June 02, 2006

ブログ引越し

http://tmd0220.269g.net/
に引越します。2周年記念です。
見た目も内容もあんまり変わっていませんが。
ライブドアには疲れました。
これからもよろしく。

May 16, 2006

「トゥルーマン・ショー」


Story
メディアによって作られた人生の悲喜劇をジム・キャリーが熱演した傑作。トゥルーマンの人生は、隠しカメラによってTV番組として世界中に放送されていた。自分の人生が全て作りものだったと気づいた彼は、現実の世界...(詳細こちら

ひさしぶりにこの映画を見た。見るのは3回目ぐらいだけど何度見てもこれはよい。大好きな映画。コメディ要素がたっぷりでおもしろいのだが、見ていて「これでいいのか?人間として」という種の疑問がずっと心を離れない。でも最後にそれがなぜかすごくさっぱりして終わるところが好きだ。

ジム・キャリーは見ていてこの人のように生きたい、と思わせてくれる俳優。トゥルーマンのように生きたくはないけど、こんな性格になりたいとは思う。それは最後のドアを開けたときの最高の笑顔とセリフを見てそう思う。

「外の世界は病んでいる」というのは正しいだろう。しかしそこで悩んでそこに生きてこそ人間である、ということなのか。しょせん人が作ったドラマなんて作り話だよ、現実はつらい、でもそのほうが楽しい、そんなこんな。

最後にエドハリスがまるで父親のようになってしまう姿がよい。長年トゥルーマンショーを作ってきてひどい人間のように見えるがトゥルーマンに情が移ってしまった姿。その横になんとポールジアマッティがいたことにはもっと驚き。出てたのだね。

May 15, 2006

「タイヨウのうた」

監督:小泉徳宏
出演:YUI、塚本高史、麻木久仁子、岸谷五朗ほか

試写会をゆずってもらったので見に行った。

紫外線を浴びることのできない病気である少女の唯一の楽しみは明け方部屋の窓から高校生の男子たちの楽しそうな様子を見ることと夜ストリートミュージシャンとして歌を歌うことだけであった。病気が進行してゆく彼女と、その周囲の人間模様を描いた映画。彼女のことを想う少年は彼女の声を音源として残すことを心に決める。

この映画がヒットすることはない、と思う。YUIを始め出演者の演技が微妙であることがいちばんの理由で映画自体に感動がない。ストーリーがいいからこそもったいない感じ。「歌」をフューチャーしギターが弾けなくなってゆく様子や「歌を残す」ということをテーマに中盤からは進む展開はとても好き。が、おもしろくない。

もっと攻めた演出や、心に残るシーンを作ってもよかったと思う。セカチューはたいしておもしろくないと思うけど、ガラス越しにキスするシーンなど記憶に残るシーンはあった。いちばん心に残っているのは最後のほうの海のシーン。防護服を着ているシーン。ネタバレ。それぐらい。まぁあと岸谷五朗も残ってる。

May 14, 2006

「死霊のはらわた」


Story
休暇を郊外で過ごそうと別荘を訪れた数人の男女が、そこで見つけた“死者の書”という奇妙な本とテープレコーダーに録音されていた呪文を紐解いたために邪悪な死霊が復活。次々と若者たちが血祭に上げられていく。ス...(詳細こちら

83年に発表されたときは映画会を驚愕させたというスプラッター映画の原点のこの映画。それが今見ても気味が悪かったし、ドキドキした。ストレートにこわい、という感想だったがそれは今のホラーがいろいろな手を使って驚かそうとしているからだろう。こんなにストレートにぐろい映画を見たのははじめてかもしれない。

ホラーはやはり苦手だ。伝えたいものがあまり分からない。しかしそれも映画。おもしろかった。

May 13, 2006

「The Singles 1992〜2003」

報告なのですが、えー、就職活動はもう少し前に終了しています。
複数社内定をもらっており、今どれにしようかアミダで選んでいるところです。

わたくしごときのことを気にかけてくれた人がいろいろおられるようでそんな方々に一応このブログで報告しておきます。そしてありがとうございます。

自分の中では納得して終わったと思います。そして2年も就活してもう疲れた、というのが感想です。

これまで大学などでいろいろやってきたことはどれも自分一人の力ではできるものではなく、それでもなんとなくこなしてこれたのは他でもない周りの人たちのおかげでした。それに対し、就活は多少他人の力を借りたり、協力してできるところはあれど、結局は自分一人の力量がものを言う場であり、大学では周りあきりで、自分一人の力は屁みたいなもんな私はなかなかうまくゆくはずがなく、自分の屁かげんが身にしみて分かりました。それでもなんとか結果を出すことができ、多少なりとも自分一人のパワーをアップさせることができたと思えることがよかったところです。つまり多少なりとも自信がつきました。

