2019年02月07日

市民権と永住権

最近の問い合わせでよくあるのが市民権と永住権の違いである。

 

「果たしてニュージーランドの市民権取得に永住権以上のメリットがあるのか?」

 

これは守るものが何かによって答えが違うと思う。例えば僕の場合で言えば家族を守らねばならない。子どもたちの生活ベースはニュージーランドでありNZ国籍を所持しているからだ。

 

この状態でもし僕が国外退去を食らったら子供と一緒に生活が出来ないし生活基盤を変える必要がある。だから市民権が必要だ。市民権を取り日本の国籍を離脱すれば強制退去は使えない。

 

最近は豪州に長く住む中国人ビジネスマンが豪州の永住権を剥奪され海外出張している間に国外退去が決定、知り合いの政治家に依頼するも外交の問題なのでどうしようもないとか起こっている。

 

こうなると普通の日本人は「だって僕、悪いことやってないもん,だから大丈夫だもんね」となるが、国家間の外交においては何が事実かではなく国家が何をやりたいかが問題である。

 

そして永住権は当該国政府が何時でも剥奪出来る。剥奪された後の本人は自分の国籍国に戻るしかないしNZには最低でも2年は再入国出来ない。おそらくもっとだろう。自分がNZで築いた基盤はゼロになる。

 

だから自分の生活の基盤が日本でも構築出来て子供が日本に馴染むことが出来て居住地の健康保険や市民税を払い所得税を払う余裕があり相続の際に現金納付が出来れば日本という選択肢もあるだろう。

 

何だか永住権と市民権の比較って言うと、日本の市民権の良さとNZの市民権の良さを比較して「日本のほうが世界で通用するから、日本の市民権のほうが〜」という人もいるが、市民権を持つことは当該国の義務も果たすことだ。

 

その義務の重さやこれから30年間の二カ国の教育、社会保障、経済成長、暮らしやすさ、そういう動向を理解した上で言ってるのかって話である。

 

学校の試験じゃあるまいし物事を一面から観ても正しい答えは出ない。



tom_eastwind at 21:18|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2019年02月06日

目を閉じて行けよ

戦前の日本から米国に移民した人々の話は石川達三の「蒼氓」から始まり「442部隊物語」、戦後のハワイで米国と日本のために尽くしたダニエル・イノウエ、たくさんある。

 

彼らは片道切符でやって来て日本語の通じない米国で飯も食えないほど貧困の中、子どもたちに教育を与え、子供の世代で何とか米国で大学に入れて自分たちで生活出来るようにさせた。

 

つまり両親からすれば自分たち移民一世の貧乏生活などよりもこれから米国で成長していく子どもたちのために朝から晩まで働いていたのだ。

 

当時の移民一世には今の移住者と違い「家族のために移民した」という認識があるから「自分が思ってたのと違う」なんて認識不足があるなら周囲を変えてしまえと考える。だからそこには「逃げる」という選択肢はない。

 

なのにここ数年の日本からやって来た移民は結局「自分が思ってたのと違う」から日本に戻ると言うが、ならば移住していた期間に子供はNZで友達が出来たのにそれは良いのか。自分の計算が甘かっただけの話だろう。

 

思ってたのと違うのは両親の話であって、親の勝手な都合でやって来て自分がNZに合わないから日本に帰るって日本で「帰国報告」したりするけど、それってあまりに身勝手ではないか??

 

要するに日本を出る時は「家族のために!」と立派な事言って出てきたが、結局考えているのは自分の事だけだ。そんなところの子供はどんな気持ちなのか?

 

親が本当に子供の生活を考えて移住するなら自分の生活なんて無視するのが普通だろ、なのに何故自分のプライドだけ考えて自分の生活のことだけ考えて、これから子どもたちにとっては大変になる日本に戻るのか?

 

日本が抱えている問題は山積みである。少子高齢化、健康保険の切り下げ、年金がなくなる、サービス残業に低賃金。そんな場所に子供を放り込んで子供が苦しい生活をすればどうするのか?同時期にNZに移住して親が歯を食いしばって子供のために働き子供がNZで生活をしているのを自分の子供が観たらどう思うか?

 

この問題は昔から機会がある度に書いているが、移住とは父親が子供や家族のために行うことだ。そこに父親の人権や生活権なんてない。寝るな、死ぬまで働け、頭が擦り潰れそうになるまで考えろ。

 

日本に帰る前にやれることはいくらでもある。



tom_eastwind at 20:18|PermalinkComments(0)

2019年02月05日

居酒屋

しかしまあこの業態の店がここ数年で増えたな。ざっと計算しても2倍ではないか。そして特徴は日本人オーナーが直接経営している店が目立つことだ。

 

日本で料理の勉強をしてオークランドで修行してから独立するとかである。

 

僕が居酒屋形態のお店をやってた時は地元の人に居酒屋の概念がうまく伝わらず現場では苦労したものだが現在はすっかり定着して、安くて美味しいメニューの豊富な店と理解されている。

 

刺し身はまだまだ苦手なキーウィもいるが鳥の唐揚や枝豆、牛肉料理はすっかり馴染みになっている。

 

なので居酒屋業界はきちんとした味、雰囲気、サービスさえあれば賑やかな業界である。

 

住宅業界も同様で2年前の爆買いが終わっただけで市場はあいも変わらず手頃な値段の不動産を探している。

 

もともと僕は2年前から「こりゃバブルだ、そのうち沈静化する。けど大きく壊れることはない、2割引きの価格調整だ」と推測して公言してきてたので不思議ではない。

 

居酒屋も含むレストラン業界も同様で、一部のレストランの大成功を見た外国のレストランが殴り込みを掛けてきたが、彼ら外国人はNZのし上の小ささを分かっていないために新規出店が相当控えめになった。

 

ここ2年で出来る高層オフィスビルディングは一階にカフェがあるし古いビルも改装で対応している。つまりオオバコで稼ぐ時代が一巡してこれからは質の時代に変化を始めている、その間をカフェが成長しているのが現状である。

 

そのように時代は大きく変化するしビジネスの内容も細かく変化する。ただこれは自分で手がけてないと分からないのかもしれない。



tom_eastwind at 19:33|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2019年02月04日

風見鶏移民局またはヒラメ。

昨日の夕方のニュースである移民家族が移民局に永住権申請を拒否されて今年7月までには退去することという命令が出た。

 

https://nzdaisuki.com/news/general/3447-2019-02-01-2

 

詳細は上記記事にあるが、問題はこの決定は理屈も何もない単なる移民局担当者の判断でありやってる本人だって分かっているはずだってことだ。

 

この家族がNZに移住して来た時はLTBV,起業家ビザを申請した。当時のポリシーは雇用と売上が大事だった。そしてこの家族は一生懸命働いて雇用も売上げも伸ばした。

 

なのに何が問題だったのか?それは同じ規定の隅っこに書かれてあり当時は見向きもされなかった「NZ国家への貢献」である。しかし起業家ビザ枠が作られた当時はNZの赤字企業を黒字にするとか雇用創出、そして売上を伸ばして消費税やPAYEを払えば良かった。だから申請する人は自分で考えていけると思って起業家ビザを申請した。

