生存報告@東北太平洋沖地震

とりあえず今しがた帰宅したので、こちらにも生存報告をば。
家の状態が心配だったけど特段変わりなく、ほっと一息。

ざっと情報眺めてみたら

国内過去最大級とか、
北太平洋側の津波とか、
福島の原発とか……

自分の周りも含めて暫くは落ち着きそうにないなこりゃあ……

『駄目なニセ科学批判批判』に対するコミットが有する意味

ふと気付けば前回のエントリからおよそ2ヶ月ががが……
継続的かつ活発にニセ科学観測と紹介、批判をされている方々には本当に頭が下がります。


さて、今回のエントリを書くに至った経緯を説明する為に、まずは地下猫さん*1ことtikani_nemuru_Mさんの渾身の*2エントリをご紹介。


ニセ科学でヒトは死ぬ - 地下生活者の手遊び


未見の方は是非読んで欲しいと思います。*3
ニセ科学の問題点と、その問題点に照らした時にメタなニセ科学批判批判が有する価値(持ってないけど)について、非常に分かりやすく示されていますので。


さて、そんな素晴らしく分かりやすい地下猫さんのエントリなのですが、悲しいかな一定数の駄目な読解や曲解や誤解は何に対しても発生してしまうようです。
上記エントリのはてブにも「ニセ科学批判批判でも死なないからどっちも大して変わらない」のような*4コメントが付いていました。


で、今回の私のエントリはそれ以上に駄目な読解をされているblupyという方のエントリ「仲間うちに甘い」ことを実証する困った人たち(2/24 23時頃 追記あり) - blupyの日記で行なわれている議論の続きです。
何故こちらに移動したかを説明しておきますと、コメント欄で続けると地下猫さんやYAOsanさん(blupyさんの所のコメント欄では敬称略してしまい失礼しました)の議論と錯綜する可能性を危惧したからです。
blupyさんの不遜なご要望に従った訳では一切有りませんので、blupyさんにおかれましては誤解のないようお願い致します。




では本題。
以下は全てblupyさん宛てです。


まずは、私のブコメに対する言及が消えた件に関する経緯の説明と、該当部分の復元をどうも。


といいたい所ですが、『同じような主張を復活しました』?
私がコメントで引用している質問部分まで書き換わっているのはどういう事なんでしょうか?
元文が参照できるのに元文のままにしなかった理由はなんですか?


続いてはエントリ追記部分に関して。

■馬鹿か、3人の引用がなければ話は別だが。■

元の地下猫さんのエントリですが、3人のエントリ内容の引用はゼロです。
あれは『言及内容が実態が有る物に即したものである事を示す為の例示』であり、『反論する為の引用』とは異なる*5のですね。
例示した3件のエントリの具体的な内容が駄目である事を論じるのがエントリの意図ではなく、主題は他に有る訳です。(後述)

■私のエントリの内容が事実でない、というなら具体的に指摘してほしいね。疑似科学批判で人が助かるとは言えない、という意味だが。■

これが向けられた私のブコメは以下のものです。

A_lie_sun 地下猫さんのかのエントリは反論ではなく啓蒙。それが読み取れてないから『ニセ科学で人は死ぬ』という『事実』を起点とした話を藁人形論法だ等と的外れな事を言ってしまう。/反論の前に啓蒙を辞書で引くべき。 2009/02/24

この文章のどこに、『このエントリが事実でない』と書いてあるのでしょうか?
是非、説明をお願いします。先に言っておきますと『的外れ』と『事実ではない』は明確に異なります。
それと、上記ブコメは最後の一文が当初付けたブコメと変わっています*6が、文意は変わってません。

■事実を起点にしてれば藁人形でないって?■

以降が分かりやすいように啓蒙の意味を先に提示しておきますね。

  • 【啓蒙:人々に新しい知識を与え、教え導くこと。】



で、私のブコメが意味する所はこうです。

  • 『かの地下猫さんのエントリは事実を起点とした啓蒙話である』



詳細に説明しますと、かのエントリは『ニセ科学批判批判*7』を行う人に対して、

  1. ニセ科学で人が死ぬ』という現実。(実例で示されてますね)
  2. 1の現実に照らして『ニセ科学批判批判』を見た時、それがどういう意味を持つのか。

を提示して(=新しい知識を与えて)いるものだという事です。
大雑把に言えば『お前らがやってる事の意味はこうだが、分かってやってんのか?』という事です(実際はこのような根拠無き強弁とはレベルが違う内容です)。

