東京転勤

ほぼ間違いないと思うので…。

9年間の大阪生活に終止符。
1月に東京異動の内示をもらいました。
 
11月に母が脳梗塞で倒れ、入院しています。
しばらく看病しっぱなしだったのですが、会社に無理をお願いし東京に戻してもらえることになりました。
たくさんの皆様にお世話になり、大阪にも愛着はありますが、正月明けには東京に戻ります。
 
子供達は3学期まで大阪に残る予定です。
バタバタとした状況になりますが、よろしくお願いいたします。

ヴェ○ディ嫌いの原点について

えーと、嫌いです。すごく^^;
理由は、・・・ちょっと長くなりますが、どうぞお許しください(笑)
 
1993年のJリーグ元年より少し前。
私が住んでいた調布市には、プロサッカーチームの誘致活動を行う団体がありました。まだスタジアムの確保もできていない状況でしたが、スタジアム建設の条件には母体となるプロサッカークラブが必要で、そのために「プロサッカーチームを調布に誘致する会」という団体が、調布との関わりのあった三菱、そして読売のいずれかを招致してホームタウンの母体にすべく活動していました。しかし、三菱はすでに浦和市への誘致が決定しており、読売もスタジアム建設がJリーグ元年に間に合わないという理由を含んで川崎市の誘致を受けることが決まりました。当時学生だった私も市役所前や調布駅前でのビラ配りに参加しましたが、動きとして遅すぎたという感は否めませんでした。ここで、調布市のスタジアム建設の夢は一度絶たれました。
 
93年にJリーグが開幕して暫くしてから、今度は調布市青年会議所が中心になって「東京にプロサッカーチームをつくる会」を立ち上げました。当時、東京都サッカー協会で最上位のカテゴリーに所属していたのが東京ガスで、調布市東京ガスを母体として誘致する方向で再び動きはじめました。スタジアム建設の機運が再燃です。地元として盛り上がらないわけがありません。一度は東京ガスから時期尚早として断られたとのことですが、両者の関係は時間をかけて築き上げられていきました。
 
95年、「武蔵野の森競技場基本計画」が発表され、通称関東村跡地に第三セクター方式でスタジアムが建設されることが決まりました。事態は大きく動きはじめます。調布市の「東京にプロサッカーチームをつくる会」と東京ガスの話を知っていたので、新スタジアムには当然に東京ガスが来るものだろうと思っていたのですが、状況はやや複雑な様相に。先の「プロサッカーチームを調布に誘致する会」が読売の誘致をあきらめておらず、ヴェルディ川崎へ移転の働きかけを行っていたという状況。市民としても「え?なにそれ」みたいな。
Jリーグ規約では「ホームタウンの変更は原則禁止」をうたっており、また個人的にも一度は簡単に断って我々の夢を壊しておいて、スタジアムができるならやっぱり東京に移転したいというような都合のいい話でやってくることが決して許しがたかった。何より、川渕さんとナベツネの確執問題のイメージも悪すぎた。調布市民には明らかなヴェルディアレルギーが生まれていたと思う。サッカー好きな調布市民なら誰もがそれを感じていたはず。
また、それ以降でもヴェルディが市内で広報活動をしているところなんててんで見たことがなかったし、まるで「スタジアムが出来たら、それを貸してさえくれればいいですよ」と言わんばかり。結果としてヴェルディは2001年の東京スタジアム完成とともに東京へ移転してきたのだけど、もうこの時点ではその経緯の全て許せなかった。
 
私自身、東京ガスの試合を初めて見たのは98年からで、本格的にチームを応援し始めたのもそこから。東京ガスについては94年や97年の天皇杯躍進を知っていたものの、Jリーグに上がれるかどうかなんて全く未知の状況ではあったから、スタジアム建設問題やこういったヴェルディのゴタゴタを目の当たりにしていたことで、東京ガスの応援というよりもむしろ「ヴェルディだけは絶対に応援したくない。東京移転は絶対に認めない」という反骨心だけを強く持っている状態でした。Jリーグじゃないけれど、東京ガスがんばれ!みたいな。
しかし、97年に東京ガスJリーグ参入を目指すことが発表されてからは言わずもがな。この反骨のエネルギーが爆発することになります(笑)
 
比較してみれば小さなクラブと日本一のビッグクラブ。だけど、今に見ていろと。絶対に「東京」ヴェルディなんて認めないぞと。東京都初のプロサッカークラブはこっちだぞと。1969?こちとら1935年創部だぞと。そんな感じです。
 
