日常

今年の年度末はこれまでになく仕事が重なり、2月上旬から平日も土日もないような日が続いていた。今日、一連の仕事の最後の1件を納品できたので、ようやく一息つけそうだ。4月も決して暇という訳ではないが、土日のどっちかは休めるだろう。

途中、急な寒気でガタガタ震えながら半日寝込んだり(発熱はなかったので自律神経がやられた?)、ここ2週間ほどはずっと二日酔いのような頭痛が続いたりしたが(これはストレス?)、身体がもってくれてよかった。

そんな中でも週一のランニングは続けることができた。疲れ切っていても走ることで頭がすっきりとリセットされるのが気持ちいいのと、今週も走れたということが小さな自信の積み重ねにもなった。

これまで、仕事が忙しいときはいつも、日常に戻ったらあれをしようとかあそこに行こうとか、そんなことを考えて気を紛らわせていたが、つい先日の土曜の朝、目覚めた布団の中でふと気づいた。

年齢的にも今の職場の状況的にも、来年以降も今年と同じようなあるいはそれ以上に忙しい年度末がやってくる可能性は高い。そうであるなら、これを日常としてその中で自分を見失わないやり方を見つけていくのが正解なのではないか。

そう気づいてから、疲れた切った身体の重さは変わらなくても、気持ちは格段に軽くなった。私のひそかな信条である「夫、三界は只心ひとつなり」はやっぱり真実だった。人生は心の持ちよう次第なのであった。

ところで、最近は通勤電車で串田孫一を読んでいる。内容はもちろんのこと、巧だけれど少しも嫌味のない文章にすっかりはまっている。

202402 野付半島 エゾシカ

 

 

Running Meditation

今年の9月後半から、週に少なくとも1度(もっぱら週末)、家の周囲を走っている。同じ年齢の友人が走り始めたと聞き、10年後に同じくらい健康でいたいと意識したのがきっかけだった。

長く続けることを目的にしているので、距離は2キロ程度、時間も30分以内である。この辺りは山の裾野といっていい場所なので、短いコースで上りと下りが経験できるのもよい。

少し慣れてきたせいだろうか、とにかく走り切ることに必死だった当初と比べて、走ることに穏やかに集中できていることに気付いた。まるで走りながら瞑想しているみたいだなあと思っていたら、そんな概念(Running Meditation)があることを知った。

走ることに単に体力や筋力を増加させる以上の効果があったことは、思いがけない収穫だった。

GIFT FROM THE SEA

1ヶ月ほど前、約20年ぶりにアン・モロウ・リンドバーグの「海からの贈物(吉田健一訳)」を手に取った。須賀敦子が著書の中でこの本について書いているのを読んで、ふと今また読んでみたくなったのがきっかけだった。

当時、名著と聞いて読んではみたものの、著者の思いが私の心の奥まで届くことはなかった(ただ、新潮文庫の表紙は気に入っていた)。それが、50代になった今、時間も空間も超えて心に残る言葉がちりばめられていることに気付いた。通勤の行き帰りの電車の中で繰り返し読み続けた。

 しかし私は何よりも先に、-こういう他の望みもやはりそこを目指しているという意味で、-私自身と調和した状態でいたい。(「ほら貝」より)

 しかし今日では、私たちは私たちの孤独の世界に自分の夢の花を咲かせる代わりに、そこを絶え間ない音楽やお喋りで埋めて、そして我々はそれを聞いてさえもいない。それはただそこにあって、空間を満たしているだけなのである。この騒音が止んでも、それに代わって聞こえてくる内的な音楽というものがなくて、私たちは今日、一人でいることをもう一度初めから覚えなおさなければならないのである。(「つめた貝」より)

 極く短い時間にわたる日の出貝の関係が、二人の間で実現できる凡てだったのかも知れないので、それならばそれは、そのこと自体が一つの目的であったのであり、もっと深い関係の基礎になる性質のものではなかったのである。(「日の出貝」より)

 それで我々は少なくとも中年になれば、本当に自分であることが許されるかも知れない。そしてそれはなんと大きな自由を我々に約束することだろう。(「牡蠣」より)

 しかし各個人がこうして完全に自分になり、自足した一つの世界になれば、男と女はそれだけお互いから離れることになるのを免れないのではないだろうか。確かに、成長するというのは分離することであるが、それは木の幹が育つに従って枝や葉に分れるのと同じことである。(「たこぶね」より)

 なぜなら、つまらないことだけでなくて、重要なことも我々の生活の邪魔をするからである。一つか二つの貝殻ならば意味があるのに、我々は宝ものを、-貝殻を持ち過ぎているという場合も生じる。(「幾つかの貝」より)

ところで、新潮社の「海からの贈物」は翻訳が素晴らしい。この翻訳でなければ、この本がここまで長い間、日本で読み継がれることはなかったのではないかと思う。原文で読んでみたような気もするが、私の英語力をもって原文で読んだときに、この感動を超えることがあるのだろうかと思うと躊躇してしまう。