■彼の議論のも、私のも、誰も反対してない内容について、誰がに反論するがごとく主張している点で藁人形なんだよ。■

上で説明したように、地下猫さんのエントリが誰かに対する反論、すなわち『その批判の「内容」が妥当ではないとする反対意見』と読み取るのは不適切です。
従って、そもそも反論を行っていない地下猫さんが架空の反論対象を作り上げる必要は有りません。
もし【ニセ科学で人が死ぬという現実がウソ=藁人形】だと言うのであれば、それは反論対象のある藁人形論法ではなく、発話者の虚偽もしくは誤認識になります*8


地下猫さんとblupyさんのエントリや発言を見比べた時、藁人形が見つかるのはblupyさんの方だけです。
もしこれが理解できないのならば、【blupyさんの藁人形の定義が間違っているか、地下猫さんのエントリを理解できていないか】しか理由は有りません。

■いったい誰がニセ科学によって人が死なない、といっているんだ?
誰がニセ科学の主張内容が間違っているといってるんだ?■

この部分ついては先にも触れましたが、既述復活前の質問『で、いったい誰を啓蒙しようとしてんだ?』を消して、『誰がニセ科学の主張内容が間違っているといっているんだ?』を加えた理由の説明をお願いします。


前のコメントで『>いったい誰がニセ科学で人が死なない、ていってんだね?』については「誰も言ってない」と答えましたね。
この質問が出るのはblupyさんの中に『「ニセ科学批判批判者がニセ科学で人は死なないと言っている」と主張しているニセ科学批判者』という藁人形が存在しているからだと言えます。
いいやそれは地下猫さんの事だから藁人形ではないとblupyさんは言うかもしれませんが、それは上で説明したように、blupyさんの藁人形の定義が間違っているか、理解が拙いかどちらかです。


『誰がニセ科学の主張内容が間違っているといってるんだ?』ですが、これにまともに答えると

  • 『それはニセ科学批判者全員が言っています』

になってしまいます。当たり前ですね。
まあ単純に『誰がニセ科学批判の主張内容が間違っているといってるんだ?』(=ニセ科学批判批判は態度を問題にしている)の間違いでしょう。
私もたまにニセ科学批判者をニセ科学者と書いてしまったりするので良く分かります。


さておき、おそらくではありますがblupyさんの意図通りに読み替えたとしても、これもblupyさんの脳内に有る藁人形が言わせている質問です。
藁人形の名前は『ニセ科学批判批判者はニセ科学批判の主張内容が間違っているから批判している、と言っているニセ科学批判者(長)』ですね。


以上がエントリ中の追記部分ですが、書き換えた質問文も含めて殆どが藁人形か誤認識なので、全く見るべき所は有りません


続いて私宛のコメント部分。

■具体的にニセ科学で人が死なないと言ってる人がいたら示してもらえませんか?■

ニセ科学で人が死なないと言っているとしてニセ科学批判批判者を批判しているニセ科学批判者』はblupyさんの脳内に有る藁人形であるとは既に説明しました。

■言ってないが見えてないというのであればそれは誰のどういうところをさしているのでしょうか。■

「(ニセ科学で人が死なないとは)言っていないが、(ニセ科学で人が死ぬという)事実が見えていない」だと読みます。
で、「誰のどういうところをさしているのか」に答えますと、jura03やtittonのような人の、駄目なニセ科学批判批判を行うところです。

■かりにそのような人がいても私は「ニセ科学批判で人が助かる」といっていない、という理由で批判されたかえしとして書いていますよ。■

blupyさんが言いたいのは、
ニセ科学批判批判者を、ニセ科学で人が死ぬという理由で批判するのは、ニセ科学批判で人が助かるという効果を示さないと出来ない
でいいですね?
正しいとして、後述します。