それでもそれでも。弱音を聞いてくれたり、助言をくれたりしてくれた人たちが周りにいてくれたことが結果につながったと間違いなく思うのでやはり自分一人の力というわけでは全然ないと思っています。だから多少ということです。

何を言っているのかよく分かりませんな。最近中古で買ったノーダウトのベスト、なかなかいーっすよ。
ザ・シングルズ 1992-2003
The Singles 1992〜2003/NO DOUBT
1.ジャスト・ア・ガール 2.イッツ・マイ・ライフ 3.ヘイ・ベイビー・フィーチャリング・バウンティ・キラー 4.バスウォーター 5.サンデー・モーニング 6.ヘラ・グッド 7.ニュー 8.アンダーニース・イット・オール・フィーチャリング・レディー・ソウ 9.エクスキューズ・ミー・ミスター 10.ランニング 11.スパイダーウェブス 12.シンプル・カインド・オブ・ライフ 13.ドント・スピーク 14.エックス・ガールフレンド 15.トラップド・イン・ア・ボックス 16.ヘイ・ベイビー ‐(フィリップ・スティアー・リミックス)クラブ・リミックス 17.アンダーニース・イット・オール ‐アコースティック・ライヴ‐ドイツ・ラジオ

May 02, 2006

「プロデューサーズ」

監督:スーザン・ストローマン
出演:ネイサン・レイン、マシュー・ブロデリック、ユマ・サーマン、ウィル・フェレル他
原題:「THE PRODUCERS」

1959年、ニューヨーク。かつてはブロードウェイで栄光を極めたものの今やすっかり落ち目のプロデューサー、マックス・ビアリストック(N.レイン)。製作費を集めるため、今日も有閑老婦人のご機嫌とりに悪戦苦闘。そんな彼のもとにやって来たのは、異常に神経質な小心者の会計士レオ・ブルーム(M.ブロデリック)。さっそく帳簿の整理を始めた彼は、ショウが失敗したほうがプロデューサーは儲かる場合もあるという不思議なカラクリを発見する。それを聞いたマックスは、大コケ確実のミュージカルを作り出資金を丸ごといただいてしまおうとレオに協力を持ちかける。一度は拒否したレオだったが、小さい頃からの夢だったブロードウェイのプロデューサーになるチャンスと思い直し、マックスのもとへと舞い戻る。かくしてレオとマックスは史上最低のミュージカルを作るべく、まずは史上最低の脚本選びに取り掛かるのだが…。


テンポのよい展開に笑うしかない。歌をうたうからなのか、キャストがどの人も魅力的にみえた。テンポ、キャラだけでこの映画は成り立っていた。なんつーか、ミュージカルはどうしても…。

でもいい映画だった。はちゃめちゃさ満載でとても好きだ。

でもなんつーかそんだけの感想だ。途中寝てもーてユマ・サーマンが歌うとこを見逃してもーた。

April 21, 2006

「Vフォー・ヴェンデッタ」

試写会に連れて行ってもらった。はじめて試写会というものに行った。試写会に来るというやつらはさすがに映画好きなのだろう。始まる前にいろんな映画談義が聞こえた。最近あんまりおもしろそうな映画がないと思っていた中でもこの映画は公開になったらぜってー見に行こうとしていた映画で、ただで見れたのはおいしかった。

監督:ジェームズ・マクティーグ
脚本:ウォシャウスキー兄弟
製作:ジョエル・シルバー他
出演:ナタリー・ポートマン、ヒューゴ・ウィーヴィング、スティーヴン・レイ、ジョン・ハート、ティム・ピゴット=スミス他
原題:「V FOR VENDETTA」

Vフォー80年代に発表されたコミックをベースに、「マトリックス」シリーズのウォシャウスキー兄弟が脚本化したサスペンス・アクション。監督は、「マトリックス」シリーズなどで第一助監督を務め本作が監督デビューとなるJ.マクティーグ。

