中国農村へのフィールドワークによって中国農村の姿を明らかにしようとした本。非常に貴重な記録で抜群に面白いです。
中国の農村と都市の格差については、NHKスペシャルなどで熱心に農民工の問題をとり上げていたので知っている人も多いと思います。彼らが村に帰ると、そこは都市部に比べて圧倒的に貧しく、お金を稼げそうな仕事もないわけですが、そうした中で農民たちの不満は爆発しないのか? と思った人もいるのではないでしょうか。
また、中国の農村は日本の農村のような地縁による強固な共同体ではなく非常に流動性が高いといった説明がなされますが、「農村」という言葉を日本の農村でイメージする私たちにとって、なかなか流動性の高い農村というイメージはつかみにくいと思います。
こうしたさまざまな疑問に答えてくれるのが本書です。詳しくはこのあと書いていきますが、本書を読むことで中国の農村についての多くの疑問が氷解していきます。
そして、最初に「貴重な記録」と書きましたが、このような外国人によるフィールドワークは習近平政権になってからかなり難しくなり、現在はほぼ不可能になっています。そういった意味でも非常に貴重な記録です。
さらに、農村のあり方から、中国における代議制の難しさ、習近平政権の農村政策の狙いといったものも見えてきます。
中国を理解するうえでも必読と言える本ではないでしょうか。
目次は以下の通り。
序章 中国農村の軌跡第1章 市民との格差は問題か?―農民の思考様式第2章 農村はなぜ崩壊しないのか?―村落生活の仕組み第3章 なぜ村だけに競争選挙があるのか?―農村をめぐる政治第4章 中国農村調査はなぜ失敗するのか?―「官場」の論理第5章 農村は消滅するのか?―都市化政策と農村の変化終章 中国農村の未来
中国を日本やヨーロッパと比べると、その大きな違いは封建制が紀元前3世紀ごろまでには終わっている点です。
その後も唐代までは官僚が世襲的な貴族によって担われていましたが、それも科挙官僚の登用によって消えていき、早い時期に身分制まで解体されました。
それもあって中国の農村統治は比較的緩やかでした。
19世紀になると中国も近代化の波に飲み込まれます。20世紀になると農村は治安が悪化し、荒廃しますが、そうした中で農村を基盤に力をつけて政権を奪ったのが中国共産党です。
共産党は人民公社という形で農民をまとめ管理していきました。公社制度が再調整された1961年以降だと、公社が2000〜3000戸、大隊が200〜300戸、生産隊が20〜30戸という形になっています。
それまでの中国では飢饉が起こると農民たちは土地を棄てて移動しましたが、人民公社のしくみは農民を農村から逃さないものであり、これもあって大躍進政策では多くの餓死者が出ました。
中国政府は農民を農村から移動させずに、都市人口は全体の20%以内、農村人口が80%以上という割合を守り、農村の余剰を用いて重工業化と軍備のための資本蓄積を進めました。
1980年代初頭、人民公社が解体されていきます。このとき、土地を分配したのですが、その分配の仕方は平均主義的で、各家の人数に応じて分配しました。かつては各家が保有する土地の広さが違い、それが貧富の差に結びついていましたが、一連の流れの中で格差がリセットされたため、「どんぐりの背比べ」的な状況の中での再スタートとなりました。
中国の地方行政は次のようになっています(【 】の中はかつてのあり方)。
省―市(州)【地区】―県(市)ー郷・鎮【人民公社】ー村民委員会(行政村)【生産大隊】ー村民小組【生産隊】
県は日本の都道府県よりも下のレベルでだいたい人口50万くらい。中心には県城という小都市があり、都市と農村を含んだ単位になります。行政村は2016年時点で、平均規模は394戸、1483人、ほぼ「顔見知り社会」になります。
村民委員会は農村の住民組織であり、村の公益事業や揉め事の調停、社会治安の維持などを担う組織です。村民委員会は現在は5年に1度の選挙で選ばれています。また、この行政村には共産党支部委員会もあり、1つの行政村に数十人の共産党員がいます。
