旅立ちの2007年

新年、明けましておめでとうございます。


さて、出産後パッタリと更新が止まっていました。 いつも心の底では引っかかっていて、ことあるごとに「これ、書きたいなー」「あ、ネタになる」とか思いつつ、結局今まで来てしまいました。
出産・育児にまつわる色々も、あれもこれもと鼻息荒く書くつもりでいたのですが・・・。 期待されていた方、申し訳ありません。 Mic'oさんのサイト内コーナー「隣のママはどうしてる?」でその一部を紹介しただけで、それ以上書くのももうしんどいなあと思ったのも正直なところ。 まだそちらをご存知なかった方、興味があればご覧いただければと思います。
でも初めての出産そのものはとてもステキな経験だったし、一生大切にしたい記憶です。


娘は明日で9ヶ月です。 7ヶ月目に軽い鼻風邪をひいただけで、おかげさまで元気に育っています。 いまは伝い歩きがおもしろくてたまらないところ。


更新が止まっている間、昨年夏にダンナサマはドイツに3ヶ月の出張をしていました。 そのとき、なんと知り合いから紹介されたあるドイツの企業で面接を受け、エンジニアとして内定をもらって帰ってきたのでした。
10月半ばから試用期間として単身で暮らしつつ2ヵ月半仕事をし、年明けからの本採用契約を結んで、今は冬休みでニシュに戻ってきています。


そして。 今度は彼と一緒に、娘と私も一緒にドイツに行くことになりました。 つまり、長い間の希望だった脱セルビアが叶ったのです。
何かにつけプンプン腹を立てたりため息をつきながら暮らしてきたセルビアでの2年ちょっと、いざ去るとなるとなんだかいい思い出ばかりが残っているような。 自分の中で「住めば都」っぽくなってた部分は否めません。 でもやっぱり、将来の見通しは明るいとは言えず、ここに住み続けるメリットよりも、状況打開のためチャレンジする方を選びました。
明日は親しい人たちを招いてちょっとしたパーティーを開き、5日の夕方に発つ予定です。

もちろん、ドイツに行っただけで何もかもが良くなるワケではなくて、自分たちのがんばりが何より大事だというのは言うまでもありません。 経済的に元気な国というわけではないし、そこで外国人労働者としてどれだけの暮らしができるのだろう。 この歳でそういう環境で、ゼロからの出発なんだと思うと期待の裏に不安がないわけでもない・・・。 でもとにかく! よりよい明日を信じて、前向きにがんばっていこうと決心している新年です。


というわけでこのブログ「はじセル」、恥ずかしい話ですが尻すぼみのうちに・・・一旦終了ということにしたいと思います。
「一旦」というのは、いつかもしここでの生活を振り返る余裕が出てきたときに、書きたくなるかも知れないなーと思って。
短い間でしたが、ここを訪れてくださった皆さま、大変ありがとうございました。 この新しい年が、皆さまにも幸多き一年となりますよう、心よりお祈りします。 

娘誕生のごあいさつ

しばらくお休みいただきました。
4月3日19時10分、3200g・52cmの元気な女の子が誕生しました。
実愛(Mia)です。 よろしくねー。
期間限定画像


瞳も髪も黒くて鼻もそんなに高くなくまつげも薄い・・・ 幼少の頃はブロンドで、今でもブルーアイで鼻の高い、まつげフサフサというダンナサマの遺伝子はどこへ? 内心「かわいそうに・・・」なんて思ってますが、「赤ちゃんの顔は変わるからね」というsnow62さんの言葉をよりどころにしています。 でもかわいいのはかわいいです。 もちろん!


