2021年05月11日

東京五輪開催問題の考察

表題案件の報道に関し、メディアの潮目が変わってきたような気がする。
過去においては、観客上限決定が6月で大丈夫なのか、とか池井選手へのSNS問題とか、根拠のない心配や感情的な報道ばかりだったが、今朝においていくつかの進展があった。
ひとつはご存じ、朝刊各紙30段ぶち抜きの宝島社意見広告の掲載。そして日本TV「スッキリ」においては、開催是非に関する合理的説明報道がなされた。当該報道につき簡易にまとめる。
1)五輪東京開催の収支
50%観客、無観客、中止の3パターンにおいて、東京の収支予測が報道された。もちろん収支が全ての要素ではないが、開催か中止かを決定する重要なファクターであることは間違いない。
2)五輪開催は誰が決めるか
IOCであることは疑う余地がないが、そのIOCが東京に対して開催をごり押ししているような報道が散見していた。この点を前述「スッキリ」がわかりやすくまとめてくれた。
・まず主催はIOCであるから、当然開催あるいは中止を決定するのはIOCである。
・東京は開催地としての権利を所持している。すなわちこの権利を放棄する、つまり五輪を開催するかどうかはIOCに従うが、東京ではやらないよ、と言える権利を持つ。
・もし開催地を返上した場合、IOCとの契約において違約金が発生する条文はない、よって返上したからと言って違約金を支払う必要はない。
・但しIOCは開催することでスポンサー等から多くのフィーをもらっているので(その一部は東京にも還元されているので)、もし東京の責任で開催返上をした場合、約束をやぶったという意味で損害賠償を請求される可能性はある。
・ちなみに前述の東京収支の中止パターンにこの損害賠償額が計上されているかは不明。
3)では東京はどうすべきか
ここからは私見。
開催、中止を議論するためのロードマップは正確でないとしても上記でほぼ揃った。
簡易に言えば、開催と中止(開催地返上)の収支を鑑みて、かつ感染症リスクをどうとらえるかで判断すればよいと思う。
いずれにしても、いままでエビデンスのない感情的報道ばかりであったメディアが、ロジックを出してきたことは明るい材料。
言い換えれば、黒幕がこのような報道を許可する、あるいは奨励する方向に進んだのではないか、つまり結果として中止に舵をとったのではないか、と邪推する次第。 ■追記
解釈に誤りがあったようだ。
・開催地は開催返上をする権利は所持していない。返上したい場合はIOCに申し出てIOCの承諾を得なくてはいけない。
・返上が承諾されば場合は、(少しまわりくどい表現だが)IOCは返上承諾をしたのだから、損害賠償請求はしない。しかし返上した開催地はIOCに与えた損害を補填すべき義務がある。
こりゃ、もうアメリカもドイツもフランスも来なくても、IOCが中止宣言しない限り開催しなくちゃならないようだ。
  

Posted by tokiokas at 17:00Comments(0)世間

2021年05月03日

日本選手権 10000m

楽しませていただきました。
■女子
まずは福士選手、前回のクイーンズ駅伝に続きかっこよかったです。ありがとうございました。
廣中選手、キレは最高でした。が、少しやせすぎではないでしょうか。個人的には五輪は5000mで狙ってほしいのですが。
鍋島選手、どうした??
安藤はどうでもいいや、名古屋ウイメンズで2位になった時からキライなんで。
■男子
田村弟、よく頑張った。
田村兄、残念でした。昨年の日本選手権の悔しさをはらしたかったと思うのだが・・・。スタートできなかった悔しさって本当にキツイと思う。
そしてA組。まずは伊藤選手、相澤と競わなくても強かった!!五輪期待しています(開催されれば)。
駒大勢はびっくり。TVでも8000m過ぎから大八木監督の声が聞こえていましたね。B組で頑張った近藤幸太郎も駒大についていかないと。
■中継
何より3レースを全部中継してくれたことに感謝。やはり、5000mも含めて日本選手権の長距離は別日程開催のほうが楽しいし、記録も狙えると思う。
  
