楽天こそ IFRS を早期適用すべきだ


楽天トラベルで虚偽予約 全国1600ホテル被害か - MSN 産経ニュース
旅行予約サイト「楽天トラベル」のポイントサービスを悪用するため、サイトからホテルに虚偽の宿泊予約をしたとして、警視庁捜査1課は偽計業務妨害容疑で村中健(28)と小原健作(27)=住所不定、無職=の2容疑者を逮捕し、7日、東京地検に送検した。
楽天トラベルをめぐっては、今年2月から全国約1600のホテルで、約2万8000室のカラ予約が繰り返されており、同課が関連を捜査している。
同課によると、2人は「楽天のポイントがほしくてやった。週に数十万円稼いでいた。ポイントでゲームソフトやCD、本を購入したほか、ホテルに宿泊した」と容疑を認めている。
上記の不正で、容疑者たち以外に得をする者がもしいるとすればそれは誰か。誰もいない。楽天はおろか、「楽天トラベル」に契約している全国の宿泊施設も売上獲得の機会を失う「全方損」となる行為だ。
今回の件は、楽天のポイント・システムの不備を突いた巧妙な犯罪と言える。楽天に法的責任はないとしても、心情的に責任を問いたくなるというのが被害に遭った各宿泊施設の本音であるに違いない。
こうした問題を避けるために、楽天国際会計基準国際財務報告基準、すなわち IFRS を早期適用すべきという提案をしてみる。なお、以降の話は憶測や仮定も多分に含まれるため、適宜ツッコミを入れていただけるとありがたい。
楽天トラベルには、3つの利害関係者がいる。宿泊予約者(消費者)、ホテルや旅館(宿泊施設)、そして楽天(企業)である。「楽天市場」など、楽天が提供している各種サービスは消費者が直接の恩恵を受ける「B to C」の側面がクローズアップされがちだ。とはいえ、むしろ楽天 vs. 販売店、あるいは今回のように楽天 vs. 宿泊施設という「B to B」の側面をなお重視せねばならない。なぜなら、それこそが楽天の収益源の主要を占めるからだ。
ちなみに、楽天トラベルにおいては宿泊料から特定の割合で徴収する手数料がその収益源となっている。
楽天トラベルにおける「予約」から「宿泊」という一連の流れが通常通りに進むとすると、その収益プロセスはおおよそ以下のようになるはずだ。
  1. 宿泊予約者が楽天トラベルにログイン、探し当てた宿を予約する。
  2. 宿泊施設は、楽天のシステムを通じ予約があったことが自動的に通知される。
  3. 楽天は、予約時の宿泊金額に手数料率を乗じた金額を「売掛金」として計上する。
  4. 宿泊日が到来、宿泊予約者は宿泊施設を利用する。同時に、宿泊料を宿泊施設に支払う。
  5. 宿泊施設は、宿泊予約者の宿泊日を過ぎたあたりに、楽天から手数料の請求書を受け取る。
  6. 宿泊施設は、手数料を特定の期間内に楽天が指定した口座に入金する。
  7. 楽天は、宿泊施設からの入金を確認した時点で 3. の「売掛金」を「売上」に振り替える。
ここで、私が書いた過去エントリを見ていただこう。そうすると、販売の際にポイントを付与するときは、じっさいに受け取ったカネからポイント分を控除したものを売上計上すべき(ポイント分は負債に計上)なのが IFRS の原則であることがわかる(cf. IFRIC 13)。
上記 1.〜 7. の流れを見た場合、ポイントを控除するタイミングを仮に売上計上時とするなら、楽天側は売上計上よりも前の時点でポイントを付与=負債を計上せねばならず、かつそのポイントが自社の他のサービスですぐに使われるリスクを抱えることとなる。
このままでは、冒頭のような犯罪を防ぐ手立てにはならないどころか、楽天の損失リスクも増大する。ではどうすればよいのか。
最も適切な善後策は、上記プロセス 7. の時点で初めて宿泊予約者にポイントを付与した上で、楽天の側は宿泊施設からの入金額からポイント分を控除した売上を計上する方法だ。この方法なら、少なくとも冒頭のような犯罪の起こる余地はなくなる。
とはいえ、楽天トラベルがこれまで予約時点でポイントを宿泊予約者に付与していたのは、ほかならぬ楽天にとっての「カスタマー・ロイヤルティ・プログラム」、すなわち顧客の継続的確保のための手段であることは間違いない。となると、ポイント付与のタイミングを変えることは楽天としてもしのびないばかりか、仕組みが変わったことによる会員の不満や退会も招きかねない。
IFRS が「原則主義」であることはよく知られている。原則主義とは、これまでの会計規則の「条文主義」、すなわち各々の会計手続につき処理手順を条文で定める方法と違い、「会計原則」に基づけばその実適用においては企業の裁量がある程度認められるという意味になる。
ならば、上記プロセス 3. の売掛金の計上の時点でポイント分を控除してしまう方法も考えられなくはない。この方法ではポイントの発行量が限定的、すなわち[ポイント金額相当分<宿泊金額のうちの手数料]という条件が常に必要だ。となると、楽天の収益圧迫要因となるばかりかカスタマー・ロイヤルティ・プログラムとしての旨みも乏しくなることが懸念される。
いずれにせよ、IFRS 適用にあたっては楽天は各利害関係者に向け詳細かつ漏れのない説明を行った上で、ポイント付与の仕組みを変更していかねばならない。これは冒頭のような「犯罪」を防ぐために、楽天といういち企業が CSR(企業の社会的責任)の一環で対峙すべき課題なのだ。
IFRS が、楽天CSR を通じた社会的地位の向上に寄与するのであれば、良い先行適用事例となるのはまず間違いない。ぜひ、楽天の先進的な取り組みに期待したい。

