俺にはわからないよ お前が何故

ハイロー世代考察。

ヤマトの無名街乗り込み時のスモーキー「ようヤマト」旧知。
おそらくスモーキーにも外の世界でうろついていた時代があってその頃の知己なんだろうけどあしらい方がスモーキー>ヤマト。年下のヤマトがスモーキーに度々挑むも多分ヤマトはスモーキーに勝ったことが無い。全て返り討ち。スモーキーにとってヤマトは手が全て読めるお得意様。なのでヤマトとのバトルは楽しい。笑ってるし。ヤマトからも琥珀さんへの「より高く飛ぶために」という決意表明をみるに何らかの思い入れはあるのでは。
なおコブラとは本編ではルードの頭勢揃いの時のみの顔合わせかつスモーキー一言も発していないため面識の有無は判断できず。でもザム3で囚われの姫コブラちゃんが琥珀王子に助けられる際の最初の一言が「スモーキーが危ない!」なので心配はしてもらえる関係なのかな。話の流れかもしれませんが。

ルード内では早々に上がったカインは上世代。そのカインとスモーキーはおそらく同世代。シオンはカインを兄のように慕っていてスモーキーの為にはルードの掟を破る。そしてスモーキーを慕うタケシとピー。ところでヤマトが乗り込んで来てレッドラムの話をしてる時シオンが会話に割り込んでくるのをタケシがすごい嫌そうな顔で見てるんですよね。何か感づいていたのか単に気にくわないのか。
戻ってつまりルードの年齢順はスモーキー&カイン>シオン>タケシ&ピー。
ラスカルズの無名街乗り込み時のロッキー「ようスモーキー」旧知同年代?
ザム3琥珀さん「よう六ツ木」旧知同世代(断定)。
よってスモーキー・ロッキー・琥珀さん同世代?
龍也さん享年26歳ハイロー的現在が九十九さんの目覚めからみて龍也さん没後1年なら生きてたら27歳。
琥珀さんと龍也さんが同い年もしくは琥珀さん1個下ならスモーキーロッキー琥珀さんは26〜27歳えええー?琥珀さん老けすぎ!
いやあの世界が龍也さん没後1年と考えるのが矛盾だらけなんだけど九十九さんもさすがに2年は寝すぎかなと…起きて早々に左京の骨折ってるし。いや何年寝てても関係ないのか九十九さんには。

ということでスモーキーが上世代だとするとコブラヤマト世代はルードではタケシピーになるのでは。という推察。村山さん含めて23〜24歳くらい?でもそれじゃあノボルのあれこれが説明できないんすよ琥珀さん…時系列を、年表を…無理だな誰も整理する気なさそう。

目に見える全てが優しさと はるかな君に伝えて。

もう1ヶ月以上前のことになってしまいましたが、小沢くんのライブに行ってきました。それも札幌と福岡の2ヶ所。
幸運と、暖かい人たちのおかげで。
自分の中にそんなパワーがあったことに、自分が一番驚いていますが、北と南で見た2つのライブは、どちらも素晴らしく楽しくて、それはとても幸せな時間でした。


考えてみたら、ライブの感想ってまともに書いたことがなくて、どう手をつけたら良いものか唸りながら。
札幌の感想をメインに、特に印象が強かったところを。といってもだらだらと長いですが。
きちんとしたセットリストだとかは、どこかで誰かがきっと綴っているはず。


『ひふみよ 小沢健二コンサートツアー 二零一零年 五月六月』


ステージは、真っ暗闇の中で始まります。

ロビーに設置されたグッズのディスプレイ。おおよそ同年代で満員の客席。まだ新しい市民ホールの椅子。ざわざわとした空気。
ライブが始まる。小沢くんのライブ。なんて久しぶりに、彼の歌を聴けるのだろうか。みんなそわそわ待ちわびる中、ついに客電が落ちて、熱量が一気に上がる。
しかし、ステージにライトはつかない。真っ暗闇。

