2010年10月13日



たとえば悲しみ(トリステス)を、人は抑鬱(デプレッシオン)と呼び、媒体(スユポール)として、それに魂を与えたり、哲学者ピエール・ジャネ Pierre Janet のいう心理学的緊張(タンシオン・プシコロジック)を与えたりします。しかし、これはひとつの心理状態(エタ・ダーム)ではなく、ダンテ Dante やスピノザ Spinoza が表明したように、単純にひとつの道徳的な過ち(フォット・モラル)なのです。すなわちひとつの罪(ペシエ)、つまりひとつの道徳的な怯え(ラシユテ)なのであり、この罪は最終的に思考によってしか、つまり善辯(ビヤン・ディール)の当為(ドウヴワール)、あるいは、無意識のなか、構造のなかで自らの位置を知ることの当為によってしか位置づけられないのです。

『テレヴィジオン』60頁より

Jacques Lacan - Télévision (7/10)
http://www.youtube.com/watch?v=deOU_R2h0ZQ
より抜粋

90分にわたる無字幕のヴァージョンは以下で見ることが出来ます。
http://ubu.wfmu.org/sound/lacan_jacques/Lacan-Jacques_Television_1973.mov
http://www.hydra.umn.edu/lacan/vid/index.html
時間指定は絵と音が(約2分)ずれてしまったので参考程度。

以下、個人メモ


第2章
p22   1:00
p24   7:00
p25   11:00
p27   14:15
p28   17:10
p28   18:00
p29   19:20
p30   20:00   
p33   23:50
p34   24:45

第5章
p71   25:30

第3章
p40   44:34マルクス
p41   46:00
p42   47:50

p45   56:40

第4章
p56   59:30
p57   1:00:30 フリース
p58           対象
p59     1:02  プラトン
p60   1:03:33スピノザ

(p63   1:04:50)
(p63    1:05:40シネマ)
2分ずれ

p63   1:07:50シネマ
      1:09:30資本のディスクール


第6章
p90?   1:10:40(カント)
p93   1:12:00
p93   1:12:50
p94   1:14:00 科学の未来
p102   1:20
p104   1:21:20 あかんべえ
p105   1:22:22
p106   1:23:20
p107   1:25:30
p108はカット

第7章
p111   1:26:30

(06:46)

2010年10月12日

以下、wikiより
トム・レーラー(Tom Lehrer, 1928年4月9日 - )は、ユダヤ系アメリカ人のシンガーソングライター、ピアニスト、数学者。ハーバード大学教授兼弾き語りで風刺ソングを歌う。
NASAの宇宙計画に膨大な予算がつぎ込まれ社会保障政策がなおざりにされている現状を憂いて「ヴェルナー・フォン・ブラウンの歌」を歌い、1950年代にヒットした。NASAにおけるジェミニ・アポロ両計画は膨大な予算を必要とした。これは全科学予算の多くを吸収するもので、当時アカデミズムにおいて、問題を引き起こした。
少将の歌(en:Major-General's Song)のメロディーに化学元素の名前をあてた元素の歌(en:The Elements (song))も有名。



(16:47)

2010年10月06日




『テレヴィジオン』(青土社)93頁〜

たとえば、<男>が<女>を欲するとき、<男>は倒錯の領野に陥ることによってしか<女>に到達し得ない、といえるでしょうか。これは精神分析のディスクールによって制定された経験から定式化されることです。これが実証されるならば、これは万人に教え得ること(アンセニャーブル)、つまり科学的なことでしょうか。というのも、科学はこの公準から出発することで自分の道を切り開いてきたからです。

 わたしは、それ(サ)が万人に教え得ることであるといいましょう。そして、ルナン Renan が『科学の未来 l'avenir de la science』のためにそう願ったのと同じく、それは影響を及ぼさないものであるだけに〜〜というのも、<女>は外-在しないわけですから〜〜なおさらそういえるのです。しかしながら、<女>は外-在しない、ということは、人が<女>を欲望の対象とする、ということを除外するものではありません。むしろまったく逆で、そこから結果が生じてくるのです。

 このおかげで、<男>は間違って、ひとりの(ユンヌ)女に出遇い、このひとりの(ユンヌ)女とともに一切が起きるのです。すなわち、通常、この失敗のなかに、性行為の成功というものがあるのです。演劇で知られるように、役者たちはこのことについて、もっとも高度な事実を表現することができます。
 
 高尚劇(ノーブル)、悲劇(トラジック)、喜劇(コミック)、滑稽劇(ブウフォン)(ガウス曲線で描けるような具合に)、要するに、舞台が生み出すものの多様性(エヴァンタイユ)、そしてその舞台からそれ(サ)が姿を表すのです〜〜この舞台は、あらゆる社会的絆から、さまざまな恋愛ざたを切り出してきます〜〜こうして多様性が実現されます、〜〜そうしてさまざまな幻想(ファンタスム)を生み出し、この幻想によって、言葉を持つ動物たち(レ・ゼートル・ドゥ・パロール)は、自らが『生(ラ・ヴィ)』と名づけているもののなかで暮らしています(スユプジスト)。彼らがどうしてそう名づけているのかはよく分かりません。(以下略)


90分にわたる無字幕のヴァージョンは以下で見ることが出来ます。
http://ubu.wfmu.org/sound/lacan_jacques/Lacan-Jacques_Television_1973.mov
http://www.hydra.umn.edu/lacan/vid/index.html


参考:
http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/51762392.html

冒頭の動画は1時間12分ごろから


(19:10)

2010年09月13日

『ヘンリー・ミラー再読』:『世界史の構造』 14 - livedoor Blog(ブログ)


