やたがらすナビの総ページ数が6000になった。なお、この数字にはこのブログやデータベースは入っていない。他のコンテンツもあるが、ほとんどやたナビTEXTのページ数である。
6000ページ
最近は1ページの短いものが多かったが、それでもよくもここまでやったものだと、われながら感心する。過去の記事を見てみると、3000ページが2018年02月(やたがらすナビ3000ページ達成:2018年02月23日参照)なので、3000ページにまるまる6年かかったことになる。

僕にとってはライフワークのつもりなので、6000ページは通過点に過ぎない。誰がなんと言おうと続けるつもりだが、その反面弱い人間だからマイルストーンがないと続けられる自信がない。ページ数はその一つである。

もう一つのマイルストーンになる作品点数は、完成したのが27、作成中の『隆房集』と現在準備中の『三宝絵詞』を入れると29。『三宝絵詞』はかなり時間がかかりそうなので、30作品のマイルストーンは来年以降になるだろう。
このエントリーをはてなブックマークに追加

嵯峨本『伊勢物語』は無事完成した。



問題は次は何にするかである。いま話題の大河ドラマにチョーチンを付けようかとも思ったが、『土佐日記』だの『伊勢物語』だの、メジャーどころが連続したので、もう少しマイナーなやつをやりたい。とはいえ、あまり長大な作品をやる元気はない。

ということで『伊勢物語』からの連想で、次は『隆房集』に決定した。底本は、中世の文学『今物語・隆房集・東斎随筆』(久保田淳ほか・三弥井書店)と同じ宮内庁書陵部本。



『隆房集』はその名の示す通り藤原隆房の私家集だが、単なる歌集ではない。別名を艶詞(えんじ)といい、『平家物語』や謡曲でおなじみの小督(こごう)に送った歌100首からなっている。詞書が長く説明的で、私家集とはいうものの散文的な要素が強い。

なにしろ相手は高倉天皇のご寵愛を受ける女だから隆房はフラれまくる。それにもめげず、しつこく歌を送り続ける隆房。このフラれまくり感が面白い・・・と記憶しているのだが、なにしろ読んだのは数十年前、間違っていたらごめんなさい。
このエントリーをはてなブックマークに追加

『伊勢物語』の電子テキストを公開しました。


嵯峨本『伊勢物語』:やたナビTEXT

底本は国文学研究資料館所蔵の嵯峨本です。いつもどおり、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

『伊勢物語』の電子テキストはあちこちにあるので、今回はあえて嵯峨本を底本にしました。嵯峨本伊勢物語がどんなものかは、次のリンクをご覧ください。

嵯峨本『伊勢物語』:印刷博物館

今回は挿絵も見られるようにし、一段で複数ある場合はページを分けました。さらに挿絵だけ概観できる挿絵ギャラリーを付録でつけました。


嵯峨本伊勢物語挿絵ギャラリー

サムネイル画像をタップ(クリック)するとスライドショーが見られ、サムネイル下のリンクをタップ(クリック)すると、詳細が見られ、そこから『伊勢物語』本文に飛ぶことができます。なお、画像は人文学オープンデータ共同利用センターのものを縮小して使用しています。

伊勢物語:人文学オープンデータ共同利用センター

『伊勢物語』がどんな作品かなんてことは、僕が語るまでもないと思いますので、ちょっと思い出話を。

僕が大学に入って初めて演習形式の授業に参加したのが『伊勢物語』でした。演習というのは担当する章段の本文・注釈・通釈(現代語訳)をプリントにして発表する授業のことです。初めて影印本に触れたのもこのときです。文学研究のイロハのイを『伊勢物語』で学んだということになります。

今回あらためてを読んでみて、なぜこれが最初の教材に選ばれたのかがよく分かりました。章段一つ一つは簡潔で、内容もシンプルです。しかし、深く読むと問題点がたくさんあり、簡単には読めない。いまだに解釈の分かれる部分がたくさんあり、「古典はどう読むべき」ということを理解するにはこれほど適したものはないでしょう。古典というものは多かれ少なかれそういうものですが、特に『伊勢物語』の場合は、現代語訳を読んでも5%も理解したことにはならないと思います。

