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◆お知らせ 2007.2◆◆お知らせ◆ ただ今PCへのメールは、殆ど使えないので、行方不明になる可柏ォがあります。ご用の方は、直接どうぞ。携帯メールやメール送信フォームなど。または「出した」という連絡をいただけるとPCメールでも確認はできます。ご迷惑をおかけしております。
◆整理不足で埋もれるに任せています。ページサイズが大きいので、適当にストップをかけてご覧くとスムーズです。
◆トップでは球体関節メインに見えますが、普段はこんな感じのメモ画像など撮ったり、その他、浅く狭く。

 

睡郷沼のぬし / / ( )
予備スペース(アメーバブログ)最近はこちらで更新することが多いです。

お知らせ  いつからかわからないのですが、上のフォームからの送信が届かなくなっていたようです。過去にスパムメールのようなものが大量に届いた時、一時的にメールを拒否してそのままになっていたようです。長い間大変ご迷惑をおかけしました。

睡郷沼のぬし 2015/10/15(木)
   写真
  羽ばたき標本 永遠の居場所

睡郷沼のぬし 2015/6/14(日)
   写真
悲しみを泳ぐ
悲しみからも幸せは生まれてほしく思う

睡郷沼のぬし 2015/6/9(火)
  写真
  写真球体関節人形仮組み立て
  写真一羽二羽
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自分以外の別人にはなれるだろうか。現実であってほしいことと夢であってほしいことが絡まりあって、見えない方向へひきずっていいかれる。

睡郷沼のぬし 2014/12/2(火)
小さいのではない それでなければこんなになくこともなかった ひとりで「なんで」とつぶやいても声はだれにもとどかず消えるだけ

睡郷沼のぬし 2014/11/26(水)
 先日のFC2のブログは私の環境では操作しにくい部分があったため、アメーバに作ってみた。テスト中
予備スペース

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それ以前少し更新してみていたところは会員制だったので、別の場所を探していたが、変える余裕がなかなかなかった。時間がほしい。 ある程度の、「今より生きやすくなる方法」というのは思い浮かぶ。ただし、何かをそがなければならなくなるかもしれない。 ひとつの大事なことのために、どこまでしたらいいのか、境目がわからないでいる。わかるのは、今がベストなわけではなさそうなこと
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  写真


睡郷沼のぬし 2014/11/25(火)
  写真
 光は暖かかったり
 光は残酷だったり
 影が風で揺れていた
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たびたび心がちぎれそうになる
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  写真
  写真
  写真
  写真
  写真   写真
  写真   写真
左は何年も前に作りかけていたカタツムリ?のような入れ物。こんなものを作りかけていたことなどまったく覚えていなかったので、最初なにかわからなかった。動いた歩いた跡を落書き。途中からクレヨンの色が混ざる

睡郷沼のぬし 2014/11/12(月)

 パソコンにさわれないことが多いため、こちらに 予備スペースを追加

睡郷沼のぬし 2014/10/21(月)
  写真  
大体の形を作ってつなげてみた
住処を離れての、さらに限られた時間内での作業は難しい 限界がある

睡郷沼のぬし 2014/05/23(金)   写真
狂わされた軌跡
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  写真
涙 
  あるいは天へ昇る喜びの気泡
 
  写真
笑っているの?泣いているの?
 
  写真
ガラスの中の自由
 
  写真

 
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おおきくなってから子供みたいに…子供以上にみたいになすすべなくくりかえし泣かなくちゃならない日がくるなんて予想していなかった

睡郷沼のぬし 2010/11/09(火)
時が、
   写真
風の流れよりもはるかにはやく、過ぎてゆく

睡郷沼のぬし 2010/05/08(土)

   写真
整理できぬままの・・・写真・・・いや、全てにおいて・・

睡郷沼のぬし 2010/4/1(木)
 
   二つ
ふたつ

睡郷沼のぬし 2010/1/25(月)
別の話 個人的覚書  覚めて・・悪夢は現実であった これはひどすぎる 苦しい・・

睡郷沼のぬし 2010/1/24(日)
(メモ)
更新などしばらく出来なかったが・・・時は相変わらず全てを、静かだが抗えないほどの絶対的な力で包み込んで…巻き込んで…ゆるやかで重いマーブリングのような形と残像を描きながら変化をとげる


八月に父が他界した。ドラマや小説にしたら逆にうそ臭く白けてしまうような偶然のつながりの中で。なんという演出と、なんという、後へ残された家族のへのささやかな気持ち。それらただの偶然だったとしてもそのように感じてしまった。2つ目の、「後へ残された家族への」という部分は、ここには書けないけれど、うそ臭く、というのは、たとえば・・祭の花火の夜、花火が終わって間もなく、とか、花火が上がっていたような夜だったにもかかわらず、1年ぶりの「帰宅」の直後・・・まさに直後、大雨になったり。来てくださった方も、花火を見せてくれたんだね、とか、これは涙雨かね・・など声をかけてくださった。第一私がその場にいられたのも、ものすごい偶然であった。1つ取り上げただけでもそんな感じで、今回のことに関わる一連の出来事の様々なことが大きく精密なからくりのように繋がっているような感じであった。

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もっと前だけれどメモしていたので。 二階堂の映像。→a(a)
どのシリーズもだが、今回もなんともいえず。
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↓この下のメモはいつのものかよくわからない。夏のいつごろかわからないが、更新しかけてそのままになっていたようである。

睡郷沼のぬし 2009/07/8(水)
(メモ)
七夕前のメモ。特急に乗る前に取ったチラシなど
サンドミュージアム 銀河の砂時計 a
(プラネタリウムで銀河鉄道の夜を再現 a


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a b c d e f g h i j k lm n

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今自分のとこから動画は確認しづらいけれど、なんとか見られたものが、続けざまにひどく寂しく感じられた。
ネットは本当に気持ちの「るつぼ」のような場所で、死にそうな気持ちでもがいている人がいるかと思えば、同じ世界かと思うほど馬鹿さわぎしていたり、その他あらゆる・・・。
リアルと違って垣根なくクリックだけで辿っていける。その分、落差がすごい。。気持ち悪くなるほどのギャップ・・。
ただ、作った人がどこかに確かにいるというのは、寂しい時大きな救いではある。

The Aroma of Tea  a
When the Day Breaks  a
father and daughter  a
春と修羅  a


元は偶然見つけた懐かしい歌、「青春は舟」からの繋がり  a
真っ暗森の歌(これも懐かしい。今見ると歌詞が特に)  a
メトロポリタンミュージアム(これも懐かし)  a

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そして・・・たまらなく寂しくなる
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離れていたとはいえ、何十年も家族だった人の過去のことを今更初めて知ったり

睡郷沼のぬし 2009/06/8(月)
うそかまことこまかそう

うそかまことこまかそううそかまことこまかそう

うそかまことこまかそう
うそかまごとごまかそう
嘘か誠、細かそう。嘘か、孫と誤魔化そう


本当であって欲しいことと、嘘であって欲しいこと、実際にはどちらが多いか自分にはわからない

よく見る夢を見て起きた。それを見るといつも目覚めた直後に・・・生まれた瞬間に肺呼吸に切り替わるように・・突然大きな恐怖が湧き上がって襲われる。目覚めてホッとするどころか到底生きていけないような気がしてくる
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数日前、窓の隙間から漏れてきた夕暮れ時の光の色を見て虹が出ているような気がして外を見た。出ていなかったが何か一瞬見えた気がした。気のせいかと思っているうちに大きな輪が現れた。日没寸前の一番大きな虹。
(削除)
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今急に起こったわけではない。少しずつ確実にそうなってきたはずだ・・・排水溝が目の前に見えるのに身じろぎできずにいる・・今日は特にこわい

睡郷沼のぬし 2009/05/26(水)
距 の奥に
距
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オダマキ おりがみ
遠い記憶、遠い未来 の蜜を溜めて待っている

(オダマキ おりがみ)
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苦しい・・

睡郷沼のぬし 2009/04/27(月)
(少し前のメモ)
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思わぬ流れである人(の作品)を知った。何者か…名まえすらわからないが、これまでの作品が少しだけ見られた。自分などとは別世界にいる。自分からは一生かかっても出てこないもの、まねしても出来ない作品を次々と作り出す。好きすぎてコンタクトも、また見るのさえ億劫になる、そんな感じ。結局近寄らない。…遠ざけた?

そういうものに出会った時、人生に対する未練(あるいは気力なのだろうか)が、いい意味でも悪い意味でも、ふっとなくなる。(たぶん同時に着火される部分もあるだろうけど、それを上回る。凄いものの前で自分の全てが無意味に思えて虚しくなったり、逆にラクになったりするのだ)
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2009水谷実紀 a a 探していたショットは無かったが・・メモ
1997ジュリー・タルディ 精神病の振り付け

睡郷沼のぬし 2008/04/24(水)
撮っていて忘れたままになっていた写真やメモや更新したつもりだったものなどを思い出した。その間のものなどまとめて覚え書き。・・数ヶ月前なのに撮っていたことさえ忘れていたものもあるなんて。自分がとうに壊れた人形かなにかのよう。
(画像は季節など少しバラバラ)
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夜から朝へ朝から夜へ生から死から生から死から生から・・・かすかなつながりは見えない糸
花弁
いつの間にか時を感じ取って皆動きはじめる。つながりの糸の中で。
糸
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泣きたくなるくらいの凍えと泣きたくなるくらいの救いの欠片のまざる一瞬。しくみのままに、静かに生きていく彼ら
凍
凍みた朝の、とけて出来た気泡交じりの露がひっそり光を集めていた。
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道中の一瞬。場所もわからない場所の、不確かな確か
空
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◆旧校舎◆以前から気になっていた古い家屋。最近取り壊されてしまったようだ。少しずつ・・少しずつ、だが刻々とかわっていくもの◆コップ◆いつか入ってみたくなるような本(まさに本)の看板のある近所の喫茶店。◆家族の記念日。こんなものしか贈れないのが情けなし。カード。◆上り詰めては枯れ、を、歴史を越えて繰り返してきた。そしてまた同じことを繰り返してここにいる。それ・・同じことを続けていくために
壊
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ポップアップカードの年賀状。ドタバタしていてちゃんと作れなかった。一年前の一月に浮び、試作は出来ていたが、この完成分は新年を過ぎ、一月半ば頃になりやっと作ったもの。柵に見立てた「丑」。
そしてこれを作った後に次の年の虎の飛び出す絵も浮んだため試作だけは出来ているものの、果たして実際に出す日は来るかどうか…。そちらは初めて使う展開方なので出さなくても完成と呼べるものは作れるとよいが・・
年賀
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リアルタイムで以前更新し損ねたが・・・目にとまった引用された言葉 ”Happiness only real when shared”(幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合った時だ) (引用の引用元)ひな祭り頃
もとネタは知らないので思っている意味合いは違うかもしれないがよくそう思う

睡郷沼のぬし 2009/01/22(木)
ブラックホールはひとりきり
ブラックホール

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つみひとりきりとひみつ
 → ← 罪独りきりと秘密

睡郷沼のぬし 2009/01/15(木)
タカノハウラボシ
鷹の羽ウラボシ
薬箪笥 丁半 空き部屋 住人 心の棚 法則 なりゆき なるゆく未来 未 過去 過過過うめつくされた今 風に飛ぶ

睡郷沼のぬし 2008/01/09(金)
新年明けましておめでとうございます。
旧年中は色々とお世話になりました。本年もどうぞよろしくお願い致します。

たくさんのことが出来ないままずれ込んでいて、そのうえにまたずれ込んでいく感じ・・・。
年賀状もあきらめていたが、今年の干支の飛び出す年賀状の形が2008年1月に浮び、既に試作は作っていたので、またちゃんと作って写真だけでもとっておきたい。
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満つる零時の卵
0(ゼロ)の形と卵の形は似ているな・・意味や存在もなんだか似ている。       新月と0は似ている。満月と新月も似ている・・・満たされた形とゼロもどこかにているのかもしれない
卵
新年の午前0時は・・・冷え切っていた。割れた卵、夜闇、冷えた濡れ髪、冷水、無縁の場所から漏れ来る暖かであろう光。 今年こそは年内に帰省できるはずだったのに、体調、その他のためまた足止め。こういう自分に対しての落胆や怒りのやり場がわからない。


卵にかえれたら何も考えずにやりすごせるだろうか、卵に帰れたら繋がれるだろうか、卵にかえれたら消してしまえるだろうか、卵にかえれたら消えてしまえるだろうか、あたたかいだろうか、なにも感じずにいられるだろうか、卵にかえれたら・・・・卵にかえ・・・
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12/1の、月と木星と金星の接近。出発前にたまたま見上げた空に二等辺三角形が沈みかけていた。
三角
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半年前に母親になったた同級生からのメールに、深夜になって旦那さんが帰ってきて抱っこするまでは、坊やが寝てくれないと悩んでいた。何らかの心地よさがあるのだろうか。自分の遠い過去を振り返りながら「こういう時はこの人じゃなきゃいや、それ以外はありえない」という感覚を思い出したりした。なにかが欠けた世界なんて考えられなかった。(失う物の自体殆ど無かっただろうけれど・・いやそれゆえか・・?)
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メモしてから1ト月近く経ってしまったが・・・

突然こんな帰省が訪れるとは。受話器の向こうの涙声。急ぎ黒い服・白い生き物を詰め込み電車へ。駅に着いてたまたま目に入った空の、見慣れない三角の星(薄い三日月と木星と金星の接近(08/12/1の接近)が印象的だった。(翌日の新聞に載っていたそうだ)

寂しい煙。閉じられる間際には、餡パンまで入れられたし、自分もあれこれこれまでの後悔などが巡っていて、消えるものに対して尽くす(尽くしたいと思う)ことの意味などわからなくなったりした。

再び大阪での生活。大阪に帰ると周囲との温度差(精神的な)がきつかった。歳はとってもこういう時オトナになって切り変えられないこども。周りの人にはこっちの事情などわからないのに。うまく対応できない。

睡郷沼のぬし 2008/11/25(火)

目的にも近づけ(か)ず、また振り返ったり丁寧に生きる余裕もなく、悲しいほど無為にむだに、過ごしてしまっている。やりたいこと、なりたい自分はあるけれど、なにもできない自分がここに。

(3枚目は去年の秋に作ったファイル。更新する機会が無かった(確かしてないと思う・・いや、したのだろうか思い出せない)ので、今回一緒に。あっという間に季節が一巡りしてしまったとは・・) 何ヶ月か分の写真、撮れる機会もあまりなかったが、少ないくせに纏める余裕もなかった。なかば偶然的に編集するに至ったのでまとめてメモ。
その他、ごくごく個人的メモなど・・あまり考えずに流されるような更新である・・。「今回だけとりあえず適当に」が、結局積み重なりつねとなるのは嫌なのだが、考えている余裕が持てない今は仕方ないかもしれないが
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◆溝川の中に生えた鬼灯 ◆大切な物を包み込む掌のような蕾。1本1本、ゆっくり開いていく。そんなに大切に握っていたものを惜しげもなく開いてしまうくらいの理由が、生きることにはあるのかもしれない・・。(実家の菊)◆蟹草。沢山の葉や長い長い蔓に見えるのが、実は一枚の葉が変化した物。別人に見えて、心臓と意識は繋がっているのである。 それでいながら、普通の葉と胞子をつける葉では、別の草かと思うほど形が違う。花はないがひっそりと深い。◆赤いインクを間違って落としたような、もしくはそこだけ魔法でもかけられたかのような一房◆糸の塔
包
溝川に頭を入れてホオズキを撮っていたら声をかけられた。人が倒れていると思われて、離れたところに人が集まってきていた・・。ご迷惑をおかけしてしまった&心配してくださって感謝。・・住宅街であまり目立ちたくはない。覚えられるのはいやだ。撮りたいものがいくつかあるが、撮れずにいる
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◆雨の朝の彼岸花◆ など
彼岸花
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2007年の秋、更新しそびれた写真 ◆羊歯の双子の新芽。こんなに生命感あふれていた株を、春に枯らしてしまったのをずっと後悔している。◆ヤマブドウ。実の色で、虫の住処になっているか病気になるか正常なのかわかる。綺麗だけれど色んな何かが中に潜んでいるヤマブドウ。◆蓑虫・・・雌は蓑の外に出ることはこの先ないと知ると、なにか切ない。何のために卵を産み命を繋げていくのか、思考の迷宮◆ホログラムのような紅葉 ◆ねぐら ◆蔓 ◆一枚 ◆炎の花
もみじ
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コップ色々 ◆海底、菌糸、貝の記憶、梵字、胎児、地中、龍、蜘蛛巣、りす、ブロッコリー(茸、母子草)、ハート、年輪、カオス (もしかすると過去の更新と重複している物もあるかもしれない)
  コップ
メモ ささ戸
ささど
メモ 霧
霧
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家のほう、いよいよ大変な感じに。考えると気が重い
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実家の甘柿が今年は鈴なりで、下を歩くだけで命中したほど(家族)。世間では相変わらずマンゴーがもてはやされているが、絶妙の熟れ時のタイミング(とても短い)で食べる柿は絶品。まず色からして。
・・・前にうちの鈴なりの橙の実を見て、はかないゆえの究極の宝石、とか、一粒の種から何もなかった空間にあれだけのものが・・・などとと書いたのを、柿を見ながら思い出した。1000カラットの、はかない宝石。

5/13に書いたのと同じように、また豪華な花に彩られた。厳選された高価な花を惜しげもなく集めた中にいてさえ、でも、その受取人の若さや美しさは、無数の花々を集めても叶わぬように見えた。

が、人が帰ってがらんどうになったとき、やはりその一瞬のために切り集められて捨てられるのを待っているさらし首が切なく、無言の、だただにじみ出てくる存在感に圧迫されるようだった。
 
果実も花も儚く一瞬だけれど、だからこそ命を連綿と繋げていくのだと思うと、短く見えて実は永い永いものなのかもしれない。
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風邪。思ったより体は正直で、そして思ったよりヤワでダイレクトであった。 立場的な、または利益のための形だけの応援や励ましはやはり好きになれない。自分を甘やかすのも守るのも、結局自分しかいない
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皆がどう日々をすごせているのか(自分を繋ぎとめられているのか)、謎である


睡郷沼のぬし 2008/11/14(金)
メモ
11/14 
11/12 柿、菊、芋、きもち 受け取る
11 ほおずき
11  風邪、眼

10/11冬瓜、みょうが、じゅんさい、、春菊、ごぼう

睡郷沼のぬし 2008/10/11(土)
メモ
荒

睡郷沼のぬし 2008/9/20(土)
荒
荒
荒削 しただけだが・・・以前よりさらに作れなくなっているのを実感したり

睡郷沼のぬし 2008/8/25(月)
文字だけを更新しかけて、撮って忘れかけていた物等を思い出した・・ 束の間の、しかしなかなか覚めない、嫌な夢のような夏だった気が・・・・と、かくことで、どこか安心させているのかもしれない。自分が知らない人のよう。
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  葉脈が、時の流れの中で迷路を深く深く伸ばしていく。奥まで入り込んで迷い、振り返った頃にはすでに取り込まれているかもしれない
迷路
川辺の矢印の上
矢印
ガラスの夏 (右)絡みついたつもりが、絡みつかれていたり。しかしそれで支えあっていたり。
絡
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  新鮮ななまもの放置が、決まりごとのように、翌日にはハズれなく変質したそれを生み出す、ということが、うっとうしさと悲しさを通り越すと、却って妙に小気味よくも。この季節の新たなステキさを知る

急に特に夜が涼しくなってきた。真夜中の月明かりに満たされた空に、一筋の長い飛行機雲が浮んでいた。夜中に見上げるとたまに飛んでいる。飛んでいるということは、その中に必ず誰かが・・少なくとも1人は乗っているということである。いつもその人のことが気になりだす。どんな人がどんな気持ちで今あそこにいるのか。こうして、存在を確かに確認しながらも会うことのできぬ、誰なのかもわからぬことのもどかしさよ。 もし見上げた空に流星を見たのなら願いたい、全ての確かな回答(事実)を知っている先生なり、データベースなりに出会いたいと

帰省のためにもらった休みだったのに・・・ダウン。最低。家族はまた一回り小さくなったと言う言葉が、受話器越しにリアリティを持って体にひびく。引き換え膨張した自分の心を鋏の刃で引き裂きたい衝動

睡郷沼のぬし 2008/8/1
(補足 虹の空の反対側は夕焼けで、東西の空が同時に刻々と変化していった。その中で東から広がった光と影が、また西の空で1つに交わるという光景など見られて印象的な空だった。
睡郷沼のぬし 2008/7/29(火)
(圧縮したら彩度が低くなったが・・・)
左)朝日の虹糸は暗号
何か言葉でも隠されているようである
右)レーダー 宝地図 織物
暗号 糸
カンカン照りで干からびる寸前の鉢に水をまいた後、急に空が真っ暗になり篠つく雨に。夕方、再び強い日差しが窓の隙間から見え「もしや」と思って外に出た。やはり。日没のほんの寸前に、ギリギリで間に合った大きな虹であった。
虹
--

風の鳥 風の足音を雲が代わって描く
夜明け

早朝の空(1枚目上)を、鳥みたい、と思いながら住処にたどり着いた。玄関に入る直前、光に埋まりかかった月を、本物の鳥たちが掠めていった。どの鳥も、どの鳥も、皆同じ方角へ、計算式の公式のように飛んでいった。


ぐちゃぐちゃ・・・しかし簡単過ぎる道をめぐった思考は、「この世に同時に今存在するものは結局釣り合ってるんだろう」という、いつものどうでもいいようなところへたどり着く。
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ご飯を食べながら夢を見ることがふえた。手振り付きとかまで。時間が欲しい・・・とつい思ってしまうが、それより本当はついて行けてないだけ。やらねばならぬことは山積しているが、他の人ならなんの苦もない量である。
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こんなことしている場合では・・・と思いながら、何ヶ月も前から予約していたし、この次いつ機会を逃すと、次いつ教われるかわからない(今回のもやっと取れた予約だったので)ので、あり金かき集め・・・、ガラスの講習会へ。
まるでテーマパークのように・・・、現実を忘れて二日間受講した。帰ってから現実のに引き戻されたのがなんともいえない気分だった。

睡郷沼のぬし 2008/7/11(金)
(下のメモの補足)
左)一瞬のちには   右)カタツムリはどこ
右)フウロの弾かれる種(実ったさやの変化がドラマチック)。子の旅立ちだと思うと寂しい。自分自身をばら撒き放つと思うと力強い

睡郷沼のぬし 2008/7/11(金)
(今時間がないのでメモだけ)
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ささやかなささやき ほんの、いっときの
いっとき
風の拍子
風の拍子
キュウリ
キュウリ

睡郷沼のぬし 2008/7/1(火)
息継ぎ一つが、どうしてこんなにもむずかしいのか・・・

睡郷沼のぬし 2008/5/13(火)
ご質問頂いたので、4月5日の写真の補足と訂正。景色が部屋の障子に逆さに写るのは、ピンホールカメラのような原理。ピンホールカメラとは、レンズも使わないとても簡単なカメラ。レンズの代わりに小さな針穴を開けてつくる。「学研」とか「科学」などの工作用付録に付いてそうなカメラ・・。
そのピンホールカメラで言うフィルムの部分が障子に、針穴の部分が雨戸の節穴、そしてカメラ全体が部屋全体に変わっただけ。節穴はたくさんあったので、景色が重なって少し多重的になっているけれど・・・。カメラの中に入ってしまったような感覚になれる。 詳しくはピンホールカメラの説明のサイトなどがわかりやすい。

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ある20歳の女の子の誕生日に居合わせた。まだそんな歳だったとは。お姫様のような輝きを放ち、あちこち挨拶をしながら笑顔で主役としてのおつとめを果たす。
全部で10マン円ほどの届いた花束。華麗。・・・何時間か後に「用済み」の花のおすそ分けを頂いた。・・というか、誰も要らないだろうから○○さん持って帰ってやってくれと。たった数時間(いや、届いた一瞬か?)盛り上げるために使われる花とお金のあっけなさよ・・。 捨てるために奥に集められた植物の名前をひとつずつ頭の中でめぐらせていくと、すこしせつない感じがした。春に枯れた茎の下から芽吹きを発見したときの気持ちを思い出した。
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誰にも相談できないし、相談してもどうしようもない・・・
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せっかく帰省のために貰った休みが、どうしてこんなことになってしまうのか。はやくはやく・・・あせればあせるほど足がもつれ夢の中かと思ってしまう。ここはどこですか


睡郷沼のぬし 2008/4/22(火)

春は約束(の再会)の季節なのだと思った。 また必ず会おう、 という密かな約束
--
写真、「明日にでも撮って残しておきたい」と思いながら撮り逃したものばかり。
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甜茶を知る。甘くて不思議。好きだったゲンノショウコ(漢方薬)+砂糖の味と似ていた。沸騰させた牛乳甜茶があたたか。なつかしい。
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無理な予定と知りつつ入れる。眠る時間を入れて考えていないところが、自分の他のこれまでの浅はかな行動と重なる。浅はか。今週は数日眠れなさそう。この二週間乗り切れたら・・・うれしい。1日数キロ浮腫んだりが何度かあってちょっとキツい。浮腫んだ日とそれがひいた日は違う体のようで驚く。体がただの工場に思えてくる


睡郷沼のぬし 2008/4/1?
↓私は聞いてはいないけれど、音質やトーンが、時と供に、リアルに聞こえてくるようになってきた・・・。人に問う時の声は、なぜか妙に穏やかで特徴があったな・・・。動かぬ半身と勝手に動く逆半身を維持させている乾いた呼吸の繋がりを妙にリアルに感じたり、たまに開いて中を泳ぐトロンと水色に濁った瞳にひきつけられた。
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3/22のメモ、一部僅かに修正。
「ストレッチャーで運ばれながら何の検査か尋ねたという場面から、・・・」
 ↓
「ストレッチャーで運ばれながら「何の検査だね?」と本人が尋ねたという場面から、・・・」

睡郷沼のぬし 2008/4/5(土)
小さな1.2枚を簡単に暫定的に貼ってコメントも適当に終わろうとしていたが、却ってたくさん・・・。
---
夜から朝へ

右下)これは、ずっとずっと前、HPのどこかで言及したもの。ずっと撮ってみたかったもの。その人・・と下で書いたのは父なのだが、父の寝ていた部屋の障子に、朝になると古い木造の雨戸の節目や隙間からこぼれた光が、幻燈機のようになって、朝の庭の景色を大きなスクリーンに逆さまに写すのである。実際にはもっと薄暗い闇の中で紺の静謐・・という感じ。障子を開けるときちんと雨戸は閉まっている。

左上)こちらは擦りガラスに写った夜中の梅の影(こちらは逆さではない)。
 透
浮遊
透

透

透
今また大阪にいるのだが、ここにいるとなにも・・・直接的にはなんにも出来ずもやもや

少しの間空をゆっくり見上げる余裕が無かったせいか、また雨が続いたせいか、あるいは山陰と山陽の気候のせいか、数日前に学校の横を通ると桜が満開になっており、いつのまに、と、本当に驚いてしまった。考えてみればもう入学式の頃。
昨日はバス停にスーツをきた人たちが並んでいた。新社会人だと思ったら、手にもった書類で大学新入生だと気付く。自分のかつての学籍番号との差で年齢差を実感。こんなに大人びて、こんなに優秀そうな人たちばかり。引き換えかつての自分、また今の自分は一体・・

睡郷沼のぬし 2008/3/22
最初は、そんなに非常事態にも見えなかったそうだ。「念のため」病院へ連れて行くと、「明日になったらもっと悪くなっているように"見える"かもしれませんがそれは(省略・・」と言われたらしい。 その言葉の本当の意味は・・・。 一命をとりとめたことにとりあえずホッとして一人付き添いを残していったん帰宅して朝早くまた皆出直すと、別人のようになったその人がそこにいた・・・んだったか、そんなような流れだったと聞いた。 私はそこにまだいなかったが、ストレッチャーで運ばれながら「何の検査だね?」と本人が尋ねたという場面から、翌日の昏睡状態へのカーブを想像すると、とにかく切ない。

1日半か二日ほど前だったかに、心に残った言葉を言わされた時、とっさに言ったのは、その人が言っていた言葉だった。改めてさらに心に残る言葉となった。

それでも日常は続いていくわけで、どのような顔や言葉でで過ごしていいかわからなくなる。沈みすぎれば相手にしてくれなくなるだろうが、明るくつとめるのもけっこう苦しい。 話しながら思ったのは、他人の人生は、本当に様々で、接点は、ほんの、ほんの一部なのだなぁ、ということなど。こちらの状況を伝えた直後に自分には信じられない話題で大笑いする人なども。同時に自分の人間関係の希薄さを実感したりも。

でも中にはふいにそれまで知らなかった話し相手の過去を話の中で垣間見せられた人もいて、皆いろんな辛さを普段は表に出さずに過ごしているのだと知らされたりもした。

叔母などの会話の中で印象的だったのは「いろんなことがなけらにゃ、歳はとれるものではない」というもの。リアルな重みがあった
睡郷沼のぬし 2008/3/21金
明後日まで足止めでじりじり。  こんな大事な時なのに、・・・実家に帰らせてください  と言えなかった。遠まわしに最悪の場合帰ることになるかも、としか。もしもではもう遅い。
「代わりはいない」と何度も言われてきたが、こういうときだけおとなしくそれを守るのは逆に甘えではないか。家族こそ代わりはいないじゃないか・・ 
睡郷沼のぬし 2008/3/21金
↓時計の画像と同じ時にアップする予定だった下書き。先日読み返してからにしようと思い、一旦消したものだが、しばら推敲などをする余裕がなさそうなので、そのまま掲載。
睡郷沼のぬし 2008/3/8
ただ進む 時計。
透 電池・・・かろうじて、一本の電池で私の理性と繋ぎとめられているけれど、本当は、そんなものも無意味かもしれない。どこまでも、ただただ進んでいく、進んでいた、いるもの
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(時計の針などは百均で購入。文字盤=スケッチブック)
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◆「骨」(下記)の一件に続いて・・・ 初めてのことで驚いた。突然、口に入れる全ての物が強烈な味になってしまった。理由はよくわからない。驚いてうがいをしようとするも、その水までもがとても酷い味・・・苦じょっぱく吐き出してしまうような味なのである・・。なにも口に入れる気がしなくなった。無理やり眠った。
どれくらい眠っただろう恐る恐る水を飲んでみると、それはまさに「水」であり、「ただ味の無い」ということを感ぜられることの尊さを思った。カルキ、パイプっぽいマズささえ、懐かしくありがたく。人間の感覚・・もっと言えば、人なんて、とても微妙な、しかも事務的な伝達作業によって生かされているに過ぎないのだと思わされた。
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◆骨は一週間以上も喉にとどまって、何度か新しい傷口を作りながらチクチクと魚の最後のメッセージを発していた。

たしかに、魚を食べたので、彼だったのかもしれない。食べた時は何とも無かったのだが、後でひどく痛み始めた。咳き込んだり戻そうと仕掛けると出血もあったので傷になっているらしいのだが、あいにく土曜の夜。月曜まで待って近所の総合病院へ行く。・・・と、科の先生は夜までおらず、しかたなく評判の悪い専門の医院へ行ってみた。評判どおりというか・・嘲笑気味に怒られて診察料だけ払って帰る羽目に。( 「夜間救急へ行かなかったあんたが悪い、我慢できると思ったって?じゃあ何のためにある救急なの。 取れなかったらどうなるかって聞かれても見えないんだから答えられるわけ無いでしょ、痛いって言われても私は知りませんよ」 等々。その他。
なんとか食い下がって頼み込んで、スコープを入れて診てもらったが、面倒そうに一通り見終わると、ホラ言わんこっちゃない、というまなざし・・。一旦診察室から追い出されるように出た後で呼び止められ、ちゃんと知りたきゃ他の(設備のある)病院いって見てもらえば?たぶん苦しいけどね(フフっ と伝えられた。

それで、せっかく行くならと少し遠くの大きめの総合病院へ行ってみると、しかし目当ての科は月曜はお休み。途方に暮れつつ、そのすぐ近くの総合病院へダメ元で入ってみた。希望の科自体が無く断られかけたのだが、最初の医院で言われた「設備のあるところで」という目的を思い出した。作業は別の科の仕事だ。ことの次第を話すとたまたま通りすがったベテラン職員さんが外科で診てもらえるように段取りして下さった。後で知ったが、本来紹介専門の病院だったらしい。しかも予約だけの病院だったのではないだろうか?・・・感謝。 「最初の医院で紹介状さえ書いてもらってれば手数料かからなかったのに」と申し訳なさそうに言われたが、知っててもあの先生に頼む勇気は無かった・・・

レントゲンや内視鏡、色々やって貰ったので、逆に「何も無かったらどうしよう、申し訳ない」と変な怖さがわいた。 結局何か透明な物体が見つかったようで、取ろうとかなり格闘してくださったが、微妙な位置らしく下手に取ると傷つけて悪化するので様子を見ることに。食道に落ちてくれる可能性もあるからと。その後数日は骨の内視鏡を飲んだ痛みも加わり非常に喉が痛く薬を出してくださった。内視鏡の麻酔が切れた後が痛すぎたので、次の予約までをあけて貰った。その予約した日の前日まで喉に違和感がありたまに移動するのを感じたので、またカメラを飲むのだと覚悟していたが、当日には違和感が消えていた。それで病院へはもう行かずにすんだが、ちゃんとお礼を言えなかったのは少し心残りだったかもしれない・・・。

最初の医院と違って嬉しかったのは、「異物が入ってるんだったらゼッタイ取らなきゃいけないから」と言ってもらえたことや、その他、可能性への質問はちゃんと可能性として答えてくれたり、詳しくシロウトの話を細部まで聞いてくれたこととか、さらに痛さを気遣ってもらったことなど・・ 同じ話をするにも、相手の対応次第でこうも気持ちはちがっていくのだと驚いたり。対応が嬉しいと、こちらも相手を喜ばせたくなる。診察はかなり痛かったが信頼感のためかその痛みさえ安心材料となった。 それにしても、最初の医院と合計で1万5千円・・・もう一度カメラを飲む、すんでのところで消えてくれて助かった・・

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◆500mlが余裕で入る百円のマグカップをやっと見つけた。いや、もっと大きくてもいいし数年前に見つけて買い逃した時は実際もっと大きかったかも知れぬ。 大は小を兼ねる・・・で便利。厚みも程々あり冷めにくく良い。早速使ってみると、大きいせいか、飲んでいるとたまに幽かに金属音に似た音が頭を包み込む。自分にしか聞こえない程度の音。取っ手があるマグは直に持たないぶんお茶の器などよりよく響くのかもしれない。そこを追求していくだけの興味と気力はないけれど。
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◆二十歳や二十歳すぎの人たちと何日か勉強会で過ごした。経験の豊富さ、機転の早さ、頭のよさ、礼儀、全て私よりずっと年上のようで驚くばかり・・・私はこの歳になっても全く得られていないものばかりだった。
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◆高額アルバイト?
人体実験・・・でもないが少し前に募集の知らせがポストに届いていた。DMだと思い込み捨てようとしたところで、DMではないと気付いた。詐欺ではなさそうだが身に覚えがない。問い合わせてみると、ネットからの?登録は2005年だったという。それが今頃。

そしてギリギリ被験の申し込みに間に合った。ただし今回は実験に参加する人を選ぶための簡単な検査。無料で健康診断や血液検査が受けられる(半分はそれ目当て)のと交通費代わりの謝礼が返ってくる。そこで次のメンバーに選ばれればそれぞれの実験がスタートする。こちらは高額謝礼。

のだが・・・少し無理して予定を会わせて行ったものの、血圧や体調のせいか採血できないと言われ交通費だけ貰って帰ることに。この採血をしないと何も始まらないので残念。3年目にしてはじめて?来たお知らせだったので、もう次はこないかもしれない・・。
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植物用の電灯。元は冬の鉢植えに使っていたが、今は自分用のようになってしまっている。真っ暗に光を遮った部屋を時間がくると強制的に明るくしてくれる。昼間太陽の光の中で「この一瞬自分もまともに感じる」と思うことがある。すぐに気持ちは深海の底の泥の中へともぐってしまうけれど・・・
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私のせいで周りの人が苦しんでいる。私さえ動けばうまくいった(く)はずのことばかり、ヘドロのように動けずただ小さく詫びているだけの自分がとても・・
睡郷沼のぬし 2008/3/
時計
睡郷沼のぬし 2008/2/18
ここ最近のメモなどまとめて。

◆時計と時計とカレンダー ◆この、猫の下の日記の山とは、一体なんなのだろう・・ 古くなっていく文字と紙。事実はどこへきえるのか・・ 
知っていたものが消えていく

◆小さい頃、このぜんまい時計の音を、なぜか聞き取れなかった。周りの人に問うと普通にカチカチ聞こえると言うのだが。時計の下でいくら耳をすませても自分にはわからず、聞こえる音の中で、それっぽい音を見つけてそれが時計の音だと思い込んでいた。

大きくなったら普通に聞こえるようになり、そんな出来事も忘れていたが、そのうち時計は止まって新しい物が横にかけられた。だいぶ過ぎ、25歳とかになったあるとき、ふと音のことを思い出した。そこで驚いたのは、私が、時計の音だと思っていたのは、そうではなかったこと。そのとき、宙を静かにさぐってみると、今でもまだ聞こえたのである。物理的に聞こえるのとは少し違う、どこかで何かがいつもカチカチしているのである・・
時と闇
庭や山など ◆些細な不思議(長くなったので下に記載(*1))比較画像
 ◆鳥かご もしくは…域◆透き通る匂い ◆つい(対) ◆凍・霜
透
◆縁起物多し◆ドライフラワー(7/4/29の芍薬などを乾燥させていたもの。) ◆3枚目のみ大阪で撮影。帰り道
かど
◆虹(長くなったので下に記載(*2)) ◆光る山 ◆夜、駅に着くとすぐ、暗くても空が違うと感じた(写真なし)。
虹
背景の一部  すっかり、見入ってしまった一枚。この2人の姉妹の雰囲気に。この時の縁側の様子などもなにかよい。暫く誰かわからなかった。日付からすると25歳と二十歳くらい。
(小さい子は親戚で影は彼女達のお父さんか?) ここにはかけないが色々と思うところあり
姉妹
(だいぶ前になるが2006年7月) ◆幹  ◆赤
幹
目玉
目玉
前回の備忘録より。翌日メモした絵。一瞬目に入っただけなのだが、たたずまいがとても綺麗(この絵とは違って)で 、そのまま忘れるのがもったいなかった。その人は、おじさん、いや、姐御さんのような格好で携帯を見ていた(脱衣所での携帯使用は本当はいけないがさまになっていた・・)。後で歩き姿をもう1度見かけたが、バレエでもしている人なのかそこに居るだけで不思議な魅力があった。
姐さん

顔

◆*1(2枚目のユリの画像):何年か前の夏に、島の中心の小山にある鳥居脇で印象的なユリを撮った。撮っている時に目の前で花びらが崩れて(散って)しまって、いっそう記憶に残っていたのだが・・・、

今年一月末に野暮用で同じ山へ行った。降りる途中、忘れ物を思い出して引き返したとき、一輪ユリが咲いているのを見つけた。ふと周りを見渡すと、周りのユリらしきものはどれも枯れた茎と種になっていて、ただそれだけが緑の葉をつけているようで不思議だった。冬咲きのものもちゃんと探せば周りにもあったかもしれないが。 雪の合間の小雨の日。

カメラを向けて、ファインダーに鳥居が入って気付いたのだが、あの日と同じ場所・・・である。(ズーム距離などのせいで前とは奥行きが随分違って見えるかもしれないが、同じ坂の斜面から撮影)


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◆*2(4枚目の虹の画像):答えを出せないまま大阪へむかって再び出発。暗さと明るさの入り乱れた空の下、送りに出てくれた人の、寒さで着膨れしたシルエットの背後に虹が広がったり消えたりしていた。
特急電車に乗ったすぐ後で、なぜか同じ島のクラスメイトから久々にメールが届いた。島に戻った(引越た)らしい。妙なタイミング。離れる島への距離が近づく。
一方で、大阪に入ったすぐ後で、大阪にいらっしゃる和裁の先生から、展示会のレポが届いた。「参考になるから是非行ってみて」と。(この先生というのも、一年以上手違いで連絡が途絶えていた方だった。正月には復活していたが)
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◆ たまたま旧正月(方言 ひふて正月) が障子貼りとなった。正月には貼れなかったけれどこれで帳尻は…。 以前は毎年していたことが最近はなにも難しくなった・・ やれる人は限られている
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1/23、24の備忘録のいくつかの詳細
ちょうど大寒(1/21)の辺りで気付いたのだが、寒さにジリジリ耐えていた鉢植えの親葉が、この週を境にあっさり枯れた。ただし根元に残した若い芽は青々。彼らに全てを譲ってそっと消えた。 全ての生き物、一葉一葉に毎回毎回、れぞれくぐれる門とそうでない門が用意される。今年の冬の門は、この新芽たちに開かれた

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その日(21)に生まれたという人を知った。生まれて初めての日がこの日というのは意味深で、印象深い日だと思った
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携帯電話の待ちうけに「星座早見  (auのみ?)」または「hoshifla」、補助にオープンアプリの「星空」を入れている。「星座早見」はリアルタイムの星座位置と月齢、日の出・入りなどが常に表示される。「hoshifla」は星のみだがその代わりボタン操作で星座名や星座線を重ねて出せる。 「星空」はリ星座と星座名などわかる。チャート表示にすると見やすい。その他の携帯に対応した早見盤は試し比べられないためにこの手のものはどれがいちばん良いかはわからないが・・。
(こんな感じの画面
)


そんなわけで、何となく空を見上げた。雲のせいか天の川のせいか、○い月と合わさって瞼を持った目玉のようになっていて、見透かされるようで怖かった

睡郷沼のぬし 2008/2/14
何かが何かと関わると、別の形が見えてくる。
ハート
街は贈り物であふれていた。私はまたつい・・石(砂利)チョコを目の淵で探し、見つけては小さな粒を食べ比べた。愛は石よりも柔らかく硬い・・・のだろう
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光と闇と 光と闇と
睡郷沼のぬし 2008/2/08
たとえば、小さな小さな岸辺によって救われたりすることもあるだろう。本物だろうが幻だろうがそこにあるだけで助けとなったりも

睡郷沼のぬし 2008/1/24
・追加。準備の際、たまたまファイルを見ていたら、過去に更新したと思い込んでいた画像などいくつか出てきて驚いたり。 
・遠く(=近く)へ少し出てくるかもしれない。入眠でもするように身軽に出かけたいのに、そうもいかず。必要な理由、不必要な理由が、崩れた糸玉のように流れてきて自分をからめとる。重い それでいて焦点だけはいつも中を泳いでいるのである・・・  そして気持ちは遠くに飛んでいる
・竹の花

睡郷沼のぬし 2008/1/23(水)
少しだけ、ばたばたしているので後で整理するための備忘録
・大寒の子芽
・釘付けになってしまったある人の裸
・月の目
・桜の花弁
・あえて分け入ると

・100円の包丁、自分にはちょうど良いと馬鹿にしていて逆に切られる。どこかで自分があざ笑う。・・・大体、キャベツを切るのにあんな恐ろしい切り方は無い。危険意識も、あらゆる物へ対する感謝の心も、みんな空中分解してしまっている・・ そんな時、作りかけの指まで折れた。電池が空から落ちてきてあっけなく。
沈むか或いはもっと作りたくなるか、また扉が用意された・・・のか
つくりかけだった時のもの (写真は前のもの。作りたかった要素と作れなかった部分を思い出したので)

睡郷沼のぬし 2008/1/9(水)
うっすら霧っぽく妙に空気が柔らかだった夜が明けると、しくしく野原が泣いていた。雨のようにぬれていた。綿毛がかかったひと筋の蜘蛛の糸が、ペンとインクになって、彼の生まれてはじめての言葉を空に託した
霧露

睡郷沼のぬし 2008/1/1(火)
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します
起こし絵
(上のヒトガタは今年の試作に以前の試作を合わせて繋げてみたもの。鼠の文字の下半分は、一度開いて再度閉じる時、蛇腹部分が一部伸びたままになりやすいのが欠点。本来もう一工夫必要である。実際に開くのは私ではないのだから)。またここ数年、年賀(試作含め)をサイト上で更新しそびれたためイノシシとイヌ年のものも一緒に更新。以下。
起こし文 いぬ
年賀を考えるのはもうやめかもな・・と思ったりしていたところで何となく次の「うし」の大まかな完成図と動きが浮んできた。ありがたい反面、また一から作り始めるということをどこか恐れているような気もする。・・だが、ふと12支を作って全部繋げてみたいような気もしてた。
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本当ならば今頃島根にいたはずだろうか。今年は絶対居なければならなかったのだが、諸事情にて足止め。その上両方の足の裏を切ってしまったりも。その傷も皮肉な道具にやられてしまった・・。「いつでもいいから」の言葉がありがたく、そして辛く。
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メモ 12/12に書いていた「ヒメウラジロ」の白さは、お飾りに付いているウラジロの白さと違ってオシロイでもはたいた様な感じ
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足の回復は予想よりだいぶ早く傷口は綺麗に。 奥にまだ少し痛みはあったが「出来ればお湯のお風呂に入ってから年越しを(しばらく水だったので)」と思い、軽く保護して銭湯へ出かけてみた。外のお風呂で空を見上げると、雲の間に大きなオリオンが出ていて、それが、大きな雲にかき消されていった。消された?・・・包まれた?・・いや、地面が若干高くなっただけ?・・いや、何も起らなかった?・・のか・

お湯の中で、お婆さんが孫らしき子供に、これまで入った氷のお風呂の話をしていた。壁が氷で雪が降るという。「エンシュツ」という言葉が呪文のように繰り返された。そんな話を、自分がその子になった(一時的にその子になりたいような)気持ちで聞いていた。帰りは寒く、すっかり湯冷め。

睡郷沼のぬし 2007/12/14(金)
訂正 4枚目 アレチヌスビトハギの「花」→「実」
睡郷沼のぬし 2007/12/12(水)
喉が乾いてしかたなかった。何週間か前辺りから熱などで、暫く大きな塊のような時間が流れたが、その中で小さなしかしポイントとなるような物も動いたりも(但し、外界を見渡した時、自分だけはるかかなたで何百年分も止まっていることに違いはないのだが)。
妙な期間であった。体を動かして感じる感覚や鏡でたしかめる形、モチベーションも刻々変わり、知らない誰かのようでもあり…。ただ普通にいるということがなぜこんなに難しいのか

写真、近ごろのメモ等を纏めていたが、いくつか夏ごろのも思い出して集めたら、8束になってしまった。続きはまた次に(あくまで自分用メモ)

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芽など。最近のもの中心。左上)◆ホラシノブの双子の芽◆写真ではわからないが裏が粉雪のように…いや人の腹の底のように真っ白のヒメウラジロ。◆新芽の赤い心臓◆右上)ニシキシダ ◆中段)シノブ◆落し物 ◆雑草の新芽。フウロ科?見えないくらいの赤いポイント達が綺麗。 鉢の元の住人は枯れたが、この鉢に新しいものを植えることは断念。そうやって「雑草」に明渡した鉢を数えてみる・・◆左下)=らせんい(=ユンカス)。宙に穴をあけながら伸び進む◆右下)虫の”はむ”音の記憶。営み
螺旋
右は12月に撮ったもの。左は夏ごろ。左)脱皮直後の羽を開きかけたクサカゲロウの姿と、新芽の姿がなんとなく重なった。芽吹きはどこかドラマティックである。◆右は、寒くなり始めてから新たに出てきた八重シノブの葉だが、色が妙だと最近気づいた。ニシキシダのようなグラデーションが印象的で、先ほど写真を撮ったのだが、動かした拍子に、殆どの葉が落ちてしまった。落葉間近に葉が成長し始めたため、他の葉が落ちていく中で、どうにか気力で成長し続けていたのかもしれない。
羽
葉、実、蕾と開花・蜜の溜まる「距」、芽吹きの渦、コップの渦、蔓の渦など
芽
◆下段中)タイムカプセル ◆体調が回復して、用事で外に出た時、ちょうど雲から日が出たので、カメラを取りに戻り、出かける前に少し撮った。綿毛が銀色に光っているのに気をとられ、着替えたての服にアレチヌスビトハギの実がびっしりついて酷い姿になっていた。(「アレチ」ではないただの「ヌスビトハギ」は、ヌスビトの足跡にそっくりで、よく出来ている。アレチの方は「指」の数が多い。) しかし、そんな花が咲いていたとは全く気づかなかった。証拠や結果を見て初めて知ることはきっと世界にあふれている。◆ふちどり。紅葉し始めたヨモギの紅葉は丁寧に作られたレースのようだった。
タイムカプセル
左=雲の波 ◆中=消滅雲のような感じの雲だった◆右=風 遠の風近くの風
空
鶴 ◆落書き帳の端っこ。色はPCで。

◆手の作りかけ。作り直そうか迷っている。こういう時のバイタリティが足りない・・どうしてすぐに一から作り直さない?体と違い指には芯を入れるため、修正するなら芯から、が原則だろう。行き当たりばったりで作れないのがもどかしい。

◆ある日、小中時代に作りかけていた小さな千羽鶴(1羽のサイズが、普通の折り紙の64分の1のサイズのもの。一辺1.9cm弱に切った紙で折る)を思い出し、そんな時、たまたまスーパーで100色入りの折り紙を見つけ、なんとなく折り始めてしまっていた。袋の裏に100色分の色名は書いてあるのだが、残念ながら、紙の並びと一致しておらず、どの色がなんと言う名前かわからない。前から顔料などによる紙の手触りの違いは感じていたが、100色をじっくり折ったり切ったりしてみると、一色ずつかなり性格が違うようだ。何十年も折り続けたら、あるいは手触りだけで色がわかったりするのだろうか・・
先日千羽に達したのだが、数えると、一色分の鶴たち・・83番目の色が消えていた。100色もあるので、一色分はすぐに折れるのだが、なんとなく、このままの方がいいような気もしている。繋ぐこともされず、ただ、袋に入れたまま、そのうち忘れられる・・・気がする。

廃校。小学校と幼稚園の続いている学校で、右側が幼稚園だった建物。写真ではあまりわからないが非常にモダンな校舎。+広く暗い地下
学校
初夏〜夏の終わりごろの。ネジバナ。小さな螺旋階段の一段一段が、それぞれの姫様の部屋へと繋がっている、のか。◆居場所。芽を出せる場所に、ただ出すのである◆名護蘭(香りを何週間も放つ)◆新芽◆バッタの隠れ場所・・・人に気づかれるために隠れているのではない。誰にも何にも気づかれないように、身を潜める。そんなあれこれを知っているのは、時間のなかに幽かに刻まれた記憶のみ
香

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職人や作家さんの話を聞く(&読む)。話の端々の些細なことも、これまでの努力に裏づけされていて、真面目に生きてこなかった自分に対する嫌悪感と虚無感
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電車に間に合った直後で頭が急に冷えるのを感じた。とりあえず変なところで転ばなくて良かった・・。
貧血の感じとも少し違うこの冷えは数度目だろうか。ギリギリでせめぎあい、急激に冷えて頭が黒く(またはまっ白く)なっていく感じ。今回は前の急激な頭の冷気ほどでは全然なかったが。そういう時生きているってなんだろう・・とか、ふと思う

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鬼火+先生」 ピアノ曲によるアニメMAD。たまたま見つけたのだけれど、こんなの弾けたら嬉しいのに。本来の話とは随分雰囲気が違うようだが寧ろこっちの方が・・。 終盤の静かな部分なども綺麗。今動画を確認できない環境なのだが多分間違ってはいないと思う。(元の曲はこちら (MP3は)http://www.muzie.co.jp/download/125996/songs345/fantomgyakuhi.mp3 @作者。オリジナルだそうで,楽譜は無いらしい)
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何人かの素敵な人たちとすれ違った。人当たりがよくて素直でこんな私でも気軽に話せた。同じ趣味の事に関して聞いたり伝えたりしたいこともあったため、今更連絡先を聞かなかったことを後悔。一期一会である・・。デザインフェスタにもよく出展されるという方もいて、どこか「縁があればまた会えるかもしれない」という思いに頼って、また、相手は聞きたがってないんだから、とか、聞いたとしても連絡出来ないかもしれないなどと思いながら、聞かずにしまった。 そういう後悔は過去にもあったので、逆に自分は一回一回の出会いに「一方的に」依存しすぎるのだろうかと思ったりも。名まえすら聞かなかった人達について今頃考えている
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山口瞳  むにゃむにゃ童子. 庭の砂場


睡郷沼のぬし 2007/11/03(日)
6束まとめて。光と闇の曖昧の五線譜・羽音・メモ・光の色・記憶・鳥  など。以下
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◆五線譜。 なんという間隔。子供時代に五線譜帳が欲しくて縮小版を作ったことがある。コピーということも知らなかった当時、私は正確に細かい線を5本ずつ引いて、糸でページを閉じて表紙をつけたが、どれだけ時間がかかったことか。それを難なく作ってしまう蜘蛛なのである。無数の旋律が、昼も夜も絡み合い転がりあいながら宙を漂う◆普段落ちたら恐いと思っていた溝川の水が引いており、中に入った。天井はイラガの繭の抜け殻や蜘蛛の繭などで埋め尽くされゾッとする光景だったが懐かしくもあった。途中、運悪く真上の穴から突然水が落ちてきて急いで奥へ逃げたら、暫く出られなくなってしまった。やっと出られた頃には、入り口は人(私)の気配が消え、羽音に埋め尽くされていた◆菌糸類 死んで朽ちていく過程こそが「生」であったりする◆ひっそり。1日花の露草、色が変わり始める朝顔。みんな「ずっと」へ繋がる「今だけ」を大昔から生きてきた。連綿と紡がれてきた幽かな曲の中で
音譜
◆羽音◆写真では色が飛んでしまったが、一匹混じっていたアオスジアゲハの青がとても目立っていた。カメラの操作をしているうちにすぐに遠くへ消えていった◆水の近くを歩くと波紋と供に、1ト声の小さな鳴きと水音が一斉に聞こえる。暫くするとたくさんの頭が見えてくる。こんなものを見てさえ、自分の孤独を感じて、羨ましく思ってしまったり。◆羽根で飛ぶという感覚を想像してみたり
羽音
◆確認メモ。作りかけのと、新しいの(2種類)のメモ。長い間荒削りの作業しかしていない。実際はここからのものなのだが・・ここへきて関節の構造とバランスの取り方に悩み始めたり・・   絵は関係なし。 
目も
◆スペクトル。日の出前からとても「何か見えそうな」空だったので暫く見ていたら、カラフルな空が現れた。(画像が大きくなってしまった)写真の彩度などは高めで撮ったが、(自分の)「体感」ではもっととも言えるかもしれない。見えるものと見(or感じ)るものは違うだろうから
彩雲
◆細い綿のレースとか、どこかの古い国の文字---それは先のとがった万年筆でカリカリと繊細に書かれる--のように見えた。その他
レース文字
◆鳥色々。見ていたら、3羽が連なって宙を舞った◆大きい一年生と小さな二年生◆小さいのと小さいの◆夕刻前の野菜畑の雀◆バレーボールのような実◆風船カズラ 朝日の中のイソトマなど
鳥


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早速風邪薬服用。
何の薬だったか知らなかったが昔飲んでいた病院の液体薬の味が忘れられない。不味かったのだが、今は似た味のジュースを見つけ買ってしまう。一番不味かったのは、糖衣薬を割った物。成長が微妙に遅めだったせいか、あるいは錠剤を飲めなかったせいなのか忘れたが、砕かれた糖衣薬も飲んでいた。前者かもしれない。家族の勝手な判断で少なめにしていたのではなかろうか。・・・だとすると二重に逆効果だった気がする


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実家 怪我 その他諸諸の連絡。 20年前近く前のことがよみがえりぞっとした。
ただ思っているだけなのは思わないのより酷い

30 2007/11/03(日)
30さん>そうですね、皆さんそれぞれに色々抱えているのだと思います。ここで自分のなかの辛さみたいなものを前面に押し出すような書き方が多くてお見苦しくてすみません・・
>物置にしまっている自分を出せる相手がいるか、出す勇気が
それは私が書いていたのは、種類の少し違う物だったかもしれませんが、拝見すると、30さんのは色々と葛藤が渦巻いて苦しそうですね。勇気とは別の次元の要素でもいい方向へいけるかもしれませんよ。あるいは寧ろ…その今壁だと思ってらっしゃる勇気というもの以外のところが肝心だったりするようなこともありますし。
p.s.隠して送信してくださったものに関して、ここで返答できず、たとえば違う物を違うとも、またその他お伝えもできず、少し困っております。どこまで書いていいかわかりませんが、ここに書くべきことではないですし、何も言わないことにします。

30 2007/11/01(木)
ぬし様へ                        「気持ちが二つに分かれて片方は物置に封じ込め、片方はすっかり腐ってしまっている感じで、またそうすることしかできないのがいやである・・」人間誰しもそうなのではないでしょうか?
ただ物置にしまっている自分を出せる相手がいるか、出す勇気があるかでしょう。私はそんな勇気は持ち合わせていません。外の自分は腐るのを通り越し死んでいます。まるでゾンビです。
私の物置とぬし様の物置が中でつながっていたら・・・

睡郷沼のぬし 2007/10/29(月)
羽

虹
2枚目◆炎。光を求める願いは炎となって・・(挿し芽から伸びた小さな箒草の紅葉。◆左下)24日の幻日。大きな雲の隙間から太陽が一瞬顔を覗かせた時、ふと上を見たら雲の隙間に出来ていた。気づいてカメラを出しているうちに殆ど消えていた。◆フロックス。春には香りがあったのだが・・・◆罠=狡猾なのではない(左:ウツボカズラの袋)◆水玉◆朝顔結実。朝顔のうち、一番の荒れ地から採取した種類だけはなぜか花すら咲かなかった。除草された茎からとった種だったからかもしれない。うまれるまえからうんめいがきまっていたのだろうか◆サイレンの音にかき混ぜられた朝の空◆コップの地下茎・・・・ 宿根植物は冬になると生きているのかすでにく死んでいるのか不安になる。
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1枚目◆更新ファイルを作った後に撮った物だったので、急いでまとめられないため後で更新しなおす予定で、2.3枚の小さなメモ画像をアップしようとしていた。が、中途半端にあれこれ並べてしまい後の更新と被りそうだが。花鳥蝶風 ◆咲かなかった朝顔の種がないかと草むらへ行ってみた。大量の蝶やその他の虫がいて、最初静かに思えていた周囲の空気は、段々草の中に自分の存在が馴染んで消えていくつれて一面うるさいほどの羽音の唸りに満ち溢れているのに気づく。(▼左上-4匹。3匹が1匹に群がっていた。くっついていた二匹が後にそのまま飛んで移動してきた(写真なし)。▼羽を広げた時に一瞬見える薄紫。数種類のシジミがいるようだった▼モンキチョウは裏と表の模様が透けて見えていた。◆紋付き着物のようなセセリ。慎ましやか▼黄と白の蝶が一緒に飛んでいた。同じ種類なのだろう▼タテハが光をすかした花のようにたくさんいた。▼タテハに似ている色合いだが白の入った大きいのもいたのだが、すぐに消えてしまった)◆小さく、切れ込みもあったりするのが特徴的な野性朝顔。元はアメリカ◆クサギの実。花も実も個性的で目を引く色形。ある小さな懐かしい記憶の中でも咲いていた。思い出すと寂しい◆浮き草

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気持ちが二つに分かれて片方は物置に封じ込め、片方はすっかり腐ってしまっている感じで、またそうすることしかできないのがいやである・・
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お湯の使えない生活はそろそろしんどくなってきて、この先の季節に恐怖を感じる(水の痛さ、芯からの震え)が、風邪を引きながら震える自分を想像してどこかいい気味だという気持ちと、また、「それくらいのこと簡単に出来ないおまえのような人には何かを作るなんてことは結局できないのだよ」という自分からの自分への声や、逆にその先にある無駄な希望を思ったりもする。根拠や意味が無くても、なんでもいいからすがる物が欲しいのかもしれない