『世界史の構造』(岩波書店):参考文献表(50音順) @は引用あり。
[ア][カ][サ][タ][ナ][ハ][マ][ヤ][ラ][ワ]TOP

[ア]
アーレント『全体主義の起源2』337@^495,338^496@,420@^500
     『暴力について』14@^470
アヴィセンナ(イブン・スィーナ)158
アクィナス(トマス・)158
(アトキンソン),81
新井政美『オスマン帝国はなぜ崩壊したのか』(338)^496
アリギ『長い二〇世紀』410^(500)
アリストテレス『政治学』141@142@^483,151,177(@)
アルチュセール,(6^467)
アルブリトン(ロバート・)『資本主義発展の段階論』(406)^500
アミン,36,309,
   『"Unequal Development"(不均等発展)』(32)^472,(309),
   『"Eurocentrism"(ヨーロッパ中心主義)』(187)^486
アンダーソン『想像の共同体』112,319@^494,(340)^496
イブン=ハルドゥーン『歴史序説』163
ウィットフォーゲル『オリエンタル・デスポティズム』(117,160,165),185
ウェーバー,107,
     『宗教社会学』189-190@^487,194^488@,196@^488,(200),204@^488,
     『古代社会経済史』169@^485,(209)^489,
     『都市の経済学』95^479,
     『支配の社会学』113-114@,117@^481,
     『プロテスタンティズムの倫理と精神』90,271,
    (『職業としての政治』)20,101
ウォーラーステイン,35,40,
         『近代世界システム 1600-1750』(160?),409@^500,410@^500,418@^500
         『人種・国民・階級』(バリバール共著)309@^493         
ウッド『資本の帝国』427@^500
宇野弘蔵「恐慌論」(著作集5),302^493,(405-407),411(「自由主義」)
エリアーデ『世界宗教史1』(208)^489@
エマニュエル,308
エンゲルス「家族、私有財産及び国家の起源」(全集21巻),104@^480
     『ドイツ農民戦争』224@^489
     『ドイツ・イデオロギー(マルクス)』380^498
     「『資本論』英語版の序文」384@^498
オーウェン,367
大塚久雄「資本主義社会の形成(著作集5)」(290)^493
大月康弘『帝国と慈善』113^480
[カ]
カウツキー『キリスト教の起源』『中世の共産主義』(344)^496
柄谷行人『トランスクリティーク』v-xii,viii@,
    「死とナショナリズム」(定本第四巻所収)(455)^501,
    『世界共和国へ』503
カント,43,
   『純粋理性批判』(328)^494-495@,329@,
   『判断力批判』(329),
   『永遠平和のために』(43),349@^497,450@^501,451@^501,
   『啓蒙とは何か』447@^500,448@^500,449@^501,
   『道徳形而上学原論』345@^496-497@,
   『たんなる理性の限界内の宗教』346@^496
韓非子,111,232
キルケゴール,xiv
クラストル『暴力の考古学』58^474,460(「国家に抗する社会」)
グラムシ,258
グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』(14)^470
ケインズ『雇用、利子および貨幣の一般理論』113,(258)
ケーガン『ネオコンの論理』456^501
ケルソ(ルイス・)(『資本主義宣言』?,従業員持株制度)(367)^498
ゲルナー『民族とナショナリズム』315@^494
孔子『論語』,(111),202@
コーヘン(ヘルマン・),347
コールリッジ,323
コーンフォード『宗教から哲学へ』201^488
コジェーヴ『ヘーゲル読解入門』(vi)^467
ゴドリエ『贈与の謎』74@^475
権藤成卿,392
コンドラチェフ,303
[サ]
サーリンズ『石器時代の経済学』7^467,53-54@^474,55@^474,60@^474,89@^478
桜井万里子『ヘロドトスとトゥキュディデス』(174)^485
サルトル,xv
澤田典子『アテネ民主政』(172)^485
サンド(シュロモー・)『ユダヤ人の起源』(214)^489
サン=ピエール『永遠平和』448
ジェイコブズ(『都市の経済学』×『都市の原理』◯)93^479
シェリー,(321)^494
シェリー(メアリー・)『フランケンシュタイン』,(321)^494
シェリング,329
始皇帝?,(111,138,158,232)
朱子158
シュティルナー,(445)
シュミット『政治的なものの概念』13@^470,13^470@,253,462@^501
親鸞『歎異抄』230
スウィージー,290
スピノザ,(327),409,424-425
スミス(アダム・),121,(274),(286),305,
   『諸国民の富』93,(274),(286)
   『道徳情操論』324@^494
スミス(ロバートソン・),81
聖書(旧約)『列王記上』206@,
      『出エジプト記』209,
  (新訳),216-219@@@@@@
ソレル,392
ゾンバルト(『恋愛と贅沢と資本主義 』?),272
[タ]
高橋幸八郎(『封建制から資本主義への移行』)(237^490),290^(493)
田中二郎『砂漠の狩人』76^476@
玉野井芳郎『エコノミーとエコロジー』(29)^472
槌田敦(TSUCHIDA,A)『熱学外論』(28)^471
チェース=ダン"Rise and Demise"(35)^472
チャイルド(・ゴードン)『?』,49,87
デカルト,409
デュルケム『社会学講義』(75)^476@
テスタール『新不平等起源論』50^473,65
デリダ「新しいインターナショナリズム」(『マルクスの亡霊』?),ix
テンニース,394
ドッブ『封建制から資本主義への移行』(237)^490,(289-290)^493
トロツキー『裏切られた革命』377@
トンプソン『労働報酬論』364^497
[ナ]
ニーダム『文明の滴定』(244)^491@
ニーチェ『道徳の系譜』(13),(121「遠近法的倒錯」),(190),191@^487,195@^488,(318)
西田正規『人類史のなかの定住革命』,67^474
ネグリ&ハート『帝国』422,423-424@^500
       『マルチチュード』456@^501
[ハ]
バーリーとミーンズ(『近代株式会社と私有財産』?),298
ハイデガー,392
バウムガルテン『美学』328
バクーニン「国際革命結社の諸原理と組織」(『バクーニン著作集5』)442@^500
ハチソン,323
バッハオーウェン,66
『ハムラビ法典』,102,111,(151)^483
ヒルファーディング『金融資本論』298
広西元信『資本論の誤訳』(367)^497,498
フィヒテ「ドイツ国民に告ぐ」(ルナン他『国民とは何か』所収)331-332@^495,333@@^495
フーコー,259
ブーバー『我と汝』77,78@@^477,359
フクヤマ(「歴史の終り」)vi^467,(397)
フォイエルバッハ,359
フォスター『マルクスのエコロジー』(29)^472
ブラン(ルイ・),353-354
フーリエ,(445)
フランク『リオリエント』243,(308)
プルードン,26,127,354,364(『所有とは何か』?),367-372,425,(445)
     「マルクスへの手紙」(『プルードン・セレクション』?)361@^497
フロイト,xvi,173,218,346,(393),414,455,
    『モーセという男と一神教』(xvi),82@^477,(83)^478@,(83)^478@,173,414,
    『モーセと一神教』209-210,
    『トーテムとタブー』(77)^477@,81,209-210,218,    
    『夢判断』262,
    『精神分析入門 続』263@264@^491,
   (「自我とエス」?「マゾヒズムの経済的問題」?)346,
   (『文化への不満』?)(455^501)
ブローデル『物質文明・経済・資本主義(交換のはたらき×、世界時間○)1』(37)^473,(239)^490@,240^491
ブロック(マルク・)『封建社会2』186@^486
ブロック(モーリス・)『マルクス主義と人類学』66,67@^474
ブロッホ『希望の原理』xiv^467,211^489
    『この時代の遺産』391^499
ヘーゲル『法権利の哲学』257^491,453@^501
    『法の哲学』(xi,3,17,322,334,335)
    『歴史哲学』(33),414@,(11)^469@@
   (『精神現象学』),(119)
ヘス「貨幣体論」(『初期社会主義論集』),25@@^470-471@
ベラーズ(ジョン・),343
ヘルダー『言語起源論』(331)^495@
ヘロドトス『歴史』153@^484
ボダン(ジャン・)『主権国家論』248^491
ホッブズ『リヴァイアサン』98@^479@-480@,99@,100@,(106@),(132),251,(327)
ポランニー『人間の経済』10^468,136,148^483
     『経済と文明』(11)^469,
     『経済の文明史』137@^481,139@,295@(自己調整的システム「自己調整的市場と擬制商品」)
ボードリヤール『生産の鏡』(8)^468@
[マ]
マリノフスキー『西太平洋の遠洋航海者』57
マルクス,244,403-407,445,
    『経済学・哲学草稿』26
    『経済学批判』5@^467,135@
    『ゴータ綱領批判』30@,372@^497
    「資本制生産に先行する諸形態」32
    『資本論』
    『資本論 第一巻』9@,17,21@,29@,29@^472,
             109@(=115@,120@),
             123@^481,129@^481,140@,130@^481,131@^481,134@^481,136@(129,136,244),
             142@^483,143@^483,199@^488,
             238@^490,244@(=129,136),256^491,276@^492,277(自由)@,279@^492,289,etc
    『資本論 第二巻』284@^492,297@^493etc
    『資本論 第三巻』(28)^471-472@,126@^481,129^492,146@^483,151@^483,
             238@^490,(289)^493@,289@^493,369@,(377),etc
    『共産党宣言』265,360,(露語版序文,396@^499)
    『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』261,263@^491,264@^492,265@^492,265@^492,413@^500,414,(415)
    「モーガン『古代社会』摘要」(全集補4),70^475@,169^484
    「ヴェ・イ・ザスーリチへの手紙」(全集19)395@^499@
    『ドイツ・イデオロギー』xvi,23@@-24@@,26,380@^498
    「共産主義者同盟中央委員会会議議事録」(全集8)386-387@^499
    「国際労働者協会設立宣言」(全集16)371@^497
    「フランスにおける内乱」371@^497
    「個々の問題についての暫定中央評議会代議員への指示」(全集16)375@^498
    「書簡」(1881.2ニューウェンホイス宛)(379)^498@
マン(マイケル・)『ソーシャルパワー1』117^481@
マンフォード『機械の神話』90^478
ミュンツァー,223-4
ミル(ジョン・スチュアート),89,366
              『経済学原理』(第四部?第七章),(370)^497
ミルズ(ライト・)『ホワイト・カラー』268
孟子,231
毛沢東,(233)^490,388,445
モーガン『古代社会』(53,66,394)
モース『社会学と人類学』19@^470,53,73-75,(79)^477@,145@^483
モリス,(321)^494
モンテスキュー,(『法の精神』),42,109,132,251
[ヤ]
山田勝芳『貨幣の中国古代史』(138)^482
[ラ]
ライヒ(ウィルヘルム・)『ファシズムの大衆心理』262
ラスキン,(321)^494
リービッヒ,29
リカード,127,307,403,
    『経済学および課税の原理』(307),403
ルカーチ『歴史と階級意識』(433)^500@
ルクセンブルク(ローザ・)385
ルソー『人間不平等起源論』97@^479,104@^480
   『言語起源論』(331)
   『社会契約論』
(ルター),(314)^493
レーニン,433
レヴィ=ストロース『親族の基本構造』69@^474,71@^474,77@^477
         「マルセル・モース論への序論」(『社会学と人類学1』)74@^475
レンフルー『先史時代と心の進化』(50)^473
老子,111,231
ロック『市民政府論』251,(252),409
「ロッチデール原則」368
ロールズ『正義論』397-398@^499
    『万民の法』460
    『公正としての正義』460
[ワ]
ワルドー,223


(21:48)

2010年02月08日

タルコフスキーが計画していた映画のリストに『聖アントニウスの誘惑』がある。
最近ネット上でこれはフローベールの『聖アントワヌの誘惑』が原作なのではないかと言う議論があったようだ。
結論から言うとタルコフスキーはもっと古い資料(聖アタナシウスによる伝記等)から影響を受けたという説が濃厚だが、フローベールの原作について考察することがまったく無意味という訳でもないと思う。

というのはフローベールがこの作品の執筆に30年近くかかったように彼にとっての代表作のひとつであるということもあるが、デリダがこの原作をめぐって、ほとんど唯一スピノザに言及しているのだ(『Psyche』未邦訳*)。

フロベールの原作のなかの悪魔が、スピノザの汎神論らしきものを展開するのだが、これは『ソラリス』の倫理的葛藤とパラレルと考えられなくもない。

具体的に言えば、『ソラリス』のラストで主人公が汎神論につつまれるように、『サクリファイス』では主人公はマリアと一夜を共にする(多分、タルコフスキーの構想は『サクリファイス』のなかで完全に形象化されている)。

フローベールとまったく違って、タルコフスキーは(そのロシア正教的外観にも関わらず)スピノザの側に立っていたとも考えられるのだ。


注*:
『プヴァールとペキュシェ』(岩波文庫中第八章)の哲学談義でフローベールはスピノザを引用しており、デリダの論考もどちらかと言えばこちらがメインだ。

(17:40)

2009年12月20日


ディランの新作はクリスマスソングのカバー集。
収益は寄付されるようが、そうしたモチベーションの純粋さがサウンドにも一貫している。ラジオから流れてくるとうれしくなってしまうようなアルバムだ。

プロモビデオはディランの髪型がファンに驚きをもって言及されているが、これは明らかにユダヤ教徒を意識した格好だ。
ラストの逃亡者もユダヤ民族のアナロジーだろう。
ごく普通の解釈だと思うがどうだろう?

(17:19)

2009年12月15日

ある専門家に言わせると現在地球上で進行しているのは温暖化というより砂漠化が正しいそうだ。また、気温上昇はCO2増加の結果ではなく原因だとも言われる。
いずれにせよ以下のような言葉だけではなく映像を使った環境教育は説得力がある。


(14:24)

2009年11月05日

イチローのWBC決勝打も8球目だったが、松井のホームランも8球目だった。イチローの決勝打以上に重さが感じられるのはこれが7年越
し?のワールドシリーズ勝利だったからだ。

さて、気になったのがデレク・ジーターの打席の前に球場でかかる音楽だった。どこかで聞いたことがあると思ったが、、、、
松井のことも歌詞に出て来ていいくらいではないだろうか?


