- 清水幾太郎『論文の書き方』岩波新書
@ erewhon/no*where/now*here
私は、ある日とつぜん散弾銃を手にして走りだし、行きずりの人に向かって発砲する人の気持ちを、多少は理解することができます。もしかすると、以前その人は軍隊にいたことがあって、戦闘中に見たりしたりしたことが頭から離れなくなってしまったのかもしれません。あるいは、家庭や職場で、耐えがたい挫折感や拒絶を味わったのかもしれません。また、人からまともにとりあってもらえず、人間扱いされなかったために、怒りが燃えあがり、「オレを馬鹿にしてるとどんなことになるか、思い知らせてやる」とまで思いつめた結果かもしれないのです。
銃をつかみ、見ず知らずの人たちに発砲するというのは、馬鹿げていて理屈に合わない行為ですが、でも理解できないことはありません。私が理解できないのは、ブラウン夫人はたまたま店に入っていて災難を免れたのに、スミス夫人がなぜそのとき通りを歩いていなければならなかったのか、ということです。いつもなら一杯のコーヒーですませるグリーン氏が、たまたまその朝に限って二杯目に手を伸ばしたため、引き金が引かれたとき建物の中にいたというのに、なぜジョーンズ氏はそのとき道を横切っていて、狂った射手の格好の標的にならねばならなかったのでしょうか。多くのいのちが、そんな取るに足らない予定外の決断によって左右されているのです。
三〇年ほど前、ケニアのヒヒのコロニーであるフォレスト・トゥループで大惨事が起きた。群れのもっとも強いオスたちは、よく近くの観光地のごみ捨て場を漁っていた。ある日、そのオスたちが牛結核に感染した肉を食べて死んでしまった。あとにはそれほど好戦的でないオスだけが残った。このオスたちは、別の群れとの争いが絶えないごみ捨て場を避けていたからだ。その後、フォレスト・トゥループ全体の行動様式が変わった。
神経科学者のロバート・サポルスキーが、一九七九年から一九八二年まで、はじめてフォレスト・トゥループについて研究したとき、それは典型的な、とにかく獰猛なヒヒの社会だった。オスのヒヒの多くは、自分の社会的地位にこだわるあまり、攻撃に備えて、たえず神経を尖らせていた。しかも、その対象とされたのは同じ階級のオスのライバルだけではない。下位のオスたちも、つねにいじめられたり、脅されたりしたうえ、メス(体重はオスの半分ほどしかない)でさえたびたび襲われた。ところが、この攻撃的なヒヒたちが死んだため、残った群れのメンバーは緊張を解き、以前より互いにやさしく接するようになった。
オスはあいかわらず同じ階級のオスと争いはするものの、集団内の弱者を叩きのめすことはなく、メスを襲うこともまったくなくなった。どのヒヒも毛繕いをしたり、互いに身を寄せ合ったり、その他の友好的な社会行動をして大半の時間を過ごしている。ストレスの度合いは(ホルモン採取で測定した結果)最高水準のヒヒでも、他の群れのヒヒと比べてはるかに低かった。なかでも重要なのは、こうした新しい振る舞いが、群れの文化に定着したことだ。
オスのヒヒは一八年以上生きることはまれで、あの大惨事を生き延びた地位の低いヒヒたちも、もうすべていなくなっている。また、オスのヒヒは生まれた群れから離れて、別の群れに入らなければならないため、オスの性格も、支配欲の強いタイプから通常は決して上位に上がる見込みのない小心で従順なタイプまでの正規分布に戻っていてもおかしくない。ところが、このコロニーの行動パターンは、通常のヒヒとはあいかわらず異なっている。攻撃性は比較的低いままで、弱いヒヒやメスを手当たり次第攻撃するようなことはめったに起きない。
わたしたち霊長類は、文化に対する順応性や適応性が高い。ヒヒでさえ、ヒヒ社会の荒々しく、好戦的な規範を遺伝子によって守るとは限らない。人類はこんにち、国家と呼ばれる集団 バンド のようなもののなかで快適に暮らしている。それは文明が誕生する以前にわたしたちの祖先が暮らしていた集団の一〇〇〇万倍以上も大きい。人間はサルのような暴政から、狩猟採集の時代の平等社会へ移行し、文明の発達にともなって軍事化された厳しい階級社会に返り、今は大幅に修正された平等主義に戻ってきた。適切な誘因 インセンティブ があれば、戦争をやめることは不可能ではないはずだ。そして、適切な誘因はまちがいなく与えられている。
この性向は、若者よりも老人に多く見られるのが自然であるが、その理由は、老人の方が喪失に対して敏感であるということではなく、彼らの方が自分達の世界の資源について知悉していることが多く、従ってそれらを不充分だと考えることが少ないということにある。或る人々においてはこの性向は弱いが、その唯一の理由は、自分達の世界が彼らに提供できるものについて、彼らが無知であるということにある。彼らにとっては現在とは、楽しみを見出す機会の存在しない残り物としてのみ現れてくるものにすぎない。
マイケル・オークショット「保守的であるということ」『増補版 政治における合理主義』勁草書房、2013、199–200頁。
当時、妻沼にもデマが浸透していた。町内を歩く見慣れない青年を怪しみ、自警団が尋問すると、「東北弁のこととて言葉が思うように通じない。『朝鮮人だ!』血気にはやる若者が竹槍で右腹を一突」きした。青年は「日本人だ」と必死に抵抗し、派出所に連行された。警察官が調べたところ、日本人であることが分かった。青年がうれしさのあまり「万歳!」と叫ぶと、生意気だということで、槍や日本刀で惨殺された。
福祉には熱意よりも大切なものがある
行政では例えば児童虐待で凄惨な被害があった場合、再被害やPTSDの影響を極小にするために、司法面接(被害確認面接)というのが行われます。被害を受けた人が児童相談所、警察、検察などから何回もその事実を聞かれることは適切ではありません。よって司法面接が実施されつつあります。「被害を聞く」行為はそれほど慎重にやらなくてはいけないということです。
さて、人の関わる福祉として私が常に主張しているのは、「やる偽善よりもやらない偽善が正しい」です。同じ福祉でも震災のがれき処理などのボランティアは、どのような人格であっても、結果(がれきが取り除かれた)が明らかです。つまり人格<効果なのです。
しかし、人が対象(子どもや被害者)となる福祉は、むしろ関わることで害になるものがあります。人に関わる援助者が注意すべきこととして以下が挙げられます。
●熱意があり能力がある→実践して有効
●熱意がなく能力がある→実践しないので無害
●熱意がなく能力がない→実践しないので無害
●熱意があり能力がない→実践してしまい悪影響を与える最も害悪
考えることは、書くこと同様、まず感じる、それをなぜ自分は感じたか、と吟味する仕方で、自分を基礎づけることでしか、自分の基礎――疑えないもの――をもてないからです。しかし、それは、その起点に置かれた「感じ」、いわゆる「実感」が間違いのないものだということではありません。実感は大いに間違うことがあり得る。しかし、にもかかわらず、人はそこからしか正当にははじめられない。そしてそこからはじめることで、一歩一歩、その正しさを確認する仕方で、また、誤りがあればそれを修正することで、ゴールの正しさに到達できる、そう僕は考えます。これは僕個人の考えですが、でもこの僕の考えは、文章を書くという経験から割り出されています。書くことは、こういう場所で、こういう形で、考えることと出会っているのです。