近未来のイギリス。そこは独裁者アダム・サトラー議長(J.ハート)が支配するファシズム国家となっていた。テレビ局で働くイヴィー(N.ポートマン)はある日、外出禁止時間に表を歩いていたところを運悪く秘密警察に見つかってしまう。そんな絶体絶命の危機を、彼女は“V”(H.ウィーヴィング)と名乗る謎の仮面男に救われる。しかし男は、1605年に国王の圧政に反発し国家転覆を図り失敗に終わったガイ・フォークスにならって、たった一人でサトラー政府に反旗を翻す狡猾非情なテロリストだった。次第にVのテロ活動に深く巻き込まれていくイヴィーは、やがて自分自身の内なる真実に目覚めてゆく。


なんつーかね、これは、太字とか使っちゃうけども、すごい映画だった。今年見た中で(今年は数えるほどしか見てないが)間違いなく1位だ。期待していて期待通りだった。

「マトリックス」ほど訳がわからんことはなく、というかコメディーチックなシーンまであったり、花火や音楽やダンスがあったり、終わったとき非常に意味が分かった。しかし“V”に象徴されるような気味の悪さやファシズムの世界観、銃弾をナイフに置き換えたような格闘シーン、拷問(N.ポートマンが坊主に…)など、普通ではない映像が常にあり、自分の好きな「意味の分からなさ」の中で「意味が分かる」映画だった。

「意味が分かる」というのは政府と人民のどちらが悪で、どちらが善かということがすっきりした、ということだ。それに伴うVの善悪も。

しかし涙の出そうなクライマックスだった。感動の涙ではなくて、なんて表現すればいいのやら、圧倒というか、圧巻というか。

まぁ書きたいことは山ほどあるのだが、とてもたくさんになってしまうのでもう書かねーや。非常にすごい映画だった。

April 03, 2006

「クラッシュ」

このブログ更新するたびにエロサイトからコメントやらTBやらしてくんのやめてくれ。もう言ったぞ、俺は今。まじやめろよ。

最近一人で映画館に行って映画を見た。実は初体験だったりした。見たのは「クラッシュ」

監督、制作、脚本:ポール・ハギス
出演:ドン・チードル、サンドラ・ブロック、マット・ディロン他
原題:「CRASH」

「ミリオンダラー・ベイビー」の脚本で注目を集めたポール・ハギスが脚本に加えて自ら製作と監督も務めた衝撃のヒューマン群像サスペンス。様々な人種が入り混じり、人種間の摩擦と緊張が極限にまで高まるアメリカのロサンジェルスを舞台に、次々と引き起こされる“衝突”の連鎖によって運命を狂わされていく人々の姿を多彩な俳優陣の豪華競演で描き出す。

クラッシュクリスマスを間近に控えたロサンジェルス。黒人刑事グラハム(D.チードル)とその同僚でヒスパニックの恋人リア(ジェニファー・エスポジート)。銃砲店で不当な差別に憤慨するペルシャ人の雑貨店経営者ファハド(ショーン・トーブ)。白人に敵意を抱く黒人青年アンソニー(クリス・“ルダクリス”・ブリッジス)とピーター(ラレンズ・テイト)。地方検事のリック(ブレンダン・フレイザー)とその妻ジーン(S.ブロック)。差別主義者の白人警官ライアン(M.ディロン)と同僚のハンセン(ライアン・フィリップ)。裕福な黒人夫婦キャメロン(テレンス・ハワード)とクリスティン(タンディ・ニュートン)。やがて彼らの人生は思いがけない形で交錯、大きく狂い始める…。

という映画だった。とくに感想はない。様々な人間が複雑に絡み合うヒューマンドラマ。人種差別(またか、という感じだった)や親子、夫婦、なんやかんやの関係なかったはずの人間関係が最後には絡み合ってくる展開。一貫性がないのでおもしろくない。それぞれのエピソードにおもしろいところはあるが短編集を1つにまとめたような映画。登場人物が多すぎる。

「何を思えばいいんだろう」というのが感想といえば感想。アカデミー賞の作品賞、脚本賞という肩書きが信じられない。ポップコーンとホットドックとコーラをむさぼりながら見た。途中眠かった。

M.ディロンをひさしぶりに見た。エンディングがステレオフォニックスの「MAYBE TOMORROW」。

最後の悪い黒人青年がニヤッと笑うシーンが非常に印象的。「いいことしてやったぜ」という感じがなんかよかった。

全ての登場人物が成長して終わったような気がした。あの若い刑事も「自分は青かった」と知って成長するのだと思う。

メモのような記事になったがしょうがない。おもしろくなかったのだ。

March 30, 2006

「早実-関西」

今日映画館に行って「クラッシュ」を見た。でそのブログを書いていたのだがそれよりブログに書きたいことが起きた。選抜高校野球の第4試合早稲田実業-関西の試合だ。昨日延長15回を戦って引き分け再試合となり今日再戦となったこの試合、こんな劇的な最後を誰が予想できただろう。