 

つまり家族は自分たちが起業家ビザを取得した時に移民局と約束した内容を守れば良いと考えていたが、移民局は後出しジャンケンのようにルールを変えてきて今回彼らの申請をはたき落としたってことだ。

 

法の不遡及という原則がある。未来に作った規則を過去に遡って適用してはいけないという事だ。

 

けれど日本人の多くが勘違いしているがNZの移民局は世界からの移民希望者に対して平等に扱う場所ではない、あくまでも移民局がビザの発行を通じて経済発展をすると言う為に活動している「販売促進局」であることだ。

 

そしてその経済発展の方法は政権や民衆の声で大きく動く。決して正義や平等からではない。だからNZに移住したい中国人に合わせて制度を作った。

 

なので国民党時代に起業家ビザを作った時は中国人が相当数利用した。ところがこの枠で入って来た中国人が良からぬことをした。そこで起業家ビザで入国して来た人々には永住権の発行を実質的に止めた。

 

本来なら彼ら外国人の為に門戸を開いたわけで、ならばもう少し個別の事情を配慮すればよいものを、全員を「落とすための審査」に切り替えた。

 

あまりに単純すぎないか?とは思うのだが移民局自体が下っ端の部局でありお上が決めた事にはさからえない。落とす比率は98%、これでは何のためにこのビザを作ったのだと思うが、これが世の中の現実だ。移民局はNZの経済発展部門なのだから。

 

それにしても家族、あと一年早く来てれば永住権は取得出来た。何時も言うことだが、ビザはとにかく後ろから追っかけてくる。だからこそ「ビザは取れる時に取れ」という話になるのである。



tom_eastwind at 17:23|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2019年02月03日

いつが幸せだい?

それは今。年を取れば取るほど人生は楽しい。今の医学なら肉体は100歳まで生きても毎日新しい知識が身に付くからその知識で人生を楽しめる。

 

但し、毎日世間に文句を言って何も学ばずにいればそんな退屈な人生はない。退屈とは自分が学ばないことの言い訳であり何も生まないのである。

 

そして自分のためだけに生きている人は何かが常に不足しているが御本人は何が不足しているか具体的に分からない、ただ何時も脳内に何か不安があるだけだ。

 

僕が人と会って話をするのが仕事のため、長生きしつつ人生を楽しむ人を尊敬しながら観てきたし、まだ若いのに何の努力もせずにだらしない生活をしている、というか流された人生を生きている人も観てきた。

 

“おもしろきこともなき世を面白く、すみなしものは 心なりけり”

 

そうやって考えてみると人が生きるのは自分の心次第、ならば周囲がどうであろうと自分の考えで生きて「今が一番幸せだ」と言えるのが一番幸せだ。

 



tom_eastwind at 21:20|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2019年02月02日

2019 ランドバンキングの次

201812月末の第三四半期報告書が上がってきた。当シンジケートで全体で約113軒の自宅建設計画で、これを4期に分けて建設しているのだが、すでに第一期の建設終了分は完売、第二期もまだ建設に入ってない分も含めてほぼ売り切れ、第三期もまだ地面しかないのに半分くらい売れてる。

 

やはりこの理由は低価格住宅であること、仕事が正確に進んでいることだろう。日本だとこんな無駄なことに時間かけやがってとなるがNZではかなりよく出来たシンジケートである。今回の総事業費は約90億円であり価格競争がないので3年前に見込んでいた利益率よりも高いものが取れそうだ。

 

NZ政府からはすでに次の開発計画の話が来ており(最終的に6千軒の住宅建設予定)順調に進んでいる。

 

なんかこう書くと良いことばかりに見えるが実際にはここ5年本当に苦労の連続であった。まずは開発許可を政府から取り付けるところから入り建設会社を上手くまとめて何もないところから組み立てていき、その間にも相手を信用しつつ何が試金石なのかを真剣に考えぬいて。

 

白人チームの仲間の中で僕が唯一ネイティブでないアジア人であり専門知識もない中で書類を自宅に持ち帰り夜中まで読んでいた。あるときなどふと気づくと宅地開発地図の上下を逆にして読んでた事もあったが翌日は知らんふりしてまた会議に出席してたものだ。

 

他にもオークランドでは何時も誰もがやってないビジネスを切り拓いてきた。

 

楽しかったなんて到底言えないけど、それでも何でもかんでも公開してやってきたからとりあえず後悔はない。

 

さあ、次は何をやるか、である。2019年、これからまた11ヶ月が続く。

 



tom_eastwind at 17:18|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2019年02月01日

社会主義の時代

去年後半から急に仕事が増えた。それも、どれも重い仕事であり緊急突発的に発生するし、一回の対応で終わらないのでどうしても神経を使う。そのためにブログを書くような気持ちになれずに1月末まで過ごした。

 

今まで書いてきたブログはどちらかと言えば自分が俯瞰しての意見だったがここから先は俯瞰ではなく直視をしていく時代になったような気がする。

 

社会主義の時代が来たのではないか?つまり政府が民主主義と憲法を無視して自分たちが国家の代表として国民を従わせる、無知蒙昧は政府の言うことを聴いておけばよいのだ、おれに逆らうな。

 

それも世界の大きな国がどこも続けて力強いリーダーをG20などに送り込み本当に高い意味での会議と合意が成されて、それまで民間の案件に直接手を出すのは控えめだったのが、積極的に直接行動に出始めた気がする。

 

さあ世界大戦の前のきな臭さがしてきたぞ。

 

 



tom_eastwind at 17:16|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2019年01月01日

テロの時代

西洋の話ではない、日本の話である。101日の原宿でまた無差別テロが起こった。

 

これは数年前から指摘していることだが日本のテロは秋葉原事件あたりから若者の日本社会に対する絶対的不満から発生している。

 

戦後の日本は長い間人々がほぼ平等に生活して来た。今の若者もそういう話をを聴いて育ってきた。

 

しかし実際に自分の先輩や自分自身が社会に出てみるとそこではほんの一部の若者と多くの老人が社会生活を享受しているだけでそれ以外の多くの若者は正社員になれず安定した仕事につけず、結局差別社会の底辺に押し込まれたことに気づく。

 

昔であれば若者が社会に出れば最初は給料が安くても一生懸命働いていればそのうち昇給して結婚も出来て自宅を買い部下も出来て60歳になれば退職金を貰って悠々自適な生活が出来るはずで、それが社会契約だと無言の契約が出来ていた。

 

それがいつの間にか社会から一方的に契約破棄されて、人生100年の時代だと言うのに今が20代でこれから70年も誰か成功者の為に自分がまるで彼らの目に入らない幽霊のように尽くしていかなければいけない。

 

一体こんな人生って何だ?社会に出た時点から死ぬまでの道が見えてて、それが真っ暗と言うなら何で日本の法律を真面目に守って生きていく意味がある?