睡郷沼のぬし 2007/10/19(金)
光のなかの水 封じ込められた水と光と想い 想いはあかされることのないまま存在と供に消えて広がる。 それはあるようで無くてないようであるようで無いようであ・・・・ をずっと遠くからみたグレーの感じ
水
虹 13日くらいの夢の図。 山の向こうに虹が出ていた。次に見ると二重の部分が出来ており、しまいにはかなりの多重の虹になっていた。(不思議には思わなかったが、いつのあいだにか虹と言うより円になっていた。最終的にはだいぶ上まで上がった)。内から三番目辺りは楕円環(外接ハロ)型のものもあった。適当に数えると11,12個くらいの輪になっていた。 カメラを取りに帰って、部屋から出てみると(一瞬だったのに)既に大きな雲に全て覆われていて、うっすら見えたがすぐに掻き消えた。外は激しい嵐となっていた。
消えかかったところでもよかったのでどうして撮っておかなかったのだろうと、咄嗟の判断を後悔した。(図の1本の線が一つの虹。中央のほうが明るいのは、虹の特長で、太陽ではない)   (関連 様々なパターンの虹)
泡
些細なことのようだが切実な問題・・・ 体を作るだけの場所が無い。かなり大きな悩みである。
◆作りかけ(作り始め)だったのものと同じ特長の物で口がひらいたものを(または少し大きめの頭のものを)作りたく思い、作り始めていたが、自分のものすらコピーできないでいる。(上段で目が入っているように見えるのは、裏に光が当たったせい)。  +その他 。目の裏を掘ろうとしたら片方削ったところで工具が壊れてしまい、注文中・・ ◆思いがけずガラスの材料を手に出来たので試しに目を作ってみた。出来は技術に随分と左右され 。今回非常につまらない目になってしまったが、逆に思い通りの物も不可能ではなくなるのでこの材料を気に入った。しかしこの先の入手は不可能のようで、(あっても使えるものが出来るかどうかは別にして)残念。右上-虫眼鏡のように光が集まる◆泡と時の記憶
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自分が多少まともでいられるのは、例えば吐き気がしている時とか、そういう時くらいかもしれないのが恐かったり悲しかったり・・

睡郷沼のぬし 2007/10/18(木)
ニコさん>私の曖昧なメモのせいで、なにかご不安を抱かせてえてしまったようで申し訳ありませんでした。もしかして「メールの件」というのは9/29の「メール」という文字のことでしょうか。
読み返してみると、8/21や8/29に私が書き込んだ言葉にもメールと言う文字が使われており、そのせいで今回のメモでそのようなご不安を与えてしまっていたのではないかと気づきました。 もっと違うことなのかもしれませんが・・・いずれにしても、ニコさんとは(また、このサイトとも)全く繋がりのないことでしたので、どうぞお気になさらず・・・。
元々8/21に出たメールの記憶も脱線メモでしかありませんでしたから。 脱線などして混乱させてしまいましたこと、お詫び申し上げます。

30さん>日常の中で出会われて心に残った詩を私にもご紹介してくださってどうもありがとうございます。時間というものが生きて輝きを放っている(=死や無にもなる)ように感じました。30さんに「残った」ものは、ご経験が違うぶん、また違うものなのかもしれませんね。

それと、あえてメールフォームから送ってくださったお言葉へのご返信をここでしてよいものかわかりませんが・・当方からお伝えする方法が他になさそうでしたので、申し訳ありません。現アドレスを書くことに問題があるようでしたら、フリーメールのアドレスのご取得という方法もございますのでなにかの返答などがご必要な場合はご参考にどうぞ。・・とはいえ、ご事情があるとなると、どの方法でも30さんがお書きになりたいことは殆ど書けないのかもしれませんし私もご返信出来るかわかりませんけれど。

p.s.送信フォームはブラウザやメール欄の文字によっては、最近エラー表示が出ることがあるようですので、もしかするとエラーが出たかもしれませんが、届いております。

30 2007/10/15(月)
ぎらりと光るダイヤのような日

短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の

お百姓はどれほど田植えをするのだろう
コックはパイをどれ位焼くのだろう
教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう

子供たちは地球の住人になるために
文法や算数や魚の生態なんかを
しこたまつめこまれる

それから品種の改良や
りふじんな権力との闘いや
不正な裁判の攻撃や
泣きたいような雑用や
ばかな戦争の後始末をして
研究や精進や結婚などがあって

小さな赤ん坊が生まれたりすると
考えたりもっと違った自分になりたい
欲望などはもはや贅沢品になってしまう

世界に別れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりにすくなかったことに驚くだろう

指折り数えるほどしかない
その日々の中の一つには
恋人との最初の一瞥の
するどい閃光などもまじっているだろう

本当に生きた日は人によって
たしかに違う
ぎらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ

(詩集「見えない配達夫」より)

ある番組「ドラマ3年B組金八先生」をなんとなく見ていると茨木のり子さんの詩を紹介していました。なにか心の中に残りましたので・・・もし、見ていたらすみません。

ニコ 2007/10/15(月)
こんばんは。
過ぎた話を掘り返してしまいますが、
メールの件、私が関係しているのでは無いでしょうかと、思い当たる節があったので。
勘違いでしたらすみません。

睡郷沼のぬし 2007/10/10(木)
昨日の注意書きが却って逆の意味に読めるので訂正。
×「(一つ下のメモのものではない)」  ○「(一ブロック下のメモのものではない)」  で、写真=すぐ下のメモの植物。


睡郷沼のぬし 2007/10/09(水)
頭メモ写真(一つ下のメモのものではない)
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植物は何でもわかっている。ふいに新芽を出してこれから来る厳しい季節のための成長を始めた。  そして皆も何でも知っている。何でもと言うわけではないかも知れぬが、長年かけてこつこつ蓄積させてきたり深めてきた確かな知識や思想。 それに引き換え・・・。
これだけ長い空白をうめるのは・・・
---
満つる砂 なんていい名前じゃないか。100年近くも前、ひそかに新聞記者になりたかったという、田舎の農家の、もう居ない人の、それがどういうことなのかという迷宮

睡郷沼のぬし 2007/10/09(水)
◆作り始めると分岐していく未来の前で作れなくなったり、あるいはすべて残しておきたくなって中と半端なメモ面を量産するのが目的になったりもしていたが、その中の一つをもう少し進めてみた。足と腕の繋ぎ方などで少し迷っている。これは何となく着物系のものを着せたい気がするが着物で正座させるなら少し作り方を変えたほうがよさそう。これまでにも膝を少し深めに曲がるようにしたりということは試みたりもしていたが正座となるともう少し変える必要がある。

ずっと前少しだけ書いたのだが、自分の作るひざの関節が上から入っていることが多いのは、切り取られた大腿部の丸みを帯びたフォルム(造形物ならではのものだが)と、それが膝に入っていく(受け止められる)感じに魅力を感じていたせいでもあるかもしれない。ふと腕でもそれをやりたくなったのだが、腕はひじ下を色々な方向に回すことが多いので、その足と全く同じ作り方では支障が出そう。関節だけを独立させれば似た効果は出せるのかもしれないけど。


◆年賀状の旗が立ったり広告が並び始めた。作る気力や時間は無いかもしれない・・と思いながら、ねずみねずみ・・といくつか唱えていて、ふと立体の完成図が一つ浮んだ。去年作ってみた「亥」より少し手はかかりそうなのだが、しかしこちらの方が見た時もっとつまらなさそう(作ったとしても)。 発想力が乏しい。

◆春に見切り品で売られていた枯れかかった鉢。…その後幾つか花を咲かせもしや元気になるかと思ったとたん、どんどん衰弱して種が出来る前に枯れた植物だったが、かろうじて一つ種が出来ていて一粒播いていた。
それがずっと芽も出ず諦めた頃に芽を出してきて驚いていたが、先日からは小さいながらも花を咲かせ始めている。今度こそたくさん種が取れるといいが、しかし花をちぎらないと受粉させにくい花だったりもする。よく見かける種類だったり、もっと勢い良く花数も多ければならもっと扱いは変わっていただろうか・・。

◆匂番茉莉(においばんまつり)が知らない間に少しだけ蕾をつけ、しかも咲いていた。日陰でひっそりと色を変えながら。私が見たときには既にいくつか花が白く(最初は紫)なっていたが、濃い香りを漂わせていた。急に態度を変え、なんとか日の当たる場所にスペースをこしらえて移動させた私を小さな木はどう思っただろう・・

◆ 9月もすぎて・・>今年は蓮見られなかったなぁ。見たかったなぁ>撮りたかったな>去年その公園でたまたま出会った写真が趣味のT氏。今年も蓮を撮りに行かれたのだろうか・・
などと考えていたら、数時間後にメールがきて驚いた。冬以来の連絡である。写真の講習会があるそうで。今回はまた行けなさそうだけど、また写真のことなど聞いてみたい。

睡郷沼のぬし 2007/10/9(水)
30さん>具体的にどういう意味での「言葉で交わしたい」なのかはっきりわかりませんが、もし、言葉がうまく伝わらず(私がいつも文の意味を読みとれずにいて)それで嫌な思いをされているとしたら、申し訳ありません。

または、書いてあるそのままの意味で、「メールや口での会話」という意味でしたらありがとうございます。前にも書きましたとおり、普通に可能かと。(「さま」といわれるような人物ではないので、普通に気軽に呼んでください)
ただこの場合、どちらにせよご連絡先がわからないことには・・。
メールでしたら、メールフォーム*もありますので、何かメッセージ等ございましたら、フォームからどうぞ。そちらにアドレスを書いていただければ後ほどこちらからメールでの返信も出来ますので。 実はこれまでに何度か、直接お伝えしたかったことなどもありメール欄を確認してみたことがありました。ご連絡先のご記入はなかったように見えましたので(見落としておりましたらすみません)、書かずにいらっしゃるのをこちらからお訊きするのもどうかと躊躇したり(それにほんの些細なことでもありましたし)、しかしここに書くような事でもありませんでしたのでそのままにしていました。

30 2007/10/09(火)
ぬし様へ
あなた様への思い。言葉で交わしたいと強く願っています。叶わぬものでしょうか?

睡郷沼のぬし 2007/10/9(水)
30さん> とてもお辛いことまで書かせてしまいましたね。申し訳ありません。今のように思えるまで様々なことがあって何度も繰り返し長い道や迷路を越えてこられたからこそのお言葉なのですね。
>罪を悔いるより今何をするべきか考える方がその人の為になるのでは
>結果を解って故意に時間に遅れたなら罪にあたるかもしれないが
結果はある程度見えてたのに、しかし、対処しなかったのが原因で、さらに今もできないままでいて、罪だのなんだの考えていることが何よりの罪だと感じます

30 2007/10/03(水)
ぬし様へ
「メール。自分が早くここから帰らなかったために、人の一生とか幸せを無残に壊してしまった・」それは罪にはならないと思う。
人間は神にはなれない。結果を解って故意に時間に遅れたなら罪にあたるかもしれないが、人は1秒先のことすら解らない生き物。
長い人生、「あの時ああすれば!」なんていくらでもこの先経験する。その度に時間が戻れば・・・と考える。でも、時間を止めるとこすら出来ない。罪を悔いるより今何をするべきか考える方がその人の為になるのでは?過去は変える事は出来ないが、未来はいくらでも変化する。   事情、内容も知らない私が意見できる立場でないのにすみません。気になる1行だったので・・・  私は過去に子供を亡くし、このような事に苦しみ続けてたので・・・

睡郷沼のぬし 2007/09/29(土)
確認メモ。  (どれも同じ時。今回色が変わったのはホワイトバランスや電灯のせいで、下塗りではない)
頭
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メール。自分が早くここから帰らなかったために、人の一生とか幸せを無残に壊してしまった・・ この罪をどうしたらいいんだろう・・

睡郷沼のぬし 2007/09/28(金)
◆露。イモカタバミ、アマミカタバミ等 ◆シダ 呼吸◆秋 どんぐり ◆劣化・・いや、前進。 刻々と変わっていく花の色(青→赤)その仕組みを聞くと、労わられるべきだと思ったりする◆(右下の葉はおじき草。花は左と別の種類の朝顔)
雫
◆左上 デベソ朝顔((園芸種)この写真では殆どわからない)◆その他の朝顔◆夕顔(夜顔)◆夏の雪。ホウキ草と初雪草・シダの芽・雫・紫エノコロ?と、くも など
夏の雪
顔メモ 整えようとすると残したかった特徴が消えていく感じ・・
顔
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図書館へ、読まなかった資料などをまとめて返しに行く。代わりに別の本を借りた。 シェル・コレクター。盲目の老貝類学者が出てくる40pほどの短編。( 読み始めて気づく。なぜか少しだけ知っていた。どこで知ったのか全く思い出せない。なにかの推薦記事かもしれない、記憶のどこへ沈んでしまったのだろう。いろんな物が抜け落ちて消えてしまう)

最近特にかもしれないが、暗い。すばらしい物・感動する物を見聞きすることで、ますます生きてることが嫌になったり (「死にたい」のではないが) もしていたのだけど、そんな時、この話はなんだかよかった。頭は悪いので、何を理解したというわけではないが、ただ純粋に無理なく入れ,ウェットでもドライでもない感じが居ごこちよい気がした。


睡郷沼のぬし 2007/09/28(金)
30さん>秋になってしまいましたね。月がお好きとのこと、ちょうど最近月が大きく出ているし風も涼しく蚊も少ないですし、月光浴するにも今が一番かな。出ているとつい見入ってしまいますね。そんなあの日の・・記憶の中にある月光がもう一度見たくて、しかし頭の中で遡って再生するしかなくて、それがちょっと切ない感じです。月というより月光の下の世界でしたが・・

>仕事がはかどるとか、頭が冴えるとかじゃないけれど(略〜
その力の感じ方・受け取り方、いいですね。素直に穏やかに吸収されたり放たれたりするそのスタイルは30さんの普段の生活や対話の仕方にも繋がっているのかもしれないな、などと感じました。また、真っ白な状態になれるというのも、そんな30さんだからこそ一段とそれが可能なのかも。

30 2007/09/25(火)
ぬし様へ
朝晩涼しくなり暑さに弱い私にとって過ごしやすい季節がきました。そして今宵の月はなんだか私に語りかける様・・・月について何の知識もありませんが、私は月に何らかの力を感じます。それによって仕事がはかどるとか、頭が冴えるとかじゃないけれど月を見ていると時を忘れ言葉の無い会話「何も考えない真っ白な状態」を楽しんでいます。第三者から見ると「あの人大丈夫?」って感じに見えているんだろうな。でも、私にとってとても大切な時間です。もう少し月の光りを浴びに行ってきます。ぬし様にもお勧めしますよ!月光シャワーを!

睡郷沼のぬし 2007/09/21(金)
羽
ガラス 次の瞬間には変わってしまうものなどのメモ。
ガラスレンズ。これまでの写真(写偽)とはまた別に作りかけていたもので、まだ瞼の裏の削りも浅いので瞼は厚いのだが、目を入れてみた時(左)に、ちょうどよい目玉がなかったので、以前に手違いで注文して「これは使うことはないだろう」と閉まってあった眼を仮に入れてみた。瞳孔が殆どわからない色合い(+形)のためか瞳ばかりがよく光る。
彫りの深くてはっきりした顔や起伏の殆ど無い顔も作りたいと思う時があるのだが、「今回は」と思って作り始めた時も、なんとなどんどんくぼやけたものにしてしまう(&そのうえリアルからもかけ離れて)。
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「次の瞬間に変わってしまう」というのは、自分にとって悪い呪文のような、また枷のようなものであろう・・・ そのために、わけもわからず中途半端に作り続けないといけない気持ちになるのかもしれない・・(ただし嫌々やっているわけではなくて、のぞんでやっていること)

とはいえ、こんなこともしていられない状況もますます強く感じてきている

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スイカ
もっと色々と載せたかったのだが、日々はどんどん過ぎていく。最近のだけ適当に。
◆高い高い蔦の橋の天井 ◆(左下)たった一寸大の黄色スイカ。8/15の画像のが実ったところ。30日ほどで亀裂が入ったので割ってみると、種が出来ていて、甘いスイカの味がした。小さな鉢で環境も悪いので、盆栽のようになってしまったが。◆(左上)そして数日前に再び♂♀花が並んで2輪咲いていた。受粉させてみると、翌日にはもう腹が膨れ始めていた。◆(写真なし)デベソの朝顔。園芸種。夏になってから播いたので10cmしか伸びなかったのだが、健気に花を咲かせていた。このスイカといい朝顔といい、植物の、ぶれない目的と頑張りは、絡まって縺れた何かをほんの僅かだけ、一時的でもリセットしてくれるかもしれない・・。◆ヒメウラジロと、とても小さいアマミカタバミ。◆水を蓄える風船のような葉 ◆羽毛、くちばし

睡郷沼のぬし 2007/09/21(金)
30さん> それは、ますます興味深いかも。驚かれるくらいというのは、なんにせよスゴかったり、特異だったり、ということですし、相手にとっていろんな意味でプラスになることが多いのではないかとも思ったり。
>要領のえないお話しか
書き込みを拝見する限りはそのように見えないですが・・。それに話するのに必要なのはまず気持ちなので、ゴチャゴチャからまった複雑な気持ちであればあるほど、少しずつでも会話して伝えたり受けとったりしていくのは楽しいかもしれません。

ときに要領の得ない話というのは私の得意分野で・・。 それで年が大きくなるにつれ、誰かに何かを話すのが怖くなった部分も。 「今更要領よく喋られる人間にはなれない」という諦めや悲しさ(と開き直りも)があるため、とりあえず口をつぐむようにとの指令が、頭の司令塔から送られて来ているのを感じます。(それ以前に喋られるだけの何かを考えてもいないですけれど・・)

30 2007/09/14(金)
ぬし様へ
私から得たり学べる様なことは1つも無いでしょう。ただ、こんな考えや行動をする人がいたのか!と驚くでしょう。「危険ではないですよ」  {ここにあるのはどれもごまかしの平面画像と白昼夢の戯言}{実物を目の当たりにして絶望する}それは絶対にないです。作品でぬし様の感情・生活・姿を想像する事は私には出来ません。画像はその瞬間のもの、それまでの過程など想像することも私には不可能。でも、その後を想像することは可能。膨らましたり、萎めたり。感想は見た人によってぜんぜん違うし、その人が出会ってきた物によって変わると思います。私はぬし様を過剰評価もしていないし「出来る器でないので・・・」ただ、私の中の何かがぬし様の何かに惹かれています。その何かは何かわかりませんが・・・  すみません。文章も何がなんだか解らなくなってしまいました。たぶんお会いし、お話しして頂ける機会ができたとしても、こんなまとまりの無い、要領のえないお話しか出来ないと思います。

睡郷沼のぬし 09/14
2つ下の、ニコさんへの コメント僅かに修正。(「よい所もない」)
睡郷沼のぬし 2007/09/14(金)
ひとがた
◆初めて見た三つ子。もしかするとよくあるのかもしれないが。三つマタの猫ジャラシ。池の脇の、奈落まで繋がっているかと思う溝川辺リ、薄暗い街頭の中でぼんやりと浮んでいた。対向車が来る一瞬だけ輪郭を縁取られて影絵を作っていた。朝日の逆光の中などで見たら綺麗だったかもしれない。が、既に実はかなり落ちているので、形が分からなくなる前に、すれ違ったことだけでアリ難いと言うべきか。
ひとがた
◆(メモ。元画像は全身に落書きだらけ。中央の手だけPCで後描き) これも少し前にメモする予定だったが・・、頭身、大きさ、変形、分割、等のことを紙の上でぼんやり考えていた。組み合わせ自体は何でも可能だが。
写実とのギャップ(ヒトガタゆえの(意図的な)人間っぽく無さや矛盾、また可動構造のための妥協)はどの辺りまで許容範囲だろうかと問いつつ。そういうことを考えてしまうのは結局単に型にはまったものを作ろうとしているだけなのかもしれないが。
顔は適当に描いたものだが、描いていてあることを思い出したので、何枚か自分用の日記(記号)としてメモ。

◆件の姫クダマキモドキ、何ヶ月もかかって成長し、もう明日にでも成虫になるかと思っていたところ、突然両足が衝撃もないうちに静かに落ちてしまった。理由はよく分からないがほんの僅かな時間のうちに片方ずつ取れ、そのまま死に向かっているようだった。翌日には、目が曇っており、死骸となっていた。
何度も絶賛していたあの美しい後ろ足が両方とも落ちて死ぬなんて皮肉だ。どうせ死ぬのなら、わざわざもぎ取ってしまう必要はないではないかと、天?に向かって思ったり。不幸な死なせ方をしてしまった。脱皮の失敗か、餌や環境のせいか・・。ほぼ完成していた産卵管も今となっては虚しさの象徴のようである
◆ひどい生活

睡郷沼のぬし 2007/09/14(金)
もっと前に書いていたのですが、アップ出来ずにいてすみませんでした。

30さん>もしかして、何か変な書き方をしたかもしれませんね、すみません。私のほうが感謝しているんですよ。それに
>「でも私に会うとぬし様の凹の溝が深くなってしまうかな」
これも30さんと直接お話させていただいたとして、この結果に私が「凹となる」理由もどこにもないですし、色々と得たり学ばさせて頂いたり、ありがたく思ったりすることでしょう。
(・・・ここにあるのはどれもごまかしの平面画像と白昼夢の戯言のようなものでしかないので、実物を目の当たりにして絶望するのは30さんの方かと思うと、そういう意味ではかなり恐怖ですが・・・・・。)

ニコさん>そんな課題もあるのですね。私のかなり苦手な部類の課題です。ニコさんはご自身のありようもちゃんと分析出来てらっしゃいますね。普段は第三者の視点から見ることは少ないと思うので、新たな発見などもあったのかな。(私のは、ただの性格分析のプリント仮題でしたが、自分を罵倒する文しか書けず、幼稚で(また、よい所もない自分が)嫌でした。)

>描いている間は熱を込めて描いているけど、 〜 寂しいからまた描く・・・の、繰り返し
それでいいのではないでしょうか。静かな呼吸も似たようなもの。それを苦しいと感じているならなにか別の物で被ったり満たしていくのがいいのかもしれないけど、心の形がリアルに投影されたようなその絵たちは、誰にも描けない素敵な作品だと思いますよ。
色に関しても書いてありましたが、たくさん描きためて何年もしてから見ると興味深いかもしれませんね。求める色は、変わらないようでいて、ちょくちょく変わっているようです。私自身、今見ると戸惑う色合いを求めていたことも多々ありで。・・今も惰性?で色々使ってますが。

ニコ 2007/09/08(土)
こんにちは。
大学の自己推薦で「私の作品について」の作文を書くことになりました。

客観的な意見をあまり聞かないから、説明するのに困りました。
私の絵は・・・
色使いは鮮やか、寂しいのは嫌いだからです。
描いている間は熱を込めて描いているけど、
その熱が強ければ強い程、完成品が他人の目に触れた瞬間、ただの抜け殻のようなものに、見えて、寂しい気持ちになります。
寂しいからまた描く・・・の、繰り返しです。

ぬし様、からっぽなのも一つの在り方だと思います。

30 2007/09/06(木)
ぬし様へ
事情も知らず勝手な事ばかり書いて本当に申し訳御座いませんでした・・・「反省」。  「心や体のうちに何もない自分のような人間が、何かを作れるわけがないよ」は、ぬし様の作品を見る限り微塵も感じませんよ。逆にぬし様に憧れ惹かれていってます。
写真ではなく直接ぬし様の作品に触れてみたいと欲望が時がたつにつれ溢れてきています。ぬし様の「体の中はただの大きな穴があいているだけのようなイメージ・・・。凹」私が凸になれないかな?・・・夢の様なことですが、お会いする事ができましたらいっぱいお聞きしたい事がありますが、でも私に会うとぬし様の凹の溝が深くなってしまうかな・・・  そんな日が来る事を夢見続けます。

睡郷沼のぬし 2007/09/05(水)
別の
ひとがた
その他の(左=前回の)。↑↓どれも大きくはないので、自分には続きを作れるかわからない。かといって大きいものは作る場所が無い・・・。もう少しシワなど入れられサイズだといいのだが。
ひとがた
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その他メモ  悩み事。

睡郷沼のぬし 2007/09/5(水)
30さん>かなり描かれていたご様子ですが、今はお描きになっていらっしゃらないんですね。あるいは本格的ではなくなったという意味かもしれませんが。「事情があって」とのことですので、状況が変わればまた描けるようになるのかな。 お気遣いどうもありがとうございます。
今書くことは違うかも知れませんが→、ふと考えて、自分にとってそれはもしかすると、工作中にレンズ越しに見て写真にとってメモを残すこともどこか似ている・似た作用があるかも、と思いました。どこかのメーターが部分的にリセットされるような。私の場合は30さんのような集中力が無くて、元々が99%散漫な意識のもとでやっているので気分転換以前の課題が大きいようです。「引き締めなければこんなことでは何も作れないだろうな・・・というより、心や体のうちに何もない自分のような人間が、何かを作れるわけがないよ」と、度々感じたりしています。 そういうわけで、
>思い通りとどれ位はなれれるか試してみるとか
これも、「思い通り」と言えるものが無いので、その差すらないのかもしれません。体の中はただの大きな穴があいているだけのようなイメージ・・・。凹

前に、「心のうちにうごめいている物、渦巻くイメージや物が表現できない」ともどかしがっていた知人が複数いましたが、そういう時「ああ、形に出来なくてもやはり何かのイメージや考えで満たされているのが普通なんだろうか、」と、自分を振り返って寒々としたことがありました。

30 2007/09/03(月)
ぬし様の作品には「息」を感じます。{素人の感想なのでお許しください}息を呑んだり、吐いたり、詰まったり。いい表現が見つかりませんが、ぬし様の呼吸なのでしょうか?私も昔、絵を描いていました。ある事情があり筆を置いたのですが、下で書いておられる{「コレ」と思ったら思ったで、下塗りや上塗りで形が変わってしまうのが憂鬱である。どちらにしてもどうしたらいいのかわからなくなる。とりあえずあごを直してからか・・・。}と言う気持ちと似た思い沢山ありました。「私のはかなり低いレベルですが…」どうしたらいいかわからなくなったら私は決まった事はしないで新しい事を試してみました。たとえば左手で書いてみたり、トイレで、お風呂で、机で逆立ちとかいろいろしました。それでいい物はできた記憶はありませんが、逆に疲れて肩の力が抜けた様な気がしました。参考に一度お試し下さいなどと言えるものは一つも御座いませんが、ぬし様!あなた様は素晴らしいものがあります。素人の私ですが、写真・作品・制作過程を見ているだけで心が落ち着くんですよ!思い通りにならないなら、思い通りとどれ位はなれれるか試してみるとか…  すみません!!!!素人の独り言と流してお許し下さい。 

睡郷沼のぬし 09/1()
コメント僅かに加筆
睡郷沼のぬし 2007/08/31(土)
ひとがた頭とか。最近は違うが口癖だ。違う・・しかもわからない。  しかし、「コレ」と思ったら思ったで、下塗りや上塗りで形が変わってしまうのが憂鬱である。どちらにしてもどうしたらいいのかわからなくなる。とりあえずあごを直してからか・・・。これでは意図的の範疇をこえている・・
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上の写真の前、肉眼と写真では違うように見えるので、写真で見ながら直していた。直しているのか壊しているのかわからない。右が新しいのだが・・自分に失笑
ひとがた
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写真なし ◆30日分メモの「飢饉」の後、罪滅ぼしの潅水のためか、青系ミックスの鉢には黄色いキノコがわさわさと生え始めた。◆蝦夷ハナシノブ、鉢を落とす。折れる。元々生育が悪かったので持ちこたえるかどうか。◆ニシキシダ、姫ウラジロ、常盤シノブ新芽 その他枯死したり伸びたり。◆用事の時に水遣りを頼める人もいないとは孤独なことである。
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8/15の画像指定のタグが間違っていたので訂正。もしかするとブラウザによっては全体の表示か壊れていたかもしれない。

睡郷沼のぬし 2007/08/30(水)
最近のメモ
電話。「うちとここがとても同じ場所のように思える」「うちっていうのは今すんでいるとこのこと?・・・ふむ、じゃあここというのは?」―後ろから小声―「○○が悲しむから話さないようにと今後ろで言われているけど、自分はそう思えていけないんだ」
ああ、どんな場所をさまよっているんだろう・・・・悲しいが、聞きたい。誰にも目では見えない場所ならば、なおさら全部聞いて知りたいと願う。が、距離が邪魔をする

その前の一晩、動く気が起きず15時間ほど鉢たちを風・日当たりに放っていたら悲惨な状態に。 件の桃系しか咲かないブルー系ミックスの種も、春から今までかかって初めて青に近いと思われる蕾がついたところだったのだが・・蕾もあのショッキングピンクの株も、そしてオジギ草も開閉できぬままに、また他の鉢も砂漠の中に寂しい姿で縮んでいた。こんなにも、求めていたのにね・・・
干からびさせた体に水をかけて頑張れなどと願うことが酷く残酷に思えた。

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月蝕 局所的雨 斑の気持ちのように、移動先ごとに降り方は斑  動物夜間救急センター電話繋がらず 数分の差で終電乗れず 偶然行きも帰りも それぞれ変わったタクシーの人で。 メーターも回さずに、コロコロ変わる口約束だけで走りつづけたり。 翌日改めて病院へ。獣医さんを酷い目に合わせてしまう  その他

29日ある小さな生きがいを取り逃がす凹  29日ヒメクダマキモドキ、気づくと最後から2番目辺りの脱皮中。随分変わった。大人。殻はすぐに食べてしまって痕跡なし。ただ今を生きている

睡郷沼のぬし 2007/08/29(水)
ニコさん> 絵をお描きになるお方でしたか。どんな世界を描かれるんだろう。著作権なん、てこんな形すら掘り当てられられていない物たちにあるわけないですよ。完成していないものも、また完成した物でさえ。
たとえ鋳型を作って再現したとしても、それが誰かの想いによってなされたのであれば、そこは私の領域ではもはや無いでしょう。

視線に釘付けになる事は>
そういう力のある物ってほんと凄いですよね。自分自身、悲しいことに手の中で目や皮膚がが生き出すような感覚を ずっと感じられずにいたところなので。
・・・形が粘土に埋まっているような、そんなありえない気持ちでやってても意味がないのかも などと思ったりしていました。 昨日、「どうして欲しいんだろう、どう動きたいんだろう」と、粘土に(口でではないですが)問うていた自分が滑稽でした・・

p.s. 他の方からご質問があったのでメモ。 前のニコさんへの返信での「ドキっ」とした というのは、本文とは全く関係のないこと で、単語単体の話でした m(__)m 

ニコ 2007/08/27(月)
私、ぬし様のご想像とは違って・・・1体も、人形は持ってないんです。
何せ学生の身分なので、金銭的にさほど余裕が無いのと
人形収集の趣味のほうも、残念ながら無いので・・・。
ぬし様の人形に対しては 人形としての興味と言うよりは、
「この子の絵を描きたいなぁ」という気持ち(これも理想、願望?)なんです。

だから、今は、視線に釘付けになる事は無いですが、
最近はぬし様の人形に影響されて、少女の絵を描いているので
そのうちその類の絵が、部屋に溢れ返るような事になれば・・・。

あ・・・これ、著作権などで引っ掛かるのでしょうか

睡郷沼のぬし 2007/08/25(土)
ンア ン ・ ア
色
色を試し塗りしてみたらイメージと変わったかな。作れない…

睡郷沼のぬし 08/22()
(30さんへのご返信の部分、改行し忘れで引用が紛れてしまっていたようで、改行とその他書き間違いなど部分的に修正。)
睡郷沼のぬし 08/21(火)
仕上げなどでよく使っていた細い彫刻刀をを探していた。・・・適当に掘り返すとゴチャゴチャとした下から頭が2つ出てきた。いつの間にこんなものを作りかけていたのだろう。形を見るとそんなに前ではない様子だが。細かい部分があまり作らない感じの顔(おそらく自分にしかわからない程度)だったので少し驚いたが、修正しかけて他の物と同化していく憂鬱。また新たに作り直した方がいいのかもしれない。新しい物はいくつか土台を作っていたのだが、最終的に二個ぐらいになってしまった。残りの忘れられたものは、引越しの際にでもどこかから発掘されるのかもしれない・・。本当に消えて自分もすべて忘れてしまうのがこわくて、無意識に&意識的に、メモのように置いておくのかもしれない。

彫刻刀は結局鉢の隙間にあった。そういえば、春に、ペットボトルに穴をあけて鉢にしたのだ。道具(物)の生きかたは持ち主次第・使い方次第で様々な形(風景・意味)になるのだと、ぼんやり考えた。誰かが死んだ後は、物だけ残っても、それは残骸でしかないという悲しさ、整理され新たな何かに取り換わる切なさを思ったりして、なんとなくブルーに。誰かが生きているのは、今しかないのだ・・今じゃないと誰それに会えないんだとか、ちいさな箱のように狭くて動きのない意識の中で思う。夢の中のスローモーションでしか動けない場面のような焦りとともに。

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7/28、8/5の虫、見れば見るほど足が綺麗で、「姫」という言葉がふと浮び、それをキーワードに調べてみると、…あった。ヒメクダマキモドキのようだ。雌の特長が出てきているので、まさに姫ということか・・。

同じ頃に花についていて隔離していたツユムシの方はは数日前に最後の脱皮をし、一晩で別人のようになってしまった。こちらも姫様(♀)である。もはやここにいても哀れなだけなので、近くの茂みに放った。夜近くの野に入って放とうとした時に、突然空が光って大きな雷が鳴り、心臓が縮こまった。幸い雨はあまりふらなかったようだ。姫様に幸運を

睡郷沼のぬし 08/21(火)
30さん>お盆は無事乗り切れましたでしょうか。だいぶお忙しかったようですね。次のお休みにはお盆のぶんまでよいことがありますように。
>「今している無駄と思えることは未来の自分の為に必要な事、何一つ無駄なことは無い」
なかなかそう思えないものだけれど、逆に考えるとそうやって鼓舞するような気持ちにもっていかねばならないくらい、大変でいらっしゃったのですね。
絵具は、本当にすみません。気楽に書いた一言だったので、どうかお気になさらず。手近にある物を適当に使えばいいのでしょうから。 お気に入りというものが自分の中にできると、どんなによいものでも、むしろ縛られて苦しくなったりもしますし。 引越し好きな人の精神に憧れます。
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ニコさん>どうもありがとうございます。掲示板上ですのであまり詳しいことが書けず、すみませんでした。お手元に色々な作品をお持ちなのかな・・。逆にその光景を拝見したくなりました。お邪魔したら視線に釘付けになりそう。実は他の人の作品って殆ど見たことがなかったので、デザインフェスタとかで初めてリアルに見た時は、「本物はこんな感じなんだなぁ」などと思いながら見ました。ずっと前、ジャングルの中から出てきたような感じの、大男の配送の人(何でも屋兼)に手伝って荷物を運んで貰ったことがあるのですが、人形だけはダメだ、目とかすごく苦手だといってたのが印象的でした・・。

「理想」かぁ・・・理想ってなんだろう・・自分のはあまりいえるものではないかも・・。いや、理想というより願望か。 ニコさんご自身の理想ってどんなのだろう。自分以外の大勢の人のもどんな気持ちで生活しているんだろう。

ところで、ずっと前の、ある方のメールを思い出だしました。そのメール、いろんな意味で、ものすごくドキドキしながら読んだのですが、それと同じ文字が入っていて再びドキッとしました。

ニコ 2007/08/19(日)
ぬし様へ
分かりました、お返事ありがとうございます。
少しずつでも、良いものを完成させられると良いですね。
いつか理想に近づける日を、私も願ってます。
それでは。

30 2007/08/15(水)
お久しぶりです。30です。世の中ではお盆ですね、私はお盆休みもできずに毎日仕事に流されています。何の為に仕事をしているのか?そんな疑問に自問自答を繰り返したことがあります。そんな時に出た答えは「今している無駄と思えることは未来の自分の為に必要な事、何一つ無駄なことは無い」そんな風に言い聞かせています。仕事の為に始めたパソコンであなた様と出会う事が出来たり、私の大好きな空や雲の写真を睡郷沼のぬし様を通じて私の知ることの出来なかったものに出会える。こんなすばらしい事があって本当に生きててよかった思います。これからもまだまだ暑い日がありますが、お体をご自愛下さい。        追伸=絵の具…まだ見つけられてません「すみません…」似ている物は何点がありましたが、購入して帰ってからお写真と比べると違いショック…見つかり次第連絡致します。

睡郷沼のぬし 08/15(水)
◆炎となって空へ手を伸ばす◆やっとその他の花が咲き始めたが、やはり、これもなぜか桃色だ。(ブルー系ミックスの種7/15)◆扇。一つ一つの後ろに誰か隠れているという妄想◆前日、隣り合う雄花と雌花の蕾を見つけていた。古い村の、物心もつかぬうちより暗黙の了解としていいなずけを約束された幼馴染のイトコといったところか。結局並んで咲いていた。秋間近でスイカ人生としてはどうしようもないだろうが、孕ませてみた。
いいなずけ
もはや意味もないお面工作である・・・棒に挿したままになっていた。作りだしては、形すら出来ないうちにまた一からはじめてしまう。何をしたいのだろう。(うちいくつか、最近の。
ひとがた

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電話。言葉何も出せず。自分を引き裂きたく。
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↓補足…足がご不自由だったそうなので、目がさめて既に気づいていたのかもしれないと思うといたたまれない

睡郷沼のぬし 08/13(月)
メモ
夜に火事のニュースを確認してショック・・・。今朝(12日)の夜明け寸前ごろ、「夜中起きてたのに流星群のことなど忘れていた・・」と思い、明るくなった空をカーテンの隙間からみつけ、恨めしげに見上げながら窓を開けた。ん?晴れた空に妙な雲。いや、煙か・・。 大きな1塊の煙が浮んでいた。まだたなびくほどではなく、視界の中にふんわりと横たわっていた。この辺りでは畑で草を燃やしたりしてそんな煙をたまに見かけていたし、早朝から仕事をする人も見かけるので不思議には思わなかった。写真に撮って特に気にとめず中に入った。それからどれくらいしただろう。そんなに長くはなかったが、しかし短くもなかったはず。サイレンが鳴り始めて火事だったと知る。煙はだいぶ長くたなびいていたが、火の感じはしなかった。サイレンは鳴っていたが、その音の感じなどから、「ボヤか間違いだったか?」とまで思っていた。

暫くして朝日が山から顔を出し、しかもそれがちょうど煙の出所の付近で、いまや風下へと長く長く、また町の底にも広がった煙の帯が、だんだん朝日で赤く染まっていく様子や、煙の中を太陽が上がっていく様子は、サイレンが鳴った後ということもあり、今思えばちょっと異様な感じもしたが、普通に見ていた。起き出して外に出て方角を確かめる人や、散歩途中の土手から振り返る人が見えた。わりとすぐに煙は治まり始め、白い光に変わった太陽の下で、山と畑の間にとどまって綺麗とさえ思えるような光景を静かに作っていた。

そのことは忘れかかっていたが、お昼頃、たまたま流していたニュースから、同じ市の火事の記事が聞こえてきた。町名は聞き漏らしたし、予想以上の被害だったので、内心まさかね、と本気で思っていたのだが、夜になってニュース記事を探してみると、やはりそれは隣の町で、今朝の火事のようだった。全焼でベッドからご遺体が見つかったとか。1人暮らしで介護を受けられていた方のようだ。 もし、最初に見つけた時にすぐに気づいて通報できていたら、何か変わっていた可能性はなかったろうか、また、実際に自分が見ていたあの時の家の中の様子は・・、と重い気持ちが黒い煙のように、底の方で広がっている感じ・・。カメラ、中を見たくない・・ ご冥福をお祈り致します

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メモを書いて一晩空けたところ。先ほど起きていたので空を見てみた。星が流れていた。
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一昨日は、暗くなってから歩道に立っていたら、走ってきた車がなんでもない道で突然パンクして滑っていった。アブラムシの群れが、天敵にちょいちょいと、適当につかまって食べられていく様子がなんとなく浮んだ


睡郷沼のぬし
(一部のレイヤーを重ね忘れた画像を誤ってupしていたので、一枚目のみ上げ直し)

睡郷沼のぬし 08/10(金)
ひとがた ・・?  (更新後にサムネイルなどを整理したため表示が一部重なっている)
ひとがた  ひとがた ひとがた
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お盆帰郷できず      たい、たい、たい、・・・もう、無まで帰りたい

睡郷沼のぬし 08/10(金)
犬さん>深海の闇や天空の光ををはるかかなたまで見つめていらっしゃる感じなので意外なお言葉。やみに埋まっている物を、光に晒すことなくそのまま取り出して包み込んで形として目の前に現せるような作業までも無意識になさっている気がします。
最近鬱感が襲ってきた時なんか特になんですが、「アイマスク買おうかなぁ、いやアイマスクじゃこれはどうにもならん」とか考えながら1人悶々としたりしてます・・・
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ニコさん>お久しぶりです。ご丁寧なご質問、どうもありがとうございます。(全く人に譲れるようなシロモノではないという前提を抜いてですが)他の方のように精力的に作れてはいないので、今のところはそのように出来ておりません。ただ、理想では自分の気にいった物や納得いくもの、そうでない物も含め・・時間の許す限りひたすら作り続けて、人前に出せるようなものが出来たら手放したり・・・ということもできるかと思うのですが。 ともかく作り重ねないことにははじまりませんよね

内心、もう自分は何も作れないんじゃないか、また、作る必要はないんじゃないか (ただ生きて死んでいけばそれでよかろう) とか思ったりすることもあるし、実際何も手につかぬ状態の自分がいたりもするのですが、でも先日、半ば強制的に工作に関する小さな予定を入れたことを喜んでいたので、何か作りたいという欲求だけはあるみたいです・・・。

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うみさん>おひさしです。滝、いいですね。どの滝なのかな。この季節、特にしぶきの涼しさが染み渡りそうですね。今回は純粋なお出かけ(ご出張ではなく)なのかな。バテぎみとのことですが、いいリフレッシュになりますように。現地の写メ見たいです。そういえばうみさんご本人の写真は胴だけが切れたようなのがあるだけのような気が・・・。

うみ 2007/08/07(火)
お久しぶりですがお元気ですか?夏日が続いて少しバテ気味ですが今度箕面の滝を見に行こうと思っています。

ニコ 2007/08/06(月)
こんにちは、昔書き込みさせていただいた者です。
いきなりですが、球体人形は個人にも販売しているのでしょうか?
前から気になってたので
不躾ではありますが・・・せめて、確認だけでも。
失礼します。

2007/08/05(日)
闇の濃度が薄すぎる・・・・という言葉にドキ!
そういえば、己の漆黒の闇から随分と離れてしまった・・・

睡郷沼のぬし 08/05(日)
最近、目(脳・思考)を閉じた(閉じたい)とき、闇の濃度が薄すぎる、という気がしてきていけない。
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羽化
なぜか。とても不思議なのだが、先日どう考えてもありえない場所と状況で、クサカゲロウの幼虫を見つけた。布団の上で自分の手を這っていた。外に出てからはお風呂にも入っていたし、服も違う物だった。1日何十匹と捕食する時期なのに餌になる物はここにはまずない。まさかと思ったが・・・手に針を刺そう(吸おう)とするので、とりあえず餌を。梅雨でアブラムシも殆ど見かけず探すのが大変だったが、アブラムシやコバエなどをなんとか探して与えると、次々と平らげ2日ほどで蛹になった。

以前・・今年の初夏に育ててみていたクサカゲロウの羽化に気づかず、羽化したてのグリーンの成虫がケースの中で死んでいたことと、餌が切れたためか蛹になりきれず悲しい死に方をした幼虫がいたので、なんとなく今回の幼虫と結びつけてしまった。今回こそは空へ、と思い、羽化を待っていた。幸い無事に羽化したクサカゲロウは空へ飛んで行った。小さな蛹からあの体が出てきたのは不思議だった。体の長さも幼虫より長い。あの虹色の目で何を見ただろう?
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7/28の虫が、再び脱皮していた。今は花を好んで食べているようだが、大きくなると肉食になるものも多いので、今野へ放すべきではないかと思案中。特に名前もわからない虫なのだから。
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下で書いていたの、動画サイトで見られるようだ。登録は無料だが今のところ無料会員は時間規制あり。沢山の人のコメントがリアルタイムで乗っかる(on/off可)ので、offにしてから見るとネタバレは回避できるかも。2話目のエンディング後も短いカットあり。のこの回は画面や演出など好き。
話ごとに脚本家や絵コンテの人が変わっているので、ストーリー別に印象も違う感じ(つくづく個人の作品ではないのだなぁ・・そういう意味で、個人のアート作品ともまた違うものだなぁ、と思わされる)。
別の場所で製作裏話などを聞くと、少し興ざめな部分などもあるけど、全体に丁寧でいいなと思う。
座敷童子1(前)(/ ) 座敷童子2(後)(/ )

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気力ゼロ 自己嫌悪以前
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立会いしないとガスを開栓出来ないなんて・・。とても苦痛だ
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荷物を受け取りに行った。7/26と同じ場所。1駅はなれた場所(山の向こう)の駅から出発したので、近道しようと、知らない道へ。行きたい方向へは道は繋がっておらず、・・・着いたのは、知らない場所。暮れゆく空、自衛隊の大きな敷地、策をめぐりながらやっとつけた道の先には山の中の人気のない霊園の大きな建物。行き止まり。暗くなって、急な坂道を越え、やっと住宅地へ出たと思えば大きな鳥居が立っており、やはり行き止まり。人に道を聞くと、随分遠くまで行ってしまったようだ。しかも「山なので、回らなければそっち方面にはいけない」という。心細さと疲労の夜だった。


睡郷沼のぬし 07/29(日)
あ・・7/27の3っツ目のリンク、間違ってフジテレビのモノノ怪紹介に張っていた。東映の公式ページへ訂正。27日に更新した時は あらすじなどがあまり更新されていなかったので3番目にしたが、今は閲覧できるようだ。
睡郷沼のぬし 07/7/28(土)
螺旋
芽。 瑞々しい透明感と曲線(ホラシノブ)◆脱皮 いつぞやの・・4/29や6/30の生き物のようだが、脱皮していた。どのようになるかと思えば、翌日見ると(大きい写真)形も大きさも前と殆ど変わらず。何の子供だろう。1ト月程前にここで見つけた同じサイズだったツユムシ?の方は、みるみる成長してこの虫の倍にもなったのに、こちらの成長は随分遅いようだ。足が綺麗。◆ブリッジ。クローバー切り絵。 このヨトウガの子供は、寄生されていたようで、一週間ほどあとに、体からたくさんの虫が出てきて気の毒だった。◆7/5のところに再びキノコ。今思うと、どうもあれを食べたのは、上の写真の脱皮した虫のような気がする。同日写真の巻いた新芽の気に入りのシダも何枚か柔らかい成長部分を少し食べられていた。今は隔離させてもらっている。◆一番最後の最後に一花だけ残った紫陽花は、なぜか花びらがたくさん重なってついていた。管理を怠っていたのに、がんばったのだなぁ、と申し訳ない気持ち ◆1mmほどのカタツムリ。鉢の新芽が一向に伸びてこないと思っていたら、これらに食べられていたようだ。まだ殻も透明で心臓が透けて見えていた。◆その他、子カマキリ・鳥など
巣と綿毛
◆ハエトリソウの葉の間にとても小さな蜘蛛の巣。スリルな場所である。ミイラ取りがミイラになりかねない。◆蜘蛛の巣とアザミの種。この綿毛は大きくて同時に細かくて、かなりの存在感。飛んでいたり蜘蛛の巣に引っかかっていると目を引く。◆封
アオハダトンボ
◆日没後の川にて。暗&遠で不鮮明だが、胴の色と羽の対比が綺麗。 この時は咄嗟にとったのだが、明るい場所で撮れればよかった (反射などうまく撮れればとても綺麗な蜻蛉のようだ * *)◆カラスウリ・ 金蓮花・三角葉オキザリスなど

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27日メモの最後、単語の意味合いが違っていたので少し訂正。訂正した「マイペース」とも違うけど。また、元々狙ってやっている部分も大きそうだったり、ごてごて感もあったりするけど。今のところ好き。
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薬屋か・・・「らくになれる薬」がほしいな。そういえば、小さい頃はいかにも古臭い置き薬の引き出し型の箱が何種類か(何店か分)押入れにあったのが懐かしい。中には過去の薬屋に回収を忘れ去られた薬箱もあったのかも。使うと高いからと、あまり使ったことはなかったけれど。そしてあの頃は庭のツワブキやヨモギなど、当たり前に使っていたな、田舎だったこともあり。
便利なドラッグストアもいいが、怪しげな薬箱も魅力的だった。使わない分よけいに・・
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夜9時過ぎごろ、配達物の荷物を取りに行った。あまり通らない道だったが、帰りに「○○寺」という名前とその寺の得意分野?の書かれた看板を見つけ、その単語が、今の願いと繋がっていたので、場所を知らないのに、つい、わき道へ入った。明かりもなくよくわからないが、山の緩やかな斜面にある田舎町だったので、暗い空にこんもり木の茂った陰が斜面に所々浮んでいて、それらを目指して進んでみた。散々迷った挙句、お寺らしいところについて、参り、さて帰ろう、としてお寺の名前を見ると、どうも違う寺だったようだ・・が、いい名前の寺だったので、こちらもよかったかもしれない・・。もちろん参って叶うものではないし状態が変わるわけではないだろうけど・・・気持ち的に。
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ボロボロになったタオルに改めて気づいてまじまじと見た。入試の時のタオルだった。あれから10年もたったなんて。今更「○○方面のところへ進みたかった、偶然気づく環境はあんなに整っていたのにどうして全く気づかなかったのか」という後悔がいつのころからかもやもやと心にあって、考えると嫌になる。

睡郷沼のぬし 07/7/27(木)
一年ほど前だろうか、深夜に「怪〜ayakashi〜」というターゲット層のちょっとわからないアニメをやっていた。四谷怪談・天守物語・化猫の三部作で、それぞれ違うメンバーの製作だったが、その中の化猫は毛色が少し違っていた。最初は「?」と思ったが、化猫は反響も大きかったようだ。

その、化猫のメンバーが再び続編を作ったらしい。「モノノ怪」 *  たまたま2回目(座敷わらしの後編(座敷わらしというか水子というか。以前女郎屋だった宿屋の話)の放送を見て続編を知った。相変わらず独特の30分。
象徴的、比喩的な表現が、細密で鮮やかな背景と合わさって、リアルなものより却って激しく流れ込むような。今回は題材的絵的に余計そうだったかもしれない・・。どこか「マンガ日本昔話」のヘタ絵?や紙芝居の動きの無さも連想させるその絵なのだが、画面は動きが無いどころか、寧ろ、動とか跳躍飛。公式ページなどの静止画だけでは上手くイメージが伝わらない感じ。自然に引き込まれて、最終的に泣けたりする。万華鏡をこぼしたようなアニメである。
ストーリーは、去年のと、1話後半を見た感じでは悪役に見える人たちも奥深くどこか同等でよい。老人の妙にリアルなシワや不気味さ、口や歯の動きなどもなんだかよい。
元々「大人のスタイリッシュなアニメ」を扱う時間帯らしいが、人気が出てもあまりそういうキーワードや期待に流されたり意識せずマイペースのままの続編が増えてくれたらいいなぁ、と思う。

睡郷沼のぬし 07/7/15(日)
犬さん>おかえりなさいませ。はだしの旅はいかがでしたか。もろに足からの信号が頭に伝わって一段と冴えてたかもしれませんね。あるいは根っこのように何か吸い上げたりもしたかもです。裸足になれる人って、なんかいいなと思います。

胞子や虫・・・・ そうそう、そうありたいです。中でも、私なら、水不足で一斉に飛ばされたけど運悪く乾いたコンクリのすみに落ちてしまったやつとか、ケースの中に忘れられ、、羽化して死んでしまったような虫、また寄生されていつの間にか体を破られちゃった虫とか。そんなとこで・・。 。

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胞子になりたいな・・・何も考えたくない。ぁ、でも胞子もだめだ・・。生き物は1度歩き出すと「よりよく」生き続けていかないといけない。休むことや待ったは死ぬまでできない。ぁ、それでも(同じ生きてるものでも)、自分が愛する人の一個の細胞とかなら良いかな。

じゃあ、せめてそのように生きれば?と思われるかもしれないけど、人間になった以上、それはなかなか難しいことで。人間の考え方になってしまうから。

一個の原子になりたい・・・
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メモ
なぜか。春に「ブルー系ミックス」(複数の植物のミックス)を撒いたものが、数週間前から咲いている。一番先に芽を出し一番元気に大きく育って一足早く咲き続けているその花は、なぜかショッキングピンクだった。果たして他の花はどうだろう。
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以前食べた半額のクリームスイカの種から芽吹いたスイカの苗が1度折れていた物を固定してテープで止めて生き伸びていた。が、、せっかく持ち越したところ、今回の台風で今回は根元の部分がめちゃくちゃに。今回こそはダメに思え、残念に感じていたが、前に固定していたテープを外してみるとそこから根が出ていた。意図せず取り木をした具合になったようだ。まだ根は短く、もう一度、持ち越すかはわからないが、可能な限り生き延びようとするところが良くも悪くも考えさせられる。
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実家大変

2007/07/10(火)
写真を拝見していてこのサイトについて遅まきながら納得・・・
ぬしさまはこのサイトの虫、あるいは胞子、さんなんですね。
ちっさい文字。入り組んだページ。
ここは大きなお庭だったのですね。
細部に神が宿る庭ですね。

睡郷沼のぬし 07/7/6(金)
胞子
胞子
◆前葉体 や胞子嚢など。中段左から二番目のも胞子ではなく胞子嚢のようで、この写真をとってから何日かして見ると、中から複数の芽が出てきている。何種類かのシダ類のもの。胞子嚢群の中の、そのまた中の胞子嚢の、そのまた中の一粒の胞子とは・・小さい。虫眼鏡状のレンズを何枚も重ねても撮れない(見えない)ような小粒(ある程度大きくなってから初めて、かろうじてそれとわかるほどの大きさ)からは、普通の草らしく成長した姿はまったく想像できない・・。不思議という言葉しかない。(以前、ホウライシダ(アジアンタム)の写真で、胞子嚢群を胞子嚢と書いてしまったが、訂正。あれの中にたくさんの胞子嚢(胞子がたくさん詰ったカプセル)が入ってる。なので、一つの胞子となると本当に小さい。 2枚目の補足写真の「点」のぶぶんが胞子だった辺りだろうか。 かなり茂った株の鉢に、夜に少しだけ水をやったが一晩中乾燥した風が吹き続けたためか翌朝には全て縮れて元には戻らなかった。驚いたのは成熟した葉も未熟な葉もとにかく胞子(嚢)を全力で一斉にばら撒いていたことだ。こうやって命を繋げていくのだと感じ、申し訳なさとともに圧倒された。◆シダの新芽など。薄い貝殻のようだ。◆右上 胞子嚢群。表も裏も魅力ある。お灸の背中を思い出して懐かしさを呼ぶ。祖母も父もその兄弟の叔母も、うちの家系はお灸で治す家系だったらしい。母の家はそうではなかったと言っていた。学校から帰ってくると線香の香りがよくしていた。 仏壇から線香の香りがしたことはなかったが。火事防止のせいだろうか。◆左下 紅葉と細かな葉がが綺麗なホラシノブの根元に鮮やかなキノコが生えていて、もっと生えてくるのをどこか期待していたが、数度に分けて誰かが茎ごと食べたらしい。粘液はみあたらなかったので、ナメクジではなし、誰だろう。シメジを置いて釣ってみたが現れず。このままだと根ごと無くなりそう。◆前とは別のタイプの羽蝶蘭。一段と蝶のよう。
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 農業する魚。彼らの保護下でなければ生きられない特別な植物。その海草は畑の中でしか生きられず、魚の方ももはやその植物が無ければ生きられず、運命共同体のようだ。生まれた稚魚は、成長するまでにその畑がある場所にたどり着けなければ死ぬのだという。
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書く予定は無かったが・・・  ノブドウに止まっていた、終齢のまさに蛹になりかけの、大きく元気なコスズメが、葉を綴って繭を作った時、中から丸々太った大きな幼虫が何匹も、彼をすっかり食い殺して出てきた。ハエかハチに寄生されていたようだ。そのやり方は実に巧妙で、蛾などが蛹を作る時に出す成長ホルモンで寄生者は一気に大きくなって宿主を食い尽くした後そのまま蛹になるらしい。 ショックは大きかったけれど、彼らはそうしないと生まれることも生きていくこともできないのだ・・。一見残酷にも見えたが、宿主の命を無駄なくそのまま次の命へと引き繋がれる・引き継いでいく・あげるということはとても尊いことだとも感じた。そしてはたと自分のこと考えてみると害獣にしか思えなかった。

ふと思ったが、「生まれる」も「生きる」も同じ文字なのだな・・・
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また何かで軽く被れたようだ。なにかの草木にもアレルギーを持っているような気がここ何年かしているが、それが何かは不明。

近くの空き地の草が木より高くなって茂っていた。秋には枯れる草だ。前葉体が少しずつ細胞を増やして大きくなっていく姿を重ねると気が遠くなるようだが、実際そうやって伸びてきたのだ・・・。
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ネジバナ。色んな間隔でネジネジに咲く草(蘭)だが、だいぶこの辺りに住んでいるのに気づかなかった。歩道脇の土手に一本ずつ何本か咲いていた。初めて生で見たので撮っていたが、その道ですれ違った母親に抱えられた赤ん坊がネジバナを手に持っていた。一瞬、あ、摘んじゃった、と思ったが、しかしその光景はなんだかよかった。
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姿と香りが独特な風蘭の仲間で、距(蜜をためるための長く伸びた部分)が短めの花がここにさいている。落ちた花の蜜を舐めてみると「すがすがしい感じの甘さ」があった。昨日、数枚写真を撮ったところだったが、1日して見るとカナブンにかなり花ごと食べられていて残念。カナブンなど滅多にこないのに、虫はよく知っている・・・。
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根が地面を縛っていくのと同じ速度で私も縛られていく。彼らの意思と自由を何らかの形ででも束縛してしまう以上、私は僕であり奴隷とならなければならないのだ。逃げたい。

睡郷沼のぬし 07/6/30(土)
この画像を更新しようとしていたのはもう少し前なのだが、別のものも加えて更新しようと思っておいて置いた。
結局まだ編集していないので、その時出来ていた物だけ。

◆羽蝶蘭 蕾の横顔。小さくて柔らかな植物で、水だけで折れたりしそうになる。葉も2.3枚しか出さないので、野生で生き延びているのが、なんとなく不思議。◆木漏れ日 シダ ◆ブルーワンダー。とても小さな花だが、形は薄青い薔薇のよう。透明感が印象的で増やしたいものの、多少の日光では上手く育たず花も咲かないのでここでは難しい。人が育てると「難しい」になるが、本当は、合わないところへ連れて来られただけなのだろう。無責任な軽さの罪悪感。◆前回の虫が・・・どこにいたのだろう、先日再び姿を現した。少しだけ成長したように見えた。穴が開いたフロックスは食べ跡だろうか。食べられると困る物もあるが、成長も見たく、また追い出せなかった・・◆紫陽花林 空想箱庭◆手ぼたん花火のようなレースフラワー。郷愁 ◆限りなく白に近い緑 がやわらかなトルコ桔梗◆下段中央)脱皮。過去(皮)と現在(本体)。スペースの関係で一部だけ。イトカメムシ。足等の縞は幼虫の時だけ◆ 蜘蛛の巣の中央◆数ミリの虫。体につり合わない、つんつるてんのような短い羽で苔の間をジャンプする
開
◆夕風◆暈  本当は階段の一番てっぺんの手すり(右上の手すり)にカラスも2羽止まっていて影絵を作っていたのだが、私に気づいて飛んでいった。大きな羽根が目の前を横切った。◆夕方の幻日。 小学校低学年の帰り道、こんな小石を拾った。半透明でグラデーションのような角ばった石。あれは、どこに行っただろう。捨ててはいないれど、この先一生見つからないのかもしれない。◆空の大きな蓋。世界がぐつぐつ煮られている。 ◆ノブドウ ◆ X。市松模様のような雲を投げやりな気分で撮っていた ◆虹。 大雨が降ったり晴れたりの変な天気だった。◆空 ◆スペースがなくて、拡大できなかったが、本当は、うねった斜め線の雲を撮っていた。
空のふた
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◆メモ・スズメノテッポウ夏の姿、意外にもそんなとこから故郷の島の歴史や文化を改めて知った。
◆懺悔・家族へ あたりまえの自由や幸せを奪ったと思う・・・・
◆懺悔・蛹から羽化したクサカゲロウにまったく気づかず死なせてしまった。小さなうちから育てていたの余計に後悔。その時私は何をしていたかと言うと・・・
◆メモ・伊藤若冲の動植綵絵 ためいき。 / 菊地契月の2人の幼い赤い頬の少女の絵や、おはぐろとんぼの子供の表情、なんともいえぬ
◆メモ・蓮の尊いとされる理由
◆懺悔・花芽付きの小さな山野草をオマケで頂いた。園芸種に比べるとよわよわしく、葉も小さなものがそれぞれ一枚や二枚。数株のうち蕾は2本あったが元々の虫食いのためか花も一つしか咲かなかった。来年のために小さな葉で懸命に光合成をしているのだろう。後からそれは山で採ったと聞く。野生というだけでも罪悪感を感じたところへ、脱走した毛虫に根元から数本やられてしまった。元々鉢について来た微小の青虫からゆっくりじっくり大きく成長してしてきた(こんなになるとは)毛虫だったので彼は責められない。自分に怒。
◆メモ・なぜか前の道の溝川のコンクリートの隙間から生えてきていた蔓性のシダ(日本では唯一の?)。珍しい草ではないが幼葉など特徴的でかわいらしい。生まれ出た場所が田んぼ脇のコンクリ路地なのは運命のいたずらか、絡みつく場所もなし、伸びるほどにただ溝川の水に晒されていたが、最近田んぼの農薬(または農薬排水)のせいか、殆ど意気絶え絶えになっていた。で、隙間から根を僅かだが取り出してペットボトル鉢に移してみたり。ただ、彼にとってはそのままのほうが良かったのだろうか・・
◆メモ・夢を見た。たまにこれを見る。私の希望していることなのかもしれないが、しかし夢のままである方が幸せな夢なのかもしれない。現実ではありえないことを知っているから、逆にそれだけを、特別なこととして、他の色々なことの諦めがついたりして、楽に過ごせるようなところもある。