■あと『ウソツキや人殺しのエサ以上のものではにゃー』とはどういう意味でしょうか?■

メタなニセ科学批判批判による『ニセ科学ニセ科学批判の価値相対化』は、ニセ科学問題に詳しくない人をニセ科学の餌食にする可能性を必ず増加させます。
それは自覚も無いままにニセ科学被害者が提供され易くなる環境を整る行為であり、元の比喩にそうならウソツキや人殺しがエサを乗せる為の皿をこしらえてあげるようなものです。
私が、blupyさんが自分の言動が意味する所を分かっていない事*9を再三指摘する背景にはこの理由があります。


ここに対して上で後述と言った『ニセ科学批判批判者を、ニセ科学で人が死ぬという理由で批判するのは、ニセ科学批判で人が助かるという効果を示さないと出来ない』が反論として出てくる訳ですね。
ですが『ニセ科学批判批判ニセ科学問題に詳しくない人をニセ科学の餌食にする可能性を必ず増加させる=ニセ科学で死ぬ人を増加させる』ので、ニセ科学批判批判を批判するのにニセ科学批判の効果の有無を論じる必要は有りません。


敢えて指摘させて頂くと、blupyさんはこのように現実に即さないメタな反論前提自説に有利なように設定する傾向が見られます。
他者に身内に甘い等と言う者が、自身を甘やかしているようでは話になりません。
ニセ科学批判、ニセ科学批判批判に関する話においては『ベタを踏まえないメタ視点は役に立たない』と散々言われてますので、是非、再度ご認識下さい。


そもそも論として、ベタな視点に立てばまずblupyさん自身が過去・現在・未来のニセ科学批判*10に触れる事で、自身がニセ科学によって殺される・他人を殺す可能性が低くなった(・なる・なるだろう)事に気付く筈です。
これに気付けば、次にニセ科学批判にコミットしている対話相手(例えば私)も同様であるだろう事も認識できます。
つまり『ニセ科学批判がニセ科学による人死にを少なくする効果の有無』については、論を待たずに『有る』と判断が下せるのですね*11
blupyさんが有意義なニセ科学批判の問題点指摘を行いたいのであれば、メタ視点から上記の前提を課す意味は無いと判断出来るようになりましょう。
もしメタな知的なお遊びに興じたいだけなら人の生死等に影響の無い他のテーマでやる方が良いでしょうね。


最後に、強制する訳では有りませんが、私のこのエントリに応答する暇があるのなら、その暇は地下猫さんのニセ科学批判と科学批判と権威主義 - 地下生活者の手遊びをしっかりと読んで正面から応答する方に割く事をお勧めします。

*1:直接話した事も無いのにいきなり地下猫さんと呼んで良いものかとも思ったけれど、他で散々地下猫さんと呼んだ後なのでこのままで

*2:地下猫さんなら渾身のという程労力をかけずに書いている気もする

*3:ここに来るのは殆どが既読の人だとは思いますが

*4:現在は消されてます

*5:lets_skepticさんのエントリ「違い」を把握していないのならば「似ている」という印象に大きな意味はない - Skepticism is beautifulも文章構造としては同じ

*6:元は斜線部以降が『さて、どっちが『困った人』でしょう?』でした

*7:メタで粗雑な無用の長物に該当するモノ

*8:もちろん地下猫さんのエントリに虚偽や誤認識は見受けられない

*9:ここでのメインの論点は「blupyさんの真意」ではない

*10:ニセ科学批判批判になっていたので修正

*11:効果の多寡や影響範囲はその後の議論

味噌と糞の区別が付かないだけならまだマシだが

(公開直後に若干修正)
皆さん明けましておめでとうございます……ってもう7日も終わりですけども。

さて、今回はlets_skepticさんのエントリ悪しき相対主義 - Skepticism is beautiful内のフレーズ、『糞でも味噌でも一緒にしちゃう』から考えた例え話を一つ。*1

