中休み


しばらくぶりの更新です。誰も見ていない気がしないでもないですが。


前回のエントリの後、某国向けのとあるODA事業(研修員の受け入れ)のお手伝いをちょっとさせていただき、また修論の中間発表で死にかけ、年明けから就職活動…という日々を送っていました。就職活動は順調…とは程遠く、ヘコみまくりの毎日です。まぁ有名どころしか受けていない自分が悪いのかもしれませんが、でもやりたいことが大手でしかできないのだから仕方がない、と割り切っています。


ちなみに総裁人事で揺れる某中央銀行も一応受けてみようと思ったんですが(自分はリフレ支持なんですけどw)、事実上参加が必須な説明会に出れなかったり(参加必須という事実を知らなかったので…)、ESの「最近気になる金融・経済ニュース」欄に(リフレという言葉こそ使わなかったんですけども)「貴行はリフレ政策を採る必要があると思います」などと本音を書いてしまったりしたためかw、リクルーター等の連絡がきません。まぁ元々のスペック不足というのが一番の原因だと思われますが泣。


それにしても伊藤先生を拒否した民主党は何を考えてるのでしょうか。色々なブログで取り上げられておりますが、拒否理由があまりにも…。二大政党制に期待してた時期もありますが、今回の一件で当分は民主党に一票を投じることはなさそうです。就活でイライラ、テレビでニュース見てイライラと、勘弁してくれーといったカンジです、まぁ面接の時事ネタの一つにはなるかなぁと思ってはいます。


以上、就活とか時事問題とか色々含めた愚痴でしたw。

cafe tacuba来日ライブ@品川プリンスステラボール


ミクシーのカフェタクーバコミュで知り、一ヶ月以上前から楽しみにしてたカフェタクーバ初来日ライブに行ってきました。


ライブは、tiempo iberoamericanoというNPO法人の10周年記念イベントで、昼の部がTango Negro TrioとConcha Buika、夜の部がCabasとcafe tacuba*1という二部構成。自分は夜の部に行ってきました。場所は品川プリンスの中のステラボールという所で、ここでは中南米関係のアーティストのライブがよく行われてるみたいです(入場前に後ろの人達が話してるのを盗み聞きしました笑)。


開場時間ちょうどに着いたんですが、その時はまだ人がまばらで、大丈夫なのかという一抹の不安が過ぎりました(やっぱり大好きなバンドだし、満員のステージで演奏してもらいたいし)。ただ開演間際にはそこそこの入りになってて安心しました。


会場に入りすぐドリンクチケットをビールに買え、ビールをあっという間に空き瓶に変え笑、提供先のCMなどをぼんやりと見ていたらCabas登場。正直Cabasは良く知らなくて、ちょっと前にyou tubeで何曲か見た程度だったんですけど、そこそこ楽しめました。前列にいたので盛り上げなきゃという義務感もあり、年甲斐もなく飛び跳ねてました。しかしCabasは女性ファンが多かったですね。Que lindo!とかいう声もちらほら聞こえ、アイドル系のコンサートとかに行った事のない自分としてはある意味新鮮でした。


ちなみにCabasが歌った曲で覚えてるのは、





の三曲です。一番上のは確か二回演奏してました。


その後、ちょっと休憩した後にお待ちかねのcafe tacubaの登場。Cabasの時は前から二列目だったんですけど、前にいた家族四人組にお願いしてちょっと詰めてもらい、最前列に入れてもらいました。本当に申し訳ないなぁと思いつつ、でも日本でcafe tacuba見るのは最初で最後かもしれないので、ちょっと図々しいことをしちゃいました。頼みを聞いてくれたご家族、本当にありがとうございました。


一曲目に何を演奏するのかなぁと思っていたら、しょっぱなから知らない曲が笑。一応、「Re」、「Tiempo Transcurrido」、「MTV Unplugged」、「Un Viaje」などは持ってるので、代表曲の殆どは知ってると自負してたんですけど甘かったですね。最近出した新しいアルバムの曲だったのかもしれません。一曲目の後、日本語で「アリガト」というルーベンの姿が印象的でした。


その後の曲順は、興奮し過ぎていてちゃんと覚えてないんですけど笑、確か二曲目は"Eo"でした。



これを歌える日本人はいるのでしょうか笑。生で見るルーベン(ボーカル)のダンスは圧巻でした。しかも曲中、近くに来てくれた時に親指を立てたら返してくれました。これで自分のテンションが更にヒートアップ。


