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パリにおける仕事・日常生活の忘れな草


by vwpolopolopolo
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標題の歴史博物館を訪問する機会がありました。入場料は3ユーロ。マレ地区にあるスービーズ公という人の館だったところが博物館になり、13世紀頃からの王が発した公文書が展示されていました。古い物は見ても何が書いてあるのかさっぱり分からないのですが、ガイドブックに「ジャンヌ・ダルクの手紙が展示されている」とあり、学芸員の人に聞くと「そのようなものはないが、マリーアントワネットの書簡がある。」ということで案内してくれました。

La derniere lettre de Marie-Antoinette adressee a Madame Elisabeth pour lui recommender ses enfants, 16 Octobre 1793, 4 heures 30 du matin.

と説明書きがありました。「本手紙は後にロベスピエール関係の書類から発見された」とも説明がありました。夫のルイ16世は、1793年1月21日に処刑されているようですが、マリーアントワネットは1793年8月2日までTempleにいて、その後コンシェルジェリーへ移され、1793年10月16日12:15に処刑された、と説明が付されていて、処刑される当日の早朝にしたためた「最後の手紙」ということとなります。

A4の紙に2枚程度びっしりと書いてあるものでした。驚いたことが2点ありました。1つは、文章(言葉遣い、文法)が現在と同じであること。手書きで達筆なため良く読めないところもあるのですが、mon fils、ma filleなどの文字は十分判別でき、一部内容も追えました。200年以上も前の文章が今の言い回しと変わらないというのは、日本と比較してもその違いが際立つと思います。今は凋落しつつありますがヨーロッパにおける最近までのフランス語のパワーは恐るべきものだったのだなと思いました。

2つ目はいよいよ最後の日を迎えて手紙をしたためているわけですが、文字に乱れが見られないことでした。まだ38歳の若さで、間もなく迎える死の恐怖は当然あったはずですが、文字から判断するだけであれば泰然自若としているように見えました。何かとスキャンダルの多い人であったことは間違いないようですが、随分と芯の強い人だったのでは?と想像しました。


☆お礼☆
さて、本ブログの更新を都合により本日をもって終了させて頂きます。多い日には30人くらいの方にご覧頂いていたようで、また、何人かの方々には定期的にコメントを頂きましてありがとうございました。コメントを頂いて、自分では考え及ばないこと(知らなかったこと)をご指摘頂け大変参考になりました。また、コメント等を頂いた方のブログを中心に覗かせて頂き、色々な分野の情報に触れることが出来、改めてブログのパワーを思い知りました。私自身あまり熱心なブロガーではなかったため、お返しコメントもあまり出来ず、また、色々なところに出掛けてリンクを貼るとまでも行かず、貢献不十分、威力半減であったかもしれませんが個人的には大変楽しませていただきました。重ねましてありがとうございました。
(なお、vwpolopolopoloの名前は、本更新を最後として以降使用しませんので、仮に今後この名前がいずれかで何らかの形で使われている場合には、それは本ブログを更新していた私以外の方によるものということを念のため申し添えさせていただきます。)
# by vwpolopolopolo | 2007-06-18 22:50 | 日常生活

続教習車

帰宅時に歩いていた際、「何だこれは?」というようなプレートが載っている車を見ました。

「Voiture ecole」と一応活字体で書いていますが、マジックインキで書いているのが良く見ればすぐに分かる型紙のプレートを車の天井部分にガムテープで固定した車が駐車されていました。

まず教習車なら「Auto ecole」が通例と思いますが、こちらは上記のような書きぶり。その時点でまずおかしいですが、紙に書いているので偽物というのがすぐに分かります。

あれは半分冗談なのかと思いますが、案の定、ワイパー近辺に違反切符らしき紙が挟まれていました(ひょっとすると単に広告が挟まれていたのかもしれませんが。こちらでは駐車しているとすぐに何かの広告が挟まれます。)。
# by vwpolopolopolo | 2007-06-12 23:30 | 日常生活

Auto ecole

昨日の夜待ち合わせる必要があって、凱旋門近くの通りを歩いていた際のことです。

標題の文字が書いてある赤いプレートを天井に載せた車が停まっていました。これは教習車の意味です。「大通りでもない裏道でなぜ教習車が駐車したままになっているのかな?」と一瞬不思議に思っていました。