 

それよりは今ここで人をぶっ殺して、あとは屋根付き3食付きの刑務所で過ごすほうが余程気楽で良い、そう考える人間が激増してもなんの不思議もない。

 

そう、日本が二極化すれば平等は消え去り一部の成功者と多くの「そうでない人々」との食べ物や命の奪い合いになるのは何時の時代も同様なのだ。

 

戦後の日本は成長期においても人々の平等を重視してきたから犯罪が少なかった。何も日本人の特性ではなかったのだ。

 

これからの日本で起こるのは急激な治安環境の悪化である。

 

街を歩いていても何時テロの対象となるか分からない。自宅でじっとテレビを見ていても何時誰に狙われて夜中に忍び込まれるか分からない。

 

今までは「まさか私が?」と思っていた事が、そうまさに現実になるのだ。

 

今回の竹下通り事件は単発ではない。まさに始まりなのだと考えた方が良い。なぜならこれは今の日本の差別社会に対するテロリストの抵抗でありこれからも日本が二極化する限り止まることはないからである。



tom_eastwind at 12:08|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年12月06日

火のないところに煙は立たぬ

昔はよく使った言い回しであるが現時点でこの言い回しを使っている人は余程情報不足かマッチポンプである。

 

今の時代は予め攻撃対象を絞り込んで、まずは煙を立てる。そして他人のようなツラをして「え〜、そうなんだ、怖い〜」とか言いながら「けど、あんたにも悪いところがあるんじゃないの?火のないところに煙は立たぬって言うからね」とやる。

 

インターネットが発達した現在では、自分で煙を立てておいて別人の顔で火を点けることが出来るし、実際に多くの場面でそのようなことが起こっている。

 

だからネットを日頃使わない人はこういう「騙し」には十分気をつけた方が良い。

 

火のないところに煙を立てる理由。それは、それで誰が儲かるかを考えれば良い。ライバルを排除したい人物。強い劣等感で誰かに恨みを持っている人物などだ。

 

これは本来書き込みの文体を読めば分かるのだが、インターネット上で読んでいると本を読むのと違い双方向通信に慣れてないから分かりにくい。

 

また書き込まれた内容に関する専門知識がないとこれも判断基準と試金石がないから分かりにくい。

 

だから自分が分からないと思ったら煙の文章も火の文章も無視することだ。例えば皆さんが興味のない本を読まないように無視するのが一番である。所詮は便所の書き込み、コンビニのエロ本と思えば良い。

 

古い諺のみを盲信して今の時代の変化についていけなければあなた自身がトラブルに巻き込まれるだけだ。



tom_eastwind at 18:50|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年12月05日

出戻り社員

昭和の日本の大手企業では卒業後一旦会社に就職すると永久就職であり定年まで転職は例外である。会社を辞めて転職するというのはそこに残る社員からすれば「裏切り」であった。

 

転職がある程度社会に受け入れられるようになったのはバブル崩壊後に成果主義などが導入されてからだ。

 

それまでの日本社会では会社主催の運動会というのがあった。社員とその家族を呼んで秋の天気の良い時期に小学校の校庭などを借り切って大きなテントを張り一日中賑やかにやる。これは会社経費。

 

目的は永久就職をした社員同士に仲間意識をもたせ更にその家族が自分の旦那の働いている会社を知ってもらうためであった。

 

もちろんこれはある程度の規模の会社でないと開催出来ないが、中小企業でも花見や飲み会などで社員と会社、そして家族との繋がりを強める事で労働力の強化を図った。

 

これ以外にも会社主催の慰安旅行があった。土曜日の午後から社員が大型バスに乗り温泉地に行き、そこでは社員が一緒に大浴場に入りその後の宴会は無礼講、いわゆるどんちゃん騒ぎ。翌日の日曜日に観光したりゴルフに行ったりして昼頃食事をしてバスで会社に戻るのだけど、こういうのも基本的に会社経費だ。

 

こういう習慣が急激に減ったのもバブル崩壊と働き方の変化で社員が途中退社することが普通になったからだ。運動会も慰安旅行も社員引き止めが一つの目的であり社会が変化する中ではその存在価値が薄れてしまった。

 

社員は慰安旅行に行くよりもその費用を現金で欲しいとか運動会に参加するなら残業手当は付くのかと言い出した。そして人々は会社を去った。

 

そして成果主義が日本に上手く導入出来ないまま、古き日本のやり方が見直されるようになった。少しづつだが運動会が企業に導入されるようになったのだ。

 

やはり日本人は村社会で生まれ育っており英米人のように一人で生きていくよりも仲間と一緒に長く働くほうがいい、そう考える人々が経験値をもとにして自分が働いていた会社に戻るようになった。

 

これは勿論帰巣本能だけではなく、昔の会社の方が今の自分のやりたい事を実現できる、そう考える成長本能もあるし好奇心もあるだろう。

 

ただ、1980年代の慰安旅行や運動会が時の流れで消え去ったように、2010年代から時の流れが変化して、また人々が昔働いていた会社に戻るようになった。

 

まさに出戻りであるが1980年代と違い、昔働いていた会社の社員は出戻りを受け入れるようになった。今ではもう「裏切り者」ではないのだ。時代とともに働き方の価値観は変化する。



tom_eastwind at 18:28|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年12月04日

今日は朝から春雷

1970年代はフォークソングやニューミュージックが盛んで、その中でもぼくは柔らかいメロディーと優しい高音に特徴がある「ふきのとう」を好きだった。

 

その中でよく思い出す歌が「春雷」である。

http://j-lyric.net/artist/a001d23/l00067a.html

 

高校生だった頃から社会に出た頃に聴いた歌は、その時代背景と一緒になってまるで古い映画を観ている感覚だからこの歌自体を今の20代が聴いてもピンと来ないだろう。

 

僕もこの歌はニュージーランドに来てあまり思い出す事もなかった。

 

ところが今朝のオークランドは春雷。ものすごい勢いで連続して落雷の音がしてそれに土砂降りの雨。ふきのとうは知らなくても春雷の勢いはオークランド住人の目を覚ますのには十分だっただろう。なにせ夕方のニュースでは落雷で燃えている大木のインスタがあったくらいだ。

 

ここ2ヶ月ほどとにかく毎日次々と無関連で起こることがその場で解決しない問題ばかりなので引きずるしかなく、ブログを書く心の余裕もなく約一ヶ月休載。てか、下手に書くと物事が整理されないまま頭の中にあるのがそのまま文字になりそうなので止めといた。

 

ただこの問題群はどれもNZ政府関連でこちらでは政府の動きは一定速度でしか進まないのでこちらがいくら次々と考えてもあまり意味がない。

 

そこでブログ再開。

 

今までも書き溜めてたのがあるので過去も含めて順々に埋めていくように考えている。それにしても今年は世界も日本も話のネタに尽きない。

 

トランプは勿論だが英国のEU離脱、マクロンとゴーン、日本国内でもまさに床屋談義から内閣改造、日中関係、日米関係、日露関係、どれも考えてみれば世界の三大大国に囲まれて外交も忙しい。

 

さあ年末に向けてどんな事件が起こるやらである。



tom_eastwind at 20:57|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年11月07日