みんなが得をすることを考えるからしんどい。みんなが損をしない方法を考えよう

コンサル(笑)のシゴトに就いていると、顧客に向けプレゼンテーション(笑)を実施するときに PEST や SWOT や 4P や 5F や 7S といったいくつかの定番的フレームワーク(笑)よりも古典経済学理論の方がシックリくることが多々ある。

その一つに、「パレート最適」がある。最近では「パレート効率性」とも言うらしい。詳しい解説は Wikipedia でも見ていただくとよい。

簡単に言えば、ある誰かがより得をしたいためには他の誰かをより損させないとそれが実現し得ない状態を指す。ということは、裏を返しつつ教条主義的要素も少し加味すれば、この経済社会の中で自分(たち)の都合のために自分(たち)だけが得をしようなどとは考えるな、という戒めにも通じる。

そんなこんなで、吉本ばなな氏の件である。今では「よしもとばなな」と書くらしい。

既にネタ系も含めた秀逸な記事が少なからず公開されているので、ここでばなな氏の件を多く語ることはすまい。しかしながら、ばなな氏、あるいは彼女の立場の支持を主張するダンコーガイ(笑)のエントリには、バブル期を経験した人間特有の横柄さないしは傍若無人さが見られ、ひどく不愉快な気分になったことは書いておかねばなるまい。

ダンコーガイ(笑)とバブルは関係ないじゃないか、と言う人がもしかするといるかもしれないので軽く補足しておく。彼こそ、オン・ザ・エッヂというライブドアの前身の企業の株式公開であぶく銭を手にした「ドットコム・バブル」の申し子であることを我々は忘れてはならない。

昭和から平成の変わり目のバブル期に大活躍したばなな氏と、ドットコム・バブルを機に巨富を成したダンコーガイ(笑)の意見を見比べると、上記のような「バブル」という共通項が見えるのは、不愉快ながらも実に興味深い点である。

彼ら「バブルの申し子」たちは、どうやら居酒屋の店長という人物を損させても構わない、自分の楽しみのためなら誰かが犠牲になるのはアタリマエという考え方の持ち主らしい。

それが、100 年ほど前に提唱された「パレート最適」に適わないのは、ここで多くの説明を尽くすまでもない。

チェーン居酒屋、あるいはそこで働く店長をはじめとする現場スタッフは、まさに「パレート最適」の体現者である。その手順(プロトコル=約束事と言ってもよいだろう)を愚直に実施することこそが、ビジネスの定型化を通じた効率化、例えば全店舗単位での品質(料理や飲み物の鮮度、調理・盛り付けの手際、など)、価格(他店よりも競争的に優位=安い価格、割引制度、など)、デリバリ(注文を間違えないこと、注文から席に届くまでのスピード、など)のレベルの向上を期待できる源となるのだ。