それにしてもー、ニシュの出産事情はなかなか“おもしろ”かったです。 ショックで3日間泣きあかした(マジで)トイレ事件に幕を開けたこの9ヶ月間、それなりに心の準備ができてましたが、えぇ!そうくるか!?みたいなことがやっぱりいくつか。 日本から来た妊婦さんがいきなりここで産気づいたなんて展開だったら、その人は一生トラウマを負うかもです。


私の出産自体は、ずっと担当してくれた女医さんの辣腕により4時間という短時間で済んだ上、入院中もダンナサマの個人的知り合いの先生などからとてもよくしてもらいました。 それには大変感謝していて、またちょっと変わった経験ができたとは思いつつも、やっぱり二度とここで産みたいとはちょっと思えないのであります。


2週間を過ぎて身体はかなり回復し、家で過ごす限り日常生活にほとんど支障は感じなくなってきました。
というわけで、今日はごあいさつから。 これから少しずつ、またブログ再開していきます。 ほとんど出産・育児がらみの内容になってしまうので、つまらないと思われる方もいらっしゃるかも知れませんがご容赦ください。 (自分が関係ない頃は、私も育児記事なんて見向きもしませんでしたので分かります)。 でも、ここから見えてくるセルビアの一側面もあるのかなーとも思います。 どうぞこれからもよろしく・・・!

ニシュの日本文化月間4

しつこく引っ張ってますこの話題


いやーもう、今まで持ってたいわゆる「料理学校」のイメージは軽くぶち壊された感じです。 早速自己流アレンジとばかりに、キュウリとツナをわさびもつけて一緒に巻いてる人がいるし。 まあ、それもアリか。 楽しけりゃいいもんね。
これまで何度も家で手伝わされているダンナサマがナイスなアシスタントになってくれて、各テーブルをまわって色々アドバイスしてました。


そして何とか一応寿司ができ、みそ汁とほうれん草も各テーブルにだし終えて、箸の使い方を説明して試食タイムとなりました。
それにしてもセルビア人ってほんっと醤油好き・・・ ちょっとつけてねって食べ方も見本を見せたのに、ダバダバかけて(あぁっ、醤油高いのに)ごはんがすっかり崩れてる人もチラホラ。 
ここの自然食品店で手に入れた味噌がちょっと癖のある赤味噌タイプだったからか、それとも作ってから出すまであっため続けていたせいか、みそ汁はちょっと不評だったようで残す人多し。 ちょっと残念。 (味噌だってバカ高いんですが)


それでもみんな、帰り際には「楽しかった」「おいしかった」と口々に言ってくれて、まあまあ成功?に終わることができました。
ふー・・・とほとんどを見送った後、どらやきを出し忘れた事に気づき大ショック。 しつこく残ってまだモグモグしていた私の日本語クラスの生徒とレストランの店員にお持ち帰りしてもらいました。 甘めに作ったのも手伝ってか、これは本当に好評でした。


このもようは、ローカルテレビでチョロっと流れて、また翌日の新聞BLICにも載りました。
えへへ。
ちなみにこれ、ローカル新聞ではないらしい
記事のリードが笑える・・・ 「多くの人がスシは生魚のことだと思っている。 しかし、それは日本ではサシミと呼ばれているのだ」。 マジですよ。 そして、まるでスシ宣教師のような私。


ただ一つ、最後にとっても残念だったこと・・・
割り箸が手に入らず、手持ちの箸をかき集めて持って行ったんだけど、終わったあとは4膳も行方不明になってしまいました。 つまり黙って持って帰られたわけです。 お土産じゃないって言ったのに。 それはもうかなり、いやな気持ちになってしまいました。 ダンナサマも「こういうところがセルビア人なんだよなあ・・・」とショック。 彼の家族にプレゼントした箸を借りてきたのもなくなってしまいました。
こういういことがあるともう次回はできないなあ、となっちゃいます。 もちろんみんながみんなそうじゃないんですけどね・・・。


ときどきこういうことがあるのが辛いところです。 せっかく気持ちが上向いてきたりセルビアも悪くないじゃん、と思ってきたところでガツンと落ち込まされる、みたいな。 また次にいいことがあったりいいところを見つけたりして、気持ち的に折り合いをつけながらやってくしかないんだろうな、って思ってるところです。


さて、最後に・・・
妊娠中これまで大変順調に過ごしてきた私、どうも順調すぎて赤ちゃんがすこし早めに出て来たいらしいのです。 4月7日の予定日を待たずに3日あたりになりそうとのこと。 で、その日は最初から担当して下さった女医さんのシフトも都合がよいため「この日にしましょう」と提案されました。
えー。 「しましょう」って先生。 その言い方に少し驚いたけど、夫の立会い出産がどうしても認めてもらえないので、この先生にはぜひ立ち会ってもらいたいところ。 もし始まらなければ少しお薬の力も借りましょうという言葉を受け入れて、3日午後に入院することになりました。
というわけで、またしばらく更新が途絶えることと思います。 本人実はちょっと緊張してますが、皆さまは心配せずに(してないって?)、次の更新を気長に待ってやってくださいませ。