・味噌の匂いを付けた糞を売っているので批判していると……
⇒『その味噌を買って満足している人もいるから文句を言うな』

・これは味噌じゃなくて糞を味噌だと偽って売っているんですよ。
⇒『その味噌を買っている人は納豆だと思って買っているかもしれないじゃないか』

・これはそもそも食品ですらない糞なんですよ。
⇒『納豆と似て臭い匂いがするから納豆みたいなものだ』

・これ食べてたら病気になりますよ、だって納豆じゃなくて糞なんですから。
⇒『病気になるなんて断言できない』

・糞なんですよ。大腸菌とかウヨウヨで、栄養価も低い。食品である味噌とは比べ物にならないくらい病気になりやすいですよ。
⇒『これが健康食品として容認される可能性はゼロではない』

・味噌ってどんな物かご存知?
⇒『あんたの言う味噌が何かは知らんが、これは食品かもしれないじゃないか』

・あなたと話しても時間の無駄なようです。
⇒『これを批判しに来る人間はいつもこうだ。人の意見を尊重しない』

・あなたは味噌と味噌に偽装された糞の判断が付かない人です。
⇒『そうだと言うなら根拠を示せ』

・じゃあこの味噌を装った糞が何なのか知ってますか? どうやって出来た物か説明できますか?
⇒『そんな質問に興味はないから答えない。もっとマシな質問をしろ。私の興味を引く質問なら答えてやる』

あなた発言を聞いてるのは私だけじゃないんですけど、いいんですか?
『糞と味噌の区別が付かない上に指摘されても尚調べようともせず、今後区別を付ける気配が全く見られない人』と、まともに「味噌と味噌を装う糞」について議論する意味が有ると判断する人はとても少ないと思います。

結論:
『糞は肥料として役に立つ』とか『将来なんらかの技術により糞を燃料などに使えるようになるかもしれない』とか、例え話って論点を逸らすだけの結果を招きかねないよね(´・ω・`)

*1:それにしても年明け最初のエントリが『糞』の連呼ってどうよ?

議論における誠実さの判断は当事者間だけで行われるものではない

lets_skepticさんのブログSkepticism is beautifulのエントリ求められているのは当たり前の誠実さではないだろうか - Skepticism is beautifulのコメント欄でtittonさんという方にレスして応答がありましたが、続きは長くなりそうなのでこちらに書きます。


以下求められているのは当たり前の誠実さではないだろうか - Skepticism is beautifulのtittonさんコメント
http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20081224/p1#c1230614987
http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20081224/p1#c1230615856
に対する応答です。

(引用)

>だからあくまで誠実な対応を続けるなら、俺が「なるほどその通りだった、関係がなかった」と納得するまで続けるべきじゃないの?でもそんなの無理だよね、俺だって無理だ。

この場合はlets_skepticさんの応答2008-12-24エントリコメントへの返信 - Skepticism is beautifulで一応の終了となります。
それを当事者であるtittonさんや閲覧者が誠実な対応と取るかどうかは、今後lets_skepticさんがどういう対応を受けるかで分かります。


(引用)

>つまり誠実な対応をすべきだ、というこのエントリの主張への反証の実例となっているという意味で、俺の一連のコメントは「関係がある」ということ。

そういう意味では確かにtittonさんのコメントは関係があったのでしょうが、それは『関係ない内容のコメントに対するlets_skepticさんなりの誠実な対応の実例』における『関係のない内容の提供』という一面のみです。
tittonさんのコメントの【内容】は当該エントリの【内容】には関係ない事に変わりは有りません。
それをtittonさんが納得するかどうかや、二人のやり取りに対して第三者がどういう判断を下すかはまた別の話です。
誠実さとは当事者間のみの判断対象では無い事は覚えておかれた方が宜しいかと。


ちなみにですね、lets_skepticさんがコメント欄で行っているのは『tittonさんのコメントは元エントリと関係有りません』という説明ばかりで『議論なんかしてない』んですよ。
tittonさんはもう一度確認されてみては如何でしょうか?