そこにばなな氏のようなイレギュラーな客が現れたとしよう。そうした客は、自分たちだけは特別扱いしろと主張する。他の客?そんなモン知らん。(ばなな氏のケースでは偶然他の客はいなかったようだけど、もしかすると単に自分の席から見えていなかっただけかもしれない)キマリどおりにやらないと店長の立場が危うくなる?そんなモン知らん。

このように一貫して自分の利益をかたくなに主張する態度が、チェーン居酒屋の客として歓迎されざるものであることは明らかだ。

そしてさらに、ばなな氏やダンコーガイ(笑)(ときに「経済の『ケ』」を語ることすらあるあのダンコーガイ(笑)がである)がそうしたことをつゆほども知らなかったとは、まったくもって驚くほかない。

あるソフトウェア・パッケージ・ベンダがいたとしよう。そのパッケージには世界中で千、あるいは万単位の数の企業ユーザがついている。パッケージの適用業務はとても専門的でユーザごとのカスタマイズ・アドオンなどもあるため、ほぼワン・トゥ・ワンで対応することが求められる。
仮にユーザ企業の中の一つに、社会的知名度はあれども支出はシブいと評判の会社があったとする。案の定そのユーザは、年次サポート契約の初回更新時に大幅な値引きを要求してきた。しかも、仮にそれをのめばサポートにかかる原価を下回る売上になってしまうような額までの値引き要求である。
あなたが経営者なら、その値引き要求をのむだろうか?
いや、けしてのむことはできないはずだ。なぜなら、仮に原価を下回ればサポート品質の低下は避けられず、さらにそれが他の顧客に対するサポート業務にも悪影響を及ぼす懸念があるからだ。誰かの損になりこそすれ、どこの誰にとっても得とはならない。
むろん、サポートにかかるコストの削減の努力はあっても良い。とはいえ、一朝一夕でそれを実現できるものではない。ゆえに当座の要求については、顧客の求めに応じられないことを悔やみつつもいったんお断りするほかない。

我々コンサル(笑)は、Win-Win(笑) という今やいいかげん陳腐なコトバをいまだに使う。とはいえ、その背景には「パレート最適」という偉大な先人が見出した法則があることを、どうか心の片隅にでも留めておいていただけるならありがたい。

ライブドアは、実に許し難い

企業の存在意義とは何か?大学の一般教養のケーザイ学では、雇用の創出および景気の高揚と大まかに教わる。

では、雇用創出と景気高揚のためには何が必要か?そしてそのために求められる企業の具体的な行動とは何か?

それは、事業の創出と維持である。事業が既にあるときは、維持になお注力することとなる。とはいえ、それでもさらに新規事業の機会をうかがい、機を見つつ投資・進出していくことが求められる。

それを、「企業戦略」と呼ぶ。

ライブドアが、純資産の処分の一環に 680 億円の配当を実施すると発表した。

戦略を持たない無様な企業の姿が、ここにある。この会社は、ホリエモンが逮捕・起訴されて以降、企業としての体をまるで成していないことが今回明るみになった。

少なくとも俺にとっては、ホリエモンとは尊敬に値する人物ではまったくない。ましてや経営者としてはなおさらである。東大に入学できるくらいの地頭の良さはたしかにあるのだろう。逆に言うならその程度の人物、すなわち経営の専門家たり得ない人物でしかないということだ。

ホリエモンが CEO を務めていた頃のライブドアが今よりもマシだったかと問われれば、俺はそれに“Yes”と答えることはできない。とはいえ、今の LDH はなおジリ貧であると捉えねばならない。

ホリエモンは、度重なる自社株分割を通じ、上場株の「コモディティ化」を果たした。先に挙げた彼の blog を読めば、今でも彼がそれを誇りに思っていることをうかがい知れる。

一方、俺にとってのそれは、資本市場を愚弄する、企業人として最もやってはいけない行為というオレオレ定義である。

今回の LDH の配当(「『現預金=流動資産』の取り崩し」と言った方が良いか)は、そんなホリエモンの罪を償う意味もあるのだろうとは容易に想像できる。もしかしたら、証券知識のまるで乏しい小学生や老人までもが投資したと言われるライブドアの現存株主は、手を叩いて喜んでいるのかもしれない。あるいは、どこかの外資投資銀行からなるライブドアの大株主(ホリエモンを除く)がほくそえんでいるのだろうか。

