妖艶なるもの。
2024.3.31毎年繰り返し書いている話題はいくつかあるが、桜にまつわる想いもそのひとつ。花の中では最も好きで、その妖艶な美しさに陶然としながらも、移ろいの早さに背中を逆撫でされるごとくにソワソワとさせられ、散った後の花弁の絨毯や花筏の儚さについに悄然となる。
芸者のお座敷。
2024.3.25なんのことやら。いや、戯れに我が身を振り返るときに、随分フツーとは異なる仕事をしているなあと嘆息することがある。プロデューサー稼業は、早くも30年に近づいて来た。しかも、片田舎で暮らしながらのこの生業。仕事はいったいどこからやって来るのか?
朝夕の色。
2024.3.19春はあけぼのと言ったのは、枕草子の清少納言だったか。これは、夏は夜。秋は夕暮れと続く。なるほどと頷くことも多いけれど、季節を問わず、僕は夜明けが一番好きで、次に夕暮れが来る。明暗が入れ替わるこの時間帯は、どこか不思議で特別な感情が付きまとう。
狩猟の民。
2024.3.13生き方のタイプや人のキャラを言い分けるのに、狩猟型か農耕型という表現がある。前者は縄文的で、後者は弥生的といった線の引き方もあるだろう。僕自身は、縄文的な狩猟型の方に少なからぬ魅力を感じていて、若い頃はそんな人生を生きたいとボンヤリ思っていた。
立ちん坊。
2024.3.7多分、高校3年時。バスケ部を勇退して、やりたいことがいくつかあった。図書館通いはそのひとつだが、もうひとつはアルバイト。それは、友人がやっていた立ちん坊という肉体労働。街のある場所にやって来る手配師の提示する条件を選び、現場に行く日雇い仕事。
正月到来。
2024.3.11月1日は、世間の正月だが、ヤマメ釣り師にとっては、3月1日が正月である。前年の9月末日をもって禁漁となり、季節も冬に入る。そしてその冬が明ける弥生早春。ヤマメたちはもう動き出している。釣り人もまた、道具の埃を払い、ようやく年が明けるのだ。
脱YOU TUBE。
2024.2.24その時は突然やって来た。ずっとモニター上に出しっぱなしだったYOU TUBEのタブを閉じた。毎日毎日、実にさまざまな動画を観ていた。釣り、サッカー、料理、格闘技、お笑い、トーク、などなど。それはもう息抜きを超えて、膨大な時間を費やしていたと思う。
野暮こそ重罪。
2024.2.18貧乏は我慢できるけど、貧乏臭いのは許せないという言い方がある。とても腑に落ちる。誰もが心の奥底ではカッコ良くいたいとか、美しく生きたいと思っているはずで、ダサいのはいかにもイヤなのだ。僕の解釈では、ダサいと野暮はほぼ同義。野暮はいかんよ、野暮は。
ごはん主義。
2024.2.12とにかくごはんが好きである。お米を炊いた白ごはん。お酒を呑んでいても、最後はごはんを食べたくなる。焼肉なんて、ごはんがなかったら、魅力半減。純粋な肉loverには、邪道だと激しく非難されるが、美味しいものは美味しい。白ごはんなくてなにが焼肉か。
無常について。
2024.2.6所詮一瞬だと思っている。いや、わが人生のことだ。薄っぺらい人生観の根底にそんな気分が確かに潜んでいる。それは今に始まったことではない。10代の終わりの混沌の中で、もがき苦しんだ挙げ句に掴んだ予感のような、諦観のようなもの。ただ、厭世感とは違う。
神社なかりせば。
2024.1.31神社の隣に住んでいる。比較的大きな、歴史ある荘厳なお社。偶然ではない。神社があったので、ここに住むことを決めた。10年以上前の話である。300年を優に超える神社の時間に比べれば、つい先日。どちらかと言えば、しばし住まわせていただいている感覚。
ジョグの翌日。
2024.1.25基本、1日おきに走っている。距離も3〜4kmだし、比較的ゆっくりなので、大したことはない。少しきつめの散歩と言ったところ。この秋には10年目に入るから、すっかり日常化した感じ。元来怠け者だから、ホントは楽したいが、コンディション維持には不可避なのだ。
ホテル暮らし。
2024.1.19また出張が増えてきた。コロナ前にかなり近づいている。流行病のお陰でオンラインは間違いなく定着したが、現地に足を運び、リアルな対面も当然重要で、自ずとホテル暮らしは増えていく。昨年の外泊を数えてみたら39日。年間ひと月余りをホテルで眠っている計算だ。
当たるも八卦。
2024.1.13数字にからきし弱い。算数から数学に移行するあたりで、つまずいたことが最大の原因のような気もするが、生来の向き不向きも当然あると思う。いまもExcelを見ると軽い吐き気に襲われることがある。近ごろ話題の生成AIは、この弱点を補完してくれるに違いない。
役立たず。
2024.1.7これは何かの役に立つか否か。そんな視点で物事を眺めている人は多いだろう。それが余りに露骨になると、打算と蔑まれることもあるかも知れない。あるいは、無駄の排除。興味深いのは、何を無駄と思うかだ。この取捨選択が、人生を厚くもすれば薄くもする。