無定年時代

いよいよ年金制度と定年に関する急激な変化が起ころうとしている。日経ビジネスの特集である。

 

年金世代は60歳開始と言ってたのが制度疲労で支給開始が65歳、それまでは会社で給料もらって生活の足しにしろって言ってたのが、いよいよ年金支給開始が70歳になり、それまでは会社の世話になってろ、心配するな君はまだ若いんだからと言いつつ引っ張る。

 

結局年金破綻と言うか元々毎年の税金として徴収してただけで、誰だよ積立年金なんて勘違いして、年取ったらもらえるなんて思っていたのは〜。

 

社会が大きく変化する。もう定年はない。とにかく大手企業で再雇用出来るならそこにしがみついてくれ、政府の代わりにその会社が給料払ってくれるよ。

 

つまり政府は都合の良い時は「年金!」と言って国民から税金取っておいて払う時になれば「あ、それ、会社に付け回しね、よろしく〜」である。

 

またそういう職場でなければ退職したら夜間警備員とかで死ぬまで働いてくれ。え?体調壊して働けなくなったら?仕方ないな〜、そんなの自己責任だから自分で病院に行って医療費払って下さいね。

 

何?医療費がない?それでは自宅で布団に入って死ぬまでじっとしてて下さい。最後の手紙は「おにぎり食べたい」で良いですよ。

 

これは単なる老齢世代だけの問題ではない。老齢世代が退職しない事で学校を卒業した若者たちの職場が確実に減少する。だって上が詰まってるんだもん、しかたないよね。

 

現在の80代は労働者時代の蓄えもあり年金と医療があるから何とかいけるだろう。70代は年金の切り詰めと医療費の自己負担がのしかかってくるから余程計算しておかないときつい。60代、本来ならこれから年金生活って考えてた世代は上に詰まってる団塊世代に大きく抑え込まれているから、まあ無定年世代になるだろう。つまり再雇用か再就職で死ぬまで元気でいてね、あ、ピンピンコロリは地方自治体でレクチャーしますよって、政府による国民への「自活しなさい宣言」である。

 

こんなもん話が違うと言っても政府からしたら「時代が変わったんだから」で終わりだ。

 

これで老人の生活は不安定になり若者の雇用が不安定になり給料は上がらないからデフレは続き、こんな社会で生きてくくらいなら微小なコンビニ犯罪で逮捕されて屋根付き3食付きの生活を送った方が余程マシとなる。

 

更に言えば将来に何の夢もない若者が行き当たりばったりに包丁を振り回して犯罪を生むだろう。そうなった時に「日本の治安は良いですよー」とは言えない時代がやってくる。

 

無定年時代。もう目の前に来ていて避けようがない社会構造問題として迫っている。



tom_eastwind at 19:48|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年11月06日

ピアノ

今日は単純な小噺なのでご興味のない方は無視して下さい。



***** 

裕福な家庭が並ぶ住宅街。 ある日の夕刻職場から帰ってきたご主人が奥さんにそれとなく話しかけた。

 

「ねえ、お隣のご家庭は最近あまり景気が良くないのかな?」

 

奥さんは怪訝そうに聴き返す。

「そんな事はないわよ、どうして?」

 

「いやさ、今観てたら娘さん二人で一台のピアノを弾いているんだよ」
***** 



tom_eastwind at 19:02|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年11月05日

ガイ・フォークス・デイ




今晩は一年に一回のガイ・フォークス・デイ。花火解禁の夜である。これ、打ち上げ花火とかを自宅の庭でやるんだけど、やってる本人達が酔ってたり花火の使い方知らなくって近隣の住宅に花火を打ち込んでしまい、毎年どこかで被害が出ている。

 

ガイ・フォークス・デイでは「火のないところに煙は立たぬ」であり昔はよく使った言い回しであるから煙が出ていたら注意する必要がある。

 

ただし現時点でインターネット上でこの言い回しを使っている人は余程情報不足である。

 

今のネット時代は予め攻撃対象を絞り込んで、まずは煙を立てる。そして他人のようなツラをして「え〜、そうなんだ、怖い〜」とか言いつつ煙にふーふーと息を吹き込んで遂には炎上にする。

 

こういうのはマッチポンプと呼ばれてよく諜報機関で使われる方法である。これをもって「火のないところに煙は立たぬ」と常識のようにやる、全く最初から狙い撃ちな作業である。

 

火のないところに煙は立つ。インターネットが発達した現代ではいとも簡単に実行出来るのだ。

 

だから情報弱者にならない為には、まず煙がどこら辺から上がって誰の利益になるのかしっかり見定めて「健全な疑問と常識」を持って対応することが必要だ。でないと他人に振り回されて何が正しい情報か分からなくなる。

  

tom_eastwind at 22:12|PermalinkComments(0)

2018年10月22日

豪首相、ひたすらにお詫びを繰り返す




今日のニュースでスコット・モリソン首相がひたすらにSorry,Sorry,と一つ一つの文節ごとに繰り返しお詫びをしていた。

http://blogos.com/article/333354/

 

これほどまでにお詫びを繰り返す白人はあまり観たことがない。ましてやそれが一国の首相なのだ。

 

ひたすらSorryを繰り返す態度に最初は「何だ?」と思ったが、自国の聖職者や教師による長年続く子供への性的虐待、それも明確な事実として今更どこにも逃げ場がない。

 

だったら徹底的に謝ってしまい自分も被害者側についてしまおうと言う戦略なのだろうが、このお詫びは心が籠もっていた。

 

それにしても欧州に端を発した聖職者による長期継続的な性的虐待はいよいよ世界中に広まっているが、頂点にいる法王はまだ先の見えない戦いを余儀なくされる。

 

ましてや自分の側近聖職者に性的虐待が見つかれば?

その時その宗派は、Sorry
では済まないよ。



tom_eastwind at 17:34|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年10月21日

ペンは剣よりも強し





ジャマルカショギ記者がイスタンブールのサウジ領事館内で殺されたのを早期に認めたのはサウジアラビアの判断と言うよりも米国からの強力な忠告があったからだろう。

 

そうでなければ独裁国家であるサウジが「ごめんちゃい」を言うわけがない。

 

しかしまあ馬鹿な話である。記者一人を殺して自分がやばい立場に置かれるよりも相手とよく議論をして相手の主張も認めた上で「しかし私はこちらの道を行く」と言えば良いだけのことだ。

 

最初から計画的犯行だったのは分かっている。殺害後に被害者と同様の服を着せて如何にも無事に出ていったように見せかけ、あくまで知らぬ存ぜぬが通用すると思ったのだろう。

 

さて次の段階はMBS皇太子が殺害指示を出したどうかだが、これは違う視点から観れば分かる。今回送り込まれた連中は殺人のプロで10名以上実行部隊がいる。

 

彼ら実行部隊からすれば皇太子が「生きたまま連れ返せ」と言えば勿論そうするだろうし「殺せ」と言われればまぶたをぴくっとも動かさずに殺す。そんな連中が「指示」を聴き間違うことはない。