中国の村には独自の課税・徴税権がなく、また、地方交付税のようなものもないために、村の運営費はほぼ「自力更生」で賄われてきました。
2005年までは農業諸税と各種費用が農家から取り立てられていましたが、2005年に「税費」が全面的に廃止され、政府が農村から税を吸い上げて都市部へと回すことがなくなりました。農村が工業化や都市を抱える構造は21世紀になって大きく変わったのです。
では、中国の農村の特徴はどこにあるのでしょうか? その1つが「家族主義」だと言われます。
日本では「家」というものがあり、場合によっては奉公人までが「家」に含まれ、その「家」を守っていくことが重視されますが。中国で重視されるのは「家」ではなく「血の流れ」です。
ですから、日本では嫁いできた女性の姓が変わりますが、中国では変わりません。嫁は「血の流れ」の中にはいないからです。
しかも、中国では兄弟の間で財産が均等に分割されるために、「本家」と「分家」のような関係も生まれません。
「血の流れ」が重視されるために、共同祭祀や葬儀は重要で、演劇性を帯びたものになります。
血の流れを絶やさないことももちろん重要で、これと現世における家の発展を期待する家族主義が合わさってくるので子供への期待は大きくなります。
このような家族主義が発展した背景には、もともと流動性の高い社会であったことと、身分性が早くに解体し、科挙という個人の実力が問われる社会では、日本の「家」のような身分の入れ物が必要なかったことなどがあげられます。
1990年代の終わりごろから内陸の農村から沿海部の年に出稼ぎに出る農民工が増えましたが、これもこうした農村の背景から理解できるといいます。
50〜60代の人は各世帯に均等に分配された農地を経営しています。これがあればとりあえず飢える心配はありません。一方、その子どもたちは出稼ぎに行きます。農地は狭いので労働力はそれほど必要ないからです。
出稼ぎですから、旧正月や農繁期などには家に帰ってきます。高度成長期の日本の集団就職は基本的に移住でしたが、中国の農民工は人的な「還流」と言えるといいます。リーマンショック時も解雇された農民工はそのまま農村に帰ったため、大きな混乱は生じませんでした。
出稼ぎは農民にとっては生きていく術を増やすものであり、本書で紹介されている江西省の赫堂金という男性は基本的には農村の暮らしが好きで、出稼ぎに行くのは農閑期のみです。ただし、妻は年間を通じて福建に出稼ぎに出ています。
堂金の家の農地は2畝ほどで7か所に分散していますが、利用しているのは3か所だけであとは放置しているそうです。これは家庭内の人手が足りないからで、妻が帰ってくればすべての土地を領するのでしょうが、出稼ぎのほうが稼げるので放置されているのです。
このように、例えば子どもの学費が必要なら農地を放置して出稼ぎに行き、必要がないならむらに帰って農業をするような自在性があります。
出稼ぎによって農民たちは豊かな都市の暮らしも見てくるわけですが、農民の「公平さ」の感覚は都市と農村ではなく農村内部ではたらいており、都市に住む人々と自分たちを比べても意味がないという傾向があるといいます。
その代わりに農村内部では競争意識がはたらきます。著者が農村に行くと、2000年以降になるとコンクリートづくりの3階建て、さらに10年代になると4階建ての家を目にするようになったといいます。
しかも、3階部分や4階部分はコンクリート打ちっぱなしで内装はてつかずのまま放置されていることも多いのです。これは本来使う必要がないのに周囲との競争でより大きな家をつくろうとしたからです。
こうした見栄の張り合いは、村の中での付き合いが希薄化したところでよく見られるそうです。よその家の状況がわからないこそ、家で見栄を張り合うのです。
このような家族主義が強い中国の農村に凝集力はあるのでしょうか?