そこからも夢の様な時間が続きました。大好きな"Las Flores"を初めとして、"Mediodia"や"Ingrata"など、盛り上がる曲を何曲も演奏してくれました。ただ五人目のcafe tacubaと言われるAlejandro Floresさんは来日していないのか、バイオリンを生で聞けなかったのが残念でした。"Las Flores"は周りの人達には悪いなと思いつつも大声を張り上げて一緒に歌っちゃってました笑。





楽しい時間はあっという間に過ぎ、とうとう最後の曲に。最後だということを告げると客席から"No mames guey"(ふざけんなよ、おい!)という声が笑。そこでルーベンが、物事には何時か終わりが来る、でも大事なのは明日があることだ、という様なことを言い、最後の曲、"Dejate caer"へ。こういう詩的・哲学的なことを彼らはライブのMCで良く言いますが、それが結構好きだったので、生で聞けて幸せでした。



こうして、夢の様な品川の夜は更けていきました。

*1:最近は本家のカフェの方との権利関係でcafe tacvbaと表記するみたいですね。この辺の事情はスペイン語版のウィキペディアにちょっと書いてあります。

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新書で読む日本のODA


昨春の進学時に、院にいったら国際協力関係の勉強会を開こうと思っていました。と言うのもうちの国際協力コースはまだ出来てから日が浅く、学生主導の勉強会の様なものは皆無なので、今後のことを考えるとそういう文化みたいなものを作っておいた方が良いかなぁと思っていたわけです(って、こんなことをM1のペーペーがやらなければならないうちの大学って…)。指導教官にもある程度のレベルの所ではそういう文化はあるのが普通だ、とも言われましたし。まぁ潜在的な需要は自分らが学部の頃から確実にあったので、もしかすると自分の知らないところでこれまでもやられてたのかもしれませんが。


それで四月から勉強会を立ち上げ、前期は自分のゼミの後輩と一緒に、『マクロ開発経済学―対外援助の新潮流』というマクロな開発援助の理論に関する堅い本を読んでいました。その試みはそこそこ評判が良く(多分、と言うかそうであってほしい笑)、後期はもうちょっと対象を広げて広い意味での開発学入門みたいなものをやろうという話になりました。で、開発経済ゼミ以外の人も参加できる様な手軽さ、半期を通じた網羅性などを考慮して、自分がピックアップした七冊の新書から国際協力を考えてみようという多少無謀な読書会を今月の頭から開催しています。


まずは何から入ろうかとちょっと悩んだんですが、まぁ無難なところでODAから始めました。第一回目は『ODA(政府開発援助)―日本に何ができるか (中公新書)』、第二回目は『「ODA」再考 (PHP新書)』を取り上げました。一冊目の方はかなり定評のある本だし、日本の開発経済学の世界では誰もが知っている渡辺先生の共著本なので、ODAの入門書には最適でした。で、二冊目の本は一冊目で得た知識を使って読み込んでいこう、という意図があって選びました。


両者の違いを簡単に言ってしまえば、渡辺・三浦『ODA』は日本のODAに肯定的、古森『「ODA」再考』の方は批判的、となるのですが、読み比べてみたら立場的なもの以上に両者には大きな違いがあるなぁと思わされました。それはODAの捉え方という点です。


前者はODAの外交的(政治的)側面と開発的側面の両面に言及している一方で、後者は政治的側面しか見ていません。これは、開発経済学者の渡辺・三浦の両氏と政治記者である古森氏の違いなのかもしれませんが、二冊ともODAの全般を論じているわけですし、古森氏の様に開発的側面を無視するのはやはり宜しくないと思います。


開発的側面の無視という問題点は、例えば円借款の多さに隠された日本の経験(世銀からの借り入れで復興を果たした日本は、その経験から自律性という点を意識するようになり、ODAでも円借款を重要視した)などを見落としています。また援助効果などに関する批判は古森氏が見聞きした範囲内でのものであって、裏付けはないに等しかったりします*1。例えば批判の槍玉に挙げられているベトナムへの援助ですが、ベトナムに留学していた後輩曰く現地での日本のODAの評価はそれなりのものだとのこと。その後輩の証言もまた裏付けと言えるものではないのですが、古森氏と同じ手法(=自分の見聞きしたものの範囲内での断定)で全く違うことも言えちゃうということです。