Posted by tokiokas at 16:56Comments(0)酔っぱRUN

2021年04月21日

コロナウィルス対策に関して

この未曾有の疫病に関し、過去私は日本政府の対策を支持とまでではなくとも容認していました(ひらたく言えば対策に対し、それでしかたないようなという感覚)。
そもそも原因が明確でない中で対策の施しようはない。となれば、状況を鑑みながらその場の対策をしていくしかないでしょう。さらに、欧米のようなロックダウンをせず、(方法論の是非は置いて)コロナ防止と経済の両立を目指す姿勢も正しいし、国民に対し何等かを強制せずに防止意識を高く持つような呼びかけも自由主義社会において決して間違いではないと感じていました。
しかし、そうして1年間が経過してしまいました。この1年で日本の為政者たちの対策は何か向上したのでしょうか?感染者数に一喜一憂し、感染者数だけで施策を判断しているだけに感じます。そして我が国の為政者たちに愛想が尽き始めました。
愛想が尽き始めた理由を少しだけ列挙します。
1)判断の指標がなぜいまだに感染者数なのか。
メディアはいまだに感染者数だけで判断しています。これは東京都のHPも同様で、たしかに検査数も記載されてはいるけれどすぐに目につく表は感染者数です。
しかし下記の表をみてください。
こちらは東京都の月単位のPCR検査数と陽性者数です。これで見る限り、本年4月の陽性率は昨年7月〜10月のいわば「沈静化」した時とほぼ同じです。
これは本当に単純な統計ですが、1年前比較においてPCR検査も数だけでなく精度も向上しているでしょうし、重篤者、死亡者の比率も変わってきているでしょう。また季節要因も病床数の問題もあるでしょう。ここいらを例えば受験の偏差値のようなわかりやすい指標にして提示しなければ国民は理解できないというか、施策に同調しないでしょう。
今の感染者数だけの一喜一憂はオオカミ少年のようなものです。
2)定義を明確に
上記に絡むのですが、感染者と陽性者って同義なのですか?素人にはわかりません。ビジネスにおいて言葉の定義は重要なファクターです。同様に本件においても言葉の定義を明確にしないと、誤解が生じ、結果良い方向の効果が出なくなります。
3)ワクチン接種数(率)
日本のワクチン接種率は外国比較でとても低いです。これはよい解釈をすれば、まだワクチン効果が懐疑的だった当時、無駄なコストを使わないためにワクチン購入に二の足を踏んだ結果でしょう。しかし、ワクチンのみならず、マスクを含め全ての効果が不透明なのですから、極論をすればワクチン効果がゼロであったとしても、税金の無駄遣いになったとしても、購入を急ぐべきでした。少なくともアベノマスクや兵庫のウチワよりは、理解できたでしょう。この購入の遅さは完全に失政です。
感染させない、感染しないことは国民の義務です。だから大多数の日本人は、マスクをして、密にならないように注意して、外食や旅行を我慢しています。しかしこれらの行為も指針が見えなければ続きません。その指針がいまだに私程度でも疑問を感じる感染者数という稚拙な統計だけで、誰が信用するのでしょうか。もう本当にいい加減にしないと、この国は滅亡してしまいます。175974160_4290035847697373_1422008221712609337_n
  
Posted by tokiokas at 16:47Comments(0)世間

2021年04月19日

東京マラソン2021 エントリー要綱に関して

表題に関し、ランナー目線でないとの批判がかなりあるようです。この件につき検証してみます。
まず今大会の要綱において、コロナ対策として通常大会と異なる点を抜粋します。
1)スタートで手荷物預かりなし、更衣室もなし。
→スタートできる格好で集合して、荷物があれば自身で持ちながら走るということ。
2)ゴール地点の更衣室は屋外。
→そもそも手荷物預かりがないので着替えもないでしょうけれど。
3)スマホアプリで健康チェックが必要。
→スマホ持参しないとスタート地点へ行けない、そして1)2)の理由からそのスマホを持って走らなければいけない。
細かい変更点はその他もありますが、ランニングに影響が大きい変更点は上記。確かにランナー目線では、荷物預かりがないのは厳しい。開催が10月だとは言え、もし雨だったらどうするのだろう、ゴールしたビショビショのままで着替えも出来ずに、帰宅しろということなのだろうか。
と思う気持ちをわからないでもないですが、あまりにも短絡的思考と言わざるを得ません。
では反論を開始します。
まず、ランナー目線に沿った大会を開催しようとすれば、とても簡単で参加資格をエリートのみとすればよいのです。これで参加人数は減少し、制限時間も大幅に少なくできる、結果コロナ対策をとれます。
しかし東京マラソン主催者は、本大会が市民マラソンであるという趣旨を守りながらの開催を考えたわけです。時間制限は7時間のまま、参加人数もできるだけ抑えない、「誰でも参加できる」というコンセプトの維持です。それを維持したうえで、いかようにコロナ対策をどうするか、「誰でも参加可能」と「コロナ対策」は参加人数の面で矛盾する、この両面の落としどころの策定が最大のポイントだったと思います。
そしてその対策が上記の1)から3)だったと思うのです。もちろん参加するランナーにとってこの対策は不便です。しかし繰り返しますが参加人数と制限時間をできるだけ緩和したうえで開催を決定した本大会主催者の意向を、私は尊重したいと思います。
  
