You Made Me Realise

早いもので今日は12月31日…今日で2005年も本日で終了し、あと10時間もしないうちに2006年が始まるんですね。

クリスマス以来はバイトの合間に地元仲間やバイト仲間やサークルの仲間なんかと忘年会ばかりしてるうちに時間が過ぎていたので、あまり年の瀬という感覚はないのだけど。

こういう風に忘年会にあけくれるのも、そこで今年の反省や、来年の目標なんぞを語り合えるのも年末故の楽しみなのかとも思う。

いつもいつも顔を合わせている連中だけど、こういう場は何度経験しても飽きはしない…どころかその度その度に新たな楽しみを見せてくれるから不思議。

大学四年生ということもあって、今年は色々な方に進路相談をし、様々な意見を頂いたけれど、僕の為に親身になって意見してくれる人の存在はとてもありがたいと感じました。

そういう方との出会いは誰かによって作り上げられたものではなく、偶然の出会いから生まれたもので、その関係も僕と相手と作り上げられてきたもので、お互いに高めあえるような関係を築き上げられた事はなんて幸せな事だろうと思う。

そういう関係は触れ合っている時間が全てではないということも教えてくれる。

今年は高校時代の恩師や友人方と数年ぶりに再会する機会が何度かあったのだけど、良い意味で昔と変化の無い場所がそこにはあって、自分はその場所に帰る事が出来る…その事実だけで最高に幸せと感じてしまいます。

毎年毎年を振り返るたびに、あまり良い年ではなかったと思う年度は無いのだけど、今年は特に自分にとって大切な年で、最高の年であったように感じる。

それは卒業論文や就職活動を通して、少しだけ自分が成長できたせいもあるけれど、何よりも人との関係によって自分自身が成長させていただいたり、幸せを分けていただいたおかげだと思います。

色々な哀しみもあったけれど、その度励ましの言葉をいただいたり、新たな幸せが我が家に訪れたり。

誰かとの関わりによって自分は生きていけるんだなと痛感しました。

ここを見て下さっている方々にも本当にお世話になっています。

皆様今年一年間、本当にお世話になりました。

色々とご迷惑をおかけするとは思いますが、来年も宜しくお願いいたしますm(_ _)m

正月は写真の奴と一緒に寝正月になりそうです(笑)

皆様も良い新年をお迎え下さいませ★

瞳をあけてみるゆめ

久しぶりの日記更新…日を綴り更新するものが日記と考えれば、故に既に日記とは呼べない代物だけど。今日はもう12月24日、世間はクリスマスだけど皆様は何をしてお過ごしでしょうか。

僕はと言えば、先週遂に卒業論文を無事に提出して、企業の課題も済ませて部屋の片づけをしながらぼけーっとしています。

少し気分は早いけれど、今年一年間を振り返ると殆ど卒業論文を書いているか、就職活動をしているか、バイトをしているかで過ぎていった様な気がする。

その中でも卒業論文は本格的にテーマを決定したのは去年の夏ぐらい、それから文献を何冊も読み、メイン参考文献にいたっては何十回も熟読していたので、結果的に一年半は卒業論文に時間を割いていたかな。

その甲斐あって自分なりに納得出来る論文を書き上げる事が出来たので満足すると同時に少し気が抜けてしまっているのかもしれない。

とはいえ一月末に卒業論文の口述試問会があるので、今一度自分の書き上げた論文を読み込んで、何を質問されても答えられる様に、指摘を受けそうなポイントをまとめておかなければならないので、あまり油断もしていられないけども。

先日は卒業論文終了ということでゼミの打ち上げがあったのだけど、自分の卒業論文に対して良い評価を、自分の尊敬する先生からいただけたし、頑張って良かったと思えたよ。

論文の枚数が他の生徒より比較的多かったので良い評価をいただけたのかとも思ったけれど、そうではなく、内容が良かったとのお褒めの言葉をいただけたので嬉しかったな。

基本的に卒業論文の指導は先生一人に対して生徒多人数で行われるものなのだけど、僕はマンツーマンで指導していただいていたので、その指導に報いるだけの論文を書ききれたということもあり、ほっとした…ようなまだまだやれたような。