Empire State Of Mind Lyrics

[Jay-Z]
yeah
Yeah I'm out that Brooklyn.
Now I'm down in Tribeca.
Right next to DeNiro
But I'll be hood forever
I'm the new Sinatra
And since I made it here
I can make it anywhere
(Yeah they love me everywhere)
I used to cop in Harlem
All of my Dominicanos (Hey yo)
Right there off of Broadway
Brought me back to that McDonalds
Took it to my stash spot
560 State Street
Catch me in the kitchen like Simmons whipping Pastry
Cruising down 8th street
Off-white Lexus
Driving so slow
(but BK, it's from Texas!!)
Me I'm out that BedStuy
Home of that boy Biggie
now I live on Billboard
and I brought my boys with me
Say what up to Ta-ta
Still sipping Mai Tais
Sitting courtside
Knicks and Nets give me high-5
N**ga, I be Spiked out
I could trip a referee
...tell by my attitude that I'm MOST DEFINITELY FROM...

[Alicia Keys]
New York!!!!
Concrete jungle where dreams are made of,
There's nothing you can’t do,
Now you're in New York!!!
These streets will make you feel brand new,
the lights will inspire you,
Let's hear it for New York, New York, New York


[Jay-Z]
I made you hot n-gga,
Catch me at the X with OG at a Yankee game,
sh-t I made the Yankee hat more famous than a Yankee can,
you should know I bleed Blue, but I ain't a crip tho,
but I got a gang of n-ggas walking with my clique though,
welcome to the melting pot,
corners where we selling rocks,
Afrika bambaataa sh-t,
home of the hip hop,
yellow cab, gypsy cab, dollar cab, holla back,
for foreigners it ain't fitted act like they forgot how to act,
8 million stories out there and they're naked,
city it's a pity half of y’all won’t make it,
me I gotta plug a special and I got it made,
If Jeezy's payin LeBron, I’m paying Dwayne Wade,
3 dice cee-lo
3 card marley,
Labor Day parade, rest in peace Bob Marley,
Statue of Liberty, long live the World Trade,
long live the king yo,
I’m from the Empire State thats…

[Alicia Keys]
In New York!!!!
Concrete jungle where dreams are made of,
There's nothing you can’t do,
Now you're in New York!!!
These streets will make you feel brand new,
the lights will inspire you,
Let's hear it for New York, New York, New York

Welcome to the bright light..

[Jay-Z]
Lights is blinding,
girls need blinders
so they can step out of bounds quick,
the side lines is blind with casualties,
who sip the lite casually, then gradually become worse,
don’t bite the apple Eve,
caught up in the in crowd,
now you're in-style,
and in the winter gets cold en vogue with your skin out,
the city of sin is a pity on a whim.
good girls gone bad, the city's filled with them,
Mommy took a bus trip and now she got her bust out,
everybody ride her, just like a bus route,
Hail Mary to the city your a Virgin,
and Jesus can’t save you life starts when the church ends,
came here for school, graduated to the high life,
ball players, rap stars, addicted to the limelight,
MDMA got you feeling like a champion,
the city never sleeps better slip you a Ambien

[Alicia Keys]
New York!!!!
Concrete jungle where dreams are made of,
There's nothing you can’t do,
Now you're in New York!!!
These streets will make you feel brand new,
the lights will inspire you,
Let's hear it for New York, New York, New York

[Alicia Keys]
One hand in the air for the big city,
Street lights, big dreams all looking pretty,
no place in the World that can compare,
Put your lighters in the air, everybody say yeaaahh
come on, come,
yeah,

[Alicia Keys]
New York!!!!
Concrete jungle where dreams are made of,
There's nothing you can’t do,
Now you're in New York!!!
These streets will make you feel brand new,
the lights will inspire you,
Let's hear it for New York, New York, New York

[End]

追記:
松井にホームランを打たれたペドロがヤンキースファンから"Who's your daddy?"とからかわれていたのは彼自身の出自と発言が理由としてあるのだが、この歌の歌詞も連想させる。


二人のシーズン ゾンビーズ
The Zombies - Time Of The Season 歌詞 訳
1968 #3

written by Rod Argent(keyboard player)

It's the time of the season
When the love runs high
In this time, give it to me easy
And let me try
With pleasured hands
まさしく季節はいまだ
愛の波動が高まってきている
今度は手こずらせずにやらせてくれるかい
試させてみてよ、この歓びに震える手で

*time>Our country is really beautiful at this time of (the) year.わが国は1年のうち今の時期がいちばん美しい
*give it to me >"give it to me, baby" とは、「urban dictionary」によれば、 Sometimes, this phrase is used during sexual intercourse, to order the female to do it better.だそうです
* run high〈感情などが〉激してくる;〈海が〉荒れる.
The sea runs high.海の波が高い.

To take you and the sun to
Promised lands
To show you every one
It's the time of the season for loving

君と太陽を連れて行きたい
約束の地へ
君をみんなに見せてやるんだ
まさしく今は恋のための季節だ

What's your name?
(What's your name?)
Who's your daddy?
(Who's your daddy? He rich?)
Is he rich like me?

で、君の名前は何というの?
お父さんは誰なの?
彼もお金持ちかな、僕のように?

Has he taken
(Has he taken)
Any time
(Any time to show)
To show you what you need to live?
Tell it to me slowly
(Tell you what?)
I really want to know
It's the time of the season for loving

お父さんは時間を惜しまず教えてくれたかい
生きるためには何が必要かを
ゆっくりと話してくれるかい
(何を話すの?)
とても知りたいよ
まさしく今は恋のための季節なんだ



What's your name?
(What's your name?)
Who's your daddy?
(Who's your daddy? He rich?)
Is he rich like me?

で、君の名前は何というの?
お父さんは誰なの?
彼もお金持ちかな、僕のように?


Has he taken
(Has he taken)
Any time
(Any time to show)
To show you what you need to live?
Tell it to me slowly
(Tell you what? )
I really want to know
It's the time of the season for loving

(21:54)

2009年10月29日






先日放送された朝まで生テレビの東浩紀の発言が反響を呼んでいる。
数万規模の自治体ならSNSなどをつかって直接民主主義が可能ではないかという議論だ。

実際、スウェーデン等は2万9千人規模のコミュニティーを維持することで福祉等のサービスを充実させている。

ただし、ネット社会はフリースケール化という現象も生む。勝者が一人勝ちする傾向があるのだ。snsではmixiだけが肥大化するし、twitterも数人の著名人が何十万人のフォロワーを生む‥…。一人一票が保証されていても情報戦の段階で格差が生じる危険があるのだ。

小規模のコミュニティーを維持するには、教育(お年寄りに近所のカフェでPCの使い方を教える等)や地域通貨を含む金融等様々な現実的な政策が必要だ(キューバの都市農業も参考になる)。

現在まだ実験段階の地域snsも患者同士のネットワークや教師間の教え合いなどもっと行政側による踏み込んだ使い方が望まれる。

以下は、老子が二千年以上前に重い描いた理想郷の姿、、、、

第八十章
小國寡民、使有什伯之器而不用。使民重死而不遠徙。雖有舟轝、無所乗之、雖有甲兵、無所陳之。使民復結繩而用之、甘其食、美其服、安其居、樂其俗。鄰國相望、雞犬之聲相聞、民至老死不相往來。

小国(しょうこく)寡民(かみん)、什伯(じゅうはく)の器(き)あるも用いざらしむ。民をして死を重んじて遠く徙(うつ)らざらしむ。舟轝(しゅうよ)ありといえども、これに乗るところなく、甲兵(こうへい)ありといえども、これを陳(つらぬ)るところなし。人をしてまた縄を結びてこれを用い、その食を甘(あま)しとし、その服を美とし、その居に安んじ、その俗を楽しましむ。隣国(りんごく)相望み、雞犬(けいけん)の声相聞こゆるも、民は老死に至るまで相往来(おうらい)せず。

小さくて人口の少ない国がある。
数多くの道具があったとしても、誰れもそれを使わない。
人々は生命を大事にし、誰れも遠くに移住することを望まない。
船や車は役に立つが、誰れもそれらに乗らない。
すばらしい武器を所有していても、誰れもそれを使わない。
人々にもう一度、縄を結んで約束のしるしとしたような時代に戻らせ、
すばらしいごちそうで楽しませ、立派な服装を着させる。
自分の住居でおちつかせ、習慣を楽しませる。
隣の国はすぐ見えるところにあり、鶏の鳴き声や犬の吠えるのがきこえるけれど、人々は互いに往き来することもなく、その人生を送るのである。

80. Utopia
Let your community be small, with only a few people; Keep tools in abundance, but do not depend upon them; Appreciate your life and be content with your home; Sail boats and ride horses, but don't go too far; Keep weapons and armour, but do not employ them; Let everyone read and write, Eat well and make beautiful things.
Live peacefully and delight in your own society; Dwell within cock-crow of your neighbours, But maintain your independence from them.
http://www.nam21.sakura.ne.jp/tao/#note80

(20:44)

2009年10月22日

僕が見た最高のサッカー選手は(攻撃面では)ピクシー、ストイコビッチかもしれない。
あらゆる場所に顔を出していたが、技術が確かだから出来ることだ。





(19:04)

2009年10月16日

(昨日の日記はスピノザの話になってしまったので話を元に戻すと)
多分、ニーチェに一番近い映画作家はゴダールだ。

『アリア』のなかの短編↓で、ゴダールは身体を取り戻そうとしている
参考:http://nn-nico.blogspot.com/2007/12/blog-post.html。
(ゴダールは無神論者だから『哲学の歴史』7で解説されているような汎神論とは無縁である。)
1/2

2/2
2/2

聖書の引用「然り然り、否否」(出典は以下↓)で終わるこの映画は、主題としてアンチノミーを扱っているが、構造ではなく動的なものを捉えようと姿勢においてニーチェ的なのだ。

  「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」
(新約聖書マタイによる福音書 5章33節から37節)

ゴダールが、(徴兵制を逃れるため)スイスでドイツ的なものとも親交を深めている事実もある。イタリアへの憧憬も含め、その二重国籍はも極めてニーチェ的だ。


(15:56)