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◆事務・前々回の更新辺りで気づいたのだが、いつからだろう、モニタの明るさ設定が最高になっていたようなので、画像が全体的に暗めになっていたかもしれない。

睡郷沼のぬし 07/04/29(日)
色々×いくつか
◆茎 ◆草の蕾の、さらにその先の、”うどんげの蕾(華)”。きっとすぐ後に本物の花の方が開いたはずだが、どんな形になっただろう?そして、散る前に卵は孵る(た)か・・?◆オダマキのひっかかった落ち花弁◆屋根 ◆いつの間にこんなに日の出の方角が変わったのか・・窓から見える景色が驚くほど変わっていた。季節は確実に変わっている。◆羽◆穴の中の水◆粒粒山粒粒峠 ◆優曇華の花(クサカゲロウの卵)拡大 花の先の華
◆子供?本体は4mmほど。なごみ顔 ◆小さなシロホシテントウ捕食中。意図せず蛹の混じった草を持ち帰ったようで、別にしていたらこんなテントウムシが羽化した。◆タケノホソクロバ食事◆繭。上方にあるのは定規。金蓮花の葉に穴をあけていた小さな虫が2匹繭を作って巣立って?いった◆カノコガ雄と雌◆ナミテントウ乾燥中(まだ模様がない)◆ヨコヅナサシガメの背中。…モダン◆初恋草の鉢のひょうたん苔の森を食べる虫。顔だけは成虫のそれを彷彿とさせる。うっすら透けて見える脈?を数えると51。◆触覚◆何かの虫 雄と雌 ◆虫と穴◆ハナグモ。自分の体と似た色の花を選ぶそうで、私も、気づかず摘んでしまった。◆右下。先に繭を作った方のカプセルの上を歩く虫。金蓮花にいた虫。 インセクツ
◆生まれて起き上がるシダ◆金蓮花の横顔。香り良し◆オダマキの花弁◆苔の胞子嚢の殻◆舌出し(金蓮花の種)◆羽毛のようなシダ◆オジギソウ◆この種類のフロックスは姿形も香りも好きだが、30円の枯れかけた投げ売りで名前もわからず、また育て方も悪いので瀕死。種は出来るか否か・・◆野の花など。マメ科?のような黄色の花。紫の桔梗草、とても小さい。◆ホオズキの花◆ヨモギと綿毛◆スーパーで適当に束で売られていた切花。ブローディア(姫アガパンサス)だろうか?散る前に透き通り方が変わり、その時の透明感が印象的。挿し芽できなさそうなのが残念。
芽
上の1枚目の画像を編集したあとで、部屋にクサカゲロウが入っているのを見つけたので、一部画像が被るけれど・・。この部屋にこんな虫がきたのは初めてである。偶然。透き通る羽と薄い緑の体が繊細。目は虹色。(左下)幼虫(捕食中)は、小さい体で大きなアブラムシを次々に食べ、体液を吸い取られた獲物は放り投げたり背負われたりする(カムフラージュ材料)。これの卵の”優曇華の花”は、薄緑から徐々に色が濃くなっていく。白は抜け殻。(右下)イネ科の草の花。小さくて普段は目にも止まらないが、精巧。何となく似ている。
カゲロウ
◆雲の波 ◆クラゲ もしくは横顔◆ 雲の花 ◆空の線路 3枚にやっと収まるくらい、ずっと続いていた
くらげ
シダ・苔・着生植物とか未だに出ぬペットボトル鉢の芽とか。生育環境ひどく悪し◆実家からの芍薬。 一つシリカゲルでのドライフラワー用に。◆ペットボトルの蓋。落ち花
シダ
白銀のひととき。金蓮花の虫が羽化した。小さくてよく見ていなかったが、何の気なしに撮った写真を後で見ると、白銀で不思議な世界。下段中央は、シロホシテントウの乾燥中。左側は内羽を出している。外も内も真っ白で不思議な印象。
白銀
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植物を育てるつもりが、それらを食害する幼虫を見つけて幼虫達のための環境を整えてしまったり、 また植物についたアブラムシなどの対策に、天敵のテントウムシやクサカゲロウを見つけて連れてきたものの、結局いつのまにか、餌を絶やすまいとわざわざアブラムシを調達したりと。目的はいつのまにか、すり変わったりも。

きっと(色んなこともこんな風に)やがて進むにつれてじゅんぐりとすりかわり、時に重荷になってきたりもして、獅子脅しのように、ある時ふいにこぼれそう。なにかが積もれば積もるほどに。 穴あきが楽である・・・適度にかじられていたり、適度に枯れているくらいが。
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内の腐りきった宿根と主枝から逃れるように一枚の見えない無い葉をかすかに伸ばして佇み空を眺めるのみ。黴さえこない廃れた葉・場所だ。

睡郷沼のぬし 07/04/29(日)
犬さん>お返事待ちでしたか。インタビューする側って大変そうですね。どんな質問をするか選ぶのもセンスがいるし、また聞くだけじゃなくて、さらにそこからどんな風に受け取っていくか・まとめていくかって。相手がどんな大事なこと言ってても、それを理解する頭がなかったら、こぼれ落ちちゃう(自分とか)。
お互い話しながら高め合えることもあるとは思うけど、基本的には深みや容量があってまた敏感に色んな物を読みとれるような人だからこそできるんだろうなぁ。

2007/06/03(日)
あ、取材はまだ確定ではないです〜返事待ち。

睡郷沼のぬし '07/06/3(日)
犬さん>色々と変拍子で、ご迷惑をおかけしています。m(_"_)m  作家さんのことなどでした。思い出されましたでしょうか。  そういうとき・・・(とっても不確かだけど確かに何かが存在したり行われた、また知らない場所で確かに行われたことなど)、何でも知っていて確実に教えてくれる「神様」がいたらいいのに、と思ってしまいます。

取材、どんな感じでなさるのだろう。なんか、取材されたほうが逆に感化されてしまいそうな気も。あ、途中寝ないで下さいね。 世間に疎すぎるので、井桁裕子さんのお名前と作品が、ぱっと浮ばないけど、写真とか拝見した事ありそう。製作現場とかすごいんだろうなぁ。気が合うといいなぁ。。
あと、何の面白みのないとこなのにお気にかけていただいて恐縮です。自分には何にもないのが悲。何かを作り出せる人ってとても憧れます。

2007/05/29(火)
何か書き込んだのだけど(内容を覚えていない)
反映されていない・・・
うーん。そうゆうことにも意味があるのでしょうね・・・
これは・・・どうかな??
ぬしさん。いつも見てます。更新楽しみにしています。

2007/05/29(火)
相変わらずスゴイ世界なのですね〜〜
今度井桁裕子さんという人形作家さんに取材する予定なのですが
主様ご存知ですか?ちょっと気になったもので・・・

睡郷沼のぬし '07/05/21(月)
再び訂正 ◆3枚目の空の写真の、一つ目の説明は3ではなく(4)と(6)。
◆責めているのが切ないというのは、家族が本人を責めていて・・。
睡郷沼のぬし '07/05/20(日)
↓訂正 「アジアンタム」の「ン」が抜けていた
睡郷沼のぬし '07/05/20(日)
足元や空の現象、先日の逆さの虹もやっとメモ

下の写真の追加。水玉・胞子嚢・空・水玉の中の幻影・螺旋・いっしょに連れてって 雫
◆夕暮れの大きな空を羽ばたく◆アジアンタムの若芽が胎児の形を思わせた。銀杏型の細かい葉の裏に胞子嚢群ができる。ハート型の袋を破ってみると、中からたくさんの胞子嚢が飛び出した◆蕾  手が触れた一瞬だったろうか、次の瞬間に見たら、2枚もう開いていた。天に祈りをささげるような形の、或いは万年筆のような、開花を期待させるような蕾と、触った際の花粉の出方が印象的なイソトマ◆ハート型は人が考えたような気がしていたが、とても植物的な形のようだ。葉・蔓・オシベ・花弁、この写真では胞子嚢群までハート型。空き地の緑と赤の2種類のカタバミを抜いて鉢に植えていたが、暫くしてみると、赤い方の若芽色が何枚か赤→緑のグラデーションに変わった。日当たりのせいだろうか?◆カタバミにも双葉の頃。少し前に撒いた何かの種が芽を出したのかと思っていたが、小さな小さな本葉が開いて、カタバミだと気づく。・・・余談。私の島は子供たちの殆どが「ふたば保育所」に通っていた。絶妙な名前だ。◆ヒナゲシ 残り3枚◆桃色タンポポ 蕾のドームが透けていて、これから開く無数の小さな花弁がひしめいているのを予感させた。
羽・螺旋・胞子嚢・etc.
4)先日書いていた27日の逆さ虹(環水平アーク。前回見たのは環天頂アーク)上の丸いのが暈(ハロ)。その下が虹 右下に簡単な全体図。時間と供にいくつかの現象が現れたり消えたりしていた。 (2)丸い内暈とその外側の楕円型の外接ハロ。見つけてからカメラを用意している間に少し薄れた気がする。(右側しか撮れなかったのが残念。)濃い目の二重の輪の付近を鳥がゆっくり飛んでいたのが印象的だった。 (3)内暈と幻日環 (1)3の拡大。外接ハロと幻日環が交わったところも虹色になっていた。(写真では殆ど見えないけれど、下のほうの矢印) (7.9)幻日環。太陽の反対側から大きな輪が現れてきて太陽と繋がった。(図の中の一番大きい輪) 内暈と合わさると空に浮んだダルマのような形。 光
少し前に開花時期の終わったハナニラを一株買った。開花が終わったという以外に、売れ残りというのも合わさってか随分みすぼらしかったが、正規の値段だったので、価値は同じなんだと、後になって不意に納得したりも。

数日後鉢を見ると青虫が付いているのを見つけ、何も考えずに他の適当な樹へ逃がして(追い出して)しまったが、後で、残念なことをしたと後悔。青虫にも餌になる植物・ならない植物がある。せっかくこの草を見つけて何かの縁でここまでやってきたのに。地面とは離れている場所だったので、この場でサナギと脱皮をしたところだったかもしれない。単純にそれが見たかった気持ちもあるが、どこかへ飛び立つ前に、まずここの鉢植えの受粉も手伝ってくれてかもしれなかったと。貴重な客人だったはず。

そんなことがあってその後、青虫付きの小さな植物を見つけた時、殆どそれだけの理由で買った。翌日青虫を探すと根元に落ちてあまり動かなくなっており、不安を抱きつつ葉の茂る小鉢に移動させた。暫くして見るとまた落ちており、動きも不自然。このまま死ぬのだと思っていたが、何日も過ぎて見てみると、その鉢に一匹の小さな毛虫がいた。脱皮でもしたのだろうか?今思えば不自然な動きはそれだったのかもしれない。

余談。植物の中には、脱皮の促進物質を出して、食べられる期間を短くするものもあるとか。また、セイタカアワダチソウなどは他の植物の成長を阻害する物質を出したりするそうだ。新化の結果ではあるが、どこからどうなってそうなったのか、考えると気が遠くなる。(セイタカアワダチソウの方は、よく問題視されているが、そんな話を知ると改めて怖い・・)
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猫が苦しげ。電話してみると家族の体調も不調だとか。それなのに家族が自分を責めているのが切ない。皆無事でいてほしい・・
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9日の補足  9日の「たくさんの者達が」というのは、目を凝らすと、本当に色んな生き物がシダや蔓の間でじっと朝を待っていた。明るくなるにつれて虫たちがゆっくり大きな羽根を羽ばたかせる準備をしたりしていて。
ただし、朝を待ち急ぐというわけでもなくて、夜は夜でまた満ちている。 花が蜜をためたりするのも夜なのだ。
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透明なプラスチック容器に胞子嚢と水を入れていたら小さな芽?を出しているようだった。
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痛みにうなされて起きた。お腹に太い針が食い込んで突き刺さる夢で、激痛と傷口のほてり。目がさめて、ふわっと痛みが消えていった。最近このテの激痛の夢は減っていたが、今回も体のどこかの微細な苦痛が増大されて現れた夢かもしれない。食べたままねむったので胃が負担を感じていtのかもしれない。
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続きの写真はまた改めて(>自分へ)


睡郷沼のぬし '07/05/19()
お母様、いいこと教えてあげられましたね。プレゼントする時も、目を輝かせワクワクしながら、それは願いが叶うのだと話したりしたんでしょうか・・。その人(?)のお母さんの願いってなんだったろう?気になります。 そういえば、言い伝えの類って「○○したら願いが叶う」みたいなのが多いですね。それだけたくさんの人間が「どうにか願い事が叶って欲しい」ってことを思ってきたということなのだろうなぁ・・。犬さんにもあるのかな。リアルなのだと思い出深い建物を買い取るとか・・・?

四葉という単語が、「これだ」って思ったのですが、四月と十月のなかの犬さんの記事はなんかそこだけ四葉みたいな特別な存在に見えました。

2007/05/17(木)
先日母が公園で小さな男の子に逢ったそうです。四葉のクローバーは願い事が叶うのよ、と教えてあげたらその子は目を輝かせて探し始めたそうです。そしてあっという間にまさに一瞬で見つけて「これ母の日にお母さんにあげよう!」と言って駆けていったそうです。

睡郷沼のぬし '07/05/11(金)
その後、そのヒナゲシが生えていた場所まで歩いて行ってみると、他の株もなぜか枯れていた。そばに生えていた大量のレンゲに除草剤が撒かれて枯れていたので、あるいは農薬が飛んだのだろうか。少し前にレンゲを数本程シリカゲルでドライフラワーと押し花(シリカゲルで作るとそのままの色形が残る)にしてみていたのだが、押し花の方がわりと綺麗に出来ていたので家に送りたいと思って、あと数本作るつもりでレンゲを取りに行ったのだったが・・・少し残念。

睡郷沼のぬし '07/05/09(水)
たくさんの者達が、静かに朝を待っていた。秘密でも握るように硬く閉じた緑の掌を、光の粒が力もかけずに知らぬ間にやわらかく開かせていく。
呼吸
右)夜明けの黄色信号・・迷いの時。スレスレの極みをさまよう
朝露↑↓雨露 ◆写真は載せていないが、ある茂みの陰に、そこに生えている三つ葉(カタバミ型の葉)の多くが規則正しく3点だけに露をためている場所を見つけた。よく見ると普通のカタバミとは少し茎が違う様子。なんだろう?◆コケ   すっかり忘れていた。コケやシダが乾燥した場所で生きにくいのは、彼ら(前葉体)は泳がなくてはならないから、だったか。うちの高麗人参の畑は苔がびっしりと生えていたな・・背がもっと低かった頃は、もっと色んな物が普通に見えていて、苔の形なんかも今よりずっとリアルだったような気がする。◆雑草だったのを鉢に植えていたヒナゲシ。空き地はどれも朱色の花だったが、なぜか淡い桃色の花が咲いた(下段中央=他の株の蕾と比較)。元々和紙のような薄い花弁が印象的な花なので、さらに質感を際立てていた。また、日差しが変わったためか、花の首が一回転してしまった花がいくつか。開花後になぜかすぐに桃色の株を含めた数株が枯れてしまった。根付きは良く帰化危惧種にもなりつつあるそうだが植え替えには弱いと後で読む。しかも、受粉さえさせてやるのも忘れていた。以前、種が実るのを待っていた雑草が焼かれたこともあり、今回は迷った挙句抜いて持って帰ったのだが、虫媒花なのに受粉のことさえ気づいてやれず、自分が手をかけることに付随する責任というものを今更感じ届かぬ謝罪をしたり。 露
僅かな間だけ現れる水滴の門。 一生の間にもそんな門は幾つも存在しそうだ・・(日々一瞬一瞬もそうかもしれないが)。また反対に、一瞬に見えてそうでない物も色々。
露
植物の生態関連の本を少し読んでいて印象的だったこと多数。その中から少しだけメモ
◆植物が生きるのには虫の生態も深く関わってくるので虫の話も色々と出てくる。ツチコバチの♀は土の中のコガネムシの幼虫を食べるため、羽根がない。幼年時代は地中で過ごし、成長すると土から出てくる。フェロモンを感知した♂は♀のもとへたどり着き、飛べない♀を抱えて飛びながら交尾し、同時に地域の最良の餌場を、花から花へと数時間かけて巡り、♀の生涯の中で最初で最後になる花の蜜を味わわせるのだとか。

命の交換◆巨木やその他の茂る暗い森の中では木がいくら種を飛ばしても、芽生えることさえ難しい。そんな場所で木はどうやって子孫を残すのだろう、考えてみると不思議だったが、自分の死んだ体を利用させるのだとか。倒れた老木が朽ち始めたところに落ちた種はそこから発芽し、成長し始める。そのため林床に茂る植物に邪魔をされることもなく、また、朽ちた倒木は柔らかく水を含み水に困ることもない。そのうち根を伸ばし倒木を伝って地面からも養分を得るようになる。老木は朽ちながら徐々に若木に命を譲っていくのだとか。その若木も、最終的に生き残れるのは僅かではあるけれど。森に入ると、そんな風に成長した木が一列に並んでいるという一見不思議な光景がたまに見られるそうだ。

その他にも身近な植物の知らないことなども色々。植物(や動物など、生きているもの)たちの行動、形、その他あれこれ、殆ど全てのことには意味があるのだと改めて思わされた。

睡郷沼のぬし 07/04/30(月)
メモ しておかねば置き忘れてしまいそうでまたとりあえずの・・。 ちゃんと更新したいと思いつつなかなかまとめられず。 ある時撮り逃した場所「ほんの一点だけの決まったポイント」の露を最近何度か、再度撮りたいうと試みていて気づいたのだが、露・・・ことに日なたの中の露が細かく出来る時間は、思いのほか短いようだ。さらにそこにちょうど良い角度で光が入って来るのはもっと短い。誰も必要としてない一瞬ではあるけれど、おそらく同時刻に1分一秒を争っている人がいる。個々とは一体なんだろうね・・ 細かな一粒一粒が、そんな一刻一刻を感じさせました。 露
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最近の生活の中でなんだかいろんな意味で落ち込んだり悲しくなったり怖くなったりしてしまった
そんな中家からtel。あちらの空気が伝わってきそうだった。いまできることは、はやく家に帰れるようにすることくらいか・・

睡郷沼のぬし 07/04/29(日)
見えない関わり
覚え書き  左:虹の露に浮んだカラスノエンドウの蔓 右:波の上のかんしょう 目で見えないものの係わり合いもこんな風に見えたらいいのに。でも、逆に言えば、目に見えない部分にはこんな係わり合いで埋め尽くされてるんだな・・どこかで何かしらつながり微弱な振動を交し合っている。細く細くどこまでも...この世の全てが

昨日書いていた逆さ虹やその他の画像はまだそのままで、また今日も簡単にメモ。体がぼうっとしている。目はじんじん。反射して瞼から差し込んだ光が、逃げ切れなかったのだろうか・・行き場を失っている


睡郷沼のぬし 07/04/29(日)
じゅんさん>そうそう、開ききって散る寸前の花なんか、ほんと恐縮です。でもかろうじて間に合ったという意味ではすごく嬉しいです。のらくらしていて、牡丹はとっくに殆ど散ってしまっていたんじゃないかな。おそらく全部芍薬だったような記憶が。家族も喜んでいました。どうもありがとうございます。 そういえば、あの年はじゅんさんにとっては激動の一年だったのでは・・。まさかまた(比較的)近くに住むことが出来るとは。

じゅん 2007/04/28(土)
牡丹は前にもらったことあるよね。ありがとう。
思い出に残ってます。

睡郷沼のぬし 07/04/28(土)
露メモ 環水平アーク?(逆さの虹の低いところに出来るもの)や幻日環(幻日を繋いでできる大きな輪)など出ていた。何枚か撮ってみたので、鮮明ではないが、他の写真も合わせて、近いうちに。(写真=わたげ)
睡郷沼のぬし 07/04/27(金)
穀雨の下の巡礼者
穀雨というそんな名前がそのまま筆になって緑を描いていくようなこの季節。 明け方まで降っていた日の朝→◆コケ 露の分け合い ◆螺旋に巻き込まれた露。この蔓を何枚か撮っていたら、ファインダーの中で、ある時ふっと弾けて消えた。最後の瞬間。ふと周りを見たら、もうだいぶ雨が乾いてきていた。◆その他、雨露いろいろ 花弁、粒の中の花、ヒナゲシの種に写ったタネの穂、宝石、筵を押しのけて出てきた里芋の新芽。など・・・・里芋、ハス、チューリップの葉などは露が宝石のように転がってよく似合う◆開く◆草を伝って落ちる雫 ◆どの蕾も東の方向へ頭を垂れている。環境のせいか、どれもとても小さな体で、それが、密集してこんな形になっていたので、巡礼かなにかのようだった◆落ち花。雀のせいか?たくさん落ちていた。(雀は嘴が短いので、蜜を吸いたい時は花を切るそうで) ◆季節は確実に流れている。カスマグサ?も実を作り始めていた◆右下)13日の上段右よりの写真と同じもの。縮小で見えにくいが、すでに花盛りなりつつあった(この写真を撮ってからもしばらくたっているのでもっと咲いている。◆段中ごろの”巡礼者”の空き地から蕾のものを2本抜いて帰り鉢に植えた。翌日見たらもう花が散っていて驚く。彼らは彼らのリズムで厳然と生きているのだな・・
穀雨

露4/13のような3ツ露の葉。意識的に探してみると、雨上がりのせいなのかなかなか見つからない。あの時と同じ路地裏の同じ場所に行って見てみると、果たして、そこだけにいくつか並んで3つ露が乗ったカタバミの葉を草の陰に見つけた。

右は露の中に三つ葉の1枚が写っている。虫の開けた小さな穴に貯まった露に、その下の葉が写っているのだろう。写真を撮った時は妙に目だつ色の露だと思っただけで何も気づかなかったので、残念(編集中に気づいた)。知っていればもっと角度を変たり&クローズアップして撮りたかったけれど。
つづく

睡郷沼のぬし 07/04/26(木)
メモ 家から電話あり。あぁ・・。……学生時代に仲良くしてくれていた人から連絡あり。集まる予定があるとか。懐かしい名前。……先日は高校時代の知人が大阪にくるというので電話をくれた。……すぐにでも飛んで行きたいのに行けないというジレンマ。去年は実家の牡丹が見れたのに・・・。 すごく「悪い」気持。(悪い=方言かもしれない) 

すじ向かいの家に大きな2本の牡丹が植わっている。よく手入れされていて、冬場にゆきんこのように藁でかこってあったり。年々大きくなっていて、牡丹農家だった私は、なんとなくありがたい気持ち。何年間も密かに見てきた。
その前の農道で這い蹲って写真を撮っていたら、心配されて声をかけられた。話の中で奥には芍薬も植わっていると知る。牡丹だけではなく芍薬もとは、きっと私よりずっと色々知っておられることだろう。

そういえば、先日も別の場所で地面を撮っていて大丈夫かと聞かれた。
以前緊急事態のときに遠まきに見られたことがあったので、なんとなく救われた。でも、それ以上に、心配させてしまって、申しわけありませんでした・・>声をかけてくださった方々

睡郷沼のぬし 07/04/23(月)
空色々(過去の物も取り混ぜ)。◆虹色の羽。(蚊) 中段に拡大。羽の端は細かな毛になっている &血◆夜明けの月◆上段右端 鳥のような雲。◆色づく夏の雲など ◆左下 現象の名前でいえば、光芒というのだろうか、空に大きな影が広がっていた。◆鳥たち◆煮くずれ太陽◆飛行機雲の陰など(上段下段)。
スペクトル
植物色々。◆雨の夜、コマツヨイグサに溜まる雨水。携帯の灯りで照らして撮ったためか?光で閉じてきてカメラ時間修了。敏感。◆不思議な形と透明感のデルフィニウム。花の真ん中に、後ろのトンネルへつながる口が開けられているように見受けられる。蜜が奥にあるのかもしれない。◆蕾やほころび、など、いくつか。◆うぶ着◆麦 ◆右下開きかけのポピー。一枚メモに撮った後で後でゆっくり撮ろうと思っていたが、気づいた時には開いてしまっていて、残ったのはこれだけ。
花弁

コウモリ 13日に書いていたコウモリ。その後、再び。 (間違えて一部前回と重複)
強めのフラッシュと置きピンで、指定距離に来た一瞬に合うようにシャッターを切ってみた。暗くて早いのでフォーカス範囲を広げることが出来ず困ったが、何枚か撮れていた。右側フラッシュなし。鳥とは動きも空の明るさも違っていて撮りづらい生き物カメラが無かったら飛んでいる姿をずっとあまり知らないままだったかもしれないが、きっと自分の周りはそんなあまり知らない・気づかぬもので埋め尽くされているのだろう。

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最近、植物の生き方や機能などが色々と書かれている本を読んで印象的だった。動物と比べはるかに消極的・受動的に生きているようにも思える動けぬ植物が、実際はそれゆえに動物よりも積極的と思えるような生き方をしていたことに気づく。
生きている物というのは、全てが同等だ(同じレベルで互いに生きている)と強く感じた。
感情も、権力も崇高さも、そんな特権も、・・・夢の前の思考のようにあらゆるものをない混ぜにして考えてみれば、植物のもつものと同じ線上に横に並んでいるような気がする。
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つづく

睡郷沼のぬし 07/04/23(月)
犬さん>やはり体って、食べてそれを日々養分としているんですね。 食べる物が変わるだけでも随分変わるのだなぁ。治ったそうでなにより。 玄米菜食・・犬さんに合いそう。がさつというよりもスパット気持ちいい感じです。そして、また、丁寧な部分は丁寧ですし。無駄がないイメージ。
自分、治ると言われても食事を変えることすらできないかも・・。小中高のクラスメイトから何年ぶり?かに電話があり、どれだけズボラかを打ち明けて少し気が楽になったところでした・・

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あさん>
ありがとうございます。寧ろあさんに贈りたい言葉。ストレスなどでご無理なさいませんように・・そして側にはいつも最愛の人がいることを忘れずに。時には頼ったりするのもいいと思います。
私の方はその言葉と甘えを履き違えて来てしまった人間なので救いようなかったり・・
(あさんって、あちらにメールを下さったでしょうか。まだ読めておらずすみません。(&人違いならなお申しわけありません))

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(↓前の犬さんへの言葉に、誤字を訂正↓つもりが、却って前後のつながりがおかしくなっていました)m(__)m

2007/04/23(月)
ゆっくり生きましょうね。

2007/04/22(日)
とんでもない。ぬし様の繊細さのあらわれですよ!私は心身ともにがさつものなので、(マスクで)息苦しいのが我慢できなかっただけ。アトピーは玄米菜食で治したような記憶が・・・

睡郷沼のぬし 07/04/22(日)
犬さん>どうもありがとうございます。大変な思いをされましたね。そんな中での作業なると、かなりの量吸い込まれたのでは・・・?アトピーは今は大丈夫なのかな・・
マスク、私も安いのをとりあえず買っていたけど、実際はあまり使ったことがなかったり。

でも犬さんのそんな話を聞くと、なんか、ちょっとやそっとの弊害など苦になるような人間・・自分には、結局何も作れやしないだろうなぁって思います(--


2007/04/20(金)
犬です〜〜
私も石切り場でモザイク壁画の仕事をしていたときにアトピーになりました。それでもマスクして仕事するのが嫌でしてなかったな〜お気をつけ下さい!

睡郷沼のぬし 07/04/14(日)
いつの頃からか、ホコリで呼吸が苦しくなるようになってしまった。部屋が汚くなったことや、粘土(ヤスリ)作業など、ほこりの中での作業が多いせいもあるのだろうか。人形を作る人は呼吸器官を悪くすると、前にどこかで聞いたことがあるけれど将来的にはそれもちょっと心配。今のはただのハウスダストアレルギーだと思うが・・ それを理由にして1日眠って過ごしてしまったが、本当の理由はそれではなかったな・・

病院の帰りだといって、家族の写真が携帯に送られてきた。せつな・・

13日の朝は、本当ならずっと撮りたかった写真を撮るのには滅多にない機会だったと思うのだが、撮れずにしまい、残念。同じ時はめぐってこない。見れたかもしれないものを思い浮かべる。同時に、写真機を手に入れた瞬間人は駄目になるような気も少ししたり。

ヤフーのインターネット検定というのを知り、無料期間だったのでいくつか受けてみた。認定証はもらえても何の役にもたたなさそうだが「定規」と照合できるいう意味では良いかも・・無料だし。

(補足)↓13日の「シュート」「モジュール」というのは、後で辞書で引いてみると詳しく載ってなかったので補足。植物に関する単位に関する用語。


睡郷沼のぬし 07/04/13(金)
最近住処の周りで見たものなど。絡まる、露、大きな翼、吸われる、散って咲く、虹色螺旋、コウモリ、見上げる、止まるのも進むのも、そんな欠片など・・   日にち、朝や夕・夜など、期間はバラバラ。 ため息(悪い方の)をつきながら見ている時は、自分のいるのとは違う世界のようだが、たとえどう関わろうとも、自分も確実に1ツのピース(*下5セット目)なのだろう

◆ツツジ系の花。日陰の中、花弁の透明感が印象的。◆溝川べり ◆その他色々(HP用なので、掲載はどれも(いつも)きちきちのトリミングばかりになりがちなのが残念。本当は空間と供に存在していた)     シュート モジュール シュート モジュール シュート モジュール シュート モジュ・・・・
3つ
3ツ乗った朝露。全体を撮りたくて、2枚目に他の草を少しよけて撮ったのだが、再び撮り直そうとした時、振動で露が1つ転げ、その後さらに全部が落ちてしまい、撮れたのはこの2枚。(3枚目は少し転がった時点)。ありのままの形でじっくり撮っていれば良かった。 結局一番最初に何の気なく写したものが一番マシになってしまった。
蔓
◆絡める。何かと何かが、何かによってふっと絡められるなんていう、そんな運命(出来事)なんかも、形になればこんなふうだろうか・・◆小さな球体宇宙。イネ系の芽の葉の隙間。◆あぶく (蕾)◆ツクシ・・インプットされた「伸びる」ということ◆製造工場◆天道虫土へ還る。ひそやかである (◆(スペースに入らず写真削除)雫の繋がりがギミックのよう)◆雫の列◆どうしてこんなことになったのかわからないけれど、花の先の死骸
絡まる
空色々。◆空の鳥。朝外を見たら大きな翼が広がっていた。(右下の写真も同日朝。他の雲が流れてきてクロスした。)◆同時に東から現れた二機。交わり引かれた線は、この後、片方は真っすぐ、もう片方の線は波線を描いて西に落ちていった。空の風が違うのだろうか。◆中央)切れ切れになった飛行機雲が、染色体の切り抜きのようだった。・・・高校の部活の時やらされた手伝いの作業。いくつか渡された染色体の写真の中に写った染色体を一つずつ全部切り抜いて、長い順に並べて貼っていく。研究の内容は知らなかったが、良い研究だったらしい。自分の中に残ったのは細かい切り抜き作業を終えて厳しい先生にほめて貰ったことくらいだけれど。
1枚
住処の前のお寺のあるとても小さな小山は、お地蔵(たくさんの地蔵(お墓?)で埋め尽くされているので静か。山頂の桜の下に立ってみると、どの樹も、唸っていた。夥しい数の小さな虫たちの羽音が集まった音なのだが、これが木全体から振動を感じるくらいの束になって伝わって来る。全ての動植物がそれぞれに、生態系の中のピースなのだと思った。 深く積もった木の葉の下から次のピースが生まれてきていた。◆地面と花弁の間の隙間に入った露が不思議な模様を描いていて、地面を含む全ての物の呼吸や息吹を感じさせられる 1枚
花弁  樹の花が落ちて、水に写った樹に、再び、花を咲かせていた。さざなみの花 ◆(右下)陰と陽
花弁
虹色螺旋
◆虹色の螺旋 ◆理由はわからないけれど、ぼやけた水滴をよく見てみたら、螺旋模様になっていた。(元はスギナの水滴。細く細かい葉の全ての先端に露が出来て、肉眼だと、それがあちこちで虹色にきらきら光る。写真に撮るそれが感じられないけれど。)◆左下)虹の糸の城のような巣を作る種類の蜘蛛。中央で、体液を吸われていた虫の虹色の片羽が小さく深く光っていた(右下 蜘蛛と羽)。 虹色螺旋
蝙蝠
メモ/コウモリ  日没頃からチラチラと空を飛んでいるもの。だいぶ前に「夕暮れに飛ぶ物があり気になっていたものを、ずっとコウモリだと思っていたが、蛾だったと気づいた」と書いたことがあるのだが、ふと写真にとってみた。薄暗くなってから小さい体で空を飛ぶし、飛び方も敏捷かつ蝶のような予測できない飛び方をするため、シャッター速度などが追いつかないし、またファインダーに入れることも大変なので写真に撮ることなど考えなかったが、外を見たら飛んでいたので、とってみた。いくつか撮れたものを見てみると、やはりコウモリだったようだ。感度を上げて撮ったので画像が荒いけれど、形はそれっぽい。蛾ではないしクチバシもなさそう。薄暗い空に目を凝らすと同じくらいの高さにかなりの数が飛びまわっている。近づいた時に、チカチカという独特の音が聞こえたりする。
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下へ続く(画像サイズの違いのため)

上の続き  ◆見上げた空 夜の養分を吸って菌類のようにやわらかく空を埋め尽くしてしまいそう◆赤と青見上げる

睡郷沼のぬし 07/04/12・13(木)(金)
雨の見た夜明けの夢さん>
いいな、「虹の塊」って見えるようなものなら、かなりはっきり出ていたのでしょうね。先日、山陰と山陽の違いでも頻度が違うのかもね、と話したばかりだったので、まもなく雨の見た夜明けの夢さんが(一瞬でも)そんなしっかりした幻日を見れたのが私も嬉しいです。私が出会うのは、窓の場所の関係で朝のものばかりなので、私も見たかったです。天窓のある家とか住んでみたいです(屋根無し以外)。
赤いのは、近所のスーパーの小さな池のあぶくでした。夜、たまたまカメラを持ったままベンチに座ったら、ちょっと印象的で。下降気味の気持ちだったからかな、なにか人間の生命の根源みたいなことをぼんやり色から連想したりして。

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あっちゃんさん>
ご心配かけてすみません。(調子が悪かったのは”両親”というわけではないけれど)お蔭様で電話では少し良くなったといっていましたが、もともと1人はそんなに体調よくなかったりもするし、風邪は他の高齢の家族にもするので、心配は消えなさそう。

桜はあっちゃんのほうがリアルに&身近に感じられていそうですね。職場の近くなどにもたくさん植わってたりするのかな。私の一瞬などいくら切り取っても空虚なものだけれど、あっちゃんの一瞬一瞬は、実際、未来まで続くような力を持っていて、なんとなく桜吹雪とイメージがリンクします。

雨の見た夜明けの夢 2007/04/11(水)
つい最近、車を運転していて、スロープになってる陸橋の頂点の位置から、真っ赤な空と夕陽が見えて、その両端に、虹の塊のようなものが見えて、同乗者も声をあげました。しかし、車を停止させることはできず、下に降りてから、店の前に車をとめ、外に飛び出して、走ったけど、その低い位置からは、さえぎるものが多すぎて、確認することができなかったよ。一瞬しかみえなかったけど、かなりはっきりとした色だったし、感動の幻日。ところで、交差する飛行機雲の右の赤い写真はなんの写真ですか。水に映った夕焼け?綺麗な色。

あっちゃん 2007/04/07(土)
逆さ虹きれいですね。
桜もきれいですね。
心に留まる一瞬を切り取るって大変ですね。
だから輝くのかも。
ご両親心配ですね。

睡郷沼のぬし 07/04/05(木)
家に電話してみると、家族が2人ダウンしており心配なり。

30日の覚え書き追加
睡郷沼のぬし 07/04/03(火)
桜系の花など、月、雨 雲など。  自分が桜を撮ったのは去年まで殆ど記憶にないと気づく。今の仮の住処の前の道・・右の土手に桜並木、左に古い山桜の大木が何本も植わっているのに。カメラと鬱屈をぶら下げて根元に立ってみた今年。日没から暗くなるまでの短い時間、空の残りの明るさを気にしながら何枚か撮って時間の短さを体感。大きな夕闇の雲が、空をじわじわと侵食していた。数日後に「あの山桜はああ撮るべきだった」と後悔して同じ所に立ってみると、もう枝は葉ばかりになっていた。まだ蕾でまばらに咲いていたときの大木は、紺色の空の中で星のように見えた(写真なし)。
夜花
最初の1枚、最後の1枚 きっとどちらも同じ事 (右の背景のグレーは墓石の色。広い墓地と菜の花。何の意図もない)
1枚
クロスした飛行機雲。誰かと誰かが何かの思いをそれぞれ持ちながらそこですれ違ったという確かな証拠は、あっという間に風で掻き消えた。日が落ちると薄い和紙のような雲の塊がどんどん流れる夜で、ぼんやり滲んだ月が水に落とした宝捜しの宝のようにゆらゆらと空の海を浮き沈み。見ていると、どちらが闇なのか雲なのか、分からなくなっていく。
夕
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見たものなど。◆忘れ物。借りた「葉によるシダの検索図鑑」の間にシダが挟まっていた。前には古本屋の本に楓と銀杏が入っていたことや、また手紙の時もあった。本の中に開いた違う物語の扉のよう。 どんな人がどんな気持ちでこのページを開いたのだろう。忘れ主に、「ここにありました」と伝えたい衝動◆リボン 何を包んでいたのか、用済みのリボン。忘れ去られて少し寂しい。道の隅に吹き寄せられていた◆桜の枝にかけてあった鍵。何が開く鍵だろう◆コップ色々 ◆虫文文虫 ◆雨どいとカラス◆天へ続く塔
忘れ物
(塔の全体の拡大写真。一瞬ここに住んでいた。小さく無数に連なった窓のどこかの向こうに自分もいるかもしれない)
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折れた枝の先からも開花。DNAに従いて
折枝 
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DNADNA・・そう気にすることはない自分の悩みなどDNAの前ではなんでもないこと
今年の春は落ち込みまくっていてぼろ雑巾のようだ・・・ そうやって落ち込んでいることもまたひどく嫌で悪循環。
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頭痛が治る着信音(音のファイル)を見つけ、携帯電話に保存していた。最近二度ほど頭痛の際に、薬が無かったので聴いてみた。偶然かもしれないが暫くしたら痛みが殆どなくなった感じ。
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前回の更新で「暫定」と書いておきながら、そのままになっているので・・補足を。左上の月と星。知らずに撮ったが、あの日は金星で話題になっていた日だったらしい。

メジロの地鳴きは弱弱しくピヨピヨと鳴く。特徴的と書いたのはそれ。甘い物が好きでミカンで餌付けするとのこと。

睡郷沼のぬし 07/04/03(火)
huukoさん>今日も早くにお目覚めだったようですね。今日はたくさん眠れると良かったですが・・。明日はついに華とんぼ展、一年はやいです・・。ガラス作品、見に行きたいなぁ・・
>カミソリの刃がさっと横切った
私はhuukoさんの日々の視点こそにそれを感じてしまいます。本当に様々なことをいつも感じられていて、はっとする一言などが散りばめられていて、色んなものの奥を見つめられているのだなぁ、と。(甘ったるい自分が恥ずかしくなります)。写真といえば新しいカメラの使い勝手はどうでしょうか。撮るものが撮るものなので、カメラ選びも難しそうですね。そんな中でカメラやPCと、何でも使いこなしてらして、その点もスゴイです。

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30さん>
>春になるとなぜか
それだけ外の世界に心が開かれている(じかに感じられている)からではないかな。春って日本人にとっては特に色々感じてしまう月ですしね。でも春って心が穏やかな年はすばらしい季節だけどそのせいか心が穏やかでない年はなんだかとても苦しい季節にもなったりも。
誕生日は1月でしたか、おめでとうございました。私も1月なんですが前は嫌だと思っていました。今はそんな風に思わないけど、代わりに中身が伴っていってないので、できれば中身が追いつくまで暫く歳をとりたくありません・・・その思いが強くなってきました。

30 2007/04/02(月)
四月に入り世の中では春ですね。睡郷沼のぬし様のお写真も春を感じます。春になると何故か私は一つ年を重ねたと思い知らされる感じがいたします。誕生日は一月なですが…     睡郷沼のぬし様のお写真を見ていると暖かい気持ちになり心が癒されます。

huuko 2007/03/31(土)
いろいろな写真
真夜中というよりもう直ぐ夜明けの時間
なぜか写真に引き込まれる
カミソリの刃がさっと横切った
そんな感じが飛んでくるときがある

睡郷沼のぬし 07/03/30(金)
取り留めないメモ
とても久しぶりに呑んでみた。逃避できるかと思って。1人一気に流し込む。残ったのは虚しさくらいで後悔。
・・・と書き始めて、・・・返却してしまって忘れたが、斜め読みしたある本の中の、ハス喰い人?の項目を思い出した。たしかホメロス?の話などにもエピソードが出てくるのだったか、そんなことを調べている人の書いた章。日本の蓮や睡蓮とは違うもので、麻薬のような作用があるものだとか。

以前外国を取材した番組で、夜になると不思議な飲み物を求めて集まって来る人々を見た気がするが、彼らのそのときの表情と、まだ読んだことはないが、そのハス喰い人の顔がなんとなく重なった

睡郷沼のぬし 07/3/23(金)
暫定メモ。 こんなものなどの更新をしたかったけれど、少し時間がかかりそうなので、思いつくものをいくつか適当に集めて暫定メモ。旬のものなので。   (この山桜(=葉と花が同時に出る)は、一足先にだいぶ散ってしまった。本当はこれからが桜の本番だと思うが既に一年分を見させてもらった感あり。そもそもここ何年も桜をまともに見たことがなかったし、見るのが辛い気もしていた
些

睡郷沼のぬし 07/3/23(金)
96さん>どうもありがとうございます。もぐらたたきみたいでした。けど、人の家の前だったので、写しているほうの自分がひやひや。

透明色 面白い(気づかないようなこと)ことを考えますね、ニュートンみたい。それが出来たら何に透明色をつかうのかな?まずは96さんの作品で。

96 2007/03/22(木)
お久しぶりです。

●どこ そこ ここ
可愛いですね、クスリと笑いましたよ。

●水玉色々
綺麗ですね。
余談ですが、世界初で誰か「透明色」を作ってはくれないのか…。(笑)

睡郷沼のぬし 07/3/20(火)
メモ  変な偶然の成り行きで、近所の川辺なのに人からは見えない(降りられない)ような死角で、ひっそりと咲く満開の山桜?の下にて、メジロ?の大群(うじゃうじゃ)に頭の周りを囲まれた。あんな場所があったことも、あんなふうに鳥が一斉に蜜を吸うということも知らなかった。あの場所を自分が見つけたのは今考えても不思議。なぜかちょうどSDカードを買った直後で、少しメモ画像を撮ることが出来たので、機会があればまたそのうち。

前の日に、知人とアンテナの話をしていたところ。心にアンテナが張られるだけでたまに偶然のように物事が動くときがあるね、とか、また、下に書いた「見ようとしてなければ何も見えてない」ということなど。今回再認識。桜の花びらを見ても、最初全く何も気づかなかったし、あの鳥独特の小さなさえずりも、意識するまでは、雑音に紛れて全く聴こえていなかった。桜の下でその音に気づいてからは、探知機のようにキャッチしているのが不思議だった。

睡郷沼のぬし 07/3/20(日)
葉の先端を歩くゴミのような小さな蜘蛛の背に背負われた極小の水玉。見ているうちにもさらに小さくなっていく(掲載外)。無意識に頭の中でつぶやかれた言葉は「水ってこんなにも小さかったんだ」・・と、自分でも驚くほど未熟な感情表現と理解。
◆水玉色々 ◆故郷にも生えていた草など ◆まみれる 花粉 放縦の園・・・ ◆開き ◆(右下)譜面 五線譜 音符 日の出と供にクレシェンドされたその曲はそちこちで大きく共鳴し合いながら小さく小さく消えていった。紡錘型の響きの残音をなぞる
些
右下の画像、水玉と線を読み取って本当に曲に出来るのではないかと、編集中ぼんやり考えた。雫が落ちるところの音符や結合する音符なども交えたらどんな感じになるんだろう・・と思うと聴いてみたくなる。・・・そこはイメージにとどめておいた方がいいかもしれぬが。
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逆さの虹(環天頂アーク)[1]、幻日[3]、  白い龍(別の日)
虹
17朝、「今日は何か見えるかも」の予感はあったものの、面倒で空も見ずにいた。だいぶたってから何となく見てみると幻日が出ている最中で慌ててカメラ。幻日の方は鳥が色彩の前を通り過ぎるのを待っていたけれど、時刻的にか殆ど飛んでおらず断念。何十分か出ていて「そろそろ終わりか」と思った頃にたまたま上を見たら、環天頂アークも出ていた。もっと早くに気づきたかったところだけれど、「間に合ってよかった」方か。アークは何枚か撮ったら消えてしまった。画像の数字[2]は内暈。    その後残念に思い他のサイトで17日の記事を見てみると、本番は午前よりも午後だったようだ。また16日にも見れたとか。17日ゴゴのものは、とてもよく、またかなりの長時間、色々な物が現れた様子。幻日環,環天頂アーク,内暈,あと外暈(ラテラルアークとの説も)など。 午後の物はこちらのサイトに。 そよ風つうしん ) 虹色通信掲示板)←17日は奇跡とまで書かれていた・・・ますます本番を見たかった。

午後4時過ぎとなると、「いまだよ」とでも言われなければ今の自分にはなかなか気づけない時刻かも。これだけではなくたいていのことは何も知らずにいるのだろう。見ようとしなければ何も見えないという小学時代の何かのセリフを思い出した。

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花弁 奥 つくししずくしずかすぎのこの原 奥 花弁
花弁
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どこ  そこ  ここ
どこ
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睡郷沼のぬし 07/3/16(金)
(上段左から)◆残り1枚・・・でも開くと終わり・・それが次への時間に繋がっていくものだとしてもどこか寂しく。このくらいでいい ◆朝露の、合わさって落ちる寸前。 せめぎ合いの前で出来ることといえば、こうやってかすかに覚えておくことくらい。◆ほころびの奥には  ◆(下段)花弁の隙間の劇場 ◆まだ開かぬ若葉たちに包まれた朝露 ……の奥の住人 ◆水パズル ◆飛べない蝶が蝶を呼んでいる
刹那
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(右端)煙と雲が繋がる瞬間。雲は毎朝こんなしくみで作られていたのか・・ と、思考はどこかへ行っている。
そして気づけばたまたまその朝に撮った日の出の写真が、一面に煙が立ち昇るような雲で・・。 しくみ
空で孤独を感じたあいつは、今自分が飛んでいる空が、数時間前には、一面大きな鳥になって羽ばたいていたのを知っているだろうか・・ 懐に包まれて飛んでいるんだ
ふところ



  静かな羽ばたき

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あやとり拡大  たくさんの小さな手のあやとり。(種の抜け方はタンポポに似ている) 先端の小さい掌をそれぞれいっぱいに広げてみんなで作っているけど一人ずつ手が減っていくの。最後の手がなくなった頃に、中央で指揮していた透き通ったあめ色の体はいつのまにか朽ちていて、代わりにその体を受け継いだ者達が知らない場所で綾とりの糸をまた静かに繰り始める
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埋もれる拡大   繰り返されてきたこと 粘膜...光の足跡 埋もれる ハーレム
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結晶拡大   コップ日記 砂糖を入れた。 教えられたわけでもないのに法則によって微妙な角度を保ちしだいに形作られていく結晶。繊細な羽毛のよう。感情という名の科学現象の存在が貴重だとは感じつつも重苦しかったり・・・
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そんなことを考えながらたまたま開いた本で目に止まった一行
「‥‥痛みに反応しないものはみんなより不完全な生、植物の生を生きるものだ。 奇妙なことだ。この世界では、苦痛と完成とは互いに求めあう」 ファーブル  植 物の眠り
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その他メモ 山村暮鳥 風景 純銀もざいく 「いちめんのなのはな‥‥  (省)」
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(別の覚え書き  あるイメージが浮んだ)
「想像力というのは、たとえば、種を植えた土地を眺めながら、そこに花が咲くこ とを願う気持ちのようなものだ。べつに突拍子もないことじゃない」 塚本氏

睡郷沼のぬし 07/3/15(木)
30さん> >「なぜ、こんなものを大切に」って、私もそんな箱ありました。ミカンの網で作ったリンゴ、カエルっぽい形の石、綿を糸にしたの、とか・・・そんなものを入れてた気が。30さんのその記憶の箱そのものは、今はもうないのかもしれないけれど、心の中にはひっそりと健在しているみたいですね。
ぁでも自分の写真は、そんな純粋な物じゃないですよ。雑記代わりに撮ってそのまま自分でも忘れてしまったり消えてしまったりするので、たまに何かの形で引き止めておかないと、なんか不安になって。
階段は大阪のとある廃校舎でした。木造なので懐かしいのはそのせいもあるかも?ちょうど良い季節&時刻に居合わせたようで、たまたま撮れたみたいです。

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雨と夜明けへの憧憬さん> あれ、どうしちゃったの。私の行動とかご存知のはずなのに。しかも私が言いたいセリフなのに。サイトの方を拝見しながら色んな物の複雑な関係をシビアに感じられる心ってすごいなと、ちょうど感じていたところです。
「幼い頃の記憶のような」のは、簡単なことしか書いてないからかもしれないです・・。よく感じるんです。頭の中身ないなぁ・・って。写真の方は、なんとなく、近距離とか見上げる形が多くなっちゃって、幼い目の高さになってるからかも。
月は、雨と夜明けへの憧憬さんもですか、白い月がうっすらと空に浮んでいるのは、印象薄いのに印象的ですね。夜、「月だけが頼り」ってくらい光っているのに、夜明けとともに様子が全く変わってしまって、どれだけ弱い光を頼りにしていたんだ、と驚いたり。逆にいえばそれだけ闇が深かった、ということなのかもしれないけれど。

雨と夜明けへの憧憬 2007/03/12(月)
わたしは、ほんとにほんとに、睡郷沼のぬし様のようになりたい。表現者として、のぬし様に、ずっとずっと惹かれています。
下で30様が書かれていた、"心の奥底「昔、幼い頃の記憶の様なもの・・」に忘れ去らせた何かを感じる凄く魅力のある文章とお写真です"は私も同感です。
心の中にある、針の先程の、大切で切ない点を、呼び覚ます何か、です。文も写真も。
テントウムシの写真と文、凄くいいです。あと、半月になる数日前の昼間の白い月は綺麗でしたね。わたしも何度か見て、綺麗だな、と思っていました。写真の、ピンクの雲と青い空と白い月と木々の陰が現実じゃないみたいな美しさで凄いです。

30 2007/03/12(月)
睡郷沼のぬし様>(過去更新した写真をいくつか寄せ集めた)
私は好きです。昔、子供のころの自分の玉手箱を見てる見ている感じがします。かたずけが苦手でよく母に「かたずけなさい!」と叱られて、ひとつの箱に大切なものをとりあえずしまい込み、いつしかその存在自体忘れ。何年かしてから開 けて見ると「なぜ、こんなものを大切にしまってるのだろう」 でもひとつひとつ見ていくとそれぞれに思い出があり楽しくなりました。
睡郷沼のぬし様のお写真もそんな集合体なのでは?素人の感想ですけれど…とくに階段の写真、わたし好きです。懐かしい感じ…

睡郷沼のぬし 07/3/11(日)
なんのために作った(過去更新した写真をいくつか寄せ集めた)か忘れたけれど、ふとパソコンの中で見つけたので、ただアップロード。
サンプル拡大
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空気が鉛のようで嫌だ・・     嫌だばかりが積み重なってきっといっそう鉛のような空気になるのだ・・この空気の一部を薄く切り取ってプレパラートにのせて顕・・

(34つめの画像表示がおかしかったようなのでそこだけ修正)
睡郷沼のぬし 07/3/9(金)
何枚か。月と氷と春など。はじまりと終わりのまじわり
月
東の空の闇の向こうから太陽がきらびやかで神々しい光に包まれ現れはじめた同じ頃、
西の空では、夜がひそやかに終わろうとしていた。
・・・いや、夜(月)が向こうの未知の夜へ入っていった。取り残されたような寂しさ
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左)どっちが本当の世界なのか。本当って何でしょう。
終わりは始まり
右上)おしまいの月と、残り花   下中)谷の主(鳥)   右下)ああ、さようなら
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氷。みんな冷たい化石の中。テントウムシの背内側に小さく透けて見える水滴が、寂しさをかきたてた。そんな容赦のない厳しさの輪郭を、朝の光がきらきらと縁取っていった。
氷
何日か前の夜、夜中の暗い花の下、ぬかるみで滑って転んだ。片足靴が脱げてしまい、裸足の足はぬかるみへはまった。仕方なくはだしで歩いたのだが、驚くほどの地面の冷たさ。地面に還るって、とてつもなく寂しいことなのだね、と思った。お墓に毛布をかぶせようとする誰かを想像する。
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春
左上)何かのギミックのよう 上中左) その中の竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける・・・作者の家はこんな藪の横だったかもしれない。 左下)空へ続く 下中)ホトケノザの原の露 右)中のシベが蛇の下のように待ち構えていた。きっと単純なこと


睡郷沼のぬし 07/3/9(金)
30さん> >過去が嫌い。過去を振り返る事の出来ない臆病な人間です。
そんな気持ち抱えながらでも、一番肝心の「今」こそを丁寧に生きてらっしゃるように思えました。そしてそれが豊かで敏感な感情にそのまま繋がってる気がしたけれど違うのかなぁ。今を素直に感じられる人ってとても憧れます。それが出来た時もなくはなかったから、一段と。
自分はほかでもない「今」から目を反らしてしまって、いけません(=必然的に未来も)。自分という駒を進められるのは自分しかいないのにねぇ…
*p.s.ご連絡先を存じ上げないので、事務的なことで30さんにはご不便ををかけしております。m(__)m

30 2007/03/06(火)
睡郷沼のぬし様>早速のお返事有難う御座います。お会いできる事が実現するなら是が非でも見つけたいです。         睡郷沼のぬし様の文章とお写真には何か私を惹きつけ、考えさせ、心の奥底「昔、幼い頃の記憶の様なもの・・」に忘れ去らせた何かを感じる凄く魅力のある文章とお写真です。 「どこか私に似ている所があるのかな…」そんな事を凄く感じます。     {「丁寧に」生きてらっしゃる方}!! それは絶対にないですよ。過去が嫌い。過去を振り返る事の出来ない臆病な人間です。

睡郷沼のぬし  
あの時風がふいたひょうしに舞ったのは、花だったろうか蛾だったろうか・・
睡郷沼のぬし 07/3/6(火)
無言の谷の花気と蛾。
月光 羽音
考えたくないことを闇に捨てるような気持ちで、薄雲で霞んだ光が降る夜、田んぼ谷の真ん中の木の中から月を見上げていた。紺色の闇の中で、静かな光を受けた花の微香の間を、音もなくふわふわと動くものがいた。スローモーションのように。体ほどもある花の蜜を独り占めする姿を見ていたら、一瞬「秘め事」という単語がうかんだけれど、そんな上辺の言葉のものではきっとない。

気付くと、あちこちで時折ふわりと視界の一部が小さく波立つが、姿を見ようと目を凝らすと既に見失っている。そのうち、この花すべてが蛾なのではないかと思えてくる。闇にとけた世界の境界が曖昧になっていく。自分もいつか蛾になって、とけて消えよう

(写真左下=) 雑木の隙間を飛行機雲の糸が縫い上げていった。先はどこへ繋がっているのだろう。あれを掴めたらこの闇の中から引き上げてもらえたりして、とは、ありえない希望。
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寺
夜、今の住処の向かいにある小さなお寺の階段の向こうの真っ暗闇へ吸込まれるように消えていった人。祈りだろうか、皆それぞれ何かの気持ちを抱えている。
それを見ていたら、いつだったか、私が夜のお寺に行ったときのことを思い出し、懺悔させたくなるような自分への嫌悪を感じた。自分が何を考えながらあそこへ入ったか・・ 言えないけれど

(右上=)いつも月と間違えてしまう外灯の裏表。
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赤目
(一枚目の)その田んぼというのは、ちょっとした谷のようなところの中に広がっており、灯りもなく、夜になると真っ暗な雑木の陰で取り囲まれる。木の枝を透かしてちらちら光る遠くの塔の赤い光をみていたら、自分は見知らぬ子供になって、「あそこに赤目の怪獣が」と、怯えているふりをしていた。
(上=下の拡大)


睡郷沼のぬし 07/3/5(月)
30さん>その後どんな日々をお過ごしでしたでしょう?あの安絵具のことまで気にかけてくださってたなんて本当にどうもありがとうございます。見つけられた場合ですか?もし可能(&ご興味もおあり)なら、そのうちお会いできる時まで、代わりに遊びで使ってみてください。それで、いつかそのお古を買わせてください。元々お古って好きだし、他のかたにも気楽に楽しんでいただけたらなお嬉し、です。

>「無駄な時間は無い」
そうですね、たとえ止まっていたとしても全てが等しく前へ進み、また次の時間やステップはまさにそこから枝を延ばしていく。結果的に無駄な物は私も何もないと思っています。
ただ自分に大きく落胆していて、そこへの苛立ちなんかが大きいんでしょう>私。 失敗などよりずっと以前のところ。それは結局、無為,浪費とか裏切りというものに分類される自己嫌悪。その場合でも、そういう今があってこその未来は自動的に続いては行くでしょうけれど、私などは自分次第でもっといい状態の今というのは容易に作れた(る)のだから。無駄というのはその努力もしない自分への言葉かな。
30さんのメッセージを拝見して感じるのは密度。「丁寧に」生きてらっしゃる方のように感じます。強く尊敬します。

ぁ、メールとか、それ、私も。送信ボックスには書きかけ、書き直し、さらには送信を諦めたメールばかりが並んでます。ちょうどこれを書き始めたの四日の夜も、一年もの間書き終わらずにファイルを開閉し続けるだけで出さずにいた方からメールが来たところです・・。

>どんな人でも今夜空を見れば同じ月。
これ、同じ時刻に私もその月を見ていたかもしれないです。その後すぐ雲が出てきて空を覆ってしまったのですが。30さんはどんなふうに見えたのだろう、私には思いもよらぬ、もっとずっと奥の表情を読みとられていたのかなぁ。