 

ただ現時点でMBS皇太子を「落とす」わけにはいかないので、誰かサウジ高官が贖罪羊になるのだろう。

 

今回の件はまさに「ペンは剣よりも強し」を如実に表わしている。そして現代社会の発達したネット監視網が見事に稼働していることも。

 



tom_eastwind at 17:31|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年10月20日

溺死19,000人




日本人は風呂好きであり熱いお湯に入っては毎年19,000人の溺死が発生しているとの事。

http://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_safety/release/pdf/160120kouhyou_2.pdf

 

これが事実であれば去年の交通事故者数3,694件の5倍である。交通事故で死ぬより風呂で死ぬというのが日本人にとっては幸せと言うべきか。

 

数年前もこれに類する記事を読んでその時は「はあそうか」くらいの感覚であったが今もその状況が変わっていないのにはびっくりした。

 

消費者庁としても溺死しない入浴の手順を書いているが、これがどこまで人々の自宅に届いているのか?第一死亡率が高くなるのは65歳以上、彼らはインターネットを観ることはない。何か出来レースか?

 

野党もやるならこういう政府の対策を国会で聴くべきである。そして風呂で死ぬ老人の数がここ数年変化がないというのがどういう事なのかを政府によって説明してもらえば良い。まさか幸せな老人減らしが目的とは口が裂けても言わないだろうが。



tom_eastwind at 17:14|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年10月19日

ハリーとメーガン




出自は米国と悪いが本人は立派である。女王に対してもきちんとした姿勢で対応しており、今の時点ではよくやっていると言えるだろう。

 

丁度今日のテレビ特集でメーガンを取り上げていたがテレビでは全体的には「行けるんか、先は長いぞ」ってのと「大丈夫、お前は次男の嫁なんだからリラックスしていろ、いけるさ」って感じだ。

 

自分の旦那が王室のトップになることなど順番から言って当分先である。まずは高齢の女王が逝去されたら次に来るのは浮気男で、こいつが年齢的に20年はやるだろう。

 

でもってこの浮気男が死ねば次はハリーのお兄さんだから次男に王室の席が来ることは当分ないだろう。

 

その意味でカリフォルニアから来た小麦粉色の健康的な娘は、今は米国弁で英国王室の人々に丁寧に愛想を振りまけばよい。

 

そしてハリーも大衆にその姿を見せることで大衆が「おい、一体どっちが兄貴だったけ?」と思わせる力がある。二人合わせて新しい英国の未来を作ってもらいたいものだ。



tom_eastwind at 17:51|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年10月18日

沢田研二の意地






歌手の沢田研二が埼玉アリーナ公演をドタキャンした。当初は9000人と聴いていた入場者数が実際は7000名だったからとのこと。

 

「この結論を下したのは意地でしかない」との事。

 

沢田研二の最盛期を知っているだけに寂しい話である。ドタキャンしたら折角集まってくれた7000人はどうするのだ?黙って帰れってか?

 

世の中には随分たくさんの自称「歌手」がいるわけで、そんな中でも実際にライブハウスを埋める事が出来る実力派は少ない。

 

ましてや沢田研二のように70歳になって7000人集められる実力は凄まじい限りである。それでよし、歌手として十分な栄誉である。

そう思えないのだろうか?

あまりにファンを侮辱した話ではないか?

 

たしかに往時のジュリーは凄かった。その当時からのファンが今も聴きに来るのであるから歌い手としてはそれで十分ではなかろうか?



tom_eastwind at 14:04|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年10月17日

信濃の蕎麦




“”信州信濃の蕎麦よりも、、私しゃあなたのそばがいい“

 

ずいぶんと艶っぽい唄であるが、現在の30代以下でこの唄を知っている人は少ないだろう。

 

こういう唄は昭和後期までは落語の演芸場などあちこちの賑やかな場所で聴くことが出来たが最近はその存在さえ知らない人が多い情歌である。

 

“信濃の蕎麦が旨いと言っても、それより私はあなたのそばがいい”

こういう、何かそこにあるものを絡ませて恋を唄にするのは色気のある話だ。

 

何だかお座敷に上がって日本酒を呑み三味線を弾いてるうちに即興で作り上がる唄である。だから作者不明な唄が多いが誰か粋筋の作った唄だろうのはその仕上がりの上品さにある。

 

“恋に焦がれて鳴くセミよりも鳴かぬホタルが身を焦がす”

 

現代人は携帯電話やパソコンで忙しい毎日を送っているわけだが、たまにはこういう情歌を忙しい時間の合間の5分で良いから携帯電話やパソコンからアクセスして往時の人々の気持ちに触れるのをお勧めする。



tom_eastwind at 14:02|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年10月16日

いよいよ動くぞ。




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月曜日の日経一面に「国税庁、海外の隠し資産調査 40万件の口座情報を入手」とあります。これは世界102か国/地域の税務当局が自国の金融機関の非居住者口座を開示させ、それを国家間で情報交換するものです。今回、この情報交換を通じて50か国の日本人非居住者口座40万件を入手したとあります。ちなみにこの情報交換システム、CRSCommon Reporting Standard=共通報告基準)にアメリカは加入していませんが、代わりにFATCAというシステムがあります。

http://blogos.com/article/331972/
***

 

CRSがいよいよ本格的に動き始めた。これは数年前から指摘されていた案件で、やっと日本も土俵に乗った感がある。ニュージーランドも去年から突然様々な規則をかけるようになり、日本人でNZ非居住者の場合はマイナンバーの提出が義務付けられた。

 

これは各銀行の事務処理体力の問題もあり順次問い合わせがあり、また銀行口座の資金移動をする際に「マイナンバーがないと受け付けられません」つまり口座凍結となるのだ。

 

一度こういう仕組みが構築されれば強化されこそすれ緩和されることはない。これからあらゆるものをマイナンバーに紐づけていくことになる。



tom_eastwind at 12:44|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年10月15日

沈みゆく関西空港



これは台風被害を受けたという意味ではなく本当に関空が1994年開港当初から地盤沈下している事実だ。

 

関西空港第1ターミナルのある一期島が開港から現在までに3.43メートル沈んでいる。だから開港当初から地下のオフィスでは「ドアが開かない」とか「傾いている。ゴルフボールを床に落とすと動く」と言われてた。これは業界の内輪話として有名である。

 

これは関空も政府も好ましい情報ではないので国民には出来るだけ最低限の情報を与えて最後には「大丈夫です、お上がやっている仕事ですから」となる。

 

B滑走路がある二期島がすでに4.14メートル沈下。オフィスビルのまるまる一階分が海に沈んだ計算になる。

 

昨年1年間では一期島が6センチ、二期島は30センチも沈んだ。

 

もちろん関空もこれに対応して油圧ジャッキアップや護岸の嵩上げをやっている。一期島5メートル、二期島3メートル。ところが元々地盤の弱い海の上に、つまり砂の上の空港だったわけで、そりゃ毎年沈むわ。

 

地盤沈下の件は当初から認識されていたが無視されていた。「まあゆっくり沈んでくれたまえ、問題がある頃僕は担当じゃないから」と誰かが言いそうだ。

 

そして今回の台風で高潮は5メートルの護岸を軽く乗り越えたと言うが、要するに5メートルの護岸を作っても3.43メートル沈めば残りは1.57メートル。そんなもん、高波が一発来ればOUTである。今回の高潮は潮位が3.29メートル。そりゃ沈むわな。

 

関西空港はLCCなどが利用することで利用率を伸ばして来たが、肝心の空港が海の中になると今後どうするのか?護岸工事をしては沈み、また護岸工事を行うのか。そのうち周りを海に囲まれた空っぽの金魚鉢になってそこに急降下で旅客機を着陸させるのか?