2009年10月15日



タルコフスキーは遺作『サクリファイス』冒頭でシェークスピア、ドストエフスキーの名とともにニーチェの名前を出している。

だが、タルコフスキーから連想する思想家はスピノザだ。
スピノザ研究家の上野修氏は以下のように述べている。

 <スピノザの哲学は (「人間」的なものの籠絡からの)静かなデタッチメントの哲学だ。すなわち、われわれの身体が物質宇宙の一部分であるように、われわれの思考も無限な思考宇宙 の一部分である。われわれに思考があるのにわれわれがその部分である自然に思考がないとするのは不自然である。われわれの中で事物自身が事物自身について肯定したり否定したりするようになったとき、われわれの精神は「自動機械」となって、自分のいる場所(自然)がずっと「神」であったとわかる。カメラが引いていくと、帰還した地球の故郷が実は惑星ソラリスの変様部分であるのが判明するあのタルコ フスキー監督の「惑星ソラリス」のラストシーンを思い出す。>
(講談社『本』5月号「スピノザから見える不思議な光景」より)

ちなみに、ニーチェはスピノザを読んだ後、5ヶ条のメモを取っている。そのうちのひとつが「善悪の彼岸」というメモで、それが『善悪の彼岸』に繋がったのだろう(以前書いたが永劫回帰ろいうコンセプトにもスピノザの間接的影響があるはずだ)。

<定理六八 もし人々が自由なものとして生まれたとしたら、彼らは自由である間は善悪の概念を形成しなかったであろう。>
(スピノザ『エチカ』第4部定理68

ニーチェはカントとは正反対の方向に進んだが、タルコフスキーがこの壮絶な遺作、義務感と使命感に満ちた映画に反措定としてのニーチェの名を出しているのは面白い。

本来スピノザはタルコフスキーの義務感に対する反措定ではなく、その創作を支援するものだったろう(『映像のポエジア』に興味深い「自由」の解釈があるが、これはニーチェよりスピノザに近い)。

それは、上野氏が参照したソラリスのラストに、ストーリーのうえで表れているが、それ以上に『サクリファイス』の画面に満ちあふれる(東洋的とさえ言える)汎神論的世界観に表れている。

それが必ずしもキリスト教文化と必ずしも背反しないところにタルコフスキーの懐の大きさ、偉大さがある。

詩人たる由縁である。


追記:
もうひとりスピノザに近い映画作家を挙げるならパゾリーニだ。


『豚小屋』の元になった当初のシナリオでは主人公がスピノザの幻影を見る設定になっていたそうだ。スピノザが夢のなかで豚を愛することは神を愛することに繋がると言うのだそうだ(参照『パゾリーニとの対話』)。
上記の完成版ではスピノザの名は出て来ないが、主人公が学生運動に没頭する恋人と別離をするシーンに変わっている。
印象的なシーンであることには変わりがない。

パゾリーニが論理的なのに、タルコフスキーは論理的な正当性が人類を救わないと考えていた。黒澤明はその点で同意していたそうだ(三百人劇場パンフレットより)。

非論理的な立場からも論理的な立場からも詩人たりえるということは大きな謎だ。

(カントは、構想力を天才の能力として、理性の理念に表象を与えるものとしている。より一般的な趣味的な判断力が自然と自由をつなぐということがよく言われるが、それよりも、上記の二人の映画作家の場合は、構想力及び直観が両者をつなぐ表象=映画をつくりえていると言えよう。)

参考:
パゾリーニは以下のように語っている。


 「私は、映画は本質的かつ本来的に、詩的なものであるという意見です。その理由として私はこう言ってきました。
 すなわち、映画は夢のようであり、夢に近いものであるからと。また、映画のシークェンスも、さらにそのシークェンスの事物までも実に詩的であるからだと。撮影された木は詩的ですし、撮影された人間の額も詩的です。なぜなら、それらの物理的存在がそれ自身詩的なものであり、一つの表出であり、神秘にみちており、あいまいさに溢れており、多面の価値を意味するものであり、また一本の木すらが言語体系における一つの記号だからです。しかし、だれが木によって語るのでしょうか。それは神、または現実それ自身です。だから、一つの記号としての木は、われわれを神秘的な語り手とコミュニケートするようにさせるのです。だから、事物を物理的にただ素直に再生する映画は、本質的に詩的なのです。このことは、歴史以前の問題というか、ほとんど映画以前の問題に属するものです。
 私たちが歴史的事実としての映画。コミュニケーションの手段としての映画などを持ったとき、はじめて、映画もまたあらゆるコミュニケーションのメディアと同じように、異った種類のものへと発展していくのです。ちょうど文学が散文のための言語と韻文のための言語を持っているように、映画も持っています。私が言っているのはこのことです。ですからこの場合は、映画が詩的な一形式であるがあるがゆえに本来的に詩的であるなどということは忘れるべきです。くり返して言いますが、それはあくまでも歴史以前の、無形の、非自然的な問題なのです。もっとも陳腐な西部劇や古い商業映画を見るようなときでも、もしそれを月並みでない見方で見るならば、どんな映画にも、映画の物理的存在自体に本来的に備わっている夢的で詩的なものを発見しないではおかないでしょう。しかし、このことはそのまま詩的映画だということにはなりません。詩的映画とは、詩人が一篇の詩を書こうとするときに特別な技術を用いるのとちょうど同じように、特別な技術を用いた映画です。あなたが一冊の詩の本を開くならば、あなたはたちまちそこに文体や、リズムなど一切を読みとれるでしょう。あなたは手段としての言語を見、また詩句の音節を認めるのです。ところで、映画の中にも、あなたが詩に見るものとまったく同じものを見つけることができます。その文体を通して、つまりカメラの動きやモンタージュを通して見るのです。
 ですから、映画を作るということは、詩人になることなのです。」

『パゾリーニとの対話』p185波多野哲朗訳、晶文社、1972.4より


これはスピノザにも影響を与えたマイモニデス*(岩波文庫『エチカ』上,p274参照)の木を使った比喩に似ている。知性と認識されるものと認識するものが神において同一であり、木という例をマイモニデスは例に挙げているのだ。
マイモニデス 迷える者への手引き 英語版 1:68

付記:
マイモニデスの説明

      the intellectus
         知性
         /\
        /  \
       /  神  \
認識するもの/______\認識されるもの
the intelligens,        the intelligibile

    知性
    /\
 人間/__\木(観念)

   ↓
   同一


パゾリーニの説明

    神(現実)
   / \
映画/___\木

ただし、超自然的力に頼るマイモニデスはスピノザのように唯物論とは言えない(畠中尚志の解説)。

*マイモニデス(1135-1204)はアヴェロエスとも交流があったコルドバ生まれのラビ兼医師、学者。

(21:25)

2009年10月04日

再放送された『世紀を刻んだ歌 ヘイ・ジュード』で紹介されたマルタ・クヴィショワによる「ヘイジュード」。
チェコの民主革命のシンボル的歌だそうだ。マルタがこの歌を再び歌うのは20年後の1989年だった、、、


Marta Kubišová, recitál Proudy, FSB 1969
Hey jude

上記の歌は以下のPVの画像(のみ)と重ねて聴くといいと思う。


Marta Kubišová v původní versi z recitálu Proudy, FSB 1968
Mamá II

(00:02)

2009年08月22日

戦術的ピリオダイゼーション理論

サッカーのトレーニングに常に状況判断を取り入れるという理論。
モウリーニョが取り入れて有名になったそうだ。
試合では敵がいるのに練習では要素還元的なトレーニングをしているから、テクニックはあるが試合で発揮できないという現象は日本でもよく指摘される。
この戦術を紹介した著作で面白かったのは、サッカーをカオスとフラクタルからなる複雑形と捉えている点だ。

敵がいるという試合を練習でも自己相似形的(フラクラル)に再現することにポイントがある。

『バルサ流〜』というこの戦術トレーニングの紹介本を読んだら、ミニゲームにおけるボール拾いで早く拾った方がマイボールになるなど、小さなリアリティが大事らしいことがわかった。

これは実は(本書では否定されているが)考え方としては筋トレなどにも応用できるだろう。反射神経を常に意識した筋トレなどはありえるだろうからだ。

追記:
日本サッカー協会の組織のあり方がサッカーそのものに自己相似的に影響を与えるということもあり得る言えるのではないか?


(22:34)

2009年08月13日

政治に関しては最近書いてこなかったが、いくつか検討すべき緊急な政策について書いてみたい。

まず、逆累進性の高い消費税に替わって、生活必需品の税率をゼロにした、付加価値税の導入を検討する必要があると思う。
これはイギリスが行っているが、生活必需品には新聞も入っているそうだ。
事務作業が大変だと言う人もいるが、多くの商品が電子的に管理されているわけだから、それほど負担になるとは思えない。

次に、以前から書いているが、地域再投資法である。
これは地域金融に自己資本比率以上に地域での貢献を義務づけるものだ。
地方分権などは民間経済を活性化させるための経済システムを伴わなければ無意味だが、地域再投資法はそのための第一歩だ。
NPOバンクなどへの金融規制を撤廃することとともに必要な政策だと思う。

ついでに地方分権について書くなら、これは都道府県の市町村への権利委譲がなければ無意味だと思う。新静岡県知事や新名古屋市長などはそうした意思を表明しているが、その点が不明瞭だと何のための地方分権かわからなくなる。

スウェーデンなどは2万9千人ほどのコミュニティを行政が維持しているそうだが、そのくらいの人数でないと細やかな行政サービスは出来ない。

また、スウェーデンは公務員の肥大化が指摘されているが、それは日本の官僚制とは違って人材の流動性が確保されており、致命的なものではない。

話が脱線したが、地域SNSなどを駆使し、環境と教育を含めた循環型社会をつくる必要があると思う。

そのためには教育と医療に関しては行政側がSNSサイトを立ち上げ、意見を吸い上げる仕組みが必要だ。

それは地方発の素晴らしいアイデアを共有するためのシステムでもある。



(02:55)