さて、演習の思い出にはまだ続きがあります。教員免許更新講習の古典担当の先生の一人が、この演習の先生だったのです。しかも同じ『伊勢物語』です。90分の講習でどこまで話すのだろうと思ってたら、第一段から新幹線なみの速さで東下りを下り終えてました。演習のときの半年分ぐらいを90分でやった感じです。

喋っている先生はケロっとしてましたが、聞いている方はみんなクタクタです。僕としては懐かしかったのですが、古典専門どころか国語科でない人すらいるのに、○○先生相変わらずえげつないなーと思いました。

大学一年の演習で読んでからあ37年、教員免許更新講習から10年。制度を導入した張本人の安倍晋三氏は鬼籍に入り、鳴り物入りで導入された教員免許更新制は廃止になりました。月日の経つ速さと世の中の移り変わりには驚くばかりです。
このエントリーをはてなブックマークに追加

2月は3年生の授業が無くなるためヒマな日が多かったので、やたナビTEXTの『伊勢物語』も順調に進んだ。



『伊勢物語』はあと数日で完成する。詳しくは別の記事で書くが、次は『隆房集』をやる予定である。



2月5日に雪が降ったものの、今月はあまりに暖かい日ばかりが続き、20日には群馬県で夏日を記録し、おまけに春一番まで吹いた。これでもう春が来たのかと思いきや、そうは問屋がおろさない。この日をピークに一気気温は急降下、天気の悪い日も多くなって、2月最後の今日もやたらと寒い。

まあ、何が言いたいかというと、天気のことしか書くことがないぐらい何もなかったということである。

めでたしめでたし。
このエントリーをはてなブックマークに追加

まずはこのスクリーンショットを見てほしい。こちらはGoogle。サイト名で検索しているので、当然やたがらすナビが冒頭に出てくる。
goole
そして、Bing。
bing
同じくサイト名で検索してるのに、冒頭に出てくるのはリンクしている別のサイト。冒頭どころかいくらスクロールしても下の方にも出てこない。これはURLで検索しても同じである。

マイクロソフトご自慢のAI、copilotに聞いてみると・・・。
copirot
ハァ?何言ってるの?適当なこと言わないでほしいな。

以前からこうだったわけではない。以前はむしろGoogleよりまともな結果を返してくる印象だった。それが半年ほど前からこの状態である。サイトまるごとBingにBanされたとしか考えられないのだが、サイトの方は更新した以外何もいじっていない。

とりあえず、Bing webmaster tools なるもので原因を調べてみた。
noindex
「いくつかの問題があるためにインデックス作成が妨げられています」だそうだが、問題が分からない。指示されたとおりBing Webmaster Guidelinesを見てみたが、心当たりのないことばかりである。

もちろん細かいHTMLの間違いなどないではないが、これでサイトまるごとBanでは通るサイトの方が少なくなるだろう。となれば内容だが、やたがらすナビは健全も健全、これ以上健全なものはないぐらいの古典文学サイトである。

結局、原因は不明のまま。もともとBing経由で来る人は多くなかったので、アクセス数にはそれほど支障はないが、あまり気持ちの良いものではない。

というか、オレMSの株主なんですけどー!株主のサイトBANすんなよ!
このエントリーをはてなブックマークに追加

嵯峨本『伊勢物語』を翻刻しているうちに、どうにもよく分からない挿絵が出てきた。
isepic43
業平とおぼしき人物が何か書いている。服装に注目。なぜか十二単みたいなのを着ている。書いている姿勢もどことなく女性っぽい。さらによく見ると、書いている紙もなんだかヘンだ。懐紙のようだが、なぜかワク(界線?)がついている。

この絵は第93段のあとにある。これまで挿絵は章段の終わりか章段中のエピソードの終わりについていた。ということは第93段の挿絵ということになるが・・・。

 昔、男、身は賤しくて、いとなき人を思ひかけたりけり。少し頼みぬべきさまにやありけん、臥して思ひ起きて思ひ、思ひわびて詠める、
  あふなあふな思ひはすべしなぞへなく高き賤しき苦しかりけり
 昔もかかることは、世のことはりにやありけむ。
高貴な女に身分の下の男(業平)が懸想して、思い悩んで詠んだ歌というただそれだけの話である。「あふなあふな」の歌が難解だが、「あぶなあぶな(やべーやべー)」と解釈する説もあるらしい。