30 2007/03/03(土)
睡郷沼のぬし様 お久しぶりです。前に書いていた絵の具のお話以来ず〜っと100均ショップに行く度に探している30です。(見つかってもお渡し出来ないのに・・・でも、見つかったらお知らせしますね。)月・私は月を見ていると時間を 忘れそうになります。(マイペースなので・・)  無駄な時間は私は無いと思います。寝ている時も、仕事に失敗した時、そして私の場合メールを書くのに人の何十倍も時間がかかり、それを何度か操作を誤り消してしまった事もしばしば 。でも、書き直しているうちにいろいろな文章や伝えたかった事などが増えて行くから。無駄ではなたっと思う。(私だけかな・・)仕事などは、失敗をしたからそのほかの間違いや、他にいい案が出たり。眠ている時は夢でいろんな世界を模擬体験できる場所だと思っています。  月を見ている時には(この瞬間の、この同じ月は絶対に見られない)と思うので、なんだか得をした様に感じます。 (これも私だけかな)・・・今、私も月を見ています。睡郷沼のぬし様の見た同じ月。場所は違うけど、どんな人でも今夜空を見れば同じ月。

感じ方はそれぞれだけど月は一緒。  [撮り逃した、ある時刻ある場所の月]…
私もその月を見てみたい… 睡郷沼のぬし様の思い出の中の写真。

睡郷沼のぬし 07/3/3(土)
何かいくつか書こうとしていたのだが・・ 忘却のかなたへ
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透月の明るさに、節句の花弁を透かしてみたいと思ったけれど、花がなかった。代わりに飛行機雲が風で太く横にぶれ、ちぎれ、月を透かして横切っていった。

そんなに前ではないが、いつからか月を待っている。だいぶ前に撮り逃した、ある時刻ある場所の月。日々30分も出現時間が変わる上、天候も、そして私の居場所も関係するのでなかなか出会えない。月の時刻表を広げて、まだ先だの、もう少しだのと考えているとしかし、その間にどれだけの時間が動いたか(というより無駄にしたか)を思い知る。
目を凝らせば、時間の層が、自分には思いも付かない軸にそって厚く隙間なく流れていたりするのだろうか・・かき分けて、行きたい所がある。せめて透かして見たいところがある ような気がする。

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コハク   自分の中に同時期に立ち合わせていたいくつかの小さな「アンテナ」の電波が絡まったせいだろうか、ふと黄昏時のぼんやりと丸い太陽の光の中に入って染められた虫のイメージを思い浮かべた時、琥珀だまのイメージが浮んだ。流動する琥珀のよう。そんな目をもって再び世界を見てみると、どこもかしこも蜜色で、この天球は大きな一つの琥珀玉なのだという気がした。
日が落ちて空に星が浮んでも、星が消えて心に雨が降ったとしても、全て、全てが半透明な「時」に包まれた、ここは大きな化石の中

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モスキートーン。耳年齢。赤ちゃんにしか聞こえない音や、20歳くらいまでしか聞こえない音があるということを以前知ったが、それから数年経ち再びやってみると一気に随分歳をとってしまったらしい・・。こんなソフトも。可聴周波数域チェッカー  ソフトは測定だけなので、こちらのグラフと照らし合わせると大体の耳年齢がわかる。()

睡郷沼のぬし 07/2/27(火)
小ぞう 冥暗の森へ   (右から左へ)

ふとそこにあり、入り込んだ森の入り口。
象

エピローグ
森を抜けて出てきた小象、寂しい森はひそかに君を追いかけて、飲み込もうとしているよ 
逃げろ逃げろ・・・と、はらはら思って見てたのに、 逃げるな 、と、必死に私は叫んでいたよ


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コップ一周分。珈琲。意図して飲んだものではなくて。写真も撮る予定はなかったが、気づいたらこんな感じで象もいた。何も考えずに飲んでいたので、飲み終わる頃にコップを混ぜてしまい、下の方が消えてしまった。
(コップは100均の棚で一番大きかったもの。表はサバンナ?の草原に色んな動物が描かれている。11月末に買ったものなので、まだ売れているかもしれない。本当は以前もう一回り大きい物を見つけ、便利そうなそれが欲しかったけれど)

睡郷沼のぬし 07/2/25(日)
 
 底
・・・そして夜が明け日が沈み

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そして日が明け夜が沈み・・       そうして私は混乱していくだろう
 底
XVI・・・塔。  正位置か 逆位置か  否、どちらでもなし・・・か   皆漂っているんだから

(写真=)左) 複雑に糸が張り巡らされた巨大な機織り機のようだと思った。その囲まれた「糸」の中央にオリオン座が織り込まれていた(写真縮小で殆ど見えない)。星座というものが今の今までなかったとすれば、私はオリオン座を糸巻き星と呼んで糸の神様だと思ったりしていたかもしれない。糸巻きに似ている。物語も主人公もないけれど、名づければ勝手に生まれてくるのかもしれない。

右)工場(もしくはこうば)の煙突から、夜が吐き出されて空いっぱいに染めていきました。
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-- 櫛 底
左) バファリン?のCMで、「頭痛のお母さんを密かに手伝おうとするも失敗してしまい、そこを母親に見つかって「だってお手伝いしたかったんだもん」と声が入る」ものを見た。そのCM曲が、私が小学頃にクシで作った曲と感じがとても似ている。CMの曲はそんな楽器?とは関係ないだろうけれど。図のような形の小さなオモチャのクシ。
音は弾いて鳴らすという原始的な動作。1度とても短い曲にしてカセットにとったことがあるけれどけれど、そのうち上から潰してしまっただろうか?
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子供といえば、食品レジの辺りで、館内中に響き渡る声で喚き泣いていた3歳くらいの女の子。「これ欲しい」といっているらしいが・・。結局お父さんが折れて買うことにした様子で、「もう買うたから」となだめすかすのに同じ調子。レジを通すのにも、必死で店員さんに奪われないように掴みながら激しく泣いており、お店を出るまでずっと同じ言葉を叫びつづけていた。引っ込みがつかなくなったのだろうかそれとも別の理由か・・自分にそんな記憶がある(<引っ込みがつかなっての擬似的感情表現)。 いったん泣くとどこまで泣いていればいいのか分からなかった。それにしても、あの、欲求を満たすための駄々は、自分の根源を見ているようでなんだか逃げたくなる。
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右)↓というわけでもないけれど。ちょうど撮ったコップ底。輪とハート・・・で・・・和。 コーヒー

睡郷沼のぬし 07/2/24(土)
雨と夜明けへの憧憬さま>
アーサー知ってたんですね。腰骨、というのもなにげに印象的。初めての出会いとして、なんだかいいな。創刊号以降はセット契約でないと買えないかと思って諦めてたけど、そういうわけでもないなら、気になるパーツだけでも買ってみたいなぁ。

コーヒーが蝸牛になったという些細な事まで覚えて下さっててどうもありがとう。普段はそんなこと忘れがちだけれど、ああやって、一つ一つ毎回形として違う物を見せられると、一つ一つの瞬間が本当に一度きりなのだと実感してきたりも。先にメールに少し書いたけれど、コップの模様日記つけてみたくなりました。なんでもないようなことであればあるほど、その集合系を見てみたいな。・・・ノルマにならない程度に「ぁ」と見たまま感じたままに。 雨と夜明けへの憧憬さんのサイトで書かれていた偶然のつながりのことなどもあっていっそう、このまったくの偶然の形というものにもなにか違うものが見えてきそうな気も。

水溜りは、本当はこの後ろににもずっと繋がっていて、実は、最初そっち(写真の後ろ)側を見て、「わぁ・・」と思ったのでした。もたもたしていたら日が暮れそうになって、慌てて撮ったもの。
「下の世界」に、あの地面の扉から入ってみたくなりました

雨と夜明けへの憧憬 2007/02/19(月)
アーサーが目にとまったのは、睡郷沼のぬし様の骨の写真を見た(先日のだけではなく、今までのものも含め)からと思う。手に取ったものは、腰の骨の部分・・・だったと思う。全身じゃないのか、という事を知り、そのまま置いてきました。でも、面白そうです。
コーヒーやココアの模様の写真、凄く好きです。前にも蝸牛が出たのがありましたよね、この瞬間の出会いと発見て、運命的というか、みんなに起きる出来事じゃない気がする。
あぜみちの水溜りの写真、右下端、最初見たとき、居空間が上乗せされているように見えた。道の中に空。不思議。

睡郷沼のぬし 07/2/19(月)
鏡
◆深く底へ続く鉄塔(水面) ◆椿の葉を透かして一日の残り僅かな光りを届ける ◆染まる水仙 ◆赤い空(数ヶ月前) ◆はばたき ◆「春」の蕾 ◆コーヒーの底のハート型 ◆空諸島  (あぜ道に浮かび続く空。後ろにもだいぶ長く続いている)



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少し前に骨の写真を載せたが、最近アシェットからアーサーという人体模型が出たとか。毎号届く部品を組み立てて完成させるもの。大きめなので体の仕組みもわかりやすそうで私も欲しいところだが、何十号もある全号の金額を合計するとすごい値段で買えない。
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兎 まるで子供が持っているような新鮮な観察力だと思った。>芭蕉葉など (露伴 (めくったのみ))

睡郷沼のぬし 07/2/16(金)
うみさん>お元気でいらっしゃいましたか?このごろはこちらの方へ来られることはあまりないのかな?車はモノがないのであいかわらず乗っていませんよ。・・・でもそのほうが安全かも・・。引越しすればそうは言っていられなくなりますが。

焼き鳥屋さんは残念ですね。どんな感じのところなんだろう。うみさんがお好きな場所なら、きっと落ち着ける良いお店なのかもしれないですね。閉店までに食べにまたいけるといいですね。先日書き込み後にメールさせていただいてから日にちが経っているのでもう1度くらいは食べにいかれているかもしれませんね。好きな場所がなくなるのは、先方にも事情があるとはいえ、寂しいですよね。お店などのほかにも、気に入っていた古い家(または廃屋)とか、気に入っていた荒地が整備されたりするのも寂しいです。

うみ 2007/02/06(火)
おひさしぶりです。お元気ですか?車の免許をとられてから車には乗っているのでしょうか???個人的には以前よく行っていた焼き鳥屋さんが来月にお店を閉めるという情報が入り少し寂しい今日この頃です。

睡郷沼のぬし 07/1/30(水)
◆お知らせ◆ ただ今パソコンへのメールは、殆ど使えないので、行方不明になる可能性があります。 ご用の方は、直接どうぞ。携帯メールやメール送信フォームなど。または「出した」という連絡をいただけるとパソコンメールでも確認はできます。ご迷惑をおかけしております。
-・・-・・-・・-
 人
ある理由から数個の蝸牛の入れ物を作り始めたのを機にとても久しぶりに人の形を作りはじめる。形が全く作れず、何を作りたいかもわからず、自分にはこれ以上つくれないのかなぁ、と落胆したり。いつもより小さいので、延々と塗り重ねて形を作っていくような私の変な作り方では、作るのが難しいかもしれない・・。この写真をとった後からもだいぶ意図せぬ方へ変わってしまった・・。

骨の模型は、いつだったか安価なものを見つけた際に「参考になれば」と思い購入。(「この先本当に作るのか?」という小さな疑問も抱きつつ)。小さい方は学研の付録で、組み立て式&蓄光なのだが、こちらの方がだいぶ小さいのに精巧に出来ていて参考になる。ただ、なにぶん小さい(30くらい)ので参考程度。 左の本は何年も前にたまたま中古で見つけたもの。様々なポーズによる体の形や、筋肉、骨などが、単独ではなく重ねたり合わせたりして描かれており、どのあたりにどんなモノが入っているかわかりやすいのだが、これを開いたのも久しぶり。右の本は図書館のもの。目に付き目的なく借りた。人動物鳥魚虫と様々なものの骨が載っている。存在とは何なのか・・・と思わされる。

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それより、悩む事、はやく決めなければならないこと、出来ないこと、後ろめたさ、現状、どうにもならない悔し悲しさ、体調への怒りや不安・・などがいくつかあり、どうしていいのか、・・・逃げている。

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目(頭,心)にとまったものやメモなどいくつか
◆カメラv705 コンデジながら23mm+39〜117mmのレンズを持つ。見慣れない外見。 最近は28mmくらいのコンパクトは色々出ているが、ここまでのはあまり見かけない。 ただ23〜39の間は写せないのだろうか・・?とすると損だろうか・・?デジタルズームでカバーできるのかもしれないが、しかしどちらにせよ使い分けにより様々な写真が撮れそう。高くて買えないけれど。(*)

◆変わった標本 (*)色々な生物(主に小さな海の生物など。小魚の他にイモリやカエルなども。体を透明化して、さらに薬品の科学反応などによって、色分けされた標本。出品一覧の写真は落札後に消えるので、今どの種類が出品されているかはわからない。肉は消えているのではなく透明化されているのとこと。今確認できるのだと、こんな感じ*イソバテング *モエビ *クロメジナ *アミメハギ *。 前に出ていたもので印象的で見入った生物があった(何だったか忘れた)。好意でも嫌悪でもなく、ただただすごいなぁ、と思って暫し見入った。

◆浮ぶ地球儀  狭い自分の部屋では(電化製品と密着しそうで)使えなさそうだが触ってみたい。(*)
◆マルチエイト() 1本で8色の色鉛筆(太芯8本内蔵)。これならどこへでも持って行けていいな。芯の色も選べる。また外国用のものは色の組み合わせが違うようだ。ぺんてる製。
◆あぶりだしインク(インビジブルインク)  熱で消えたり出たりするインク(これは持っている)
◆シーガル社 二十四節気七十二候歳時記カレンダー(小)。季節を表す言葉とともにレトロで細かなイラスト、俳句、植物、命日、月のありよう、その他、解説、そして今年からお伝統菓子の記事まで加わり、様々が詰め込まれたこよみ。何年もこれを使っていたが、2006版は買えず、2007も買いに行けず、ネットでもどこも売り切れで諦めかけていたところ、見慣れぬ場所である日見つけた。(こんなの(*))
◆秘密箱、からくり箱、舟箪笥  の系統。理由なく惹かれる。
◇コジオル 6穴リフィル 5色アソート×3種類。100枚入り¥150 良い。色の組み合わせがどれも綺麗。罫線も選べる。補充したいが売り場から消えていた。
◇ラ・プロミッセ

睡郷沼のぬし 07/1/5(金)
 気流時空の気流の中の月と日

居場所のこころもとなさよ
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 羽根  その奥にもぐりこめた遠い記憶は私が生まれるずっと前鳥だった頃
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あけましておめでとうございます。よいとしになりますように
本年もどうぞよろしくお願いいたします

睡郷沼のぬし 07/1/04(木)
96さん>
書き込みの反映に時間がかかってしまってごめんなさい。記録はされておりましたので、そのまま更新させて頂きました。どうもありがとうございます。 懐かしいのは、たぶんあちこちで幾度と見られてきたような古典的な画像だからかもしれませんよ。オーソドックスな図柄だから。古典をリアルタイムでいってます。独創的なものが書ける人を尊敬します。数週間前、96さんの数年前の生絵を見ながら、自分の中から出てきたものをすっと形に出来るのがすごいなぁ、って、つくづく思っていたんですよ。
96さん、これまでのお話からしても感覚的なことを色々体験されてそうですね。体調などは大丈夫ですか?96さんの書かれていたものが体調から来る物なのか、そうでないのかわからないけれど、ひやりとする書き込みだなぁ・・体って恐ろしいくらいの微妙なバランスで支えられているんでしょうね。。
 
96 2006/12/25(月)
お久しぶりです。クロです。
下の画像2枚、凄く綺麗なんですが、私にはなんだか懐かしい感じがします。気のせいですかね。

私も目の前がブラックアウトありますよ。
「あ〜やばい〜 意識なくなる〜」
あの感覚、不思議と「死」を感じます。

睡郷沼のぬし 06/12/23(土)
宙
 夜の宙

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組) 左・貝の記憶  右・土の底は根の遠い囁き

消える(消えていく)ということは、組み込まれていくということだろうか
貝 記憶 根 拡大 
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(こちらはめまいではなく)前から貧血で少し意識が飛ぶのはいつものことだったが、先日貧血では初めて怖いと思った。ある用事が終わりほっとしたとき、何か吐き気のような気持ち悪さとともに急に目の前が暗くなり意識が消える感じとともに倒れたのだがしばらくして意識が戻ったと思ったところからそのまま再び目の前が暗くなって倒れてしまった。その後幸いすぐ気がついたが、今度はどんどんどんどん頭のなかが冷えていき、頭痛もしてきた。どこまで冷えるのだろうと不安になってしまったがしばらくたってもとにもどった。なにが起きていたかはよくわからないけれど、本人である自分に起きることで予期できないのだ・・・誰かの緊急事態はもっと急に来たりするんだろうな・・。考えるほどに暗くなる。

生物は、どうしてこんなに(感情をもつほどに)進化してしまったのだろう・・・
小さい頃、進化が生存のため、子孫を残すため、種の存続のためなされたなどと聞いても”それ自体”が何のためなのかと思っていた・・今の自分もわからない。。木も草もバクテリアも、最初から何もなかったらラクだった

ただ、こうやって進化してしまった以上、いまあるこれ(ぐるり)は貴重な時間とめぐり合わせだ・・。暗くなる暇があれば一つでも何かしたり、してあげることができればそれがベストだとは頭で思う。
 
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ところで先日メモした目眩。私は閃輝暗点状態がしばらく前兆として現れ、そこから始まっていくことが多い。ネットではよく鋸型を見かけるが、私はドーナツのような形。  

睡郷沼のぬし 06/12/13(火)

更新できずにいた写真などまとめて。少し前のもの。(日付と順はバラバラ)
小さきもの 蕾咲く運命咲かぬ運命。時間と私しか知らない秘密

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五日 ちいさな諦念の兆しが一瞬にしてもたらす力・・・・負の・・・あるしゅ破壊力に近いそれの凄さと虚しさを感じ途方にくれる。落ち込む。悲しいというより悔しい。次へ進む前に、取り戻す時間を避けられないのがジレンマ。
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光る雲 破綻 光の境界線 炎
月
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枕もとにあった紙切れ(いつぞやの夢の走り書き)
・磁石に引かれるように、本能が底から叫ぶように引き上げられ覚醒する。
・その子の父親へのいたずらは、心底憎たらしいものだったが、同時にそれはその子の愛の形のように見えた。
・早朝の山の儀式。2人の男の対の舞。アソと言う山(丘)。火を中心に対称に舞う。

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水鏡 離線 離水  空鏡(=つがい) (下段)カラス 急降下・宝探し 飛んでみたくなる
翼

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数日に一度くらい訪れるめまい(くらみではない)だが、これがとても気持ち悪いもので、肉体的な変化は僅かだが脳の状態が明らかに変化する。回路が崩壊して溶け出していく感じが15分くらい?続く。一時的とわかっていても、その神経の繋がらない感覚によって非常な恐怖にさいなまれる。 そんなとき、痴呆の症状に涙する(知人の)声を思い出したり。一時的でもあんなに怖いのだから、症状にもよるだろうけれど、彼らは他人からは計り知れない恐怖と落胆を抱えているのではなかろうか。
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柿・野菜などの小包届く。中に入っていた開けかけの(五個入りの三個)スーパーのケーキもどきの桃色の半ばつぶれた菓子パンが、ありがたみを経由した悲しさの粉を撒く。「美味しそうだったから入れた。うまそうでちょっと味見させてもらったけど」と後から連絡あり。気持ちがありがたすぎてしかし後ろめた過ぎて自分など食べてはいけない気がする。 そうそうこういうときも、自分に罰を与えたくなる。

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パレット 探し物(右)以前どこかの百均でなんの気なく買ったものだが、だいぶ経ってから使ってみると思いのほか良い。フタ側に透明水彩や不透明水彩をたくさん入れて持ち運べる。また百均の固形絵具にありがちな紙粘土のような?絵具ではないので、わりと普通に塗れる。16色なのにコンパクトで軽く、欠点といえば割れ・壊れやすそうなとこだろうか。一流固形絵具には遠く及ばないだろうが、手軽なのがいい。

その後再び探していたが、どこにも見当たらなかった。ケースの形がよく似た物で紙粘土っぽい顔料の12色の物はダイソーでみつけた。これの後継だろうか・・・。だとすると顔料のタイプも色数も変わってしまって残念である。どこかにまだ売れているといいけれど。




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どんな作品が集まっているだろう。
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 このエッシャーアニメのようなテイスト、 以前は普通に楽しく好きだった気がするけど、今は怖さも大きい。孤独の無限回廊的な。
 
睡郷沼のぬし 06/12/8(金)

30さま あらためまして、初めまして。。
遅くなり申しわけありません、再びお寄り下さいましてどうもありがとうございます。
想像が膨らむのは30さんの中の世界が深く大きいからでしょうね。書き込みを拝見していると私はその膨らませたイメージのほうが魅力的に感じ、見たくなりますよ(物理的には無理ではあるけれど)。 私の写真そのものは度々思うのですがどうしようもないもので。視野の狭いことをわざわざ証明していようです。

30 2006/12/02(土)
私は睡郷沼のぬし様の写真の背景が好き、影とかぼやけた部分とか、この次の瞬間どう?被写体(被写体もいい)より周り見ていろいろ想像を膨らませたくなる写真ですね。一枚ずつ想像しながら見せて頂いています。  写真素人の無知な独り言・・・

30 2006/11/27(月)
写真は記録。出会った瞬間の思い出は残るが、周りの景色(そこに行くまでの過程)など時間が過ぎれば記憶から消えてしまうものだと私は考えてる。だからこそ綺麗ものは綺麗でいいのでは?

睡郷沼のぬし 06/11/17(金)

 陰陽 陰と陽

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ふと外に出てみたちょうどその時、見えるか見えないかのほどの、よどんだ橙色を、空の端に見つけた。はたしてぼんやりと・・・しだいに鋭く月がそこから現れた。流星のことも頭にあり、しばらく空を見ていた。ピークは明日のようなので静かな星空だったが、幾つか流れたようだ。見始めてすぐの一つ目のが、とても長く感じた。消えると思ったところから不思議に ゆらーと流れていく印象的な星で、私も途中から思い出したように願い事の言葉を頭の中で組み立てていた。
途中から唱えて、唱え終わった時にまだ流れていたので、最初から唱えれば、3度も可能だったのかもしれない。・・・出来たからといって何かが変わるとも思っていないけれど。

長い尾を見ていたら、あれは星が この世から消えてなくなるという時の、(なんでもないけどしかし)言いようによっては一番苦しい特別な瞬間なのだと思った。そんな時に彼らに向けて一心に真剣に自分の願い事を唱えたりするところの人間というのはなんだかどうしようもない生き物のように思えたりもする。

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(参考  2006流星群ピーク案内  星座早見表  宇宙ステーション位置(地図クリックで場所別の詳細時刻   ))
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流星群、先日17日明け方が、と書いていたが、18日明け方の誤りのよう。18日ならついでの宇宙ステーションももっと見えやすいかもしれない。しし座のあたりに月が出るけれど、月齢がちょうどよく細い三日月なので明るくはない。雲さえ出なければ星も見えやすいかも。

睡郷沼のぬし 06/11/17(金)
30さん> お声、どうもありがとうございます。もっと思い通りに撮れるといいのですが。
めにした全てを何かに残しておきたくなる反面、それは随分重苦しく、本当は何も残さず全て消えていく方がいいようにも思えたり。

30 2006/11/14(火)
きれい...

睡郷沼のぬし 06/11/12(日)
入り口
 
上段あたり◆狭間は入り口  奥へ◆星座 ◆ ◆螺旋
中段あたり◆表のしずく裏のしずく背中あわせ ◆夜2時半の雷 ◆ぬけ道。 空想の種◆はしご 想像の種  見つけると同時に、空想の領域の中にも同じ梯子がかかり、誰かが住み始める◆
下段あたり◆移ろう◆雲の生まれる処◆雫色々◆田
(梯子の写真は8日2枚目の壁の写真と同じ場所)
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しし座流星群の時期だそう。ピークは昼間のため、18日明け方あたりがよいとか。宇宙ステーションの通過も合わせて見られるかもしれない。なんでもないことだろうのに、わざわざ見たくなる気持ちは何だろうか...
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メモ 夢でみる実家

睡郷沼のぬし 06/11/8(水)
小さな補足と、小さな修正。
◇三枚目の上段右端の沈む月のメモを別の写真につけていたので移動。◇二枚目下段のオナガグモのメモ追加。蜘蛛に見えぬような繊細で静かな体つきだが、餌は蜘蛛だとか。◇イシミカワ、イヌマキ 名前補足

睡郷沼のぬし 06/11/8(水)
露
上段◆露の中の露。露の中には、びっしりと露がついたスギナの葉。そしてそのまた露の中には・・◆紅葉の落ちた地面からは幼い楓の芽が伸びはじめる ◆ひらく 
◆「露のレンズ」の焦点。それは、世界の入った小さな珠。こぼれ落ちて割れた数だけ世界が広がる
中段右◆近くに寄って見ると敷き詰めたビーズ細工のよう。(右上のダルマ型の露も、この全体写真右端に見えている葉)
下段◆蕾の拡大。透ける指先 ◆開花(スペースの関係で分割&ごく一部) 還る
上段あたり◆双子 ◆ユキノシタの幼芽だろうか、とても小さいが、手で描いたような白い線が印象的。同じ大きさでも、なぜか線のある物と無い物がある。(左下1、2) ◆苔(胞子体)。一筋の蜘蛛の糸にも翻弄されるような細い細い苔の体だけれど、やるべきことは当たり前のように行われていて、理科の教科書で見たように、頭の壷の蓋を開いて胞子を飛ばしている。(この写真では開いたぶんには焦点が合っていないが) こんな過程の中で倒木が地面に還っていく◆山の上の彼らの視界
中段あたり◆おしべ。それぞれが、天に向かう祈りの手のよう。◆色づく実。イシミカワ◆カボチャ(蔓)◆あ・ん◆見上げた竹林
下段あたり◆オナガグモ こんな蜘蛛の存在を知らなかった。小さなナナフシのような形だが、脚が8本なので蜘蛛だとわかった。普段は手足を隠し、ただの一直線になるので、数センチの松葉が、壊れた蜘蛛の巣に引っかかっているだけに見える。触ると突然細い手足が出てくる。蜘蛛の巣も糸を数本張っただけのもので、蜘蛛とわかるまでに時間がかかった。体が非常に柔らかく、頭と尾の先が付くくらい反り返ったりする。きれいな蜘蛛で、この蜘蛛なら、蜘蛛が苦手な人にも触れるかもしれない。だが、餌は蜘蛛だという。◆山のずっと上を見ると「門」に見えた◆目の前でクロスされた苔むす倒木 ◆山門脇にある塔だが、塔の隙間には夥しい数の小石(大小あり)が投げ込まれている。この石の数だけ祈りがあったということだろう。小さい頃は自分も鳥居に投げ上げたりしたけれど、なんとなく、今はしなくなってしまった。◆色の変わる「壁画」 ◆楓 ◆ 夜明け前の月と青信号。月は沈み、町は動き出す。
祈り
上段 ◆コスモス◆わらぶき◆絡まる蔓の間に張り巡らされた蜘蛛の巣が、深い山の中、光で浮かび上がっていた。◆沈む月。月が出てから沈むまでの短かさと、太陽のそれとが同じくらいだと考えて、時の速度が怖くなったり。
中段◆ヒコーキ◆550mからの狐の視界(西国4)◆小さい頃天車(肩車)と呼んでいた二段重ねの実。イヌマキかラカンマキ。◆雲と、雲の影(朝)◆光を求めて崖を登る木 ◆続く坂道。 

ここに載せていないし、写真にもあまり撮りようがなかったが、とて印象に残る岩の存在がいくつもあった。自分の中に、ずんとなにか入ってくる感じの。
2羽
上段◆先日の続き。そう思ってみると、なるほど2羽が多い。結局「1」というのは片割れということなのだろうか◆真ン中の数枚。片方が何か持っている様子。もう片方が受け取らず(?)に飛び立っていったら、残った方はくわえていた物をそのまま落としてしまった。単純なことなのだ。◆
中段◆アンテナが矢印のよう。何かくわえている◆雀。一階二階◆◆シーソー◆
下段◆雲の影◆目の前に何かがちらつき、反射的に振り払ったら、それが致命的打撃になったようだ。まだ腹はふとい。生のために食べたばかりのうちに殺されるなんて。赤が透ける腹と、暗い緑が細かく輝く複眼が虚しく。次第に黒ずんでいく赤を見ながら、・・気絶であることを願いつつ。◆古本ブースで昔の画家のスケッチを立ち読みしていた。身を捩じらせて羽ばたく鳥の一瞬の姿が沢山スケッチされており、変哲ないはばたきを写すのがやっとの自分を振り返る。今の便利な道具は人の能力をいくらか退化させたのではないかとも少し思った(大きな進化もさせているが)。
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そういえば、実家で障子を張り替えた時のこと、一枚、和紙の間に蚊が、透きこまれてしまった紙があった。珍しく、面白がって家族に見せたところ、まず笑ったが、これどうしようという段になって、蚊が苦しんだものだから使わずにおけとのこと、そうそう、この性格、と、聞きながら時ふと思った。

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何年かに渡り、たまに宅配を持ってきてくれた方…事務的な対応だけで交差する予定の無かった線…ことに配達などの、定期的に会わねばならない人というのはとても苦手で、営業所止めにしてもらったりして極力直接の対応を避けているのだが、ほんの些細なきっかけから共通点が幾つかあるとわかリ、なぜかメアドまで知ることに。

考えてみると配達人というのは一体どれだけの出会いを毎日しているのだろう。最近のいくつかの偶然の出会いを重ねながら、平行を交差させるのは小さな動きさえあれば可能なのだ・・とぼんやり思ったり。

とわはいえ、わかっていても相変わらず人との交流は殆ど避けてしまうが。
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最近、 偶然だと驚く事柄の大半は、それらの物事を結びつけて考える心にあるのだろうと考えたりしていた。それプラス、アンテナと。

睡郷沼のぬし 06/11/2(木)
しばらく更新できなかったのでまとめて。
空鳥植物
18日上段◆鳥with幻日もしくは鳥with幻日 (左右同時に見えた(それぞれ赤側に太陽あり)10/18)◆蛇。餌は甘露・・?(今回は両目付き)9/21は目なし◆ホトケノザ開く ◆桔梗開く
中段◆虫眼鏡
下段◆幻日の全貌◆雀◆穂 小さなほころび

蘭学者 宇田川榕庵の「花は動物の陰処のごとし 生産藩息の資て始まる所なり」 という最近すれ違った一条を思い出した。
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交差 鳥
中央:私の心のありようしだいで、「交わっていくつながり」であったり「バツ・烙印・だめ・罰」であったり、あるいは「エックス」だったり。きっと色々な物に見えたかもしれない。
◆右:カラス寄り添う◆穴  アフレコができそう

2羽連れの鳥が意外に多いことや、どこからともなく現れて群れが段々大きくなっていく鳥の姿に最近気づいたり驚いたり。
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1放射

スポット・放射いろいろ。山が重なっているためと、小さな水の粒(靄や水蒸気など)のため、少し印象的な景色になる。
◆中段左 放射の光の中に、山の上にある低い雲が浮かび上がっていた。 。◆中段左より2枚目下側  山の陰が、山に縁取りを作る。◆ 

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23日 地元の親戚によくないことがあった。知っている人がだんだん居なくなること、同じ空気は帰ってこないことがとても寂しい。 時間は流れているから、だから前に進まなければならないのだろうか・・。
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30日? そんなことを考えていたらNHKで驚異の小宇宙人体の再放送をしていた。ちょうど、リアルタイムで見た当時とても印象的だった回のもの。生後、胸腺で自分と他者を見分ける細胞が、とても厳しく大変な過程を経て作られるが、子供の頃に既に退化が始まり、老いた体では見分けることが出来なくなり自分の体をも他者と見なしてしまったりする。寂しいけれど長い目で見ればそれは、・・という内容。

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21日。カメラのレンズ壊れる。ありえないが一メートルの高さからコンクリの上に落としてしまう。幸い割れはしなかったが、前レンズのズレや内部レンズの外れのためにガタガタ。見た目はあまりわからないが、写してみるとかなりひどい。元々別の件で修理したかったカメラ本体、これをキにまとめて直してもらうべきか?と修理。買った時の値段をずいぶん超えていて(中古で購入の物)血の気引く。それに修理後きっちり元の画質に戻るかも保証なかったけれど、面倒なのでそのまま修理に出してしまった・・・いつもひどく損な選択をしている。

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不思議な出会いの道筋 先日に続きその2
19日。寂しい郵便受けに心当たりのない大きな郵便物が届く。近くから。名前を見ると田中とあるが。はてな…。宛名もあっている。ダイレクトメールかとも思うが、再利用された封筒を見るとそうでもなさそうで、開けてみる。薄い額や写真らしきものが幾つか出てきて、さらに???

でも写真を見たらすぐ合点した。9/7・9/21の7枚目に書いていた、たまたま側で「午時花」の写真を撮っていて少し話した方。別れ際、私の言葉が下手で、思ったことが上手く伝わらず、どこか拒否られた感じもしていたので予想外であった。デジタル物やメールはサッパリだと何度もおっしゃっていたが、読むだけなら出きるのでまた連絡くださいとあたたかなメモの他、公園で開催される写真教室の案内と「参加するなら自分の一眼の余ってる分を貸しますよ(一眼は各自持参のため)。」というメッセージまであってありがたし。参加ならカメラに慣れてもらうためその日までに1度会えればベストとのこと。願ってもないことである。とても行きたいけど・・・行けなさそう。

そんなことを考えながらもう1度住所をよく見た。なんと。N町とある。 偶然にもその前日に、他県の同名(N町)の地図で、ある人(私にとって重要な人)の家を探した。ちょうど引越し後の住所を教えてもらったところで。 たまたまそんなことも重なり驚き、「go」のサインなのかもしれない、と思ったり。9/21日の茶道の件に続いて再び一期一会という言葉が浮かんできた。

開催は全二回。参加している自分を想像してみる。この機会を逃すのは残念で、まだお返事できずにいるけれど、こんな風にたくさんのいい機会や貴重な出会いをやり過ごしてきて今に至るような気がする。機会に対して100%の姿勢で向き合った時、本当の意味で一期一会となるのだろう・・・。

入っていた写真は、やはりどれも見事な写真で同じ物を撮っても全然違うものだ。

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19日。日野葦平 「つきかげ」とても短く簡単で淡々とした童話なのだが、読んでいると深い深い階段を1人で下りていくような寂しさに包まれる感じ。だけど、それを書いた人が居る(いた)、というのが、自分の中である意味灯り。

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10月末 塔和子  たまたま付いていたTVで知る。苦しい境遇の中で紡ぎだされた、深くぶれの無い詩の前では、たいがいの余分なことは消えてしまうように感じる。 参考(下のほうに幾つか詩が掲載→   命*  錨*  など多数)


睡郷沼のぬし 06/10/14(土)
10日空
上段◆スペクトル(彩雲) 普段は空にない色ゆえか、みどり色がそこにうかんでいると一瞬少し違和感◆(右)繋がって広がる階段 どちらへ行くか 消えぬ間に急いで駆けのぼれ
中段・下段 ◆霧。起伏のある場所のせい(地形や風)か、霧が晴れる頃、左右の町並みを見比べるとそれぞれの霧の濃さが明らかに違ったり、風に押し流されているのが見えた。◆五線譜 朝の音
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1立体

起こし文(立体絵)。 いつだか浮かんだ物の適当な試作。 お世話になった信号つながりで海辺の方の年賀にどうかと。浮かぶだけで結局殆どいつも作れず&出せずににいるけれど、浮かんだことも忘れそうなのでメモ。(最近そんなことばかり。だいぶ脳細胞が死んでいる)
海辺の"初日の出"と信号と信号の青=歩くのイメージで。

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ある集まりから集合のお誘いを頂いた。悲しい記憶の多かった学生時代に・・・それはもう、心がとけるような沢山のありがたみをもらった集まりで、それ以来あえなかったことや経過が、色々心の出来物のように、どこかずっとじくじくしていたので、涙が出るほど嬉しかったけれど、時期が難問。・・とはいえこれを逃すともう誘ってももらえない気もする。どう選択しても何かをを失いそうで不安。でもまず体調をどうにかしないと話にならないか・・・
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お知らせ 10月いっぱい、パソコンのメールは使えません。 。

睡郷沼のぬし 06/10/11(水)
(その後   ↓右下の飛行船=ツェッペリンNT号らしい。世界最大の飛行船。世界中で3機あるうちの1つ。ただ今ドコモが使用中 *)

睡郷沼のぬし 06/10/10(火)
ここ数週間のメモまとめて・・(上=新)
10日空 同じ朝の空
◆桜吹雪(とてもこまか)◆炎波◆階段◆プリズム 幻日と彩雲?(写真では色が殆ど見えないけど・・)
◆雲の海◆花に朝日◆けぶる◆雲・太陽(縦長一つながり)◆どこからともなく空をいっせいに羽ばたきはじめる◆色づく (&実の付け根が梅の花のよう)◆飛行船?記念日の催し用か?

飛行船以外の空は、全て一つながりのほんの数十分の間の今朝の空の状況。(飛行船は数時間後。2枚の植物は別の日)。加えてカメラを用意している間にもう一つ変わった風景を見た。これを書いている10日夜は雨。自分の出会える(実際に見たり感じたりできる)世界というのは、ほんとうに限られているのだと実感。

幻日は最初右だけ出ていた。それが消えたあと15分もしただろうか左の幻日(下の方に参考リンクあり)がうっすら現れた。プリズム現象がおきやすい空だったようで、同じような時間、ほんのり彩雲のようになっていた部分も。
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捕

つーかまえーたとおーもったら ほんとは私がかごの中
こんなところまで光をとどけてくれたのか
優しさでもなく、ぎむでもなくて ただただ無音に降るひかりの音色








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前に満月を撮った時(9/21ぶん)からもう一ヶ月も経ったとは。
そういえば保健の授業か何かで、一生のうちに作られる卵子の数を聞かされたとき「限られた時間」というものをうっすら感じた記憶がある。 あと何度満月が見れるのか、とか、リアルな数字をいつももっと感じて・考えていれば、もっと真面目に生きてこれただろうか?または失う物は少なかっただろうか・・・?
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写真など
◆その日、朝の光に向かう飛行機雲が肉眼で虹色に見えた気がして大き目に撮ってトリミング。 ◆家いえ。小さく区切られた無数の一つ一つの灯りの中に、それぞれの数え切れないほどの世界が繰り広げられていると思うとぞっとしたり、寂しくなったり。◆泡のような過去の唯一の頼りない証◆風の足跡の交叉 ◆夕暮れ前の畑。苗と老いた手 ◆よその犬 遠くの庭に姿だけ見えるのだが、1枚無意味に撮った日以来、ベランダに出たとき、なんとなく姿を探してしまうことが多い。見続けていると身近になったような気にもなるが、たまたま夜に近くの道を通った時、当たり前だが自分の足音に酷く吠えられた。無関係なのだ。

上に書いた畑も、日々の成長を見ていると、まるで自分と身近な人の畑のような気になってくるし、10年目にして、その畑の持ち主に関する意外な人間関係に気づいて自分の中で驚いたり(興奮?)もしたが、やはり自分とは物理的に全く無関係だったり。
また、あるところに、手紙をとても書きたくなるが、書けるだけの関係も資格もない相手だったり。

以前、世界は実は繋がっている、と、気づいて大きな何かを感じたこともあるが、今あらたに、実は世界はデフォルトでは案外殆ど繋がっていないような気もしてきている。大きな孤独感を感じる
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21日の二枚目最左端の写真も、撮った時気づかなかったが幻日(左幻日)だったと思う。  (幻日=空の現象の一つ。「赤側」の延長上に太陽がある。「空の博物館」などわかりやすいかも。 その他いろいろサイトあり。* * * *

もう少し前に「もしや」と思って空を見たとき二日続きで朝虹(形は普通の虹)を西の空に見つけたけれど、あまり空を見れない状況でもこうなのだから、空は日々実に様々な表情を見せているのだろう。。全てに関して言えるけれど、何もないことの方が珍しいのかも。

・・・ぁぁ、でもそんな中止まったままの自分。周りはすごい速さで流れているのに。

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少し前にファイルがフラッシュディスクの不良?でたくさん消えたことを残念がっていたけれど、実はそれより前に、保存していたファイルががあらかた消えてしまうということがあった(こちらはウィルスのため)のでそれで余計打撃が大きかったかも。

そんなこと(やその他)があるうち、生きるということが「自分自身」のことなのかそれとも「残る物」のことなのかわからなくなってきたりも。
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わからないもの。だいぶ前、沢山の試供品などをゴチャゴチャもらった時にたまたま入っていたオンブルローズの「フレーシュ」という香り。どこかで嗅いだことのあるような気がするのだが思い出せない。原っぱ?草の花粉?日差し?。過去の何かの匂いがする(バラ等ではなくて)。 好きとは少し違うが印象的。

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映画10ミニッツ・オールダー (人生のメビウス)・・・・・先日深夜放送をたまたまナガラ観していて引き込まれた。そういえば何年も前にこの映画の記事を読んで観たいと思った気がする。15人の監督がそれぞれ作った10分間の作品を寄せ集めた物(のうちの片方)。一番目はほぼ見逃したが、二番目の「ライフライン」(ヴィクトル・エリセ)や最後の「夢幻百花」(チェン・カイコー)など印象的。特に「ライフライン」はカットのつながり一つ一つがすばらしく。


睡郷沼のぬし 06/9/27(水)
(補足 ↓相手の話で「茶事」という言葉が出た時にやっと気づいた。  それと、私に話し掛けやすい雰囲気はない)

睡郷沼のぬし 06/9/26(火)
写真など
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今になって、つくづく変わった出会いだったかもしれぬと思う。

数日前・・・はじまりは夜中(早朝)、「一期一会」という単語が茶道に由来する物だという一行を見つけたこと。なんとなく辞書を引いてみると「茶事」の文字があり、自信の無い読みかたを確認するために「茶事」を引いた。

そしてたまたま、明け方近くになって一年以上ぶりで10分くらい先にある場所(丘)まで行った。
写真を撮っていたら、見知らぬ方(丘に登る時すれ違った方)が声をかけてくださった。草を摘んで帰るところらしい。赤い穂(実?)のネコジャラシが手にあった。(光はないのに、遠眼には朝日か夕日を浴びているようにそこだけぼんやり光ったように見えてその魅力を知る。)「写真ですか?」「ぁ、はい、いえ」などの言葉を少し交わす。交わしているうち、色々な共通点(母の年と同じとか、大根島のこと、ご親戚の方のこと)があり、・・・そしてなぜそうなったのかわからないが、結局その方の家までお邪魔して朝食まで頂くことに。

今改めて驚くのは、その方が茶道の先生であられたこと。何時間か前に辞書で「一期一会」〜「茶事」を引いた後だっただけに。
茶事の話をしてくださったり、また、会話の中でも”一期一会”を意味する言葉が沢山・・・というより、その方そのものがそんな生き方をされているようだった。作法のサの字も知らぬ私にお茶を立ててくださった。茶道は学ぶ機会を逃したのでこれまで近づけない領域だったが。


微妙な色合いも味わいもそこにこもった物も自分が飲み込んでしまうのがもったいなく思われた。
(それはそうと、ご夫婦揃ってすごい方で、私は縮んだけれど、とても輝きを持ってらっしゃって、短時間のうちにおおきな勉強をさせていただいた。
また、うちの家族と同い年とはとても思えず、家族に対してかけた苦労を思ったりも)


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こういう(詳細は書かないけれど)ある状況(いやな・・)にでもならなければなかなか作ることも出来なかったもの。少し前にayaさんの「人物画が描けなくなった」という書き込みの時にはこれを関連付けて考えなかったが、私も・・・というより私がそうかもしれない。少し久しぶりで作りはじめてみると、まるで作れない。時間が空いたので、イメージの変化を束縛しないように、作りかけのものではなく一から作り始めてみたのだが・・変化ではなく確実に消えているようだった。元々無いに等しいイメージだったけれどさらに。


睡郷沼のぬし 06/9/21(木)
3枚目下段黄色のメモ無し を補足。

睡郷沼のぬし 06/9/21(木)
整理できなかったので、まとめて。 (重いので適当にとめてから開きたいとこだけ開くといいです)


◆いつもどこかで静かに ◆ 2羽  ◆夕
夕

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◆プリズム (幻日=空の現象)◆薄い和紙に漉き込まれた細い月 ◆産卵(浮かぶ月) ◆透過日 ◆月 ◆夜、空を少し見ていたら、そのとき風が変わったのか、雲が次第に段々模様に織り込まれて遠くずっと奥まで続いて流れていった。その間を月が見え隠れしながら進んでいた。亡羊とした過去から未来へ・未来から過去への階段・・足をかけたら消えただろうか。・・何が? ・・いろいろ
闇光



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(上段)◆かまきり ◆毒へび ◆かたつむり鳥 ◆開花(白彼岸花) ◆屋根
(下段)◆実に止まった抜け殻・・・(この実は右のように開く。開く時の抜け殻の落ちる様子などが浮かんできた)
◆移ろう季節の足音 ◆噴水 ◆ろうそくの原(彼岸花) ◆干渉 ◆散る前の午時花と蟻 ◆枯葉を突き抜けた芽(彼岸花) 近

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数え切れない一瞬というレイヤーの細い狭間にいる
コマ (ココア・水干絵具)
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消え残り 9/8に書いた消えた日のファイルのうち、カメラの中に残っていた数枚。
「ここを撮りたい」と思って撮った大きいサイズの物はメモリサイズの関係で全て削除してしまっていたので時の残像の中だけにあるのだろう。
左の花は、これを撮った後(か前)に沈む夕日の西日が当たって輪郭が輝いて花びらがほんのり透けて印象的で何度も撮った記憶があるけど・・。その他かなりしつこく撮った場所もいくつかあったがそれらは残っていない。パソコンの不具合によるファイル消失なので「復元」という便利なソフトでも見つからず。


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蓮の水琴窟 後日、同じ景色を求め行ってみたが天候悪し。その代わり、音を知った。
雨上がりの蓮池の中は、はまるで巨大な水琴窟の中にいるようだった。ゆるい風が吹くと、大きな葉がゆっくり傾き、たまった雨の雫が、葉から葉へ伝い(写真右の矢印)あちこちで池に落ちるのだが、葉と池の間に出来た空間でその音が響き合い、池全体から聞こえてくるのだ。夜に一人で聞いたら、どんな気持ちになるだろう。
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蓮
午時花を撮っておられた方(9/7)に同じ場所で偶然会い、近くに違う種類の蓮があると教えてくださった。「池は小さいが色は1度見たらもう・・」ととても満足そう。写真を見せていただいた。ビビット。魅力的な花を魅力的に撮れる人だなぁ、と思った。今の自分はこの色の蓮を撮るにはまだ準備が出来ていない気がしたが、気になって、その足でその池も覗いてみた。いつも思い立つのが遅いので、撮りたいところが見つかる頃には日が暮れる。

オオオニバスも広がる池。最初はグロテスクとしか感じなかったが、朽ちて化け物のように腐っていく大きな葉の根元から新たな若い葉が生まれているさまや池の間から覗く、赤紫を秘めた小さな蕾など印象的だった。(オニバスは写真なし)
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前にしつこく撮った(データが消えた)所へ行ってみると、草刈りが行われたようで、刈った草が池の中までおびただしく散乱したり、蓮も一部抜かれていたりして風景が変わっていて撮れず残念。
水玉



睡郷沼のぬし 06/9/20(水)
お返事、だいぶ前にかいていたのだけれど、更新できないまま時間が過ぎてしまいました。会話なんて、リアルタイムの楽しみの要素が強いものだろうのに・・。ちょうどその頃考えていた気持ちとリンクしたぶぶんもあって、こちらに書きたいことと、書きかけていた自分のメモと、自分の中でもごっちゃになってしまい、ずるずると。

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96さん>
感動だったり、恐怖だったり、一方通行の恨みだったり、感謝だったり、自然に対しては色んな感情がわく場面があるけれど、そうですね、結局ちっぽけということなのかもしれないですね。
ぁ、でもそんな「96さん」そのものも自然現象の一つだったり。
ちっぽけ>
ちっぽけなのに、目の前のことでいっぱいいっぱいで・・・情けないです

カランは猫のサイズにぴったりなうえ夏場はひんやりと気持ちいいのかも。

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ayaさん>何とも偶然。「PCに」というと、なくされたのはデジカメの方かな。 お店には電話とかされてみましたか?それはすごくショックですね。どうか管理してくれるようなところに忘れているといいのだけど・・。

データなどを無くして、ふと考えるのは、何のために自分はこんなに何かを残しておこうとするのかということなど。考えると、本当は全てのものがどうでもいいんじゃないかという疑問や、また逆にすれ違う全てのものを残しておきたい欲求が入り混じって、無くした惜しさと合わさって、もんもん。

「とても些細だけれど二度と会えない光景」に出会って写真に撮った時、本当はいつもたえず誰にも知られずひっそりといろんなことが起こっているのだと改めて感じます。沢山のファイルが消えたり、無くされたカメラそのものもそんなことの一つだったりもするのかもしれないなんて今思ったりもしました。

最近、携帯の画面に保護フィルムを貼ってその間にとても小さな文字で、失くしたときのメッセージと連絡先を書いた物を挟んでいるのですが、カメラにも名前入れとこうかな。ayaさんもどうですか・・。

蓮池、ayaさんの近くにもあるんですね。初夏とは、いい季節に行かれましたね。緑の色合いも最高ですし。ただ、開花の物は見られなかったとのこと。もしかすると時間の関係もあったかもですよ。開花は早朝暗いうちで、朝にピーク、そこからは閉じていくようですが、特に咲き始めてから二日目くらいまでは昼までに閉じてしまうようです。

ayaさんのそのときの雷のイメージ、心地よさそう。頭の中に、雷の閃光を含んだようにほんのり光を放つ輝く一輪のユリが浮かんでayaさんと重なった感じ。全く私の勝手なイメージなんだけど→、天球の卵(腹)の中で守られたユリ。鼓動や囁きのような低く響く雷鳴とへその緒のような稲光が浮かんだりしました。

人物画は、「たくわえている」時期なのかもしれないですね。描けないとはいうものの、絵に対してのayaさんのありようを冷静に捉えてらっしゃるのはさすがです。

私最近何度か画用紙に向かったのですが、何枚も、画用紙上で色を混ぜることしか出来なくて形すら描けない自分に酷く落胆しました。一週間程前に至っては10色ほどパレットに絵具を作っただけで眠ってしまいました・・・

(追伸
写真を撮りに行って撮れる写真って、考えてみるとあまりなくて、明け方少し近所を歩いた時などに急いでカメラを取りに帰って撮るとか、そんなのが多いです。だから蓮を前にして鬱感感じました。朝露の中咲き始める蓮、偶然光と陰が作った光景など撮りたいのですが、それならそこに住まなきゃ私には撮れないかも。その池の近くに○○荘入居者募集のプレートがあったので、住みたい、とすごく思いました。)

aya 2006/09/12(火)
それと、これも偶然なんでしょうか・・・下の96様の書き込みで
思い出しました(たくさん書き込みしてごめんなさい)
少し前、私も布団の中で、夜中の雷鳴を聞きました。
その時、何故か突然、どこか誰も居ない、寂しい原っぱで
ただ咲く一輪の百合の花と、そのずっと彼方で
光る遠雷のイメージが湧き出してきて、なぜかはわからないけれど、とても暖かな、、暖かいというのとは違う、でも、
なにか安心感のようなものを覚えました。
稲妻の写真、素晴らしいです。

aya 2006/09/12(火)
偶然・・・というわけではないでしょうが、実は、私はカメラをなくしてしまいました。最近、なぎさドライブウェイに行ってから、帰って来て、早くPCに写そうと思っていたのですが、いざ繋ごうとカメラを探すと無いのです。車の中、カバンの中、そのほか思い当たるところを探しましたが・・・どこかの飲食店にでも忘れてきてしまったのか・・・かなり凹みます・・・。ファイルが消えてしまうのも痛いですね・一度携帯のデータ、受信メール以外前部消去してしまったことがありましたが、コンピュータへの保存というのは、紙などに記録しておくことよりも、いとも簡単に消えてしまう可能性があるということを、いつも思います・・
それから、蓮の池、実は、私は初夏に、花が咲いていないかと見に行った日があったのですが、散って種になったものと、固いつぼみのままのものしか見られなかったことを思い出しました。3,4種のとんぼがたくさんいた事が救いでした。
骨をのせた船はやがて  の写真がとても印象的です。色といい。私的には、船のほうが骨そのもののような気がします。

最近、人物の絵が描けません。というか描く意欲が無いというか。ものの方が魅力的に思います。でも、模写は好きじゃないので、、、色々難しいことになっています。えいこさんはものに魂を見ている人だと思う。その影響もきっとたくさんあると思う。

96 2006/09/10(日)
夜中に雷を見ると

地球って凄い 世界って凄い 自然現象って凄い

と、感動したりする反面、自分のちっぽけな存在を感じる。
比べる所が違うぞと真ん中の96がフォロー。



なつめ様が可愛い。

睡郷沼のぬし 06/9/ 8(木)
・・・(とここまで更新しかけて7日更新用の画像ファイルの方は作っていたが、翌日最近のカメラのファイルを改めて整理すべく開こうとすると・・・ない。 一時的にHD代わりにPCにつないでいたUSBメモリに入れていたファイルがほぼ全て消えていた。1Gのメディアの中身がたった数個になっていて呆然。写真バックアップだけは2.3重にとるようにしていたけれど、ちょうどこのハスをとった時頃のはまだ整理しておらず。・・・怪しげなメーカーのメディアと、瀕死のパソコンなので、何が起こっても不思議ではないのは了承していたが。    カメラのメディア容量(64M)の方も、増やそうと思いつつ少ないままで過ごしたことが悔やまれる・・。→カメラにあまり入らないので、新しい写真を撮るためにこまめに削除せねばなきんらぬが、カメラ容量を増やしてさえいれば、カメラ側にデータも残せていただろうのに。その時のおそるおそるカメラから削除した時の情景が未練とともに戻ってきたり。。最小画素数で撮ってずるずる甘んじていたことが悔やまれる。せっかく最終の開花に間に合っただけに余計、凹。 無理やり出かけていった気力や、ファインダー越しにドキドキ?したあの時間は結局なんだったのだろう、などと考える。二重バックアックが間に合わなかった数百枚の写真や(いや、それだけですんで良かったとも言えないでもないが・・・)、その他に、個人的にかなり大事なファイル(宝物)、また記憶定かでない諸々のファイル。保存してあることについ安心してしまっていた気も。どれもあっさり時空のはざまへかき消えり。。

睡郷沼のぬし 06/9/7(木)

閃光雷。外を覗くのが億劫で、夜中頃、遠くで疼くような音になってからやっと外を見た。もうだいぶ遠ざかっていた。しばらくレンズ越しに見ていたが、「くだらないか」と、カメラをもうしまったとき、それまでにないほどの光の筋が空一杯に広がっていくのが(肉眼を通して)見えた・・。
”生きた”巨木、いや血管・・・
  *  *
いつか誰かに空も海も同じだと言ったら(その意見は)わからないと言われたことがあったような気がするのだけれど、世界は最終的に一「ひとつ」に集約されるのではないかとかぼんやり思ったり。


しかしそれはそうと・・・ 空がどうであれ”世界”がどうであれ私の目の前のあれこれは変わらないのは確かで・・。考える意味も無い



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閃光
骨を乗せた船はやがて。

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中段。気づかぬような所にキノコ。とても薄い体で傘が透けていた(下段=少し拡大)。透けるくらいの存在の方が、あるいは良いのかもしれない。

中段中央と下段右端右の赤い花は午時花という花らしい。1,2畳くらいのスペースに咲いている場所があり、落ちた花や、咲きかけの蕾のうっすら目覚めるような様になんとなく惹かれて何枚か写真に撮ったら、たまたま側にいたカメラを持った方が、花の名前や、咲いた花はその形のままに落ちることなど教えてくださった。首から落ちて椿みたいだ(そう思って見るとなんだか雰囲気も変わるなぁ)、と言ったら、あぁ、と、あまり興味なさそうで。その人が「今日はこのゴジカを目当てにきたのだけど、残念ながらいい花がないね、本当はぱーっと華麗に咲くのに」というので、咲いている枝もあったと思い、いくつかご案内してみた。・・・・先ほど私がスルーした場所。「おー、こんなところにあったのか」と喜んで下さってよかったが、・・・見ている物や見たい物は、皆、本当にそれぞれらしいと改めて感じた(また、求めている物ほど見えなかったりも)。(下段右端が落ちるとこ)
閃光
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見渡す限り・・・というくらいの蓮の中を通る木橋から下を見下ろしたら、「蜘蛛の糸」の話で、お釈迦様?の庭の池と暗い地獄が繋がっている情景が浮かんできて、そのように思えてきた。(特に右)
閃光 何年も前に(から)とても蓮が見たくて、当時ネットですぐ近くに「大蓮池」があることを知り友人と行ったことがあった。・・・がそこは蓮など一つも見当たらない地味な池で、結局そのまま見れずに何年も過ぎた。最近近くで見れる所をたまたま知ったのだが、既に開花時期が終わっていたのが残念。なかなか出かけられないのだけど、これを逃すと後悔しそう(来年も大阪にいるかわからないし)で、池まで行ってみた。最終の咲き残りが一つ2つ。こんな風に季節は変わっていくらしい。
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・・・一年位前から肌がおかしくて、原因はわからないが、「夏の日差し」に長時間あたると片手と顔と鎖骨の辺りが被れるようになってしまった・・・。今回は蓮の代償に。

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亀猫 猫と亀

睡郷沼のぬし 06/8/26(土)
乾いた腕とハートの蔓の空
空考えることすら億劫になってきているように思う。


太陽の残り火を惜しんで薄闇を無駄に走り続けるとき、また逆に闇がふわりとかき消えて色彩が浮かび上がって焦ったり驚いたり困ったり喜んだりするとき、別れの時、そんなせつなばかりに時間の早さを感じてしまうけれど、ここは、生も死もいっしょくたに切りさいてしまわれるくらいのほんの一瞬のなか。

大切なことをたくさん自分から失ってきたけれど、あまり無駄にしてしまわぬように・・・と、自分に悲しみを込めて願う

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見えない結界 、檻、枷 etc. まるでそんな感じで苦しい・・・と、思っていたちょうどそんなとき、こんな物を見つけた。(↓写真右)蜘蛛の糸
「そうそう、こんな感じだ」。
そして、なんともちっぽけだ・・・
(その他の写真・・・ 露草、シダのひらく)
蜘蛛の糸
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作ってからしばらく経ったが・・。立体の(飛び出す)小さな話(肝心なところは載せていないので覚え書きとして・・・)
立体

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藪森家
 空想
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30色近くの残量僅かなホルベイン透明絵具袋詰を(中古で)数百円で買う。さび付いたり中で固まったりのものだが水彩なので良し。微妙な色が沢山入っているけれど、なぜか黄系がない。どんな人がどんな物を描いたのかぼんやり考えた。
余裕があるときにアルミパレットで固形パレットを作っておき”たい”。不透明と透明を同時に使えるようなのを。

スーパーの売り場の絵具に混色表がついていた。欲しいと思った一方で、退化しているのだと感じた。

洗い水に筆を下ろした時の水中に絵具が広がる動きと、濡れた画用紙に絵具が広がったときの一瞬を止めたい(自分のものにしたい)と感じる。それを残しておけるカメラが欲しい。ダーウィンにはなれない。

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小さな中国のお針子(*)・・・夜中にながら観した。

睡郷沼のぬし 06/8/22(火)
(16日の2つの絵絵 絵 が表示されてないと教えてくださったお方、ご親切にどうもありがとうございました。アドレス間違っていたようでした。)
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たいせつなものは海の中で星になってきらめきを得る。
小さく光る無数の星たちは、やがてその口から紡ぎだされた言葉によって小さな星座となり、いくつもの星々の形は、ただ孤独と感じていた暗闇を広いキャンパスにかえる。

だけどつかもうとすれば遠すぎて、
水に映る影も風にすらかき消されるのだ
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眠るごとに、なにもかもが急速に消えていくよう。 深いふちのはしから、しまいにみんな溶け出して。
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夢音
歌詞付きの、とても短い曲で、しばらく覚えていたが忘れてしまった。「唇」という言葉とかすかな曲調しかわからない。
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捲らぬままのカレンダー。半年以上も同じCDの入ったままのプレイヤー。特に好きでもないその曲を、たまに服を着るように、ただ流す。 からっぽだ。
フルでもエンプティでも、時間は同じだけ流れて、同じく消えていくのだ・・ とわかってくる実験の証明のよう