2009年07月30日

中島一夫氏『収容所文学論』につづき、最近上梓された佐々木敦氏『ニッポンの思想』でも、柄谷行人の個有名論の限界が指摘されていて興味深い。
ただし、基本的な哲学史が忘却されているので、論理学に時間を導入することにそもそも限界があるということが認識されていない。

柄谷はNAMの失敗をハイデガーのナチへのコミットになぞらえていたが、これは本気で言っているのだということが最近ようやくわかった。ハイデガーこそが哲学史的な文脈で論理学に時間を導入し、さらに昨今の論客が忘却している倫理の問題を論理学に織り込むことに心を砕いていたからだ。

さて冒頭の二著作でメルクマールとされていた「批評空間 (第2期第21号) いま批評の場所はどこにあるのか」の共同討議を引き継いだ形で10年後(2009年)に開催されたシンポジウムの音声(のみ)がアップされていたので紹介します。



柄谷行人は参加していませんが、浅田彰氏が孤軍奮闘しています。


http://d.hatena.ne.jp/gginc/20090129/1233215862
以下、上記サイトより

浅田:オバマ大統領の話について言及する。Facebookの気持ち悪さというのがある。今回の大統領選は、ネットオタク(=オバマのこと)がネットオタクの力で勝ち取ったが、あれはボナパルティズムになっている、それに、私は日本のWebサー日ビスよりもある種の脅威を感じる。私は日本のダメさのほうがいいかなあ。(ここで浅田、時間の都合で退場。会場拍手)

参考:
思想地図〈vol.3〉特集・アーキテクチャ
思想地図〈vol.3〉特集・アーキテクチャ (NHKブックス別巻)思想地図〈vol.3〉特集・アーキテクチャ (NHKブックス別巻)
販売元:日本放送出版協会
発売日:2009-05
おすすめ度:5.0
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(13:57)

2009年07月09日

6月30日に亡くなったピナ・バウシュの追悼文が今週の朝日新聞に載っていた。
浅田彰はピナをポストモダンとも言えるのではないかと留保付きで言及し、別の追悼文には彼女はポストモダンではないと書いてあった。
ポストモダンにも定義にもよるが、以下の踊りは明らかにポストモダンだと思う。

ただし、彼女は人間の感情を重視するし、ダンスカンパニーを一定の都市に定着させた。その実践を見ると、ポストモダンという印象とはまったくかけ離れる、、、、



(18:06)

2009年07月08日

"I Never Dreamed You'd Leave In Summer"from『青春の軌跡』

I never dreamed you'd leave in summer
I thought you would go then come back home
I thought the cold would leave by summer
But my quiet nights will be spent alone

You said there would be warm love in springtime
That was when you started to be cold
I never dreamed you'd leave in summer
But now I find myself all alone

You said then you'd be the life in autumn
Said you'd be the one to see the way
I never dreamed you'd leave in summer
But now I find my love has gone away

Why didn't you stay?

"They Won't Go When I Go "「聖なる男」from『ファースト・フィナーレ』

No more lying friends
Wanting tragic ends
Though they do pretend
They won't go when I go

All those bleeding hearts
With sorrows to impart
Were right here from the start
And they won't go when I go

And I'll go where I've longed
To go so long
Away from tears

Unclean minds mislead the pure
The innocent will leave for sure
For them there is a resting place
People sinning just for fun
They will never see the sun
For they can never show their faces
There ain't no room for the hopeless sinner
Who will take more than he will give
He ain't hardly gonna give

The greed of man will be
Far away from me
And my soul will be free
They won't go when I go

Since my soul conceived
All that I believe
The kingdom I will see
'Cause they won't go when I go

When I go
Where I'll go
No one can keep me
From my destiny.

http://www.mtvjapan.com/michaeljackson/

(14:07)

2009年06月17日

昔衝撃を受けた実験映画。
横線だけで構成され、アブストラクトで抽象的だが人間的な暖かみがある。
作者のノーマン・マクラレンはCGを使わなかったが、いまでも充分刺激的だ。音楽はピート・シーガー。


ヤマハのテノリオンという楽器をつくった造形作家の岩井俊雄も影響を受けたそうだ。
他に刺激を受けた実験映画に伊藤高志の「SPACY」がある。こちらはyoutubeにないが、浅田彰が『構造と力』で言及していてさすがだと思った、

(10:19)

2009年05月27日

歴史上の論争のハイライトを考えてみた。

古くは老子と孔子、



最近ではアインシュタインとボーア、


日本では本居宣長と上田秋成の論争などはどうだろうか?
あるいは論争とは言えないが、徳川吉宗と宗春との倹約か積極財政かの対立も興味深い。


この他ではマルクスとプルードンの対話も興味深いし、ドストエフスキーの「大審問官」もフィクションではあるが忘れがたい。

(09:08)

2009年05月12日

ジャック・アタリ(『21世紀の歴史』)はジェノヴァを主張するアリギ(『長い20世紀』)と違い、資本主義の中心都市の最初にブルージュを挙げている*。

ジャック・アタリ 資本主義の中心都市
(1200-1350)14世紀ブルージュ→
(1350-1500)14世紀後半ヴェネツィア→
(1500-1560)アントワープ→
(1560-1620)ジェノヴァ→
(1620-1788)アムステ ルダム→1788オランダ銀行倒産
(1788-1890)18世紀末ロンドン→
(1890-1929)19世紀後半アメリカボストン→
(1929-1980)20世紀ニューヨーク→
(1980-   ? )80年代ロサンゼルス→ ?

ヘーゲル式△年表で図示すると以下(ブルージュは市場経済から資本主義経済に移行したのが14世紀初頭と考えるべきだろう。同書p66参照)、
               /\
              /__\
             /\21/\
            /__\/__\
        ボストン〜      /\
          /__\    /ロス〜   
         /\19/\  /\20/\
        /__\/__\/_ニューヨーク〜
       /\              /\
      /__\            /ロンドン〜  
     /\15/\  <中心都市>  /\18/\
    /__\/__\        /__\/__\
   /\      /\      /\      /\
  /__\    ヴェネツィア〜 /ジェノヴァ〜 /__\
 /\13/\  /\14/\  /\16/\  /\17/\
/__\/__\/ブルージュ〜\アントワープ〜\/_アムステ_\
                           ルダム〜

さて、イメージで歴史を捉えるのは、単に活字で歴史を追うより頭に入りやすい。
以下の映画も間違った時代考証もあるだろうが、歴史に興味を駆り立てるのには充分だ。

釈迦 


日本誕生 予告編


新平家物語 予告編


天草四郎時貞 予告編



以下のようなルゴドの説くヨーロッパ覇権以前の経済圏も忘れてはなるまい。
ルゴド


(18:55)

2009年04月28日


歴史映画を作る際、困るのはロケ地だ。
エイゼンシュテインはメキシコの歴史を各地をめぐることで描こうとした。
時代をめぐる時の旅は、空間の旅でもある。
Que Viva Mexico trailer- Eisenstein
http://www.youtube.com/watch?v=fKCsBH2o1Ys

これと同じことがSF映画にも言える。
タルコフスキーは未来都市を探しに大阪万博にきたが、結局東京の高速道路を撮影した。

http://www.youtube.com/watch?v=rswYl7RLRNE
ちなみに(以前も触れたことがあるが)、『メキシコ万歳』はパゾリーニの生の三部作を想起させる。

なお、ロードムービーはこうした作為が有機的に機能していない状況で生まれたと思う。

(18:53)

2009年03月01日

イギリスは金融立国に失敗したとされているが、教育への投資をみると教育立国を考えていることがわかる。
その点、日本は見習うべきだろう。

以下、
発達障害児教育の事例
イギリスと日本
2009.02.10http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2009/0902-2.html#tue
http://www.nhk.or.jp/gendai/

Watch example of the education for outsider  |  View More Free Videos Online at Veoh.com

(04:15)

2009年02月11日

Bob Dylan - Hallelujah


動画はボブ・ディランのカバーしたレナード・コーエンの名曲「ハレルヤ」。
以下は以前日本語で歌えるように訳したもの。
http://plaza.rakuten.co.jp/yojiseki/diary/200406250000/

ハレルヤ

神に捧げられた秘密の音楽さえ
お前はろくに聞いちゃいない
それはこんな風に響きを変えて
ダビデが歌い上げたハレルヤ
ハレルヤ、ハレルヤ、
ハレルヤ、ハレルヤ

信じた見返りをお前は求めてた
月明かりに心奪われ
椅子に縛り付けられ髪の毛を切られて
彼女にせがまれたハレルヤ
ハレルヤ、ハレルヤ、
ハレルヤ、ハレルヤ

お前の名前さえ俺は知っちゃいない
知ったところで同じことさ
どんな言葉にだって輝くものがある
それが私なりのハレルヤ
ハレルヤ、ハレルヤ、
ハレルヤ、ハレルヤ

ベストを尽くしたが
まだ何か足りない
心はもう何も感じられず
たとえ罵られても真実を語ろう
それが私へのハレルヤ
ハレルヤ、ハレルヤ、
ハレルヤ、ハレルヤ

ハレルヤ、ハレルヤ、
ハレルヤ、ハレルヤ

(原曲、レナード・コーエン)


(02:45)

2009年02月06日

(以下、別ブログに投稿したものの転載です。)

世界遺産の番組がTBSとNHKで放送されているが、今まで見た番組シリーズのなかで、ロバート・オーウェンが試みた工業団地の舞台であるスコットランドのニュー・ラナークは特に印象に残った。
日本語の動画は入手できなかったので、以下はyoutubeから拾った英語版の紹介動画。

この動画だとわからないが、住宅に関しては今でも人々が生活しており、そこが他の世界遺産と違うところだ。
1800-1825年まで続いたオーウェンの試みは、投機目的のお金の流れによって阻まれた。だがそれはオーウェンが間違っていたということにはならない。
むしろあらゆる場所で同時的にオーウェンの試みが必要なのだろう。
共同体の前に流通網が必要だとも思うが、そうしたプルードン的発想と共同体志向であるオーウェンやフーリエの発想は二律背反ではないと思う。

