明けましておめでとうございます。
2015年は、私が唯一信じている六星占術でいうところの大殺界を抜けた年でした。
引越しをして生まれて初めて親元を離れたり、いくつかの媒体で細々とではありますがコラムを執筆させて頂いたり、恋愛の方は例年通り何も進展はありませんでしたが(笑)、私にとっては転機となる一年でした。
昨年掴んだチャンスを生かして今年も精進していきます。
って、新年の意気込みとかどうでもいいわ。
一人暮らしをした当初より、実家に帰ることがぐっと減りました。
最寄り駅からのアクセスが悪いのは勿論なのですが、実家に帰ると疲れるのです。
一昨日父親と買い出しに出た時のこと。車の中で祖母の愚痴を聞かされました。
「パパ、来月からおばあちゃんの成年後見人になるんだよ。もうばあさんがボケてて困るよ」って。
私の父方の祖母は数年前から認知症を発症しています。
もともと足腰が弱くて、体が動かない上に連絡手段も分からず、自宅で脱水症状の状態で数日倒れていた事件があったり、そのくせプライドが高く頑固なので老人ホームに入ることを嫌がり、そんな状態でありながら一人暮らしをしています。
私の母は、祖母のこんな状態を見て見ぬフリをして触れないし、
父親は父親でプライドがあるので母に相談もせず、一人でこの祖母の問題を抱えています。
実家に帰ることが減ったということは、祖母に会う機会はもっと減ったということで、このお正月に久しぶりにおばあちゃんの顔を見ました。
数年前、和菓子屋で元気に働くおばあちゃんの顔とは似ても似つかなくて。
「ゆっちゃん、まだ仕事は始まらないの?」って、今日は元日なのに聞かれました。
私が家に帰らないのは、こういう事実を直視したくないからなんです。
父親が、自分の母親が赤ちゃんみたいに何も出来なくなっていく現実と葛藤する姿を見たくないし、
私自身その葛藤を、悩みを背負いたくないし、
昔の元気だったおばあちゃんとはかけ離れた、今のおばあちゃんを何より見たくないんです。
母方の祖父が三年前に癌で亡くなった時、交代で毎日誰か一人お見舞いをしていたことがありました。
12月のある日、母も祖母も叔母さんも誰も病院に行けない日が一日だけあって、大学生だった私はその日に何も予定がなかったんです。「ゆっちゃん、お願いね」ってみんなに頼まれて、私がその日お見舞いに行くことになっていました。
夕方行けばいいやって昼ぐらいまでずっと寝ていて、さあ行こうって準備した時、その時のセフレから「今日暇?」って連絡が来たんです。今でもどこのどの男か覚えている。私はおじいちゃんのところならまたいつでも行けるからと思って、病院に行かないでセフレに会いに行ったんです。最悪ですね。
そしたら、その日を境におじいちゃんの容態が悪くなり、話が出来ない状態になってしまって。
ものの一週間で亡くなってしまいました。
あの時の私はすごく自責の念に駆られた。「あの時ああしておけばよかった」ってのは無理なんだと。
自分の行動一つで機を失うのだと。
またそういう風に思う時が来るのかな。
おばあちゃんに会いに行って話をすればよかった
父親の話を聞いてあげればよかった
家族の顔をもっと見に行けばよかった
そんな風に思う日が来るかもしれない。でも、そんな事実からも目を背けて生きようとしている。