日本だと「村」には一定の領域があり、そこに強い凝集力がはたらくのですが、中国では特定の人物から関係が伸びるような形でまとまりがつくられています。
もともと中国、特に南方の村では、血縁者が移住して村を開き、その男系の子孫が徐々に人口を増やしながら拡大するといった形で村が形成されました。そのため、村の住民はだいたい血縁や姻戚関係にあり、その関係の濃淡によって普段の付き合いなども決まってきます。
こうしたことから家の敷居は低く、著者の農村調査でも泊まる家は決まっているものの、食事をする家は毎晩違ったりするといいます。子どももさまざまな家を移動しており、だからこそ「留守児童」の問題も深刻化せずにすんでいます。血縁関係が強いため、日本にあるような「村八分」もないといいます。
このような関係性重視の村を、人民公社の時代は地縁でまとめあげようとしました。ただし、一番末端の生産大隊のレベルでは、家族を一回り大きくした血縁集団と重なることも多く、だからこそそれなりに持ちこたえたとも考えられます。
ただし、北方に行くと社会主義的地縁共同体の要素が現在でも色濃く残っているといいます。
北京から車で1時間ほどの村では、いまだに「大隊」という言葉が残っており、拡声器を通じてさまざまな放送がなされています。村民の呼び出しが多く、また、投票の呼びかけなど、村幹部からのさまざまな呼びかけが拡声器を通じてなされるといいます。
華北の農村では家々が真ん中に集中する形態が多く、このような拡声器による呼びかけが効果的なのです。
現在の中国の農村を支えているのが基層幹部です。基層幹部はフォーマルな政治・行政組織の代表として政府・国家との関係をうまく処理し、村落コミュニティのさまざまな問題を解決し、同時に自らの家の発展を図る必要があります。
本書では、北京近くの農村の女性の基層幹部である孫記平の仕事ぶりが紹介されています。
2000年前後に婦人主任をつとめていた記平は、一人っ子政策推進のために二人目を妊娠してしまった女性に堕胎を説得したりする仕事をしていました。
この村は野菜の栽培で成功していましたが、販路の開拓などにはやはり幹部が村民を導くことが必要だったと記平は語っています。
農村の課題はさまざまですが、水や電気の確保、道路の整備などはこうした基層幹部がリーダーシップを取りながら行われていきます。
このような問題を解決するために、基層幹部に富者が選ばれることも多いです。富者は汚職をせずに自らの資金で問題を解決してくれると期待されているのです。
また、自分が裕福になれた人でないと村を裕福にはできないという考えもあります。自分の家を豊かにできない者が村を豊かにできるわけがないというわけです。また、問題がビジネスとして解決されるケースもあります。
ただし、基層幹部の負担は大きく、辞めたいが上のレベルから辞職を許されないようなケースもあるといいます。
第3章は「なぜ村だけに競争選挙があるのか?」。漠然と「とりあえず下から民主化を進めてみたけど、やはり共産党の一党支配を揺るがす危険性があるので村レベルで止まった」というような認識だったのですが、本書を読むともっと深い狙いも見えてきます。
民主化は村に大きな変化をもたらしました。当初はセレモニー的な色彩が強かった選挙も、00年代なかばになると大量の立候補者が現れ、今までの村の幹部が落選するような事も起こります。
本書で何回も登場する孫記平も2004年の選挙で落選してしまいました。この選挙のときから村幹部の給与が国家財政から支給されるようなこともあって、村幹部を目指す者が増えたのです。
孫記平の村では2007年には「ヤクザ者」タイプが村民委員会主任に選出され、その他、まったく学歴のない幹部が選出されたりしたそうです。
こうした状況に対して政府は、」「大学生村官」という形で大学卒業した人物を村幹部の助手として派遣しています。
このようにあまりうまくいっているようには見えない村の選挙ですが、そこには中国の伝統の影響しているといいます。
まず、村幹部は「政治家」や「議員」というよりは「官」の色彩が強いです。これには以下のような理由もあります。
中国(農村)には特殊な社会集団としての「官」だけがいて、「代議員」や「政治家」に当たるような人間累計が存在しない。なぜだろうか?一つには、政治家が生まれるためには選出される母集団のようなものがはっきりしていないといけない。しかし、中国の場合、それがはっきりしない。「人民代表」といわれる人たちも、自分がいったい何を代表しているのかがよくわからず、ただ漠然とした名誉職といった意味合いが強い。(156p)
現在の議会政治の源流となったヨーロッパの議会では、身分や自治都市などの代表者が集まりましたが、身分制が早くに解体された中国では代表すべき中間集団が存在しません。
これは昔から意識されてきたことで、清末の思想家章炳麟は封建制の残っていない中国では代議制は不可能であると論じていました。
著者はインドの農村も調査したことがあるのですが、インドではカーストが中間集団お役割を果たしており、それが選挙を機能させているといいます。
それにもかかわらず、政府はなぜ村幹部の選挙を続けるのでしょうか?