リンク:
http://4travel.jp/sekaiisan/newlanark/
TBS世界遺産
NHK世界遺産

追記:
オーウェンはその後アメリカのニューハーモニーでも同様の試みをしている(法政大学出版『都市と思想家1』に詳しい)。

追加参考動画(デアゴスティーニ世界遺産88日本語版より):


上記動画は今も生活するひとたちを描いていないので面白みに欠けるが、生活協同組合の前身となった活動に触れているのが興味深い。ガンジーのような自律分散的な生産が理想だから、生産工場を試みた人物としてのオーウェンを手放しで賛美するわけにはいかないが、生協運動の先駆者としてのオーウェンはやはり特筆に値する。
また、教育もオーウェンが強調したように重要だということがわかる。

参考:
The Falls of Clyde by J.M.W. Turner

The Falls of Clyde by J.M.W. Turner

コラ・リンを詠んだワーズワースの原詩

(06:22)

2009年01月22日

オバマが合衆国初の黒人大統領に就任した。以下の祭典映像が興味深かった。

ピート・シーガーとブルース・スプリングスティーンによる『This land is your land』、

スティービー・ワンダー他豪華メンバー、

舞踏会で歌うビヨンセ、


さて、アメリカが民主化したと言えるのは、黒人ではなく先住民族が大統領になった時だと思う。
ホワイトハウスはレッドハウスにならなくてはならない。
ティナ・ターナーもそうだが、ジミー・ヘンドリックスはアメリカ先住民族の血を引いたミュージシャンンの代表格だ。

ブルースの名曲「レッドハウス」、

ついでに別バージョンも、

さらについでに有名な合衆国国歌の演奏、



(23:24)

2009年01月15日

(googleで検索すると↓)Proudhon 生誕200周年を記念したブログ記事がいくつかみつかりました。
http://blogsearch.google.co.jp/blogsearch?hl=ja&um=1&ie=UTF-8&q=200+proudhon3;&btnG=%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
ドイツ語とスペイン語が多く、フランス本国と英語圏で人気がないような気がします、、、、

proudon 200 blog
Proudhon (Property is Theft!) @ 200
http://jahsonic.wordpress.com/2009/01/14/proudhon-property-is-theft-200/←キッチュでおすすめなブログ

No dia 15 de Janeiro passam 200 anos do nascimento de Proudhon: breve incursão no pensamento daquele que é visto como o pai do anarquismo
http://pimentanegra.blogspot.com/2009/01/no-dia-15-de-janeiro-passam-200-anos-do.html

Pierre-Joseph Proudhon zum 200.
http://www.fau-aachen.net/nachrichten/pierre-joseph-proudhon-zum-200.html

PIERRE-JOSEPH PROUDHON - 200 ANOS
http://marreta.wordpress.com/2009/01/15/pierre-joseph-proudhon-200-anos/

Pierre-Joseph Proudhon 200. Geburtstag
http://www.jakovkatz.szylla.org/2009/01/13/pierre-joseph-proudhon-200-geburtstag/

Buon Compleanno, Proudhon!
http://brigantilibertari.blogspot.com/2009/01/buon-compleanno-proudhon.html

パリ案内の著作もあるにむらじゅんこさんのブログに記事がありました。

2009年はアナーキスムの年(になるか)
http://junquonimura.jugem.jp/?eid=108

上記ブログによると、
プルードンの未公開手記『Carnets inédits : Journal du Second Empire』が、2009年2月にパリのフランス国立科学研究センターから発売されるそうです。

また、ル・モンド・ディプロマティーク一月号は、アナーキスム特集で未発表のテキスト(Honte au suffrage universel !
Un texte inédit de Proudhon、普通選挙の恥を知れ! )も公開されるようです。
参考:
http://www.monde-diplomatique.fr/2009/01/
http://www.diplo.jp/liste09/0901liste.html


追記:
ガザのライブ?映像サイト。
(現在停止中)


(23:09)

2009年01月13日

ルソーの社会契約論はよく知られているが、今年(1月15日で)生誕200年を迎えるプルードンの知名度はどの程度なのだろう?
以下は去年年末若手社会学者の集まったシンポジウムの模様(65分)だが、その名前がでてもいい話題なのに最後までプルードンの名前は出て来ない。

ルソーの社会契約論を双務的な契約で相互的でないと批判し、経済的基盤もないと指摘したプルードン。個人主義者と集団主義の双方から批判されたプルードン。ジジェクが以下で現在の状況に関して次のように述べている。

http://www.asahi.com/business/update/0111/TKY200901110152_01.html

 ――今回の金融危機をどう受け止めますか。

 スラボイ・ジジェク氏「89年にベルリンの壁が崩れた時『社会主義』という夢が終わった。代わって登場したのが『自由市場』と『リベラル民主主義』の結びつきという新しい夢だった。90年代のグローバル化を通して、この夢が世界に広がった」

 「今世紀のほぼ10年で明らかになったのは、この新ユートピアも終わったということだ。まず01年9月11日に(米国への同時多発テロで)『世界に広がるリベラル民主主義』という側面が、象徴的な意味で終わりを迎えた。世界中で国々や人々を隔てる新しい『壁』が生まれた。イスラエルとガザの間には文字通りの壁が建てられ、米国とメキシコの間には、不法移民を防ぐフェンスが築かれた」


このように左右の夢が破れた現在、その中間に屹立したプルードンの重要性は歴史的にも明らかだ。
今こそプルードンに還るべきだと思われてならない(現在邦訳は、2〜3冊しか手に入らないが、、、)。

追記:
以下のような冗談のようなアイデアを考えたので追記します。
proudhon

国際プルードン友の会(本部支部ともに横浜)は、2009年1月15日のプルードン生誕200年を記念して、減価式紙幣を発行します。
減価率は1週間で0.1パーセント、一年で約5パーセントですが、1000プルードン紙幣には1年に5回10プルードン切手を空欄に切手を貼って下さい。
一年で回収し新たなものと交換します。
なお、20年ですべての紙幣の価値がゼロになることになりますが、これは貨幣の価値を一世代で終わらせるためにゲゼルの出した変数です。

電子マネーと連動する際には、1000プルードン未満を切り捨て、確実に年5パーセント減化するように換算します。

税金と給料(または定額給付金)に使用可能にするにはハードルが高いので、プルードン友の会の会費に使えるようにします。事務対価にも使われます。

というわけで、遅れましたが新年あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い申しあげます。


(11:00)

2009年01月12日

ips3

幹細胞を作るのにDNAのなかの遺伝子がいくつ必要かが研究の対象になっている。
当初の4から2へと減らされ、代用できない決定的な遺伝子はひとつなのではないかとさえ言われている。
(大きめの写真を日経サイエンス2009年1月号から入手したのでご紹介しました。)

(00:21)

2009年01月07日



湯浅氏とは地域通貨のイベントでお会いしたことがある。セーフティーネットに対する切実さは共有していたつもりだったが、事態はそれどころではなくなった。
湯浅氏はこの番組の中で制度(雇用保険適用範囲)の問題に関して正確に述べている。制度の狭間で路頭に迷うことの何と多いことか(例えば3年間派遣社員を雇用すると正社員にするか直接雇用しなければならない法律が2年11ヶ月で契約を切る事例を横行させている)。

労働者派遣法は政治の課題だし、湯浅氏は経営者に一考を促しているが、この不況は官製不況の面が大きい。

ワーキングシェアをしないで派遣切りをする会社の商品を買わないような、そんな消費者側のネットワークも必要だと思う(もっと言えば同業種組合の弱さが日本の労使関係の弱点だと思うが、働く場を主体的に今すぐ変えるのは難しいと僕は考えている)。

SONYやトヨタは、もっと早い時期に実験的にでも農業に参入していればよかったかもしれない。

(00:46)

2008年12月24日

『僕の歌は全部クリスマスソングなんだ』

僕の尊敬する基督について語ろう
別に大した話も出来ないが
口づけで裏切られた男
浜辺で食べ物を分け合った男
彼はただの手品師とは違うんだ
彼のことを聞いて僕の頭はおかしくなっちまった
僕の歌う歌は変な歌ばかり
だって僕の歌は全部クリスマスソングなんだ

パレスチナから来た可愛い少女には
僕の心からの贈り物を
僕の歌を聞いて彼女は笑うだろうな
だって僕の歌は全部クリスマスソングなんだ

口づけで裏切られた男
浜辺で食べ物を分け合った男
神殿の屋台をひっくり返した男
死んで三日経って甦った男
彼はただの手品師とは違うんだ
彼のことを聞いて僕の頭はおかしくなっちまった
僕の歌う歌は変な歌ばかり
だって僕の歌は全部クリスマスソングなんだ

Hey

(00:00)