そして真っ暗闇の中、「ひー、ふー、ひーふーみーよー!」のカウントとともに「流れ星ビバップ」が流れ出す。

私はこの曲が大好きで、本当に大好きで、公式サイトのセルフインタビューでもやると公言されていたので本当に楽しみにしていたのだけれど、まさか冒頭から聴けるとは思いもせず。
声が聴こえてきた時、既に泣いていた。

曲の途中で、音楽が中断し、インストが流れ、そのまま真っ暗にちょっとだけ小沢くんの手元に明かりが灯り、
「闇」についての朗読が始まる。

ニューヨークで大停電が起こった夏の夜、地下鉄も止まり、路上には帰れない人たちが溢れ、
けれどそんな非日常の中、大きな混乱もなく、人々は助け合い、ホームレスのおっさんが活躍したり、お店は生鮮食品を提供し、
蝋燭に火が灯もり、電池で動くプレイヤーから流れる音楽は、暗闇の中でより一層甘く響いた。
明日には電気が戻り、日常へ帰っていく人々は、けれどこの闇の中で聴いた音楽をずっと忘れない。
というようなことを、リズムにのせて。

そしてまた、曲は「流れ星ビバップ」にもどり、暗闇のまま「僕らが旅に出る理由」に。

冒頭からの怒涛の好きな曲コンボにくらくらしながら、ひょっとしてこれは大停電の再現なのかな、このまま、暗闇の中、音楽が続くのかなと思っていたら、ブレイク。


「遠くまで旅する恋人に」


ステージも客席も一気に電気がつき、ちょっとはにかんだ小沢くんが舞台の真ん中に。

一瞬で頭が真っ白になった。

歓声も鳴り止まない。熱狂としか言い表せない、客席の声。
はにかんだ小沢くんが、はにかみながら、「始められないんだけど」と一言。また歓声。
ここほんとに凄かった。恐らくどこの会場でもだったんだろうけど。
福岡で見たときは、ブレイクはなかった気がするので、多分曲がなかなか再開できないから途中でやめたのかなと推測。

どうにか曲にもどり、続いて「ひふみよ」についての朗読。

ひ・ふはハ行、み・むはマ行、よ・やはヤ行、いつはつになってつ・とでタ行、というように、僕らのおばあさんたちは数えていて、日本人は倍数を音で捉えていたのかもしれない。
そんな考え方が続いていたら、今とは別の世界が続いていたのかもしれない。
と、「天使たちのシーン」がところどころメロディーを変えて歌われる。

最初、札幌で聞いたときには、そのままで聴きたかったなあという思いが強かったのだけれど、
福岡で、もしかしてこのメロディーは、今とは別に続いた世界で作られた「天使たちのシーン」のメロディーなのかなと思った。
そう考えてみると、他にもところどころメロディーを変えて歌われた曲たちや、「ラブリー」に与えられた新しい歌詞やなんかがしっくりくるような気がして、
ああ、1つの、繋がったステージなんだなということを凄く感じた。
「ローラースケート・パーク~東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー~ローラースケート・パーク」が、繋がった1つの曲になったように。


なんてね。


もうね、頭の中なんて白くなったまま、ネジはとんだまま、ありったけの声で歌って踊って。
そんな冷静なことは考えてられなかったんだけど。楽しくて楽しくて。

「大衆音楽について」の朗読から続いた、マイナーアレンジの「カローラ2に乗って」や、テクノアレンジの「天気読み」ももの凄くかっこよくて。
なにより、朗読の最後の、
「この街の大衆音楽の一部であることを誇りに思います」という言葉が。
とても嬉しくて、素敵だった。

私のボルテージは、そのまま続く「戦場のボーイズライフ」「強い気持ち・強い愛」で最高潮に振り切れて。
「ブギーバック」も聴けるとは思わなかったし、CDではピンときていなかった「麝香」も、なんだ普通にかっこいい曲じゃん!って思えたし。
福岡では、予想通りにスチャも参加してのブギーバックを楽しめた。