 

何でここに空港を作ったのかなどと野暮な事は言うまい、それは大阪と言う街の政治家、東京の官僚、地元利権団体などの人間関係だからだ。彼らからしたら建設費用など関係ない、今いくら自分のポケットにカネが入るかだけである。

 

だから彼らは地盤沈下しようがそのまま沈もうがどうでも良いことである。自分の利権さえ守れれば良いのだから。



tom_eastwind at 18:59|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年10月14日

公設カジノ



日本政府が新しくマカオやシンガポールのようなIRカジノを作るっていう構想は良いのだが反対派は「カジノ中毒になる!もっと慎重に!」と言う。しかしすでにパチンコ業界では多くの赤ちゃんが真夏日にパチンコ狂いになった若い母親に放置されて熱中症で殺されている。博打が生むデータは十分にある。

 

第一政府は「民間では制御できない」として公営設営した競馬、競輪、競艇を何十年もやって「中毒データ」は十分に取れている。むしろ個人的には麻雀を合法化しろって感じ。

 

最近は公営の競馬競輪競艇の客の入りが良くない。だから政府としては次の収入源を探して、そこで表面的には統合型リゾート施設と上品そうに言いながら実質的にはカジノ収入をパクりたい。勿論ホテルやレストランからも納税してもらいます。

 

統合型リゾートにすればパチンコ狂いや競馬通いが減るわけではない。低層はそのままパチンコ屋とか競馬に残って納税してくれれば良い。

 

大事なのは新しく作る賭場が上品って事だ。だからここで外国人の新しい顧客を得る。

 

戦略としては立派だがなぜ進まないのだろう?おそらくこの背景には日本が経験したことのない大きな利権が動いているのだろう。

 

政治家、やくざ的政治家、遊戯連、裏社会、それぞれのトップが頭を絞りどうやったら自分の利権を確保出来るか、裏舞台でボコボコ調整の真っ最中であろう。



tom_eastwind at 22:06|PermalinkComments(0)

2018年10月13日

民間には出来ない働き方改革





日経ビジネスの生産性向上をテーマにした特集があり、いかに日本人ビジネスパーソンが外国人ビジネスパーソンより多く残業し年休も半分くらいしかとらず、プレミアムフライデーに至っては

「プレミアム 増える仕事の 持ち帰り」

「噂では 早く帰れる 金曜日」

などと川柳にされるくらいである。

 

今回の日経ビジネス特集では生産性向上をテーマにしているが、そこに描かれているのはあくまでも日本社会の上澄みでありその根本を流れる大きな源流が書かれていないのは日経の控えめであろうか。

 

戦前の日本から続く生産性向上とは子供を学校に入れて心太式に政府の価値観を植え付ける。失敗を恐れろ、上意下達、自分で考えるな、そうやってすくすくと育った若者は兵隊としては優秀であるが何か新しいことを作り出すことは出来ない。だから自分で「改革」が出来ない。

 

また上が立てた計画は実行不可能と分かっていても何とか実行する、大きな犠牲の上で。それは戦争時も同様であった。ガダルカナルもニューギニアも兵隊を人間として観ていない。大本営からすれば捨て駒であるから彼らのために兵站線を作るとか兵隊の命を守りつつ戦うという発想は全く無かった。

 

つまり日本の上層部に生産性向上という発想はなく、一人送り込んで駄目なら二人送り込め、どうせ使い捨てなんだから飯の面倒など不要、兵隊に言え「お前は敵の食糧を奪って食べろ」である。

 

だから現場で語られる働き方改革も上層部からしたらどうでもよい、適当に対応しとけってで生まれたのがプレミアムフライデーである。だから当たらなくて当然、張本人にやる気がないのだから。

 

つまり働き方改革と言っても上層部が動かなければ何も変わらない。現場でぶくぶくと泡がでては弾けて消えるようなものだ。

 

しかし世界先進国から観れば労働者がきつい思いをしている日本だが、やってる本人からすると周りが同じだから気にならない、困ったものである。

 

大本営発表:国民はひたすら国家に敷かれた道の上で働き食料や住居は自分で賄え、そして無能力になれば去れ、この社会から。



tom_eastwind at 15:03|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年10月12日

大家は辛いよ



今から20年くらい前まではニュージーランドはのんびりした国でキーウィが一生懸命働いたら家を買ってワーホリや留学生、若いキーウィカップルに貸してその家賃で生活費の一部として一年に一回旅行に行くなどして生活を楽しんでいた。

 

ところが5年ほど前からだろうか、テナントの質が下がりすぐに追い出しても部屋はボロボロ、トイレは水つまり、修理費を請求しても捕まらない、たまに捕まってもカネを払わないで大迷惑である。

 

昔のテナントはもう少しマシだったと思うんだけど、テレビを観てボロボロの部屋に「なんじゃこりゃ!」である。麻薬やってパーティやって酔っ払って壁を蹴ったりしているんだろうな。

 

追い打ちをかけるように労働党政権が近いうちにテナント法を変更して、今までは90日以内に強制退去可能だったのが大家が正当な理由を説明出来ない限り強制退去することが出来なくなる。

 

大家もすでに予防策として新しくテナントとして入居を希望する人は本人の身元確認や収入確認を行っている。日本だと当然だろうが今までのNZではあまり一般的ではなかった。

 

第一いくら身元確認が出来てもジョブホッピングが普通な社会では求職中は家賃が払えないわけで取り漏れが発生する。友達が来てパーティして誰かがタバコを吸えば壁にやにの匂いが染み込む。

 

匂いと言えば最近のフラットメイト募集で「インド系の方の訪問はお互いに時間のムダになるので連絡しないで下さい」とはっきり書いてた。これなどはカレーの匂いが部屋中に染み付くだけでなく両隣にも強烈な匂いが拡がり、それを気にすることなく住み着くインド系は大家として到底やっていけないって事だ。

 

つまり昔のようにオーナーが全ての権利を持ちテナントと仲良く生活をしていくという絵図はオークランドではすでに崩壊中なのだ。

 

現在でさえオーナーは家賃回収と物件維持で一生懸命なのに労働党が新しい法律を導入するとこれからは誰が入るか分からないから怖くて貸せない。

 

そこで現在は今まで賃貸していた物件を売ってしまいもっと利回りが良くて自分がバタバタしなくていいようにしたい、そういう方向に向かっている。

 