勿論、古森氏の批判の中には適切だなぁと思われるものもあります。予算や官庁、ファンジビリティ問題などは、確かに今後のODA改革で議論される点になるとは思います。でもやはり開発的側面を見ていないのは大きいですよね。まぁ専門家向けの本ではなくて啓蒙書?だと言われればそれまでですが、(出版社こそ違えど)同じ新書と言う媒体で出ている渡辺・三浦本と比べると、ちょっと…という印象を持ちました。


と、何でこんな風に古森『「ODA」再考』批判を書いていると言うと、アマゾンなどではこの本が高評価を得ているからです。優良な書、とか書かれてあるのを見ると、ちょっと突っ込みたくなりますね。

*1:援助効果に関する研究は、上で触れた白井先生の本の中で幾つも紹介されています。

旅日記・2007年メキシコ旅行編(番外編)


本編はここまでですが、最後に番外編をいくつか。


<冷蔵庫>


サンフランシスコの、とてつもなくカンジの悪い入管に耐え、食料持込とセキュリティの「ランダムセレクション」に連続で引っかかり(統計学的にこの確率は有意なのでしょうか笑)、ANAの快適な空の旅を楽しみ、何とか我が家に到着したのですが、そこで問題が発生しました。メキシコ滞在中に東京を襲ったらしい台風のせいでブレーカーが落ちていて*1、電気系統が全てストップしていました。あーと思ったのも束の間、冷蔵庫方面から凄い匂いが…。


勿論、生ものや野菜などは全て処分していましたが、冷凍していたストック用のご飯や豚バラ、ひき肉、作り置きの餃子などが全て発酵していました…。それらを処分して庫内を掃除しても匂いが取れず、また何となく気持ち悪かったので、五年余り連れ添った冷蔵庫の買い替えを決意しました…。


<留学とかメキシコとか>


自分もお世話になったメキシコへの留学制度ですが、今年の応募から要件が変わり、学部生は応募できなくなったそうです。確かに院生or院進学希望者を除くと、授業すら出ない様な人がこれまでにも大勢いましたが、それでも学部のうちの貴重な留学のチャンスが消えるというのは、やはり残念なことです。


ただOBとして、残念がってるだけでなく、自責の念も抱くべきだとも思います。留学生同士あまり干渉するのもどうかと思いますが、とても「留学」しに来ているとはいえない人達をのさばらせてきたのは自分を含む多くのOBなのですから。


あまりこういうところで書くべきではないかもしれませんが、何でも去年は帰国命令まで出された人がいるとかいないとか…。自分たちの代でも、メキシコの奨学金をもらって他国の語学学校に行こうとしていた人達がいましたが、そういうことが何を意味しているのか、しっかりと考えるべきですよね。一応お国のお金をもらってるわけですから。ちなみに学部生でダラける人がいるということを書きましたが、社会人枠で来てる人も大差ないので、学部生にだけ規制をかけるのはちょっとおかしいのでは、とも思っています。


またこれと関連して、どうも「メキシコだから許される」と思って傍若無人に振舞う人もいるという話も聞きました。例えば家を探しているときに、数週間お試しで住んでみて、やっぱり合わなかったからと言って違うところに移る、しかも数週間分の家賃は払わない、というケースを耳にしました。こんなことは日本ではまず許されないと思うのですが、それをメキシコでやってしまう。ご本人がどう思ってこんなことをしたのかは知り得ませんが、もしも「メキシコだから大丈夫」と思ってやったのだとしたら、ふざけるな、と言いたいです。


以上、本編のどこかに入れようと思ってはいたけれど出来なかった小話でした笑。

*1:後に屋上に取り付けてあるエアコンの室外機の部品の一部から漏電していたことが判明。

旅日記・2007年メキシコ旅行編10:entre nosotros


アカプルコからメキシコシティの南バスターミナルへと戻り、帰宅ラッシュでごった返すトラルパンを横目に友人宅へ。静かな住宅地のためか友人宅は地図に詳しく載っておらず、見覚えのある所でタクシーを降り、近所の方々に聞きながら何とか到着しました。