睡郷沼のぬし 06/8/16(水)
無題
絵 最近のメモ
夢図  この絵→絵 (紙などに描いてあったわけではなく「絵」として目の前にあった)を見ながら「二番目の段の色をこの色にすることの心理的理由は・・・」ということについて考えていた夢。
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ただの音メモ MIDI  (1分弱)

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14日 夢の行き止まりメモ 「プロソフェチウム」 ・・・写真現像の仕方の一つ   「ハッチカメラ」
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闇の川とかけら  

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救いがたい日々。怖くていけない
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何週間もかかってまだ書けぬ手紙。 もうとっくに忘れられたかもしれない。 時間と共に、内容や微妙な表現を変えていく作業をただ無意味につづける。そしてまた一言と変えていく作業の中で、意味をなさなくなって消えた行たち。次第に本文は簡素になっていくようだが、逆に不必要な物が排除されていくのはありがたい。本当にすっかり忘れられた頃にやっと出したりするのかもしれない・・。
(このところ、何かを終える作業をしている自分の姿が自分でも考えられなくなってきつつある・・)

便箋の間から10年近く前の書きかけの手紙が出てきた。読んでみて、「”この差出人”はすごく嫌いだ」と思った。私は自分の嫌いな人間だ。

そういえば、半年前の手紙も。下書きと便箋を完成させたまままだ手元に。そのほか出したかったメールもいくつもあった。
想いと行動の差を埋めてくれる機械があればいいのに。
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ある色に対する感覚が何日かのうちに極端に変わり、驚く。  過去にも何度かこんなことがあった。(上の絵などは関係ない)
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数週間電話に出れず。こうして減る知人・・
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ブラックライトを見つめているときに見えるにょろにょろした感じは何だろう。
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足の裏の見にくい所に数ミリのガラス片刺さる。抜こうとするも根元で折れ冷や汗。ルーペや針で最後には取り出せたけれど取り出せなかったら困っただろう・・。人の皮膚(体)の無防備さよ。

同じ日生まれの知り合いがいるんだけれど、その人の世界があまりに広く、また積み重ねてきた層が多すぎて、自分の存在理由の空白を、今まで以上に思ってしまう。

早晩、安い車を用意しなければならないかもしれないが(お金ないけど)・・。 日々、人生捨てているようなことしか考えないのに、中古車をちょっと調べながら、安全装置がついてないのはいやだなぁ、と思ったりして、矛盾している・・


睡郷沼のぬし 06/8/16(水)
雨夜さん、96さん、大変なところお声かけてくださってほんまにどうもありがとうございます。
時間が前後してしまいましたが、先にメールでのお返事に変えさせていただきました。この上ないありがたさ(と不思議さ)とともに、いろんなことに直面しながら生きていらっしゃる姿勢を感じで、自分なさけないです

96 2006/08/07(月)
おかえりなさい

わたしもうれしいです。

雨夜 2006/08/05(土)
おかえりなさい
とにもかくにも、嬉しいです。


睡郷沼のぬし 06/8/5(土)

(写真左より)
縮小 縮小 縮小 縮小 七夕だなんて忘れていた。バスを背にふらふら歩いた帰り道。海辺の道角の公園に笹の葉と短冊が揺れていた。 「よぞらの星が いつもきれいでいられますように」と幼い文字。そんな願い事と「○○○海」と添えられた名前が見知らぬ人物への興味をかき立てる。

雨の日。 変な時間に外を眺めていた。車の陰から覗くマフラーに雨宿りしていた小さな白い蝶。困った場所に止まったものだ・・。ずっと居れただろうか?飛び上がる蝶の短いストーリーが頭を掠めて雨粒にはじけ飛び去った。


雨の中、日々紫陽花の色が変わっていくのを、切ないような気持で見ていた。
青空が広がって窓ガラスの水掃除が行われたきらきら暑い日に、紫陽花は刈られた(来年のため)が、夕方にはその根元に咲く予定の秋の草を手入れして回る人。どんな花が咲くか嬉しそうに教えてくれたけど自分はそれを見れないと残念がったら後日種を分けてくださった。

実家に撒いてホースで水撒きをしていたら、傾きかけた日差しを反射して虹が広がっていた。本当は色んな色に満たされているんだ、とはっとする瞬間。

帰り道
バスをやめてよく歩いて帰った。歩いていると高速では気づかなかった物にもたくさん出会えるけれど、反面それに増してひどく寂しく感じたりもしていた。
運転手はとても丁寧に生きている感じの人で、挨拶を聞くだけ、乗るだけでなんだか元気になれるようだと感じたし、知り合いだっていたのに。見えない糸でもあるようにいつも暗い道に引きずり込まれていた

教えて貰った道を辿り、やっと着いた目的地。結局目的は果たせずの帰り道。小さな神社を斜めに近道した。赤い頭巾の狐。よじれた古木。徒歩は時間の流れや自分の限界を教えてくれる。夕暮れ、不思議に輝くぽっかり浮かんだ小さな狐型の雲が沼に映っていた。(写真では小さいし白く映っているのでよく見えない)
・・・狐、と書いたが、その時は本当は「カンガルーだ」と見えていた・・。神社のことを今書きながら、まさに狐だったように思う。

一昨日の真夜中、少し外を歩いた。小さな鳥居があって、なんとなく素通りできず引き返す。皆が幸せでありますように&皆が幸せになりますようにと、勝手なことを祈ったり。一方で、エゴだと自問自答をくりかえす・・

狐様に憑かれるのならあたたかいというもの。狐相手に相談だって出来よう。しかし自分など何にとりつかれているか・・

睡郷沼のぬし 06/8/5(土)
HPのファイルが使えないままで困っているけれど、幸いBBSは使えるらしいので少し更新。。

たまたまたどり着き、たまたま開いたページが、自分にとって関心ごとと交差して驚いた。 東京大学総合研究博物館のページ。そこで閲覧できる古い手描きの植物図鑑「本草図譜」の中の数ページ(1 2)。雑多な情報をくぐってそのHPへ、そして色んな図鑑やら催しのページがある中、めちゃくちゃなクリックでまっすぐ辿り着いてしまった。 (本草図譜、どのページも根の先まで詳しく描いてあるのが、また素敵)

何十年か実家で作っていた高麗人参。数年前前から、生産を止めることになり、残すところあとは小さな2畑に植わっているのみ。どちらも6年くらい経つ畑で、そろそろ掘り時。育った葉と、だいぶ年季の入ってきた屋根(畑には1畝ずつ屋根や壁を付ける)を見ると、本当に終わってしまうのだ、と実感する。(牡丹・芍薬はまだ続行)
添えられた説明文も「そうそう」と、馴染みある説明で、嬉し悲し。


睡郷沼のぬし 06/8/5(土)
海さま>
先日は書き込みどうもありがとうございます。下のお知らせに少し書きましたが、暫くパソコンが殆ど使えない状況でしたので、携帯の方からご連絡差し上げました。お車、愛着あったでしょうに、故障は残念でしたね。新らしい車はだいぶ慣れてきましたか?車種とかお聞きしてなかったので気になります。またよければ写真など送ってくださいね。&いい場所あったら情報お待ちしておりまます。

うみ 2006/07/05(水)
おひさしぶりです。お元気ですか?今年の3月に車が故障しました。少し無理をして車を買い替えました。以前ほど新鮮味はありませんが・・・。

睡郷沼のぬし 06/6/23(金)
お知らせ
少しの間、更新ページを移動します。(管理人(私),少しの間この掲示板での更新が出来なくなるため)
http://sky.geocities.yahoo.co.jp/gl/yorunoawaino/  メモ出来る時間があるときなどはこちらをメモ代わりに使おうと思います。

...と、ここまで書いて仮保存していた ちょうど・・&ちょうど矢先、
パソコン(と中のファイル)そのものも瀕死状態になってしまい、そういう意味でも暫く移動。 ”こんな時”になって…。あぁ。一どきにいろんなことがマンガのように転がって来すぎて、落ち込んでしまう・・(周囲を含めてガタガタ)。が、落ち込むという行為は自分の弱さなのだろう、”とは”思う。
また、孤独さもあらゆる不安に拍車をかけるものだが(自分)、そんな孤独というのも、結局は自分が原因で。


それと前回少し書いたPCメールの行方不明のこと。その後、消えないように知り合いのメアドを登録しておくなどで対処してみたけれど、この数日のうちに別の不具合からパソコン操作そのものがままらない感じになってしまったことや、どちらにせよ暫く不在になるので、PCに来たメールはサーバから直接閲覧することになると思います(=ソフトを介さないため広告との見分けかなり困難)。ですので、不在中のご連絡は携帯へのほうが吉かも。
(一応、ヤフーにyorunoawainoのメアドがある(グイン稀)ので、 応急策でヤフーメールを私のケータイに転送するように設定しておきますので、連絡の際などにご利用ください )

睡郷沼のぬし 6/16(金)
◆水玉。植物の一部のよう。・・いやある意味これも彼の一部なのかもしれないか。
◆大きな夜の小さな花火。ひっそりひととき闇を照らす。
◆花真珠(包み守られた水の珠)  ◆ウンモンスズメ(緑の柄の羽根を持つ。写真では伝わらないのだが、苔と葉の中にいる彼は、まるでそこにあるべきもののよう)。画像左下の個体は肉眼ではやわらかな木漏れ日のような羽根を持っていたが、自分には「それ」が撮れなかった。

気づくととても近くにもう一匹いた。腹の具合から見ると♂♀だろうか。広い広い空の下、こんなに近くに仲間がいたということに、気づいているのだろうか・・
雨
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蝸牛
(←こちらは1ト月ほど前の写真) 写真右)自分の撮った写真というのは変なもので、先日整理するため開いたまま少し考え事をしていたら、写真が動いて見えた。写真の向こうに、撮られた時のリアルな景色を再び見ていたのかもしれない。自分のいる場所はどこなんだろう、と思ってしまう瞬間。孤独な浮遊感。

左)(上は写真 下は絵(写真を撮るまでに時間が経ってしまって残せなかったため))コーヒー。クリームを入れたら、カタツムリになった。「ぁ、写真・・」と思っているうち変形したり目玉も弾けて、姿が消えてしまったけれど。うまい具合に渦になったり、二つの気泡が細く繋って蝸牛が浮かび上がったひととき。
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前回の補足。
◆野焼きの焼け跡で拾った種というのは、野原で花を見つけ種をとろうと思って秋を待っていたのだが、ちょうど種が実る頃除草のため一面焼かれてしまったので・・。
◆二枚目の画像を再度乗せたのは、描き直したのではなくて、説明のため。
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お知らせ 最近PCに頂くメールが行方不明になることが多いようです。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。


睡郷沼のぬし 6/10(土)
絡まりあって縺れて出来た繊維の暗がりは、本当は、残りなく、細かな細かな道のかたまりでもあるのかもしれない。
幼い頃、どうしてもほどけずに私がもみくちゃにして捨てかけた糸くずも、祖母にかかると魔法のようにほどけて一本の糸となったのを思い出す。茂る蔓、毛細血管、くもの糸・・・
網の目のような山の中の獣道や深い農道(特殊な農道で、深い)に入って迷うのも好きだった。
植物の枝の間引きなども、物語が消えてしまうようで、寂しいと思ったっけ・・

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雫(撮影=携帯) 今まで気づかなかった。・・いや忘れたのだろうか?(脳の衰え著しいから)
夜に気づいたのだけれど、今年はえた竹の、だいぶ高く(数メートル程度)なり枝が出揃ってあとは葉が出るのを待つだけのものに限り、それぞれの芽の辺りにたくさんの露をつけている。雨の残り雫でもなし、水散布でもなし、夜露というわけでもなし、・・・その葉のない若木の下だけ、ぽたぽたと雫が落ちてくる。なぜだろう、こういうものなのだろうか? ごくごく若い木に限って、ということもあり、なにか生命力が結晶になって零れ落ちているように見えた。
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虹琴
 ぁ・・・突然だけれど。以前ぼんやり浮かんだ虹琴。(05/02/11)  この虹琴を打つためのマレットはたくさんの雨粒がいい。


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人は、一生のうち、「自分だけのために」使える時間というのは、どれだけなのだろう。本来は、ほんのほんの僅かなものですよね。自分はもう本当に取り返しのつかないくらい、使いすぎてしまいました。

知り合って10年程の、あるつながりのある数歳上の女性。殆ど付き合いはないがたまに連絡を取り合う。同じ悩みを抱える方で、話の中でそんなことを久々の電話で少し話す。他の人には言えない内容の電話だ・・。話して何かが解決することは、まずないけれど、それであっても、ありのままの話を交換できる人がいるというのは貴重である。
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近い人に、そういうありのままをそっくり言えないのがちょっと辛い。言えなければ当然二段階上の状態を求められるはずだが、実際と取り繕いの差分を埋めれずにいる。…が、苦しんでいる人達を前にして言えることもない・・・。自分でなんとかできなかった自分が悪い。

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薄紫色の夕顔(瓜科のユウガオではなく「夜顔」の方)や、野焼き後の焼け跡で拾い集めた朝顔?の種(微妙な色合いの。派手さはないが見かけない色形で種子の殻も少し特徴がある)や、茂みを彩る朝顔の種などを取っていた物を少し前に実家で少し撒いて貰った。夜顔の種は以前買っていたもの。夜に咲くこと以外に、芳香もあるとか。
家の裏の垣には毎年白い朝顔が咲く。誰が植えたかわからない(それだけ古い)。一度朝顔は途絶えていたそうだが工事で掘り返した際、また生え始めたようだ。私が小学の頃などそこに色付きの朝顔を植えたりもしていたが最終的に再び白のみとなった様子。

そこに撒いてもいいかと聞くと、「いいけど白に負けて咲くかどうか」と別に撒いてくれた。件の垣にも試しに少し撒いておいた。ここへきて、今年は今いる場所では育てられそうになくなったので実家に撒いておいてよかったかも。
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HADAKAのCMの曲、独特な音階と澄んだ声、散らばる弦の音が、漂うような雰囲気で惹かれる。そのうちタイトルがわかったら最後まで聴きたい。(ソフィーナのHPでも今フラッシュのBGMで少し聴けるようだ )
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(3月末画像リンク切れ修正)


ぁ、「2枚目の中段2つ目の首の束〜追記。」・・・・・と下で書きながら、違う場所に追記していた・・・(微妙に位置修正)

睡郷沼のぬし 5/25(木)
一日の3分の一すら狂った状態をどうも出来ずにいる現状と、それを一気にどうしても封じ込めなければならない状況に直面している現状の狭間・・・ どうしてこんなことになってしまったんだろう。 そんなしようもない狭間なんかで何もかも浪費してしまうから大切なことがみんな消えてしまうではないか。 悲しいことだ これでは生きてるべきじゃない。先日の独り言のように、ほんと自分は過去に死んでた人の亡霊か何かだったりするのじゃないのか・・・? ああ、牡丹だっていさぎよく首を差し出しているのに

(2枚目の中段2つ目の首の束は牡丹。簡単な説明追記。↓)

睡郷沼のぬし 5/24(水)
1枚目
上段 ◆芽 ◆ 明け方 ◆ 苔の海に落ち浮かぶ ◆ 花の星空のしぶき
中段 ◆雪ノ下 の下の秘境から手招き ◆脱皮◆散り前牡丹・天衣◆外
下段 ◆管 ◆ 子 ◆ 奈落 ◆ 冬を越し、次の夏を待つ蝉の亡骸。ごく薄い色。これが土から歩いて出足り、飛び回っていた時があったなんて  ◆ 夕 ◆ 意味ある混乱
露
2枚目
上段 ◆クラゲ ◆ 拡大 ◆ 血管 ◆ 血潮 ◆
中段 ◆トクサ ◆首(売り物になる根に負担をかけないため牡丹の花はちぎられて捨てられる)◆うちのかつての井戸枠 この石にどんな記憶がこもっているのか・・・◆襟元 (一枚目の天衣)◆
下段 ◆並んだ・赤白黄 いつの間にこんなに大きく?木を見て時間の川に気づく。色んな物を堆積させ、同時に悲しいほど持ち去っていく流れ ◆牡丹と入れ違いに芍薬の季節。(牡丹は見かけと違って弱いので芍薬の根についで育てる。そのため牡丹・芍薬が一緒に栽培されている事が多い)
◆ 風、種、くもの糸、どこまでも繋がった果てしない物語
天衣

睡郷沼のぬし 5/24(水)
むしろ逆だとわかりつつ「あの時自分が消えてたら周り囲はもっとずっと幸せになれてたのに」などと考えたり。死ね死ねと自分の中から聞こえ始めたり。そうして次第に、生きてるのか死んでるのか分からなくなってきて。ふっと「自分はとっくの前に死んでいて、今生きてる気がしてるのは本当は醜い邪気や生きたい欲のかたまりが集まって出来たカゲロウだったりはしないのだろうか、などと考えていたら、とてもとても寒いところにいるようで、分も誰だか忘れて行くような気持がした。なにより孤独で寂しく、この先世の中でたった一人のように思えたり。

夢の中で自分に罰を与えている時は、確かに悲しいけれど実はそこには自分なりの救いがあるのだろう。けれど、その↑「孤独」にはそういう救いがなくなる。底なしになるということ・・ある意味あたたかな罰はそこでは意味をなさなくなるんだ・・・それこそが一番おそろしい

睡郷沼のぬし 06/5/24(水)
痕跡 前回の携帯写真。  いつも思うのだけれど、世の中の全て・・・・石のつぶての一つにすら、長い物語が潜んでいると思うとただならぬここち。

そんな時、偶然図書館で、まど・みちお氏の「遠いところ」に、ささやかだけど気の遠くなるような一編の詩を見つけた。(p94 地球の〜)頭の何かがリンクしたような。
この画集(詩集)、後半の作者のリアルなノートも素敵。

睡郷沼のぬし 06/05/9/(火)
携帯写真・・今日は載せられないのでメモだけ。何日前か、道端の植え込みに、カーネーションの花束がさしてあった。いったいどんな人がどんな理由で・・

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善意というよりも、きっと罪滅ぼしか何かの気だろう。献血車が来ていたので、用事の道順からそれて受付へ。血圧はギリギリok。貧血検査は、オモチャのような検査方法。ダメな血だとプクッと上がってくる。結局献血できないといわれてすごすご引き返す。献血とかするんなら、まずまともになれよ、資格なし却下、ともう一人の自分。


睡郷沼のぬし 06/5/4(木)
自分の足を何度も打ち付けて痣を作っていく夢が印象的だった。自分が嫌で憎くて力任せに打つのだけれど、上手く打てなくて、ますますやみくもに打ち続ける。あざになると少しほっとして、どんどん痣を広めてゆく夢。 でも、現実の中でそんな衝動はよくあって、度々イメージしてしまう。 精神的な病気に関しての特集などを見るとよく自分を殴っている場面も出てくる。中には自分で眼をついて失明してしまったりした人も。そうやって冷静に見ると解決の逆をいくこと、不自然なことだと気づくけれど、また逆に、自然なことだったのかと安心したりも。

----最近の入り混ぜ留記・・所々また整理して書きなおす予定----
夢 あざ
(どれも失敗作に) 使えない作務衣 使えない帽子 使えないコート 
23月
版画
変光星  私も物理の世界の一個にすぎぬこと
個人的日記…5/2数年間逆さま人形 4/30千日前長野先生肖似 29辞典  28喉から血 かりずまい建物工事に困  同級HP 凹 デザインフェスタに最初に出た時の服、間違って捨てたのか?いまや、出たことすらも疑わしい。
村田エフェンディ ・ ワニ
宙の名 − 池澤.星界からの〜  の偶然
オミナエシ 母子草 白黒カラー
コクヨ 宇宙のハードカバーノート 独特の曲線カットや、星の方の罫線(彩度の低い虹色)画魅力日記を「日記帳」に書きたくなるようなノート。*
夕顔の香り
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・・・・・と、無差別とりあえずの覚え書きを書いてみると、「日記」をつけたい気持を強く感じた。ネットのメモとして書きたいことと、自分的にメモしておきたいこと(or公の場には載せたくないこと)、というのは、存外に開きがあるのかもしれない。
(日記をつけていた頃は、さらに 「日記帳に書いておきたいこと」と「記録として(自分に対してだけに?)きちんと残しておきたいこと」との間にも開きも感じていたけれど・・)


睡郷沼のぬし 06/5/4(木)
96さん>メールにも少し書きましたが、お返事書いてからアップするまで少し時間が過ぎてしまってすみません。お元気でしたか?&どうもありがとう。いろいろ凹んでしまって、暗い自暴自棄のような言葉を垂れ流ししかけてたんですが、やめとくことが出来ました。

なんとも。。極寒の地かと思っといた96さんのところでもそんなぬ暖かくなっているんですね。長い冬の間の雪との格闘、大変でしたね。時間がたつのはなんて早いんだろう。すっかりとり残された感じです。

春雨と夜明けの狭間さん>色々とごめんなさい&ありがとう。お声に救われてます。 おぼろ月って、そんなに成長が早いんですね。そして、思いのほか儚げな植物だと知りました(>支え)。 たくさん育てているんですね。素敵です。理解がないなんて、とんでもないですよ。支え(割り箸というのがまたいいです)をしたり植え替えたり枝の処理まで。そしてなにより緑の心?のとても近くにおられるように見えました。

お正月は、うちは、松・竹・梅の枝を床の間にいけるという慣わしなのですが、梅の枝を切ろうとして、どの枝を切ったらいいのかわからず、少し落ち込みました。どれが切っていい枝なのか、さっぱりわからなくて。 季節ごとの剪定、特に成長させるための剪定が出来る人になりたいけれど、剪定のせの字も出来ないのが情けないです。


春雨と夜明けの狭間 2006/04/28(金)
なにか、苦しそうだけれど、、大丈夫でしょうか・・・心配・・・菜の花、書き込みを見てから、何度かいただきました。
春の色がイトオシク思えましたここ数日でした。
桜はほとんど散りましたが、ボタン桜や八重桜、枝垂桜が見ごろです。チューリップも。色々な品種と名前。
そういえば、冬に買った多肉種植物につけられていた、おぼろ月 という植物、最初は蓮華台座のような形をしていたのに、
今では、窓の方に伸び上がって、自力では立てず、割り箸の支柱で支えています。植え替えをした別の観葉植物は弱っているし、枯れ枝を落としたゴールドクレストもしょぼくれてしまった。まだまだ植物に理解がなくて、可哀想なことをしています。でも、春が来たことが嬉しい。睡郷沼のぬし様が、穏やかでありますことを。

96 2006/04/24(月)
やっと雪がなくなりました。

桜の花が咲いています。

外には暖かい風が吹きはじめました。

ぁぁぁ・・・
睡郷沼のぬし 06/3/28(火)
 菜・住職    浮かぶ
左)
野菜売り場にて、菜の花一袋100円。食べたいのと瓶に挿したいのが合わさって、もらって帰る。体の要求と心の要求の天秤のことについてぼやけた頭で意識徘徊。

次の日、放置していた袋を開けて、一本挿す花を決める。取り出してみると5,6本どれもくの字に少し曲がっていて、なんだろうと思ったのだが、切られた菜の花の茎が、なおも光を求めて伸びようとしていたのだろう気づく。
それで、今度は、自分と、菜と、(あと世界も?)の間の天秤のことについて、ぼんやりと・・。

しなびた菜の蕾は水切りで驚くほど生き返りあっという間に花を咲かした。菜の花と薄紫の大根の花が隣どうしに植わっていたうちの畑と春の風を思い出し、積もった時間にうずもれる。

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住職スタイルというのに、昔から意味無くどこか惹かれたりした。そんなイメージの物があれば着たくなりそうだけど、出歩かないので見つけない。夏の透ける感じも好き。薄物はおもちゃミシンで縫えないのが残念。(黒い線は縫い目の透けたとこ)
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(右画像)
夢像。働かぬ頭で寝床で半分寝ながら読んでいたからだろう。「ぐるりのこと」という本の中の「もう問いもスタートも要らない、ゴールは、辺りに充ち満ちているのだから」という行を見ながら、こんな夢?を同時にみていた(絵)。
たくさんの綿毛のようなものが、茎から切れて、そのまま真っすぐにゆっくり空へ上がっていくところ。

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[鏑木清方随筆集](*多分)。 数十年分の随筆が正月から始まり季節を辿るように季節軸に並べられているので深く長い絵巻物を見ているよう。たまに挿絵があったり、雅号が決まったときの話なんかは意外。

「ちょっと前までは良かったなぁ 前とは言っても江戸くらいのことだけど」とか「時代が変わった」的なコメントを読むにつけ、今の世界にもお連れしてみたくなる。「昔のように素足が見れなくなった」と書いていた彼だが、しかし現代の素足の姿では引くかもしれない。

睡郷沼のぬし 06/3/21(火)
プラネタリウムといえば、以前からのかすかな・・ある意味野望というか、行動には至らないくらいの微弱な創作欲として、この星が広がる天球に、自分がこしらえた星座を新たに埋め尽くしてみたい、・・・つまり、もう一つの星座版を作ってみたい、という気持ちが、かすかにあったりもした。でもそれはきっと驚くほどの熱意や労力・集中力がいるし、実現はされならないだろうので、かわりにここにメモすることで半分よしとする。

星座ごとのストーリーも作って、長い時間をかけて完成させるようなことを、自分がやってみれたらいいなと。 で、最終的にそれをプラネタリウムにして、その中で、そのストーリーにまつわるオブジェを並べたりしてみたいものだ。
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先日、学研のプラネタのことを書いたら、欲しい人が他にもいたらしく、それを聞けたこと自体が買うことより自分を満たせたかも。その人が先に手に入れて楽しんだとしたら、自分の楽しみも一緒に果たせるような気が気がちょっとした。

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だ乱丁だろうか、それとも意図的か?「だ」が転がっているけれど・・。梶井基次郎「過去」の5段落目。乱丁だとしたら、全国のどこかに兄弟が散らばっているかも。

目印は、「筑摩書房 日本文学全集35 梶井基次郎 堀辰雄 中島敦 集」。昭和45年発行 第何版かは不明 黒地に金字・裏表紙に一円玉の草のようなワンポイント。図書館の。

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足が痛くなり始め、何の筋肉痛かと思えば、絵を探したためらしい。たったあれだけで・・・?何日か前、引き続き、ある絵を探していたのだ。結局、絵はみつからなかったが、段ボール箱を掘り下げていたら、昔買ったままの積読本がたくさんあって寄り道。

「蕁麻の家」* 小説として手法による効果的なカット・デフォルメなどの強調はあるそうだが、壮絶な・・。
萩原朔太郎の長女ということで、ちょっと、「詩人なんて、はぁ」と言う気持も沸いたりするけれど、誰にもどうにもならない成り行きだった気も。彼女のその後の生き方(これもすごい。とりあえず、葉子氏が晩年輝かれていたようなのが救いだ)や、色んな側からの感想などを見てると、一瞬大きな希望を感じたりもするのだけど、同時に絶望や虚無感が入り乱れて人生というものが無性に空しくなったかも・・

なんだか、結局私の頭に残されたのは(本の中には出てこないけど、) お父さんの「人生は過失なり」という言葉だったり。

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拾うアンテナ。(終着点がしょうもないけど、たんなるメモ。とくに意味はない。)

つねづね、人が持つの「アンテナ」が張られた時に、それが拾うものだとか引きつけ・導かれる力とか偶然のめぐり合わせや発見力の妙?を感じる(逆に張られてない時は全く引っかからず)のだが、そんなのの証明のようにして、色々結びつき、最後におかしな言葉が絡まって止まった夜。

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本関係のページから、あまり意味なく高圧送電線関係の興味へ流れていった。「いらくさの家」の中には、萩原家の近くにある大きな送電線が何度も出てくるのだが、ストーリー中、それに登って自殺を思想になる場面等もある。私の今いるところの近くにも送電線があって、私もそれに登って死ぬことばかり考えていたことがある。見るともなく電線のページを見ていたのは夜中で、ちょうど通販番組をやっていた(全く見てはいず、流れていただけ)。さっきからなにかがカチッと合う感じがして、不思議な感覚があったのだけど何なのかわからなかった。暫くしてやっと気づいたのだけど、「高圧センジョウキ」のCMを体が無意識のうちに頭のどこかでずっとキャッチしていたようだった。高圧線と高圧洗浄器‥‥。だからなんだというわけではないけど、そんなものまでアンテナにひっかかってきた、というだけのメモ。


睡郷沼のぬし 06/3/15(水)
何も出来ない日がおそろしく続いてしまった・・長らくぶりで胡粉の瓶をあけたらドロドロに腐っていて凄まじい雰囲気と悪臭。
改めて溶き直す。ちょうどそんな次の日の今日、姉の電話で「人形作ってる?」と聞かれた。言葉の裏には無意識にでも色々含まれているのかもしれない・・以下、最近メモしていたものをまとめて。


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正気がおそろしく続かなく、ちょっとした切れ目が即洪水。やっと最近、たとえば食事を一日おきにするなどして極端に切れ目を無くしたりして、意識を繋いでみたり。逆にいえばそんなことをしないと繋ぐこともできない感じで、大切な用事さえも、そんな中でしか出来なくて困っていたり・・。そんな風にしても、僅かにこちら側に帰ってこられるくらいで、すぐにかき消されてしまう意識。

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夜中に突然トマトに取り付かれた・・食感などが湧き上がってきて、とても欲しくなって。イメージはさらにイメージを引き寄せてふつふつ。夕方プチトマトを一パック。 触った時、口に入れてかんだ時、飛び散る水分・・。帰り道にはもう拭き拭き食べていた。不思議なくらい何とも美味しくみずみずしく極上の果実のようで何か取り付かれたように意地汚くがつがつ。帰るまでになくなってしまった。
わらかい瑪瑙(メノウ)とか木になるルビーに思えた。
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15年も前に亡くなった家族がありありと夢に。そういえば、「記憶色」という言葉があるが・・。
記憶も時間と共に、生き生きと、本物よりも本物と化してくるのかもしれない。数十年後に自分が生きていたとして、自分がどんな場所でどんな夢をみているか考えてぞっとする。

自分が現実に生きているのか夢で生きているのかわからなくなる瞬間。あちら側に出来たもう一つのストーリーは、しかしきっと黴の胞子が空気に描く虚像のようなもの。

土曜は鬱気のせいか、怠けのせいか、頭痛のせいか薬のせいか、眠りのツボを押してみたせいなのか、どうにも起きられずそんな夢を見た。起きたら3時過ぎで、TVを付けたら、蟲師をやっていて、終わりの少しだけ見たけれど、昨日(11日)は星の話?で映像がとてもよさそうだった。綺麗な映像のときに限って見逃してしまう・・がっくり。放送が一足早い関東なら、関西の録画代行を申し込めたかもだけど・・
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星といえば、大人の科学が、色々出てきている。どれも作りたい。二千円弱のプラネタリウムなども魅力的。ただ、一人で作って置いてもつまらないかもしれない・・ 参考アドレス* *
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尾崎紅葉の病骨録。最初短編かと思ってページを繰ったら亡くなる一ヶ月前とかのノンフィクションだと気づき、一度閉じたが結局再び開くことに。先の運命を知っているのでいっそう、[其のニ]の五や六が切ない。希望通り50,60まで生きれていたらどんな物を生み出していただろう。
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縮小(拡大)以前古本屋でなんとなく買った季刊紙「銀花」を見ていてすばらしい本(人)を見つけた。ひとり工房の川岸冨士男氏による”季刊誌「翠花」”という一部限定手書きの本。1980年代ごろ。一年くらいかけて一冊ずつ、計10冊作られたらしい。写真は銀花誌上で特集された写真をさらに私が写真に撮ったものなので、質感が伝わらなくて残念だか、手触り感(直接見たわけではないが)や、色彩や内容のチョイスなどすばらしい。翠花の中の「写真」風の部分も全て氏による手描きで、パソコンのフィルター処理画像のようなのまで手描き。

こんな、詰め込んだ感じのものが好きで、小〜高時代など、「○○新聞」(○○=伏字)など、遊びで作ったことなどあったが、当時(興味が最大限に伸びたり集中力が持てた頃)、リアルタイムで見ていたら、もう少し今の自分は進歩してたのかなぁ・・。 (参考URL * *)   

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以下、ひな祭りより前に書きかけたのだけど、月日は早い。 雛人形、しまうのをもたもたしていると今期が遅れるというのは、自分で証明されそうである。うちはとりわけ長く出していた気がする。
だけれど、せっかくのもの、せめて1.2ヶ月くらいは飾っておきたくもある。

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雛に惹かれて手にとった「雛がたり」という小説の次にあった「国定えがく」に寄り道。家族のやりとりや物語の散りばめ方が色んな意味で切なく切なく個人的ツボかも。合わせて「ニ、三羽――十二、三羽」に寄り道。展開と、登場人物が作者と重なる感じ(実際は違うのかも知れないけれど)が好き。
なんだかんだ言って、HPでもブログでも作品でも何でも、最終的に作品より作者の存在を求めてしまうようなタイプだったりするのかもしれない。
こうやって現実逃避をしている罪の念をじりじりと感じているので、あまり自分にも曝けたくない寄り道だ・・。だけど、寄り道できただけ、意識が保てた分、まだ良かった、というのも確かで、(また、言い訳でもあるかも)。
ところで恥ずかしながら、以前から何だろう?と思っていたけれど、”えがく”の意味がいまだにわからない。馬鹿かも。

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以前古本で見つけて本棚にうずもれたある詩集久々に偶然開く。今逃げ込める本だった。特別あったかくも、寒くも、明るくも、突き刺さりもしなくて、色恋でもなく、また変に尖ってもいない感じ?だけど深く暗く響くような。

1930年生まれのかたの「影絵」という詩集で32歳ごろの本。この方の本は後から2003年に出された詩集を古本で見つけて期待しながら買ったけれど、その研ぎ澄まされた感覚は自分にはまだわからないのかもしれない。ただでさえ精神年齢低いのだから。(簡単に考えて)以前の作品を越したものの?はず。目が文字だけを追って上手く読めない自分が情けない。結局新しい方はまだ棚の奥。いつかそれをちゃんと読めるだけの自分になれる時ははたして来るかどうか。
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他の絵を探していて、たまたま見つけた鰭崎英朋の 蚊帳の前の幽霊 参考 @幽霊ギャラリー* 

探していた絵は結局見つからず。蚊帳の前の幽霊は検索中にこちら*  で見つけたのだが、以前から好きだった絵も幾つか載っている。
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自費出版図書館(*)。自費出版の図書館・・・もう少し大規模&システム化すれば便利そう。


睡郷沼のぬし 06/2/9(木)
なんと、お帰りなさいませ。長旅お疲れになりませんでしたか?

甲斐あって素敵なご体験&作品作りをしてこられたようですね。講習だけであそこまで作れるなんてすごいです。次の目標なども拝見しましたが、やはり芯からの「創造人」さんでいらっしゃるのだなぁと、とても感じました。

「これまでの感じだと前日くらいまでに1、2名のキャンセルがでるから」とキャンセル枠に入れては頂いてたんですが、連絡が無かった(ただし、単に私が気づかなかった確率も高し)ところを見ると、皆さん真剣で熱心だな方ばかりがそろってらっしゃったのでは?そうだとするとますます楽しそうですね。

いしる 2006/03/06(月)
こんにちは
グラスアイ講習会行って来ました
講習会の応募が多数だったので また募集するかもしれないと言う話でしたよ 

睡郷沼のぬし 06/2/16(木)
↓カレンダーのリンク先、もう少し見やすいところに変更。こてこての和風な感じの絵柄も好き。農家の出なので農暦もなんとなくなじみ深く。

睡郷沼のぬし 06/2/16(木)
↓カレンダーのリンク先、もう少し見やすいところに変更。こてこての和風な感じの絵柄も好き。農家の出なので農暦もなんとなくなじみ深く。

睡郷沼のぬし 06/2/16(木)
私が生まれてから今日(昨日)で11000日目らしい。たまたま計算できるページを見つけて入れてみたらそんな切れのいい数字が出てきた。○○日目は何月何日か、という計算もワンクリックで出て来る。

ここ何年か使っていた二十四節気・七十二候歳時記カレンダー(小)(月の満ち欠け 句や歌など、季節の絵柄と共に色々と書き込まれている)が、今年は用意できなかったので、せめて月齢カレンダーでもプリントアウトして使っておこうかと思い検索。月齢と潮の状態が載っている月齢カレンダーを見つけた。暦のサイトらしくて、暦に関する様々な項目が用意されている。それで色々開いていて「日付の電卓」を見つけたのだ。この10年は本当にひどい時間の使い方をしてしまったから、11000などというそのような大きな数字を見るのは苦痛である。半分取り戻したい気持だけれど、生きている以上、大きな空欄とか後悔とか、そっくり抱え、含めて、進んでいくよりほかないのだなぁ・・

睡郷沼のぬし 06/2//14(火)
どうにもだめだめだめ・・・

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真夜中ゴールデンタイム・・・

「怪〜ayakashi〜」という番組で古い文学等をアニメ化した作品が数回に分けて三作品放送されるようだ。大阪は月曜。
泉鏡花の天守物語がアニメ化されて放送がはじまると知って放送を見てみた。公式hpの予告(あらすじ)を見た時は「興味あるのに絵(キャラクター)がちょっと・・・」と思っていたのだが、実際の放送を見たら綺麗だった。
天守物語は以前読んで「いいなぁ」と思った本なのにさっぱり忘れていて自分の脳が虚しい。さておき鏡花のアニメ化、他の作品もしてほしいなぁ・・

↑前作は四谷怪談だった。何度か夜中に途中からその番組に遭遇して、最終回でやっと最初から見れた。ただし「ながら見」だったので途切れ途切れ。終わりかけになってやっとまともに見たらドラマチックなラストで衝撃だったかも。ちゃんと見ておけばよかった・・

そして土曜の夜3時頃は蟲師がやっている。これは背景映像も綺麗。色合いもやわらかく、竹や桜や雪が散る場面などはとても幻想的だった。先ほどついでにサイトを調べてみると既に15回以上も放送されていたなんて、もっと早く気づきたかった。なんとなく平行線な?感じもよい。孤独な人が夜中にこんなもの見てると、つい何かに足をすくわれたり開くべきではない扉を開いてしまいそうな気もする・・時代も次元も曖昧で主人公も放浪しているのでなおさら・・

あと、その蟲師のある夜、少し前に地獄少女というのもやっているので、それも見るともなく見てそのまま蟲師へ移るのもいいかも・・・。主人公の声も魅力的。

最近やっとそれどれの放送時間帯がわかったのだが、しかし続きものっていやだなぁ。小出しされたものを毎回こまめに見るのもなかなかだし、続けば終わるのも寂しい。

あと、三つとも、エンディングも耳に残る感じ。
&古風テイストのアニメ流行ってるのか・・・?

睡郷沼のぬし 06/2//5(月)
鬼もうち  福のうち・・・


豆を撒いて退散させるのもよいが、お供え物として豆を撒きそれを食べてもらって強い力で色んな事から守ってくれる、という言い伝えでもいいなぁ、と思う。

実家では今年は念入りに豆を撒いたとか。一人暮らしでろくに友達づきあいもしないため、行事ごとは街角やスーパーやメディアで間接的に触れるだけになってしまった。日々の起伏は混ざり合い引き伸ばされ。自分と鬼との境界ももはやない。


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実家の家族が行方不明に・・。部屋の中を歩くのもやっとくらいの感じで、かつ、何十年も外泊などしたことのないような人が、突然消えて大騒ぎに。結局無事帰ってきたけれど、話や証拠をつなぎ合わせたりして、事の全貌が明らかになると、本当にラッキーだったと、運の強さや親切な方々に感謝と驚きの気持。

最終的にヨミというところの警察から連絡があって無事が確認されたのだけれど、瞬間「黄泉」が連想され、ドキリとした。とともに、ヨミで見つかった(から帰ってきたという)だけに、もう安心だと大きな安堵を覚えた。

元々あまり健康ではなくて、車でもあまり遠くへ行けなかった人が、道に迷いながら驚くほど遠くまで行ってきたらしい。そんな「大旅行」がたった一人だったのが、少しもったいなかった気がした。(もちろん今回は旅行どころではない状態だったのだけれど、事なきを得た今なのでこんなことが書けている)

ただ、私がもっとしっかりしていれば、本当は家族はもっと幸せになっていただろうと思うと、すごく悲しくなる・・。鬼がいるとするならば、やはり私そのものだと思う。自分を消したいかも・・


睡郷沼のぬし 06/1//29(日)
追 エンボスの型の図案など

睡郷沼のぬし 06/1//29(日)
刻 篆刻風の「夜境」。左と上。  それを作ってみるきっかけになった真ん中の2つは「幸子」という印を彫ってみたときの図案。幸の字体を調べてみると、下の黒字のものなどがあった。左側のが最初に本で見つけたもの。この自体は全体的には好きな形のだが「幸」は、舌を出しているような顔に見えるので、人にあげたりはしにくい・・。他の物もあまり「これ」というのがないなぁ、と思っていたけれど、実際に描いてみるとアレンジしやすい文字かも。円で囲むと寄り添う二つの文字、という感じになるし、幸子という名前を羨ましく思った。それでなくともいい名前だし・・
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数日前、12/10に書いてた香りの名前が偶然わかった。でも、それを検索してみたところ一件だけ個人サイトの記述の中に名前があっただけで、その存在は殆ど消えてしまったようだ。

偶然は重なる物で、今まで街で出くわしたことの無かったその懐かしい香り(に酷似した)に初めて出会ったかも。それはスーパーですれ違った人で、付いて行きそうになった。 千載一遇の機会ではあったのだけど、突然「これは何の香りですか」と聞くわけにもいかず、去っていくのを目で追いながら 残念がった。もう少し雰囲気が違う人だったら聞けていたかもしれないけど・・。やっぱり恥を捨てて訊いてみればよかったと、後悔したり。「でもどこかで手に入る香り」として存在しているとはわかった。
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話と香りは変わるが、かなり前からある資生堂のホネ石鹸(ルビー色の透き通った石鹸)の匂いも好き。なつかしい。検索してみると「懐かしいお母さんの香り」とか「古い鏡台」的なイメージが多いようだけれど、うちは父が使っていた。化粧っけの全く無い家庭の中、この石鹸が浮いていた・・。(父専用。においがいい、といっていた。) 当時(小中頃?)の頭では、「石鹸に500円もかけるなんて・・」とも内心思っていたけれど、今思うと、普段の生活が質素なだけに、それくらい全然よいではないか、と、当時の自分の心に言いたい。 その父も今はもう匂いを感じることは出来ないのだが。
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睡郷沼のぬし 06/1//24(水)
 
 眼鏡
割れた眼鏡がちょくちょく引き起こす小さな騒動   割れている。壊れているのとは微妙に違う
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割れた赤い瓦の話を聞いた。昭和22.3年ごろ?地元の赤い瓦屋根の家に発狂した人が火をつけて全焼したらしい。その瓦は砕かれて、島の道に使われた。そして今その上にアスファルトの道が出来ているのだとか。物事は鎖のように、ずっとずっとつながっていくのだなぁ、と思った。
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おもかげを見る力が人一倍無かったかもしれない。中高の頃などは、たとえば「これが祖母の若い頃だ」というふうな変化とか、「だれそれは誰に似ている」というふうに面影を重ねたり繋げることが出来なかった。また生で見たことのない祖父の顔も、数枚の(&不明瞭な)写真からでは認識できる像として掴むことが全く出来なかった。

変化を繋げられる力と言うのは何によって培われるのか知らないが、それを見る回数よりも様々な人や流れを見ることによるのかもしれない。
というのも、先日10年ぶりくらいでそれらの写真を見てみると、当時は別人にしか見えなかった若い頃、または幼少時代の顔が「まさしくその人」としか見えなくなっていたり、そこに祖父がいることも知らなかった大人数の集合写真から自然に「あら、こんな所に」と祖父を見つけたりした。

自分が時の流れを繋げることにこんなに時間がかかったことを考えると、祖母の葬式の時、額の中の写真と私のおば(祖母の子)を指さして「この人と似てる」といって見せたどこかの小さな子供は本当にすごい目を持っていたのだなぁ・・
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また、教室(裁縫)にいけず・・
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縮小(拡大)   
何年も前の写真。いくつか。背景は、明るいところでは見えにくいかも。田んぼの朝露。その他、空の写真など。左上から、鉄条網を伝う蔓。空の色。鱗雲(何かが一気に散って広がる瞬間のよう)。紅葉。大きい雲。雲の陰。など。◆これらはデジカメを使い始めた頃のもの。すぐにカメラの調子がおかしくなって、今の物を譲ってもらった。前のカメラは、調節もまったく出来ず、またその場で確認することもできなかったので、とても面倒だったが、しかし、デフォルトの設定のインスタントっぽい色合いやコントラストが、逆に良い特徴のように思える。今のカメラも性能は良くないけれど、比較的風景のまま取れるので、これで撮った物を、以前のカメラの写真に近づけようとすると、けっこう難しい。

睡郷沼のぬし 06/1/24(水)
96さん> こんにちは。今年もどうぞよろしくお願いいたします。そちらは雪大丈夫ですか?雪かきもご苦労様です。セキがすっかり治るまであまり無理なさいませんように  ・・といっても、降るものは降るのでほんと、想像すると大変ですね。作業などお気をつけて。

フォローどうもありがとう。価値観は作者が決めていいとすれば、やっぱりひどいものです。せめて自分の中で「いいなぁ」っていうものくらい作ってからの話ですよね。自分でも気に入らないから、このまま作ってても、と、いっそう先が思いやらて。・・・でもそれより、何か物を作れるような状態ではなくなってきつつある方が問題かも

そうそう、夜中3時ごろににTVで、蟲師のTV版が流れてるみたいで、たまに出くわします。そっちでもやっているのかな。最近も読んでらっしゃるのかな。アニメなどを見るといつも思うのですが、たった一人のイメージした世界を、皆で一つの大きな物に作り上げていって一つの形になるというそのことって、すごいことですねぇ。

96 2006/01/21(土)
お久しぶりです。96です。今年も宜しくお願いします。

えいこさんの作る人形。
自分はとても好きです。
多分ここに来られる方々も好きだと思います。
美しい美しくないの価値観は作者が決めて良いものだと思います。
それが創作だと96は思います。

睡郷沼のぬし 06/1/15(日)
もう1つ、寄せ集め写真の「西風の木」のメモが抜けていたので、14日分に補足。(一度データが消えて書き直したので、書き忘れだらけに・・)
―--―--―--
このところ、時計の針をもどすことが出来たら、もしくはこのまま全てを凍結(or消すことが)できたら、などと、そんなことばかり考えて暗くなっていたけれど、撮った写真は、流れの中でしか見ることが出来ないようなものが多かったかもしれない。撮った物を見て、「そうなのだ」と、自分を納得させたりしている。
―--―--―--
デジカメは冬は厄介。冷えているせいか、すぐに電池が切れてしまい、撮るどころではなく・・。島の神社の苔等ももっと撮りたかったが、数枚残せたのが精一杯。

睡郷沼のぬし 06/1/14(土)
1枚目のリンクの間違い、また、4枚目の写真の描きこみ&説明が途中で忘れたままで終わっていたところなど、少しだけ修正。

睡郷沼のぬし 06/1/14(土)
さみし悲しかったり、非常に困ったこと、またありがたかったり、ほんとうに幸いだったことの、 ないまぜになって雪に埋もれる。全てあわせて、吹き溜まりの陰のグレーの色あたりだろうか・・

まとめ書きな分、あったこと感じたことをあれこれ垂れ流さずにおられそうだ。もっと個人的な雑記帳がもう1つ必要なのかもしれない(私には無理だが)。

―--―--―--
最近の島の写真を、いくつか。メモは後ろにまとめて
縮小(拡大)   

風の音
風色 音色 (これは、録画機能で撮影したもので、元は音つきの動画。)
葉のざわめきと共に、絶えず変化するこの影の形と光の色合いは、見飽きることがない。


流れ

一輪  
―--―--―--
3枚目 左上から
◆竹の横の小屋(その、廃屋の話のところ)のツララ
◆ざわざわ サッシがない分、届く物は直である。寒い(暑い)けれど。
◆神社の裏のヤツデ。とけ残った雪が冷えて出来た小さな塊が、なめらかなガラスのようだった。
◆しずく凍る寒さ
◆廃墟・廃屋について思ったこと。……これ(右)は、まだ一応使っているけれどうちの敷地内の建物。これまで、廃墟というものは私にとって、ひそかにかに息づく封じ込められた過去の記憶、残留、その他様々な物を感じて、強烈にひきつけられるものであったが、今回あらためて、自分の記憶の残っている所が廃屋のようになりつつある場所にたっていると、廃墟というのはただの寂しい抜け殻でしかないような気もしてきた。「これは、違う、全く。感じるなら生で、在りし日のそのままを感じてほしい(&たい)」と、そんな風にも思ったりした。未来からでも過去は再生できないのだなぁ・・
◆西風の木。この日も西風だったと雪が教えてくれた。海から坂を登ってきた風が長い時間をかけて、木をこんな姿にさせたのだろうか。
◆西風の木・・・その2。明け方の空は色々。
◆積もり具合が、枝に咲いた花のよう。
◆こちらはうちのヤツデ。門口に植わっているのは、人がたくさん来てくれるように、との願いだとか。 ◆長い間生きてきた苔の上の、つかの間の雪。朝日がさして光った。(神社にて)
◆赤白隣り合わせで咲いた椿
◆今年は(柿)ゆず、橙とも鈴なり。裏に橙が植わっている。枝のしなるほどに実った橙のとても大きな沢山の実を見ていると、「いつのまにかこんな物を地面やなにかから作り出してしまうところの植物というのは、不思議な物だ」と思ってしまう。手品のよう。

―--―--―--
1枚目
◆「こんな感じの物を作っている」ということで、人形を家に持って行った。「作るのはいいが、とりあえずもっと美人につくらないと。人が見て『あぁ、いいなぁ』と思うものでなければしょうがない。(=こんなんじゃサッパリ駄目)」という意味の言葉をもらった。忌憚ない意見は貴重である。
個人的には美人とか作る気はないけれど、上のような言葉がぱっと出るということは、やはりそれだけの物でしかないということだろう。なぜなら、もし全然美しくなくても、何かしらの魅力や力を持っているものなら、そういう言葉はでないだろうと思うので。
(なんだか、そんな物を持っているのが嫌になってきて、その場で壊して捨ててしまいたいような気になった)

そんなわけで、人形など作るのは早めに辞めた方が賢明なのかもしれない・・
―--―--―--
4枚目◆雪の舞う空の下 なぜか一輪だけ花が咲いていた。焼き初めを終えた昼、(色々の)鬱屈とありがたみを抱えて歩いた長くて短い道すがら。

睡郷沼のぬし 06/1
あけましておめでとうございます。
旧年中は色々お世話になりました。本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。 全ての人(&その他)にとってよい年になりますように

睡郷沼のぬし 5/12/29(木)
(文字(=画像の長さ)が横長で読みづらくなってしまった・・)
 05のこりわずか
左)
これも次に出てくる石の続き。石路線はやめて貝で何か作ろうとしたのだが、途中でこれは「手紙」としていけるのではないかと、個人的な工作試作モードに変わってしまい予定外の方向へ。便箋は片側の端が細かく刻んであり、それを一度細く巻き上げてから、巻いた部分を貝の中に入れる。読む時引っこ抜いて開いていく。貝の封筒。。

で、結局何ももって帰れなさそうだな・・・。普段お世話になってるのだが。

中)
これは本当は姉に何か作ろうと思っていたのだが、こういうものだと色々問題がありそう(相手の「こんなのもらっても逆に・・・」、とか、好み、肌や服を傷つけたり)というようなことを考えたりして、やめることにした・・・。(今の彼女に似合うかもしれない」と思ったアクアマリンの小さなかけらがあったのだが、サイズと形がちょっと。写真はアメジスト。元は小さく砕いただけのもの。

右)
身内へ。写真の人物が、昔切手とか集めていたようなので、おもちゃのハガキと切手セットっぽい工作。(丘空というのはあるものの名前。ロゴなどは変えたけれど、よく考えたら「NIPPON」いうのは日本郵便の日本だっただろうか。「みほん」とは入れてあるし何でも使わずにとっておくような人でもあるので、間違って使われるようなことはないだろうが、どうせ使えないんなら、もっと切手からかけ離れた発想のものにすればよかった。値段(価値)とかももっと違う風にしたり。

―--―--―--
すす払いは帰る前にもう終わったらしい。うちに生えているわずかばかりの竹の葉を使ったそうだ。小さい頃は、もっと茂のようにみに見えた気がする・・。
年末年始は一人で過ごしていると、本当になんでもない日なのだが、人がいると、・・ことに田舎の実家となると儀式としてやっていかなければならない。以前は無駄なことにもおもえたしルーズなわたしには難しいが、建前としては節目というのは精神的にも大切なんだろうなぁ、というか、そういうとこをきちっと出来る人はやっぱり違うんだろうなと以前より感じるようにはなったかも。
―--―--―--
家に着て帰ろうと思っていたコートを自分で洗濯しら凄いことに。
で、お古のコートの出番になるかもしれない。元の持ち主は誰か知らないが男物。もともと着るものは広い方が好きなのだが、Mなのに本当にダブダブで、うごきづらい。「やっぱり生物の決まりごとはあるのだ」と実感した。安かったとはいえほとんど着る機会がないのがもったいない。 お古の衣類に対しては、身内や知人くらいしかあまり心を開けない?が、他のもの、特に本などは、逆に自分とは全く関係ない人の痕跡が残っていると、そこにひかれてしまったりする。たとえば本ならば、植物が挟んであったり、メモがたくさん書き込んであったり、手紙が入ったままになっていたり。なんとなく、心の友が出来たような思いがしてどこか嬉しくなるが、本当はその心の在りかはとても遠い。
―--―--―--
それよ急いで準備をしなくては。
皆様よいお年を


睡郷沼のぬし 2005/12/25(日)
クリスマスの日に、起きたらプレゼントがあるものだとしたら、毎日がクリスマスなのかもしれない。そんな貴重な毎日・一秒、だと思う。けれど、思うだけになってしまっている現状・・・。
そうそうこれも同じだ。いつだったかTVの相談で相談者が感謝だけでは甘えだと諭されていて、自分自身気にしていたことだったので、じりじりと痛く、目をそむけずにはおれなかった。

―--―--―--
先日ああ書いたあと、文房具屋へ行った際に安い付けペンがあったので買ってみた。当時(高校時代くらい?)使った時はどうして気づかなかったのか。とても書きやすいし、また第一に筆のような「線のニュアンス」が出せる。こういうものが今まで欲しかった。その理由などから以前は筆もよく使っていたのだが、便箋の細かい行に文字を続けて書くには筆は使いづらかった。試したペン先の中ではGペンが気に入った。漫画家さん等のようにちゃんとした線をちゃんとした色で書く必要は無いので、インクは絵の具で代用。代用だけれど、質感や色をを好みでなんでも選べるので悪くはない(+安いし)。
(当時は少し高価なペン先を買ったのが裏目に出てその分面倒で嫌になった気もする。)あとインクジェット紙などには性質上使えないのが少し残念だ。

近年は年賀状を買って出さなかった年や年賀状も買わない年が続いたが、ある理由とたまたまの運・奇跡から、年賀状を何年かぶりに作るに至った今年。年賀状にはそのペンは使えないけど、使えたら使えたで面倒だったかもしれない。。内心ほっと。「適当にやる」ことのほうが自分にとって本当はベターであろう場面は過去にけっこうあった気がする。(反面、適当にしてはならない場面で適当すぎるのだが・・・)

―--―--―--
21日のようなのは、そういう種類の物があるのか、よく知らないので、なんと呼べばいいのかわからないが、「回文」などのように呼び方があれば知りたい。便宜上自分の中だけで重文とか透文あたりで。
画才が欲しい。回文や重文が浮かんできた時、それを絵にしたいと思うことがよくある。その幽かなイメージがあるのだけど、自分には描けない。一行以下の画力って悲しい   

睡郷沼のぬし 2005/12/25(日)
シダさん>
そういう、手紙とか作るのも、本来は好きだったと思うのですが、なかなか出来なくなってしまった自分がいやだなぁ・・。 こうしてますますつまらぬ人間になっていくんでしょうかねぇ。

>最近はかなり開き直って派手な格好とかしてるので
わぁ・・どんな感じなのかなぁ・・・。何年もたったから感じもだいぶ変わってるでしょうね。
開き直り方が私と真逆な分、やはりお洒落で且つ、色気もあるのでしょう・・。私、最近では衣装を着るのとかも面倒になったり、着たら着たで手入れも億劫だし、スゴイ構え(方言?)です。

脳は、いえ、何年もずっと。だんだん。脳細胞が急速に死んでいるのでしょう。謙遜とかではなくて理由もあるから、多分そのせいですよ。10年程前からちょっとずつ、だけど確実に加速してきていると自分でも感じていていやな感じです。 「そんな年でもない」って、フツーに言えるシダさんはほんま脳が若いでなぁ・・。

>もう少し近くなら僕が猫と一緒に留守番とかって案もあるんですけどね。猫が懐かないし、そもそも恋人でもない男に留守は預けないでしょうけど)

いえいえ、そういうのもすごくアリですよ。あぁ、もう少し近かったら。ただ自分にとっては高級すぎか。だって普段あまり誰ともかかわりをもたないような奴が、いきなり猫だけ預けていくとか、平気でしょうか?何か物事を頼むなら、自分が頼めるようなこまめさをもっていたり、いい人だったり、普段からしっかりした関係とか根っ子を作れるような人間でなければね。メールすら出来るか出来ないかという自分の性格なので、自分から仲良くなるのを遠ざけてしまったりして、頼み事も出来ないような環境をわざわざ作ってるかもです。

実はあの後、「近所でペットホテル知らないか?」という電話を半年振りにした人が居るのですが、その人が「それくらい預かるよ」と言ってくれたのです。(その半年前の連絡とは、同じ調子であることをお世話してくださいました)。でも、上のような理由を考えて、今回は自分でなんとか・・。大阪に戻ってきてもすぐにその人とこに行ったりする必要もありますし、色々考えると。本当は人と関わりが持てるなんて、それ以上のすばらしいことは無いだろうのに、わざわざお金や大変さと引き換えにしてまでそれを避けてしまう自分が情けないです。今回は付き合いにくい人という理由もあったとはいえ。

その後、空いてるホテルはなんとか見つかったのですが、出展等で行く時のように絶対無理というわけでもないし、お金もかかるし、また自分がそんなにラクをして帰ってはいけないような気がしてきて、電車に一緒に乗せて帰ることにしました。長時間の移動中、鳴き声(かなりすごい)とかトイレとか、あと高齢なのでストレス大き過ぎないかも心配です。 p.s.大きなクラフト・手芸品のお店へいったら帽子を自作できる専用の型紙があって、自分がマメな人だったらよかったなぁ、と思いました。下にシダさんが書いてらしたキャスケットってやつかな。シルエットは自分の好みで調節できるので、作るのが好きな人には楽しめる型紙かも。外国の子供とかだととても似合いますよね。


シダ 2005/12/22(木)
書き忘れがあったので追記です。

一人笑いはね、します。はい。しますよ。
ただ、屋外とか人前でやっちゃうと不審者扱いなので、あくまでほんとに1人の時だけ。ネットとか見ながら笑ったり「えー」とか云ったり、傍から見たら結構やばい人だと思います。
……えーっと、表情筋の訓練ですよ!
ただ、癖が付くと外でも思い出し笑いとかしがちになるので(なってます……)それは気を付けないと、ですね。

別にPCやTVでなくても、猫と遊ぶ、というのもありかも知れません。そっちの方が『痛い人度』は少ないかも。

シダ 2005/12/21(水)
なんだか脳が不調(というのか?)のご様子で、ちょっと心配です。ストレスとか、疲労からきてるのかな……。そろそろ物忘れが出てくる年頃?いやいやいや。

手紙は、確かフェスタの時だったと思います。この辺僕も記憶がかなり怪しげなんですけどね。その前のは開くと形が立ち上がってくる仕掛けのやつで、いずれにしてもそういうところで細やかな人だなあ、と。そういう印象はすごく強く残ってます。なんか……ほんとすごく昔みたいですよね。不思議な気がするぐらい。あと、えいこさんの字、僕は好きですよ。いい字を書く人だと思う。