2008年12月22日

以下、花田清輝「ユートピアの精神」『復興期の精神』(三一書房、全一冊シリーズ、p679)より

(略)ユートピアは、いまでもほろびてはゐない。(略)
 いつたいユートビアが、フライエルのいふやうに「政治的な島」であり、それ自身の空間に存在する完結的な体系であるとするならば、我々の時代におけるユートビアは、経済的には、単純再生産の表式によつて正確に表現されるでもあらう。周知のやうに、単純再生産の正常な進行のためには、生産手段の生産部門(機砲砲ける可変資本(V)と剰余価値(m)との和が消費資料の生産部門(供砲砲ける不変資本(C)にひとしくなければならず、したがつて、.1000v+1000m=.2000c なる表式の成立が、不発の諸事情の下におけるユートピア社会の誕生のためには欠くべからざるものであらう。この単純な表式は、ビランデルロの聖母子像よりも、はるかに我々にたいして切実であり、このやうな非情な数字によつて、その存在の前提條件が示されるならば、ユートピアはかならずしも時代遅れな感じを我々にあたへないですむのではなからうか。いまもなほ我々は、たしかにユートピアの実現をねがつてゐるにちがひない。現代の課題は、資本制社会の枠内において、まづ、いかにしてこの単純再生産の基礎を確立するかにあるのだ。とはいへ、我々のユートピアもまた永山の頂のごときものであり、それが、なんらの陰影もみとめられない極度に精確な表式によつてとらへられるにいたつたことは、かへつて我々の極度の混乱を暗示するものにほかならなかつた。むろん、この種の抽象的な表式は、我々のユートビアにのみ特有のものではなく、あらゆるユートビアにみいださるべきものであり、たとへば、レッセ・フエールによつて基礎づけられたユートビアとしての原始社会や未来社会のばあひにおいても、表式の成立は、それ、どは意識せず準備されてゐたのであつた。いや、過去においてもユートビアのもつ再生産過程が、まつたく束づかれずにゐたわけ.てはなく、すでに「支那の専制政治」にユートビアをみいだしてゐたケネーは、また、「経済表」の作者でもあつた。我々のばあひは、その表が表式にまで精密化されてゐるにすぎない。多かれ、少かれ、いつの時代にも混乱はあつたのだ。

スガ秀美が指摘するように、吉本隆明はこの記述をマルクスのテクストを参照せずに、花田を誤読し、官僚制の証として責め立てた。「重層的決定」といった政治的な用語で、マルクスの分析がうやむやにされていったフランスの場合と同じだ。
ただ、マルクスも経済表では消費部門を1に据えていたのに、再生産表式では生産部門を1に据えている。そして、全体の1/10ほどが交換に廻されるという但し書きを削ってしまっている。こうした自らの理論を純化せんがための現実からの遊離、状況に合わせるための変節があったために後続の者達にこうした不毛な論争が引き継がれたとも考えられる。
環境問題等を考えると、花田は重視していないが「島」という点が重要で、ユートピアに置ける単純再生産は、生命地域主義的に循環及び独立している所に重点があるのだ。その点でケネーの経済表に還るべきかもしれない(自給自足のための技術的方法論や情報は世界市場で交換、流通されるので、マルクスのような世界経済の一元的把握が不毛であるという訳ではないし、CO2排出などへの世界的な対策等にも有効ではあるが)。

ただし、花田の読みは消費部門におけるCに対して生産部門のV(給料)が足りないではないか、といった単純な読み(「資本論第2.3巻を読む」(宮川彰著)など)をとっていない点は特筆すべきだ。

付録:
以下は、マルクス経済表
経済表


85a8cb30.gif


(22:51)

2008年12月07日

サッカーJリーグに興味の無い人には何のことだかわからないだろうが、ジェフ千葉が最終節で奇跡的にJ1残留を果たした。
以下はサポーターの撮ったその試合後の映像。


何と言うことはない無作為な映像だが、選手と観客との距離が近くなること自体に、リュミエール兄弟『列車の到着』と同じような新鮮な感動がある。



追記:
『列車の到着』には何パターンかあるらしい。タルコフスキー『映像のポエジア』でスチル写真が紹介されているのは上の方だ。

「すべてはこの映画からはじまったのだ」(タルコフスキー『映像のポエジア』キネマ旬報p89)



映像のポエジア―刻印された時間
著者:アンドレイ・タルコフスキー
販売元:キネマ旬報社
発売日:1988-01
おすすめ度:4.5
クチコミを見る


(04:10)

2008年12月06日

アナキズム=自主管理と脳内変換される自分にとって、アナキズムを体現した映画は『七人の侍』『風の谷のナウシカ』ということになる。



『乱』のラスト、『風の谷のナウシカ』の冒頭のカットなどは、アナキズムのお馴染みの赤黒の旗を連想させる。
ran

kaze

ana

(00:00)

2008年12月05日

金融機関に公的資金が導入されようとしているが、自己資本比率を義務づける法律はあるが、地域にお金を回すことに対しては明確な基準がない。
これにはアメリカクリントン政権下で成功した地域再投資法(CRA)を日本に導入することが不可欠だ。
金融アセスメント法と言う名前で提議している学者もいるが、地域再投資法の名前がいいと思う。

参考図書:
誰のための金融再生か―不良債権処理の非常識 (ちくま新書)
誰のための金融再生か―不良債権処理の非常識 (ちくま新書)
クチコミを見る


エンデの警鐘「地域通貨の希望と銀行の未来」エンデの警鐘「地域通貨の希望と銀行の未来」
著者:坂本 龍一
販売元:日本放送出版協会
発売日:2002-04
おすすめ度:3.5
クチコミを見る



政治家はもっと勉強して、新たなヴィジョンを示してほしい。


(18:22)
宮崎駿が絶賛している映画のワンシーン。
ドストエフスキー的な人物造形、諸星大二郎のキャラに似ている。


(05:35)

2008年10月24日

クライフはトータルフットボールの基礎として、ラインをコンパクトにすることを挙げている。
以下のようなクライフの自由なポジショニング(結果としてPKを獲得した)もラインがコンパクトだから可能なのだ。

(1974年W杯 西独対蘭 決勝冒頭)

さて、ここから脱線する。。。
最近一般の新聞等でもよく見かけるようになったディフェンス、中盤、フォワードのラインを描いたサッカーのフオーメーション図(一例↓)、

    中山  城

中西  山口  名波  中田
  
相馬  秋田  井原  名良橋

      川口


これを見てマルクスの経済表↓を思い出すのは僕だけだろうか?

経済表85a8cb30.gif














(図の下にあるケネーのそれはマルクスが横にして解釈し直したという元ネタだが、ここでは無視してもらってかまわない。ラインの間延びを気にしない古き良き時代のサッカーを想起させないでもないが。)

 数値や文字の大きさで表現してもいいが、縮小再生産と拡大再生産の違いを三つのラインの距離で考えるのがわかりやすいと思うのだ。
この違いは市場経済と資本主義経済の違いを見極める際に重要になる。

柄谷行人の言う「消費者としての労働者」はサッカーにおいては「全員守備,全員攻撃」ということになる。それを実現させる方法論がラインをコンパクトにするということであり、トータルフットボールの方向性なのだ。

シュンペーターのようにクライフを「起業家」として評価する見方もあるかもしれないが、それでもラインがコンパクトであるという構造的基盤が重要だということに変わりはない。

また、クライフ本人の資質をアナーキズムとして評価することも可能だろうが、これはアナーキズムの正当な歴史的再評価をしたうえでという条件付きでなら、中心が沢山ある社会のメタファーとして有効だろう。


追記:
経済表に関してはその後新たに投稿しました。
以下は、1974年W杯決勝フォーメーション(オランダ側を「ホームチーム」として書き直した)。


         マイヤー

  シュバルツェンベック ベッケンバウアー
フォクツ
                 ブライトナー
    ボンホフ        
            オベラート
      ヘーネス
グラボウスキー ミュラー ヘルツェンバイン
______________________

レンセンブリンク クライフ  レップ

   ファンハネヘム  ニースケンス
         ヤンセン
  クロル           シュルビア
      ハーン   レイスベルヘン

       ヨングブルート

45分レンセンブリンク→ファンデケルクホフ
68分レイスベルヘン→デヨング

1974年
オランダ
リヌス・ミケルス監督
4-3-3


西ドイツ
4-3-3

西部謙司著『1974フットボールオデッセイ』より

(14:34)

2008年10月20日

「キルケゴールは晩年の『日記』のなかで、自分の本が売れて印税が入ったことに驚いている。この「驚き」には、彼の書物に書かれた問題と匹敵する問題が隠されている。彼はそうと「意識せずに」、相対的な他者と関係づけられていたのだ。」
(柄谷行人『隠喩としての建築』p207岩波定本版より)

この「日記」はどの本に所収されているのだろうか?結局見つからないままなのだが、キルケゴールの日記の経済関連の記述*で、面白い箇所を見つけた。

「私は一八一三年、多くの不換紙幣が流通していた金融恐慌の年に生まれた。そして私の実存在はそのような不換紙幣と最もいい比べものになるように思われる。私の持っている或るものは私が或る偉大な存在である事を暗示する、だが景気不況のために私は余り値打ちが出ないのだ。
 そしてそのような不換紙幣は家族の不幸になる事が間々ある。」
(『キェルケゴオル著作集第十三巻日記』人文書院p131-2より、『キェルケゴール思想へのいざない』
ビネバル出版、高藤直樹著p43参照)

また、橋本淳氏の『逍遥する哲学者 キルケゴール紀行』には、デンマークのドライヤー監督の傑作映画『奇跡(ORDET,原題は「言葉」)』の原作者のカイ・ムンクに関する記述があり参考になった。

映画『奇跡』より

カイ・ムンクはキルケゴールに傾倒した牧師でもあり、ナチスへの抵抗の中で殺されたのだが、前述の映画『奇跡』にキルケゴールの名前が出てくるのが個人的にずっと気になっていた(狂人の主人公がキルケゴールを読んでいたという設定)。

タルコフスキーの『サクリファイス』にはニーチェの名前が出てくるし、こうした映画と哲学の並行関係は、想像以上に大きいのではないだろうか。

『奇跡』は傑作なので、機会があればキルケゴール好きの方には是非見てもらいたい。

*追記:
他に経済関連の記述としては以下がある。

「しかし私の心を占めるのは、(略)此岸的なものの放棄であるはずのキリスト教を宣べることで、この世的な益にあずかってそれでよいかどうか、である。」
(1853年の日誌『セーレン・キルケゴールの日誌第一巻』橋本淳編訳、p172より。続巻今のところなし。)

橋本氏は別の解釈をしているが、明らかにこれは印税のことだと思う。
ただ柄谷氏の参照した箇所でもないと思う。
印税については先述の橋本淳氏の『逍遥する哲学者』に詳しいのだが、直接日記(日付がない場合が多いので日記ではなく日誌と表記しているようだ)の引用はあまりない。
また探してみます。

(10:07)