Posted by tokiokas at 16:44Comments(0)酔っぱRUN

2021年04月18日

JJ時代最終章

「起業の天才」を読んでいる。その中の住宅情報(以下JJ)に関する表記は、僕がJJに関わっていた時代だった。その時代、まさに渦中の僕は目先のことに精一杯なだけであったが、今俯瞰してみるとものすごいことをやり遂げた事業の一員であったようだ。ここでは本書に書かれているJJのこと、直販、打倒Y、間宮さんにつき、現場で感じたことを振り返ってみたい。なお、本書に実名で登場する諸先輩、同僚に関しては、こちらでも実名表記とさせていただく。
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6.自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ
最後に。
本書に登場する「社員皆経営者主義」「プロフィット」そして社訓であった「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という意味をリクルートで言葉でなくカラダで徹底的に学んだ。この思想はカラダに染みつき、リクルートを卒業した後も僕の生き方の指針になったのは間違いない。
と、かなりマジメに書いたが、仕事以外もかなりアクティブだった。
某年のホテルで開催された全社大忘年会が終了した後、僕はプリティな女の娘と一緒に帰路についた。その娘は帰り道で「寒い」と言って、僕のコートのポケットに手を入れてきた。脈アリである。
ホテルの帰り道という「自ら機会を創り出し」、そしてポケットに手が入ったという「機会によって自らを変えた」。
もちろんポケット内の手の主はトモコさんである。
ところで、、、、、
リクルート事件って結局なんだったのだろう、なんで江副さんが逮捕されたのだろう。いまだによくわかんないや。
  
Posted by tokiokas at 16:42Comments(0)のすたるじー

2021年04月15日

JJ時代 その5

「起業の天才」を読んでいる。その中の住宅情報(以下JJ)に関する表記は、僕がJJに関わっていた時代だった。その時代、まさに渦中の僕は目先のことに精一杯なだけであったが、今俯瞰してみるとものすごいことをやり遂げた事業の一員であったようだ。ここでは本書に書かれているJJのこと、直販、打倒Y、間宮さんにつき、現場で感じたことを振り返ってみたい。なお、本書に実名で登場する諸先輩、同僚に関しては、こちらでも実名表記とさせていただく。
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5.間宮舜二郎さんのこと
本書に接待の神様と記載されている間宮さんについて語る。
氏は僕のR時代の直属部長であり、かつなんといっても仲人である。それだけに、Rの中でも強い印象を持つ方であった。
まずは接待から語ろう。僕も間宮さんと同席の接待は複数回の経験がある。ビール銘柄やタクシー停車位置の話が本書に出ているが、これは当時において既に伝説化しており、そこまで仰々しいものではなかった。また、接待人員は基本は間宮「部長」、担当課長、そして営業マンの僕という3人体制であり、僕にとっては通常課長が間に入っていたため、あまり間宮さんに気を使う必要はなかった。とは言え、接待翌日に呼び出されて、細かいことを注意されたことは覚えている(内容は全て忘れた)。いずれにしても、間宮さんとの接待は、間宮さんに一番気を使うのが前提であった(本末転倒かは、わからないw)。
さて、それが何の因果か接待側が間宮、浅野の2名体制ということがあった。これは僕にとっては事件である。たしかどこかの料亭でメシして、その後ウルワシビルのきれいなおねーちゃん多数のクラブに行ったの思うのだが、メニューもおねーちゃんのおっぱいも、ついでに接待の相手も記憶にない。ただただ間宮さんと別れた時の「終わった・・・」感が強烈だった。
一晩の接待だけでない逸話も多数ある。
当時、JJでは全社でクライアントの部長クラスを年に1回安比に招待していた。この時同行の下っ端は課長クラスだったので僕には関係なかったが、さらなる下働きとして、招待するクライアントの自宅までいってゴルフクラブを預かったりした。宅急便で送ればよいだけなのに、超アナログな行動、これも接待の一部だったようだ。
さらに課長に昇進したクライアント自宅へ、松坂屋で購入した超豪華刺盛を人力(つまり僕が)で持参した。さりげなく自宅の住所を聞く程度はなんということじゃないが、アポなしで刺盛を持っていくのだ。そしてもし不在だったら、リサーチが不十分な僕の責任になる。こんなのありかね、クール宅急便でいいでしょ、フツー。
とか、まあ凄い人だった。
でも、この人と接したことで、その後どんな人と会っても怖いと思うことはなくなった。
(多分次が最終回)
  