>お洒落
あ、なんかそういう印象で覚えてて貰えるのは嬉しいな。最近はかなり開き直って派手な格好とかしてるので「……お洒落だよね」と云われたりはするものの、相手の表情は明らかにひいてたり、微妙な沈黙に何ともいえない空気が流れたりです。いわゆる『センスのいい人』にはなれない感じ。
そうそう、帽子って、かぶってる本人は『隠してる』意識がありますけど(僕もそうです)、傍から見るとかえって目立つみたいですね(それは僕だけ?)。以前待ち合わせの時かなんかに「帽子かぶってないと見付け難い」と云われたことも。隠れ蓑にはならないのかも知れません。

猫に限らず生き物を飼ってると、家を空けるのも難しいでしょうね。そしてやっぱりそういう(ペット預かり)サービスにもオンシーズンがあるんだ……考えてみたら当たり前ですけど。難しいな……。もう少し近くなら僕が猫と一緒に留守番とかって案もあるんですけどね(猫が懐かないし、そもそも恋人でもない男に留守は預けないでしょうけど)。

睡郷沼のぬし 2005/12/21(水)

枯れたのみ?何処・・・ 毒の彼岸花しおれ 異国に降れば、甘き木と溶けたり
  →
 かれたのみいずこどくのひがんばなしをれいこくにふればあまききととけたり
  →
彼頼み居ず。孤独の悲願話を冷酷に振れば、天聞き届けたり


睡郷沼のぬし 05/12/20(火)
縮小(拡大)   自分の耄碌ぶりが悲しい。まだ一年も経ってないのに、作りかけていたものを忘れていたりとそんなふう。 前から製作中の胴体、最近「さて、手足を」と、作りかけていたところ、なんとなく過去の写真を見ていて足まで既に作りかけていた写真をみつけた(写真いちばん右。(大きさの比較は正確ではない))。しかもいつもとは関節を少し違うタイプに変えて作ってみていたらしい。そんな自分にとっては忘れにくいはずのことまですっかり忘れているなんて。たしか図まで書いて形を考えた気がするんだけど。この脳、この先が怖い。

奥のほうを掘り返すと、忘れたような作りかけのかたまりとかごちゃごちゃ。胴体が一つながりの物は使い道あるけれど、分割胴体の作りかけ(お腹などにも関節をつけた物の、形を固めた程度の段階とか)が複数混ざっていたりすると、どれがどの腹で、男なのか女なのかすら忘れてる。そういうのはもう使う可能性低いかもなぁ・・。作る形も少しずつ変わってきていたりするし、修正するよりは作り直したほうが早いかも。

―--―--―--
お正月前に帰省しようと思っていたのだが、もしかすると出来ないとか・・。理由の第一は猫。実は正月にはたぶん5年以上帰省できなかった。もしかすると10年近くも?それで、あまり考えていなかったのだけど。こういう時期は、猫などを預ける場所がすぐにいっぱいになるし、それでなくともシーズン中は高いらしい。私の乗りたかった夜行バス(高速バス)はペット禁止だし、運送会社なら片道4万もかかる(私の運賃より高い)。正月帰省の壁は厚い・・
1番思い出すのは、あの頃。・・・本当に帰りたくても帰れず、どうしようもなかった・・(いまもそんな感じだけれど)とにかく泣くことと眠って夢の中に生きることくらいしか自分には解決策が無かった。いまでも夜の外のバイクの音など一人で聞いたりすると、ほんと心が寒々としてくる。

―--―--―--
パイロットのペチットワン()。お手軽万年筆。安いし中が見えるし万年筆だしインク色も選べるし、便利かも。以前スーパーの文具売り場で見てからなんとなくずっと気になっていた。そして一昨日、つい買ってしまった。
既存インクの色が気に入らず、何色かのインクをスポイトでインクカートリッジに混ぜてみた。万年筆の書き味自体は素敵なので、自分で色を(ムリヤリでも)混ぜて使えるとわかると気に入った。ネックは自分にはちょっと太いことか・・。自分の手には鉛筆の太さが1番しっくり来るらしい。高校時代に買っていつのまにか何かの熱で少し曲がって年季が入ったシャープペン(鉛筆くらいのサイズの)が今でも一番書きやすい。字は元々汚いけれど、他のシャープペンやボールペンで書くとなぜか合わない感じがしてもっと汚い字になる。

―--
高校時代、単に雰囲気で惹かれた気のする付けペン。実際に使ってみるとカリグラフィーなどの使う理由があるものは別としても、普通のペンとして書くにはとても面倒だと感じた。結局何度か使ってみたのち、ペン先をインクで固まらせてそのままお蔵入りさせた気がするのだけど、ペチットワンで自分の好きな色を調合して書いているうち、付けペンも本当は楽しいかも、と、今ごろ感じたりした。当時カリグラフィーにも惹かれて、レタリングの本を借りてきて真似てみたりした。その頃は形だけに気をとられていて、マーカー(カリグラフィー用のならなおよし)でも同じではないか?と途中で気づいたりしたのだけれど、先日着物教室の生徒さんが下さった自作カリグラフィーのカードを見て、インクの色や味わいの深さに惹かれた。やっぱりわざわざペンとインクで書く理由というのは、ちゃんとあるのではないかと思う。

睡郷沼のぬし 05/12/14(水)
ものすごい間違い。下のシダさん宛のレスで「自分は前者(賢い)」と書いていたのは間違い。もちろん「後者」・・。書いてからしばらくたってるので冷や汗出てきた。

睡郷沼のぬし 05/12/13(火)
色々左)荒削り中。ストーブの血色(下に出てくるストーブ)。
右)カセットガスの残りとガラスの残りを寄せ集めて、変な虫もどき。とんぼ風。
―--―--―--
長い間休んでいたが、久々に人形の着物を教わりに行った。夏の終わり以来になっていたので、先生のお顔の色の違いに、目が行った。色白な方なので、寒さのためか、全体に赤くなっていて綺麗だな、と思った(ご本人は嫌らしい)。以前、知人Jの頬がバラ色だった時も、わぁ、綺麗だ、と思って似た色の頬紅が欲しくなったりした気が。赤って不思議ないろである。
―--―--―--
そこの生徒さんがとて も大きな柿の実を下さった。笑顔が素敵な昭和7年生の方なのだけど、そのお顔が、ぱぁー(pa)っと輝く柿に似ていると、実を見ながら思った。多趣味な方で「なんでもやりたくなってくるの」と楽しげに言わはる。自分の親が、こんな表情を浮かべて趣味に没頭しているところは見たことがなかった気がする。自責の念。
―--―--―--
その柿、見るほどに本当にすばらしい。そして、熟した物はどうしてあんなに旨そうにみえるんだろう・・。旨そうなのと同時に、とにかく綺麗で、果実というのは宝石だと思った。考えたら、こちらの方が、ある意味宝石であるのかもしれない。
―--―--―--
あまりに寒く、買った1400円ストーブ。私の部屋が狭すぎて危ない。プリンターも熱で壊れそう。狭くて遠くに置けない・・

睡郷沼のぬし 05/12/13(火)
シダさん> そうですねぇ。同時に試行錯誤の消耗も、良いのと悪いのある気もなんとなくするな。
>結局他の(楽な)道は無いのかもなあ
楽な道は無いけれど、賢い(自分のためになる)方法と、そうでないのとかはけっこうありそうです。私は後者なになるんだけど・・。重要なことはちゃんと真面目に学ぶとか、を筆頭にその他色々。

>なんだかノスタルジックなのかも知れません。
実際の部分と共に、そういう部分を感じることもいろんな場面でけっこうありますね。私もけっこう長い間(学生時代とかそその後とか)リアル物から離れていたので、再び絵の具とか使うようになるまでは惹かれる(あこがれる)ゆえにそういうことしている人の作品など遠ざけてしまうような心境なんかもあったかも。
だけど、リアルにはリアルの奥行き、デジタルにはデジタルの奥行きってありますねぇ。

手紙ってデザフェス18の資料の?・・あれ、ちがうか。もひとつ前の郵便かな。すごく昔に感じる。時間って早いですね。匂いなんかついてましたか。
そういえば、匂いの記憶、なんですが、便箋にもありました。小学生の頃、近所の小さな商店に、バラの香りのついた便箋があって、それ持ってたんです。だいぶ大きくなってから、バラの香料を嗅いだ時、そのことなんかが一気に出てきて「ぅあぁ」と思いました。ました。なんか便箋っていうと、バラの香りのする紙を思い出します。今でもあの便箋一枚くらい、引き出しに眠ってるはず。

帽子はそうですね、帽子しまえると便利。以前あまりかぶらなかった頃は、夏とか何も考えずに形で選んだので、結局不便で、余計かぶらなくなってました。

  >キャスケットは髪の毛を中に入れてみたり、かぶりかたの工夫でいろいろ印象が変わる
お洒落ですね。フェスタ前日の準備で拝見したスタイルが、なんか似合ってて印象的でしたよ。私のほうは、ほんま、隠れ蓑に使うだけのなので、数百円とかのかぶったりしてます(汗)。でも、隠れてると思ってるのは自分だけで、逆に私だというマークになってたり、怪しかったりしてるかも。

先日夜12時前にスーパーへ行って自転車で帰ろうとしたら、警官に「仕事帰り?(普通に買い物帰りだけど・・)」「名前は?」「この自転車いつ買ったの?」とか聞かれて車体番号まで控えられてしまいました・・。ボーっとしてて勘違いして素通りしたのも原因かもしれないけど、やっぱり、犯罪オーラとか出てるのかなぁ。こっちはなんだかもやもやしてるのに、ただのアホとわかると、急に感じが代わって笑顔で冗談など言われてますますもやもやしながら帰りました・・です。

>一人笑い
これで一人笑いとかしてたら、私だと本当に補導されるかもです。
というか、経験談のような提案ですねぇ・・>一人笑い

シダ 2005/12/12(月)
相変わらずいろいろ素敵なものを作ってらっしゃる様子ですね。試行錯誤は消耗するものですけれど、結局他の(楽な)道は無いのかもなあ、なんて思ったりもして(ああまた知った風なことを)。
僕自身はどうにも不毛な感じで過ごしています。物理的に外出しても心はひきこもったまま、というか(ああまた愚痴でごめんなさい)。

糊の匂い……って、なんだかノスタルジックなのかも知れません。
例えばパソコンでの作業ばっかりの仕事をしていると、糊を使う機会もなかなか無くて、『糊』という言葉自体に学校の図工の時間のような思い出成分を感じたりするんじゃないかな、と思います。僕の主観ですけど。
そういえば以前えいこさんから頂いたお手紙にはいい香りが付いていた記憶があります。ふと思い出しました。
あ、やっぱり匂いは記憶に繋がっているのかな……?

そうそう、帽子ですが、この季節は黒のキャスケットや、やっぱり黒のハット(形は少しだけシルクハットに似てるかな……でも柔らかい素材で畳んで持ち運びもできる)をよく使ってます。
基本的に外出時には必ず帽子をかぶっているので、帽子無しで屋外にいるとどうも頭のてっぺんが不安というか、心もとない気持ちになったりします。
キャスケットは髪の毛を中に入れてみたり、かぶりかたの工夫でいろいろ印象が変わるので面白いかも知れませんよ。

顔の体操ですが、もしかしたらTVやウェブページを見て一人笑いをするだけでも実はかなり違うのかも知れませんね。変な話、独り言などでも効果はあるのかも……他人に見られたらちょっと…‥…な方法ですけれど。

睡郷沼のぬし 05/12/11(日)
近況 目玉、久々に無駄な挑戦。前回の春のデザインフェスタの準備と、自作バーナーの不具合、金欠などの理由で、だいぶ触っていなかったけれど、頭を作りながら、手持ちの使えそうな目玉がないことなどで困り、無駄な行動。基本的な作り方がよくわかっていないので、形も何もぐだぐだ。中心から紫・青緑・青紫を混ぜているけれど言わなければわからないと思う。

自作バーナーをやめて、簡易カセットガスで。ただ、これだとだいぶ注意しても煤が残ったりしてしまうため、以前ちょっと使ってみて比較的低い温度で溶け始めたりして煤がつきにくいと感じた喜南鈴のガラスを使ってみた。これまで佐竹のを使っていたし、色は佐竹の方が綺麗だと聞いていたので変えるのは微妙に抵抗があったのだけれど、足りない色を発注して届いた荷物の発送元をふと見たら「鹿島工場」となっていた。これは私の実家とすごく近いところで、それだけでイメージが変わったかも。

使ってみると、煤は殆ど入らなかったけれど、だけどガラスの状態がおかしくなってしまう。ぱっと見わからないけれどよく目を凝らすと白目部分など、普通の感じではない。火の扱い方のせいだろうけれど、なんとなく、やっぱりカセットでは限界があるのかなぁ、など思い、どっと疲れた・・。燃料のコストのことを考えてもバーナーを買ったほうが絶対いいのだけれど。今の環境でつかえるのは石油バーナーだけれど、買うとしたら高いし容易に手が出せない・・

―--―--―--
頭を作る時、作り始めは、けっこう「今回こういう感じに」「こういう骨格に」というのがあるのだけど、作っていくうち、やっぱりこう変えよう、とか、もう少し前回作れなかった表情を作ってみよう、という風に、少しずつ似たような感じになっていく。

―--―--―--
先日デザフェスで出して持ち帰ったものを箱から出して気づいたのだけれど、やっぱりけっこう彩色がはげている。関節部分が特に汚いけれど、右足親指とかひどい。どこかにぶつけたのだろうか・・。補修できるか不安。
―--―--―--
年齢あと何歳か若ければ・・。なかなか時間がとれず、そういう所があると知っていながらずっと行けずにいた安いガラス教室。年齢制限があるため、もう行けなくなるのがとても残念。せめてあと少しだけでも行きたい、と思いつつ、もしかするとそれまでに一回もいけなかったりして・・。

睡郷沼のぬし 05/12/10(土)
デザインフェスタで出した「流星の尾のあやとり」という起こし絵の付いた冊子を持って帰ってくださった方複数が、糊のにおいがいいと言ってくださった。そんなちょっと意表をついたご意見が同時にあったので、複数ということは、使ったどれかの糊がどこかひきつける成分を含んでいたのかもしれない。製作中、何種類か糊を使ったし買い足したりもしたので、どれかはわからない。気になって、最後に使った糊の残りを嗅いでみたけど無臭。使い切って捨てた方の糊は何年も前のなのでもう買えないし確かめられないけど、それだったりして。

―--―--―--
中学の頃、なんとなく小さなコロンの瓶(当時500円)を買ったことがある。使うことは殆ど無かったが、けっこう好きな香りだったので、何かに吹きかけたりしているうちに高校卒業時までに八割くらい使っていた。安いしもう一瓶買っておきたいと思っているうちに、いつのまにか見かけなくなった。

こっちに来る時、その瓶も一緒に入れていたみたいで、とっくに忘れた頃に出てきて、いつだったか久々に嗅いでみた。すると突然その頃の何かが不意に解凍されたような何ともいえない感じだった。匂いは記憶や体に染み込むものなんだなぁ、と感じた。

以来、似た香りをなにげに探しているけれど、あれだけ大量の香水があるのに、似た系統のものに出あったことがない。厚ぼったい香りではなくて、これは自分にしかわからない表現だけど、ガラスみたいなイメージの匂い。本来500円の安物が、長い旅になりそうだ。
―--―--―--
その「ガラスみたいなイメージの匂い」について。
小学の頃「匂いガラス」という印象的で不思議なドラマを見てその物語の感覚に魅了され、しばらく匂いガラス熱に浮かされていた私。土に埋もれた古いガラスを見つけてこっそり磨いたりしていた。その頃に自分で勝手に作り上げたイメージの香りが、それなのではないかという気がしている。

睡郷沼のぬし 05/12/06(火)
ぐちゃぐちゃ(編物風封筒)

なんだろう・・徐々に、そしてだんだん急速に、出来なくなっていくことが多い。工作関係でもとても感じる。子供の頃以下で、なんか悲しくなってくる。


再び、作りかけの人型など続行。
・・なにやっているんだ、うそだろう、と思う。これもまた。だんだん、そして急速に・・。
実は設計図くらいちゃんと作る癖つけなければ、と、ずっと思っていた程めちゃくちゃな製作をしていたけれど、さらにさらにスゴイ製作のしようになっているようで、目が当てられない・・。
―--―--―--
何日前だったか。夢のメモ。メモ・・メモメモ…。あれ、忘れている・・・。キーとなる一番肝心な単語(新しい言葉)を忘れた。しばらくは覚えていたのに頭はすっからかんだ。そんな自分にむかつく。
同じ夢だったかわからないけれどもう1つ。なぜか自分に子供がいて、名前は○○。かつて自分たち?がつけたミルクあとのある引き戸の前に子供がいてミルクを上げようとしているとか、そんな感じの夢だった気がする。そんな日はこないと予言できる。
―--―--―--
(下で、人と話す時期と話さない時期、と書いたけれど、特に人との交流期間があるわけではなくて、たまに一定期間喋る仕事とかが入ると、という意味合い。(数日顔が微妙に筋肉痛になったりする。――と、今書いていて暗さを実感。))
―--―--―--
上記の各項目をながめると、脳の衰えてしなびる音が聞こえてきそうだ  さびしいことだ  あぁ

睡郷沼のぬし 05/11/30(水)
シダさん>
>ディスプレイに映るものと実際にそこにあるものは
そうですね。私もシダさんの絵を肉眼で見た時、目の前に形としてあるというだけでも、随分印象変わりました。

ひきこもり加減はいかがですか?ちょうど私も最近引きこもり度がひどくなっていたので、フェスタのこと考えると滅入ったりしていたんでした。当日のこともなんですが、準備などにも支障あって。>「駄目ですね」・・・・ほんま駄目ですよね。普通に元気に行動したいなぁ。

顔の体操は、きっと似たようなやつなんじゃないでしょうか?筋肉を使わなければフケ顔になるでしょうから。
人と話す時期と全く話さない時期って、すごく顔変わるので、びっくりしたことがあります。もちろんちょっと体操で筋肉動かしただけでは毎日表情筋使ってる人の足元にも及ばないけれど。

シダさんは帽子使いさんでしたよね。最近のお気に入りはあるでしょうか。私、少し前までは帽子とは殆ど縁が無かったんですが、蕁麻疹を隠す際に使って以来、よくかぶるようになりました。使ってみるとなんか便利ですね。あったかいし、電車の中でも心置きなく眠れるし、化粧もなんにもいらない・・。でも、帽子をかぶるようになってから、ますます外の世界に出るのが苦手になってきた感じです・・汗。フェスタで数ヶ月ぶりにに帽子取ったので微妙に緊張しました・・

>今は一仕事終えた、という感じでしょうか?
そういうのが全く無くて、ずるずると、また嫌な感覚の中にいずもれている感じで。・・それって、やっぱり頑張らなかったってことなのかなぁ・・とか思ったり。いまさら思春期でもあるまいに、色々鬱々。なんかどうしていいやら、ダメです・・



睡郷沼のぬし 05/11/30(水)
シダさん>
>ディスプレイに映るものと実際にそこにあるものは
そうですね。私もシダさんの絵を肉眼で見た時、目の前に形としてあるというだけでも、随分印象変わりました。

ひきこもり加減はいかがですか?ちょうど私も最近引きこもり度がひどくなっていたので、フェスタのこと考えると滅入ったりしていたんでした。当日のこともなんですが、準備などにも支障あって。>「駄目ですね」・・・・ほんま駄目ですよね。普通に元気に行動したいなぁ。

顔の体操は、きっと似たようなやつなんじゃないでしょうか?筋肉を使わなければフケ顔になるでしょうから。
人と話す時期と全く話さない時期って、すごく顔変わるので、びっくりしたことがあります。もちろんちょっと体操で筋肉動かしただけでは毎日表情筋使ってる人の足元にも及ばないけれど。

シダさんは帽子使いさんでしたよね。最近のお気に入りはあるでしょうか。私、少し前までは帽子とは全く縁が無かったんですが、蕁麻疹を隠す際に使って以来、よくかぶるようになりました。使ってみるとなんか便利ですね。あったかいし、電車の中でも心置きなく眠れるし、化粧もなんにもいらない・・。でも、帽子をかぶるようになってから、ますます外の世界に出るのが苦手になってきた感じです・・汗。フェスタで数ヶ月ぶりにに帽子取ったので微妙に緊張しました・・

>今は一仕事終えた、という感じでしょうか?
そういうのが全く無くて、ずるずると、また嫌な感覚の中にいずもれている感じで。・・それって、やっぱり頑張らなかったってことなのかなぁ・・とか思ったり。いまさら思春期でもあるまいに、色々鬱々。なんかどうしていいやら、ダメです・・


シダ 2005/12/03(土)
お久し振りです。デザインフェスタ、お疲れさまでした。

僕も見に行こうかと思ったのですが、最近すっかりひきこもりになってしまって、駄目ですね。体力、というより気力か、が枯渇している感じ(久々でこんな愚痴ばかりすみません……)。

えいこさんの体調は如何ですか?よく「旅先では水が違うから」などと云いますが、実は単に移動するだけでも人間にとってはストレスなのかも知れません。水どころか「空気が違う」だけでも、身体は敏感に察知するようにできているのかも。
(ちなみに僕はそういった部分ではかなり鈍感ですが。多少得、なのかな)

ディスプレイに映るものと実際にそこにあるものは、どうしても違いますよね。どちらがいいとか本物かとか、そういうことではなくて、ただどうしようもなく違うな、と。数少ないリアルで見られる機会を逸したのは残念です……。

今は一仕事終えた、という感じでしょうか?ゆっくり休んで身体も心もいたわってあげて下さいね。

p.s.
そういえば昔『顔の体操』というのをTVか何かで見た記憶があるのですが、どういったものかは忘れてしまいました……。それは「若さを保つ」みたいなものだったので、えいこさんがやったものとは違うでしょうけれど、なんとなく。

睡郷沼のぬし 05/11/30(水)
デザインフェスタ

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展示の様子を少し。寄ってくださった方、本当にありがとうございます。そっちの方が印象に残った。
また、改めて写真などアップする予定。


本当は、背景を作る予定で、材料など持っていっていて、たしか行きの電車の中では、「むしろこれからその場で作るもの(背景を描いていくこと)の方が自分の中ではメイン(というか、楽しみ、というかひと作業)っぽいなぁ」と思っていた記憶があるのだけれど、結局準備していたら、なんだかどうでもよく?なってしまい、中途半端にやめてしまった。せっかくの機会だったのに、と、少し後悔。
人形は新しいのを1つだけ持っていくつもりだったが、衣装のマネキンとして、もう1体持って行った。後ろ向きでライトを当てなかったが、こちらの方が新しい物より、輪郭、目や口周りなどマシな気がするので、あんなに隠さなくても良かったかもしれない・・
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最近、あまりにも顔を動かしていなかった(笑ったりしていなかった)ので、フェスタの前に顔の体操をした。・・筋肉痛になった。
体調のせいか、気持のせいか、最近していなかった化粧のせいか、帰ったらなぜか顔全体に蕁麻疹。夏の帰省後から、蕁麻疹が出やすい体質になってしまったようだ。

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今回は1階と4階にわかれていたようで、私は4階のc+-1230だった。 前回のフェスタの時、隣にいた方(スモールストアさんとthouさんのペア)が、今回一個挟んで隣のブース(c+1232かな)で、驚いた。前回から、殆ど変化のない自分と違い、お二人とも趣きの変化や新しい物が感じられ、皆すごいなぁ・・と思った。

睡郷沼のぬし 05/11/30(水)
96さん>
どうもありがとうございます。なんとか、帰って来ました。ネット上だと、コラージュとか出来るし、質感も調節できるのですが、リアルだとそれが出来ない良さと悪さが出てくるので、けっこう感じもかわりますよね。実際は「…」です。

もっと頻繁にイベントなどに参加されていて、しかも、個人ではなくチームプレイ?でそれをなさっている96さんって、ほんとすごいなぁ、と思います。
特に帰宅中など、こういうとき共同だったら皆で打ち上げ、みたいになって楽しいだろうなぁ、などとウトウト夜行バスの中で考えたりしました。

96 2005/11/29(火)
イベントお疲れ様です。

下のコラージュが凄い。

睡郷沼のぬし 05/11/25
がらくた
どれも中途半端でつまらない物・納得いかぬものばかりで、後ろ向きの出発になってしまうのだけど・・・。27日のデザインフェスタ二日目に出てくる予定(行ければ‥)。ページアップまで手が回らなかったことと、かなり後ろ向きで告知も迷ったため直前になってしまったが、出発までには一度アップしたいと思っていたのでメモ。

既に日にちは回った。今日には出発せねばならぬのに、まだ作業や、リアル生活ですべきことが残っている状態で不安である。いけるのかな?

フェスタ中は、ご用などある方はヤフーのメアドに出してくださると、今週末のみはヤフーメールを携帯に転送されるようにしているので、リアルタイムで届きます(あまり長すぎると切れるけれど)。
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(写真左から)
◆大切に包み込む入れ物、何個かまとめて。両手をぴったり合わせるのに、思いの他時間がかかってしまった。以前作ったものを少しだけ大きめにした物。あまり思うような質感が出せなかった・・。以前はどんな風に仕上げたのだろう?メディウムなど使えば、もう少し効果が試せたかもしれない。
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◆人形は、夏前から「この人形用に」と用意して、既に入れていたグラスアイが、どうも合わないので、直前で取り替えた。結局、作業時に仮目として普段使用していた量産タイプの目をとりあえず入れた。形や大きさは合ってくれたけど、グラスアイとしてはあまり惹かれるアイではないかも(その上傷物でもある)…でも、私の人形などには、いい目玉よりもそういうのが合っているのかもしれない。

そして1番困ったのはけっこう色が剥がれてしまう。特に関節部分が既に見苦しい。前回こうならなかったのは着色後に全体的に磨いたせいだろうか?もしかして、会場に着いた頃にはすごい事になっているかもしれない・・・。定着材などつけるべきだったかな・・凹。せっかくむらが出ないように気をつけて彩色したが無意味に。
その他、直前になって歯も付け直したり、と、ぎりぎり。

◆衣?。09/25にオオミズアオが薄い紋付着物を着崩した姿にダブったことと、以前から、衣=羽という連想があって作ってみたいと思たこともあったのでなんとなく。でも、脈模様の染料の加減失敗・・

◆流れ星の尾のあやとり(飛び出す絵本に見えるけど、内容はほぼHPと同じ。これを作る少し前にたまたま開くと羽を広げる仕掛け(とてもシンプル)が浮かんできたのでそのままこの飛び出す絵になった。)

◆光っているのは蝶モドキだが、私のブースは明るい会場なのであまり意味がないかも。今回から暗いブースも設けられているので、いつかそちらにも出れると良いな。

他に、ポストカードなど。ただしこのプリンター、どう調節しても私には思い通りの色が出せないことや、カメラの画像縦横比など諸々の理由でカード製作は消極的。

睡郷沼のぬし 05/11/14(月)
(↓ファイルのアドレスの指定ミスを訂正)

睡郷沼のぬし 05/11/13(日)
カラー前回(春)無着色で出した物を仕上げ前。もし今、一から作ればもう少し違った形になるのかもしれない。(それと右下の写真、今見ると、まつげの陰がシワに見える・・・)。写真は白熱灯の下なので実際の色とは違う。カツラはまだ付けられないので髪だけPC上で描き込み。もう少し仕上げが残っていので、この先新たな大失敗もおこりうる。
眼球は別の目玉に入れ替えたら少し隙間が開くようだし、元々もう少し瞼を薄くしたかったが、色々考えてそのままにしておいた。

それとは別に、今回瞼の皮膚の間に睫を埋める細い溝を作ってそこに睫を埋め込んだので前のよりもう少し丈夫かもしれない。形と彩色の一部は済んでいたので、一つ間違えたら(刃物や変な力や振動で瞼にヒビでも入ったらおしまいなため、それをするかで迷ったのだが、他にいい方法が浮かばなかったので、やってみた。

顔の陰影は少し濃いめに、と意識したら、とても汚くすごい事になってしまった。
時期的にぎりぎりの彩色なので持っていくまでに乾かず、移動中色落ちする可能性も。唇の光沢を付けるかつけまいか、また、爪の仕上げに何を塗るか、迷っているところ。

こんな、「(トータルでだが)一年くらいかかったものが、完成前にそんな取り返しのつかない亀裂などのリスクを経てではないと仕上がらないというのを考えると、この先繰り返し作ることを避けたくなってくる・・
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掲示板変になってない?と教えてくれた方、どうもありがとうございます。あとで削除しとこうと思います。

睡郷沼のぬし 05/11/13(日)
うみさん>  お元気ですか?前回の人事移動のお話しを聞いたのがついこの間のような気がしていましたが、時ははやいですね。今回の部署は人やお仕事との相性は合ったかな?でもせっかく慣れてもまたすぐ移動あると、それも辛いですね。

書き込みくださった日の夕方、たまたまテレビを見たら文楽の人形遣いについての番組がやっていて、けっこう詳しく色々レポートされており、夏に見に行かれたという海さんのメールをちょうど思い出したりしていたところでしたよ。

人形遣いはまず足を動かすことから初めて、まず足だけで10年、結局最低でも20年は修行です、さらりと言われていて、驚愕でした。

うみ 2005/11/12(土)
お久しぶりです。何時の間にか夏も過ぎ今は秋から冬に差し掛かるところでしょうか?お元気ですか?私は10月1日の人事異動で部署が変わりました。職場環境や人間関係が変わると書き込みなどしてみたりなるものですね・・・。

んでnyr 2005/11/09(水)
ΣΣ(゚д゚lll) (ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォΣΣ(゚д゚lll) (ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ おオおオおォおォお(おノお゚おдお゚お)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォΣΣ(゚д゚lll) (ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォΣΣ(゚д゚lll) ΣΣ(゚д゚lll) <ノ゚д゚(ノ゚д゚)ノ オオォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお>ノ オオォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおΣΣ(゚д゚lll) (ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおΣΣ(゚д゚lll) (ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ<ノ゚д(ノ゚д゚)ノ オオォォ゚(ノ゚д゚)ノ オオォォ>(ノ゚д゚)ノ オオォォノ(ノ゚д゚)ノ オオォォ (ノ゚д゚)ノ オオォォオオオオォ(ノ゚д゚)ノ オオォォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ<(ノ゚д゚)ノ オオォォノ(ノ゚д゚)ノ オオォォ゚(ノ゚д゚)ノ オオォォд(ノ゚д゚)ノ オオォォ゚(ノ゚д゚)ノ オΣΣ(゚д゚lll) (ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ おオおオおォおォお(おノお゚おдお゚お)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォΣΣ(゚д゚lll) (ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォ(ノ゚д゚)ノ オオォォΣΣ(゚д゚lll) ΣΣ(゚д゚lll) <ノ゚д゚(ノ゚д゚)ノ オオォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお>ノ オオォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

睡郷沼のぬし 05/11/08(火)
書き忘れ。

昨夜はうとうとして起きた時、何もわからなくて混乱した。とにかく全ての意味や、その他重要なことが、消えたような不思議な感覚で、自分が誰かもわからず、何も考えられず、ドキドキしてじっとしていた。同時に、なにか重要なことが、思い出せそうで、思い出せないでいた。それが何だったかは、いまもまだわからない。

今、自分という意識があるからこそこうしていられるが、ひとたび何かが切れれば、と思うと、とても怖くなる。また、同時に、何もかもどうでも良いような気持にも少しなる。(両方)


睡郷沼のぬし 05/11/08(火)
最近の覚書羅列

トコウという実の缶詰の夢。杏の缶詰(シロップ漬け)のような感じのもの。醤油をかけると旨いと聞き、開けて食べかけたところ目がさめる。
(鏡花の本のせいかもしれない?)
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秋のデザインフェスタ、以前申し込むだけ申し込んでいたが、内心出れる状況ではないとも思っていた。
・・そんなところ、やはり出てはいけない、ということかもしれない。本来書類が来ているべき時期だけれど、いまだに来ない。一応気になって問い合わせてみると、だいぶ前に発送したとか。…メール便?確かに来なかった。
だけど作品も出来ていないし、今、どこかに出かけたり人と合うのもしにくい。こんな状態で行くなよ、というお告げかも。
レンタルの申し込みなども数日中に申し込み締め切りになるんだけど・・。書類が来ないのを理由にそのままにしている。自分自身なにもわからない。運命はわからない。下には下がいる。それは私だ。
再送してくれるらしいけれど、どこかにまた吸込まれるかもしれない。

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カラー(全体→)
彼ら同期生、雪の庭にて。モノクロ写真をカラーに。手作業なので、服の色などは、実物と全然違うと思う。夏に実家の私の引き出しに入っていた写真を一枚持ってきていたのでそれを着色。手際が悪いのでレイヤーを30枚くらい使ったのだが、
いつか、実家にあるかなり古い写真(袴・着物・セーラーの子が何十人も入り混じった白黒の小学校の集合写真のようなもの)も、色を付けてみたい。

時間は止めることができないのだなぁ、とつくづく思う。


カラー先日うちから送られた菊。同じ時に切った花が向こうにもいけてあるそうで、同時進行で咲いていく、もしくは、同時進行で別々の運命をたどる、というのが、なんとなく不思議な感覚に思える。

右側はアート作品のような花だと思ったのでメモ。蕾から開花するまで、様々な色と形に変わるし、同時期に別の枝からは紫色の、妙にテカテカした実も付く植物のようで、近くにあれば見飽きないかもしれない。
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冬虫夏草 伊沢正名氏/大竹茂夫氏

たまたま見つけた冬虫夏草のページだけれど、ここの写真が、最近キノコや菌類の本で好きになった伊沢正名氏によるもの。入り口は図書館にあった「キノコのせかい」。薄っぺらの安っぽい本で期待せずに開いたが、素敵だと思った。
また、イラストは、これも以前から気になっていた大竹茂夫氏による。

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公文教室のCMのピアノ曲が気になった。クラシックかなと思ったら高木正勝氏の[girls]という曲らしい。(こちらで試聴できる。二枚目COIEDAの09)
少し検索すると、24歳とのことで、驚いた。22歳ごろに取材された記事もある。すごい人は若い頃からすごいのだなと思った。(検索したら出てきたこの写真の雰囲気がきれい)


睡郷沼のぬし 05/10/26(水)
その痛み、何でしょう・・大丈夫ですか?何かがどうにかなって痛いという結果がでるのだろうので、気になります・・。私の耳のほうは、相変わらず微妙におかしいですが、罰・警告みたいなものでしょう…。

図鑑お好きなんですね。そういうものがある部屋、憧れです。
カイコの繭はどうなさったんだろう?大切に育てたんだろうなぁ、と、短い文から感じられました。せっせと桑を取ってきて食べさせる親の姿のayaさん…飛び立つ為の羽、ちょっと寂しいですね。私の町はずっーと前は、カイコも盛んだったらしいです。最近桑を見てないな。小学くらいまでは島にもけっこうあって実の匂いとかかすかに覚えています。子供の頃、柱の穴に古い繭(抜け殻)があるのを見つけて父に真綿にしてもらったことがありました。その頃は小学で、庭に少し植わってた綿を自己流で紡いで糸にしたり、ミニサイズの織り機を紙で作って糸で織物の真似事をしたりしてたのですが、その一塊の真綿は宝物的存在になってしまい、最後まで使えませんでした。(きっと今は、押入れのどこかでホコリと混ざって見分けが付かなくなってるかも・・)

>同じ時期に、自分の駐車場に  〜銀河のような模様は無かった
同じやつかもしれないです。幼虫は何度も脱皮するから、年齢ごとに随分模様も違いますしね。私も最初から銀河に見えたわけではないですよ。最初は、白い線にしか・・・というか線すら見えませんでした(そもそも見ようともしていなかった。)。

っちその草原はどんなところなんだろう。連れて行ってもらいたいです。
私は、逆に雨がふると、この秋は「お、来た」と思いました。秋のはじめ頃から雨が降るたびに「この数日後にすぐ近くの山へ行きたい」と思うのですが、毎回行くことが出来ず、残念です。雨上がりに、というのは、菌類やシダを見たくて。実は知らなかったのですが、図鑑によると、それらの胞子が空気に乗ってジンワリと漂って流れていくのが肉眼でも見えるのだそうです。写真を見ていたら、とても肉眼で見たくなって。また、一緒にキノコ類の図鑑も見ていたのですが、その写真がとても魅力的に思えたので自分でも撮りたくなって・・。
あと、雨の後に生える銀竜草(幽霊ダケ/参考 )もまた見たいな、などと。。

>いつも思うこと、夢想することだけはできる
それこそがすごいとおもいます・・ また、ayaさんの描く世界以上のものがずっと奥まで頭の中に広がっていると思うと、それだけで驚愕です。

aya/雨の夜から 2005/10/23(日)
耳はどうですか。私も最近ふとした表紙に、鎖骨の下の部分が痛くなり、そこから肩や背中、首、腕にまで痛みがまわりはじめ、
医者に行かなければ、と思いつつぼんやりとした日々が過ぎてしまっています。
歯の治療も放りっ放しだし、いつかつけがまわってくるのだろうな、と思いつつ、事態の深刻さが目に見えるようになければ
逃げ続けるこの性分をなんとかしたひ・・・

と自分のことはさておき。(いつも長い・・・)
最近、昆虫の図鑑(引越しの度に買っている気がする・・・)を買い、見ていたのですが、わたしも
たまたま、成虫は口が退化し・・・という種を見つけて
へぇ〜と思ったのを思い出した。
たしかカイコかなんかだったと思う。
昔、カイコを数匹飼っていたことがあって、幼虫の時にはどれがどれかをみわけられるくらい愛情を注いで育て(よその桑畑から桑の葉を拝借し)たのに、繭の沈黙の後、無数の真っ白い、殆どそこに何か
意識が存在するとは感じられないような、無意味な成虫(その時はそう感じた)となって、飛び立っていったのを見て、なんだか哀しい気持になった。のを思い出す。

あと、9/25の写真の幼虫は、尻尾をピコピコさせながら歩く奴
ではなかったですか。私もちょうど同じ時期に、自分の駐車場に
大きな似たような奴を見つけ、携帯写真で何枚か撮っていたのでした。だから、ここであの写真を見たときは、あっと思った。
でも、ここにあるような銀河のような模様は無かったな。
天の川とか星などという言葉を見ると、なんだか幻想的な虫に
思えてきて不思議。そういう発想にいたるえいこさんが凄い。

緑色になった幼虫の写真、頭が黄色くて、昔NHKでやってたパペットのニャッキ!というアニメみたいだ。

ここんところ休みの度に雨ばかりで、草原の中にいけず寂しいです。
蝶を作りたいのですが、いつも思うこと、夢想することだけはできる、わたしには立体は無理だ。
えいこさんのあおい蝶は窓際に飾ってあります。

悲惨な生活を送っていると書かれているけれど、
今頃どうしているのだろう。
今、窓の色は青い、大荒れになるといっていたが今は晴れている。
またきます。

睡郷沼のぬし 051022(土)
少し前から右耳がおかしくなり、しばらく続いたので治療してもらったのだが、なぜか入れ替わりで左耳が微妙におかしくなった。それで今は、これまでそんなに拾わなかったような低音部が極端に響くので、思わぬ拍子に音が聞こえて驚く。

耳の構造を改めて浮かべたりして、人の体なんて適度に狂って行くのが当然なのかもしれない、狂わないほうが不思議だと考えたりした。
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お葬式は嫌いだ。みんなあっというまに死んでいく。
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夢と現の境で、夢側から、こんな感覚文章(言葉として)が流れ出てきた。(以下)

9代目の鳥を逃がしてやった。名はなかったのだが、放つからこそと名を付けた。記憶の中でいつでも君そのものを呼べるように。マタドール。

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悲惨な生活だ・・ありえない
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メモ
植物増殖壁紙、卓上の樹(例)リンク先の右の図。色は実際は普通の植物の色。
ムニンホラゴケを混ぜ、黒背景、ライティングは<many points(光色変化)>、壁紙を並べさせて、よさそうな種を何種類か適当に蒔き、そのまま放って忘れておくのが、なんとなく好みかもしれない。変異もあるのでその分幅が出る。細かく見ると、「絵」だがどれも適度に細く塗り重ね塗られているのでフリーなら十分だと思う。透けるので重なりは綺麗。希望は自分でも植物ファイルを作れたら良いと思う。ライティングでも随分雰囲気が変わる。
*(ムニン〜 が特に好きというわけではない。このプログラムで重なっていく感じが良いし、成長と変異が続くので蒔く時は入れてみるという程度)
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9/25に付け加え。成虫になると、一切栄養をとらず口が退化しているという種もあるという。

睡郷沼のぬし 051013
みゃくしもく
どっちが雲で、どっちが空なのかわからなくなる月の夜。

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夢の中でリアルに息を吹き返す記憶。脳の寿命という限定付きの永久。

睡郷沼のぬし 2005
 脈

睡郷沼のぬし 2005/10/4(火)
 光や影や
再び。実家で撮った時のもの。
◆朝初めて入ってきた光 ◆露 ◆指さしのよう。はたして私はどちらへ行くべきか・・ 教えて欲しい

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10日くらい前に更新できなかった分など、何個かまとめて更新↓。   (雑記)何も出来ていない苛立ち・・・

睡郷沼のぬし 2005/09/25(日)
星 彼は星空を体に持っている。天の川-1等星-20等星…。そして彼自身が宇宙という彗星である。(これも実家にて)。これを家族に持ってこられた時はかなり気持悪がったが、撮っていたら触われるほどになった。体はひんやりとしていた。
何かに近寄ってみるという行為は気持に不思議な現象を引き起こす。

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蛾蝶の図鑑などで印象に残ったのは寒いと飛べなくなるという頁。紙切れのような生き物なので、なんとなく頷いたり。その他、体を斜めにして光に当たる・いくつかの場合に集まる習性がある・雄だけ水を飲み続け&出し続けること・目玉模様の話など、印象深かった。

睡郷沼のぬし 2005/09/25(日)
三角
縮小拡大 (大きくなったため、写真上部のみ表示。全体はこちらから)

左上の方から適当に。
◆風。 朝の終わりを迎え、色も変わろうとしていた。(閉じたら赤紫) ◆彼岸花の向こうの溝の下は水
◆十字(or三角)を形作っていた。右下から上がってきて、乗り換えて左下へ。(1つ目のとは品種も大きさも違う。3.4.5枚目は田んぼ近くで、花は小さいく星型に近い。葉はハート型)
◆8/28の写真と同じ虫と思われる。見事なブルーを手に入れたらしい。前回の虹色の写真があまりにも嘘っぽくて「彩度上げすぎたのか?(逆光のせいもあったろうけど)」とも思ったが、改めて肉眼で見て、いくらなんでもこれだけ食べればそうもなろう、と頷けた。

その他適当にメモ
◆桃色の小さな朝顔の仲間。土手。◆双子の実、双子花、双子のツユクサ。・・・ツユクサのなんと脆いこと。触れようものなら一発で傷つき、その上、色素は水に溶けてしまうのだから、「夢」のような植物である。◆ 蜘蛛&バッタ/アゲハ?の子供食事中◆(中央右)カタバミの実。種が透けて見えた。静かに実って弾け飛ぶ。◆下段中央)干からびた花(右端のしおれた花と同じ品種)◆縮小したら、わからなくなってしまったが、細部が全て丸まった枝。

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ござっしゃる(る=/ぁ)[いらっしゃる] ごさっしゃる(/ぁ)[下さる] 〜してしぇんじぇる(/ぇ)[して進ぜる・してさしあげる)]
↑私のお国の言葉なのだが、子供時代に、それれらの単語を家族間(母→父とか)で普通に使うことに気づいて、当時はなんか変なの、と思ったりした。古い家庭(今でも?)はどこでもそうだったのか、あるいは、田舎という密な人間関係の中で自然に(気づかず)尊敬表現が発達していたのか・・・。特に疑問ではないけれど、ただなんとなく。


睡郷沼のぬし 2005/09/25(日)
雑感所懐
◆6月頃に撮った写真の場所で咲き乱れていた月見草の、1割程が今も咲いているのに気づいた。数が減っていったのか、或いは途中で刈られて再度生えたのかよくわからないが。ひっそりと咲く秋の月見草に15夜の月光は音もなく薄桃の翅に落ちて染みたことだろう。

◆カレンダーに月の名前が書いてある。知っているのと合わせても満月〜半月までのうち、今日だけ名前がない(旧暦と合わないからか?)ので、適当に更待月と半月の間に一つ入れておいた。。流れ上、誰でも考えそうな名前なので、そういう呼び方もあるのかもしれないが。↓
望月/十五夜 十六夜 立待月 居待月 寝待月/伏待月 更待月 ”夢待月” 半月/下弦の月
◆「名月を 取ってくれろと 泣く子かな」(一茶) 等と月を取ってという話は色々あるが、あそこにある限り、月はいつでも自分のもののような物かもしれない。
◆オオミズアオ(水色に白紋の蛾)の写真が、薄い紋付着物を着崩した姿に見える。(参考=他の方のHP 1 2 3) 知れば知るほど不思議な生物達だと思う。蛾、蝶の数度に及ぶ脱皮、またその下から羽が現れるなど何事ぞと思う。あんな小さなものの中でアレだけのことが行われるのだから、生き物とはおそろしい。
◆補足 1つ前の写真で「左螺旋」と書いたが、右巻きの植物も色々ある。

睡郷沼のぬし 2005/09/22(木)
左螺旋
最近の
最近撮った写真の縮小寄せ集め。本当はもう少しこの中に入れたいのがあったのだけれど、入れる場所がなくなってしまったり、縮小するとわからなくなったりしてやめた。これも小さい上重なり合っているのでわかり辛いが‥。

上段左から、水鏡◆左右葉に絡まり合う蔓◆朝顔。逆光なので色がわからないが、これがこの中で1番綺麗な色合いの種類だと思った。人のあまり入らない川べり一面に生えていた。花のサイズは驚くほど小さい。色の付き方が複雑で水彩画や千切り絵のようだった。◆綿毛◆(左側)うっすらと透けて草の陰で咲きかけており、目に入った時、「炎だ」と思った。電球とか精巧な紙細工にも見える。白い朝顔。◆(右側)それの開きかけ◆川にかする蔓達◆そろそろ閉じ頃◆しだれた竹林の中の鳥◆四方から絡みつかれた彼岸花。絡み付かれているようにも見えるが、なんとなく支えられているようにも見える。周り一帯が左螺旋の一つの植物のよう。◆蕾◆巨大な立体影絵。そこにあった何本かの大きな木の殆ど全部の葉が虫の腹の中に入ったらしい。まるで何かの作品のようだった。◆花の中◆開きかけの朝顔◆桔梗朝顔◆深夜の朝顔。数時間後には開いたのだろう。電灯でグラデーションが透けていた。朝を待つひと時。

睡郷沼のぬし 2005/09/22(木)
先に書いたブラックホールや、瞳に関するある出来事、星空の話とあいまってそれでだろうか、光の折り鶴の夢を見た。

その人が、夜空を飛んでいる蛾を捕まえたと思ったら、手を開いて出てきたのは黒い折鶴で、これは光の鶴なのだと言われた。
全ての光がみんな体に染み込んでしまうのだと言って私の手に乗せてくれた。なるほど、と思ってそ闇のような鶴を眺めた。すっかり夜になっていて、見えるような見えないような・・。

もっと良く見ようと顔を近づけた時、ヒラヒラと、私の顔を掠めて飛んでいってしまった。あっと思って、空を探すと長い流星が流れて、その人が、あれだよ、と教えてくれた。

睡郷沼のぬし 2005/09/22(木)
鶴次の書き込みへの予備知識?を2つ…。
最近、飛んでいる蝶を見ていてやっと気づいた。10年以上も思い違いをしていた。日が落ちてから特徴のある飛び方をする「鳥(コウモリだと思っていた。私の実家の近くの橋にはコウモリがいたのだが、飛び方が似ているような気がして)」だと思っていたものは、蝶(蛾)だったのだと・・。明るいところで飛び方を改めて観察していると、不思議なくらいに上手く飛ぶので驚いた。

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小学くらいの頃、私はやたらと鶴を折っていた。千羽鶴を作りたかったのだが、ある程度作っていくと、違う大きさや、違うコンセプトのカラー選び?の方が良く思え、で、何度も一から作り直し、結局最後まで千羽は行かなかった。この写真の種類は、多分1番長続きした鶴だと思う。大きさは、小さい。普通の小さめの7.8cmくらいの?折り紙を、さらに16等分して、作っていた。なので、一辺1.5〜2cmくらい?の折り紙を作ることから先ず始まる。

さすがに薄い紙を使って針で織り込むくらいのミリ単位の鶴とかになると、時間がかかるけれど、2cmくらいの紙なら特別小さいわけでもないので、かえって指先だけで簡単に折れるし、どこへでも持っていって折れる。また、千羽鶴が完成した際も、コンパクトに吊り下げられる。

今思うと、どれだけ時間を無駄にしたのだろう、と大変に悔やまれるが、それだけに、捨てることもきっと出来なさそう。
色別に分けて引き出しの中に入っていた。完成させることはこの先まずないだろうので、これからもあの鶴の群れは、真っ暗な引き出しの中で、羽とじたまま重なり合って息を潜めていると思われる。

睡郷沼のぬし 2005/09/22(木)
流星 先日(ひとみとブラックホールの言葉で終わった日)の続きのようなもの。目に関してその後起きた些細なことはここに書くようなことではないので省略、←の言葉は何かがあったという自分のための覚え書。

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ブラックホールという言葉が私の頭の隅からまだ消えてない頃、室温のコーラの大きなボトル(1.5)の封を切った。室温なため、泡が「適度」という程度に立つ様子に、なんとなく興味がわき…いや、興味がわいたわけでもないけれど、手でボトルをたたいてみていたら、叩き方によって色々泡の出方を変えられることに気づき、「ではこうやったらどう出るか」と、しばらく様子を観察していた。その結果、「消えない1番星と飛び交う流星群」という、とても小さな動画?を水面に描ける事を知った。


写真は上手く撮れなかった。本当は、この真ん中のはっきりとした1番星の周りに、無数の小さな流星のような粒が、勢い良く様々な方向へ飛び交っている。真ん中の星はなぜかずっと同じ所にあって消えない。四方からの発砲で加わる力がそうさせるのかもしれない。流星が飛ばなくなって暫くしてから、やっとぷっと消える。 どういう原理でそうなっているのかよくわからないけれど、何かしらの法則があるようで、出来るときは続けざまに何度でも同じようになる。いったん出来なくなると、真ん中の星も出ないし、流星も飛ばなかったりする。真ん中の○は、見た目がなんとなく普通の気泡とは少し違う感じで、小さくて私もはっきりわからないが、水晶玉でも浮かんでいるという風に見える。

思いがけなく見れた筒の中の小さな夜空だった。

睡郷沼のぬし 2005/09/20(火)
(以前からドナーカードを持っておきたい、と思っていたが、そう思いつつ何年もそのままであった。そんな時、カードの表紙を自分で作っても良いと初めて知ったので、そこから行動にうつす。ただ私のところは、今プリンタが使えないため、書面の方が作れないし、第一、一般のカードの方が家族などが見つけた時わかりやすいかもしれない(オリジナルカード=お店のポイントカード然)。で、普通の方を選択。前から「自分が死んだ時は、どうせそのまま灰になるより、自分が何か提供できる物をまだ動く物として持っていているなら、それがどこかで役立ってくれる方が嬉しい」とは思っていたのだけれど、実際、詳細に---臓器別に一つずつ○を付けろという段になると、どこまで丸を付けるか少し迷ってしまって、まだ空白である・・。

(で、意思表示だけでもここへ。
余談だが、ドナー関係のサイトへ行ってみると、法律等絡まると、カードよりも遺言の方が決定権があったりとか、意思があっても家族が反対したら不可とか、順番のことなどのため?か、自分の希望の人(家族とか)にはあげられないなどの、現実問題もたくさんあるようで、複雑…

睡郷沼のぬし 2005/09/20(火)
週末にどこかで倒れたのを覚えているんだけれど・・・。週末はなんだか曖昧だった。1.2週間で、こんなに生活が変わるのか?という感じで少し驚いた(恨めしかった)。でも悲しんでも仕方ないし、前に進まなければ何も出来ない。
たとえ私に時間があったとしても、出遭う物全ては皆一瞬一瞬消えていくのだから。 などと、思えるようになっただけ、以前よりはだいぶいいのかもしれない。

変な夢をたくさん見たり、雑多な情報が沢山の珍しい果実のようにそれぞれ熟していく、ような、そんなページをふらりと覗いてみたり、自分で自分が怖くなる週末であったかも。前回の写真の続きは、まだあるので、また、適当に貼っていくかも知れません。

その名残かもしれないし、いつもの私かもしれないが、下の書き込みに関すること関連で別のことを少し考えたので、メモだけ一番最後に少し。5年(以上?)前に、このページのどこかで寝入りばなに私が見る(感じる)「夢の滝」とは、ちょっとこのような感じである。だんだん意識が溶けて全ての境目がに滲んでいく感じ。意識的には出来ない不思議なイメージ。真似して書くことは出来るかもしれないけれど、、本当のその感覚や視覚や言葉や音は、夢と現をさまよっているときだけの説明できないような感覚。
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以下、そんな、目に関する洞覚書
その、目や脳や、またそれを含めた体や周囲、世界を見渡すたびに、世の中の者(物)達のありよう(または構造やしくみ)は、なんて緻密なんだろう、と驚かされ、というか驚愕することなどが、恥ずかしながら、最近、多々ある。目以上の性能をもつという変哲ないカメラも、高性能な目を持ちながらそれを使えない脳をもつ生き物も、全てが柔らかなゲル状の立体の組木のように合わさって、大きなレンズを作って眸のブラックホールへと落ちていく・・・

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*小告知  数日掲示板が使えないかもしれません

睡郷沼のぬし 2005/09/20(火)
1997さん> こんにちは
重複のお知らせ、わざわざありがとうございます。掲示板の書き込みのお名前では存じ上げませんでしたのでメールの方で、どなたなのかがわかることが出来、助かりました。目に関するお話も、興味深いものでした。

1997 2005/09/15(木)
お、掲示板かっこ良いですね!

夢の中で軽トラックの貴方に煽られて、僕のスパーカーは
空中回転そして転倒していたのでした・・・(カタカタ)。
お久しぶりです。

睡郷沼のぬし 2005/09/09(金)
↓日にち間違ってたので少し訂正(8/16→8/17)

睡郷沼のぬし 2005/09/09(金)
一瞬と、長い時間の中の、小さな写真

9/6の続き。その日,島の真ん中にある唯一の「お山」(山というか小さな起伏)を少し一緒に歩いたりしてJと別れたのだが、山を降りる途中の坂道で、ユリの花の裏に蝉の抜け殻を見つけた。この時はカメラも持っておらず、時間もなかったので「こんなところで蝉になったんだね。帰省中にまたここに来れたら撮っときたいなぁ」などと言って見ながらすぐに通り過ぎた。

翌日の8/17、親戚の家に行ったついでにもう一度山の抜け殻を見に行ってみた。「一日でこんなに花が老化するものなのか」と残念に思うくらい様子が変わっていたのだが、この日はカメラを持ってきていたので写し始めた。そして、何枚か写したところで、バランと花びらが落ちた。
・・・「!」。なんと、こんなぎりぎりの状態で、よく間に合ったものだと思う。もしあと半日遅ければ…、もし数時間前に強めの風が吹き抜けていたなら…、この抜け殻を写真に焼き付けることは出来なかったかもしれないし、こんなものがあったことすら忘れてしまったかもしれない。

風景なんて、雨でも降らなければ、数日くらいでそんなに変わるものではないと思っていたのだが、常に何かが生まれ、何かが朽ち、刻一刻と変わっているのだ。

.....ところでユリの花の下に小さく見えている赤い色は、先ほど気づいたのだが鳥居の赤(下の写真)。山の下り坂のもう少し下から横にそれて短い坂を登ったところに小さなおいなりさんがある。思えば、湖ほどの海も、その中に浮かぶこの島も、その中に聳える丘のような山も、ままごと道具のようなこのおいなりさんも、とにかくひたすらに小さい。小さいのだが一つの部屋をひらくと、そこはそれぞれの世界が広がっていて、なんとなく大きな蟻の巣を連想してしまう。

そんな、切り離された一つの空間(部屋・世界)の中で、静かにずっと向かい合っている石の像(写真右端)が、なんだかうらやましい気がした。表面は朽ちてボロボロなのだけれど、もっと深いところで大きくなめらかな呼吸をしているように感じた。


睡郷沼のぬし 2005/09/06(火)
台風・・・自分が人である以上、&係わり合いのある人や大切なものがあるがある以上、怯えてしまう。早く通り過ぎてほしい。毎回くるとわかっているのに、何もできず、毎回同じようにただ当てもないものに祈るだけなのだが・・・・。

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28(9/4)の続き。日にちは戻って8/15日。私のページでも過去何度か出てきた元スクールメイトで、(滅多には会えなかったが)わりと近所で、大阪に来てから10年もリアル友のままでいてくれた人(Jさん)がいた。しかしJは、数ヶ月前に結婚して、広島へ行ってしまった。この人といると、これまでも、なんとなく不思議なことが、起こっていたので、いまさら驚くことでもないかもしれないけれど。でも、もう会うこともないのかも、とまで内心思っていたからよけいに。

私が大根島に帰って次の日(Jはそれを知らない)、家族にJの写真を見せていた時、ちょうど、Jからメールが入り、「今米子(島の近く)に居るよ。えいこって大根島出身だったよね、これから広島帰るけど島も通ってみるね」みたいな内容が書いてある。驚いて、「私は昨日、島に帰ったところで、今島に居るのだ」と、電話して、お互い「えー!?」となった。それで、次の日、少しだけ会ってJは広島に帰ったのだが、
もう一つ、Jは白オニギリとか赤飯オニギリとか好きなのか、どこかへ行くと食事にいつも食べていた。
たまたま、その日は、うちは珍しく小豆ご飯(米が普通の米で赤飯の兄弟のようなもの)だったので、偶然は重なるものだなぁ、と思い、小豆ご飯をいくつかおにぎりにして凍らして、次の日試食程度だが持って行った。
大阪でのお別れを寂しく感じていたぶん、自分の好きな場所で偶然に再会できたことを嬉しく思う。

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それと、8/21の「円子燕尾」は、暫く飼っていたが、何枚か写真に撮ったので「そろそろ逃がそう」と思っていたところ、ある日脱走してしまった。たまに部屋のちょっとしたところで見かけたが、昨日の夜、捕まえたので外へ放した。4階からなので、黒い闇と、薄くて柔らかい彼の内羽の羽ばたきと、ゆっくりとうねる風の層が混ざって同化していくのが、なんだか印象的だった。

(もう住む世界が変わってしまうのだと思うと、なんだかさびしい気がした。ただしここに居ては敵になるのでしかたない・・・)
まだこちらは台風は来ていないので、今のうちにいい住処を見つけてくれるといいが・・。(写真=その、円子燕尾)

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下で、そこが一番自分にあった場所だから、という風に書いたが、本当はそれよりも大きいかもしれない別の理由もある。それをここで書くことはしないが自分ではよくわかる。


睡郷沼のぬし 2005/09/04(日)
「〜を書いていく」といった矢先、パソコンがついに起動しなくなってしまい、暫く直しに出していた。
私もちょうど風邪をひいてしまってたりで。ネットできずにいたが、再開。
パソコンはデータの確保と起動出来るようにしてもらったが、部品自体がダメになってるっぽく、「暫くはとりあえず使えると思うが・・」という現状。買い替えかなぁ・・・。
あと、強い故郷シックに襲われたりして、なんだか変な夢ばかり見ていて気持悪い。

とりあえずデータと画像ソフトが復帰したので、また先日のメモの続き追加していこうかと思う。
向こうに帰っている間、私にとって驚くような偶然(といってもほんのちょっとした事)などが色々起きたのだけれど、それは、なんと言うか、自分にとって一番自然な状態(現象)であり、・・・つまり自分のアンテナや気?が一番高まる場所であるからなのかなぁ、と最近思ったりする。
そんな感覚を暫く忘れすぎていたから今「偶然」として自分の目に写るのかもしれない。たぶん本当はとても自然で当たり前なこと。

睡郷沼のぬし 2005/08/28(日)

虹色になった青虫の話
24日の写真(17日撮影)の翌日(18日)の、日の出前のことから始まる。私の家は(大き目の)島で海に囲まれている。以前写真に撮った(*1)道を抜けると海へ出る。その辺りは、自然(&タダ)の植物園+花屋みたいなもので、適当に植物を摘みながら歩いた。

海岸へ出て「ある鳥」を探したりしていたら、いよいよ明るくなり朝日が昇ってきた。少し入り組んだ遠くの海岸を見ると海岸沿いの家の前で朝日を見ている人がいる。昔祖母が毎朝(毎夕?)外に出て陽に向かって拝んでいたことなどを思い出した。

家に帰ってから持って帰った植物を瓶にいけ、一時間もした頃だろうか。なにか背中が時々おかしい。服を脱いでみると、背中の中から小さな青虫が出てきてギョッとした。・・・けれど、なんとなく、さっきいけた瓶の植物に止まらせておいた。一緒に付いて来たのだろうし。

暫くして見てみると、色んな色の花弁を順番にでも食べたのだろうか、体が虹色になっている・・。私が見た時は、ちょうど露草の青を食べている時(=写真 数枚目)で。
一体どんな蝶(蛾)になろうというのだろう、などと思いながら、背戸(後ろ庭)の朝顔の辺りに逃がした。

すると、ある一輪の朝顔の花の中央に入って行くので、覗いてみたら、なにやら奥の方で粉まみれに。ちょうど朝顔の花がしぼむ直前だったので、そのままカプセルのような青虫の家が出来てしまった。次の日、その花を見てみると、穴があいていて(結局、虹色に白も追加されたのだろう)、どこかへ行った様子だった(*2)。来年の春頃、成虫になった彼が庭を飛んでいるのかもしれない。24日の蝶の話ではないが、またもし蜘蛛の巣に引っかかるのを見たら、かつ彼であったら、次は私はどうするんだろう・・・?