カニクリームコロッケの思い出

カニクリームコロッケが好きだ。これは間違いのないことなのだが、初めて食べたカニクリームコロッケの衝撃が大き過ぎたせいか、それ以来、他の場所でカニクリームコロッケを食べられずにいる。

私が初めてカニクリームコロッケを食べたのは、中学二年になる前の春休みに一人で訪れた横浜の伯父の家だった。その頃に読んだ本の影響で、横浜~鎌倉に漠然とした憧れがあった。それを知ってか、母親が自分の兄に話をつけてくれたらしい。人生初めての一人旅だった。

伯父の家には2泊ほどさせてもらったように記憶している。伯父には息子、すなわち私のいとこが3人いた。最初の晩、伯母が大皿に積み上げたホカホカの俵型のコロッケを食卓に出してくれた。それが人生初のカニクリームコロッケだった。それまでコロッケはじゃがいも(これも好きだが)のものしか知らなかった私は、そのおいしさにびっくりした。が、まだ子供だった私は、その感動を顔に表すことも、ましてや言葉にして伝えることはできなかった。

家に戻ってから一度、母親にカニクリームコロッケを作ってほしいとを伝えたが、あんな大変なものと採用されなかった覚えがある。自分で料理をするような年頃になってから一度だけ作ろうとしたことがあったが、タネがうまくまとまらず失敗してしまった。それからカニクリームコロッケには手を出していない。そうしてますます伯母のカニクリームコロッケは私の中で特別なものになっていった。

伯母といとこたちに再会したのはそれから35年が経過した頃、伯父のお葬式でだった。お葬式の後、その日のうちに横浜を発つ必要がある私や姉が帰り支度をしていると、一番年齢の近いいとこが人懐っこそうに話しかけてきた。いとこは私が泊まりにきたことを覚えていて、自然と当時の話になった。あのとき伯母さんが作ってくれたカニクリームコロッケがおいしくて今でも覚えている、という話をすると、いとこは一瞬首を傾げてからこう言った。そうか…でもあれは、どこかで買ってきたものを家で揚げたものだと思う。そういってから、といっても、ちょっといいお店のものだと思うけどね、と付け加えた。

長年温めてきた思い出の種明かしは思っていたのとはちょっと違ったけれど、それでもあのカニクリームコロッケが今も私の中で一番であることに変わりはない。

欲を言えば、伯母さんが元気なうちにこっそりそのお店がどこなのかを聞いてみたい。

 

 

クロのこと

2009年に帰国することが決まってから、クロを日本へ連れて帰る準備を念入りに進めた。犬や猫を連れて帰る人は多いが、ウサギを連れて帰るという人はあまりいないらしい。インターネットで確認できる情報はほとんどなく、電話やメールで所定の機関や航空会社に必要な手続きや書類を問い合わせる必要があった。いかにもアメリカらしく、担当者によって回答が違うこともあったりしたが、なんとか準備を済ませて帰国当日を迎えた。帰国便のチェックイン直前になって、他のペットと一緒に貨物に載せなければならないと言われ(事前の確認では、座席の下に持ち込んでよいと言われていたのに)、かなり心配したが、なんとかクロは耐えてくれた。成田空港に着いてからは予定されていた通り、検疫のために丸一日(すなわち二泊)の係留を受ける必要があった。ただ、揺れない場所でしばらく過ごせることはクロにはよかったのではないかと思う。

こうして、ともかくもクロを無事連れて帰ることができた。

帰国してからは私がフルタイムで働き始めたことから、クロはケージの中で過ごすことが多くなった。そのせいもあったのかもしれない、あるときクロが脚を痙攣させていることがあることに気付いた。親にお願いして実家で面倒を見てもらうことにしたのは、2012年に帰省したときだったと思う(実家へ帰省するときは、いつもクロも一緒に新幹線に乗っていた)。親は思いのほかクロをかわいがってくれた。

そろそろクロが危ないと親から連絡を受けたのは2013年の3月、数ヶ月前からクロは体調を崩し、病院では多臓器不全と診断されていると聞いていた。金曜、仕事を終えた足で新幹線に乗り込んだ。数ヶ月ぶりに会ったクロはかなりやせた身体でケージの端にうずくまっていた。それでも、私が手を延ばすとヨロヨロと立ち上がり私の手を舐めてくれた。

私が戻った日曜の夜、まるで私が来るのを待ってくれていたかのようにクロは行ってしまった。

実家で過ごすクロ(2013年)

 

紅葉と登山

9月末を過ぎても忙しさにあまり変化はなく、そのまま年末に突入するというのがここ数年の流れだったが、なぜだか今年はこの時期にポコッと仕事の切れ目が現れた。そそくさと飛行機を予約して、この連休を使って念願だった紅葉の栗駒山へ行ってきた。

この夏の暑さのせいか紅葉はいつもより遅れていてまだ2~3割だったが、それでも青空の下、どこを見ても美しい景色の中を歩くのは気持ちがよかった。

やはり紅葉の登山はいい。安達太良山、月山、秋田駒ヶ岳一切経山八甲田山・・・東北には他にも紅葉が美しいと評判の山がいくつもある。来年からは秋ごとにそういう山を訪れることにしよう。

2023.10 栗駒山