基本的に哲学思想って学問には答えは存在しないので、自分が望む限り永久に勉強を続けられる学問ではあるけれど、こうした形で自分の勉強の成果を形にすることは、これからの人生でもう無いかもしれない。

そう考えると卒業論文を書き上げてしまったことは嬉しくもあるのだけど、反面寂しさを感じてしまっている今日この頃なのです。

…とはいえ、これからも哲学思想を学ぶ事は終わらせはしないので、何時の日か卒業論文の続きを書ける日が来れば良いとは思うのだけど、言葉通りに何時の日になる事やら(笑)

また、卒業論文を終えたからと言って卒業が決定する訳ではないし、これからいくつかのレポートも提出しなければならないのでまだまだ学生としての自分の勉強は終ってはいないからいつまでもぼーっとはしていられないのだけど。

その課題も程々に終らせて、これからは自分の将来に直結する勉強、社会人としての勉強を始めていかなくてはならないし、来年の今頃はクリスマスとか言ってられない日々が始まっているんだろうな。

学生時代も自分がどれだけ努力したかは差として現れたけど、社会は学生時代以上にそういった差が数字として顕実に現れるので、自分を伸ばすための勉強をしていかなければならないな…と自分を奮い立たせる今日この頃ですが、寒さで布団から立ち上がれない日々が続いているよ(笑)


さて、話題をクリスマスに戻すと、昨日我が家でクリスマスパーティを行ったのだけど(…家族揃っての食事です。)、その際に母親が犬用のクリスマスケーキなるものを買ってきたので驚き。

売っているという話は良く聞いていたけれど、実物を目の前にしたのは初めてだったのでマジマジと眺めてしまった。

見た目は人間が食べるケーキと何ら変わりはないので、少し食べてしまおうかと思いつつも、さすがに止めておきました…人として。

だから味の方はどうだか分からないけれど、少し甘みがあるらしく、僕の家のサンタも喜んで食べていたよ。(写真参照)

生まれたての頃は大病を患っているなんて言われてたこいつが、今は元気にはしゃぎまわっている。

元気が有り余りすぎていていつも小さな事件を起こす弟と、弟の行動に振り回される家族。

そんな日常のひとコマに幸せを感じる自分。

デカルトが夢と現実の境界線をどう引くかについて議論していたけど、夢と現実を分ける境界線は論理的に導き出せるものなんかじゃないんだよね。

日常なんて瞳をあけて見ている夢に過ぎないかもしれないけれど、この感覚だけは本物、だから僕はここに居るって思える。

今年までの目線とは違う目線で来年からは生きていかなければならないけれど、基本は『Search And Destroy』。

何事に対してもアンテナを立て、興味を抱いたものには全力で立ち向かう姿勢が大切。

現実の厳しさを痛感すること、それこそが現実。

現実を見据えて現実に喰らいつけ。

IGGY POPもきっとそう言ってるさ。

色々あった学生時代、卒業論文を頑張った事、クリスマスの楽しい想い出も、振り返れば僕にとって大切な現実。

そんな事を考えていたらもう朝、そしてこの肌寒さも紛うことなく現実だ。

Waive / "HURT."