留学が始まった頃はスペイン語力が乏しく、文法しか取り柄がなかったので、道端で気軽に誰かに道を聞くことすら恥ずかしがっていた(怖がっていた)と記憶していますが、留学期間を通じて徐々に「その辺の人に道を聞く」というメキシコで暮らす上で重要なスキルを身に着けていきました。今では「取りあえず聞いておこう」という精神が育ってしまいました(良いんだか悪いんだか、というカンジがしなくもないのですが笑)。


友人宅でいつもの様に夕食をご馳走になり、明朝のタクシーの手配もしてもらい、更には食後のデザートまで、と、毎度のことながら至れり尽くせりでした。ちょっと感傷に浸りそうな自分を抑えつつ、三時起きの翌日に備えてこの日は日付が変わる前に就寝。


翌日、まだまだ暗い中を一人で起き出したらすでに家の中には灯りが点っていました。友人一家のお母さんが早めに起きてお湯を沸かし、また「お弁当」を作っていてくれて…。スーツケースの中身を整理する振りをしながら、必死に堪えていました。その後起きてきた友人と三人でお茶を飲み、タクシーの時間まで他愛のない話をしてるうちにタクシーがやってきました。


荷物を積み、友人一家との別れの時がついにやってきました。二年ぶりの訪問を快く受け入れてくれ、温かく迎えてくれた彼ら。別れのabrazo(抱擁)にこもっていた力に、色々な思いを感じてしまいました。「ちゃんと空港に着いたら電話しなさい」という、親から言われている様な一言も、胸に響きました。


タクシー乗車後は、「空港まで?」という問いかけに「はい、国際線ターミナルまで」と最初に答えてから、ずっと押し黙っていました。アステカスタジアムからディビシオン・デル・ノルテを通って空港まで向かう道すがらは昼間の喧騒からは想像できないほど静かで、夜の帳の中で陽気に集うタコス屋の客を見ながら、友人一家やその他多くの人のことを思い出しながらひっそりと涙を流していました。


大幅に遅れて始まったチェックインを無事終え、ビザ云々と英語で怒鳴り散らしている中国人女性を尻目に、搭乗ゲートへ。途中友人の母から電話をもらい、最後の挨拶をして、機内へ。


いつものことながら、飛行機の機内から眺める風景は何故か感情を揺さぶる様な気がします。法的には(多分)出国手続きをしたらもう出国したことになるのでしょうが、飛行機の場合は、乗った瞬間、扉が閉められた瞬間、離陸の瞬間と、「別れ」を感じさせる多くの瞬間があり、その度に色々なことを考えてしまいます。各々の瞬間に、自分の心の中にあるメキシコと言う国の存在をひしひしと感じていました。


今回の旅を通じ、自分は何故メキシコが好きなのか、ということをぼんやりと考えていました。サッカー少年だった幼少期から中南米は身近な存在だったこと、そんな中南米の国々に蔓延る貧困問題に心を痛めたこと、大学でスペイン語を学んで中南米の貧困問題に取り組みたいと思ったこと、メキシコには国費の留学制度があったこと、留学中に得た色々な経験が大きな糧となっていること、など、様々なことを思い出していました。


でも結局思ったのは、恐らくは確固とした理由などなく、多くの偶然が重なって、メキシコへの愛着が生まれたのだと思います。こう書いてしまうとテキトーだなと思われてしまいそうですが、asi es la vida、それが人生と言うものなのでしょう。そして、そういった偶然の重なりが、人と人との絆のようなものを紡いでいくのではないでしょうか。


太平洋を挟んだ向こう側の国や、そこに暮らす人々と、自分。その間にあるのは、一見脆い様に見える様々な偶然の積み重なりが生んだ、確かな繋がり。そんなものを、今回のメキシコ旅行で確認できたのでは、と思っています。

旅日記・2007年メキシコ旅行編9:vacaciones


タスコからアカプルコへ。


タスコは豪雨で肌寒かったので上着を着ていたのですが*1アカプルコはやはり熱帯でした笑。着いてバスから降りた瞬間にタンクトップ一枚になりたい衝動に駆られるぐらい、九月でもアカプルコは暑かったです。