>何度か述べているけれど程度の問題とするならば、客観性のある判断基準が示されなければならない。ここまではOKでこの先はダメだというなら、その理由も示されなければならない。それを示す責任はその判断を行使する側にあるはず。

程度の問題ならば客観性のある判断基準が示されなければならないとする論理的帰結は有りませんよね。あるというなら是非説明して頂きたい所です。
実際問題として、人物評なんてのは現実として個々の判断結果が集まった末に漠然とした多数合意で決まる場合が多く、少なくとも誰かが示した判定基準に沿うような性質の物ではないと思いますけども。
tittonさんは誰かが誠実であるか否かの判断基準を第三者に用意してもらってるのでしょうか。
それは個々人に帰結するからこそ、元エントリでは『誠実さの基準』なんかには触れてないのではないでしょうか?
大事なので二度言っておきますと、元エントリでは『誠実さの基準』なんかには触れられてないんです。


(引用)

>ついでに書くけど、なんか「藁人形論法」をはじめとしてやたら用語を羅列するのが好きな人がいるけれど、用語は知っているだけでは意味がない。適切に使えなければ、ね。適切に使うというのは「これは○○だ」と説明も論証もなしに断言することではなく、きちんとその根拠を示して使うこと。

【『こういう心理』とやらが示唆されている所を具体的に、かつ極端な相対化をせずに指摘できないと】と根拠を示しておりますが。
tittonさんが読めてないだけだと判断します。


(引用)

>どうもそれが出来てない人が多いのは、多分生兵法の人が多いからなんじゃないの?よくしらないけどさ(笑

『「多い」の根拠を示さないと』(←根拠なので強調)、自説に有利な実態の無い対象を想定してそれを批判するという『藁人形論法』ですよ。


(引用)

今後の予定?

(12/21追記)

昨日今日とちょっと文章を書く暇が無いので書く事のメモだけしようと思ったら、どうも私の前のエントリに関する追記部分に昨日は有った最後の所が今日は無くなってるような?

突っ込み所が多かったとは記憶してるんだけど……まあ無くなった物をあれこれ言っても仕方ないですね。

予定を変更して、次回はfinalvent氏が「問題の枠組み」「議論の骨子」で、氏が氏の判断結果として結論付けてる部分を抽出して整理する、って所から追記部分への言及にみようかな。
当初から私のエントリでは『finalvent氏の主張』に重点を置いて、脚気の専門的な話は余り触れない心算だった事だし。

『自分の知識が乏しい分野の議論について、科学的な妥当性を判断する際のポイント』
みたいなのを実践例として示せたら良いんだけど、どうなるかな……

まあそんな事より目下最大の問題は、NATROMさんの続編エントリが出る前に纏まるのかって事だ(汗

(追記)
どうもfinalvent氏の日記のここのコメント欄を見ると、主張を撤回する心算らしいので、様子見します。

科学として有効な質を持つ情報を扱わない論は、科学的にはならない

 前回のエントリに、思いもよらずfinalvent氏の反応があった(江戸時代から明治時代の脚気の原因はカビ毒によるものだったか - finalventの日記の本文最後の部分)ので、折角だからその部分に言及してみよう。


 ……でも正直な話、NATROMさんの最新エントリやる夫で学ぶ脚気論争 - NATROMの日記(とても面白い)の続編を待ちたい気持ちも。
 私が横であれこれ言ってると話を発散させる事になるかもしれないし。


 さりとてやはり反応が有ったのを放置するのもどうかなと思うので、本論。
 以下、分かり易いように引用元で私の前のエントリから引用されている部分には文頭に【あ】、finalvent氏の言及には【f】と付けさせて貰ってます。


(引用)

【あ】それこそ「(比較的)肯定されている」と「否定されていない」の『妥当性の強弱』を考えて下さい。


【f】そこを再考してみましょうということですよ。FAOの文書を読んでご覧なさい。



(意訳)
 カビ毒説はビタミン説と比較しても脚気の原因として科学的に肯定される強度を持つ仮説なのだ。それはFAOの文章を読めば分かる。
(言及)
 finalvent氏が示しているFAOの文章に記載してある脚気に関する記述の部分は要約的説明であり、『科学的な判断』の材料を提供するレベルの物ではありません。
 カビの名称、カビ毒の構造、『acute cardiac beriberi(=Shoshinkakke、衝心脚気)』の症状について記述はあるにはありますが、それだけです。(※穀物に関するカビ害防止とコントロールについて広く触れた文章で、脚気について深く記述された物ではない)
 FAOの文章はFAOという国際機関の文章であるが故に『国際機関で認知されている』という例証にはなるかもしれませんが、それ単独では『カビ毒説が証明された』事を担保出来ません。


