通りのHARD HITな議論を見せよう、という意図で放送されているBBCの看板インタビュー番組に「HARD TALK」がある。筆者のお気に入りの番組だ。スティーブン・サッカーというキャスターが質問を各界の有名人や政治家になげかけるのだが、見ているこちらが、ある意味では「失礼ではないか?」とヒヤヒヤするような質問をズケズケと単刀直入にぶつけ、30分という短時間だが、非常にHARD HITで高密度な議論が見られる。


英語で厳しくネチネチと詰問されることを、グリルで肉が焼かれるように「料理されるという意味で
grillingというけど、スティーブンは、まさしく、これぞgrillingだ、という感じの強面インタビュアーぶりなのである。



2013年04月30日

伝統的にいわゆる「国民国家」とマスメディアとは、コインの裏表のように結びついてきた。

これはメディア論的に言えば、

「日本人は、大晦日に、コタツに入って家族揃ってNHK紅白歌合戦を見る。」

のではなくて

「大晦日に、コタツに入って家族揃って、紅白歌合戦を見る人間こそが、日本人だ。」

 
ということである。紅白歌合戦の部分は、箱根駅伝でも、サザエさんでも、大河ドラマでも、月9でも、朝の連ドラでもいい。あるいはテレビ番組だけでなく、本ならば、夏目漱石でも、司馬遼太郎でもいいし、朝日新聞でも読売新聞でも別に構わない。


極限的な状況の仮定かもしれないが、あなたがもし、戦争という極限状況で、捕虜収容所の看守をやっているとして、捕虜の中に、日本のメディアやコンテンツに妙に詳しく、自分とばっちり趣味が合う捕虜と、そうでない捕虜がいたとしたら、どちらに親近感を感じるだろうか?どちらかを処刑しないといけないとしたら、どちらを処刑するだろうか。

ベネディクト・アンダーソンが「想像の共同体」で喝破したように、近代の国民意識、国民的な統合意識というのは、印刷技術や放送技術などのメディア技術のうえに乗っかってできた産物なのである。


想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (ネットワークの社会科学シリーズ)
想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 
 

これは、安倍内閣の閣僚が靖国を参拝し、尖閣をめぐって近隣諸国との関係が荒れているからこそ、改めて考えておきたいテーマだ。なぜなら、そもそも、昨今の社会状況の中で、国益というもの自体が、皆が思っているほど、自明ではない。(大声で、「日本の国益を守る」とか「国益のために必要だ」とか言っている政治家が、「国益」を正確に定義しているケースを筆者は余り知らない。)

 

尖閣諸島が、中国海軍に爆撃されることと、ソウルが北朝鮮に砲撃されることと、どちらがより日本国民の生命・財産の安全にとって危険だろうか? 株主資本の半分以上が海外保有となり、フランス人のCEOの指導のもと、タイ工場で組み立てられたコンパクトカーは、「日本車」なのだろうか?


そもそも、メディアには「公共性」があるというが、その公共性の範囲とは、どこまでのスコープで考えられるべきものなのだろうか。日本だけ?アジア地域?いや全人類のため?

 

例えば、NHKは公共放送というが、この場合の「公共」とはどこまでを含むのだろうか。日本政府が、NHKの語学番組は、日本語学習コンテンツを通じて、海外の人々の思想信条に影響を与えうるのだから、尖閣諸島を日本が実効支配していることの正統性などを、語学テキストを通じ、外国の人たちに教えこむべき、と言われたらNHKは、その圧力に従うべきだろうか?

 

そもそも、尖閣や靖国参拝については、日本のメディアはこの問題をどのようなトーン、手つきで報道すべきなのだろうか。中国や韓国側のロジックを紹介することは「反日」的で、日本の国益を損なう行為なのだろうか?

 

こういった問題意識を補助線に、3月にBBCを訪問した際に、幹部たちにインタビューした結果を紹介していきたい。



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