アカプルコは最終目的地だったのでまずは翌日のバスチケットを買うことにしました。アカプルコにはバスターミナルが二つあり、某ガイドブックの地図ではそれほど離れていない様に思えたので歩いていくことにしたのですが、周りの人達に道を聞くと「とても歩いてはいけないよ」とのこと。とは言えターミナル付近のタクシーはちょっと高めだったので、しばらく歩いて足が痛くなってからタクシーを拾い、もう一つのターミナルへと向かい、チケットの値段と予約状況を確認してから海岸沿いへ。旅行の予定が一日縮まったために財布にゆとりができたので、この日は安いソカロ周辺のホテルではなく海岸沿いのホテルに投宿しました。ヨーロッパの某都市の名前を冠したホテルは元々良心的な値段なのに、地図付きのガイドブック持参だと更に割引してくれるとのこと。両替し忘れていたためにレートが悪いドルで払ったのが悔やまれますが、それでも思いのほか安く泊まれました。ホテルのレベルも、値段の割にはまぁまぁと言ったところでした。


その後しばし休んでからビーチへ。日本ではあまり海に行ったりしないので、ビーチは留学時代の南部旅行で行ったベラクルス以来です。アカプルコは、かつてはアメリカなどの海外の富裕層がバカンスで訪れていたのですが、近年はその地位をカンクンに奪われ、一般のメキシコ人の国内でのバカンス先になっているとのこと。確かに時期的なものもあってかあまり旅行客で賑わっているカンジではなく、地元の人の姿が多かったです。ただ、カンクンの欧米化に馴染めなかった自分としてはアカプルコの方が肌に合っていました。


ビーチで観光地ビール(=通常の倍ぐらいの値段)を煽ってから市街観光へと向かいました。友人で支倉常長の研究をしている子がいるので、その子のためにガイドブックに載っていた支倉常長上陸記念碑を探しに新市街の方へと向かったのですが、一向に見つからず、更には歩き過ぎたために両足に大きな水泡を作ってしまいました。この水泡の後は一ヶ月経った今でも残っています笑。目的地には辿り着けなかったものの、記念碑を探しながら街の様子をゆっくり見ることができました。


一旦ホテルへと戻り、久々にメキシコの午後のワイドショーを見てから笑*2、再び街へ。この日はメキシコ対ブラジルのサッカーの親善試合があり、街歩きの途中で見つけた現地の人用っぽいサッカーバーで観戦することにしました。アカプルコっ子でごった返す中に一人で入店した自分は明らかに浮いていましたが、ビールを頼んだ後に周りの人とジオバンニ・ドス・サントスバルセロナ)は出るのかとか、マルケスバルセロナ)は本当は来たくなかったとか、そんな話をしているうちに打ち解けてました。中でも「メキシコで好きな選手は?」と聞かれ、「うーん、オチョア、ハイメ・ロッサーノ、ジオバンニとか、でももっといるよ」と返したら、「何だこいつ、メキシコ人かよ」と言われました笑。


試合はメキシコが先制したものの、その後逆転され、親善試合にもかかわらずメキシコが同点に追いつこうという攻めの姿勢を見せたところブラジルのカウンターにあい、三対一で敗れてしまいました。個人的にはこの試合は日本代表にとって、格上の相手とどう戦うべきかという点で非常に参考になる試合だったと思いますが、詳細は覚えていないので割愛します笑。


試合の最中、一本10ペソという格安の値段でビールを提供しているにもかかわらずつまみ(ポップコーン)をせっせと運んできてくれる店主には感動しました。また周りの客も持ち込んだ(笑)つまみをみんなで分け合っていて、珍しかったのか自分にも分け与えてくれました。こういう連帯感って良いですね。しかもこういう状況に旅先で偶然出会うというのはかなり嬉しいものです。そんなこんなで、ビーチでは二本しか飲めない値段で五本近くのビールを飲み、勘定を払ってまた街歩きへと向かいました。


夜のアカプルコは思ってたよりも危なくなく(旧市街の方はどうか分かりませんが)、適当に腹ごしらえをしてホテルへ戻りました。テレビをつけると「アモーレス・ペロス」が放送されていて、それを見ながらウトウトしていたらいつの間にか寝ていました。


翌日は昼過ぎのバスでメキシコシティへと帰る予定だったので、午前中はビーチで買カウチに寝そべりながら近くの店のボーイとバカ話をして*3、久し振りに何も考えずにボーっとしてました。こういう時間は日本に居ると中々取れないので、ほんの二時間くらいでしたが良いリフレッシュになりました。