「さよならなんて云えないよ」からライブは大詰め、「ドアをノックするのは誰だ?」へと続き。
残念だったのがワンフレーズだけ歌われた「ある光」。
大好きなのでフルで聴きたかった。
でもあの構成ではあのワンフレーズがより効果的だった気もする。
スポットの中で、アコースティックアレンジで歌われる、
「この線路をおりたら全ての時間が 魔法みたいに見えるか? 今そんなことばかり考えてる なぐさめてしまわずに」。そして新曲の「時間軸を曲げて」。
うん。ね。
・・・、でもやっぱりフルで聴きたかったなあ。またいつか。

「ラブリー」は、序盤で練習させられた(笑)「感じたかった僕らを待つ」「完璧な絵に似た」とサビのフレーズを変えて歌われる。
大声で私達も歌う。
そして再度、スカパラ沖さんのオルガンで「流れ星ビバップ」が流れ、小沢くんはほとんど歌わずに、客席にお辞儀をしてそでにと帰り、本編が終わる。


そしてアンコール。
「いちょう並木のセレナーデ」と、やってないなと思ったとおり「愛し愛されて生きるのさ」
セリフ部分は2回ありました。
そして、「You’ve got to get into the groove」の部分は、「我ら時を行く」と。
最後の最後にこれもってくるのって、ほんとにずるいよ。一層沁みちゃうよ。


福岡オーラスのアンコールでは、スタッフのサプライズで紅白の風船が沢山降ってきて。
いたずらをされた子供のような顔をして、本当に嬉しそうだった。
演出はシンプルなものほど、よく映える。


全体を通して強く思ったことは、なんだ、小沢健二じゃん。なんだよ、やっぱり小沢健二じゃんっていう。


メディアに出なくなって、気付いたらニューヨークとか行っちゃってて、歳をとって、きっとそれなりに考えることもあって自然に彼が変わって行ったように、
私達も同じだけ歳をとり変わってきた。
でも、変わらないものは変わらない。変われないのが自分の真ん中のところ、なんだよな。

今回のツアーが単なる懐古にならなかったことを本当に嬉しく思う。
折々コンスタントに聴き続けてきたけれど、どの曲も懐かしく、どの曲も新鮮だった。
20代の私も、30代の私も、どちらもその時々の小沢くんの歌が好きで、
今の私が、今の小沢くんの歌を聴けたことを、本当に奇跡のようだとおもう。大事なことにしていたい。


「また来ます」といってステージを去った彼だけど、またがいつになるのかはわからない。
すぐ次の秋なのか、また何年も後なのか。
でも、その、「また」の機会にも、同じように、変わっていて、変わらない彼の歌を、変わっていて、変わらない私が、幸せな気持ちで聴くことができればいいなと思いました。


長々とまとまりなく、でもあまり推敲しないで上げてしまいます。
今、小沢くんに対しては、そういう気分なのです。理由や意味ではなく、感じたことが大事。


あ、そうそう。声が凄く良く出ていてね。
こんなに声量あったかな、こんなに安定していたかなと思ったのですが、
あれかな、よく南米に行っているみたいだから、高地で生活すると自然と肺活量って増えるのかな、
それで声も以前より出るようになったのかな、と思ってみたり。


いくつかの朗読で語られた印象的な言葉たち。ニュアンスですが。
「鳥たちに、猫達に国境はない。メキシコ人と日本人は驚くほど顔が似ている。」
「穴のあいた靴をはく人達は駐車料金に5000円も払う人たちを笑う。エコノミークラスの乗客がファーストクラスの乗客を笑うように。」
「安全であることに慣れすぎると、自分で危険を察知する能力がなくなるのでむしろ危険である。」
「笑いは、自分達にしかわからないだろうなと思うときこそ大きくなる。」
「自転車に乗ると、日本人は、欧米型に教育された意識を忘れて、アジア人の本能に帰って暴走する。」

(2010-07-29/2017-02-23 repost)

らぶはずねばごんべいべ

今の赤西くんのステージがどんなに素敵かを、グループを抜けてからの生の彼を観たことの無かった方にも沢山観て欲しくて、実際に5年とか6年とかぶりに生の赤西くんを観たような方々が好意的な感想を持ってくれるのが嬉しい。

