国境を越えて広がる知的財産権に対する意識の高まり。多くのグローバル企業が特許や商標権などの侵害を巡って国際紛争を繰り広げている。そんな中、一部の腕時計ファンから世界的注目を集めた一大国際紛争が昨年決着した。「フランク・ミュラーvsフランク三浦紛争」だ。

 時計の企画開発などを手掛けるディンクス(大阪市)の下部良貴社長がフランク三浦の開発を思い立ったのは2011年頃。あくまで「パロディ商品」と位置付け、価格はフランク・ミュラーの100分の1以下に設定。「時計の歴史を200年早めた時計職人ブレゲの再来」と言われるミュラー氏に対し、「グレコローマンスタイル400戦無敗の謎の天才時計技師・フランク三浦氏(4ページに写真)が立ち上げたブランド」などと主張して市場投入に踏み切った。

 しかし、「こそばかして、笑い飛ばしてもらうつもりだった」大阪流の笑いは、世界を席巻する超一流ブランドには通用せず、相手側は反発。商標登録を巡る紛争は知的財産高等裁判所にまでもつれ込むトラブルに発展し、大阪の普通の中小企業は「注目の国際紛争の主役」になってしまう。係争勃発から6年。下部社長が今、全てを語り切る(注:こそばす=くすぐる、方言)

聞き手は鈴木信行

<span class="fontBold">下部 良貴氏</span><br /> (しもべ・よしたか)<br /> 1970年生まれ。PL学園高校を経て大阪学院大学。大手商社を経て2001年にディンクス設立。2012年「フランク三浦」を商標登録したものの、15年特許庁はフランク・ミュラー側の申し立てを受け登録取り消し。17年最高裁にてフランク三浦側の勝訴が確定した。
下部 良貴氏
(しもべ・よしたか)
1970年生まれ。PL学園高校を経て大阪学院大学。大手商社を経て2001年にディンクス設立。2012年「フランク三浦」を商標登録したものの、15年特許庁はフランク・ミュラー側の申し立てを受け登録取り消し。17年最高裁にてフランク三浦側の勝訴が確定した。

それにしても随分と大きな相手に戦いを挑みましたね。

下部:違うんですって。ほんの少しふざけただけなんです。まず、ウチの商売を説明しますと、海外製腕時計の並行輸入やオリジナル腕時計の企画開発が主力業務なんですが、価格帯で言えば、20万~30万円が天井で、数万円といったチープなものを中心に扱っています。

数万円でも「チープ」なんですか。

下部:腕時計の世界では、高級帯というのは数百万、数千万円の世界ですから、それに比べるとチープという表現になります。でも腕時計ファンというのはなかなか厳しくて、その数万円クラスの時計に対し、数百万円レベルの品質なり動作性能を保証してほしいといったクレームが結構来るんです。

「気休め」で開発した商品だったが…

なかなか厳しい商売だと。

下部:例えば、トゥールビヨン(機械式時計の弱点をカバーした、時計技術の中でも最も複雑とされる機構)。2006~07年には数千万円はしたトゥールビヨンを量産品として20万円を切る価格で出しました。でもそうすると、1日の遅れを5秒から3秒に調整してほしいといった申し出を頂くんです。作り手にしてみたら、2000万円とか3000万円とかするトゥールビヨンが20万円で手に入るのだから、そのくらいは堪忍してくださいという気持ちもあるんですが、商売ですからそうも言っていられない。そのほかにも機械式の手巻きのクロノグラフとか複雑な機構をずっとやっていました。

庶民には手が届かないマニアックな高級腕時計をリーズナブルな価格で市場に送り出すビジネスモデル。しかもマニアが多い腕時計ファンが相手。コストと品質をハイレベルで両立させる上で非常にエネルギーを使う商売、というわけですね。

下部:そこで、逆に気休めじゃないですけど、もっと肩の力を抜いたおもろい企画もたまにはやろうよという話になって、フランク三浦ってのはどうかと言ったら、社員が1人、笑ったんですね。それで開発に踏み切ったんです。1個3000円ぐらいで細々とやろうと。世の中に広める気などありませんでした。