Posted by tokiokas at 16:40Comments(0)のすたるじー

2021年04月13日

JJ時代 その4

「起業の天才」を読んでいる。その中の住宅情報(以下JJ)に関する表記は、僕がJJに関わっていた時代だった。その時代、まさに渦中の僕は目先のことに精一杯なだけであったが、今俯瞰してみるとものすごいことをやり遂げた事業の一員であったようだ。ここでは本書に書かれているJJのこと、直販、打倒Y、間宮さんにつき、現場で感じたことを振り返ってみたい。なお、本書に実名で登場する諸先輩、同僚に関しては、こちらでも実名表記とさせていただく。
4.ガルコンとロープレコンテスト
JJ営業では先輩たちに本当に鍛えられた、しごかれた、いじめられた。しかし年数が経過していくと、それなりに営業を覚え、大きな目標も達成できるようになり、さらに自分なりの営業スタイルが確立できるようになってきた。
当時の営業手法の主流は、いかにしてJJの効果が高いかをいろんな資料を用いて、クライアントに営業することだった。受注額の大きな会社、例えば三井、三菱、長谷工、大京らは相手もプロなわけで、この手法が通用した。しかし僕の担当していた会社はそこまでの大きなデベロッパーではなく、ともかくチラシで人を呼ぶ、もしくは代理店に広告戦略を任せきりという会社が多数だった。
そこで見出したひとつが「チラシとの共存」である。チラシを敵視しなく、クライアントの立場にたって、たとえJJの出稿量が減っても、効率よい広告計画をクライアントと一緒に構築する方法である。このために土日にはモデルルームに通い、その日のうちに来訪者アンケートを分析し、月曜日にはクライアントに届けた。
その経験をするうちに、計画ができあがったマンションに対しての広告戦略だけでなく、建築確認取得直後の図面をいただき、どのようなターゲットにどのような広告をすればよいかという提案を行うようになった。ここまで来ると、クライアントの信頼はそれなりに大きくなった。そして上記をまとめた論文シーガルコンテスト(ガルコン)で入選し、ゼロワンになり、超多忙ではあるが仕事が楽しくなってきた時代だった。
その時代である、たしか2回程度で終わってしまった社内コンテストがあった。それがロールプレイコンテスト。要は今で言うクライアントへの営業の社内練習を競技としたようなものである。
当時カラオケでお笑い系スターだった僕は人前に出ることに、何ら躊躇を感じない性格であったためか、課代表として出場した。それがいくつかの予選を突破し、ついに全国JJの決勝戦までたどりついてしまった。相手はビッグクライアント三井不動産を担当する先輩の営業マン。この対決がG8で開催された。
先輩営業マンのロープレ(営業)は、新聞広告を多数出稿する(できる)大手クライアントに対して、JJの効果を的確に説明し全体広告出稿額のJJ割合を高める、いわば王道の営業。対して、僕は対象クライアントが電鉄系子会社の中小デベロッパーで、当然広告額も少ない。そのため、媒体営業ではなく、いかにして対象物件の魅力をマンション検討顧客に理解してもらうか、そのためにどんなビジュアルを使い、どんなコンセプトで広告を出すかという手法の営業である。
ロープレ大会が終了した時、僕はかなりの手ごたえがあった。しかし、結果は準優勝、要は負けたのだった。その敗因は審査委員長が先輩営業マンの直属上司であったから、と今でも思っている。悔しくて、その晩は夜明かしして飲んだ。最後まで付き合ってくれた当時JRSの上司の方のやさしさがありがたかった。
が、このロープレ大会で僕は今でいうプレゼン手法を実体験で学んだ。自分の商品を売るのでなく、クライアントの悩みを広告のプロとしていかに解決するかを徹底的に考えること、そしてその思いを短い時間で効果的に表現すること、である。この体験はその後の人生においてもとても役に立っている。
  
Posted by tokiokas at 16:38Comments(0)のすたるじー