実に胸くそ悪い資本戦略、そして企業戦略である。いや、そんなもの、「戦略」があるとはとても思えない。オウム真理教によるサリン事件被害者への配当とはワケが違うのだ。

LDH は、その持てる豊富なキャッシュを新規事業に投資しつつ、これからの日本のインターネットの技術的な側面を陰日なたから支えていく立場となるべきだった。おそらくホリエモンも同様な主張をしていたはずだ。しかしながら、ホリエモン色を一掃するために技術集約型企業からの脱却を図ったとすれば、それは大きな誤りだった。

今の LDH に何が残っているというのか。少なくとも、次なるキャッシュを、それも今回の配当で吐き出した分を穴埋めできるほどのキャッシュをつくりだせる事業があるようには俺には見えない。

ここの役員は、ノンキに blog など書いている場合ではないはずだ。皆が力を合わせ、この経済危機を克服するとともにいかに新規事業を創出・維持していくかを真剣に考えねばならない。

LDH 株主は、もっときちんと彼らに意見すべきだ。もしかすると今回の配当は、手切金のようなものだったかもしれないからだ。ライブドア上場廃止になったときの悪夢を再び味わいたいはずがなかろう。

目を覚ましてほしい。日本のウェブだけでなく企業社会・資本社会が「残念」と、きいたふうな口を利く知ったかぶりの門外漢に再々嘆かれないためにも。

Oracle の Sun Microsystems 買収を歓迎する

正直、昨夜は気分が昂揚してしまい熟睡できなかった。Netscape や Sun という企業群の興亡ヒストリーに、一生のうちにお目にかかれた幸運を本当にありがたく思う。
単純に考えるなら、Oracle がいちばん欲しいのは Java だろう。Oracle Database は、とくに 9iR2 の時代から顕著に Java をサポートしていたという(個人的な)印象がある。むろん、MySQL を獲得できることのメリットも大きい。ただ、これについては後述とする。
Oracle、それもとくに Oracle Database が Java を自由に扱えることで、ユーザにもたらされるメリットを考えてみる。少なくとも、3つのメリットが考えられる。
一つには、今まで Java で書かれていたビジネス・ロジックを、ストアド・プロシージャとして Oracle Database の中に取り込んでしまうことの効果が大きくなる期待である。これを通じ、とくにメモリのハンドリングを Oracle Database というプラットフォームに一元化できるため、サイジング見積りがしやすくなるメリットがもたらされる。
むろん、GCOracle Database 上でうまく実行できるのかという懸念は当然あるだろう。だからこその統合が期待されるのだ。統合を通じ、Java DB のブラッシュアップが図られるのであれば言うことはない。
二つ目は、サポート・チャネルの統一によるユーザの事務負担の軽減である。
Oracle + Java というシステムがトラブルに見舞われた際、これまではトラブル要因の切り分けをユーザやベンダ(ISV)の側が強いられてきた事情があった。しかしながら、OracleJava が組織的に一つになれば、サポート・チャネルの一元化を通じ、ユーザの側も、そしてもちろん Oracle の側も体制をスリムにできる Win-Win(笑) 関係のメリットがもたらされる。
むろん、これも実現までには相当の時間がかかることが想定される。我々は、ユーザの立場で Oracle に向けサポート・チャネルの一本化をしつこくアピールしていかねばならない。それもソフトウェアに対する「貢献」の一つであると言える。
三点目は、Java、とくに Java 1.4.2 のライフサイクル問題の解決である。
Java SE 1.4.2 は、今でも使用しているユーザが非常に多いと察する。しかしながら、それは昨年 2008 年の時点で既に EOSL を迎えた。当時の Sun は、EOSL 以降も Java SE 1.4.2 のサポートを求めるユーザに向けたライセンス・プログラム「Java SE for Business」(通称 J4B)を発表した。J4B は、EOSL 以降も最長で 15 年間の技術サポートを Sun から受けられるサービスである。
しかしながら、J4B のコストはいささか高い。従業員数が係数となるその課金体系は、特に大きな組織にとってのライセンス費用負担はこのご時世に捻出し難いものであるのは間違いない。ましてやそうしょっちゅう Java がコケるわけでもないならなおさらである。
一方の Oracle Database も、「ライフタイム・サポート」という無期限サポート・プログラムを打ち出している。とはいえ、ライフタイム・サポートを適用しないとしても、例えば Oracle Database 10gR2 の Extend Support 期間は今後 2013 年 7 月まである。
例えば Oracle 10gR2 + Java SE 1.4.2 という構成のシステムを使用しているユーザがいたとする。その場合、Oracle Database のサポート期間がまだ残っているにもかかわらず、Java の EOSL は既に過ぎている。ここで J4B を適用しなければ、以降 Java のサポートは受けられくなってしまうことになる。
Oracle 10gR2 に同梱されている JDK、これが 1.4.2 であることをご存知の人は多いはずだ。OracleJava の統合を通じ、Java のサポートが Oracle Database のライフタイム・サポートに一本化されれば、ユーザの安心感に寄与するばかりか、サポート切れによるセキュリティ・リスクの名目上の回避手段ともなり得る。
最後に、MySQL について触れておく。
今回の買収劇で MySQL が危うい目に遭うのではないかと本気で心配する声をいくつか耳目にする。その種の心配は、杞憂に過ぎないとここで主張しておく。
かつての日本では、カメラのヤシカが京セラに買収されたときにヤシカ・ブランドが消滅するなどの悲しい事例があった。個人的には、特にヤシカについてはブランディングのミスを強く責めたいと今でも思っている。
とはいえ、対するアメリカのソフトウェア文化、とくにシリコンバレーのそれは、オープンソースフリーソフトウェアに対するリスペクトは並々ならぬものがあることを知っておくと良いだろう。
そもそも、Sun に吸収された時点で MySQL は既に「商用プロダクト」となっている。しかしながら、Sun にも深く根付くフリーソフトウェア・カルチャーが、MySQLOSS 版を維持させたと理解することができる。それは Oracle とて同じだ。いくら仮にラリー・エリソンがスットコドッコイで見当違いなことを言ったとしても、シリコンバレーのソフトウェア・デベロッパ・コミュニティはけしてそれを許してはおかない。ハッカーたちに嫌われるようなことをエリソンが進んで指示するとは思えない。彼およびその周辺もバカではない。SCO などの事例から多くを学んでいるはずである。
こうしたもろもろの事由から、私は、今回の Oracle による Sun Microsystems の買収を、技術者あるいはビジネスパースン(笑)の一人の立場で大いに歓迎するのである。