毎年毎年、こちらの予想を新鮮に裏切って最高のステージを更新し続ける彼を自慢に思う。
怖がらずに観に来て大丈夫だよ、変わらないよ、変わらないのにどんどん良いんだよって、それは確かなんだけど、
行って良かったって言ってくれるの嬉しいんだけど、
「イニのやりたかったことはこれなんだね、これがやりたかったから今の道を選んだんだね」的な感想にはちょっともやっとするものがあって。

赤西くんは今のステージを作りあげられるようになるしか無かったわけで。
今の彼のやりたいことを投影したものだと思うけれど、決して、これがやりたいから抜けたわけではない、と思うんです。
不意に放り出されて1人で、でも進んで行く現実の中で、さて自分はどうしよう、何ができるだろうと考えて、努力して、様々な幸運に恵まれたのかもしれないけど、試行錯誤しながらできることをやり続けて、
やはりそれは掴みとらざるを得なかった方法とスキルなんだと思うんです。

今でもそう思っているんです。
私はね。

本当の声 目に見えない 美しさを抱いて

10曲選ばせるなんて酷なことをと思ったけど。
久しぶりに聞き返して胸を痛めたりもしたけれど。
このまま過去に埋もれて2016年になんて帰りたくないと思ったけど。
中丸くんが「今整理してます」と言ったようにこちらもはからずも整理させられてしまった感はある。
自分が好きで自分にとって大切な、を基準にしたけど、選べなかった他の大好きな曲たちも同じように大切なんだけどね。


Will Be All Right
THE D-MOTION
HEART BEAT
NEVER AGAIN
WILDS OF MY HEART
RUSH OF LIGHT
YOU
Peacefuldays
SIX SENSES
儚い指先


あからさまに9曲が6人曲。1曲だけ5人の儚い指先も、このままでも大好きだけど、ここに赤西くんの声が乗ったらどんなに素敵になるだろうかと思いながら聴いている。今でも。
結局私もずっと6人のかつんに囚われてるんだよね。

仕方ない。あの無敵の6人が好きだった。本当に好きだったんだから。

勝手に何年も封印してきちゃってたけど、今聴いても胸が疼くけれど、好きだなあやっぱりと改めて思う。

音源の封印を解いたから、そろそろ映像も解禁しようかな。
だってもったい無い。あんなにかっこいい6人をしまい込んでおくなんて、もったい無い。

転がりながらも ずっと ずっと

明日から自分がひっちゃかめっちゃかになると思われるので(Vごとですみません)、その前にと意を決して、ひっちゃかめっちゃからしい中丸くんのコメント@シューイチを見ました。

ジャニネジャニウェブの動画は未だ見ていないので上田さんと亀の様子は確認していませんが。
中丸くんは、少なくとも、こーきが解雇された時のように怒っているわけでも、田口の発表後の時のように疲れきったようでもなく、今自分たちにできるベストを探して考えて選んだように見えました。
ひっちゃかめっちゃからしく鼻に汗をかきながらも、嘘のないように言葉を選んで自分たちの選択を伝えようとしているように見えました。

あと余談ですがそんな中丸くんをナナと笛吹さんが慈愛の目つきで見守っていてオスイチ相変わらず転がしてんな…と思いました。

ベストアルバムの詳細が今日出ましたが、音源だけでなく6人5人の映像まで入れるというのは驚いたし、同時に3人の覚悟のようなものを感じました。
この休止期間をもって、本当に6人のかつんが終わるんだなと。

発売日をデビュー日に合わせた事によってチャート1位が難しくなるのではという意見を見ましたが(仕組みがよくわからないけど集計日が少なくなる?2週またぎになる?)、多分1位記録を更新するよりも、3人は3/22という日付にこだわりたかったんだと思う。

事務所が諸々を許可したのは、休止するグループへの温情なのか諦めなのかはわからないけど、それでもあの事務所の体質を考えるとそれなりに結構な戦いから彼らが勝ちとってくれたのが今回のアルバムなんだろうなと。それが彼らにとっての未来への選択なんだろうなと。