それはともかく、ここには「男」が女の服を着ていたなんてどこにも書いていない。「臥して思ひ起きて思ひ、思ひわびて詠」んだ歌でとあるが、思い余って女の服を着てしまったのだろうか。そりゃたしかに「あぶなあぶな」だが、もちろんそんなことも書いていない。そもそも挿絵を入れる必要のありそうな話でもない。

前栽のハギや屏風のススキを見れば秋のように見えるが、第93段からは季節が読み取れない。だが、次の第94段は秋の話である。これまで章段の冒頭に挿絵が入ったことはないが、あるいはこちらだろうか。
 昔、男ありけり。いかがありけん、その男、住まずなりにけり。後に男ありけれど、子ある仲なりければ、こまかにこそあらねど、時々もの言ひおこせけり。
 女がたに絵描く人なりければ、描きにやれりけるを、今の男のものすとて、一日二日(ひとひふつか)おこせざりけり。かの男、「いとつらく、おのが聞こゆることをば、今まで給はねば、ことわりと思へど、なほ人をば恨みつべきものになむありける」とて、弄じて詠みてやれりける。時は秋になんありける。
  秋の夜は春日忘るるものなれや霞に霧や千重まさるらん
となむ詠めりける。
 女、返し、
  千々(ちぢ)の秋一つの春にむかはめや紅葉も花もともにこそ散れ
しかし、これも季節が秋であること以外に、挿絵と関係するものがない。せめて挿絵で描かれているハギでも出てくればいいのだが、第94段に出てくる植物は紅葉だけ。いうまでもなく、女装も無関係。この章段の絵ではないといっていいだろう。とりあえず通例どおり93段の絵としておくことにした。

あるいは、古注釈か何かに説話があるのかもしれないが、今のところ見つかっていない。どなたかご存知でしたらご教示お願いします。
このエントリーをはてなブックマークに追加

今月の出来事で忘れられないのが、元旦に発生した能登半島地震である。

その時、僕は近所の神社に初詣から帰ってきて、コンビニのおにぎりを食べていたら、妙にめまいがしてきた。普段めまいなんかしないし、酒も飲んでいない。初詣で小一時間行列に並んでいたから疲れたのだろうと思って寝てしまった。

目が覚めたら、弱い地震がきた。めまいと関係あるのかは分からないが、これが能登半島地震だった。300キロ離れた東京でも感じられる揺れがあった。テレビをつけると、NHKのアナウンサーが絶叫して津波からの避難を呼びかけていた。その後の被害は伝えられている通りである。

2日、今度は羽田空港で、震災対応のため新潟へ向かう予定の海上保安庁の飛行機と、日航の旅客機が衝突事故を起こした。日航機の乗客・乗員は全員無事だったものの、海保機の方は機長以外の五人が亡くなる惨事となった。

もう、書いているだけで気が重くなってきた。実はもうちょっといろいろ書こうと思っていたことがあったのだが、間違ったことを書いたらいけないし、そもそも震災自体はまだ終わっていない。

今は覚えに概要だけ書いておく。犠牲になった方のご冥福と、一日も早い現地の復興を祈るのみ。
このエントリーをはてなブックマークに追加

現在、嵯峨本伊勢物語の電子テキスト化を進めている。

嵯峨本『伊勢物語』:やたナビTEXT


嵯峨本というのは古活字本である。連綿している部分があるので一見そうは見えないが、木活字を組み合わせて版木が作られている。どのように木活字を並べたかよく知らないが、活字だから行はきれいに並んでいる。

ところが、第69段の和歌「かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは今宵さだめよ」の「こよひ」の行間に「一説よ人」と注記(傍注)が入っている部分を見つけた。
一説
これまでこんなのは出てこなかったので、後人の書入れかと思ったが、他の嵯峨本を見てもこうなっている。