その後ホテルを出てターミナルへ行き、サッカー観戦という金のかからない夜遊びのおかげで引き続き余裕のあった財布の状況を見てEstrella de oro社のデラックス(バスで一番上のクラス)のチケットを購入して、一路メキシコシティへ。途中エアコンが故障したりとデラックスらしからぬアクシデントに見舞われましたが、無事到着し、荷物を置かせてもらっている友人宅へ。旅の終わりはもう目前に迫ってきていました。

*1:メキシコ・のバス旅行の豆知識ですが、メキシコのバスは大抵これでもかと言うぐらい冷房をかけるので、バスの中にも上着を持ち込む方が良いと思います。

*2:この時は、歌手のベリンダの犬の名前がputita(娼婦ちゃん)だとか、RBDというグループのメンバーがドラックの常習者だとか、まぁ洋の東西を問わない様なネタを各局放送していました笑。

*3:Mira, cual te gusta mas, la chica o la mama?とか、その手の話題です笑。

旅日記・2007年メキシコ旅行編8:a la playa


翌日は大学には行かず、朝から乗り方を覚えたメトロブスを使ってソナロサへ。日本にいる時にネットで探してたReikのSecuenciaやManaのMtv Unpluggedを買い、旅行用にチェックを現金化し、小さなカフェでくつろぎました。シティでまったりできるのはこの日が最後だったのですが、留学時はそれほど好きではなかったソナロサも久々に来ると悪くはないな、と思えました。レフォルマ通りでセグウェイ試乗会?をしてて、それに参加できなかったのが心残りですが笑。


昼過ぎに最後まで嫌なカンジな使用人にしぶしぶタクシーを頼み、ホテルを出て数日前に尋ねた友人宅(=二軒目の大家宅)へ。初めからここにお世話になっても良かったのですが、行動計画が定まっていなかったりしたので何となく迷惑をかけそうな気がして、遠慮していました。でも遠慮するなというご好意に甘え、旅行に出発するこの日はスーツケースをこの友人宅に置かせてもらい、旅行から戻ってくる帰国前日もそのまま朝まで泊めてもらう、という図々しいお願いをしました。


友人宅へ着き、コーラを一杯いただき、さぁ旅行に出かけようかな、と思った時、友人のお母さんが「これを持っていきなさい」と言ってトルタとリンゴと水を渡してくれました。実家を出てからもらったことのない、久々の「お弁当」です。友人宅からバスターミナル行きのバスが出てる通りまでの道すがら、口数が少なかったのは嬉しくてまた涙腺が崩壊しそうになっていたからです。


ターミナルに着き、一番早いタスコ行きのバスのチケットを買い、さっきもらったトルタを食べました。留学中も今回の旅でも、嫌なことは結構あってちょっとヘコんだりもしましたが、やはりこういう人の温もりに触れると生きる活力がみなぎってきます。バスの中で食べろと言われたお弁当は、バスに乗る前に食べ終えてしまいました。


タスコまではEstrella Blancaグループのバスで行きました(名前失念)。競合会社が多い所はやはり競争があるためか、そこそこのサービスが付いてきて良いですね。最後に乗ったEstrella de oroも良かったです。


タスコは、言わばトランジットの様な気持ちで訪れました。本来の目的地はアカプルコだったのですが、時間のことなどを考えて、一晩タスコに泊まってから行くことにしました。なので、正直あまり期待していなかったのですが笑、コロニアルな雰囲気が街の至る所から出てるタスコは中々良かったです。半日しか居れなかったので全然見て回れなかったのですが、今度はゆっくり滞在したいなぁと思わせる街でした。


翌日の早朝は豪雨が屋根を叩く音で目が覚めました。バスの時間が早かったのでちょうど良かったのですが、起きてシャワーを浴びようと思ったら一向にお湯が出てこない…。タスコのあるゲレーロ州はメキシコの中でも貧しい州の一つなので、こういうインフラの状況はあまり良くないのかもしれません(推測ですが)。仕方がないのでシャワーをあきらめ、ターミナルでマルチャン(メキシコで一番有名なカップヌードル)を食べて体を温め、当初の目的地であるアカプルコへと向かいました。