天才と云う名のギミック

初心者のための麻雀講座、月刊ネットマージャンの管理人音無がいろいろなことについて書くブログ

ペチョーリン批判2013

今回はペチョーリンブログから次の記事をとりあげて批評してみたい。

 父の日と『中央図書館そらの孔分室』(ペチョーリンBlog)

亡くなった父との思い出を書いたエピソードだ。両親の死や悲しい出来事を扱ったテーマは非常に重い。その反面、当事者にとっては極めて重要なことであっても、絶対にすべての人に訪れてしまう、ありふれた話題であることも、書き手は理解しなければならない。出産、結婚などもそうだ。当事者にとって悲しい(嬉しい)出来事であっても、読み手にとってはテーマとしてはありふれている。 これらのテーマでしっかりと読ませるには、書き手は少し出来事と距離をとって自分自身を客観視する必要がある。この点に関して、ペチョーリンの記事は抑制が効いているので及第点といえよう。

・終わり方の問題 

「今ではそれを確かめることもできない。」という終わり方に関しては、少し疑問の余地がある。奥ゆかしさを持って、この一文を書かないのが良かったのではないかという話だ。

ペチョーリンブログでは以前から、うまく話をまとめようとしたり、強引にオチをつけようとして、最後の一文に凡庸な感想を投入する傾向があった。高度な世界情勢の問題を論じた後に「世界が平和であればいいと思いました!」と書いてしまうような凡庸さだ。 

「父はこの件を覚えていただろうか。」は極めて重要な書き手の感想である。それに対して「今ではそれを確かめることもできない。」は事実の提示だ。客観的な事実の報告ならば、書かなくても良いのではないか…という判断ができる。

ただし、エンターテイメント作品であるならば、最後まで道筋を提示するのは悪いことではない。特にネット上の文章はそこまで読み込まれないで消化されていく傾向がある。読者に真意が理解されにくいので、悪い面では誤解による炎上などがあふれている。「まとめ」などの編集により文脈がごっそり抜け落ちたりすることも多い。今回の文章がまとめ等になることはないが、どの読者層に何を伝えるのかという視点で、この一文の意義を問うてほしい。

・「送る」と「贈る」の違い

文章全般に使われている「送る」は「贈る」の誤字ではないのか? という疑問が浮かぶ。ただし、この文章においては簡単に誤字だと言い切れない側面もある。

「送る」は物体を遠く離れた場所に輸送するという、無機質で感情を伴っていない表現だ。反対に「贈る」はプレゼントに代表される相手に対しての感謝や敬意が込められた感情のある表現だ。

ペチョーリンと父親が離れて暮らしているため「送る」を使っても間違いではない。同時に冷めた父と子の関係の中であえて「送る」を使うことで、精神的な距離感を表すという文章表現は可能かもしれない。ただし、一般的にはプレゼントは「贈る」ものだ。非常に危うい表現で、ともすれば「誤字」と判定されかねない要素がある。

解決方法として「贈るではなく送った」などと説明を加えても良いが、少しメタフィクションな感じになるのが気になる。JoJoの奇妙な冒険の第4部でも空条承太郎が「見るではなく観る。聞くではなく聴く」というような台詞があった。確かにかっこいいが、今のペチョーリンブログで同等のことをやるのは少し場違いだ。

現実的な解決方法として、父親からプレゼントをもらう部分には「贈る」を使い、こちらから父の日にプレゼントする場合は「郵送で」という枕詞を持って「送るつもりだった」などとするべきであろう。必ずしも必要であるかは疑問だが、単に誤字と判断されるのは損だ。

・ふりがなをつける配慮

途中にアニメ作品「輪るピンクドラム」のエピソードが引用されている。お得意のツルゲーネフやドストエフスキーのような文学作品ではなく、最近のアニメ作品を持ってくるのは意表を突いた変化球といえよう。
 
問題は次の一文だ。

陽毬が『中央図書館そらの孔分室』に迷い込み、司書の眞悧に過去の記憶を呼び覚まされるシーン。
陽毬は友人の光莉

私はこのアニメが未見であって、この登場人物の名前が読めなかった。さらに初めて読んだ時には性別がわからなかった。もちろんネットで調べればすぐにわかるが、読者へのストレス減少の配慮として、ふりがなをつけるぐらいの配慮はあってもいい。

