社会はネットを受け容れたのか

凄い久しぶりの投稿。
実に、3年半ぶりですね。自分でもブログの存在を忘れていたぐらいです。この間、自分自身にはわかりやすい変化は起きていませんが、それなりに変わってはいると思います。

それでは社会は変わったのでしょうか?
まあ、あまり変わってないかもしれません。インターネットが当たり前になってきた感じは今ひとつですし、旧来メディアもまだしぶとく生き残っていますね。自分自身としてはあまり体感がないですが、スマートフォンしかもってないネット利用者の割合はかなり高まってきたようで、スマートフォンからのアクセスがPCのそれを追い越す(した?)勢いです。この辺、PC世代にはいまいちピンとこないところではありますが。

さて、ネットメディアはどうか。
スマートニュースやらグノシーやらが騒がれていますが、こちらもいまいち。ハフィントン・ポストも目立っていません。LINEの隆盛からLINEニュースというのもあるらしいですが、単体では全く話題にならないですね。寧ろネイバーまとめがしぶとく人気を維持している感があります。

社会全体としても、まだまだネットがあることを前提とした議論は道半ば。ネットが社会を混乱させていると捉えたい人がまだまだ多い。この速度を早めることは無理なのかもしれませんが、逆に止めるのも無理でしょう。汽車や自動車や電話やテレビが出た時にも同じようなアレルギーはあったはずですが、それぞれ「当たり前」の存在になるまでどれくらいの年月を要したことでしょう。早くネットが当たり前の世の中を皆が認めて、次のステップに移ることを期待してやみません。

2010年という年

2010年は実に特筆に値する年でした。

  • iPhone4の発売とその普及

これにより、「モバイルからネットをする」ということに対して違和感がなくなり、ネットの利用スタイルに変化が起こった。また、日本メーカーがスマートフォンを迅速に発売できないことについて「ガラパゴス現象」と自嘲気味に語られた。

  • 米国初のサービスの普及

IPによる言語の出し分けによってサービスが日本語で提供されたことにより、ユーザー層を一気に拡大させた。twitter,YouTube,Groupon,Facebook,iTune,etc.

  • グリー対モバゲー

著作権侵害訴訟合戦、CM合戦、人材引抜き合戦、公取独禁合戦。


何か、国内で内輪もめをしている間に、どんどん米国勢に浸食されていった気がしますね。もっとも、ターゲット層が中より上と、中より下で棲み分けられているようにも思いますが。。どうせなら上を狙った社会的意義の高いサービスで利益を上げてもらいたいものです。

(以下、後日書きます)

あれも米グーグル傘下のYouTubeでした。

街場のメディア論

これを読んだとき古館一郎さんの顔しか浮かばなかったのですが、今となってはWBS以外、どのニュース番組でも大なり小なり同じようなリアクションをとっている気がします。

(ジャーナリストとしての)おのれの無知や無能を言い立てて、まず「免責特権」を確保し、その上で、「被害者」の立場から、出来事について勝手なコメントをする。この「被害者面」が目につくようになったのはここ数年です。

ただ、古館さんがこういうやり方をし続けるというのは、それを支持する人たちがかなり多いということでしょうから、そういう人たちの意見も是非聞いてみたいと思います。どこにいけば会えるのだろう。。とりあえず両親にでもインタビューしてみるか。

街場のメディア論 (光文社新書)

街場のメディア論 (光文社新書)

ブログへの回帰

ここ1年半ぐらい、ブログをやめて、ツイッターだけにするブロガーが幾人かいました。その二つはそれぞれ違う利点があるので直接的には競合しないのですが、可処分時間の競合はあるわけで、ある程度致し方ないことだと思います。しかし、やはりきちんと説明しなければならないことはブログである必要がありますし、物事を書きながら整理すること、後で丁寧に見返すことができる点など、ブログの利点が改めてわかってきたような気がします。来年はブログへの回帰という潮流が、一定レベル以上の人にはおこるのではないかと思います。

一人ひとりの戦場

前回も少し触れましたが、最近、私の関連することでも、中国や韓国の人との仕事が増えてきました。先方のそれなりの人は英語ができるので、私が同じくらいできればかなりの意思疎通ができるのですが、私はまだまだ通訳を頼ってしまいます。ただ、言葉の壁さえなければ、私の分野においてはかなり渡り合える自信もあるので、今は英語に力を入れ始めているところです。人間、必要に迫られてやっとがんばるのだと改めて思う今日この頃です。

でも、私のような立場にいる人間は、闘う義務があるとさえ最近感じます。市井の人間にそういう気にさせるほど、政府レベルだけでなく民間セクターにおいても、個々の闘いで日本は圧されている実感があります。三顧の礼で迎えてくれる会社があれば言うことはないですが、たとえそういう場に迎えてもらえなくても、個人個人ががんばっていかざるを得ないのではないでしょうか。その積み重ねが、国家を一流に回帰させることにつながると思います。

対海外ネット事業者戦

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101220-00000002-jct-sci

アップルは、アップストアで取り扱うアプリに厳しい審査を行うと言われる。一定のガイドラインは明らかにされているが、審査過程までは公開されておらず、具体的な理由が告げられずに「不採用」となるアプリも少なくない。特に「わいせつ」の基準には厳格なようで、2010年2月には既にアップストアで配信されていたにもかかわらず、「お色気系」アプリが大量に削除されたこともあった。一方で今回、著作権無視の海賊版アプリがどうして審査に引っかからなかったのかは疑問だ。

対グーグルといい、対アップルといい、対タオバオといい、対ヨークといい、日本の被権利侵害者側は後手後手に廻っていますね。もう少し戦略と戦術を磨かないと列強の草刈り場になるでしょう。というか、なっていますね。。。

仕事の種別

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/touch/20101218

1.成長の仕事
2.支援の仕事
3.維持の仕事
4.再生の仕事

日本が閉塞感に包まれているいま、この事を考えずにはいられません。個人として適性が何処にあるかと共に、不足しているセクターに助力せねばならないという社会的最適化を考えます。成長の手助けにいたのですが、自ら成長主体にならねばと思う、今日この頃です。