どれだけ好きだと思っても私はかつんではないので、彼らのことは推察でしか語れません。
でもきっと、もうほぼ6年もの間、赤西くんを失ってからずっと、彼らも6人のかつんに囚われたまま時を過ごしてしまったんじゃないかなあと最近思います。
6人のかつんの無敵感を誰よりも知っているのは彼らなんです。それはもう。それだけはもう。

だけどここで、自らの意思で一旦立ち止まる事によって、やっと彼らも6人のかつんから抜け出すんだなと。使いたくない言葉だけど、所謂卒業ってやつを。

1年か2年後、あの事務所がすんなり活動を再開させるのかどうかは疑わしいという気持ちも正直ありますが。

私にはただ、彼らのこの先が、回り道でも1番前を進んで行くように祈ることしかできなくて。
6人のかつんを諦められなくてごめん。本当にごめんなさい。。
私たちが愛した6人の男の子達が幸せでありますように。どうか。どうか。

11/28

うわもう後24時間足らずで11/29がやってくるじゃないですか一体どうしたら。

そして翌日にはラジオで本人が今回の事について説明するようですが何をどの程度どう語るのか。

私は赤西くんと聖はかつんを諦めたんだと思っていて、諦めざるをえない状況を作り出したのは彼ら自身ではあるにせよ、明確にやめたいという意思は少なくともやめなくてはいけなくなった頃には持っていなかったと今も思っています。

だけど田口は、少なくとも今は、自分の意思をもってかつんをやめることを選んだんだよね。
赤西くんの時より、聖の時よりも、今回の田口がショックだと言っている方を結構な数で見かけたのは、2人と田口のキャラの違いもあるだろうけど、田口の口から明確に自分はやめますと発せられたということもとても大きいのだろうなと。
もちろんその発表があまりにもショッキングな体裁であったのもあるんだろうけど。

田口って多分自分が所属しているグループなのにひょっとしたらかつんの一番のファンみたいなところがあって、勝手に赤西くんのバックダンサーになっちゃったり、「君が赤西くんのことを好きでも赤西くんは君を好きじゃないよ」なんていう名言を残したりしているわけじゃないですか。エピソードが赤西くんに偏っててすみませんA担だから。

前回もちょっと書いたけど、その一番のファンだったグループから、赤西くんが抜け、聖が抜け、自分がずっと好きでい続けたものとは形が変わり、それまでどちらかというと一歩引いてグループ内ではむしろ異質ないじられキャラとして存在してきたはずが思いがけず予想以上に大きなものを荷うようになってしまったことに違和感があったのかなあと。
荷が重すぎて潰れたとかでは無くて、今のこの形は自分が憧れ続けたかつんでは無いと思ってしまったのかなあと。

そんなことを考えていました。

自分がメンバーからもファンからも求められていない、なんてことを拗ねてこんな決断をするわけはない、ということだけは信じています。
むしろ今自分がどれだけグループにとって必要なのかは嫌ってほどわかっているはず。

それでもやっぱりいなくなるという。
田口。
悲しいよ。

20周年を6人で迎えるかつんを見たかったなとしみじみ思うけど実際は6人としては5年を迎えられず、デビュー前を入れても10年にも満たなかった。 その刹那を愛したというのはあまりにも悲しいです。

11/25

また日付けタイトルのエントリをあげることになろうとは。
人生って予測不可。

昨日の放送をリアルタイムで見てしまったことは衝撃でしかなくて、できればぼんやり知ってから見たかったと思うけれども、知ったからといって心の準備なんて一生できそうにないので不意打ちで無理やり見せられて良かったのかも。いやあんな発表しないですめばそれに越したことは無いですけど。
Dead or Aliveに関しては悲愴だったという以外に記憶がほとんどない。見返す勇気など勿論ない。

なぜテレビ局の音楽特番であんな発表になったのかについては、彼らはそれが最善策だと思ったからなんだろう。馬鹿だからさ。どれだけ非難される事になっても、先輩後輩グループに迷惑をかけることになっても、過去2人何も言えないまま失っていなくなってしまったから、3度目(!)はさすがに、もう決まったのだから自分たちが直接ファンに伝えなきゃと思ったのだろう。それが自分たちに果たせるファンへの責任だと。多分そう思ったんだろう。
事後報告はあんまりだと思い続けてきたけど、事前報告も同じくらい、もしかしたらそれ以上に辛いことでした。春までどういう状態が続くんだろう。4人で活動して、去りゆく姿を見送るの?