もちろん、このようなケースの場合には読者は何らかの読み方で置き換えて読み進めるが多少なりとも負担になって本文への集中力が削がれる。最も思い出す例がドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』で、ロシア人特有の馴染みのない名前というのも原因だが、本文を読むのに名前の難解さは大きな障害だった。

ペチョーリンは読者に読みやすくなるように、もう少し配慮してもいい。

・ビジュアル的な乏しさ 

ペチョーリンブログはビジュアル的な要素に乏しい。せっかく制限のないブログというメディアなので、その特性をもう少し活かしても良いのではないだろうか。

後半には父親からプレゼントされた「エリア88」 が登場する。これは戦闘機を題材にしたパイロットの物語だ。私も記憶が怪しかったぐらいなので20代の若い読者にはわからないだろう。ペチョーリンの父親がなぜエリア88を選んだのかはわからないが、挿絵等によって戦闘機の物語であること伝える選択はあった。文章の本質から外れるが、WEB上のメディアのあり方を問うてみてもいい。

以上。 

パズドラでコインなくなった時の対処方法

パズドラが流行っていますね。私も市民さんのツイートが切っ掛けではじめて、今はランクが120ぐらいです。エンシェントドラゴンナイトが早々と手に入ったのでドランゴパーティーを組んで「超竜軍団」と呼んで遊んでいます。竜騎将バランとか懐かしいです。

さてパズドラのスタミナを回復させる魔法石はお金をつぎ込めば優雅な大人の遊びができるのですが、コインのほうはゲームプレイでしか手に入れることができません。 コインがないとモンスターのパワーアップができないのです。

せっかくモンスターを成長させたいと思ってもコインが足りない。現金にものを言わせるという技もできず行き詰まっていました。そこでパズドラの先生でもある市民さんに相談してみたんです。

「パズドラでコインが足りなくなった時ってどうしたらいいんです?」と。

するとこんな回答をいただきました。


『ゴルドラダンジョンや、土日ダンジョンのコイン2倍で稼げるだけ稼いでうまく運用する感じです。ノーマルダンジョンでとったモンスターは+卵以外は売って(進化させ始めとかの低レベルモンスターに合成するのはあり)、主力モンスターのレベル上げはキンメタのみにする感じです』

おぉぉー。
市民さん画像







点数計算の話

初心者のための麻雀講座で「初心者のための点数計算」コーナーの残りの符計算に触れた部分を公開しました。作成にあたっては福地さん、ばくおさんに細かなチェックを入れてもらって、比嘉さん、tarooさん、西園寺さんに感想を聞かせてもらったりで協力していただいた。それから天鳳のデータを提供してくれたenecreさんもありがとうございます!

「初心者のための麻雀点数計算」の上級編

作成にあたって気になったことを雑記としてメモしておきます。

本当に10年ぐらい前から作りたいと思っていたことに手をつけてみました。書く気になれなかったのは、どう要素を分解して、何がハードルをあげているのか?ってのがうまく理解できなかったのと、どう伝えるべきかというベストなアプローチが何かわかってなかったからだと思う。

・実用性のアプローチ

普段、使わないことを覚えてもしかたないので実用性が高いものを選び出す作業は、天鳳の符のデータが手にはいったおかげで明確になって本当に助かった。 何がどの程度必要で、何が必要ないのか?が作り手である私も明確になって、作成の大きなガイドラインになった。同時に読み手側にも全体的な俯瞰図のようなものが提示できて、どこに向かって進んでいるのかがわかるような気がします。

講座ではバンバン(場ゾロ)は無視している。電卓を使ってだす×2×2の計算方式は、知識として知っておくのは悪くないと思うけど、そこから入ると余計に混乱すると思う。現実的には電卓を使った計算式でプレー中にやるってのは無意味だと思うので、実用性という観点から、このパートは無視した(付録としては付けようと思ってます)

・読者との距離感

ページ数は全部で30ページぐらいで長い部類だと思う。別にページ数を水増ししようとしてこうなったわけではなく、分解していくとこうなったというだけです。

結局のところ、重要なのは読んでいる人とガイド役である私の距離感で、ガイド役は常に読者の2,3歩前を歩くイメージだ。文章量(と、そこに書かれている新しい知識の量)を書きすぎると、読者とガイド役の距離が離れてしまう。遅すぎると「早く進めよ」って感じでイラついてしまう。 この危うい距離感を保つのが本当の役割だと思う。