偽善的経営者たちの仮面が今はがされる

人はピンチに陥ると、本性を見せると言う。あるいは、隠していた汚点が露呈するとも言う。まずは、「本性を見〜せる」の巻。(髭男爵ふう)
日本電産:一般社員1万人の賃金を最大5%削減へ − 毎日jp(毎日新聞)
Google で検索していただきたい。google:日本電産 永守 クーラーなんかガンガンにかけたらええのや 日本電産(以下日電産)の永守重信社長は、その豪放らい落ぶりが世の注目を集めた人だった。永守氏を目標に置く同業の人、すなわち経営者がとくに中堅・中小に多かっただろうと考えるのは容易だ。その永守氏が、日電産グループ従業員の賃金削減という「ラスト・リゾート」に打って出ることとなった。
上述のような、永守氏を慕っていたであろう経営者たち、あるいは俺のようなタダの社会人も含め、永守氏が「ラスト・リゾート」に手を付けることはまずないだろうと期待していた人は多かったと考える。しかしながら、景気が悪化した途端にコレである。景気の悪化は自分ではコントロールできず、それにあらがうことが叶わないというロジックも理解できないではない。とはいえ、永守氏というキャラクターだからこそ期待された社会的役割もあったはずだ。期待を簡単に裏切ることとなった永守氏および日電産を、投資家は冷ややかな目で見ているに違いない。
つぎに、「隠してたコトがバ〜レる」の巻。これは、今まさに旬なネタである。
大賀容疑者「御手洗家と200年の仲」、キヤノン関連仲介 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
大賀さんという人と、泣く子も黙る経団連会長/キヤノン会長・御手洗冨士夫氏の間柄は、これはどうにも否定のしようがないだろう。御手洗氏はおかしな弁解をせず、付き合いを素直に認めた方が潔いのは間違いない。
永守氏と並び、御手洗氏も模範的経営者として世から注目を集めた人だった。この記事から一部を引用してみよう。旧商法時代の「委員会等設置会社」の是非につき論じた記事である。