(*1)2004/10/06(水)の写真のホウセンカの実の上、蝶の下の、二枚が、海岸への道で、シダや蔓の生える道とか竹藪の横の道
(*2)最終コマは絵。撮る時間が無かったので、記憶を頼りに。

睡郷沼のぬし 2005/08/28(日)
下の蝶は、羽根がけっこうボロボロになっていたので、これまで色んな災難にあってきたのかもしれない。彼の羽は、そのまま彼の日記帳のページのようだと思えた。

睡郷沼のぬし 2005/08/24(水)
重要なお知らせ(お詫び)
ごめんなさい。普段のアドtori@po2.synapse.ne.jpは先ほど使える様になったのですが、誤って14日頃〜24日に私のパソコン(とyahoo)宛に届いていたメールをサーバーから、全て消してしまいました・・・。一瞬「ぁ!」と思って、停止を押したのですが、すでに消えていて・・。それと、21日のお知らせに書いていたyahooのアドレスですが、これはパソコンに転送するように設定していたのを忘れていたため、つまり、14日〜24日くらいまでのメールは全て消えてしまいました。(16日くらいまでのなら、届いてるのもあり)。もし、その間に最近パソかyahooーにメールを出してくださった方が、おられましたら、せっかく出してくださったのに、本当に、お詫び申し上げます。お手数ですが再送してくだされば、幸いです。(携帯のメールは大丈夫)

睡郷沼のぬし 2005/08/24(水)
21日の続き。最近の見たこと、不思議なこと、悲しいこと、色んな発見など、ここに書けるものだけ、簡単に少しずつ書いていこうと思う。

蜘蛛の巣に、蝶が引っかかるのを見たとしたら、皆はどうするのだろう・・・。
その朝、私はたくさんの蜘蛛の巣が朝日を反射して虹色に揺らぐのを眺めていたら、たまたま蝶が引っかかるのを見てしまい、どうしたものかと、とても悩みました。蝶は逃がしてあげたいが、蜘蛛には蝶を食べさせてあげたい。蝶の1cmほど横で蜘蛛がじっと待っているのを見ているとなおさら・・・。せっかくの獲物。結局悩んだ末、蝶を巣から外して逃がしてしまった。
暫く瓶に入れて観察してたのが、左の写真。小さい頃はたまに蝶を捕まえたこともあったと思うが、この蝶をこんなに近くで見たのは初めてで、太陽に透かすと、羽根のグラデーション部分の模様の部分などは透けて、両の翅脈が二重に見え、見飽きなかった。

観察後、+瓶に被せた網をはずしたら、なぜか、庭の中の私の梅の木(小学入学時に皆に配られたもの)に暫く止まってくれ、のちに、高く飛んで家の庭のいろんな木に止まっていった。羽根が少し破れていたので飛べるか心配していたが、その様子を見て安心して別れた。蜘蛛には悪いことをした・・。


睡郷沼のぬし 2005/08/24(水)
体調は、蕁麻疹に関しては病院で注射と薬を貰ってきたので、腫れがやっと引いて来た感じ。(まだ顔の輪郭はかなり変わってるし、腫れて痒いけど、ピークほどではない)。ステロイド系の薬なので太陽には当たれないため、昼間すごい格好をして、歩いている人を見かけたら、もしかすると私かも知れません・・。以前の足の傷痕を先生に見せたら色素沈着しやすい体質みたいですね、と言われ、ビタミンを出してもらったが、治ったら顔がマダラになるかもです。

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昨日掲示板が荒らされてるみたいだよ、と、連絡くださった方、どうもありがとう。どうしようかと考えましたが、これがその書き込んだ方の言葉(いろんな意味で)であるかもしれませんし、また、彼(or彼女)の時間を書き込むことに使ってくれたことにもなるので、削除するのは、なんとなく、その人の時間を消してしまうようで、とりあえずそのままにしておきました。ただ、21日のお知らせなどが、下へ行きすぎても困るので、もしかすると、後で、データだけは奥に残して、ページ上だけでは書き込みを一部見えなくするかもしれません。すみません。

睡郷沼のぬし 2005/08/24(水)
96さん>お返事大変遅くなりました・・・。昨日はごBBSの状態のご連絡もどうもありがとうございます。ペットボトル、96さんもやられたんですね。96さんは何を育てられたのでしょうか。。ナツメのことも、ありがとう。たしか8/14が誕生日だったので、かれこれもう9歳くらいでしょうか。。シニア用のえさなどたまに買ってきますが、お爺さんになったのだなぁ、と思い、寂しく思います。。

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トラッキーさん>おーきに。トラッキーさんも、季節の変わり目ですし、お気をつけてくださいね。新しいデジカメですか、羨ましいです。私のは化石みたいなデジカメなので。。「いろんなの」って、どんな写真だろう。トラッキーさんのホムペなどあれば、ゆっくりたくさん見に行けるのですが・・・。
それと、お問い合わせの件、今まで考えたことがありませんでしたので、どう書こうか少し悩みました。できるだけ何でもあり、というようなルーズな感じでこの掲示板が存在させていきたいと思っていますが、考えた結果、今のところ、ここが私の更新ページを兼ねている状態ですので、「写真その物」だと、大きさの問題や予想外の絵柄が来ること、その他の問題も出てきそうなので、できれば、しばらくは画像のURLを貼り付けていただく形でお願いしようかな、と、思います。勝手で申しわけありませんが、もし、そのような形でよろしければ、また、色々見せてくださいね。

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トラッキーです 2005/08/21(日)
久々にHPを見ました。体だけでなくパソコンも調子悪いって夏の暑さは怖いモンですね。お気をつけてm(_ _)m
ペットボトルの写真見ましたけど、鮮やかですね。私は新しいデジカメでいろんなの撮ったりしてます。変わったカメラを撮影するアーティストに出会ったりと自分探し?をしてます。
ところでこの掲示板は管理人以外の写真がないようですが、基本的には禁止してますでしょうか?

睡郷沼のぬし 2005/08/21(日)
追記メモ ,もしくは、たなごころのメモ

下に書いたように今少し体調が悪くて眠っていますが、この10日くらいの間に、書ききれない程の(私にとっては何年分くらいかも)の色々なこを見たり、遭遇したり、感じたりしたので、また、良くなった後にでも、忘れないうちにもう少し詳しいメモなど、どこかに書いておきたい。
p.s.ところで、昨日、天井にゴキブリを見つけたので、朦朧とした意識の中で、虫かごに入れて飼い始めた・・らしい。皆は嫌う虫だが、本当は綺麗好きで、ホコリのある所や油でベトベトな道は彼らは嫌いで通れないそうです(←百科辞典などのマトモな物に書いてあった事柄)。人目に付かぬところで、ひっそりと暮らしている彼らは、寧ろ、とてもつつましいと感じました。

また、虫かごの中で、彼を光に透かしてみると、羽の色や、二枚の羽脈の重なった部分など、本当に綺麗です。その色と、燕尾服を着たような姿形から、一応名前を「円子 燕尾(苗字と名前)」と、簡単に名付けておいた。「円子」は、干水絵の具の色の名前です。(その他、岩絵の具の「岱赭」「岩紫紅」なども候補でしたが、難しいし、なにせ意識がぼーっとしていたので、ほんに適当につけただけなんで、彼には、かんにんしてもらおう・・) 

今日は日曜なので、病院はしまっているため、明日は病院へ行くつもりです。それでは、ここへ来てくださった方がいらしたら、またのちほど・・お元気で。私もはやく回復せねば。(今、体調の関係で下半身と左手はセーターとコタツ、上半身と右手はクーラー&扇風機ガンガンというすごい環境で寝ていたりしてるので・・・まるで夏と冬が一緒に体験しているようです。寒いよぅ,暑いよぅ あぁ)


睡郷沼のぬし 2005/08/21(日)
お知らせ(その1)
今、私のパソコンのメールアドレスが使えなくなっております。(パソコンがいよいよ壊れたらしく、ここ一週間と、これからのメールがもうしばらくこのパソからは見れそうにありません。ですが、プロバイダのHPで、直接web上で確認できる設定をみつけましたので、確認は出来ると思います。でも、もし、届くか心配な方や、お急ぎの方は(アドレス削除8/24)か、携帯にご送信くさい。) 

お知らせ(その2)ここへ書き込みくださった96さんや、メールくださった方、お返事遅くなっておりまして、もうしわけりません。しばらく大阪に居なかったことと、今日は大阪に帰っていますが、現在じんましんや、扁桃腺や熱、(とくに顔など、「家庭の医学」の標本写真のようになってしまってます・・・柚子とオタフクを足した感じ・・orz・・ですが、オタフクは「お多福」と漢字で書きますので、これまで色んな方から頂いた福を自ら捨ててきたバチかなにかかもしれません。苦笑) で、ちょっと寝込んでおりますので、今適当に返事を書くよりも、体調が少し良くなってから、ゆっくりお返事書かせていただきますね。ごめんなさい&ありがとう。

96 2005/08/12(金)
なつめ様、かわええええええ

ペットボトル花壇、わたしも昔やった。

睡郷沼のぬし 2005/08/09(火)

心もとないペットボトル花壇
   
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08/07(日) のもう一つの物語。

縢のつながる夜伽 風滑らかに透き通る夜
寄る音キスに絡め なぜ鍵と夜が夏の中

(縢 = 糸、 糸すじ )

睡郷沼のぬし 2005/08/07(日)
仮名のつながる夜伽 風滑らかに透き通る夜
寄る音キスに絡め なぜ鍵と夜が夏の中

→                      ←
かなのつながるよとぎかぜなめらかにすきとおる
るおときすにからめなぜかぎとよるがなつのなか


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つややかな夜風を集めて詰めた箱の鍵


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誰が穢れだ、 むう・・・ 己が穢れの緒
己が穢れの緒 ・・・うむ、 誰が穢れだ

だれがけがれだ、 むう・・・ おのれがけがれのお
  おおのれがけがれのお ・・・うむ、 だれがけがれだ
--
元凶は心の中に

睡郷沼のぬし 2005/08/05(金)
本当はマズ原因となるところをどうにかしないと駄目なのだろうが、複数の事などが絡まりあって、重苦しく動けず、カウンセリングへいってみた。何ヶ月かは何もせず回復させるよう専念するとかしてやらないと悪循環だという話だったが、それはそれでまた首を締めそうな気も・・・。やらなければならないことはあるわけで・・・

睡郷沼のぬし 2005/08/05(金)
帽子屋さん>弱いかと思っていたら驚く強さを持っていたり、そうかと思えばあっけなく貧弱だったりして。私たちをたまに驚かせたりはっとさせたりしますね。
帽子屋さんの蔓のようにぽっきりといった物でもうまく持ちこたえて太い幹になったりもするんですね。。帽子屋さんが大切に手当てしてあげたからでしょう。そんな意味ある傷痕があったら、よけい愛着わきそう。もうけっこう大きいのかな。そういえば実家で作っている牡丹は違う植物の根に牡丹の枝をついで合体させて?育ててたんですが、違う枝同士でもくっつくのとかもすごい・・・。

>人間である私ならあのままポキリと折れていたに違いない・・・。
人間ゆえの脆さとか複雑さもあるのでその分修復も複雑で困難だったりもするかもだけど、逆に人間ゆえの修復や柔軟さ感情、また、仲間の支えというのもあるから、帽子屋さんが折れそうになったり、または折れてしまった時の回復の可能性、または予想外の回復力も大きくもあるような気もしますよ。

帽子屋 2005/08/02(火)
お久しぶりです・・・。あなたはとうに私を忘れたかもわからないが、私は忘れた日などないです・・・。体調も浮き沈みしているようで、心配しています。体は良くなっても、心はどうか。。。


少し前に友人にもらった”豆”が芽を出して2ヶ月。今やどんどん蔓を伸ばしているけど、一度一番太い蔓を誤ってポキリと折ってしまった。完全に折れてはいないけれど、繊維が断たれた感じでもうだめかとも思ったけれど、とりあえずまっすぐの状態に保てるように棒を添えて様子を見ることにした。数日後、折れた箇所を見てみると、見事、そこが節となって前よりも強くなっていた・・・。植物がこんなに強いなんて・・・と嬉しい反面あせりのようなものも感じた。人間である私ならあのままポキリと折れていたに違いない・・・。


そんな事を思い出しながら、水をやるおやすみの日の午後・・・。

睡郷沼のぬし 2005/07/30(土)
深夜の電柱の下の溝川に15cmもある蛙が一匹。暫く見ていて、僕は蛙じゃなくて良かったと強く思った。あの孤独は耐えられないかもしれない。僕は孤独に耐え切れないと言いつつ、かといって人を避けますますそうなっていく傾向にあるのだが、人間は、人を求めるという選択もできるだろうので・・。あんな夜に一匹で川や溝川にいるのは、僕が一人で部屋にいるのと、そうかわらないだろうけれど、それでも。
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くだらない日課を終えると、結局朝の4時半くらいになってしまう。ウトウトしながら、ラジオでピアノの弾き語りなどを聴くことになったりする。生活する為にとしていることが、生活苦を招く原因になったりして、鬱である。あまり発狂はしたくない。。
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朝顔が伸びてきた。同じ鉢に買った種と野生の種を撒いたのは良くなかったかもしれない。細々とした野生種が、太った血糖種に日光を奪われそう。この野生種は、5年ちょっと前くらいに土手で種を撮った物で、紫の花が昼間に咲く種類なのだが、5年経っても、またここからプッと生きていくのが、当たり前ながら、不思議だ。

一緒にモヤシ(緑豆)も2本植わっている。食事の残り。一本は双葉が出なかったが、小さな茎だけがずっと生きている。この先この茎はやはりずっとこのままで、最後にぽっと死ぬのだろうか・・

買ったホテイアオイが一株。10年ちかく前に池からとってきたのは枯らしてしまった。初めてこの花を見たのがその時で、その頃、すっかり引きこもり状態だったが、夕方やっと外に出て、大き目の池の横を通ったら、青白い花がたくさん浮かんでいて、その光景は一人で見るにはもったいなく、誰かに見せたいと思った。

睡郷沼のぬし 2005/07/21(木)
形を崩して雫落ちたか

→                      ←

かたちおくずししずくおちたか
--
すべてをとかして流動する沼になれ


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相変わらず痛みと熱を繰り返している日々にいらいら


睡郷沼のぬし 2005/07/21(木)
うみさん>
大変でしたね。夏風邪は気分的にもつらいものですよね。長引いたりはしなかったでしょうか。そろそろ夏本番、おいしいウナギ&ドジョウでも食べて栄養つけてくださいね。ウナギのタレは私もたまに買うのですがやっぱり主役がないと、いまいち・・

下の体調管理は案外難しいですね。不規則が染み付いてるので、抗生物質とかもらうものの、それすらもまともに飲めなかったりして・・・

うみ 2005/07/19(火)
お久しぶりです。お元気ですか?今月は夏風邪を惹いてしまって少し苦しかったです。管理人さんも無理をせず体調管理第一でがんばってください。

睡郷沼のぬし 2005/07/19(火)
? さん>
下の書き込み、お名前は無かったけれど、内容からなないろさんかな?(違ったらすみません)  おめでとうございます。随分待ち焦がれていたご回復だと思うので、良い方向へ向かい始めたことそのものも、自分への励ましや応援につながって、そのことが元気への加速をしてくれてる分もあるかもしれませんね。今まで苦しかった分、たくさん良い気もちになってくださいね。

2005/07/17(日)
最近、調子がよいのです。
薬が身体に合っているようです。
今日も美容院に行ってパーマまでかけました。
3時間いても平気でした。
外食にもまともに行ってみました。←これは画期的です!
雨がキライじゃなくなりました。
多少、めんどくさいなぁって気はするけれど。
雨に関する評価がかわったのは、えいこさんのおかげですよ♪
素敵なえいこさんが雨が好きっておっしゃるから、私も雨が好きになってきたのです^^

睡郷沼のぬし 2005/07/17(日)
なないろさん>
お声どうもありがとうございます。なないろさんこそ、大変なのではないでしょうか・・?なないろさんは雨、あまりお好きではなかったですよね。この季節でご気分まで沈んでないといいですけど・・・。
以前の会話で雨は好きだといっていた私もこの梅雨の雨は色々と災難をもたらすものになってしまいました。

なないろ 2005/07/11(月)
最近、更新されていないので心配していました。
傷ばかり出来ている・・・というところが心配ですが、とりあえず久し振りにメッセージが読めた事でホッとしています。

睡郷沼のぬし 2005/07/11(月)
お知らせ
携帯の、アドレスや受信の記録など全て失ってしまいました。なお、使えませんので、最近連絡してくださった方がおられたら、本当に申しわけありません。それは最後まで届かないかも。パソコンのメールは使えます。

ただし今朝くらいから出された物は後になって受信できるのではないかと思います。(今は私は携帯は使えません。)
せっかく教えていただいた大切な連絡先など別の物に控えるのを怠っていたこと後悔に尽きない・・・




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これはあれやとこれやの罰なんじゃないかと簡単に言い切れるような感じで困ったことが色々重なってしまっている。
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炎症炎症化膿当たりずっとウロウロ・・こういうのは、体力が落ちてる時になるんですけどね、といわれると、その気になって弱ってるのかな、と一瞬思いかけたのだが、実情はそ弱ってなどいないだろう。それより一日中私の周りは驚くべき雑菌だらけだからな気がする。(きっと部屋も心も雑菌だらけ)。そんな環境でやたらと傷ばかり出来ているんだから当たり前。

睡郷沼のぬし 2005/07/11(月)
大変時間が経ってしまいました。読まれないかもしれないですが・・・

トラッキーですさん>
やはりその撮影が自分に対してどういう撮影かによって、その時時で、何を考えながら(というかどういう気もちで)というのもずいぶんかわるんでしょうね。依頼されたものか否かでも。それに込める気持の全体量は同じでも成分は色々変わりそうですね。

>仕事ほど力入れてなかったみたい
スタッフをされたのは、普段のお仕事とはだいぶ違うかんじだったのかな。いいのは撮れたかな。

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 96 さん>身近に蛍が飛んでるとこなんですか。空気、綺麗なんですね。今の地では土地では殆ど見かけないので、時期は曖昧になってきてましたが、思ってたより早く出るものなのですね。96さんの声援は聞こえたかな。虫が集まってくる静かでにぎやかな夜は、なんだか変に感傷的になってしまう。

96 2005/07/05(火)
夜になるとホタルがいますね。
数が少ないのもあって一匹見かけると追いかけて「ファイトだ!」(何がファイトだ…)と言う俺がいる…。
そんな仕事帰り。

トラッキーです 2005/06/20(月)
ネットがはいりにくくてたまにしか書き込みできません。確かに他の人は何か考えて撮っているのだろうか? 音楽祭でカメラスタッフしたときはあったのだが、他のカメラマンは仕事ほど力入れてなかったみたい(ただの記録って感じで)。あとはいやなカメラ小僧が1人・・・。それにしても睡蓮さんの画像はやっぱり刹那さを感じます。そう撮ろうとしなくても無意識にしてるのでは?
葬式の夢は大切な人のおもいだそうです。悲しい夢ってことはよほど大切な人なんでしょうね。

睡郷沼のぬし 2005/06/14(火)
錆びたのは、残りない残像・・秋だ。
抱き合う・・・ぞんざいなり。木の葉の旅さ。

→                      ←
さびたのはのこりないざんぞうあき
きあうぞんざいなりこのはのたびさ

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痛みと熱でダウン気味・・・
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露草のある空気の香りを感じた。光る緑の「ある」独特の感じなども。感じたというか、記憶が浮かび上がった。そして、ここには私の知っている空気は無いと思った

睡郷沼のぬし 2005/06/10(金)
一昨日は06/04とセットになるような夢を見た。別のある葬式の中、私は大声で泣き叫んでいる。
裸足で追いかけても、もう触れられぬ場所。
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最近、ある単語が涙のスイッチになっていることに気づく。その言葉を発音すると電子計算機の答えのように明快に突然にぽたりと落ちてくる。

睡郷沼のぬし 2005/06/08(水)
メモ。必然と偶然の結果、ある分かれ道にたつことになり、色々気づかされることなども。例えば自分がどれれだけのありがたみを受けてここまで来たかとか、改めて。
死にたくてしょうがなかったような時も、それなりにあったしこれからもあるかもだけど、しかしむやみに、本来の自分を何か(or誰か)に奪われたり、また生きるために死への近道を進むことになるとすれば、それは非常にいやである。

睡郷沼のぬし 2005/06/08(水)
96さん>
お元気ですか?どうもありがとう。そっちではどんな風に見えてるのかなぁ。モニターでけっこう色変わったりもしますね。私のとこからだと、なんか煮え切らない色合いかも。色を選ぶのがヘタで、気づくとごたゃまぜで汚くなってたりします。
生活全てにおいてもその傾向があってなんだかやり辛い。さらっとできたら楽なのにな・・・・

96さんこのところずっとどっぷり浸かれる世界があっていいな、と思っていたんですが、リアル界でもいい感じになってきましたね。なんだか導かれたような巡り合わせ。

96 2005/06/06(月)
下の写真(泡?)のその「青色」が良い色ですね。
深い部分の青が好き。

久々の書き込みがこんなであれだけど。
ふと。

睡郷沼のぬし 2005/06/04(土)



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葬式の夢を見た。大切な人の別れの悲しみというのは常におびえていたが、その場に立つと夢であってもやはりとても悲しく、泣け叫んでいた。大切な人に、出来るだけ色んなことをしたいと感じた(思ったけれど、存分にはなかなか出来ないものでもある)。時間は止めることが出来ないので、あとは、その与えられた時間とどう付き合っていくか、また、戻らない過去とどう付き合っていくかというだけになってしまうのだが・・あまり考えたくないけど。

睡郷沼のぬし 2005/06/04(土)
こんなことをしている場合じゃないのだが、寝逃げするような感覚で逃げているのだろう。崩壊前の家屋のようで動けない・・

写真=道を挟んだ所に、遠目で日本画のように見える樹がある。絵の具の成分は、小さな無数の玉と葉。数ミリ(仁丹くらい)のミドリ色の蕾が、白く変わり、やがて梅のミニチュアのような花が咲く。そのつぼみの丸さといい、花の感じといい、枝からパカッという音が聞こえてくるようである。

6/2の補足  良心=感謝の気持などの、よい種類の気持

睡郷沼のぬし 2005/06/02(木)
5/26 最後のメモの付け加え。種を買うのことは希で、特に昔は雑草を採ってきてそれを植るとか野菜のヘタなどを植えてみるというのが好きだった。薄紫の昼(夕?)顔など控えめでよかった

睡郷沼のぬし 2005/06/02(木)

実家から、終わりかけぎりぎりの牡丹と芍薬が着いた。他の品種はすでに散ったらしいが、これも寸前なので、触れただけで散っていく。この品種は、外国人が好きだとか。その声の調子からすると、製作者としては、お勧めの品種でもないのだろう。

1)音
2)複雑なパズルのように見えた。
3)トンネルを見つけた。ここから別の世界にいけそうだと思った。
4)芍薬。変り花弁の中央の散り残り。切花なので、この中央の種の成長は見れない。
見事な花も素敵だが、それよりも、どちらかと言えば、ただ植わっていればそれでいい。その安心感があれば、それで。

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彼にとっての良心といえば、常にこういうものに変換される。・・これしか・・。自家製の農作物など。格好は良くなさそうだが好きではある。
長年大変お世話になった方が大阪にいて、今度遠くへいってしまうことになった。差し上げてくれと牡丹と芍薬が届いた。届いたのはいいが、元々開花時期がほぼ終わっているので、動かすだけで散っていく。差し上げるまで持たなそうなので、せめて写真におさめることに。

睡郷沼のぬし 2005/06/02(木)
トラッキーさん>
お写真も撮られるんですね。「切ない」の対極というとどんな写真ちなるんだろう。私は撮る時は何も考えていませんよ。写真よりトラッキーさんのお心の中にあるその成分が反応して切なさを感じられたのかも。私みたいにただ意味なく撮っているとデジカメは便利な物だと感じます。月見草は本当にいっぱい生えていて、一つ撮ってみたらだんだん「どうしてここの全ての月見草の在りようを一つのレンズで捉えて残すことが出来ないんだ」などと、なんだか憑かれたような感じになってしまったので、帰ってから見たら、つまらない写真が大量に。アナログカメラだったらこんなふうに無駄には撮れないですね。。他の人はちゃんと考えて撮ってるんだろうか・・?

トラッキーです 2005/06/01(水)
お返事ありがとうございます。ドールはお互い教えあったらいいですね。
ところで管理人の撮った写真が大変切ない感じがします(特に月見草)。私の撮ってるデジカメと対極になるのですが、撮るときにどんな視点やテーマでとっているのですか?

睡郷沼のぬし 2005/05/30(月)
5/18の、デザインフェスタに添えた文字と
5/26日の2枚目の写真にもコメントを入れておいた
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04/8/18に書いていた怪しげな小さな建物(私の知る限りでは宇宙研究所から始まり何回か変化を繰り返した鋭角の土地)が、ヒーリングのお店に変わっていた。都会なら不思議ではないが、山の間の住宅地のような場所なので、立て続けに不思議なものが入ると、印象的。(お店その物は全く存在感がない)
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ネットでガラスの作品を、今は目の毒、と思いながら、流れ見たりして、ぐっと掴まれたり。&やりたいな。分身して、いまの作業を分担できればいいのに。
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大きめのものや小さめのドールのいくつかを手直ししたりしているけれど、最初頃のものなどは、手直しすると、結局1から、という感じになってしまう。なんという下手さ&上達の遅さだと思う。教室に行けていれば、もう少しマシだったかな。元々向いてなかったとこを、むりやりやってしまったんだろうなぁ、と思う・・。

フェスタ後、その前に少しお話していた方のご要望(承諾)あれば、これを作ろう、というのがあったのだが、今は必要なくなった感じなので、元のモードで続行。とともに、出来ずにいた作業を今のうちに進めなくては、と思う。色色な意味で余裕がほしい。時間短かし。

睡郷沼のぬし 2005/05/30(月)
うみさん>
半分、はじめまして。その節はどうも・・。
基調色というのは、特に考えてはないですよ。寒色に偏ってる気もするけど、あえてあげるなら、アイテムの色より地の方の黒の「闇色」かなぁ。。うみさんは、「うみ」だけに海色なのかな。  でも海の色って何色だろう・・

うみ 2005/05/28(土)
はじめまして???”ぬし”さんのホームページかなりのボリュームですね。見ごたえがありますね。色彩は青が基調でしょうか?

ぬし(=管理人) 2005/05/26(木)

1)練習台。半分色。
色を決めるため、去年の夏からの作りかけのもの(秋のデザフェスに胸像で出したかったのに、今だに・・)を練習台にして、半分だけ彩色してみた。顔の形が今回の物とはけっこう違うので、こういう感じにはならないだろうが、とりあえず。しかし、色もピンとこない・・。色々な色合いのものを、試しを兼ねて実際に完成させてみたいのだが、作るのが遅いので出来ないのが残念。
2)幼虫が花である蝶 が,一種くらいいてもいいかもしれないと思ったり。「その時」が来ると蝶として飛び立つ。
3)金色綿毛
4)夜の闇からだんだん浮かび上がってくる一面の月見草が蝶の群れのようで壮大な不気味さであった。
5)その「家」の一つの蕾。この植物はどの株も、何個かの頭(大きいのや小さいの)が一かたまりになっていて家族のようだった。これもまた21日のように見ている自分の一人さを際立たせた気がする。

そういえば、一つ下で「生命力が光になって取れるカメラがあったらいやだ」と書いていたが、それは、生命力が衰えたり、消えたりするのがわかってしまうのがいやだから。

でも、本当は、死も生もベクトルは同じだと思う。だから、そんなカメラがあったとしても、どの写真も真っ白に一面が発光した写真になるか、あるいは真っ暗になるか、どちらかでしかないのかもしれない。
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夕闇が降りた頃、普段と違う坂道を自転車で下った。道に見える溝川に落ちた。救急車を呼びましょうかと、言ってくださった方がいたのだが「大丈夫です」とだけ。後で、どうして感謝の気持を伝えれなかったんだろうと、後悔した。「非常にありがたい(&有り難い)」。そういう後悔をすることが多い(自己中ゆえか)。伝えられなかった気持というのは、誰かに返すことでしか伝えれないのだろうなと、よく思う。
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一年前から撒こうと買っていた桔梗朝顔をすこし前に撒いた。大阪に来てからは別人のように園芸と縁遠く、また苦手になった。「大地の土」がないからだろう。不精なのだ。
濡れた鉢を見ながらこのまま芽が出ないのではないだろうかとも思っていたが、双葉が出てきておどろく。とともに、自分がいやになる。何にも知らない種だって、当たり前にちゃんと芽を出すのに、自分はこんな歳にもなって、いまだに何もできないのだ

ぬし(=管理人) 2005/05/23(月)

21日の場所。左から
・月見草の原
・離れた陰でぽつんと開きかけ。少しだけ不思議な感じに撮れた。もし生命力などが光になって撮れるカメラがあったら、少し嫌だ
・花びらをすかして落ちる月光は何ルクスくらいだろう・・
・玉座

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名前知らず。 近所で、花弁がなんとなく「ゴシック」というイメージの植物を見つけたが、名前等わからない。写真ではわかりづらいが、花びらの一枚一枚の形が凝っていて、清楚な衿を連想する。

ぬし(=管理人) 2005/05/23(月)
あやさん>
最近は特にお忙しそうでしたが、お疲れになってないでしょうか。あやさんでもそんな風に感じられるときあるんですね。あやさんの絵を拝見していて、そんな風に感じたことがなかったから。

「檻に閉じ込められておとなしくなった猛獣達のような汚くは無いが、面白みも無いようなものに感じて仕方ない」
その表現、ほんとうにそんな感じです。苔むした感じになってしまうというか、寒天質に覆われてしまうというか・・。ネット徘徊中に見た絵描きさんのページなどでも下書きのラフな絵の方が好きと言って、そっちの方に思い入れを感じるような絵も見かけたことがありますが、その時も感覚伝わってきました。
そういえば絵なんか描いているとたまに「未完成ではあるけど、これ以上は前に進めない」みたいになる時もあるのですが、それも完成の形なのかも。

人形の場合は完璧が求められることも多いので、完璧すぎるという言われ方はあまりしないし、そうとう丁寧に作ってないと、それが作風であっても雑だと言われがちのようですが、でも中にはその過程でいろんな意味での起伏が均されてしまったりして、「つまらない」と言われることはけっこうあるのではないかなぁ。ならすのではなく、下書きをそのままの形で極限まで突き詰められればいいのですが。

引っ越しは、本当は何年か前からしなくちゃならなかったのに、無理矢理ずるずる。はやくどこか行かなければ・・

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トラッキーさん>
はじめまして。どうもありがとう&ページ上ではっきりした告知などせずに行ってしまいすみませんでした。
不調快調思うように行きませんが、やっていくしかなさそうですね。
私もドールは(も)未開拓な分野でさっぱりわからないのでこちらこそいろいろ教えてください。←と本人が真面目に言うくらいですので、私の作るのに関してはお気軽に。ただそこにある、という単純なものですよ。

はじめまして 2005/05/22(日)
HNトラッキーです。
デザインフェスタ終わったんですか? 作品見に行こうとしたんですが、どこに展示されているかわかりませんでした(笑)
現代アートは好きですが、ドールは未開拓な分野でさっぱりわからないのでいろいろ聞きたいのですがお願いします。
ちなみに体弱そうですが大丈夫ですか?

あや(ameyoru) 2005/05/22(日)
デザインフェスタお疲れ様です。
写真)人形の表情が
冷たい水が隙間にしみこんでいくような
寂しい気持になりました。
繊細な表情を持つ人形に、いつも驚かされています。
周りに描かれたという絵も、拝見したい。

>作っていくにしたがって、整えていくにしたがって、作りたかっ>た形がだんだん埋もれて出来上がる頃には消えてしまうことも多>い。


似たようなことを自分の作品に感じます。
学生時代、美術の顧問に、"あなたの絵は完璧すぎて息抜きができない"と言われたことがあって。
完璧すぎるというのは、もちろん技術の事じゃないよ。
完璧にしたいという気持が強すぎる、といえば意味合いは
近いかも・・・。
描き途中のアバウトな感じの時のほうが、生き生きとしている
と感じることが多いのだけれど、それは、やはり"不完全"な
ものに過ぎず、どんどん筆を進めて、もうこれ以上手を加える
ところは無い、という所まで来た時には、
檻に閉じ込められておとなしくなった猛獣達のような
汚くは無いが、面白みも無いようなものに感じて仕方ないです。
話が食い違ってたらごめんなさい。

引越しするの?

管理人 2005/05/21(土)
混(写真=携帯にて)
月見草の無数の頭が月を向いていた。一面の薄桃の花びらが暗がりの中に浮かんでわさわさと集まって。そんな中自分は異質で非常に寂しい気がした。こんな寂しいとこいやだなあ。はやく引っ越したい。

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彩色の前に練習台にしたく、作りかけのものや過去の失敗の物の表面を少し整える。見比べると、完成後より作りかけの形の方が好きだと感じるものもある。作っていくにしたがって、整えていくにしたがって、作りたかった形がだんだん埋もれて出来上がる頃には消えてしまうことも多い。保守にでも入ってしまうのだろうか。それで、作りかけていたものをモデルにして、何個か修正し始めてみた。その作りかけの方は、これ以上さわると再現できなさそうなので、似た物が出きるまでは手を触れぬことに。

ぬし(=管理人) 2005/05/18(水)
(後半にデザインフェスタの暫定報告をつけてみた)

混一体どれだけの風がこの土手を吹きぬけたのだろう。生まれてから死ぬまで毎日毎日、きびしく諭すように、あるいはやさしく慰めるように、頭の上を撫で続けて。それを物語るように丸まって固まったこの植物はもう暫くしたら風の中に散りばめられていく・・・いけるでしょう。
私の目には消えるように見えて寂しいのですが、彼にとっては混ざるというあたたかな現象なのかもしれない。

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住処の周り。(上段中央=夕空に浮かぶ「階段」・右=土手と土手の間)
風
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彩色無し展示に持っていった色のない彫刻。髪は薄紫系の混合色。ちょうど、思うことがあったので、今回はモノトーンでよかったかもしれない。文字を添えて出した。↓

  ギンリョウ
 光と闇のあわいで、影が光を削ってできたような、光が影を削ってできたような、そんな稜線が結ばれて出来たリアルは、イメージの中でほどけ始め、初めて本当の色彩を得るのであろうと思う。そこにはすでに形はないが、それこそがリアル

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フェスタ会場

(4枚目=デザインフェスタ(15日。ビッグサイトにて)に行ってきた。とりあえず、ツギハギ写真。細かい部分(銀の細い花や、水滴、流れをイメージしたブルーの繊維など見えないので、後で部分的に撮りなおしてまとめておきたい。)

前日、下の書き込みをした後出発したものの、予想外の出来事で一度引き返すことに。出展も諦めかけていたが、当日早朝に飛行機で大阪を立った。前々日からの夜明かしで帰りは良く眠れた。

展示は、作品を持っていって展示するというより、材料を持っていって会場で、その場の勢いで自分のブースに「絵」を描きに行くような気持で行った。だから、今回持っていった作品は人形ではあったが、展示したのは周りの絵だったかも。あらかじめ材料と多少のイメージだけは決めていたが、先のような理由で、完成後にはじめて、「こんな感じになったのか」と言うのを知った。

台の上に描くその場限りの絵(ショボイ絵)だったのだが、写真は殆ど撮っていなくて、細かい部分は残っていない・・・。その少ない写真も急いで撮ったのでピンぼけだったり。今になって後悔。会場で写真を撮ってくださった方がメールで送ってくださったものの方がちゃんと取れている。ありがたい。

。(前日は、以前、作った物を見たいと言ってくださってた方のところへ行く予定にしていたのだが、叶わず、とても残念な気持。)

ぬし(=管理人) 2005/05/14(土)
それ
時は早いものでもう牡丹のさかりも過ぎようという時期に。終盤、無限のループに入り込んでしまい、延延とと行ったり来たりしたので、今回行こうか行くまいか随分迷った。本当にギリギリまで作っていたが、一応フォルムは終わりとした。それで、「彫刻」として出すことに。

元々、そういう、色彩を持たない物をいつか出してみたいとは思っていたが、もしそれならそれで展示の感じもちゃんとそれ用にゆっくり考えたかったところなので、どっちにしろとても中途半端なものかもしれない。その他・・・彫刻と言うこと出、まつげも肌と同じ素材にしてみたが、後で彩色する予定なので、仮止めで貼り付けた感じになっていてしっくりしない。
こんなの無しといわれること必至と思いつつ、モノクロ写真があるように・・これもそうだと自分に言いきかせてみたり。とりあえず、明日展示するかもしれないとの見通し。

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私にとっては少し悲しくなるようなことがあって落ち込んだり。これからどうなるんだろう・・

ぬし(=管理人) 2005/05/01(日)
喉に異物感を感じて、吐き出す感じにしたら数滴の血が落ち、びっくり。喉を開けて見ると、血豆でも出来ていたのが割れたのか?そういえばさきほど少し痛かった。火傷なのか。割れたためか痛みは無くなったが、色が紫。

ぬし(=管理人) 2005/04/29(金)
↓訂正。ジョージア・オキーフ

ぬし(=管理人) 2005/04/29(金)
蟻
「出来そう」と思うのはある時突然ふっと存在が浮かび上がってくる感じの時なので、作っている本人でもいつ終わるかというのはわからない。なので、残り時間を考えて焦りながらやるくらいしかなかったが、こんな感じになるかもしれない、というところにやっと来た。期限があと数週間長ければ、もう少し丁寧に出来るのだけど・・。このままいくと、速乾油絵具をもってしても間に合うかどうか・。

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茂みの中の一つだけに光が当っていた。
細胞の一つ一つがちらちらと反射するのが見え、脳細胞の古い部分の方にいくつか信号が伝わっていった。ずっと前は当たり前だった世界が、ずいぶん遠くなったような気がする。

繊細な形と色の中を歩く蟻を見たらジョージア・オキーフの言葉を思い出したのだが、書き出すだけの記憶力はない

ぬし(=管理人) 2005/04/25(月)
あらけずり

ぬし(=管理人)2005/04/24(日)
*なないろさんの書き込み、メールと間違って書き込み→削除依頼でましたので、そのようにしておきました。 ななさんが心配するようなことはなにもありませんでしたよ。

ぬし(=管理人) 2005/04/23(土)
↓ 下の書き込み、誤解を招きそうなので訂正。自分のものを見てほしいという意味ではない。

誰が所有するとかではなく見たい人がいればいつでも好きなときに好きなだけ見れるといいのになという意味。

ぬし(=管理人) 2005/04/23(土)
すこし前からパソコンも少し壊れてしまって難儀だ・・・。いつまで持つんだろうと考えると不安である。不安材料は尽きないな・・。
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人形を作ったことで、回りまわって他の人を嫌な気分にさせてしまっているのを知り辛い。直接の理由ではないが、大元はそこかもしれない。そういう意味では、こんなもの壊してしまいたいなんて思って彫刻刀の刃とか金槌を想像したり。それと才能の無いのが悲しいとも強く実感。

流行などは好きではないが、それとは違う意味で、好きな物やいい物があれば皆で同じ物を共有したかったり、逆にもし自分が何か作れるとしたら、時間をかけたものであればあるほど、気に入ればなおさら皆にもまったく同じものを手にとって欲しい気がするのはやはり、どうにもならない話か・・。
それが可能なら、受精も出来ないし、生態系だってありえないというもの。誰の物にもならなくてもいいのは神様くらいか。
そんな意味で博物館っていいな。子供の頃からずっと夢がなく、つまらない人間だったけれど、「夢」(叶わない前提としての「おそこ話」の夢)として博物館やりたいなんて、ちょっと思った。

ぬし(=管理人) 2005/04/22(金)
仮
しばらく体調、時間、その他思うように行かずメールなど滞っておりすみません。軽い目眩のようなものが断続的に付きまとって、画面に向かって何か打とうとすると思考などが阻害され、文章にならず、空中分解していくような感覚があり不安。写真はやっと仮組み立てしてみたところだけど、急いで仕上げるべきかやめるべきか迷っている。まだ仮組み立てしてるような段階なので、急いで雑になるようならやめよう。金銭的なことを考えても、こんなの作ってる余裕なんて無いのではあるが・・

なないろさんへは、先日メールに変えて少し書きましたが不安定な感じかな。今は一番話し合える人がいてるみたいなのが幸い。二人の境遇が似ているのも運命的だなぁ・・ソウルメイトって読んだことがありますが、以前はそういうのとか、凄く憧れてた。

なないろ 2005/04/11(月)
ありがとう。無事です。今朝と夕方と2回もありました。ここは埋立地なので揺れも大きい気がします。実際には2回とも震度3でした。今日は朝から月のもので体調が優れず、寝込んでいたので、一層気分的に滅入りました。いつかは大きな地震が来ると、そればかり思っているので、特にこんな日に大きな地震が来たら、持ち物をどうしたらいいのだろうとか、くだらないことばかり考えていました。地震ばかりでなく、今日は風雨も強くて、なんだか嫌な日です・・・。

褒めてくれてありがとう♪40分、ホント長かったです。帰りは立ちっぱなしだったし。えいこさんのおっしゃるとおり、3歩進んで2歩下がる日々です。あれから3ヶ月経ちましたが、振り返ってみるとやっぱり多少なりとも前進はしているんだなと思えます。案内係が私でよければ、いつでも呼んで下さい!早くそんな日が来るよう夢見ています。

ぬし(=管理人) 2005/04/11(月)
ななさん> 今そちらで地震があったようですが、無事だったのだろうか・・

40分て、かなり遠く凄いじゃないですか。行ったら、今度帰り道も同じだけあるからそれ考えても不安も大きかったかったのでは?ゆっくり疲れを取ってくださいね・・・と思って書きかけていたのですが、その後もすごくいろんなことに挑戦されていて私も、わぁ、と思いました。。

きっと早く元気になりたいお気持ちが強いと思うので、もしか「三歩進んで二歩下がる」みたくなると焦ったり落ち込んだりしてしまうかもしれませんが、呼吸だって吸ったら吐くものなので、少しずつ、リハビリ?しうていってね。私もそちら方面行くこと何度もあると思うので、「案内」するメンバーに入れといてくださいね。


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・・・「少しずつ」とは人に言うものの、自分のことにおきかえると矛盾も。以前は勢いある時でも、ある程度一定になるようにセーブするように意識したりしてたのだが(コツコツ、という良い意味ではなく、捻じ曲がった美意識?みたいなものだと思う・・)、20代半ば頃からだろうか「出来るときにがーっとやって、出来なくなるとぷっつり」というやり方も自分に対して「可」とした。その代わり、ギャップで悪影響が出たり、悪循環になったりしやすくはなったと思う。でも、勢いは切り分けて取っておくことが難しく、そうしてもすぐに消滅してしまうものだからせっかくなら使い切りたい気がして。後のことは考えずに・・・

なないろ 2005/04/09(土)
今日は思い切って自分から飛び出てみました。
実際に遠くに出かけたのです。
何度も薬を飲みつつ、決して体調は万全ではなかったのですが、なんとか乗り越えてきました。
今はつかれきってしまっているので、自信がついたかどうかは分からないけれど、今朝起きたときは諦めようと思ったことを思い切ってやってよかったと思います。
(乗り物に一人で片道40分間乗ったんです。私にとってはすごくキツイことだから・・・。)

ぬし(=管理人) 2005/04/08(金)
みさん>
あれ、別の人にかわっていたのでしたか。みさんがオリジナルで作ったアドレスかとおもってしまってました。なので、今は小説などに力を入れているのかな、と。ということは、今も色々続けてはるのかな。季節が変わると好きな旋律なども変わってきたりするのかな・・。

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 なないろさん>
風は飛ばしてくれたでしょうか・・・?
拝見したところ吹き飛ばしたというより、良い風が入ってきて包んでくれたようですか。←なないろさんが、窓を開けたからかな。私だったら、それも出来なかった気が。 そうだなぁ・・。私とじまくってる。

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私も嫌なことや悲しかったり辛かったりの気持ちが消えてくれよ、と思うんだけど、書き込みを見て「でも、消えたとして私には何が残るんだろう?と思ったら、ちょっと虚しく・・何かしらの辛さに覆われているうちは本来の吉凶やら可能性の有無もわからないのがある意味救いではあるのかも・・。

なないろ 2005/04/07(木)
涼しげで素敵なお越し文ですね^^

今日はすごく風が強くて、なんでも飛ばしてしまいそう。
嫌なこともこの強風に乗って、あっという間に飛んで行ってくれたらいいのに。

2005/04/07(木)
色々作成しておられるのですな。ホッとします。
私のHPは 一年くらい前に閉鎖しまして、
現在あのアドレスで他の方が運営してるようです。

ぬし(=管理人) 2005/04/06(水)
流水
金魚のシールが貼られた封筒で事務連絡が来たので、ちょっとこんな起こし文(飛び出す絵)を作ってみた
池、金魚、流水模様の三層。池の部分は穴になっており和紙が張ってある。、和紙と和紙の間におたまじゃくしが入っているので光にすかすとおたまじゃくしの影が出てくる。

ぬし(=管理人) 2005/04/05(火)
困った・・・。時間だけが刻々と過ぎていく。

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何物でもなかったものの形をふと意識し、次第に気持ちが入りだし、特別な行動をとったのをきっかけに消えてしまった。
それは流しに落ちたもやしから出た芽。そのままにしていたら、長く伸びてきたので、情が入って、鉢に植えたのだけど。だけど・・・。

ぬし(=管理人) 2005/04/05(火)
みさん>
こんにちは。お元気でしたか?HPのほう、たまにお邪魔してみてたことがありました。表紙しか残ってなかったけれど、以前と内容がけっこう変わっていて、人に対して自分が知ってること・・・殊にネットで知ってることって、ほんの一角でしかないんだな、とすごく思いました。私は奥行きゼロなので、羨ましかったり。

2005/03/31(木)
おはようございます
お久しぶりです

ぬし(=管理人) 2005/03/28(月)
少ないありがとうを疎がり、愛なくす
→                      ←
すくないありがとううとがりあいなくす


--
自分というものなんて、ほんとうは幾兆もの「おかげ」という細胞から出来ているようなものなのにさ・・・

ぬし(=管理人) 2005/03/25(金)
夜明け前の暗いうち、毎日風に乗って鶏の鳴き声が聞こえてくる。風に角を削られ、少し丸みをを帯びたその声の中に、毎回「おかーちゃーん」と鳴くものの声が混ざっていて、耳につく。
さみしさは、一日中つづいているが、この夜明け前の鶏の声を一つずつ吸い込んでいく時刻も大波である。

ぬし(=管理人) 2005/03/22(火)
苦・楽は一つずつが姉妹
今四月、ずっと日は暗く

→              ←
くらくはひとつずつがしまい
いましがつずっとひはくらく
-----
ところで自分が苦痛な時は、世界が明るく輝くほどに苦痛が増したりも・・・

-----
自転車で五分くらいの距離を通ったら、ツクシを摘んでいる人たちを何組も見た。親子連れも年配の方も。手には大きな筑紫の束が握られているのだが、そんなに生えているのかと驚いて改めて道から土手を見た。ツクシその物を見つけるのに少し時間がかかった。自分はこんなにに「目」を使わなくなったのか、と思った。

管理人さんにツクシの話をすると、ツクシは薬になると教えていただいた。誰か、人の(薬・楽しみ・その他色々)ために摘めるといいな、と思った。そんな日は来ないんじゃないかという気もした。

ぬし(=管理人) 2005/03/22(火)
雨 夜さん>
もったいないご提案、是非よろしくです。以前の会話の中で出てきた、世界違うんだろう、というとても当たり前のことが、言葉として見るとなんだか寂しい感じだったので、余計に。
美術館のお話は、
「不思議と先の流れに繋がった」というようなことを日記で書いてらした美術館のことかな?吸収出来る速度を超えた量が一度に(しかも異質のものがあれこれ)置かれていると、そういうふうになってしまったりしそうだね。本当に今の心に共鳴するものがなかったって理由もいくらかあったとしても。
日記によると、今度じっくりお目当ての方のを見に行けるのかな?ろ過や反応、合成、たくさん出来るといいですね。その方の展示会のことを拝見して、何かに導かれるような・・・土に埋まった地下茎を、ぐいと手繰り寄せたような成り行きってたまにあるよなぁ、と私も思いました。

ところで回文・転文は、最初に知った時は、「文字まかせで意味をあまり含まず、つまらない」と感じ、あまり惹かれなかったのですが、言葉を自在に操れる人の作った物には引き込まれました。←私にはそれは無理だけど、でも、同じ一文を、反対から読むともう一つの隠された意味が浮かび上がってくるのなど、魅力だなと思います。全体の意味が、お互い自在に絡み合って支えあってぼんやりと一つのイメージや物語や詩を浮かび上がらせるようなものができたらほんとうはいいのですが・・気ままにやっていきます

雨 夜 2005/03/21(月)
すてきですね、いつも。
回文というのでしょうか、上から読んでも下から読んでもの。
それに、空色のカノンも素敵でした。歌を聴いてみたい。

勝手な 妄想に過ぎないが、
いつか、なにか、アイディアがふって沸いて
なにかえいこさんと共同で作れるものがあればいい、
とつくづく思います。

そういえば、15日に書かれている文を読んで、思ったこと。
先日、とある美術館へ行く機会があったのだけれど、
そこで地元の風景の120人展というのが、たまたま催されていて
見てきました。
しかし、脳にも心にもあまり響くものが無かったのは、
そこに、個性の断片があまりにたくさん集まりすぎて
作品それぞれが無に近くなっていたことと、
そこに置かれている一つの作品が、その人の
何千分の一か何万分の一かはわからないけれど
細かく刻まれた一つの断片にしか過ぎないもののような
気がして、それは、ただ美しい、もしくは淡々とした
風景でしかなく、それ以下でもそれ以上のものでも
なくなっていました。

ぬし(=管理人) 2005/03/19(土)
その後、「っ」のとこだけ修正。音の長さを変えて「っ」とした

ぬし(=管理人) 2005/03/19(土)
◆この曲の詩は、「ドレミファソラシ」と、日本語表記の音階名「ハニホヘトイロ」のみからなる。
◆また、音階は歌詞と連動している。つまり歌詞をそのまま音に変換。
 ((註1)一音目は「フラットファ」なので「ミ」の音。 (註2)「ブバべ」は「フハへ」とし箇所あり)。 (註)「歌う時は「ふらっと」は読まない↓

空色のカノン(Midi)

◆歌詞・・・・・・「ふらっと無愛想に空見ればハッとし、白い鳩に飛べと言い」
◆音階・・・・・・♭ファイソニソラミレハハ-トシ、シロイハトニトヘトイイ
◆変換・・・・・・♭ファラソレソラミレドド-ソシ、 シシラドソレソファソララ

無秩序さが私の心境とリンクしているかもしれない・・・

ぬし(=管理人) 2005/03/17(木)
貝

痛みを知る死体の
  居たしるしを見たい

→                     ←
いたみをしるしたいいたしるしをみたい


--
実際は、しるしでなく、居たときと変わらぬ存在感が欲しい。表読みと裏読みの独立した2文章(転文?)にしようと思っていたが、繋げて回文に。離れ離れにならぬよう・・・。作り始めは違う内容のつもりだったのに、出来たらさびしいものになってしまっていた。

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写真はすこし前に作ってたもの
◆らせん状の、貝殻の入れ物の失敗作
◆目は、立体感が写真ではわからないが、数色のグラデーションをつけた水晶体の中間に白い線がたくさん浮かんでる感じ。瞳の色が、線の向こうの壁に、光りを通して落ちる。本当は違う物を作ろうとした失敗作。結局それは出来ていない。

ぬし(=管理人) 2005/03/15(火)
黙るこの子、名前聞くな。 花の名は無く、消え、眼(に)残る、まだ。
→                                 ←
だまるこのこなまえきくなはななはなくきえまなこのこるまだ


最近、何かを残す意味などについて、少し考えたりしていた。
人は自我や感情を持っているから、物を残したがることも多いが、名も無い花と同じで実際は流れの中で生死を繰り返していくだけなのだと思うと、我欲などが無意味な物に思える。
「この歳(何歳か?)になってくると自分のためより人のために生きたくなる」と言っていた知人がいたが、私もそのうちそんな風になるのだろうかな・・・。今はまだ自分のことを考えてしまう。

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お知らせ
どうなるかわからなかったので、事後報告だが、横濱浪漫館 様にいくつか送らせて頂いていた物を気に入って引き取ってくださった方がいらしたとご連絡いただいた。どうもありがとうございました(ここで書いても仕方ないが)。

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先日の続きがメモしたままになっていた。↓
作品を見る時はいろんな気持の人がいるんだろう。私みたいなのは少数派なんだろうか・・
自分が作る側の時は先日のような感じ(例えば人形でいうなら、完成させた時点では、やっと絵の下書きが終わったという気持)なので、本番はそこから。人のを見るときも、それの置かれている全体の世界がのほうが興味あったりする。その作品そのものが欲しくなる気持ちももちろん強く湧き上がるけれど。

造詣も絵も文章も音楽も、全て実物があろうとなかろうと、最終的に自分の脳に到達するものは、イメージ。本に似ている。求めているのは自分をそこへ連れて行ってくれるもの?なので、もし、作品だけをそれ単体で自分の手に入れようとした時に色んな物がそがれてしまうなら、それはもったいないし、自分が足を踏み入れて壊してはいけないような気になる。ある意味作品を壊すような。

とはいっても自分に関しては、実際は製作だけで力尽きたり時間(もお金も)が切れるので、さてこれから、というところがいつも出来ないままなのが残念に思う。

ぬし(=管理人) 2005/03/12(土)
どうしよう・・・。「春には展示しますから○○××」と伝え約束していた方がいてたのだが、展示申し込み(一応の)締め切りが月曜なのだがお金が。仮に申し込みできたとしても材料費を出せないかも。仕上げ段階でやたらとお金かかるし、人形よりも、「人形を含めた絵」(イメージ?)をつくりたいという気持の方が強いのがでなおさら。時間的にも。その方に何度も迷いを相談しようかと迷ったのだが、結局できず。

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二週間ほど前、先生にバーナーの作り方を教えていただいた際、他の方が作られたという手作りバーナーをお借りして帰っていた。活用できるのは何ヶ月か先になるかもしれないが借りたままになるのもいやなので、少しずつ作り、数日前に返却に伺った。わかりやすく教えていただいたのと、見本もあり、それっぽい形は出来た(かなり悲惨だが)。返却時に、お忙しいところ、一番むずかしそうな仕上げを色々してくださったので、随分たすかった。
市販のバーナーを買うと何万もするが、工具も合わせて、今回10分の1くらいの品。一緒に使うコンプレッサーも中古で10分の1くらいだった。
付け焼き刀な私には十分すぎる設備である。

ぬし(=管理人) 2005/03/08(火)
時計ガラス
ああ・・調子悪くなる度に生活全体に大穴が・・。
精神的にも。甘い発想だが、大きな支えとなる元が欲しい。

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雫眠る胸 崩し
→         ←
しずくねむむねくずし
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胸の奥の貯水庫は薄暗くてさみしげ


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泣いた写真感謝したいな
→            ←
ないたしゃしんんしゃしたいな


ぬし(=管理人) 2005/03/08(火)
ニコさん>
長い間一つのことに向かってこられて、お疲れさまでした。
三月も半ばですから終わったら終わったで、次の準備などがあって休む暇もないかもしれませんがニコさんこそお体に気をつけて。面接は皆さん同じように緊張されたと思いますよ。やるべきことはやった後ですから、あとは運命が振り分けてくれるでしょうね。

ニコ 2005/03/06(日)
報告し忘れましたが、一昨日受験終了致しました。
結果報告は16日・・・それまでドキドキです。
大丈夫だと思うんですが、面接がグダグダで大変緊張しました。
インフルエンザにかかって、明日に面接が延びた人もいたようです。
管理人様も風邪やインフルエンザには気を付けて下さいね。
それでは。

ぬし(=管理人) 2005/03/02(水)
昨日の畑の説明、「屋根」を「根」と書いていたので訂正。
知らない人は想像できないかも知れないので写真を検索してみた。これ。これの周りを竹垣でぐるっと囲んだのが一畑。児童の身長だと、畑と畑の間の通路は長い壁で仕切られた迷路のような感じに。

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灯油バーナーを作るべく、ハンダゴテと悪戦苦闘。見た目が悲惨なのは気にしないが、自分の作った物が事故の元になることだけは避けたい・・

ぬし(=管理人) 2005/03/02(水)
96さん>
96さんも道草しましたか。どんな道を歩かれたんだろうなぁ。書き込みの言葉から、記憶の中のワクワクが伝わってくるようです。同じ道を当時と同じ感覚で歩いてみたり基地とか見させていただきたいです。

私は一人でウロウロしすぎた感も・・。今の自分の行動も、道草してた午後をそのまま引きずってきてしまったような気がしたり。ちゃんと帰って手伝いなり勉強なりしなければならなかったと。

>今思うと子供というのは危ない所を平気な顔して
それ、このことに限らず色んな時思うことが。危険を知らないって恐ろしいですね。大怪我や大火事なんか起こしても不思議ではなかった場面が、今思えばゴロゴロあって、身震いします。

96 2005/03/02(水)
僕も小学の頃はまともな道を通らずにあえて人が通らない道を探して帰ったものです。
ある意味男子の間では未発見の近道を探すのは当たり前だったし危なければ危ない程希少価値が高かったりしたものでした。

今思うと子供というのは危ない所を平気な顔して乗り越える事がノルマだった気がします。

2005/03/02(水)
寄る道草が楽さ  桜が咲く地見るよ

→                    ←
よるみちくさがらくさ
さくらがさくちみるよ

---
道草で桜の迷路に迷い込んだり。 帰り道わからず。

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小学の時から道草ばかりしていた。道とはいえない狭い道や、畑の水はけ用の溝、乾いた大きな溝川など、まともな道を帰ったことがあまりなかった。(←今思えばそれが失敗だったかも)

私の町の畑は人参畑という特殊な畑が町中にあった。一畝一畝、骨組みを作り、高麗人参のための屋根を丁寧に作っていく。更に畑全体を竹垣で覆っていって、まるで高麗人参のひっそりとした集団住宅のような物が出来る。それの間の、苔の生えた細い通路なども好きなコースだった

ぬし(=管理人) 2005/02/28(月)
悔いと歪もたれた風、長く流れ重なれ、積るよ。
夜もつれなさ。彼が泣くが、なぜか誰も見ず、人行く。

→                    ←
くいとひずみもれたかぜなくながれかさなれつもるよ
よるもつれなさかれがなくなぜかたれもみずひといく

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春の風のひだに紛れたり

ぬし(=管理人) 2005/02/25(金)
魚
◆先日のウオのウロ(魚の洞)を再び作っていると、完成前に落として割れてしまったので再再度。しかし今度は温度差で亀裂入り。
◆目。先日と同じ感じでもう少し作っていったもの。ボケて見え辛いがグラデーションと線。腕や設備の問題でどうやってもススで濁ってしまう。作ることより、ススに気を取られている感じ。