しかし現実には静かなブームを起こしてしまい、目立ってしまいました。

下部:僕は野球をやっていたので、ヤクルトOBの宮本慎也がPL学園の同級生になるんです。彼はもともとウチのトゥールビヨンなどをよく買ってくれていたんです。選手が初ヒットとか初勝利とかいう時に名前を彫ってプレゼントしていた。そこである時、ふざけてフランク三浦を沢山送ったら、電話が掛かってきて「これめっちゃおもろいやん。選手全員に配るから全部買うわ」と言ってくれた。当時、ヤクルトが強かったこともあって、この時期から様々な所で話題になり始めて、つば九郎がブログで紹介してくれたりしている内に芸能人の方などにも広がっていきました。ほとんど広告費はかけていません。

なるほど。

下部:そうなると大手流通の方も声を掛けてくださるじゃないですか。その際に当然、「これって商標登録とかはどうなってるの」って話になるわけです。

一度はあっさり通った商標登録

その時点では何もしてなかった?

下部:全然してなかった。「どうでもいいわ」と思っていましたから。でも大手さんから登録してくださいと言われたのでそうしたら、すんなり通ったんです。それで大手さんにも一気に流通ルートが広がりました。

フランク・ミュラーと混同する消費者はいない、というお上の判断ですか。そもそも三浦って漢字ですし、価格帯も違う。

下部:なんなら三浦の浦に右上の点がないですからね。

ほんとだ。「みうら」ですらない。

下部:他にも「非防水」って謳っているし、説明書にも「縮れ毛が入っていても良品」と書いてあるんですよ。そんな時計を、誰が超一流ブランドと間違うのか、と。

いずれにせよ、商標登録もすんなり通ったわけですし、法律的にも何の問題もないように思いますが。

下部:僕もそう思っていたんですが、そうしたらある時、Facebookのフランク三浦のページが消されたんですよ。

いきなり消されるものなんですか。

下部:はい。最初は「何じゃこれは」と思いましたが、ほったらかしにしていたんですよ。そうしたらTwitterの本社から、「商標権侵害の恐れがあるから、フランク三浦関連のアカウントを凍結する」と通告が来て、一旦止められました。何が起きているかよく分からなかったんですが、「こっちは商標登録をきちんと済ませている」という旨を伝えたりしてやり取りしていたら、フランク・ミュラーの商標管理会社と名乗る企業からホームページに英語でメールが来たんです。

メールで?

下部:最初は僕も、うそかなと思ったくらいなんですよ。仕方がないので「英語じゃ分からん、日本人だから日本語で話して」と対応していたら、今度は、日本の弁護士事務所から「商標権が侵害の恐れがあるので取り消させてもらう」という内容証明が送られてきて、その後実際に特許庁の方から商標を取り消しますと通告を受けたんですよ。

1回通っている商標なのに、そんなあっさり消されてしまうものなんですか。

下部:向こうの訴えを認めます、と。でもこれは僕らとしたら納得行かない。ちゃんと手続きを踏んで国が1回認めたんですから、それを取り消すならやはり納得した手続きがもう一度必要でしょう。

確かに。

「フランク三浦がダメならパロディ文化は消滅」

下部:そこで知財に強い弁護士さんに相談しました。商標の専門でやられている方です。その弁護士さんがおっしゃるには、フランク三浦がダメなら「パロディ」とか「サブカル」という分野は全部あかん、と。江戸川乱歩(注:米小説家エドガー・アラン・ポーに由来)も、ずうとるび(注:ビートルズに由来)も全部アウトになる、と。

そこで、商標無効の取り消しを求めた訴訟を知的財産高等裁判所に起こされた、と。

下部:そう。納得がいかないのでやりますと。ウチにとってはフランク三浦の売上高比率は全体の数パーセントなんです。それでも納得がいかなかった。それに、相手側の主張に簡単に折れてしまうと損害請求などをされる可能性があると言われたことも戦おうと思った理由の一つです。弁護士の先生は「主張すべきところは主張しないとあかん。フランク・ミュラーとロゴの入った商品を売っているわけではないでしょう」と言って下さって、それに背中を押された面もあります。