著者は、そこに政府が農村の基層幹部を重視しつつも、彼らが土着勢力化し地方のボスになることを防ぎたいという意図があったとみています。3年ごと(2018年からは5年ごと)の選挙によって基層幹部を交代させ、彼らが地方のボスになることを阻止する狙いです。
ただし、選挙で敗れることは幹部がメンツを失うことを意味します。今まで村の公共性を担っていた彼らが「脱政治化」することの影響はまだよく見えていません。
第4章では著者の失敗談が紹介されています。ここも面白いのですが、ここでは簡単に触れるに留めます。
失敗は「習近平以前」と「以後」に分けられて紹介されています。
習近平以前の失敗は、なにかのきっかけで「官」に目をつけられてしまったタイプが多いです。村の幹部たちはとにかく厄介事を嫌がるので、調査者は官に目をつけられているとなると、警戒され協力は得られません。
習近平以後も基本的にはそうなのでしすが、以前にはあった自由の隙間のようなものも失われてしまい、外国人の調査というだけでにべもなく断られるという形になっています。
第5章では農村の将来が展望されています。
習近平政権の重要政策が「新型都市化政策」です。これは都市戸籍取得のハードルを緩和しながら、沿海部ではなく中部や西部の都市に農民たちを移動させていくというものです。
ここで著者は「県域社会」というものに注目しています。県は都市と農村を含んでおり、その県の中心都市が県城です。新型都市化政策は農村の住民をこの県城で吸収していくことだといいます。
農村でネックになるのが子弟の教育です。そこで子どもがいる世代は子どもの教育のために県城に移住します。一方、その親の世代は農村に残ります。また、子どもは学校に通うために県城に住みますが、片方の親は教育資金を稼ぐために出稼ぎに出ることもあります。
それでも、本当にトップレベルの子どもはさらに上の地区級市や省城の学校に進学してしまい、県城の学校からトップレベルの大学への進学は難しくなっています。
二流大学に進学した子どもは公務員などになるために県城に戻ってくることが多く、また、帰郷してビジネスを始める者もいます。県城に戻ってくる子どもは女性が多く、そのために一般的なイメージとは違って、県城では女子の結婚難があるそうです。
また、政府が貧困対策のために県城や鎮に集合住宅を用意し、そこに移住させるという政策も進んでいます。
このように人が集められている県城ですが、著者の観察によれば、そこは「まったり」とした世界だといいます。農村では家の発展のために競争が繰り広げられていましたが、県城では現状維持的なムードが漂っているというのです。
そして、この現状維持的なムードは政府にとって都合の良いものだといいます。少し前までは貧しい農村から大都市に人が殺到するというイメージで、どこでも熾烈な競争が繰り広げられていたイメージでしたが、この県城というクッションができたことによって、現状肯定的なイメージを持つようになり、それは習近平政権にとって非常に都合が良いことなのです。
この他にもコラムでは中国における酒と宴席の話がとり上げられており、付き合いのために飲む「社会的飲酒者」なる面白い概念が出てきたりするのですが、このあたりは本書をお読み下さい。また、このまとめではとり上げることができなかった著者の経験した面白いエピソードもたくさんあります。
中国の農村におけるフィールドワークによって中国の農村の特徴を明らかにするとともに、そこから社会主義の経験の意味や、中国の政治のあり方、今後の社会の動向までさまざまなことを考えさせてくれる面白い本です。