講座には前の項目でやったことを復習、確認するように重複する会話が出てくるようになっている。2,3歩前を進みながら、時々、後ろを振り返ってちゃんとついてきてくれているかを確認しないといけない。

点数表を掲載して、計算式を載せて、こういう公式・ルールになっているのでがんばって覚えてね!と伝える麻雀本やサイトは確かにあるし、それは例えるなら駅や観光地にある周辺地図の立て看板みたいなものだ。 読者は一方通行でその看板を見て自分で進むしかない。場所はとらないし非常にコンパクトにまとまるし楽なのは楽かもしれない。私がやりたかったのは、観光地を旗を持って案内するツアーガイドみたいな役割だ。

看板方式を好む人がいるのも事実だろうし、長ったらしい説明のツアーガイドはいらないよって意見もわかる。けど数が少ないほうをとりたかったのでツアーガイド方式を採用した。点数計算の雑学も掲載しているので、歴史や由来を知るちょっとしたガイド旅行のように思ってもらえると幸いです。

福地さんはルールや点数計算は「暗記本」だと言っていたし、それも要素としてはわかる。丁寧、コンパクトに表にまとめてしまうのも、またアプローチの1つだ。

長くなってしまうという犠牲はついてくるけど、うちのサイトは「物語」であり読ませるものであってもいいんじゃないかと思った。 あらためて『ソフィーの世界』を読みなおしてみた。確かにやりたかったのは、麻雀板のソフィーの世界であり、そこにインターネットのテイストを加えてみるのが理想の形のように思えた。1ページで出す新情報を制限しているので、部分的につまみ読みされるとまずい部分もあるんだけど、そこもデメリットかもしれない。

既存のサイト、ネットで見れるものはほとんど目を通したし、本も何冊か買った。一番参考になったのは福地さんの『麻雀テクニック』で、そこには福地さんの体験から来る点数計算の習得法が書いてあった。世の中には漫画で覚える本とかあるけど、上っ面を変えても立て看板方式に近く、グッと来るものがなかった。福地さんの本だけ他とかなり異質な感じがした。

井手さんの本も悪くはないし、すごく丁寧な書かれた案内図だとは思う。表の書き方とか参考にさせてもらった。

・アナログとデジタル

基本的にテキストオンリーの古いタイプのサイトだけど、今回はネット麻雀のデータを有効活用したり、壁紙を作ったり、ネット麻雀のプレーを意識したりと、今の時代にあわせた内容になっています。 古い歴史に触れてみたり、ネット麻雀を活用したりで、アナログなこととデジタルなことが混在する、良くいえばハイブリッドな内容になっているはずです。

表の部分にはCSS3を初めて使ってみた。綺麗だね!

・細かい部分 

よくある暗刻や明刻に付く符の書き方の紹介なんだけど。 

1.9.字牌 2-8の数牌
暗刻 8 4
明刻 4 2

こういう表の書き方が気に入らなくって、数字が伸びたりするならば、ただの表ではなくって、もっと視覚的にとらえられるグラフに近いほうがわかりやすいんじゃないのかと思ったりしてた。

「平和のロンは30符」なんだけど、これをどのパートで出すのか? これも書き手の選択の余地がある。30符のパートで登場してもいいし、「例外」という項目でも、「平和」の項目でもいいと思う。 

何をどの場面で登場させるのかの「構成」はかなり重要な部分だと思うし、全体的に「平和」でかなりつまずいた。細かな表現などは、ばくおさんが手伝ってくれて、あーでもないこーでもないみたいな感じで話あってた。泣く泣く切った部分や伏せた部分も多いので、いろんなところに爪あとが見えると思います…。 というか、全体的に例外が多すぎ。

・これからも改良していきます

これがベストだとは思えないので、今後も表現の修正などは行なっていく予定です。ひょっとしたらウケが悪いかもしれないので、オーソドックスなものに戻す可能性もないわけではないし。壁紙作ったけどデザインする気もなくってシンプルなものになってる。余力ができたら修正したいです。

福地さんには「40符の説明だけ他と比べて歯切れが悪く読後感が良くない」という指摘を受けた。確かにそうかもしれないし、気のせいかもしれない。例外が多く断定表現できない葛藤とかが、歯切れの悪さを引き起こしてるのかもしれないし。このへんはもっと改良、検討の余地があるので、また意見を聞いてみようと思う。 みなさんはどうでしょうか。