その付近で待っていると、しばらくしておじさんとおばさんの夫婦がやって来て、その「教習車」に普通に乗り込みます。「あれ?これはひょっとして普通の自家用車では?」と思っていると、おじさんは、車の上に載せていたプレートをひょいととって何気なく運転席の中にしまいこみました。それで車は走り去りました。

なるほどと、これは違法駐車によるレッカー対策ということです。このおじさんはどこかで教習車のプレートを入手し(拾ったか拝借したかのどちらかでしょう)、駐車する際にそれを天井にひょいと載せておくということにしているのでしょう。

教習車であればまずレッカーされることはないでしょうし、車にキズをつけたりするいたずらをされることもないでしょう(「教習車」は何となくいたずらの対象にならないと思います。)。そして何よりも「教習車」のプレートが単に天井部分に乗っかっているだけとは誰も思わないので、それを持ち去られる心配もほぼありません。

ということで、あれは違法ということで取締まりの対象となるか分かりませんが、「いけないこと」には相違ないと思います。しかし人間の心理を突くようなうまいことを思いついたものだな、と感心しました。(真似はしませんので念のため。)
# by vwpolopolopolo | 2007-06-07 23:00 | 日常生活

エリゼ宮の費用

今日のMetro新聞は「La Sortie」としてシラク大統領がエリゼ宮を出るということを1面に書いています。

また、社会党のRene Dosiereという人がL'Argent cache de l'Elyseeという本を書いて、2006年のエリゼ宮の出費等について様々分析しているようです。

人件費: 14.8 million euros
ワイン代: 250000 euros
生鮮費: 750000 euros
通信費: 4.17 million euros
郵送費: 500000 euros
維持費: 4.8 million euros

また、この調査によるとシラク大統領就任時の95年と比較して2006年は3 million eurosから27 million eurosへ798%の増加となっており、特に航空機代(6 million euros)は公用の時間と一致しないことがショッキングである、と指摘しているようです。

加えて、エリゼ宮で120人が働いているにも拘らず、この人達に対し誰が給料を支払っているのか不明(エリゼ宮?閣僚?)で、ミステリーである、とも指摘しているようです。

近時は首脳饗宴代を節約するのが世界的な潮流と見かけますが、それでもさすがにフランスでワイン代はまずまずの出費かと思いました。とはいえ社会党(野党)の調査のため、これはこれで差引くべき事項もあるのかもしれません。
# by vwpolopolopolo | 2007-05-15 23:50 | 日常生活

Goodbye Bafana

Goodbye Bafana_f0008225_6142920.jpg時間を見つけて、標題の映画を観ました。土曜なので9.50ユーロ。開始時間ちょうどだったというだけで飛び込んで観たもので、フランス映画でもないですが、ネルソン・マンデラとその看守官吏の関係を描くもので、時代背景の描写等面白いものがありました。

68年から描かれていましたが、当初はアパルトヘイト政策が共産主義の砦となるよう、70~80年代にかけては(黒人)テロリストとの戦い、という風な台詞が見受けられました。ネルソン・マンデラの30年近い投獄生活も比較的ドライに描かれているなとの印象でした。

【以下サイトにあった、粗筋を記録のため貼り付けたものです。

South Africa - 1968

Twenty-five million blacks are ruled by a minority of four million whites under the brutal Apartheid regime of the Nationalist Party Government. Black people have no vote, no land rights, no rights to freedom of movement, to own a business, to housing or education. Determined to retain power, whites ban all black opposition organisations, forcing their leaders into exile or imprisoning them for life on Robben Island.

James Gregory, a typical white Afrikaner, regards blacks as sub-human. Having grown up on a farm in the Transkei, he learned to speak Xhosa at an early age. This makes him an ideal choice to become the warder in charge of Mandela and his comrades on Robben Island. After all, Gregory speaks their language and can spy on them. However, the plan backfires. Through Mandela's influence, Gregory's allegiance gradually shifts from the racist government to the struggle for a free South Africa.

Goodbye Bafana tracks the unlikely but profound relationship between these two men. Through their unique friendship, we witness not only Gregory's growing awareness of man's inhumanity to man, but South Africa's evolution from Apartheid to a vibrant democracy.

The story, which documents how Mandela became the most inspirational political figure of the modern world, poses the questions: Who is the prisoner? And who sets whom free?】
# by vwpolopolopolo | 2007-04-28 23:30 | 日常生活