これは、「かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとはこよひさだめよ」とあるが、一説には「かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは世人さだめよ」だという意味である。こういう注記は写本ではよく見られる。写本は手書きだからいくらでも入れられるが、古活字本で行間に注をいれるのはなかなか面倒くさそうだ。

不思議なのは、この注の意味である。これが「イよ人」だったら「異本では『よ人』になっている」という意味で何の問題もないが、ここでは「一説」である。調べてみると、『古今和歌集』646が「世人さだめよ」になっているので、一説とはそういう意味らしい。

これが『伊勢物語』の歌では解釈が困難で、『古今和歌集』の「世人」の方が通りがいいというなら分かる。しかし、この歌は伊勢斎宮から送られた歌に対する返歌で、実際その晩斎宮に逢おうとする(が、国守の飲みに付き合わされて失敗する)のだから、「今宵」の方が内容にあっている。男(業平)と斎宮のやりとりなのに、「世の中の人決めてくれ」というのはいくらなんでも唐突すぎる。おそらく、内容に合わせるため『伊勢物語』作者がもともとの歌を改変したのだろう。

もちろん嵯峨本の親本にある注記をそのまま入れた可能性もあるが、改変した歌はいくらでもあるのに、そんな傍注はこれまで一つも出てきていない(これから出てくるのかもしれないけど)。わざわざ手間をかけて、内容にそぐわない「一説」を紹介する理由が分からない。

天福本の他の写本を調べていないし、そもそも何か説があるのかもしれないけど、ちょっとおもしろいなと思ったので、覚えに書いた次第。
このエントリーをはてなブックマークに追加

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
2023年賀
お年玉のポチ袋も作った。今話題のクマをフィーチャーした。
ポチ袋
このエントリーをはてなブックマークに追加

コロナ禍も三年をこえ、今ではマスクをしない生活が基本になった。僕は満員電車と教室ではマスクをするつもりだったのだが、今年の夏はあまりに暑かったので、なし崩しに着用しなくなってしまった。

マスクを外したからすべてがコロナ前にすべて戻ったかというと、ぜんぜんそうではない。外食はあまりしなくなったし、運動もしなくなってしまった。地上波や衛星放送のテレビも見なくなったし、海外旅行にも行っていない。ほかにも、いろいろと変わってしまったことがある。これは個人的なことばかりではなく社会的なことも同じである。

コロナ禍が始まったころ、数年もすれば終わるだろうとは思っていたが、なんとなく政府から終結宣言でも出てスパッと終わり、元の生活に戻ると思っていた。しかし、今のところそうなってはいない。もうまともに数を数えてきないからはっきりとはわからないが、感染者は以前より増えているのは間違いない。僕の父はほとんど外出していないのに、今年二回もコロナにかかった。僕自身も去年までは一度も風邪をひかなかったのに、今年は三回もひいてしまった。たぶんコロナにもかかっているだろう。

コロナは終わっていないのに、社会がもとに戻りつつある。僕は、電車に乗るときには再びマスクをするようになった。どこを戻して、どこを戻しちゃいけないのか、試行錯誤の日々である。

これが時代の変わり目というものなのだろう。時代は急に変わるのではなく、いつの間にか変わって、あとで気づくものらしい。今回はコロナという分かりやすい契機があったが、それでも今が変化のとば口なのか、半ばなのか、終わりなのか、まだ誰にも分からない。

今年印象に残った事件というと、ジャニー喜多川の性加害と自民党清和会のパーティー券問題だが、どちらも時代の変わり目に対応できなかったからである。ジャニー喜多川の方は1988年の北公次の暴露本以来周知のことだったし、清和会のパー券も「まあそのぐらいしているだろうな」程度のことで、やっていること自体に驚きはない。最近報道されたダイハツの不正も、ダウンタウン松本も同様である。これまで社会や周囲が見てみぬふりをして許してきたことが、時代の変わり目とともに表に現れたというこだろう。

時代の変化に抗うことはできない。なんとか自分を変えて対応するか、さもなきゃ隠居するかしかない。
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