これから大家さんになろうとする人はその苦労をよく理解した方が良い、何せ既存大家が撤退する時代である。



tom_eastwind at 14:46|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年10月11日

佐々淳行氏死去



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初代内閣安全保障室長を務めた佐々淳行氏が20181010日に死去した。享年87歳。各メディアが報じた。

   1954年に警察庁(当時は国家地方警察本部)に入庁、72年のあさま山荘事件では指揮を執った。86年に初代内閣安全保障室長に就任、89年に昭和天皇の「大喪の礼」において警備を担当した。退官後は多くの著作を発表、2002年には「突入せよ! あさま山荘事件」として映画化され、本人役を役所広司さんが演じている。NPO法人総合危機マネジメント協会の会長・理事なども務めた。

***

 

 

そっか、佐々淳行氏が亡くなったか。彼の人生の教師である後藤田からすれば「おい、俺は90過ぎまで生きてて肺がん、お前は老衰って、体鍛えてないな」と笑われそうである。

 

実際この二人のコンビは日本警察の警備保障を根本から作り変えた。佐々淳行氏は警備の要を様々な観点から観ていたが、香港警察に研修に行った時に当時よく起こるデモの取締を観ているとふと気づいた事があった。

 

警察側はデモ隊よりも強い武器を持たない。基本的に彼らを解散させるための話し合いを行う。そして必要ならキーパーソンを逮捕する。

 

当時の日本ではデモ等の行動は反政府勢力であり徹底的に叩き潰せのような風潮があった。特高の名残りであろう。

 

しかしそんな事をしてもデモ隊との問題解決には繋がらない。

 

西洋式武装と思想を学び日本に戻り日本の警備とはどうあるべきかを構築していったその背景にはもちろん何時も後藤田長官がいた。

 

あさま山荘事件では警察に被害者を出しながらも大型住宅破壊車の大きなボールで山荘の横っ腹に穴を開けて救出部隊を送り込み人質を奪還した。これなど実に勇敢な判断である。

 

佐々淳行氏の本は5冊くらい持っているが、どれも地に足の着いた文体でありすべての本から学べるものがあり、逆に言えば警察の他の人間の伝統的常識である「ひらめ」からすればいちいちカチンと来る人物だったろう。

 

良い人物の死は寂しいものであるが誰にも寿命はある、冥福を祈る。



tom_eastwind at 13:26|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年10月10日

ビールに氷




日本ではまずやらないのがビールを飲む時ジョッキに氷を入れる習慣である。ビールはよく冷やしてストレートで飲むものと思っている多くの日本人からすれば海外でのビールの飲み方に違いが出るのは事実である。

 

例えば夜になっても30度前後の暑い香港で軒先屋台でビールとラーメンを注文すると氷入りビールが標準である。

 

もちろん同じ香港でもクーラーのガンガン効いた高級ホテルでは氷なしであるが、若い頃に軒先屋台で氷入りビールを飲んでいた人々は成功した今でも過去の味を好むようでウエイターに追加氷注文してたりする。

 

シンガポールでは屋台街に行き料理とビールを注文すると缶ビールと氷の入ったジョッキが渡されたものだ。

 

香港やシンガポールは飲み物を置いておくと一気にぬるくなる。そして暑い国で過ごす彼らからすればすっきりしたくて飲むビールがぬるくては全くすっきり出来ない。なのでビール本来の味どうこうよりも早飲みでいくからビールが冷えたまま本来の味を楽しめて軒先屋台で幸福になれるのだ。

 

インドでは30年ほど前に宮殿列車と呼ばれる豪華列車でもビールを注文するとぬるかった。ウエイターに「冷たいビールはないのか?」と聴くとちょっと待ってろという仕草と共に冷凍庫にビール入れてた。

 

これがニュージーランドに来ると全く違うビール文化がある。大手で作ったビールが一応全国標準であるが、地方に行くと地元で作ったビールのみを置いていたりする。しかし氷を入れる習慣はない。

 

基本的にNZは寒い国なのでビールそのものをゆっくりと楽しめる。

 

更に各地ではクラフトビールがあるが、オークランドシティのど真ん中にはベルギービールを飲ませる店がある。これが旨い。そしてムール貝の蒸し物をバケツ状のようなものに入れて出てくる料理は実にビールと合う。

 

そして欧州からの移住者が多かったNZでは欧州各地のビールがあり、大きく分ければビールもピルスナーとエールがあるが、とくにエール好きのドイツ系のバーでは言えば常温で出してくれて、エールそのものが持つ香りを楽しめる。

 

特に最近のオークランドではスポーツバーでもクラフトビールにこだわりを見せている。クラフトビールが発展し流通網が整備されて随分便利になった。

 

ビールに氷から常温ビールまで地域によって様々な飲み方があるわけでエールの常温飲みとか熱い風呂から上がってすぐに氷の入ったビールを一気飲みしたりとか、日頃のビール神話を少し見聞を広げてみるのはいかがだろうか。



tom_eastwind at 11:38|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年10月09日

旅行至上主義者





今日はちょっと新鮮なネタ。自分が旅行屋でありながらこういう角度で旅行を観るのは思いつかなかった。

 

例えば友達同士がカフェでお茶している時に

「今度の休暇はタイで珍しいお寺巡り、写真一杯撮って来るね」とか

「ねえ次の長期休暇は予定合わせてパリに行かない?」とか

旅行嫌いからするとうっざい話でしかない。

 

だから生返事していると

「あれ、疲れてるの?ちょっと旅行して気分転換すれば?」とか

とにかく旅行が嫌いなのに旅行至上主義者は自分たちのやっていることが

如何にもリア充であり正義であり旅行に行かない人間は心に傷があると考える。

 

そして旅行に行かない人に対して「だったら車とか電車で近場の温泉もゆっくり出来ていいよ」と言い、これが益々旅行嫌いの怒りに火を注ぐことになる。

 

だから旅行嫌いは旅行の要素(お金がかかる、移動、ガイド付き観光、お土産、決まった夕食、部屋も選べない)すべてが嫌いなのだから何を言っても仕方ない。

 

てか旅行至上主義者は自分の正義や生き方が全てで何の悪気もなく平気で話題にするが、もしそこに座ってる相手が旅行嫌いで喧嘩至上主義者で旅行の話をする人間を「おいこら、表に出ろ!喧嘩して勝負を付けようぜ」とでもなったらちょっとしたお笑い、至上主義者同士の喧嘩になる。

 

どっちも自分が正しいと信じているから本人が知らないままにxx至上主義者同士の戦いになってそれを相手に押し付けることになる。

 

例えば食事至上主義者がいてお店に連れていってくれるまでは良いのだが「ここは美味しいよ、まずはビールで乾杯しよう」となり前菜が出てくるが料理の下に生の刻んだ玉ねぎ、上にはたっぷり乗ったネギ。どうやらこの人、自分の「出てきた料理は何でも食べる」食事方法だけが正義であり、世の中にはネギや玉ねぎなど食材の好き嫌い、偏食、アレルギーがあるとは考えもしない。

 