そして2016年、知的財産高等裁判所が異議申し立てを認め、フランク・ミュラー側が最高裁に上告するも棄却され、ディンクスの勝訴が確定した、と。

下部:2017に相手側の控訴が棄却されて、相手側の最後の不服申し立てができる期限が切れて100%終了です。

報道によると、知的財産高等裁判所は「三浦は漢字を含む手書き風の文字で、明確に区別が出来る」「100万円以上の腕時計と4000~6000円程度の時計が混同されるとは到底思えない」といった理由で御社の商標を有効と判断しました。相手側は「フランク・ミュラーの名声にただ乗りし、その価値をおとしめるもの」と主張していたようですが。

下部:相手側のビジネスへの影響は全くないと思います。例えばフランク・ミュラーの100万円の製品と同レベルのものを作って20万~30万円で売ったら、混同する消費者もいるかもしれませんよ。でも、これは間違いようがない。

確かに。

大阪の笑い、スイスの方に拾って欲しかった

下部:価値を貶めるといっても、近くに置いておちょくっていたらそうかもしれませんが、フランク・ミュラーとフランク三浦は同じ場所で売られていません。僕らとしては、あくまでパロディとして消費者も業界の方も笑い飛ばしてくれたらいいと、「こそばそう」と思って出した商品。本物とは明らかに違う突っ込みどころも沢山散りばめたんですが、そこをスイスの方には拾ってもらえなかった。

それにしても大きな話になったもんですね。

下部:商標登録もきちんと済ませていたし、思いも寄らないことでした。フランク三浦でビルを建てたわけでもないですし。大体価格が数千円でしょう。コストを差し引いたら、僕らのマージンっていくらなんだっていう話ですよ。

お話よく分かりました。ただ今回は「あまりにも違う商品過ぎる」という点が認められ、「相手側のビジネスもブランドも毀損していない」し「消費者の混同も招かない」と判断されたわけですが、一つ間違えば深刻な事態になっていた可能性もあります。係争中は相当ストレスを感じたのではないですか。

下部:あまり深く考えてはいませんでしたが、ストレスがなかったと言えば嘘になります。高校の寮生活3時間分のストレスと同じぐらいでしょうか。

拾ってもらえなかった大阪流の笑い
拾ってもらえなかった大阪流の笑い

当時、PLで野球をするというのはそんなに大変なことだったんですか。

下部:まあそうですね。

宮本さん以外に、どんな「後の名選手」と野球をされていたんですか。

下部:清原さんと桑田さんと入れ替わりで入部したんですよ。だから1つ上が立浪さんとか片岡さん。1つ上の学年は春夏連覇していた頃の本当に強い時代で、僕は春夏連覇をスタンドで見ました。僕は控えキャッチャーです。試合中はずっとブルペンにいました。

当時のPLのレベル感はどんなものなんですか。全国から才能のある方が集まってくるわけだから物凄かったのでは。

下部:僕の場合は入部して2日ぐらいで無理だなと思いました。練習がきついんじゃなくて、周囲のレベルがとんでもない。何じゃこりゃみたいな。びっくりしましたね。

でも、入部できたんですから、社長も相当なレベルだったわけでしょう。

下部:PLからは小学校6年生の時にスカウトが来ました。その頃が僕の野球人生のマックスです。小学校の時に軟式で全国制覇したんですよ。その時点で遠投が90メートルぐらいで、背も170センチぐらいあって。

「ドラフト1位」がだめになる本当の理由

参考までにお聞きしたいんですけど、ドラフトで上位指名された人が必ずしも成功しなかったり、逆に下位指名の人が大化けしたりするじゃないですか。どうしてなんですか。

下部:プロに入って練習するか、しないか。死に物狂いでやるか、やらないかでしょうね。宮本慎也なんて、バッティングは期待できないと言われていたのに2000本打ちましたからね。守備はうまかった。でも肩はそんなに強くなかったし、筋力もそれほどなかったはずなんですけど。

最終的にはクリーンナップとか打ってましたもんね。

下部:そうなんです。5番とか打つんですよ。

全て努力?

下部:努力ですね。後は、自己管理ですか。プロになると、銀座とかに行くとモテるじゃないですか。ああいう人たちって本当にモテるんですよ。だけどやっぱりそういうのをほどほどにというか、断ち切る。宮本は、現役中は酒は飲まない、たばこは吸わない。20代後半ぐらいかな、一切そういうのはやめて、まじめでしたよ。ずっと練習でした。

やっぱり一流は一流たる理由があるんですね。さあ今年もいよいよ開幕。楽しみですね!

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