   123456789計
早実0010100024
関西0000001203

結果は早実の勝ちだったわけだが、俺は9回にぼろぼろ泣いてしまった。ちょっとドラマチックすぎだったからだ。

2−0と早実有利な展開で迎えた7回裏、ツーアウト1塁から関西1番の熊代がレフトフェンス直撃のタイムリーツーベースで1点を返す。やはりこのままでは終わらない空気が出てきた。そしてこの熊代が今後この試合の命運を握ることになる。

8回裏関西驚異の粘り、エラーがらみでノーアウト2塁のチャンスをむかえバッターは4番の安井。ここでベンチのサインは4番にバント。しかし彼は失敗しツーストライクに。この後なんとか内野ゴロでワンナウト3塁という形を作るわけだがこの4番の安井も今後この試合の鍵を握る一人となる。この後次の5番バッターがセンターバックスクリーンへ運ぶ。俺はこの試合は決まったと思った。

しかしドラマのクライマックスは9回表、裏に残されていた。9回表マウンドにはエースではなく昨日の疲労を考えて11番を背負う中村がいる。彼は今日1回から先発し、ここまで粘っていた。早実はワンナウト1塁から1、2塁間をやぶるヒット。ライトが浅めということもあり、1塁ランナーはセカンドストップ。しかし…!!

ライトの熊代はこれを後逸。1塁ランナーはおろかバッターランナーもホームへ。再び逆転。熊代は泣き崩れてしまいプレーができない状態に。表情を変えない中村。ここで俺も泣く。

9回表が終わっても泣き崩れナインに励まされながらベンチに戻る背番号9、熊代。9回裏最後の攻撃、ワンナウトからラッキーなヒットで9番バッターが出塁し、ここでバッターは1番、熊代。ミスを取り返すチャンスがこんなところに用意されていた。打席の彼の表情は言葉では表せないものだった。WBCでもあんな表情をしていた選手はいただろうか。

しかし彼はキャッチャーフライ。熊代は天を見上げまた泣きながらベンチへ。俺はもう号泣。ツーアウト1塁。関西はがけっぷちに立たされた。しかし2番バッターが粘り、ツースリーから四球。この最後の1球はストライクと言われてもしょうがないボールだったが審判もこの2チームの24イニング目の最後の一球を自分の判断に委ねられたプレッシャーからか右手をあげれなかった、と表現してもいいだろう。1、2塁。3番バッターがツーストライクからファールで粘る。そして打った打球はボテボテのピッチャーゴロ。がしかしこれが幸いして内野安打に。ほんとに驚異的粘り。もうこのへんは精神力の勝負なのだろう。勝ちたい、という想いがフォアボールに、内野安打にとつなげていった感じだ。そして満塁でバッターは4番の安井をむかえた。

彼は昨日の試合で9回に起死回生の同点タイムリーを打っており、誰もがここで彼の奇跡の再現を期待していた。関西ベンチ前では中村が10回の投球を信じてキャッチボールをし続ける。カウントノーツー。ボールになるたび甲子園は最高の盛り上がりをみせる。3球目はボール球の変化球だった。これを安井空振り。自分が決めてやるという思いがバットを振らせてしまったのか、「見逃せばよかったのに…」と誰もが思っただろう。そして次の球を彼は打ち上げる。打球はキャッチャーのミットの中へ…!!

試合は終了した。2日に渡る激戦、計24イニング、計5時間半におよぶ熱戦の終わりを告げるサイレンが鳴り、関西ナインは泣き崩れた。俺も泣き崩れた。表情をずっと変えなかった中村も顔をぐちゃぐちゃにしていた。早実の校歌がグラウンドに鳴り広がる中、甲子園の空からは雪が…。こんな演出まで…!!

試合が終了し雪がちらつく中、肩を痛めないように泣きながらキャッチボールをする中村の姿は非常に印象的だった。解説の原田富士夫も「心を動かされた」と言ってしまう始末。こんなドラマチックな試合を見たのはひさしぶりだ。

勝った早実は明日準々決勝で横浜と対戦する。関西のぶんも頑張ってほしいもんだ。そして敗れた関西。まだ終わりじゃないぞ、とくに熊代!!夏!!夏にまた甲子園に来て頑張ってくれ!!