【最高のバンド】Waiveのラストアルバム…感想なんてないというか、【最高】という言葉しか見当たらない。

思えばWaiveに出会った当時はまだ高校生だったなぁ、自分と。

Waivenのリーダーである杉本善徳氏の前バンドのRayの解散後に組んだ善徳さんのバンドというイメージで出会ったな。

結成当時は良くも悪くもKreisレーベル直径の刹那系耽美路線だったけれど、徐々に楽曲にもバンドにも広がりを見せて、今では完全にWaiveの世界観を形成しているなって。

Liveでも聴かせるだけではなくて、自分達の世界に相手を引きずり込んで楽しませる事が出来るようになったし。

本当に良いバンドになったと思う。


Waiveについての思い入れについては長くなるのでこの辺にしておいて(笑)

ラストアルバムだけど、Waiveの作品の中でも一番良い出来になってるのではないかなと思う。

楽曲もポジポップ・ポジロック・刹那系と様々な系統があるのは勿論だけど、メンバーのWaiveというバンドに対する思い入れの強さが伝わってくるから。

例えば『みずいろ』という楽曲はWaive結成当初に善徳さんと孝介君が別プロジェクトで組んでいたガチャピソというユニットのデモテープ収録曲のリメイク曲です。

ちなみに原曲は『light LIGHT BLUE』という曲なのだけど。

比べ物にならない程に声も音圧も良い意味で変わっていて感動した…こんなにいい歌を唄えるようになったんだなって。

また『alive.』という曲はRayの頃からある曲なのだけど、音源としては今回が初収録。

当初は亮さん(現:CUNEのVoでRayのVo)の声ではなく孝介君の声で歌われるのがあまり好きではなかったけれど、今では素直に良い唄だなって思えるよ。

元々楽曲としてはRayの中でもBest3には入るような曲だから良いのは当然なんだけど(笑)


で…!このアルバムの中でも最高の曲が『Baby,I LOVE YOU』と『C.』の二曲。

『Baby,I LOVE YOU』は中期から後期Waiveらしいポップでパンクな聴いていると元気の出る一曲。

歌詞も直球のラブソングで内容的にはベタベタなんだけど…聴いてみればわかるけど最高の一曲。

『C.』はアルバムの…というよりWaiveの最後の曲として相応しい壮大な一曲。

ゆったりとしたリズムに孝介君の声、感情の全てが重ねられるような。

歌詞としては元彼女に対する気持ちを綴っているような歌詞だけど、僕にはWaiveからファンへのラブソングに聴こえて仕方がない。

アルバムの帯に『―もう一度巡り会う奇跡を信じたい―』と書いてあるのもそう感じる。

そんな事を考えてたら自然に涙が出てきた…曲を聞いてないたのなんて久しぶり。

昨日このアルバムを買ってきたのだけど、今までにもう何回聞いているか分からないくらい聴いてる(笑)

それくらい最高のアルバムって事は確か!聴いて初期衝動と現在に挟み殺されろ!

…ってくらいにオススメの一枚、SOPHIAとかその辺が好きなら確実に気に入ると思う。
個人的には話にならないくらいWaiveの方が好きですが(笑)


12月1日に渋谷AXでラストライブがあって、卒業論文提出間近であったり色々と予定も詰まっているので行こうかどうか迷っていたけど、迷ってる場合じゃないって事に気付いたよ。

ゆりいかさんが日記で「今だからできること、今しかできないこと」と言っていたけど、まさにその通り。

悩んでないでライブに行ってWaive最後の晴れ姿を拝んでくると共に、初期衝動に殺されてきます(笑)

…まだチケット残ってるといいんですが(´д`;)

砂の王国


最近は自分自身の生活がとても充実しているように感じる。

別段変わった事をしているわけでもなく、卒業論文を書く為に勉強して、会社の研修の為に勉強して、直前に迫っている学生生活最後の文化祭準備をして、合間にバイトをしている毎日。

何って事は特にはないのだけど、強いて言うなれば勉強する事が楽しくてしょうがないと言えるかもしれない。

元々勉強は嫌いではないし、何か新しい知識を得て、自分の感性・感覚で物事を判断する事は好きだけれど、こと哲学思想という学問はそういった自分なり考えが顕著に現れるからとても好きだ。

例えば僕が専門にしている分野は『生命倫理』と呼ばれる倫理の領域であるが、僕は倫理的な領域の解釈に『現象学』と呼ばれる他の分野(とまではかけ離れていないが)の学問を取り入れている。