創業家や経営者の高潔な倫理観を自らのうちに内部化することを選んだトヨタキヤノンを一方の軸として、創業家や経営者の高潔な倫理観を外に向けて解放する(外部化する)ことを選んだソニーオリックスを他方の軸として、相互に補完しあいながら、日本ではベストボードの模索が続いていくことになる。
ソニーオリックスが委員会等設置会社制を選んだ一方で、トヨタ、そしてキヤノンが従来どおりの「取締役会設置会社」制を維持したという意味である。委員会等設置会社(現在の会社法では「委員会設置会社」)、そして取締役会設置会社の違いについては Wikipedia あたりで調べていただけると良い。
委員会等設置会社制度が設けられた時期は、それが企業のガバナンスをより高めることが期待された。ソニーオリックス以外では HOYA などが適用会社の代表格である。
委員会等設置会社でなくともガバナンスを担保する制度や仕組みを、トヨタキヤノンはどう提供するか。前述の記事は、「創業家や経営者の高潔な倫理観」といういささか論理を欠く要件こそがそれを実現すると論じたのだ。しかしながら、先の大賀さんの記事を見れば「高潔な倫理観」何するものぞということがよく理解できる。
キヤノンも、委員会等設置会社で義務付けられたような社外重役制度にまったくの無関心だったわけではない。じっさい、社外監査役を招聘することでガバナンスを高めようとした試みがなされていることは、キヤノン直近本決算の有価証券報告書(PDF)を見れば理解できる。残念ながら、この社外監査役がクセものなのだ。これは、有価証券報告書に載っている社外監査役のプロフィールをきちんと見てほしい。そうすると、客観的な立場で経営を監視せねばならない監査役ながら、利害を一にするところもあることが理解できるはずだ。
大賀さんという地方のいちフィクサーの悪事に留まらず、今まで隠してきたことが次々に暴かれていく、そう、パンドラの箱が開けられる事態が起きていることを我々は理解すべきだろう。
日電産、キヤノンに留まらず、金融危機を迎えた今の時期、これからも少なからざる経営者層の偽善や悪行が露呈するかもしれない。我々産業人の端くれたちは、ぜひとも注意深くウォッチしていたいものだ。

不景気と会計は一体どうなってしまうの?

ホッテントリメーカーさんにお世話になりますたw 本当は、ガ島通信さんの記事を読んで書いてるんですけどね。
ガ島さんの記事に同じく、中谷巌さんの「反省」論は実に不気味に映ります。反省だったらサルでもできると言うじゃないすか(古)。
アメリカ発とはいえ景気の悪さが世界の共通認識になってる中で、日本の世論の、正確に言えばマスコミが煽る世論の悲観ぶりは特に目立つ気がしてます。あ、そりゃもちろん WSJ とか NYT とかブルームバーグのヘッドラインを見てりゃ、悲惨なタイトルがこれでもかとばかりに出てきます。でも、それだけ開けっ広げだと逆になんというか、潔い気がするんですね。
それに引きかえ日本ときたら、中谷さんの論もそうだけど、小泉改革が悪かったとなんとまあ内省的なことか。あのさあ、今さら過ぎたことをアレコレ言っても始まらないってのは子供でもわかることだと思うんですけどねえ。で、民主党の皆さんも、小泉改革路線を引き継いでるはずの現麻生政権は退陣すべきと主張する。まあ、官僚とか財界とか、今回の不況になにがしかの影響を及ぼしていただきたい方面へのパイプが民主党は太いようには見えませんけどね。
アメリカに目を戻すと、やつらはなかなかしたたかだなあと思わせることがあります。やつらってのは、企業各社のことを指すと思ってください。何がしたたかかと言えば、企業会計標準を米連邦のそれ(FAS)から国際財務報告基準(IFRS)に前倒しで移行しようというところが多いんだと。
逆に日本の企業ときたら、事務手続きが変わるような類の手間を掛けるのにはずいぶん消極的ですわな。まあしかし、会計標準を変えるのが面倒でカネも掛かるのはアタリマエです。そういう、手続きや手法を変えるときに費やすカネのことをスイッチング・コストと言います。アメリカ企業は、今スイッチング・コストを掛けても後々の儲けで補えると考えてるんでしょう。逆に日本企業は、今すぐに掛けなくてもいいカネなら1銭たりとも払いたかねぇぞと。
そうこうしてる間に、アメリカと日本の差はどんどん開いてくんじゃないかって気がするんです。だってそうでしょ。アメリカが国際的な会計標準で事務のやり方を統一できりゃ、極端な話、会計なんて機械に全部任せちまえばいいんですよ。一方の日本は、いつまでたっても企業の経理部の人たちが四半期ごとに電卓とにらめっこで深夜残業ですか。もっとも、日本も会計ソフトの導入がずいぶん進んでるからそれほどシンドくないのかもしれません。でも、内部統制報告やなんかに追加人員や外部コンサル(笑)を大層つぎ込んでると聞きますよ。そこまで体制を大きくしちまったモンだから、逆に新しいやり方に対応できなくなってるとも言えるんですけどね。
2015 年には日本も IFRS を強制適用すると言われてる、つまりこれはもはや逃れようのないモノだから、じゃあ今のうちにやっておこうか、あるいはギリギリまで現状で持ちこたえるか。これっくらいの差なのかもしれません。アメリカマンセ−じゃねえぞと。でも、技術力の衰退とかナンとかよりも、こういう対応の万事かったるいところが競争力を削ぐ要因なんじゃね?ってギモンは案外ハズしてないときょうび思うワケです。
SOX 法の本場アメリカはエンロンワールドコムの「反省」からのアクションが実に素早かった。でも日本の官庁や政府は、ライブドアがどうしようが日興コーディアルがナニしようが、なかなか動こうとしませんでしたわな。正直、ホリエモン(笑)をしょっ引けばオールオッケーと思ってたんじゃないかと。実はその頃、つまりライブドア事件の頃以降産業の現場のところどころからおかしな話は聞こえてきてたんですけどねえ。
冒頭の中谷さんに話を戻せば、今さら「反省」してるくらいならさっさと行動しろよと。中谷さんみたいな立場の人が先陣切れよ、と思うんです。どうっすか?