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下の続き。春の悲しさと入れ替わりで、寂しいだけだと思っていた秋には暖かさのイメージなども少しずつ感じるようにようになったかもしれない。「封じられた感情などまで」というような言葉を使ってしまったが、封じたような物はまだそんなに持っていないと思う。普通に凍結してしまったとかそんな言い方の方がふさわしかったかも。

それと、秋が悲しい&寂しいのではなくて、たぶん夏が終わるのが寂しいんだろう・・

ぬし(=管理人) 2005/02/25(金)
気づいたら春の草が大きくなっている。

二十歳頃までは悲しさを呼び起こす季節といえば秋で、お盆辺りからすでに秋の気配を感じて怖かった。
だけど、いつの頃からか、春の方が悲しさを呼び起こす度合いが強くなってきた気がする。それはちょっとした・・・・例えば春の風、匂い、草、日差し、色・それらのこまごまが、肌に触れるたび起爆剤のように小さくあちこちで破裂して波を起こす。春になって、封じられていたような様々な感情まで溶け出してくるのかもしれない。

ぬし(=管理人) 2005/02/23(水)
フラスコ
◆フラスコ型はどうやって作るのだろうと思っていたが、そんな形のものが出来たので、こういう感じで作るのかもしれない・・・。(?)
◆矢印と扉のモビール

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下の続き。 イチジクやビワは、その場でもいで食べれる物だったから、スーパーで値段を知った時は驚いた。殆どの野菜・果菜も畑から熟れ頃なのを適当にとってくるという感じでありふれていたが、今思えば、種を撒き、日々手をかける人がいてこそ。畑仕事のことは殆ど知らずに大きくなった。畑は今も実家にあってまだ何か植わっているが、この先、寂しい荒地になってしまった畑の中で、途方も無い気持で思い出を何度もなぞりながらめそめそしている映像は想像に難くない・・・

ぬし(=管理人) 2005/02/23(水)
やじろ
◆鳥のモビール試作
◆目・グラデーションと線  の出来損ない
◆飛び出す絵(起こし文) ・・・ガラスをやってる人しかネタがわからないと思う。(ガラスを溶かしているところ)緑の棒が手の中を通っていて、開いた時そこがスライドするので突っ張ることなく立体絵が開ける
◆ジャムを見つけた。リンゴ・イチジク・苺・オレンジ・レモンのミックスが380gで99円。贅沢でお徳だ。イチジクまで入っている。イチジクジャムは実家にイチジクがあって作ってもらったので愛着がある

ぬし(=管理人) 2005/02/23(水)
なないろさん>
ななさんは風邪なども重なって大変そうでしたが今は少しは良くなられましたか?。サイトの言葉などから気持ちの持ちようがいつもながらすごいなと思わされました。たくさん凹んでも、同時にいつも良い方向へ向かおうという意識は持ち続けているような部分を度々感じます。私にはない部分だから余計に。
「今がどん底」と言う記述もありましたが、辛い中で本当に大切な人が誰かということを感じられたりしたのは辛さにろ過されて出て来た貴重な物でもあるのかもしれませんね・・

「凶」の話が出ていましたが、おみくじとか占いは、あれは道しるべみたいなものだと思っています。例えば凶なら「前方にこんな崖があるので、こっちの安全な道を渡ったらうまくたどり着けますよ」というふうに。だから読んだ人は本当はみんな吉なのではないかと。良いか悪いかだけなら引く意味はないですし。笑

ななさんが作った物を写真で見たことがありましたが、素敵なもの作ってたじゃないですか。色々本格的にやってるんだなぁと思って見ました。あと、形には残らないけど料理などもすごく上手そう。。

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 あめよるさん>
形ないイメージを形として浮かび上がらせられるのや、感情の底でくすぶっている思いを言葉として摘み上げたりできるのに驚いた時そんなことを書いた気が。
「実物」は、以前一緒に展示させて頂いた時、実物のみすぼらしさは感じられたと思うのですが、最近のもそんな感じです・・・。また一緒に何かやらせてください。ちなみに部屋はゴミ屋敷になりつつあります。嫌いな部屋。

>それを受け止められる人がいるかどうかという問題です。
あ、それ確かに。
あと、その他に相手が受け止めてくれたとしても、自分が相手の助言などちゃんと受け入れられなさそうで。結局そういう自分が一番問題なのだからまずはおまえの中味からだろ、という感じになって閉じこもってしまいます。
(の前に、私は普段話相手もいないのがもっと問題・・・。汗)

>何も変わっていないと思うことも、またあって、その時は絶望的
今の姿は過去から一本の線で繋がってきたものだから、そういう部分は大きいかかもですね。
変わらずとも、今を生かしつつ次の姿につなげていけたら一番だよなぁ

あめよる 2005/02/22(火)
そういえば、以前えいこさんが、わたしに言葉の魔術師か、思考の魔術師か、そんなようなことを書いてくださった記憶があるけれど、
なんでもものを作り出してしまう意味での魔術師なら、えいこさんだなぁ、と思う。本物を見てみたいです。もう少し居住地の環境がよくなって(経済的にもよくなって)、もっと自由に都市に出られるようになったら、作品を見せていただく機会もあるのではないかと、密かに期待を込めて祈っております。

(ガラスの目玉や、他の作品が入り混じって置かれているお部屋を想像するとドキドキします。)

ところで、下で触れたお話についてですが。
相談は、吐いてしまえば楽になるかも、という点では吐き出してしまいたいのも山々ですが、それを受け止められる人がいるかどうかという問題です。悩み事にしろ、なんにしろ、似たような立場や、精神状態に置かれた経験がなければ、なかなか他人を理解することは難しいことだと思うから。

えいこさんのいうとおり、本当は、やり過ごすのではなく、対処の仕方を知りたいです。上手い具合になってくれた状態。まさにそれが欲しいのであって。

気づかないうちに少しづつ変わって、と思うときもあるけど、
何も変わっていないと思うことも、またあって、その時は
絶望的な気分です。
でも、本当は、そうやっていつも自分に原因があると、思い込もうとしているのが
一番ダメなのかも・・・・・。

なないろ 2005/02/21(月)
こんにちは。ガラス細工、素敵ですね。アクセサリーにしても繊細で素敵な感じ。
数年前に、はじめてトンボ玉というものを知りました。
一目ぼれしました。
私は一つも持ってはいないけれど、いつか欲しいな。
全然知識が無くて申し訳ないのですが、トンボ玉を多く清算している地域があるんですよね。
買うなら矢張り、そういう本場をみてからかな〜なんて思ったりして。
えいこさんは自分の手で作品を生み出せるのは本当に素敵だなぁといつも心から感心します。
私は不器用な上に根気が無く、形だけ揃えて満足してしまって実際の作品はひとつあるかないかといったかんじ。
クラフトも編み物も全て。
打ち込めるほどの何かが欲しいです。

ぬし(=管理人) 2005/02/21(月)
結局目の事は聞けなかったが、ガラスの作業をされている手元を見るだけでも、色々勉強になったように思う。(今はそういうとこの方が自分には重要だろう)

目の方は、まだ試してみたいことがあったので、今回は聞けずにいてよかったのかもしれない。少しだけ理想に近い物が出来かかったけれど「ここをもう少し〜〜してみたら」と思っているうち材料切れ。

ぬし(=管理人) 2005/02/20(日)

うお

左)ウオのウロ(魚の洞)  失敗。途中で割れた
中)目  こんなふうにとれてしまったが実物はとても下手。あの後二週間よくわかないまま自己流でやってみたなれの果て。明日仙波先生に会えるのでちゃんとしたやり方を聞いてみなければ・・・
右)トンボ玉の真似事。見よう見真似・・なるほど引っかくと模様になるが、難しい。粘土ならあれこれ修正しながらゆっくり形を作って行くがこちらは一瞬一瞬という感じ。

ぬし(=管理人) 2005/02/20(日)
雨夜さん>「口に入れたくなる」って表現が印象的でした。初めて聞いたかも。なんだかいいですね。
それに口って、吟味された物しかはいれない部分なので、よけいに。安心して口で転がせるくらい滑らかなイメージなのだろうなぁ。

>相談できれば、と思う。
相談したりとかはできなかったりするのでしょうか・・

>どうやったらやり過ごせるんだろう。
雨夜さんが、また私も、全くそうで無くなる(無関係なことになる)事を望んでいるかどうかはわかりませんがきっとやり過ごしたいと思っているわけではないですよね。私も「どうやりすごしていいか」と書いたのですが、やり過ごし方がわかりたいわけではなく、やはり、そこがうまい具合になってくれた状態を望んでいるのだと思うし。

気づかないうちに少しずつ変わって、というようなことを最近感じられたようですが、このことも長い先、ふと思い返せば、少しずつ問題点の焦点はそれていき、今のかんじ方とは変わって楽になってたりもするのかもですね。(でも自分は今に居るからしかたないか)

雨夜 2005/02/18(金)
>断続的に決まった悩みにかき乱される。いまだにやり過ごしかたがわからない。相談できればとは思う。

どんな悩みかはしらないけど、わたしも全く同じ言葉で
言い表せる状態にいます。
相談できれば、と思う。
どうやったらやり過ごせるんだろう。

お久しぶりです。どうしてますか。
ガラスの細工、凄いですね。見入っています。
ガラスは、綺麗な食べ物みたいで、口に入れたくなります。
懐かしいような、切ないような気持ちになるのも。
写真も絵も凄いなぁ。

ぬし(=管理人) 2005/02/18(金)
つつみ しっかり包まれた中味はやがて包む側になるだろうか。
生まれ変わるなら種子より、地下茎で繋がる植物などになりたい。

断続的に決まった悩みにかき乱される。いまだにやり過ごしかたがわからない。相談できればとは思う。

ぬし(=管理人) 2005/02/16(水)
数日とても眠たくてしかたがない。
夢もたくさん見た。自分のルーツに関するような夢など、内容は「夢」のようなもの。

その中で何枚か写真をとった。その一枚を文字として現像にかえておく。うちの庭に咲くバラの花(バラという意識はあるが、花の形はバラと少し違う)を、花の斜め下から屋根の上の空に向けて撮った。空には雲があり、それが花びらと同化していた。幾重にも折り重なる丸い形の花びらが、どこからともなく、もこもこと重なる丸い雲の形に変わっていく。シャッターを押したら、その映像は青い日光写真のような画像として焼きついた。

ぬし(=管理人) 2005/02/14(月)
粒
左)自分が使う予定のものではなかったので、トップを少しだけ華やかにしてみた。
右)好きなビーズの玉を自由に入れられるパーツを見つけたのでそれを使ってペンダントにしてみた。少なめに入れるとソロバンのように動きが出るし、きっちり入るだけつめてもよし。
サイズがもう一回り大きければトンボ玉を作っている人などにもいいかもしれない。自分の作ったお気に入りを気軽に気分で身に付けられて。

ぬし(=管理人) 2005/02/13(日)

再び こだわりのない事にでも立ち止まったりすることもたまに。

で、もう一個だけ。これが無いと、と、ペン先の溝を入れてみた。柄の模様は替えたつもりだったがわからない

ぬし(=管理人) 2005/02/13(日)

ペン 再び。下より多少はましかも。模様を濃くしてみた。

ぬし(=管理人) 2005/02/12(土)
硝子
左) 本人の方が入れて欲しがる入れ物
右) ガラスペンのミニチュア。いびつ・・・

ずっと前、友達が、ガラスの万年筆にあこがれて買ったもののけっこう使い辛いと言っていた。どんなものか見たことなかったが先日見かけた。装飾も美しいが、まず道具としてきちんと使える物でないとだめだからそういう職人さんというのはすごい。

ぬし(=管理人) 2005/02/12(土)

虹琴音の七音・虹の七色。クリスタルの虹琴。両側の使用も可。(描いて気づいたが、この構造だと#・♭の上段の音が変になるので、工夫が必要。)

きっかけは、ガラス細工に使っている鉛ガラス棒(クリスタルガラス?)の音が澄んだ良い音がすること。もっと強度があれば透明な虹のような硝子琴が出来そうだと。
そんなことを考えていると、1オクターブ7音と虹の七色がどちらも7でちょうど良い(虹を七色と表すのは外国では違うようだが)。最もよく共鳴するようにして、柔らかめのマレットで響かせてみたい。

ぬし(=管理人) 2005/02/11(金)

よくわからない入れ物・目上)植物型のグラス3つ目。(一つ目は、吹いたものの口の開け方がわからず、ツボミになった・・・)
今回は一部以外透明ガラスなので写真の色がわかり辛いかも。(前回半透明)グラデーション等は似たような感じ。茎は中に別の色を入れたが、効果失敗。
ポプリくらいなら入るかもしれない。ゴミも入らないし・・

下)目玉。少しはそれっぽくなったかもしれないけど・・まだ使えない感じ。レンズの奥行きや瞳の奥行きなどどれくらいがちょうど良いか試し中。視線を追う目なども人気があるようだが、私は(生の人間でははありえないが)瞳の影や色がレンズに落ちる目がなんとなく好き。でも、あまり瞳を前に持ってきても変になるので、色々やってみたい。

何日かずっと炎の揺らぎが残っている風な感じで、一日中視界の中心がちらちらとおかしい。火で溶かすときの炎は将来眼病を引き起こしたりする可能性があるくらい悪いらしく、とりあえずゴーグルをやめてサングラスにしてみた。10年近く前、オシャレな友達に上げようと思って買った近未来感のあるサングラス。こんなところで使い道があるとは。

視界がちらちらするのは、小さい頃だったらすごく気になったかもしれない。実際、昔運動会で空と校庭を見ていたら視界の中心ゆらゆらするのに気づいて以来随分それが気になって困ったり、静かな時に「シーン」というような音?が聞こえることに気づいた時も何週間も気になってしかたが無かった。
今ちらちらが気にならないわけではないけれど、逆に、普段見えている物だって、どれだけ不確なものをみてるか、わからないとも思える。

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↓書き忘れすみません。はい、あれはガラスですが、ガラスに他の材料で何かを施したような物も作ってみたい気持もあるので、またできるといいな。

ぬし(=管理人) 2005/02/10(木)
96さん>
直径は、どこのことかな。カップ部分でしょうか、いずれにしてもすごく小さいです。今日、これに似たのを別に作ったのですが、下のより少し大きくて、それでもカップ部分が5×3とかです台所でやってる分ですし、設備的にも技術的にもこれくらいしか無理そうです。道具も、使えない包丁とか、使ってない鍋の裏側とかスプーン、缶きり、マドラー等、そんな物でやってたりします。でもそういう感じだから出来てるのかも。環境を整えてしまうとやらなくなりそうです。96さんのとこは一通り仕事道具揃ってそうですね。ジャンルが違うのでわからないけど、こまごまとそろえていくと思ったよりかかりそう。

96 2005/02/09(水)
植物型の小さなグラス。
直径何センチくらいなのですか?すべてガラスなんですよね。

ぬし(=管理人) 2005/02/09(水)
吹植物型の小さなグラス?使い道はなさそう。葉、茎、花と、グラデーションをつけた(つもりな)のだが、特に頭の部分は、それよりススがすごい・・。

小学時代に怪我をして以来いまだにガラスは怖い。
ピキピキという亀裂音にビクっととする。でもなぜか晴れた日の霜柱なども浮かぶ。

ぬし(=管理人) 2005/02/09(水)

吹
図書館でガラスの参考書を見たことと、100均の園芸コーナーに程よいサイズの小さなパイプがあったのが重なったので、流されてみた。前から興味あった吹きガラス。
左)とても小さな瓶。ガラスで模様をつけてみた。
中)ついでにブロウアイもやってみた。バランス悪かったのか吹いた時失敗した・・。「試し」だったし、特に思い入れなくそのままやめた。
右)気泡たくさん。ずっと前に、瞳の中ががゆらゆら流動する人にじっと見つめられ、私もその人の目の奥の奥まで覗いている夢を見たと書いて以来、半分冗談&出来ないとわかりつつ、いつかそんなイメージの人形作ってみたいなどとたまに言っていたが、ガラスで色や気泡など思い通りにつくれるようになれば、そんなイメージに近づけるのは夢というわけでもないかもしれない。

ガラスは液体がそのままの形で止まってくれるので、自分にとっては別の夢も叶うかもしれない。例えば絵の具を水に溶いた時など、「あ、このいまの溶けかけの瞬間を止めたいと、何度も思った。ガラスなら、瞬間を閉じ込めてくれる。

ぬし(=管理人) 2005/02/09(水)
huukoさん>
アドバイスしてくださいましてどうもありがとうございます。詳細はメールにしましたが、きっと原因をいくつも共有していて、書いてくださったことも原因の一つだったと思います。実際には切り口の処理を止めてからの書き込みでしたが、最初に比べたら割れる数は少し減ったような気がします。割れる・割れないの感覚も、気長に体で覚えていこうかと思ったりしているところです。

話はそれますが、「助言」というもの等の貴重さも感じたりも。人形なんかと重ねて考えてしまいました。人形は造り方やポイントを聞ける人がいなかったので、上達がなんとも遅かったと、最近最初頃のやつから順に見ながら思いました。普段独り言をいうことがほとんど無い私ですが、前のものを見たりすると「ひどすぎる」「よくこんなの」などつい出てしまいます。しかも今でもいまいち。要らない遠回りしたかも。

huuko 2005/02/08(火)
 虹彩をつけ終わってほっとする。
 その後取り棒から目玉を切り離す。
 切り離した部分を暖めて切れた部分を炎で処理する。
 この処理が割れの原因ではないかと推測する。
 一度加工された冷えたガラス作品は二度と火の中に入れないようにする。
 割れ対策その1です。
 目玉を切り離しただけにしてテストしてみてはいかがでしょう?
 

ぬし(=管理人) 2005/02/07(月)
虹彩のつけ方など錯誤している途中、とても気に入った目玉が出来て、わぁ、と思ったのだが、残念ながら作る目玉の殆ど全てがなぜか灰の中で割れてしまう。

作りたては色などがどのようになっているか詳しくはわからないのだが、取り出してみるとその欠片がなんだかとても綺麗で、8つの破片を接着剤で繋ぎ合わせてみたら、残念で仕方がない。目の出来は完璧ではないのだが、偶然の色の混ざり具合が、ある角度で心地よい光り方をしてくれる。

何がいけないんだろう・・・「今のこれがダメ」という原因がわからないので、せっかく出来ても壊れると思うと作るのが怖くなる。

ただ、使ったガラス5色の色は覚えているので、何十個も同じ物を作れば、似たような感じの物が出来るのかもしれない

ぬし(=管理人) 2005/02/06(日)
その後……光の角度で色合いが変わる目玉に気づく。
編み出したというわけではなく、当たり前の事に「そうか」と気づいただけなのだが、それを一番いい状態で作り出す加減の研究と、それを意図的に出来るようになる技術が必要になる。それこそが大変そう

ぬし(=管理人) 2005/02/05(土)

め

こういうのを無謀というのだろう。先日ガラスの基本的な扱いを教えていただいたら、気になって、家で目を作ろうと試みた。夜っぴて試行錯誤と失敗ばかりという感じだが。
でも人形の目にそこまでこだわりがあったわけではなく、人形に関しては「とにかく造形がまともになるまでは目なんか何使っても変わらないし、良い人形が出来てこそ初めて目もいきてくる」と思っているのに、なりゆきとは予期せぬ流れ方をするものだ・・・。
ただ、義眼は自分にとって日頃身近な部品でよく見ていた物なので、形に限ってはここをもっとこうしたらよくなる、等の感覚がある分、やりやすい部分はある。(わかっても出来ないのは別として・・)

---
大きなガラス工場が近所なのでにガラス素材は手に入りやすい。体験の時はは何も知らずにそこへ行ったのだが、とても有名なとこだったようで、教室に入るなら半年以上待ちとか。そこの家屋が古くて大きくて圧倒される。(宮崎アニメに出てきそうな感じとでもいうか・・?)写真を撮りたい衝動に駆られる

ぬし(=管理人) 2005/02/05(土)
ニコさん>
丸い人間になれればと思えることが既にすごいかも。今を生きろはそうかもしれませんね。今あっての未来ですし。
受験なんですね、どういう方向へ進むんだろう。それはわからないけれど、いい巡り合わせになると素的ですね。勉強、大変だと思いますがもう一息。栄養とりながら乗り切ってくださいね。(私、いまだにテストや授業で焦ってる夢を見たりするのですが、うまく乗り切れなかった分、相当嫌な思い出だったのかも・・)。あの頃は今の姿なんて想像もつきませんでした。全く違うことを考えて大阪に来たからなぁ・・・

ニコ 2005/02/02(水)
管理人様、お返事有難うございます!
私はまだまだ経験不足なので、
これから色々学んで、せめて死ぬ直前にでも丸い人間になれれば・・・と思っております。
しかし人間何時死ぬか分かりませんし
思わぬ所で死んでから後悔なんて事になるのは嫌ですよね・・・。
「今を生きろ」とかよく耳にしますが
やはりその通りなんでしょうね。
でも今の私は人生を悟る前に 受験勉強に力を入れなくては・・・。

ぬし(=管理人) 2005/02/02(水)
鬼は外、とはいうけれど、鬼と親しくなれれば一番いいのに、とも思う。
が、くそ真面目に生態系なんかと重ねて考えれば、今の関係で問題はないか・・。

「鬼は外」の言葉からは、鬼は外と言える、(たとえば家族などの)枠組みのぬくもりのような物を感じたりも

-----
ガラスを再び教えていただく。先生が素晴らしい方で、下に大人と子供の話題があったけれど、大人みと若さを同時に持ってらっしゃるような感じで、自分が同じくらいの歳になったときあんなふうになれたらいいのになと思う。目玉を試してみてくださったりと、良くして頂き、感謝・・というか恐縮である

ぬし(=管理人) 2005/02/02(水)
ニコさん>
全然変ではないんじゃないと思いますよ。素材それぞれの良さがあるし、錆(や黴や苔)に関しては時間の奥行き等もしみこんでいるということにもなりますし(逆にガラスなどにも、他の素材では出せない部分がたくさんありますよね)。

>造れるっていいなぁと
ありがたいです、でも、写真だから。苦笑。作った本人だとある程度自分に都合のいいようにとれるのですが、他の人が撮ったら、かなり違うものになると思いますよ。

ところで捻くれ者さんなんですか。色々損をしますよね・・・

>中身が子供みたいに素直になれば良いのに
いやいや、これが、案外逆だったりすることもけっこう。

経験をたくさんつまれた方は、色んな立場から考えられるようになったり、また、気張ってた所が削れていって不要な考えに縛られず素直になれるようなところもあるんじゃないでしょうか。

第一、私は小さい時も随分ひねくれてましたし。
大きくなってからも自分の感情に、わざと自分で嘘をついたりという感じのことも多かったのですが、ある日ある年配の方に、なんで?嬉しい時は楽しめばいいのに、なんていわれて、あー、そうだなぁ、とかわりと衝撃的に思ったりしたことがありましたのでした・・

ニコ 2005/01/30(日)
手もガラスも、綺麗です。
手(特に上の真中)が本物の生物みたいで
こんなに良いものが造れるっていいなぁとつくづく思います・・・。
ガラスよりも 錆びた鉄とかの方が良いと思うのは変でしょうかね
長年生きてきたんだなぁって感じがして好きです。

確かに大人の境目ってはっきりわかりませんよね
やはり難しい問題だ・・・でも無理に知る必要も無いか。
私の場合、精神年齢がやたらと老けている感じがします。
中身が子供みたいに素直になれば良いのに・・・っていつも思います。どうしようもないくらいの捻くれ物で。

ぬし(=管理人) 2005/01/30(日)
手ガラス
左=大切に包み込む入れ物、やっと終わり(人の評価(怖がられそう)は別として)。発送の取り戻し手続き後。戻って来た手を修正&発送。
錆や黴のようなイメージで・・。あともう少し加えたかったイメージの成分は出来なかった。同じ物を自分用にもう一つ作りたく思っていたが、仕上げが、あれやこれや試みた挙句のものなので、同じ物を作るのは出来なくなってしまった様子で残念。

右=少しだけガラス体験をさせて頂いた。教えていただくとなると時間やお金の必要も出てくるので、これもまた難儀・・

ぬし(=管理人) 2005/01/29(土)
なないろさん>
心配しても具体的になにをするでもない自分が薄情に思えます・・・。
プライバシーにかかわる部分などメール方にも分けて書いたのと重複したりするかもですが、もし必要以上に一人で頑張って体の悲鳴を押し殺して無理してる部分があれば、可能な範囲で緩めてあげてくだいね。(・・・・と言うのは簡単だけど、実生活の中では無理しなきゃどうにもならない状態に立たされている人ばかりなのかもしれないのも確かだとは思います・・。ななさんも、そんな感じに見えるし)
大きくなると色んな責任(仕事のことだけではなく、例えば守るべき物など色々)が出てくるので、本当に休息しなくてはならない人でもそうは行かなかったりして切ないような。
それと、情けないと言っておられたけれど、情けないとは思いません。めげつつも抜け出したいと奮闘されている気持の持ち方とかその姿とか。


-----
ニコさん>
大人・・・私には一生わからなそうです。永遠の5〜13くらいなかんじなので・・。ただ身体だけは衰えつつあるみたいですが。

それはそうと、元々歳(時)は色みたいなもので、はっきりとした境目はないのではないかなと私は思います。「子〜大人」とかの言葉は「青〜黄」というのと同じで、便宜上分けられ呼ばれているものの、境はきわめて曖昧と言う感じがしますし、わかる必要性もなさそう。

あ、でも20代半ばでふっと楽になる線があったという話などはよく聞きます。「50代ってなってみるとすごくラク」とか言う台詞もあるみたいですし、あとになって振り返ったとき、何度か、どこか変わったかなと思う波などは来たりするのかも知れませんね。

ニコ 2005/01/29(土)
こんにちは。大人になるってどんな感じですか?
また自分は大人になったと思う年齢って、どのくらいですか?
一般的に20歳から大人だとは言いますが
気持ちの方とかでの
大人と子供のはっきりとした分かれ目がわからないです・・・。

なないろ様、早く元気になる事をお祈りしています
病は気からといいますし 無理しないで下さい
と私が偉そうに言える事では無いんですが

それでは失礼しました

なないろ 2005/01/28(金)
96さん、ありがとうございます。
医者には既に行っていたのです。突然の不調に救急車なんぞにのりまして・・・。
そのせいで不安が残り、おかしくないところまで痛い気がしてきているんですよね。
今日は前回書き込んだ痛みは消えました。
多分、苦しみもがいていたせいで筋肉痛?だったのかも。
早く元気になりたいです。

えいこさん、沢山心配してくれてありがとう。
良い医者とめぐり合えているといいなって思います。特に医者不審なところがある私は・・・。
あのなないろの蝶はこちらに向かっていたのですか。
今ごろ引き返しているところかな?
シダさんも私と同じ土地にお住まいのご様子ですね。
えいこさんとシダさん、遅ればせながらお誕生日おめでとうございます。素敵な一年になりますように。

ぬし(=管理人) 2005/01/28(金)
お知らせ。下に少し書きましたが、携帯、使えるようになりました。
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窓  壊れる前携帯から撮影してた写真。
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下の年齢の境界の話とは違うのだが、最近、ふと悪い意味で大人になってしまったのかな、と思ったことも。ちょっとしたことなのだが食べ物のパッケージが開けにくくなるような演出とか。開けるたびにけっこう煩わしいなしいと思った自分や、演出を無視して乱暴にあけるようになっていたことに気づいた時とか。

ぬし(=管理人) 2005/01/28(金)
シダさん>
そうですね、自分の体だから放棄できるわけでもなし、克服するか、折り合いをつけることでしか続いていかないのがなんとも・・・。シダさんは以前より病院色?が薄れて見えるのは、身体的な物より、精神的なとこからだったのかな。

誕生日、はい、今月だったかも。。どうもありがとう。私も夜道で思いましたよ。シダ氏の日かな、とか。シダさんこそおめでとうございます。年齢のボーダー?は超えられたでしょうか・・・

手は仕上げをしたら写真から随分変わってしまいました。。あれも蝶と一緒にシダさんの近くに飛んでいきましたよ・・なんだかその近辺の方多いですね。送ったんですけれど、すぐ戻ってくる予定です。ヒドイ代物なのが心残りで、郵便局で戻してもらう手続きをしました。仕上げを少しやり直して再度送る予定です・・。あんなしょうもないものを送るのに、送料だけで郵パック三倍近くもかかってしまい、我ながら何をやっているんだろうと思います。送料をどこから捻出するか思案してたくらいなのに気づけばこういういらないとこで無駄に使ってしまうのだからせわない。急ぐと失敗しますね

シダ 2005/01/27(木)
お久し振りです。
健康……ほんと大事だよな、と、いつも不健康な僕は思います。
ただでさえいろいろできずにいる中で、身体の不調はほんとに束縛されるというか、いろんなことできなくなりますから。
皆様が健やかでありますよう。少しでも、無理をせずに過ごせるように。

ところで、僕の記憶違いでなければえいこさん最近お誕生日だったりしませんでしたか?
記憶に自信が無くてちょっとどきどきですが、おめでとう、の言葉だけでも。
もしはずれだったら前回の分として受け取っといて下さい。日付はずれちゃいましたが、「誕生を祝う言葉」ってことで。

20日の手の写真、なんかいいなあ。ガラスも綺麗。

ぬし(=管理人) 2005/01/27(木)
なないろさん>
日記などで、体調などだいぶ悪いご様子だと感じていました。(見ていながら声をかけないことはななさんがとても嫌がることだとよく知っていながら、すみません。)
体調の事からも余計に、気分も不安定になってくるかと思います。特に今は。ななさんも書いてはったけれど、本当に無理しすぎないように。無理していいことって殆どないですし。信頼できるお友達や、応援してくれる人もたくさんいらっしゃるのが救いではあるけれど、一番求めている強い心の安定に繋がるものとなると、見つからなかったりもするのでしょうか・・。
私もよいお医者に見てもらって少しでも回復してほしいというくらいしか言えないですが、でもそれにつきるのも確か。体の不調を全部吐き出してちゃんと相談できるお医者さんだといいのですが、お医者さんには悲しい扱いをされているというのをよく拝見してるから心配です。気づくことはなんでも言って少しでも早く治る近道に出来ればと思います。

携帯は普段は固定電話と化していて、殆ど使わないけれど、ちょうど必要なことがいくつか重なってしまい、とても困ってしまいました。やはり一ヶ月くらいかかるみたいだったので、部品を中古で用意して、今やっと使えるようになったところです。修理したり新品を買わないのは貧乏なので・・。

蝶の方は、ちょうどななさんのすごく近くに飛んでいきましたよ。(嘘話というわけではなく、郵送でそちらの土地に送ったんです)。本当は自分が色んな所へ飛んで行きたいけど。

96さん>
96さんも体に少し不安があるようでしたが、大丈夫ですか?ほんとうに健康というのは貴重ですね。病気になってからありがたみに気づいたりもすることも多いのだけど・・。96さんは今大変忙しい時のようですが、お体壊さないで下さいね。

96 2005/01/26(水)
人間、達者が一番です

なないろさん、早めに医者に相談された方が良いと思います。
早く元気になって下さい。

なないろ 2005/01/25(火)
おひさしぶりです。↓の蝶の本、すごく素敵。
携帯、壊れちゃったんだね。新しいのに変えないで、直すところが管理人さんらしい物への優しさを感じるよ。

私は今、何か分からない左胸の痛みに襲われて不安になってます。
午前中は割りと調子が良いのだけど、午後からはてんでダメで・・・。
背中まで痛いような、筋が痛いのか内部が痛いのか、よく分からない痛み。
ただの心の痛みかもしれません。
年末からなんだか調子が悪かったけど、今年に入って思い切り心身とも具合が悪くて、毎日生きているのが辛いほど。
早く元気になりたい。

ぬし(=管理人) 2005/01/25(火)
蝶本で、作った。スピンは触角にみたてて2本。背表紙=木、表紙=布。ページは上下バラバラにめくれる。
誰でも思いつきそうなものな物なので、すでに色んな人が似たような物は作ってそうだけど、それに自分が出くわす(&影響を受ける)前の状態で形に出来てよかった。

手は10年近く前からいくつかの形をたまに少し考えたりしていた。この本も何年か前から、「いつかつくれれば」となんとなく思っていた。この形で、内容付きの物も将来作れれば・・・と思う。

・・・いつかと、いくつかが、まぎらわしい。

ぬし(=管理人) 2005/01/22(土)
ガラス20日の手と一緒にと思い、もう一つ。風織鳥

(ガラスをエッチング(腐食)後に、グラスリッツェン(削る)を部分的に)。右=全体図の下書き。もう一個だけ今回作ってみたい物があるのだが、これで切り上げた方がいいかも。
管理人 2005/01/20(木)
◆おしらせ◆
01/20(木)の午後より、携帯が壊れたため、電話やメールが使えませんので、しばらくパソコンのメアドへお願いします。

特に、ある用件の途中でちょうど変なところで壊れたので、迷惑をかけているだろう、或いは変な誤解までを招いたりしてるのでは、という方が確実にいらして気がかり。連絡先の控えもなくて・・。もしここを見るようなことがあればパソへご連絡くださると幸いです・・。

部品の在庫が無いということで、もしかすると何週間かかかるかも、といわれ、困ってしまった。)

2005/01/20(木)
経過大切に包み込む 入れ物
ぬし(=管理人) 2005/01/13(木)
駅で心凍える旅人眠るな
鳴る胸と微々たる絵ごころここで消え
→                    ←
えきでこころこごえたびびとねむるな
なるむねとびびたえごころここできえ
---
駅の名もわからぬままに

ぬし(=管理人) 2005/01/12(水)
戻したい 寂しがるよ 絶え消えた夜が染み咲いた詩(or死)ども

→                               ←
もどしたいさみしがるよたええたよるがしみさいたしども

---
時が戻せたなら

ぬし(=管理人) 2005/01/11(火)
経過(9日の続き)

で、以前、作りはじめて、関節など全然手をつけていないものがあったので、そちらでやってみるべく、平行で再び作り始めたり。(12/12の左のなのだけど・・、でもどれがどれ、という説明はあってないようなものか・・。できそこないばかりだから。 完成させれば別かもしれないが)

ぬし(=管理人) 2005/01/10(月)
雨夜さん>
今の雨夜さんのバランスはどうですか?雨さんや、そのような人達の実現されなかった創作物がいったいいくつ形とならずにの埋もれているのだろう。人の創作物をリアルで目の当たりに出来る感じられるというのは、奇跡みたいなものだね。雨さんが生きてるうちにありったけ出して欲しい気になるのですが、そんなの無理で、・・・・とか人の生死など考えてると何もしたくなくなったり。

「甘え」に関しては主に「そうじゃない人間もいるということ」と書いてくれたその部分のことについて、「なんだかんだいっても最終的に生活できないならどうしようもないんだからつべこべいうな」というその人の言葉があまりにも明白で、凹みながらも納得もしてました。

その話はお酒の付き合いの席で、初めて話す人に弱音を吐いてしまった時の事でした。相手は特別やりたくない職業それ一本で生活のために文句言わず働いている感じの人でした。
創作なんて結局は自己満足だろうと相手に話をふられたので、私の力では仕事にはならないだろうし確かにそうだということや、また環境が恵まれた場合でもうまく出来ないだろうというようなこともたぶん言ったので、私の姿勢のチャランポラン加減を見透かされたんだと思う。
それに頑張りが足りないと結論付けることで諦めに変えたいだけなのかもしれないです。←こういう生ぬるさが感じとれるのも指摘された大きな理由ではないでしょうか。相手から見れば「何ぬかしとんねん」って感じだもんねぇ。
出来るだけ何かできるといいな、という感じでやっていきます。

雨夜 2005/01/09(日)
いつもどうもありがとう。
お邪魔します。

「作りたい気持と、作る余裕が持てないことへの苛立ちが絡まりギシギシ。」
に共感します。私も言葉で言えば全く同じ。
作りたいばかりで、余裕とか隙間が見つからない。
わたしは甘えだとは思いませんよ。私はね。
たとえば、私の友達でミュージシャンが居ますが、
彼女はフルタイム労働はしておらず、実家に家族と
一緒に住んでいます。つまり、生活の面で思い煩うことが、
私のような自活とフルタイム労働の人間と比べれば
少ない。彼女は、その分、音楽に打ち込めるし、もちろん
家族の精神的、経済的援助を受けて、それを持続する
事ができる。
一時期、羨ましいと思うこともありました。でも、彼女はまた
彼女の悩みや、音楽ができるからといって、それが思い通りに
なる事ばかりではないし、得てして創作活動には苦るしみも
付きまとうものであることから、
条件が違うからといって羨むのはナンセンスなのだとも思った。
あっ、と話はずれてしまったけれど、何が言いたいのかというと、
たとえば、どんな生活的、または精神的苦境に立たされていても
ものすごい生産力、創作力を持ってして作品を作り続ける人も
いると思います。
でも、そうじゃない人間もいるということ。
私は、寂しさを持て余すようになると、もう創作活動は
できません。寂しさも喜びも自分にとっての調和が
取れているときに、創作活動が活発になっている気がします。
えいこさんが、わたしと同じではないかも知れないけど、
頑張りが足りないとか思わなくて良い気がしたので・・・
もちろん、そう思うことで発起できるのなら、それはそれで
よいことだと思うけれど。

好きなことをして生活をしたい、という道を、多くの人が進まないのは
その道が不安定で不透明だと思うからだろうし、それが怖いからだと
わたしは思う。

すみません・・・いつも語り屋で・・・

ぬし(=管理人) 2005/01/09(日)
足
今作っている先日のものは足の関節を前回よりもっと自然にしようと思いながら失敗した模様。
次作る時は、図の右のように、久々に膝下に球をつけてみようかなと思う。以前、曲線で区切られた腿のフォルムになんとなく心地よさを感じて以来、腿側にジョイントをつけていたのだが、膝上と膝下の大きさを考えても逆の方が自然に出来るのかもしれない。

でもそこまで考えると、ジョイントは膝下にも膝上にも属させないで三つ(4つ)に分けたほうが自然のような気もしてくる・・・
---
・・・と、思いをめぐらすほどに、作りたい気持と、作る余裕が持てないことへの苛立ちが絡まりギシギシ。
---
いつだったか、そのギャップで悩んでいると言ったらそんなの甘えだと叱られた。好きなことをしていて生活できるんなら、誰でもそうするに決まってるやんけ、あほんだら・・・という勢いで。その通りだ。頑張りが足りなさ過ぎるだけなのだ・・


ぬし(=管理人) 2005/01/09(日)
mさん
おめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。年末、大阪にもいらしてたんですね。横浜は違う感じですか?私が横浜に行く時はそっちのワクワクしそうな所も教えてください。
道頓堀のあたりは、独りで悲しい気分で歩いたことが多いせいか、賑やかなイメージとともに、寂しさのイメージも染み付いてる私だったりします。寂しさを人ごみという砂(研磨剤?)で削り取るみたいなことを長い間してた気がします。後でその間の記憶がからっぽなことに気づいて無駄なことして過ごしたものだと嘆いたりも・・・。

>学生の頃に好きだった男の子と英語を喋ってる
どんな人かが好きだったんだろう・・・。願望と言うことは、今も好きな気持ちが残ってたりもするのかな。

m 2005/01/07(金)
おめでとう!
横浜浪漫いってみます、東京よりの横浜のあたりです。
たつのおとしご綺麗だねぇ。
初夢は学生の頃に好きだった男の子と英語を喋ってるという
内容でした、どちらも願望くさい。

年末に関西へ行きました。道頓堀あたりのパワのありかた
元気がでるなーと惚れ惚れしたり。
今年もよろしくね。

ぬし(=管理人) 2005/01/07(金)
苦の音摘み 独りか 冷え凍るよ
夜を越え 光と秘密 遠のく

→                  ←
くのおとつみひとりかひえこおるよ
よるをこえひかりとひみつとおのく

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音を摘みにいく夜
---
初夢は、実家の夢で、家族とご飯を食べていた。玄関を出る私に、「物を大切にしてやると、物が喜ぶから」という父の台詞。(実際によく言われた言葉)
また、実家の庭の花壇を見ながら「さすがよく肥えた土だ」としみじみ思った。それはどこか悲しいような感情である(これも夢)。

ぬし(=管理人) 2005/01/07(金)
しばらく余裕なく、メールやbbs、その他すべて滞っていた。(いつも、もだが)(まだ暫く続くかも)
随分タイムラグのある写真なども含め、これまでの覚書きなどいくつかメモ。

近況 荒削り状態のもの。膝下が長すぎかも。

(+PCにて「それ」のだいたいの色のメモ。もっともっと芯からぼんやり・強く赤い感じ)

ここにあるエレベーターのボタンを押しながら、たまにふっと思う。ボタンの光を通した指の赤いこと。血で満たされているんだ、と。そう思う時、私が私で無いように感じる。


たまたま私は人形を作っているので、そんな強烈な光の赤を人形の指先や足先、その他を染め尽くすような物も一つ作ってみたい、などと、思ったりするのだが、作ることはないような気もする。 ので、メモだけでも残しておく。

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虹
過去の失敗作。飛び出す絵本。
これを作りかけたきっかけは、一時期お世話になっていた運転手さんの話。雨の夜走りながら聞いた。その方のお嬢さんが、滑り台が好きで、とても長い滑り台がある、という。それで、なんとなく。 雨が上がって虹の滑り台を滑るところ。

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天秤 鳥の腕の天秤(もしくはやじろべい)

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結晶 アウト 落ちる雪 カメラ角度乱れ 雪=泡 泡と魚無数に乱れ通り過ぎ 泡の残り カメラ、弧を描きつつアウトで、シャボン玉を作る子
供の後姿現れる 大きく回り大きくアウト 何も無い空 シャボン玉一つ端から現 表面の虹色の流動 流動クローズアップ 抽象的変化繰り返す・・・・・最後雫に変化 雫の強い煌き そのまま焼きつく煌き そのまま結晶へ


管理人(=管理人) 2005/01/07(金)
ニコさん、96さん、
時間がたってしまってすみません。あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
そうですね、色々ありましたね。災害なども立て続けでしたし、色々と想像して、今も怖いです。映像がたまに頭に浮かぶとぞっとします。そんなことを考えてると、恐怖とともに、なんだか全てが無意味に思えてきて、鬱感が増したり、故郷にはやく帰りたくなったり。
でも自然のことだから、いつきても不思議じゃないという・・。人間って自然の前ではどうしようもないのですね。助け合うくらいしか。

96 2005/01/05(水)
あけまして おめでとう ございます

ニコ 2004/12/31(金)
久しぶりです。
もう新年・・・
変な話をしますが
物騒なニュースとか多くて、
正月早々暗い気分になりそうです・・・。
とにかく皆様良いお年をお迎え下さい。

ぬし(=管理人) 2004/12/31(金)
手 -離れ、 風に乗る紙飛行機・変形- 鳥・はばたき・変形- ハサミ(空) - 切断- 一面の闇 - 星空 - 流星 - イン - 角度回転 - アウト - 涙 - 落 - イン - 飛沫 - アウト - たくさんの粒 - アウト - 色 - 文様 - 鱗片 アウト - 蝶 - アウト - 無数の蝶 - 密集 - 褪色 - 形を残しつつ、ゼニ苔 - 褪色、明度上げ- 一面の白色 -(手紙の文字を入れる) - 一枚の紙として飛行機を折る
---
完結またはループ

ぬし 2004/12/30(木)
近況

ぬし(=管理人) 2004/12/28(火)
まず、装飾めいたものが消え、そして必要と思っていたものの大半もきっときえるだろう。最後には何が残るんだろう、おそらくほんの少し。考えると逃げたくなる。


日本画に使う岩絵の具を作るところをテレビで見たことがあるのだが一番最後の工程では見事な技で不純物をより分けていく。それでほんの僅か、貴重な絵の具が作られるようだった。僅かだけど、純で強い何か。


---

壁紙画像ををやっと壁紙仕様に描き替え。元が絵板でぽっと描いた一枚の画像(レイヤーも無し)だったので編集があまりできない・・

ぬし(=管理人) 2004/12/26(日)
龍 タツノオトシゴを描いてくれと言われ、なんとなく。

ぬし(=管理人) 2004/12/25(土)
近況 経過状況   もう少し作り進めただけ・・
-----
なんというか片思いをしてしまったのだが、今や誰の手元にあるともわからないし、とにかく忘れないと。
たまたま見たオークションで着物の柄に惚れた(これ)。別ページのアップ画像をみるととても繊細。幸か不幸か既に終了後。完璧に気に入ったというわけでもなかったのに、思い出すほどに手元にあったら、と思う。値段が中古価格だったためもあるかもしれない。手に入る可能性もなくはなかったと考えると「この着物をリメイクして着物を作り、それを着せる人形を作りたかった」などと、実現しないその場面を今になって想像してしまったり。

無いものを手に入れるにはどうしたら、いいかと考えると・・・描いた人もわからないので、出来るのは、残っている写真を元に、自分で同じ物を描くというくらい。
そこで画用紙に描いてみたりしたのだが、それすらたやすくはなく、せんかたなし・・。自分で描いてみると、一段と惹かれたし、自分には到達し得ないものだと感じた。既に「これがいい」という形がどこかに完成形であるのに、それを自分で一から作り直さなければいけないのが、時間の無駄に思える。しかも、出来たとしても、下の下のような出来にしかならないんだから。
友禅の教室行きたいな・・・。体験教室とか近くにないかな。

そんなところから、伝統と個性のことを少しぼんやり考えた。とかく個性個性とも言うが、短い人の人生一人で一から何かしようとするのもいいけれど、よいところを引継ぎ引継ぎ、その中で大きな何かを作っていくのも素敵かも。

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長靴 すでに朝になってしまったけど。「メリクリ」 らしかった。 
朝も夜も、枠組みはいつでも同じなんだよな・・。幼稚園くらいにかえりたいかも。

ぬし(=管理人) 2004/12/25(土)
雨夜さん>
ありがとうございます。事務的なことなどは先にメールしたような感じでした。
後の部分もメールで送った部分と重なったりもするので、話が前後するような所ありますね・・

あと雨夜さんの「住所」いいな。見たとき笑えました(嬉しい笑い)。それに、全体のイメージも好き。じめじめとかいっているけれど、湿度や温かみが感じられ、忘れていた愛しさに不意を突かれたような気持でした。20歳頃にはまだあまり思わなかったけれど(というか氷や硝子のようなものばかりをもとめていた気が)・・・やっぱりあたたかみもほしいと言う気持も持つようになった主でした。
出来れば隣接した県で、さらに県境の町であると嬉しいな。雨夜さんと日々の会話とかしたいから。

>村で大字
実は、私の実家が、以前そんなだったんですよ。県のあとが、郡、村、大字。今は村→町になっており、来年からは郡→市にもなるので、少し寂しいです。

雨夜 2004/12/19(日)
自分のサイトの独り言にもちょこっと描いたのですが、
ここと、横濱浪漫さまに、独り言の中で
リンク張らせて頂いてもよいでしょうか。

横浜と神戸、似たイメージ、私ももっとます。
でも、神戸は雨の日に六甲山に上ったくらい、
横浜には行ったことも無いのでした。

人口密度の高さ、もあるのでしょう。
でも、大阪で無く、東京で無く、横浜、というのが
なんだか素敵に思ったりもしたのでした。

わたしは、えいこさんのことほんとに尊敬しているし、
世界が大好きです。

退廃県 憂鬱郡 堕落村 大字虚-6

わらえました 。村で大字。大字虚 とか。素敵すぎ!
うーん、わたしは何県だろう。

湿気県 泥濘町 苔 字 憂7-8

とかかなぁ。 なにしろじめじめです。 

ぬし(=管理人) 2004/12/19(日)
蝶半年くらい前にちょっと作ったもの。思い出したので。
-----
記録経過の状況

ぬし(=管理人) 2004/12/19(日)
雨夜さん>
お店すごいですよね。私も横浜ってちゃんと行ったことないのでそんな機会あったら遊びにいこう(誘ってみる)。
製作以前に思い通りに行かない事がいくつかあり、そんなジレンマからも、作品に限らずなにか素晴らしいものをみるのって、どこか避けてしまうような?ところもあるんだけど、一度すごいものの扉を開けて中に足を踏み入れて眼を開けると、やっぱり普通に感激してしまうよ。

私も最近思ってたんです。雨夜さんこのところ一段と言葉が溢れ出してくるなぁと(ネット側から見て)。その言葉が様々な気持の動きなどを感じさせるものに思えたので、凝り固まっている自分を改めて感じつつ、オーロラ状に動き続ける雨夜さんのことを 羨むような気持で(すみません)見たりしてたのでした・・。ぁ、私の更新が少し多めになったのは、少しだけ時間ができたからかな。その分貧困ですが。苦。

>横浜にはなにかあるのかな
横浜にもあるだろうし、他の所も同じようにあるんじゃないかな。○○県には雨夜さんみたいなが方いてはりますしね。そこに何があるか知りたいです。笑。横浜に素敵な人がたくさんいるというのは人口密度的なものもいくらか関係してるとか・・。私の中のイメージでは横浜って神戸みたいな感じがあるなぁ。でも遠い所のことなので雲を掴むような感じ。

横浜くらい離れている場所だと、むしろ「心の地図」とかの方がリアルに感じたりも。雨夜さんは何県あたりでしょうか。。
(私はどこだろう 退廃県 憂鬱郡 堕落村 大字虚-6(ム) あたり・・・)

雨夜 2004/12/18(土)
書き込みはお久しぶりです。
横濱浪漫様サイト拝見しました。
凄いですね。素敵です。
リンクされている方のサイトもまた、素敵。凄い。
見入ってしまいました。
それと、横浜には何かあるのかな、
個人的に尊敬している人が、お二方住んでいる街。

最近、たくさん更新されているので、
えいこさんの放たれる感性とか、世界が強いな、と
感じています。触れられて嬉しい。

ぬし(=管理人) 2004/12/18(土)
はばたきアニメ-ションの失敗。  墜落
(五年くらい眠ってたソフト使用 (の前にまともに使ったこと無かった・・)

ぬし(=管理人) 2004/12/17(金)
お知らせ (というよりご紹介かな)
横濱浪漫館
に私の物も置いていただけることになりました。私は実際のお店にはまだ行ったことがないのですが、ネットで拝見したりお話した感じでは、宝箱とか、秘密の部屋のようなイメージが浮かぶお店。
「百聞は・・・・」ともいいますので、まずは飛んでご覧になられることをお勧めします。いろんな作家さんの抽出・凝縮されたものがつまっているのですが、ジャンルも幅広くて、そのアンテナ感度もすごいなと思います。

---
とりあえずここへメモしたがBBSだと埋もれるので後でリンクページ作るかわかりやすい場所に記事を移動しとかねば。

ぬし(=管理人) 2004/12/15(水)
流星が背中にバラバラと落ちてくる夢。(流星郡を見た次の日)
夢ってほんと「今」だな、と思う・。脈絡もつじつまも合わなくても今があって、その今と言うのがこれが精一杯、「今」なのだ・・。

空を見上げると明るめの空の中(真上)に星が密集している部分があり、片側端からぱーっと拡散して流れ始めるのを見つけた。とても印象的な映像で隣りにいた人たちにも声をかけて見入った。その無数の流れ星に願い事をした。

(一瞬のことだけど、気持のつながりが曖昧)
気づくと広がって流れていく星はそのまま下に降って来た。自分の上にたくさん落ちてくるのが見える。そこからはスローモーションのような感じでひとコマひとコマ。「あ、雹だった」と思って急いで縁側の下にもぐる。ただの雹ではなく、危険な雹だと私は次第に気づいている。いつの間にか当り一面白くて寒い雪の世界。早めに気づいたので危機一髪のところで直撃は免れたが、衝撃は凄くて骨が砕けるようだった。縁側の下で押しつぶされるような気持でうずくまっていた。

ぬし(=管理人) 2004/12/15(水)
96さん>
あ、96さんとこもかなりあやしそうですね・・・。想像だけど(すみません)。でも誇れるあやしさなイメージ。
友達づきあいがあったりすると、見せる怪しさみたいな方向にいけるんだけど。。怪しげな部屋作りというのと、本当に怪しい=危ない=ダメでしょうという感じのって違う分類だよなぁ、と、ダメ側ら見るとよくわかるです。

96 2004/12/13(月)
気持ち解ります。ですが、いつかは、部屋に上がってもらわないと。ですよね。

ぬし(=管理人) 2004/12/12(日)
散どうしよう。ガスメーターの交換時期が迫っていて、業者の人を部屋に入れて点検してもらわねばならないのだが、こういうものが所狭しと転がっていて、とても見せられない。部屋の奥まで来てもらう事になるので本当に嫌だ。で、逃げてる。
-----
Midi (37秒) 自分の着信音などにと。=とても適当。
ラフマニノフ 前奏曲嬰ハ短調より
(このフレーズの後に2003/7/6のMidiのフレーズがつながる・・・)

ぬし(=管理人) 2004/12/10(金)
散暗い坂道を、自転車を押しながらなんとなく図真ん中上のようなひし形の図とギミックの動きが浮かんだので、適当に試作。鳥の飛び出す絵。

以前(2002/1/17)の迷走に載せたこちらの鳥より随分簡単なものだけれど、その分とても手軽に出来る。
尾と頭は折り紙のように折り込んで立体的にしてあるだけなので、紙は本体と羽の2つ。羽根は柔らかい紙を使うと、しなってよいと思う。また、数枚重ねても重りになるし、見栄え的にもいいかもしれない。羽根は胴体の穴を通過して真ん中の折り目一点で固定してある。

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(別の話・・前は、いわゆる人形みたいなのにあまり興味がなかったこともあってか、作り始めた頃はヒトガタと読んでもらいたい気がして人型なんて漢字で書いていたような気がする。その最近はその言葉なんだかよく見かけるようになったせいもあってか、なんとなく恥ずかしくなり?、自分が書く時はいつの間にか普通に「人形」で定着してしまったな… と、人形の事を書きかけて思った。)

今メインで作っているのは先日のより大きめのと、微妙に小さめの。大きさを統一できるといいのだけど・・・その場の勢いみたいなので、作ってしまうため、まずそこが問題。「立体の絵をかいている」のだからそれでいいじゃないかと、自分でごまかしたりしているけど、いけないかも。


ぬし(=管理人) 2004/12/07(火)
散一昨日は風が強かったようで、朝にはキンモクセイの木が花を散らして、木の下の地面が風を閉じ込めた絵のようになっていた。ぱっと「もったいない」「残念」「可哀想」などというイメージが浮かんできたのだが、次に、本当はそれは勝手な考えで、そうなることを彼らは望んでいるんだと気づいたりした・・・

とはいえ、わかっていてもただの個人的な感情で「今をとどめておいて欲しいもの」というのは、たくさんある。

話は少し飛んでしまうが、植物でもそうなのだから、人だともっとかな。しかも人っていうのはそっくり同じ人間はいない。だれもがたった一人だから、いつまでもその人に存在して欲しいと思ったりする。昔話のような不死の薬や若返りの薬ができたら、こっそり自分の生きて欲しい人の食事に忍ばせたい気がする

ぬし(=管理人) 2004/12/04(土)
下の廃墟での写真を10枚程度まとめてみた。
http://www2.synapse.ne.jp/~iie/zatsu/uti/20041202.htm
(私は後ろの方から望遠などでさっと撮ったりしてたので中途半端な写真だけど。この他薄暗くなってからの写真は私は撮ってないのでどんな写真になっているか気になるところ。東京の方なので予定が合わず、一月末までは実際に確認できない・・・。忘れた頃に出てくる仕掛け)

ぬし(=管理人) 2004/12/04(土)
miyukiさん>
先日はどうもです。はい、行ってみました。肌の色、一枚一枚光の加減などによって色相もいい風に変わってくれたりしてるので、実物とは違うかも。苦笑。でもやっぱり引き篭った部屋の中でとるのとは全体的な色も変わってくるものですねぇ・・・森の色がショボイ彩色を幾分か助けてくれたのかも。
外で撮るのもいいな、と思いましたが、リスクもあると気づきました。(傷をいくつか見つけました。「最後の一塗りで堅い陶器になっちゃう仕上げ剤」なんてあるといいのにな。)
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96さん>
元はどんな建物だったのかわかりませんが、周りが竹藪+雑木だったりして、和でも洋でも合う様な場所でよかったです。
名前はめちゃくちゃ和風で「男山」だそうです。
山を出る寸前に、男山の枯れ蔓にしつこく絡みつかれたというのは嬉しいような虚しいような。

96 2004/12/03(金)
和風な廃虚を想像してたんですが洋風って感じしますね。
むしろ人形と合ってる気がします。白い壁に蔦とか良い感じ。

miyuki 2004/12/03(金)
お写真撮られたんですね。
とても素敵です。
肌の色がいいなあ。

管理人 2004/12/03(金)
写真など
京都の廃墟にカメラマンさんとロケ?に行って来た。こんな中途半端な出来で撮るのもちょっと・・・とか、体調の理由などから後ろ向きな部分も強かったのだが。その廃墟自体にも興味があったり、あと、一つ大きな理由があって、とりあえず出発。この写真は、私が横などから撮ったもの

山のすごく急な階段と、荒れた小道を10分くらい登った所なのだが、階段は急な上、落ち葉がつもって斜めになっていて、しかも狭い階段の端は崖だったりして、重い荷物を持って安物の滑り止めの無いような靴で登るのは本当に怖かった)
暗くなり始めるまで撮っていたので、「お疲れさま」のあとは急ピッチで荷造り。その間にも刻々と暗くなっていって大丈夫か?という感じだったが、何とか下山。一息つき、山は怖いな、とか、体力限界だ、一人じゃなくてよかったな・・等と、安堵の気持でいたところ・・・駅で衣裳が無いことに気づく。
結局一人で真っ暗な山を登ることを決意。駅で懐中電灯を借りたのだが、本当に怖かった・・・。道もよくわからないし。元々危険な場所だし。

廃墟の中には私が「ここだけは、なんか怖いから撮るのやめましょう」と言った場所があって、一人で戻ってその横を通るときの怖さと言ったら・・。
懐中電灯のライトがちょうどそのとき赤に変わってびっくりしたり(そういう機能がついてたらしい)。忘れ物が一番奥のわからないような場所に落ちているのを見つけ、無事下山。
下山の最後の最後で、一筋の枯れた蔓が巻きついてなかなか取れず、取れたと思ったらまた別のところが巻きついたりで、なかなか前に進めず困った。枯れた蔓もあなどれないと思った。

もし、今回もうちょっと精神的になにか思うところなどあれば、こういうのも幽霊の伸ばした手なんかにみえたりもしたんだろうか・・・。

管理人 2004/12/03(金)
帽子屋さん>
おひさです。お元気ですか?
最近話をしてて「帽子屋とこんなあんな話をしたことあったな」ということなんかありました。(初対面では心の扉がひらいてるのになぜか段々閉じていくとか・・・)
あたたかな時間、色々あったみたいですね。帽子屋さんがそんな人だからかな。
私は寂しさなどから求める気持はあっても、ダメだなぁ・・。相手にされなかったり、あと一番嫌なのが自分で踏みにじってしまったり。とことん孤独で生きるように出来てるらしいです。

蔓、そこがいいんじゃないですか。あ、成長過程の早回し映像とか好きです。か弱い薄透明の蔓の先端が、迷いつつヨロヨロと、何かを探して、やっと触れた物にピトッと巻きつきはじめるとこなんか・・・。
(帽子屋さんの植物のイメージと上の映像は違うのですが、ちょっとついでに書いてみたとこ・・)

昨日は山へ入ったのですが、枯れた蔓というのは緑の蔓とちがって、あれもすごいですね・・・。ちょっと発見でした。

帽子屋 2004/12/02(木)
私の記憶など とうの昔に忘却の果てかも しれないが

わたしは 一日も忘れた事など ありませんでした よ


お元気そうでなにより
かつてあなたは私の事を 伸びていく蔓のようだ と
おっしゃいましたね
蔓は這う場所がなければ あちらへ こちらへ
あらぬ方向へ育っていくものだ

今年は沿わせてくれる 人が 出来事が たくさんあったが
来年はどうだろう

もう一年 早いものですね

2004/11/29(月)
部屋
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本文がなくこの文字だけが侮ヲされている場合は、ただ今作業中かその他の理由があるせいかもしれません。時間を置いてからですと掲示板の内容も出てくるかと思います。
また、これ以前の書き込みは、整理してからまた載せます(載せたいです)