とにかく自分のやりかたをどんどん押し付けるから参加した初心者は何も食えずビール飲んでメニュー見て枝豆注文することになる。宴会時の大皿の唐揚げにレモンが乗ってて必ず誰かが「皆さん、レモン行きましたー!」とやるのも、要するに自分の食べ方至上主義者であり他人のことなど全く考えない。

 

北大路魯山人は自分が呼んだ客(仲間)の好き嫌いを理解把握しており、彼らが好きそうな食材を入手するとすぐに客を呼び夕食会を開催する。いつも数名である。大人数では夕食の制御が出来ない。

 

魯山人は人を呼ぶ時は5名まで、ほんとは少ない方が良くて一番良いのは料理を作る人の前に客が一人だけ座って順々に料理を食べてもらうことだと言ってる。

 

至上主義者は要するに「自分だけ正しい」と思い込んで他の考えがあることを全く理解出来ない。

 

旅行に行く自分を「リア充!」と感動して写真をUPして帰国後友達に見せて自慢してみたり、美味しいレストランで自分の食べ方を相手に強制して「ほら、美味しいだろ、このメニュー、俺が組み立てたんだ」と言われても何故その前に呼んだ相手の食材の好き嫌いとかを聴くだけの配慮が出来ないのか?

 

世の中には至上主義者がたくさんいる。それも本人が無意識のうちにやっているから悪気もなくて、まるで話に乗らないこちらの方が「可哀想ね」とか悪者にされる。

 

もうちょっと他人に気配りしようよ。世の中何かと生き辛くなったものだ。



tom_eastwind at 22:26|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年10月08日

中国人のお酒遍歴




オークランドで中国人の横暴さや南島でレンタカー事故を起こして地元の子供を殺してしまうとか、何かとお騒がせな中国人。

 

そう言えば10年ほど前かな、「魚釣島(尖閣諸島)は中国の固有領土である」とニューマーケットの屋外広告が出されたりした。(後日撤去された、効果ないと思ったのか広告費用払うスポンサーがいなくなったのか不明)

 

ところが地元キーウィの抗議が中国人に向くとすかさず「私たちアジア人は〜」と言い出す。おいおい地元キーウィが抗議しているのは「中国人」に対してでありアジア人全体ではない。

 

なのに中国人は自分が守勢になると身の回りにあるもの何でも使う。それが「私達アジア人は〜」である。尖閣諸島では日本を抗議しフィリピンとも領土問題抱えているわけで「私達アジア人は一枚岩ではない。各国ごとに国民の行動原理も危機対応も違う。だから一緒にしないでくれ」と言いたい。

 

その中国であるが、今は赤ワインを飲む人口が激増している。もうちょっと良いお店に行けば赤ワインを薀蓄を垂れながら飲むのが美味しいようだ。

 

時代は変わったなと思う。

 

僕が香港で生活していた1990年代、赤ワインどころか白ワインさえ飲まれず周りの中国人からはきっぱりと「中国には美味しいお酒がたくさんあって自由に組み合わせて飲める。何故外国の酒をしゃちほこばって飲む必要があるのか?」

 

だから当時の香港にあるイタリアレストランはどこも苦戦してて、出店してはすぐに業態変換などやっていた。

 

僕はその頃から美味しいピザやパスタや肉料理を食わせてくれる「ちむとん」のレストランに通いワインに合わせて楽しんでいたものだ。何より中国人がいないから静かで良い。

 

ところがその中国が何時の間にかワイン消費大国になっている。外国でも中国人がワイナリーを買収してせっせと中国に能書き付けて送っている。

 

そう言えば昨晩のニュースで去年中国人が買収したNZ水製造販売会社が中国向けのラベルに「この水は地下200メートルから取水した純粋な水である」と書いているのだけど、事実は約35メートル程度の場所から取水しているだけだ。

 

ニュースでも「いやさ、NZの輸出を伸ばしてくれるのはいいけど嘘はやめようよ」と記者が聴くと責任者は「ラベルを貼っているのは事実だけどまだ輸出も販売もしていない」と開き直る。

 

じゃあラベルを貼り替えるのかと聴くと「それも視野に入れているがなにせまだ輸出してない段階でどうこう言うのは早すぎる、もう忙しいからさよなら」と半ギレ。

 

こうなるといくらワイン大国で作ったワインでも中国人がビジネスに参加していればこういう権謀術数は常に「あり」で、よほど注意して仕入れる必要がある。ただしそれは飲む方に知識がなかった場合だ。なにせワインは一旦腹に入ったら証明のしようがない。

 

輸入商はメーカーワインの瑕疵を徹底的に調べて少しでも値段を買い叩く。同時に中国で売る際は相手に応じた「適切な」説明をすることで輸入商の利益を最大化する。

 

中国のワインビジネスはこれからも安定して伸びていくだろう。

 

1990年代までは欧州人の飲む気取ったワインを馬鹿みたいに高い値段で買うなんてありえなかったが中国経済のここ10年の発展とともに中国人が上海にある天井の高い薄暗いイタリアンレストランで仲間とワインを飲みながら、ふと思い出すことがあった。

 

「あれ?これって俺たちの祖先が1900年代初頭に上海租界でやってなかったか?」

 

そう、先祖戻りである。



tom_eastwind at 10:28|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年10月07日

道徳自警団




先日の記事とちょっとかぶるが、ある漫画家が世田谷区のイベントに呼ばれた時の対応の杜撰さに「これ、おかしくね?」とネット発信したら漫画家に忖度する道徳自警団がうじゃうじゃと出てきて、それでも世田谷区担当者の上司がすかさずお詫びをして何とかその場は収まったようだ。

https://news.careerconnection.jp/?p=60510

 

しかし自警団は日頃自分がいろんな事で差別受けたりむしゃくしゃしているから積極忖度で「上司じゃねーよ、担当者誰だ?」とこの時点ですでに暴力的。

 

結局自警団は「叩いても文句言われない奴見つけると徹底的に叩く」のである。その背後にあるのは社会に対する怒りであり自分に対する不満である。けど自分の姿は決して表に出さない。あくまでネットの中だけである。

 

これはレストランへの「叩き」も同様である。相手は客商売、どこで誰が観ているか分からないから店側としては平身低頭するしかない。食べログの批判の多くは「叩いても相手が逆らわない」事を前提にしているから書きたいことが書ける。

 

冒頭の漫画家がネット世界で文句を言うのも今の時代らしいし世田谷区も上司にお詫びをさせて公式サイトでも「謝罪文」を掲載したとのこと。役所にしては随分手際良いなと思ってたら区長が保坂展人氏。

 

あ、なるほどなと思わせる展開でした。

 

それにしても道徳自警団はこれ以上やると日本では「名誉毀損」や「プライバシー侵害」というれっきとした犯罪になるよ。

 

だから「叩いても文句言われない奴」が日本の法律を背中にして本気で反撃してきたら、やられるのは自警団の方だから。だって警察はその気になれば誰がネットで発信しているか突き止めることが出来る時代だから。



tom_eastwind at 21:17|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