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  • 劣化する人:その22(1,776字)

    2024-05-07 06:003時間前
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    2024年の今、劣化する人が目立っているのは、単純に劣化する人が行き詰まっているからだろう。行き詰まっている理由はただ一つで、コンピューターの進化などによって「モノマネ人間」の需要が極端に下がったからだ。

    例えば、昔はどこの会社でも「電話番」というのが重要な仕事だった。おそらく2010年くらいまでは重要だった。出るタイミングや応答の文言などが、高度にマニュアル化されていた。

    そして、そういうものが得意なのはモノマネ人間だった。電話番の他に、メーカー企業はどこもたいていカスタマーセンターという部門(はじめは内部組織がほとんどだったが、次第に外部委託がほとんどになった)があり、客からの問い合わせや苦情に対応していた。

    そういうところで働く人間は、モノマネが上手ければ上手いほど良かった。なぜなら業務は高度にマニュアル化されていたので、それをどれだけ正確に再現できるかがだいじだったからだ。

    80年
  • 石原莞爾と東條英機:その47(1,652字)

    2024-05-06 06:00
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    ここで陸軍の「派閥史」を概観してみたい。

    1873年に陸軍省が創設され、ここから山縣閥が始まる。山縣は1938年の生まれなので、スタート時はまだ35歳の若さであった。

    1889年に、ドイツに留学した東條英機の父、英教が山縣に長州閥の弊害を直談判する。それが山縣の恨みを買って、英教は出世街道から脱落する。英教は34歳、山縣は51歳。英機は1984年の生まれなのでまだ5歳であった。

    その山縣も、1918年に宮中某大事件を起こし、失脚する。80歳であった。ここで初めて山縣閥が崩れ、4年後の1922年に83歳で亡くなる。

    山縣亡き後、陸軍の中で力を持ったのは長州閥ではない宇垣一成だった。宇垣は1868年に岡山県で生まれる。1900年に陸大を3位で卒業し、恩賜の軍刀を拝領する。いわゆる「恩賜組」だった。

    彼は、若い頃に陸軍で第二の派閥だった薩摩閥の川上操六に気に入られ、出世する。川上は1899年に亡
  • 庭について:その76(1,628字)

    2024-05-03 06:00
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    1968年に、日本は明治維新によって時代が明治になった。

    この「明治維新」というのはとらえるのが実に難しく、さまざまに巨大な変化が同時多発的に起こった。世界史的に見れば「近代化」の一つのあらわれなのだが、この「近代化」というものが人類に及ぼした影響はあまりにも大きいのである。

    それはインターネットの登場と比べてもなお大きい。おそらく、「近代化」に比肩するものは今のところ「農耕化」くらいしかないのではないだろうか。

    近代化の波は世界同様日本も襲ったが、その受け取り方は日本の風土を色濃く反映し、諸外国とはかなり様相を異にするものであった。日本は基本的には保守的だが、いったん変化を受け入れると超先鋭的になる。それは昔も今も変わらない。日本ほど文化がドラスティックに変化する民族は世界で他にないといえる。

    その現象が明治期の庭でも起こった。まず、大名庭園が次々と壊されていったのだ。これは諸外国では考