そういうわけでよろしくお願いします。アメトークの麻雀芸人の放送からすごくアクセスがあがっていて、多くの人に見てもらえるのはありがたいです。

今後ともよろしくー。

ビールを飲みたい人たち

ビールを飲みたい人の気持ちってわかるかな? 私にはなんとなくわかる気がする。香港で出会ったクロアチア人との何気ないやりとりだ。 このどうでもいい長い記事をネットで知り合った爆牌ウシジマくんに捧げたい。いや、別に捧げたいってわけではないんだけど、この記事ともう1つ記事を書くけど、それは本当にどうでもいいビールの話だ。

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香港最終日の夜は香港島にある繁華街、蘭桂坊(ランカイフォン)の外れにあるタイ料理屋で友達と飲んでいた。どこに行っても騒がしい香港の中でも、蘭桂坊の騒がしさにはかつてのイギリス植民地だった頃の名残が色濃く残っているような気がした。
 

立ち並ぶバーやパブの扉はなく、中からは胸に響くような重低音の音楽が流れてくる。酔っぱらいの奇声やそれぞれのお店から流れてくる音楽が交じり合って、よくも悪くも香港らしさを創りだしていた。この蘭桂坊の一画がひとつの大きなクラブのようだった。今日は金曜日だ。
 

「こんな騒がしいとは思わなかった…」と辟易しながら私たちは喧騒を逃れるように蘭桂坊の中心から離れ、辿り着いたタイ料理屋のオープンテラスの席に座った。
 

メニューを見ながらタイのSINGHAというビールを注文した。しばらくすると綺麗なウエイトレスがビールを運んでくれた。綺麗なウエイトレスがタイ特有の男性だと言われても別に驚かなかったと思う。
 

ビールを飲みながら友達と話をしていた。よくある飲み屋話だ。お互いに蘭桂坊の騒がしさが身に染みるぐらいの年齢になってしまったと嘆いていた。香港で出会った10代の少女は、いまや30歳が目前に迫っているような女性になってしまった。
 

当たり前だけど、彼女が歳をとった分だけ私も歳をとった。いろんなことを夢見ていた20代の青年も、ごくふつうの中年のおじさんになってしまったのかもしれない。蘭桂坊に向かう白人さん達や駆け抜けていくランボルギーニ・ムルシエラゴを見ながらSINGHAを飲み続けた。
 

SINGHAを4杯ぐらい飲んで帰ろうかという話になった。香港最後の夜だから、という私のリクエストで夜景を見に行くことにした。九龍半島のスターフェリー乗り場の前から続くプロムナードの夜景が抜群に綺麗だ。
 

タクシーを降りてセブンイレブンに立ち寄る。ビールを2本買った。彼女が「おすすめ」だという見たこともない銘柄のビールだった。このビールがまずかったら嫌だったので、予備にハイネケンの缶ビールを1本買って店を出た。

夜景が始まるプロムナードの入り口にトイレがあったので彼女はトイレに行くといって離れた。クロアチア人の男に話しかけられたのはその時だ。年齢は若くも見えるし、同じ年にも年上にも見える不思議な感じだった。
 

「そのビールはどこに売っているんだ?」
 

英語でそんなことを聞かれた。私達が今までいたセブニレブンを指さしながら、あそこにセブンイレブンがあるからビールが買える、と説明した。
 

「アメリカドルはセブンイレブンで使えるのか?」
 

いやアメリカドルはさすがにセブンイレブンでは使えないだろうと思う。なんとなくだが状況を把握できた。両替ならするけど…とは言ってみたものの、USドルと香港ドルのレートがいくらなのかよくわからない。どっちかが損することになるかもしれないけど、両替すること自体は別にいいよと伝えた。
 

少し迷う彼にどこの出身なのかと聞いてみるとクロアチアだと言う。私はどこからなのか? と聞かれたのでJapaneseと答えた。
 

クロアチア、クロアチア。知ってはいるけど、クロアチアについては何も知らない。ファイティングポーズをとりながら「ミルコ・クロコップは日本でも有名だよ!」と説明すると、理解してくれたのか「Oh Mirko Filipovic!(ミルコ・フィリポヴィッチ)」と言ってくれた。本国でも有名らしい。
 