そろそろトヨタの赤字にひとこと言っとくか

実に嘆かわしい。いや、この「トヨタの赤字 本当ですか?」の内容のことだ。「本当ですか?」と問う以上は「本当じゃない」要因を探そうとしているのだろう。しかしながら、その探し方、ほかならぬエントリの内容そのものが実にお粗末で、我慢のならないレベルなのだ。
とはいえ、これは我々コンサル(笑)のような企業財務・会計にかかわる者、証券市場にかかわる者、あるいはもっと専門的な公認会計士や企業の経理スタッフ、証券アナリストといった人たちがいかに社会にコミットしてきていなかったかという一つの証左でもある。そうした人々は猛省をもち捉えるべき事象なのかもしれない。
ちなみに、企業の決算開示が原則連結ベースと定められたいわゆる「会計ビッグバン」があったのが 2000 年のことである。それ以前は、上記エントリで示されたようなこともなかったとは言えない。実際、破たんして今はなくなってしまったとある大企業の決算操作に関するシステム構築に携わった経験も俺は持っている。正直、今となってはあまり掘り返してほしくない過去の一つだ。
だからこそ、今の財務会計制度の下で依然そのような利益や損失の付け替えがグループ内でされていると主張するのは、財務会計や証券市場の制度根幹を揺るがす暴論とすべきだろう。もしそういう主張がしたいのであれば、きちんと「裏」を取った上で行うべきなのは言うまでもない。
しかしながら、冒頭のエントリの主は、トヨタ自動車に(自社の都合を良くするための)利益の付け替えがあったと言いはばからない。連結会計で、仮に親子間で利益が移動したとしても連結すればイコール(いや、もしも内部取引なら消去される)というのが世の常識と思っていた俺としては、非常にショックだった。
ただ、エントリにもあるように、トヨタの社長が創業家に「大政奉還」されたタイミングで余計な憶測を呼んでいるのも事実ではある。とはいうものの、余計な憶測に乗じあらぬ疑いをたとえトヨタといえども個別の企業に向け掛けることは、今の経済社会全体を暗く覆っている本当の問題から目をそらさせることになる。それこそ、「声の大きな者」の思うツボだ。
我々は、制度に関する最低限の理解をした上で、問題を直視することが改めて求められているということを、冒頭のエントリを通じ知るべきだろう。