いやいや、熱かった。「熱闘甲子園」があったら俺は泣きまくって大変だっただろう。昨日の引き分けになった試合を見ていればもっと感動的だったんだろう。WBCにはすごく興奮したがここまでの感動はなかった。WBCのプロ選手を見て高校球児のようだ、と思ったがやはり高校野球とは違う。プロほどうまくなく不器用だからこそのおもしろさ、ドラマがある。今日はそれで涙腺を刺激されためっちゃいい試合だった。

いまだ高校球児が年上に見える俺でした。忘れたくない試合なのでブログに書きました。次は「クラッシュ」を書こうと思います。まったく書くこともないような映画だったけど。

March 23, 2006

「マンダレイ」

今年初めて字幕がある映画を見た。これは前作に続く超期待作。

監督:ラース・フォン・トリアー
出演:ブライス・ダラス・ハワード、イザック・ド・バンコレ、ダニー・グローヴァー、ウィレム・デフォー、クロエ・セヴィニーほか
原題:「MANDERLAY」

床に白線を引いただけのこれ以上ないシンプルなセットで観客を驚かせた「ドッグヴィル」に続く、鬼才ラース・フォン・トリアー監督の“アメリカ三部作”第2弾。今回、ヒロインのグレースを演じるのは前作のニコール・キッドマンに代わり、「ヴィレッジ」のブライス・ダラス・ハワード。アメリカの南部を舞台に奴隷制の廃止に燃えるヒロインが抱く理想主義の顛末を辛辣に描く。

まんだれ1933年。ドッグヴィルをあとにしたグレース(B.D.ハワード)は、父親(W.デフォー)らと共に新たな居住地を求めてアメリカ深南部へとやって来る。やがて“マンダレイ”という名の大農園にたどり着いた彼らは、そこで驚くべき光景を目にする。白人が黒人を鞭打っていたのだ。70年以上も前に廃止されたはずの奴隷制度がここには残っていた。グレースは黒人たちを今すぐ解放し、彼らに自分たちの権利と民主主義を教育しなければならないとの使命感に駆り立てられる。そして、父親の制止を振り切りさっそく行動に出るのだったが…。


どうしてグレースはマンダレイにいたくなくなったのか。ここが最大のポイント。なぜドッグヴィルと同じくマンダレイがこの世にあってはいけないものになってしまったのか。

「人の醜さ、汚さを見たから」
この理由は前作と同じだが、やはりこれが当てはまる。

「アメリカは黒人を受け入れる準備ができていない」とウィレルム(D.グローバー)はしつこく言うがそれは建前。彼はこの狭いマンダレイで自分が作り出したヒエラルキーを保ちたかった。広い世界に出れば支配者ではいられない。支配される側になってしまう。それは逃げ出したバートの最後のシーンが示している。ならば狭い世界で人を操りたい。人に番号で評価するまでして。ここにグレースは人の醜さを見た。

「誇り高い黒人」と思っていたティモシー(I.D.バンコレ)の裏切り。それに騙されてしまった自分自身に我慢できなかったこともあるだろう。グレースは完璧ではない。それどころか未熟な権力者。民主主義を教育したい善良な部分が崩れると一気にどうしていいか分からなくなり権力に頼る。しかしギャングの後ろ盾のない彼女はそれを振るうことができない。彼女はムチを打った。「それ見たことか、できないならするんじゃねーよ」とティモシーは言わんばかりだ。彼女は逃げ出すしかなかった。

民主主義とは何か。人種に限らず差別という言葉は差別されるようになった。表面上は差別はなくなり、自由が尊重されているアメリカ。自由という言葉があるだけで差別はなくなったと言うのか。誰かが誰かを支配するこの世の仕組みのどこが自由なのだろう。今も奴隷制度のあった時代も実は何も変わっていない。ラース・フォン・トリアーの心の叫びか。

ドッグヴィルのような衝撃はなかった。しかし今回も心に残る気持ち悪い感じは顕在していた。あってもいい舞台装置がチョークで描かれ、陰湿なナレーションが流れ、きみの悪い音楽が支配する。誰にも何かが欠如している。肉体、月、死。3作目は核心に迫ったものを作ってきそうで今から少し怖い。

見てすぐブログを書けばよかった。もっと何か思ったことがあった気がするが忘れた。N.キッドマンがB.D.ハワードになったことに違和感はそんなになかったがJ.カーンがW.デフォーに変わったことは違和感たっぷりだった。今回床が白く、何度も朝になって明るくなったり夜になって暗くなったのは白人と黒人をうまく表していたと思う。たぶん。
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