こんなところで(笑)

※インタビューズに書いたエントリーを、サービス停止に伴い転載。

ドロハン化

カンターレのフラットバーをドロップハンドルにしました!(・∀・)

Befor

After

バーテープは、チネリのカレイドリボンというのを使ってみました。
 
カレイド(万華鏡)の名の通り、近くで見るとドットの穴からカラフルな裏地がチラリ。でも、遠目からは普通の黒いバーテープしにか見えないです(笑)
 
 
おまけ。2020東京五輪招致を応援していますシール。

レーザーテールライト

カンターレに新装備を取り付けました。
その名も「激光安全尾灯」!!

中国製のレーザーテールライトです。amazonで送料込1500円くらいでした。
 
これがどんな感じになるかというと・・・
 
シートポストに取り付けると、こんな感じに光ります。自分で自転車専用レーンを作ることができる優れもの!(ただし、走行中はかなり注目を浴びますw)
テールライトだけを点灯して、通常の尾灯としても使えます。点滅は5種類。
逆にレーザーだけを点けることも可能。(単4電池2本だけで点いているので、電池は長く持たないのではないかと思ってます。なので、別のテールライトと併用して使っていきたいとおもいます。)
 
レーザーは2本出ていますが、実際には左側走行する上では右側のレーザーだけで十分なので、左側のレーザーはビニールテープで隠してしまいました。実際に試してみましたが、いい感じです。
amazonで検索すると、横型と縦型の商品がヒットするんですが、カンターレにはサドルバッグを取り付けているので横型をチョイス。心配していたサドルバッグとの干渉もありませんでした。
 
街中を走ってきた感想ですが、後続の自動車が明らかに大きく避けてくれるのがわかります。自分の身の安全を守りながら、ひっそりと自転車のキープレフトを啓蒙していきたいと思います^^;

自転車、GIOS CANTAREを買いました!

ARA2012-11-27

クロスバイクが欲しい!よし、買うぞ!と思いたち、自転車選びを開始しました。
ロードバイクに興味はあるけれども、ドロップハンドルには多少の抵抗がある。そう思ってクロスバイクを中心にいろいろと物色していたのですが、知り合いの方から「フラットバーロードにしたら?」とのアドバイスをいただきました。
フラットバーロードとは、その名の通り、ロードバイクのドロップハンドルをフラットなハンドルにした自転車で、基本はハンドルとシフターを除くほとんどの部分がロードバイクの部品を使ったもの。クロスバイクよりも車重が軽く、高速走行に向いているそうだ。反面、クロスバイクは路面状態をそれほど苦にしない。
悩んだ結果、このフラットバーロードというジャンルで行こう!と決めました。
 
そして購入したのが、GIOSのCANTARE(カンターレ)というモデル。
近所のショップで2012年モデルをとても安く紹介してもらったのです。

ジャーン!(11/2、納車当日)

型式:GIOS CANTARE 2012
フレーム/アルミ、フォーク/カーボン、重量/9.5kg

 
GIOSブルーが美しい!
…が、しかしこのままでは、まるでガンバ大阪カラーなので(笑)、FC東京(青赤)のアクセントをつけるべく、さっそくですが少しずつ改良しています。
 

まずは、ブレーキシュー(ブルー)。そして専用ブレーキパッド(レッド)。
ACOR ABS-21202(ブルー)ACOR ABS-21203(レッド)
 

続いては、シートクランプ(レッド)。
KCNC シートクランプ
 
 
 
ブルーのヘッドキャップの下に、2mmのスペーサー(レッド)。さらに、5mmの青赤のスペーサーを装着。一気にトーキョーっぽくなってきました。
ポッププロダクツ ヘッドキャップ(ブルー)
スペーサーは、中古屋のサイクリーで1個105円。
 

それと、地味ですがボトルケージボルトをレッドに。
1本80円を4本。
 
その他の変更点。
 
バーエンドバーをコンフォートグリップ+アルミのやつに変更。
ERGON GC2-L グリップ青
 

サドル。以前に使っていたスポーツアラーの色違いをチョイス。これは本当にお尻が痛くなりません^^
スポーツアラー FLX MAN GEL FLOW

ライトは、暗闇でも非常に明るいと評判のコレ。
GENTOS スーパーファイア 123XB
サイクルコンピュータは、デザインで選びました。
CATEYE CC-PD100W