2008年08月08日

最近よく思い出す映画と感動したニュース動画を紹介します。

以下、ジョン・カサベテスの遺作より

Watch LOVE STREAMS  |  View More Free Videos Online at Veoh.com

ジーナ・ローランズ演じるサラは、現実には別居中の自分の夫(ジャック)と娘(デビー)を、夢のなかで笑わせようとする。以下上映パンフ所収の採録シナリオより。


 サラは眠ったまま。静かに笑い始める。
ロバート「君は狂ってるよ」

●サラの夢ージャックの家のプールサイド。
 サラの前に、ジャックとデピーがいる。
デピー「私は絶対に笑わないわよ」
サラ「そう?」
ジャック「君はどうかしてる」
サラ「そこまで。黙ってそこに座って。(デピーの前に立ち)私の目をジッと見つめて。聞こえるのは私の声だけ。(キツネのような顔をしてみせ)さあ、この顔を見て、どう?」
デピー「おかしくないわ」
サラ「今から30秒たつと、あなたたちはお腹を抱えて笑ってるわ。信じないの?私と賭けをする?」
ジャック「1ドル」
サラ「ケチね。私は大きく賭けるわよ。賭けるものは愛よ。それ以上の賭けがある?(ジャックに)その前に、あなたはハイボールを飲むのよ。(デピーに)あんたはコークで気分をラクにして。いい、やってみせるわよ。何がいい? カラシかケチャツブか」
 サラがジャックに向けて、カラシとケチャップのチューブを押す。ビュッと出たのはスチロール製のオモチヤ。だが、ジャックは笑わない。
サラ「これは大抵の人にウケるんだけど。デピー、その袋を開けて。パパにはこの花を」
 ジャックの胸元に造花をつけ。スイッチを押すと彼の顔に花から水が。
サラ「バカないだずらね。でも、今度は違うわよ。ポップコーンをあげるわ」
 サラが差し出すポップコーンのカップから、ヒモでつながったポップコーンが飛び出す。
サラ「それでは次を。結楯記念日の贈り物よ。愛する人に特製のペン」
 キャップを取ると、ペンから煙が吹き出る仕掛け。ジャックはいい加減、うんざりという顔でタバコを吹かす。
サラ「デピー、今度はあんたの番よ。今日か先週か、卒業式だったでしょ。お祝いは、真珠のイヤリング」
 サラが差し出したイヤリングから、サッと水が飛び出す。
サラ「(目玉が飛び出るメガネをかけて)さあ、顔を見せて。笑うのよ。あなたたち、双子だわ。似た者同士のカップルよ。よく似てるわ」
 笑いこけるサラ。テーブルの上は彼女が持ってきたオモチャで一杯。シラけた2人を並んで立たせ、サラはカメラを構える。
サラ「老後の思い出に。デピー、パパの横に並んで。さあ、ニッコリ笑って」
 カメラのレンズ部分から、バネが飛び出す。
サラ「時間がないわ、急がなきゃ。行くわよ、見てて。これで笑うわよ」
 サラはプールの飛び込み台に上ると、後方宙返りで水の中に飛び込む。

///////////

赤塚不二夫さんの葬儀におけるタモリの弔辞


★タモリさん弔辞、手にしていたのは白紙?

・7日営まれた赤塚不二さんの葬儀で、タモリさんが弔辞を述べた際、手にしていたのが
 白紙だったのではないかと、テレビやネットで話題になっている。タモリさんの弔辞は、
 約8分にわたる感動的なものだったが、映像を見ると、何も書かれていないようにもみえる。
 所属事務所は「ご想像にお任せします」としている。
 http://www.asahi.com/national/update/0808/TKY200808080200.html

※画像:http://www2.asahi.com/national/update/0808/images/TKY200808080203.jpg

 http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20080807-393012.html

※弔文全文


 弔辞
 8月の2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずか
 ではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。
 われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第一世代と言っていいでしょう。あなたの
 今までになかった作品やその特異なキャラクター。私たち世代に強烈に受け入れられました。
 10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。

 何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して、九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーで、
 ライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは
 今でもはっきりと覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。
 この突然の出来事で、重大なことに私はあがることすらできませんでした。

 終わって私のところにやってきたあなたは「君はおもしろい。お笑いの世界に入れ。8月の
 終わりに僕の番組があるから、それに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションに
 居ろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を
 この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

 それから長いつきあいが始まりました。しばらくは毎日、新宿の「ひとみ寿司」というところで
 夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを
 受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと、ほかの
 こともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって
 金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。

 赤塚先生はほんとうに優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の
 振り込みで上がると、相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。
 あなたがマージャンで勝ったところを見たことがありません。

 その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。
 そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。
 しかしあなたから後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せる、あの底抜けに無邪気な笑顔は、
 はるか年下の弟のようでもありました。
 あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑い
 ながらも、目からはボロボロと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんのひたいをピシャリと
 たたいては「この野郎、逝きやがった」とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。
 あなたはギャグによって物事を無化していったのです。

 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。
 それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を
 絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで
 言い表してます。すなわち、「これでいいのだ」と。

 いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした
 何度かの正月。伊豆での正月。そして海外へのあの珍道中。どれもが本当に、こんな楽しい
 ことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが、京都五山の
 送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生
 忘れることができません。

 あなたはいまこの会場のどこか片隅で、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、ひじをつき、
 ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら、弔辞で笑わしてみろ」
 と言ってるに違いありません。あなたにとって死もひとつのギャグなのかもしれません。

 私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは、夢想だにしませんでした。
 私はあなたに生前お世話になりながら、ひと言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の
 関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。
 あなたも同じ考えだということを他人を通じて知りました。しかしいまお礼を言わさしていただきます。

 赤塚先生本当にお世話になりました。ありがとうございました。
 私もあなたの数多くの作品のひとつです。

 合掌。

 平成20年8月7日 森田一義


追加:
おそ松くん分析



(23:56)

2008年07月30日

ゴダール『気違いピエロ』のラストより



(女)見つけた
(男)何を (女)永遠を
(男)それは海
(女)そして太陽

Elle est retrouvée.
Quoi ? - L'Eternité.
C'est la mer allée
Avec le soleil.
http://poesie.webnet.fr/poemes/France/rimbaud/9.html

また見つかった、
何が、
永遠が、
海と溶け合う太陽が 
(小林秀雄訳)

これはランボーの『地獄の季節』のなかの詩の一節だが、有名な詩を独白ではなく男女の掛け合いにした点にゴダールの才能を感じる。
「私は他者である」というランボーのこれまた有名な言葉を内在的に使用したと言えるし、デリダの脱構築とも重なる。
このラストシーン(海へのパン)は溝口健二の『山椒大夫』へのオマージュとも言われるが、ゴダールはいい題材と出会うとき、というより「彼が生涯育んできた理念に<触れた>とき」傑作をつくるとタルコフスキーが正確に論評していた(『映像のポエジア』p110)。トリュフォーはゴダールがいい映画を作るのは若者を題材にした時だとも語っていた、、、

さて、ランボーの「私は他者である」という言葉だが、この言葉に関してディランはこう書いている。

「同じころ、こうしたことに加えて、スージーに教えられてフランスの象徴派の詩人、アルチュール・ランボーの詩を読むようになった。
そして「わたしはべつのだれかである」という題の彼の書簡を知った。このことばを見たとき、鐘が一気に鳴りはじめた。ぴったりのことばだった。どうしてもっと早くだれかがそう言ってくれなかったのかと思った。そのことばは、(ロバート・)ジョンソンの暗い夜の魂にも、ウディ(・ガスリー)の熱っぽい組合集会の説法にも、海賊ジェニー(ブレヒト)で学んだ歌づくりの基本概念にもうまくなじんだ。すべてが変わりはじめ、わたしはその入り口に立っていた。わたしはやがて準備を万端に整え、生き生きとした力にあふれ、エンジンをフル回転させ、一歩を踏み出すことになる。… 」
(『ボブ・ディラン自伝』邦訳pp357-358より。()内は引用者が補足しました。)

ランボーの言葉は、「見者の手紙」と言われるパリコミューンが失敗する前に書かれた手紙のなかにあるものだが、僕が好きな手紙は、パリコンミューンのあとの落胆したランボーの手紙だ。その手紙でランボーはまったく異なった殊勝な文面を綴っている(「私は働きたいのです、、、私は疲れた足です、、、」)。

さて、ゴダールやバディウは政治革命への幻影を引きずっているが、ランボーは「砂漠の商人」となることでその幻影を振り払った。
以下は1980年代に話題になった日本のCMより。

Suntory Whisky Royal CM -Arthur Rimbaud- (LongVer.) 1982

ディランはライブを続ける自身を井戸を掘る人間に喩えていたが、商人と詩人を兼任していると言っていいかも知れない。ランボーの時代のように外部があるわけではないのだ。

以上、話が脱線しましたが、詩人たち同士の交歓が盛んだという主旨だと受け取って下さい。
脱線ついでにランボーの詩(sensation)にメロディをつけた人がいるようなので紹介します。


Sensation

Par les soirs bleus d'été, j'irai dans les sentiers
Picoté par les blés, fouler l'herbe menue:
Rêveur, j'en sentirai la fraîcheur à mes pieds.
Je laisserai le vent baigner ma tête nue.

Je ne parlerai pas, je ne penserai à rien:
Mais l'amour infini me montera dans l'âme,
Et j'irai loin, bien loin, comme un bohémien,
Par la nature, - heureux comme avec une femme.

夏の青い宵に 僕は行くだろう、小径をとおり、
麦の穂につつかれ、こまかな草を踏もうと、
夢想家の僕は、草の夕べの冷気を足に感じ、
風にあらわな顔をまかせたまま。

僕は話すまい、 何も考えまい、
しかし無限の愛が魂にこみあげてくるだろう
そして僕は行こう、遥かに遠く、ジプシーのように、
自然のなかを、女の人と一緒のように幸せに。

by : フランス 四季と愛の詩
(mixiランボーコミュニティより)

(20:33)