更に『公共性』や『認識・認知心理学』等も取り込んでいるのですが。

そうした解釈を行っている学者はあまりいないようで文献収集には時間がかかるし、新しい概念を提示する訳だから思考し文章化するにも苦労を要する。

けれど科学者が実験によって新たな技術を生成してきたように、思考実験によって新たな倫理観を生成することは意味のあることだと思うし、やりがいがある。

何より自分が四年間勉強してきた成果として何かしらの形に表すことはとっても楽しい。


更に哲学思想という学問はひとりで自問自答することも必要とされるけど、何より他者の存在が最も必要とされる学問ではないかと思う。

先日も卒業論文の指導後に教授を交えて哲学科の友人と食事に行ったのだけど、僕も友人も教授もひとつの事象に対しての価値観や捉え方が異なっていてとても興味深い。

例えば、倫理観に関して絶対的な真理が必要だと述べる人もあれば、絶対的な真理よりも幅広い相対的な観念が必要であると述べる人もいる。

あとこれは僕と友人の間で意見が分かれた話題だけど、仏教の禅思想のように感情をも超越した立場や論理的な意識を目標とするか、感覚・感性・感情という人間の持つ自己意識・無意識領域を最も重要視する立場をとるか、といったような具合。

ちなみに友人が前者的立場で僕が後者的立場なんだけど。

興味深いというか…面白い事に実際には、感情を超越した立場に憧れる友人は感覚的・感情的に行動する人間であり、逆に感覚・感性・感情を最も重要視して考える僕自身は理論的に行動する人間、平たく言えば理屈屋だ。

人間は自分の持たぬものに対して憧れを抱くという言葉を述べた学者がいるが、まさにその通りであるかもしれないと感じたり。


よく哲学思想などという学問は事実的な意味を持たないので学ぶ意味がないなどという人がいるが、僕はそうではないのではないかと考える。

…というのも例えば事実的なものとして法律があるけれど、法律は倫理観を用いて規律を規定し違反した者を裁く事はできるけれど、倫理観そのものを問い問題視することはない。

(法律について詳しくはないので偉そうなことを言って申し訳ありませんが。)

哲学思想のような根本的事象に立ち返る学問があるからこそそうした事実を問い直すことが出来ると思うのだ。

逆に言えば哲学は事実的な効果を持つものではないので意識的なもの以上の意味を持たない。

よって法律や科学など他の領域の力を借りる事になる、つまりは関係性によってどの領域も成り立っているというか。

そもそも問題意識を持ち、その事柄を追求する行為そのものが哲学であるのだから、どのような領域にあっても哲学的行為は行われている訳ですよね。

そういった事柄に気付けるのも自分が哲学思想という学問を学び続けているからなのかなぁと最近思う。

そんな事を考えているから最近特に哲学思想という学問が楽しくて仕方がないのかも。

学生生活を終えてしまって社会に出て就職してしまったらまた学生生活に戻ることはないのかもしれない。

けれど僕はずーっと哲学思想の勉強はしていくのだろうな。

哲学思想が与えてくれたものは何者にも代えられない生きるための根源的な力だと思うし、何よりこんな楽しい勉強は体験したことがないからね。


…唐突に何をこんな文章書いているのかといえば、卒業論文も結論部分に差し掛かり、来月末には提出できる目途がついたせいもあってなんとなくセンチメンタルな気分になったからかも。

とはいえ油断していたら終らないので、また今日一日も勉強して過ごす訳ですが(笑)

明日は高校の文化祭に行って、学校卒業以来はじめて高校時代の恩師や友人達と遊んできますよ、楽しみだー★

ちなみに『砂の王国』というのはElDoradoというバンドの一曲で、丁度僕が大学に入学したくらいの時に良く聞いていた曲。

急に聞きたくなって家にあるCDを引っ張り出して聞いていたけど、ベタベタなヴィジュアル系的疾走曲でもう最高。

最近は何故か一昔前のヴィジュアル系が自分の中でブームですわ(笑)