あ、これはエイプリルフールネタじゃないですから。 念のため。

セルビアの学生の生活

前回のエントリにいただいたコメントで、15歳くらいの学校生活などについて聞かれたのですが、実は他ルートからも同様の問合せがあり、ちょっとダンナサマに聞いてみました。
ダンナサマも40歳を超えておりますので、現状と違う部分がもしかしたらあるかも・・・? でもそれほどひどい間違いはないと思います。 なにかあったらご指摘くださいませ。


1.教育課程
 ◆小学校(義務教育)
  ・7歳〜15歳(8年間、日本の小中学校を合わせたもの)
 ◆中学校
  ・ほぼ日本の高校にあたるが、二つの課程に分かれ、最初の2年間で卒業することも可能。
    >中学校: 15歳〜17歳(2年間)
    >高等学校: 17歳〜19歳(2年間)
  ・大学進学のための勉強をする学校と、専門学校のように実務を学ぶ学校などがある。
 ◆大学
  ・19歳〜 (通常5年間、ただし学部や専攻による)


2.教 科(14、15歳程度の学年)
  ・セルビア
  ・数学
  ・外国語: 英語(必須)と第二外国語(必須ではない。フランス語/ドイツ語/ロシア語等)
  ・地理
  ・歴史
  ・物理
  ・化学
  ・生物
  ・美術
  ・音楽
  ・技術家庭
  ・宗教、または、インフォマティクス(一般的な社会の仕組や道徳みたいなことを学ぶ)
   →最近できた教科で、どちらかを選択。
  ・体育


3.評価、通知表
  5(最高)〜1(最低)の5段階評価。 小学校から高校まで同じ。


4.学 費
  教科書の類は各自書店で購入する。 学費は基本的にすべて無料。


5.行 事
  ・9月に始業、翌年6月半ばで終了。
  ・夏休み: 6月半ばの年度終了から9月の次年度の開始まで。
  ・春休み: イースター休暇(約5日間)
  ・冬休み: クリスマス・新年休暇(10日間〜2週間)
        セルビアは宗教上は旧暦(2週間遅れ)を使用しているので、この冬休み
        も普通のカレンダーだと年が明けてからになる。
  ・1月27日: 学問の守護神(スラバ)の日(聖Sava)
  ・遠足、修学旅行、合宿に当たるもの: 学年や学校により日帰りから3、4日間に
   及ぶものまでさまざま
  ・学校間の競技会: スポーツ、数学、英語、歴史など色々なカテゴリーあり。
  ・特に父兄参観日はないが、保護者が個人的に授業を見にくることは拒まれない。


6.生 活(小学校)
  ・多くの学校で、生徒を2グループに分けて午前中のみ、午後のみ
   の授業をする。 週ごとに午前・午後を入れ替える。 かつては
   子供に対して学校の数が足りなかったための措置ではないかとい
   う話で、今ではそうではないが、その習慣は残っている。
  ・午前中のクラスは8時〜13時(6時限)、午後のクラスは13
   時半〜6時半ごろ(6時限)。
  ・最初の3学年までは、午前午後通して学校にいることもできる。
  (7時過ぎ〜3時ごろまで) 共働きの両親にとって助かるとのこ
   と。 ただしこの場合も授業は午前か午後だけで、あとは宿題や
   課外活動をしている。 また、この場合給食が出る。
  ・クラブ活動は学校運営のもの、スポーツクラブ運営のものなどさ
   まざま。 数学や生物、歴史など学問系のクラブもある。 必須
   ではない。
  ・制服: 古く(40〜50年位前)は制服などの規定が厳しかっ
   たとの話。 先生が街中で学生の服装チェックをしていたとも。
   その後、だんだんと規則がゆるくなり、30年くらい前になると
   強制的に着用しなくともよくなる学校が多くなり、すたれてくる。
   そして20年くらい前にはついに誰も着なくなって、廃止された
   とのこと。
  ・学校の掃除は自分達ではしない。 業者が入る。
  ・学校にいないときは、宿題やPCゲームをしたり友達の家に行った
   り、映画を見に行ったり、このあたりは日本の子供と同じ。