(引用)

【あらいさん】ビタミンB1で改善したという過程(報告例)を無視しておいて妥当性の強度も糞もありませんね。
 『歴史的な脚気』の定義からして確定してないのにカビ中毒説が妥当というのも無茶な論理展開です。


【f】ここはただの誤読ですよ。強いカビ毒説ではビタミンB1の改善は保護です。部分カビ毒説ではビタミンB1と衝心性脚気は別です。
 「『歴史的な脚気』の定義」ですが、衝心性脚気に注目されているということです。体調が悪いなというくらいではなく、心臓停止で数日で死者がでるという問題でした。



(言及)
 これまでの議論と合わせると、finalvent氏の言う『歴史的な脚気』とは、
『衝心性脚気症状を起こした脚気(様の症状)で、ビタミンB1欠乏で発症する脚気とは別物』
 という理解で確定させていいのでしょう。言い換えると、
『衝心症状を呈する重度の脚気は全てカビ毒によるものであり、ビタミンB1欠乏で脚気は起こらない』
 finalvent氏はカビ毒説は証明されていると言ってますので、同時に以下の事が証明されていると言っている事になります。


1.現代においてビタミンB1の不足で発症した脚気を放っておいても衝心症状は起こらない
2.カビ毒中毒による脚気症状が軽い段階でビタミンB1を投与しても症状は改善しない


 妥当性の強度的にこれはどうなんでしょうかね?
 以下の引用部分からすると、finalvent氏にとって『妥当性の強度』は3段階しか存在しないようですけども。


(引用)

【あ】妥当性の強度を議論するなら『AのみかBのみ。さもなくばAとBは等価』なんて単純な三択にはなりません。そんな乱暴な考え方は全く科学的ではない。
【f】エーテル説も有りとか?



次。


(引用)

【あ】現在の所は最も妥当だと認められる説を覆し得る妥当な説明が、相応の手続きを踏んで科学であると認められない限りは、現在の所最も妥当だと認められている説明こそ妥当であると認めるのが最も科学的な態度に近い。
【f】マイコトキシンの学説史を知らないだけでは?

(言及)
 下で再引用した部分にも出てきますが、『肝心な所の説明』、つまりはfinalvent氏の言う『学説史』の中で『科学的な判断材料』として採用出来る部分を明らかにして下さい、という事なんですけどね。
 少なくとも『Eijkmanの最後の弟子は、Eijkmanは最後まで毒素説が正しいと確信していたと語った』という学説史(?)は『科学的な判断材料』にはならない訳です。 


(引用)

【あ】さておき、少なくとも私は今のまま肝心な所の説明をしないfinalvent氏を科学的であると認める事は無いでしょう。
【f】まあ、そういうA_lie_sunさんに認められてしまったらそれはそれでなんですが。

(言及)
 仮に私がfinalvent氏の言う『マイコトキシンの学説史』に関する見識が浅かろうと、finalvent氏がカビ毒説の確たる証拠となる得る何らかの物を知っていようと、肝心な所を開示しないままにマイコトキシン説は妥当であると主張した状態が継続される限り、finalvent氏は科学的な妥当性の議論のステージに上がる以前の科学的ではない状態なのです。




(余談)
 そういう訳で「いつかは定説に異を唱えるに足る科学的な判断材料としての強度を持つ何かが開示されるかもしれない」という「科学的な興味・好奇心」が、今もなお多くの方がこの議論に関心を残す理由の一つだと思います。
 現在は多くの方が満足されない「科学的な興味・好奇心」を抱えていると思いますが、どうやらそう遠くない内にNATROMさんの手によってかなりの所が満たされる事になりそうですね。