そんな雑談をしていても状況は解決しそうにないので、手元にあった予備のハイネケンをあげることにした。要するには彼は手持ちの香港ドルがなくてビールが飲みたいけど買えない。だったら、この予備のハイネケンをあげるよ。彼に手渡すと財布からお金を取り出そうとしたので、いやもういいよ、あげるよと言った。 こっちは飲みたければまた買えばいいし、そのお金がないわけじゃない。
 

彼は驚いた顔をして、何度も「Thank you」と言った。
 

私が「you are welcome. and thank you for Earthquake donation !」と言うと、彼は不思議そうな顔をしていた。

彼が震災の寄付をしてくれたのかはわからないけど、クロアチアからも支援してもらったんだろうと思う。たぶん。彼が友達の輪に戻っていって、こちらを指さしながら仲間に説明しているのを見て、彼がひとりでいるのではないのを初めて知った。友達もいるなら、もう1本ぐらいあげてもよかったけど、彼らとは手をふって彼らとは別れた。
 

トイレから戻ってくると、ビールが1本なくなっていることに気がついた彼女に聞かれた。もう1本のビールはどこにいったのか?
 

クロアチア人の集団を指さしながら、あそこにいるクロアチア人にあげたと説明すると、彼女は不思議そうに「Why?」と何度も聞いていきた。  

いや、ビール飲みたそうだったし…という感じで説明しても、それがよく理解できないらしい。
 

ビールを飲みたい人の気持ちってわかるかな? 私にはなんとなくわかる気がする。 そういう話が香港であった。それだけで、もう1つのビールの話を続く。

天鳳リアルトライアル

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8月に天鳳リアルトライアル2というイベントが開催されます。ここ見ている人にはわざわざ書くまでもなく知っていると思うけど。ペチョーリン軍団からも多数参戦するということで、どんな戦い(笑)を見せてくれるのか、本当に楽しみですね。

前回の大阪で行われたリアルトライアルもそうなんだけど、裏方としてなんだかんだでご協力をさせてもらっています。前回は宣伝と参加賞のマウスパッドの作成をやりました。今回も天鳳に公開されているメインタイトルバナーと、ロゴ作成の部分で参加させていただきました。天鳳関係のお仕事はいつも楽しんでやらせてもらっています。ありがとうございます!

ASAPINさんの画像はこう見ると、なかなかかっこいいですね。比嘉さんのパロディ画像が出まわってたけど、あの画像も横で「いいこと思いついた。お前、俺の跳満に振り込んでみろ」って感じで仕上げたら、けっこう面白そう。

私が関われる部分って限られているんだけど、キャッチコピーに随分と悩んでしまった。「現実」と書いてリアルってフリガナをあてているけど、最初は「本気」や「真剣」って書いてリアルをあてようかと思った。けど、じゃあ普段は本気や真剣でないのか? といえばそんなこともないだろうってことで却下。結局、イベントの趣旨を適切に反映しているのが「現実」なのかなと思った。

そういうわけでイベントの成功をお祈りいたします。

ペチョーリン軍団の健闘もお祈りします!こんな感じに気負ってるのかな。わかんないけど。

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100万

ツイッターで少し報告しましたが「初心者のための麻雀講座」の月間プレビューが100万の大台にのって、最終的に5月は120万PVに達した。リニューアル中ですべてのページを取得していないのでもう少し増えるけど、だいたい120万ぐらいだったという話です。

ゴールデンウィークがあったり、咲の放送があったり、大きなサイトに拾われたりといった偶然の要因もあったし、前からやっていた内部のりニューアル作業がボディーブローのように効いてきたのもあると思う。どちらにしろ、100万は大きな節目なので私も喜ばしく思っています。ありがとうございます。

 麻雀店や雀卓メーカーの摘発といったあまり見通しの良くないニュースが先行する麻雀業界ですが、一方でこうやって新しく麻雀を覚えようとする人が大勢いる事実、それは大きな視点で見れば「麻雀に魅力がある」ということは決して暗いニュースばかりではなさそうな感じもする。

・サッカーのワールドカップ最終予選を見て思ったこと

熱心なサッカーファンではないけど代表ぐらいはテレビで追いかけている。私がワールドカップと代表の試合を見始めたのは「ドーハの悲劇」の頃で、まだ小学校だか中学校だかの頃だった。カズやラモスががんばっていた時代だ。