だいたいこんな感じです・・・。 日本とずいぶん違ってておもしろいですね。

ニシュの日本文化月間3

以前、日本料理の紹介イベントを企画している話を書きましたが、今回のイベント主催団体に会ったとき、いいチャンスだと思い持ち寄ってみました。 市民大学は、私の日本語講座が間もなく産休にかかるので、プロモーションにもう消極的だったのです。
そしたら意外にもすんなり実現。 というわけである日曜日の午後、主催者の一人が経営しているインド料理レストランを借りて、“Suši Radionica”(スシ・ワークショップ)が開かれる運びとなりました。 1枚200ディナールで25人分用意したチケットは前日までに完売。


寿司は細巻(カッパ&ツナ)、握り(厚焼き玉子)に決定。 それだけじゃ物足りないのでほうれん草のごまあえとキャベツの味噌汁、デザートにミニどら焼きというメニューとしました。 ミニどら焼きはsnow62さんからもらったアイディアです。 小豆は自然食品店で手に入ります。 セルビアでは豆を甘く煮ることは決してないそうですが、snowさんによるとどらやきは好評だったそうです。
ドラえもんが見たら泣いて喜びそうな


寿司飯や具、ごまあえとどら焼きは自宅で用意し、あとは簡単にレストランのキッチンで準備できるものばかりにして行くことに。 「スシ」についての簡単な基礎知識と調理法、その他の料理のレシピも2品ほど加えたミニ冊子も人数分用意しました。 もちろんダンナサマの手を借りて全部セルビア語です。
寿司ワークショップのミニ冊子


こうして、満を持して挑んだ当日、狭い店にはまたまたテレビ取材や見学だけの人もやって来てぎゅうぎゅうづめ、キッチンスペースまで人があふれてもうワケ分からないことになりました。 午後2時、ダンナサマの通訳とともに、軽くあいさつしてメニューの紹介をしてスシレクチャー開始です。
参加者は4グループに分けて、各テーブルに巻きすや材料を準備しました。 海苔がメチャクチャ高価なので(全形たった5枚のパックで400ディナール[約670円]!)巻くのは1人1本の割り当てです。
ごはんはたくさん乗せすぎないようにね、キュウリは手前に置いてね、などと説明しながらクルクルっと巻いて見せると、みんな「もう待てねぇー!」とばかり一斉にスタート。まあ、巻くだけでいいように準備してるので簡単なもんです。


それにしても、神妙に聞いていたのも最初だけ、あとはもうワイワイガヤガヤとやってます。 「皆さんが巻き終わったら切り方を説明しますからー」、「玉子の握りをこれから説明しまーす」と言っても全然聞いてないし。 巻けたらやっぱり、「もう食べるの待てねぇー!」とばかりに、醤油はぁ?と聞かれたり、なんかもうカオス状態に・・・ 小皿も箸もまだ出してないんですが。
日本語教室の生徒もみんな来てくれました


つづく・・・

ニシュの日本文化月間2

地元でこんなイベントがあるなんて知らなかった私ですが、開催直前に人から伝え聞いてすぐ、主催者に連絡を取ってみました。
先方からもすぐにでも会いたいとの返事で、話を聞くとテレビに出演してほしいということに! こんな地方都市ニシュだけど、実はローカルテレビ局が5、6局もあります。 翌週、3局で予定されていたPR番組のうちの1つに急遽出演とあいなりました。


番組は地元の話題やここで活躍している人へのインタビューで構成される生放送で、その1コーナーでした。 「あんまりバカっぽい質問をするといけないしブッツケも大変だと思うので、台本を考えてもらえませんか」と言われ、原稿を自分で全部用意してセルビア語に訳してもらいました。 そんな風に準備ができたので、本番では私は日本語で話していいってことに。