田口はこれからどうするんだろうなあ。
もし。もし今まで一度もかつんを嫌だと思ったことのない田口が、それでもそこからいなくなることを選んだのなら、今のかつんが田口がずっと好きでいたそれとは違うからなんじゃないかな。

4人になってから、特にここ最近のかつんのパフォーマンスの要は田口だと私は思っていて、でもそれはかつんとしては異常なことだとも思っていた。
田口の踊りはとても良い。良いんだけど、あのジャニ的王道感はかつんとしては本来はむしろフックとして存在するものであって然るべきで。
かつん的王道であったあかにしくんとこーきがいない現状で、4人のかつんとしてはそう進んでいくのかなとぼんやり感じていたのだけど。パワーバランスは完全に崩れてしまうよね。
それはやっぱり田口にとって本意ではなかったのかな。それを私が知ることは、やっぱりきっとずっと無いんだろうけど。

でもじゃあ、3人はどうするのか。それでも彼らがかつんでいることを望むのなら、私にとってのかつんでは無くても、そう在れるのなら、と今は思う。5人になった時も、4人になった時も、かつんでいることを選んだのなら、3人になったからってやめちゃえなんて惨いことはもう私には言えない。言えないよ。

でもじゃあ、どうすればよいのか。それがわかっていれば最初からこんなことにはなっていないよねって話か。

Joyride to nowhere

クラブサーキットの感想を書けたら…と思っていたはずがJindependenceも終わってしまっている今日この頃です皆さまいかがお過ごしですか?

しかし昨年11月から12月にかけてのアイドル過剰摂取は劇薬であったとリバウンドに苦しみながら思い知っています。
やはり断片的な感情だけでも良いから残しておきたい。じゃないとすぐ忘れるから。
過去エントリに軍がらみのレポとも言えない覚書がいくつかあるけど読み直すとそれなりに思い出すもんだし。

あのラキラキの唖然とする可愛さとおめかしのこととか。反芻したいので。
って言うてるうちにまた年が明けたりして…

下書きだけは沢山あるんだよ!

アスピリン片手のジェットマシーン

赤西くんのライブの感想をあげたいなあと思ったまま早5ヶ月超。5ヶ月超!そんなに経ったんだあれから…


この期におよんではBDを見てからまとめたい。まだ見てないの?!

いやあ心身ともに余裕がある時に見ようと思ってたら、何か日々の、何も代わり映えのしない日々の、ほんとにつまらない日々のタスク処理のみだけでライフが消滅しちゃってて。
そのくせ唐突に香港映画祭(つかニコ祭)を1人開催しているので余裕が無いす。

でも近々見ようと思う。ので。そしたら生で見たあの時の事も含めて。感想を。まとめる。かも?

月曜の貧血に奇跡はおきないわ

昨日お店で試着した2枚のトップスを迷っていた時に、店員のお嬢さんが「ときめくのはやっぱりこっちです!」と言っていて、そうかときめくのか、確かに着て鏡見た時のテンションが違う、ときめいた、私もときめいたわ!と思ってそっちを買ったんだけど。

そういえば昔はそう単純に好きだときめくって物を躊躇なく買っていたなあ。
年々優柔不断になるし、自分の選択にも自信が無くなってくるのではありますが、
歳をとろうが体型が変わろうがときめく物を買いたい買うべきだ。
色んな意味で無理のない範囲で、ではあるが。ね。似合ううちは好きな服を着るよ。

って買ったのはオーソドックスでシンプルなものですが。
そういう物ほどちょっとのシルエットの違いにときめくのだ。
着るとめちゃくちゃ可愛いの。早く暖かくならないかなー。

image