私の印象では当時の日本はアジアの中でも決して強豪ではなかったと思う。韓国は明らかに格上だったし、中東のイランやUAEもなんだか強そうだった。ワールドカップに出れるか出れないかは微妙なラインだった気がする。

それで今年のワールドカップ最終予選を見て「日本って強くなったんだなー」って思った。今の代表が際立って強いのもあるかもしれないけど、アジアの強豪国として見ていて安心感すらある。

専門的なプレーはわからないし、もちろんフィールドの選手が優秀なのは間違いないけど、バックグラウンドとして優秀な選出をどんどん輩出する環境が日本でてきているんだろうと思う。誰の功績かは知らない(日本サッカー協会?)けど、「米百俵」の精神みたいなものが20年前のドーハの悲劇の頃と比べると確かに根付いているんだろうと思う。

聞けば中国のプロリーグとJリーグが開幕したのは同時期らしい。結果として今のA代表の強さを見ても、このサッカーを根付かせた人は褒め称えられるべき功績があるように思う。誰か知らないんだけどね。

無理やり麻雀に話を戻すんだけど、麻雀のイメージの悪さその他はしかたないとして、長期的な展望、プランで折り合いをつけ挑まないといけない問題だとは思う。その一方て雀荘、所属するプロ団体の利益など、短期の問題を折り合いをつけないと活動資金や飯を食っていくことができない。

麻雀は賭博のイメージがあるからって理由はわかるけど、仮に賭博のイメージがなくなったら、ノーレートの雀荘に人が押し寄せるのかと言われれば、そんなことはないと思う。今の時代にこんなめんどくさいゲームを新しくはじめるのかといえば、なんか切っ掛けがないとやらない。

ペチョーリンの天鳳日記の「雀荘のイメージ」という記事があるけど、堕ちたとはいえ麻雀ブロガーのはしくれだけはある。賭けない麻雀としてのビジネスモデルってのはネット麻雀もそうだけど、どっちにしろ体力のある母体じゃないと難しいし、一般企業でいう研究開発費に相当する部分を出せるところって数少ないよね。

・うちの中学のサッカー部

うちの中学のサッカー部は公立校にもかかわらず、伝統的にサッカーが強い部だった。私はサッカー部ではなかったけど、市内でも有名だったし(理由はわからないけど)〇〇中のサッカー部というだけで「お!」って感じだった。

そのサッカー部がなくなってしまったという話を聞いた。「えー?」って感じで、これだけサッカーが流行っているのに中学のサッカー部なくなってしまうとか想像できなかった。

理由は単純で中学校のサッカー部よりも、地元のクラブチームにみんな行くからだった。そこは大盛況で100人を越える小学生、中学生がサッカーを学んでいる。指導者も中学校の「体育の先生」ではなく、経験のある大学生や元Jリーガーって肩書きの人だ。こういった地元のクラブのおかげで、伝統ある我がサッカー部は廃部になってしまった。

1つの業態の終了としては納得がいく。サッカーは終了してないけど、学校の部活動は細分化されたニーズを拾いきれなかったという話では理解できる。本屋さんも岐路に立たされているのはわかる。町中の流通中継地点としての本屋さんは、amazonの倉庫から直送されてくる時代にはそりゃいらないだろうって感じにもなるしね。

随分と前にMaru-janの栢さんと話をさせてもらったことがあるんだけど、他社の麻雀ゲームどう思いますか?みたいな話になった時にあまり気にしてないって話だった。それよりもMARU-JANのライバルはサッカーの中継だったりするって話をしていた。サッカーを見ようとしている人をいかにMARU-JANに向けさせるか? という視点だ。

雀荘にとってのライバルは他店ってのもあるけど、ギャンブルをしたいニーズにとってはパチンコ屋や競馬がライバルにもなりうるし、コミュニケーションや暇つぶしを求めるなら、町中の喫茶店がライバルって話だ。雀荘が私たちの生活において、どのようなニーズを満たして、どの部分を補完しているのかという部分その他を考えてみれば、なんとなくわかることもあると思う。

この続きに関しては「ペチョーリンの天鳳日記」と「ラス色の南4(ナンシー)」を見てもらえれば、全部、書いてある。こいつらはツイッターで豪語するだけあって、ケタ違いの強さだ…。なんて強さだ…。

まあそんなわけで次は200万PVを目指します!


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