当日は本番30分前に局に行けば良いと言われただけで、リハーサルもメイクさんもなし(←実はちょっと期待したんだけど)。 少し待っていると、CM中にスタジオに案内されて本番が開始しました。
隣には主催NGOのお姉さんが同席。 彼女が読む台本どおりのセルビア語の質問に日本語で答え、また彼女がセルビア語の訳を読むという、逐次通訳みたいな感じで進みました。 15分ほどの短いコーナー、ちょっと緊張したけど日本語で話せたせいもあって結局そんなにはガチガチにならずにすみました。 よかった〜。


内容はだいたい、簡単な自己紹介と日本文化や日本語・日本食についてさらっと。
それから、セルビアの印象について無難なところを用意しました。 日ごろ散々グチを聞かされているダンナサマには「どうせ日本語で何言ってもわかんないんだから、思いっきり好きなようにぶっちゃけたら?」と茶化されたけど、きっちり模範解答しましたとも。 だって誰が見てるか分からないじゃん? いやそうじゃなくて、根がマジメな私にはやっぱりそんなことできませーん。


テレビのことは周りの誰にも言ってなかったのですが、スタジオ前で待っていたダンナサマの携帯にはオンエア中から「見てるよ!」「ちょっと! びっくりじゃん!」とか続々とメールや電話がかかってきたようです。 ケーブルテレビや衛星も普及してるからチャンネル数はかなり多いし、地味な番組なのに意外。 そのあとも、知り合いや日本語クラスの生徒に会うと「見たよ〜このTVスター!」などと言われるし・・・。 日曜の夕方って、みんなヒマなのね。
それにしても、おもしろい経験させてもらいました。


その日の衣装はルーズタートルのセーターでした。 実はなんと!前後逆に着ていたのに後で気づいたのは、セルビアでは墓場まで持っていくヒミツなのです。

ニシュの日本文化月間

2月、ニシュで日本文化月間(MESEC JAPANSKE KULTURE)というイベントが行われました。
世界の興味深い文化を紹介するという趣旨で運営されているNGOの団体が、今回日本を取り上げたものです。


初日は日本大使を招いてのスピーチに始まる開会式。 会場ホールには、平日の午後にもかかわらずおよそ100人の人々が集まり、続けてあった現代の日本の様子を紹介するビデオには、けっこうみんな興味津々で見入っていました。


ニシュには盆栽クラブがあるそうで、その会場では会期中ずっと盆栽の展示が行われていました。 ほっほー、なかなかやるじゃんーと眺めてると、たまたま会場に居合わせた人に、どうやってあんな小さい木を育てるの?なんて聞かれてドギマギ。 「さぁー、樹齢100年超えるのもあるそうですが・・・」というくらいで結局何も答えられない私(汗)。
また、俳句クラブや武道クラブ等からのレクチャーも行われて、内容はかなり盛りだくさん。 折り紙のレクチャーでは、ノビ・サドの折り紙クラブからわざわざ講師を招いてのものだったそうです。 良かったー私にお声がかからなくて。 鶴しか知らないんだもん☆


毎週1本ずつの日本映画の上映会では、計5本ほどがピックアップされてました。 まあベーシック?なところで黒澤明小津安二郎溝口健二小林正樹の作品が。 「Ghost in the Shell」もプログラムにありました。 私は「雨月物語」を見ようと夜8時の上映開始にでかけたのですが、いきなり入口が閉まってて真っ暗! なんと映画館のストライキで中止となったのだそうです・・・。 当日ローカルラジオで告知したそうですが、やっぱり同じように何人が入り口でガッカリしてました。 結局代替上映もなし。 ちなみにそこは、1月にハリー・ポッターを見に行った映画館でした。 あのときは暖房が不十分で寒いのが辛かったなあ・・・ 館自体がお約束どおりボロボロなのはしょうがないけど、雨月物語みたいな映画には雰囲気的にアヤしさ倍増でピッタリだったかも・・・?(^^;) 返す返すも残念。


主催者の話では、全体通してどのイベントも結構盛況だったそうです。 日本文化というよりは珍しいものに対する興味なのかもしれないけど。 こちらでは日本といえばSONYだとかTOYOTAだとかの工業製品がイメージ的に強く、あとはアジアの他の国との違いがよく分からなくて混然、みたいな感じ。 こういう場で日本的なところに触れてもらえたかなと思うと、ちょっとうれしい気もしますよねー。