紅玉いづき - サエズリ図書館のワルツさん 1

ツイッターに半端な感想を投げておいて、最後の章だけ放置してたのをようやく読了。

※以下軽くネタバレあり









そちらでも書いたけれど、最初はタイトルと著者からしてファンタジー寄りの話かなと思い読み始めたら、最初の章は上司にいびられたり日々の生活に疲れたOLが主人公で、アレッ、なんでも無い日常の中のちょっとしたいい出来事みたいなお話なのかな、と思いきやまさかまさかのマッドマックスやインターステラーの世界観を彷彿とさせる今よりいろいろと悪くなっちゃった世界の近未来SFでした。

ただSF設定に関しては、資源の奪い合いやら戦争やらあって世界の中心都市は破壊され汚染され、ネットワークシステムも大規模なウイルス散布のシステム障害で破壊されたとかエネルギーを消費する先進技術は使えなくなったとか国家は機能を失いかけてるとか設定されてる割に、ディストピア的な管理社会は強化されてる感があったりどうにもちぐはぐ。
実際劇中で描写されてる不便というのも、紙の本が贅沢品になった(データ端末では普通に読める)とか、停電が多いとか、交通インフラが衰退してるとか、せいぜいそんなもんだし。

まあハッキリ言ってしまうと、あんまりSF的な整合性とかは考えずに、作者が近未来に抱いている漠とした不安をいろいろと具現化した想像の世界という感じかもしれない。

ただその代わりというのも変だけれど、著者が抱く、緩やかな衰退に向かうだろう近未来への不安と、それと対になる希望が、それこそ言葉通りの意味で「震災以降の想像力として」人によってはナイーヴ過ぎると捉えられるかもしれないような切実な筆致で描かれている。

というか自分自身この人の文章はナイーヴ過ぎるきらいがあるなあとは前々から思っていたので、承知の上というかある意味予想通りだったというか、まあそんな感じだったりする。

しかしそのナイーヴさと表裏一体の切実さがこの人の魅力なので、作者のファンなら勿論、その切実さに共感できる人なら前述したSF的設定の粗さも気にならないだろうし、おそらく著者も著者で届く人に届けばいいと思って書いているのではないかという気がする。

なんというか、最近そういうテーマの小説に続けてあたっているのだけど、このおそらくゆるやかに衰退していくだろう世界で何かを残すこと、特に、子どもを残すことの意味なんかを考えてしまっている人には、こちらもTwitterでぼんやりとつぶやいた、成田名璃子『幸せの青い贈り物』と並んで響くものがあるんじゃないかと思った小説(最近はライト文芸とかライト小説とかけったいなジャンルに入れられているモノで)

紅玉いづき - サエズリ図書館のワルツさん 1

ツイッターに半端な感想を投げておいて、最後の章だけ放置してたのをようやく読了。

※以下軽くネタバレあり









そちらでも書いたけれど、最初はタイトルと著者からしてファンタジー寄りの話かなと思い読み始めたら、最初の章は上司にいびられたり日々の生活に疲れたOLが主人公で、アレッ、なんでも無い日常の中のちょっとしたいい出来事みたいなお話なのかな、と思いきやまさかまさかのマッドマックスやインターステラーの世界観を彷彿とさせる今よりいろいろと悪くなっちゃった世界の近未来SFでした。

ただSF設定に関しては、資源の奪い合いやら戦争やらあって世界の中心都市は破壊され汚染され、ネットワークシステムも大規模なウイルス散布のシステム障害で破壊されたとかエネルギーを消費する先進技術は使えなくなったとか国家は機能を失いかけてるとか設定されてる割に、ディストピア的な管理社会は強化されてる感があったりどうにもちぐはぐ。
実際劇中で描写されてる不便というのも、紙の本が贅沢品になった(データ端末では普通に読める)とか、停電が多いとか、交通インフラが衰退してるとか、せいぜいそんなもんだし。

まあハッキリ言ってしまうと、あんまりSF的な整合性とかは考えずに、作者が近未来に抱いている漠とした不安をいろいろと具現化した想像の世界という感じかもしれない。

ただその代わりというのも変だけれど、著者が抱く、緩やかな衰退に向かうだろう近未来への不安と、それと対になる希望が、それこそ言葉通りの意味で「震災以降の想像力として」人によってはナイーヴ過ぎると捉えられるかもしれないような切実な筆致で描かれている。

というか自分自身この人の文章はナイーヴ過ぎるきらいがあるなあとは前々から思っていたので、承知の上というかある意味予想通りだったというか、まあそんな感じだったりする。

しかしそのナイーヴさと表裏一体の切実さがこの人の魅力なので、作者のファンなら勿論、その切実さに共感できる人なら前述したSF的設定の粗さも気にならないだろうし、おそらく著者も著者で届く人に届けばいいと思って書いているのではないかという気がする。

なんというか、最近そういうテーマの小説に続けてあたっているのだけど、このおそらくゆるやかに衰退していくだろう世界で何かを残すこと、特に、子どもを残すことの意味なんかを考えてしまっている人には、こちらもTwitterでぼんやりとつぶやいた、成田名璃子『幸せの青い贈り物』と並んで響くものがあるんじゃないかと思った小説でした。(どちらも最近はライト文芸とかライト小説とかけったいなジャンルに入れられているモノですが)

Zombies - New World

New World

2000年代に入ってボーカルのコリン・ブランストーンとキーボードでソングライターのロッド・アージェントを中心に再結成してコンスタントに活動をしているゾンビーズ
今年はニューアルバムに加えてなんと初の来日公演までしてしまった。

で、そのコリン&ロッドのゾンビーズもいいのだが今回取り上げるのは90年にベースで最年長のクリス・ホワイトが中心となって再結成したときのアルバム。


クリス・ホワイト?


自分もゾンビーズ好きを自称しておきながら、ゾンビーズといえば独特のスモーキー(?)ハスキーボイスを持つコリン・ブランストーン、そして解散後に自分の名前を冠したバンド、アージェントを立ち上げて一定の成功を収めたロッド・アージェントの二人のバンドというイメージで、他のメンバーはオマケみたいな感じだった。

だがかの名盤Odessey & Oracleのクレジットを見てみるとなんと12曲中五曲はホワイトの作曲だったりする。
極上のポップソングFriends of Mineなんかが実はホワイトの作なのだ。

なんとなく印象としては、She Is Not ThereとかTime of Seasonみたいな、ゾンビーズのジャジーでアダルトな感じを担ってたのがアージェントで、Friends of Mineのようなポップな側面はホワイトが受け持っていたのかな、という気もする。(アージェントだってポップな曲も書いてるので一概には言えないのだが)

そこら辺が再結成アルバムを聴くと違いがよりはっきり出てるような気がする。
現行のコリン&ロッドのゾンビーズの最初のアルバムAs Far As I Can Seeの代表曲I Want To Flyなんかは思いっきりアダルトな雰囲気のバラードで、She Is Not ThereとかTime of Seasonの延長線上にある感じが強い。
 
それに比べるとホワイト主導で作られた(アージェントは一曲のみゲスト参加)このアルバムはアレンジもストリングスを入れたりしないわりとすっきりめで軽いポップソングが多い。
90年だけあってネオアコ風味だったり、シンセがバリバリなってるような時代を感じさせるアレンジもあるけれど曲はよい。

中でも、今は亡きオリジナルギタリストのポールも参加した一曲目のNew Worldは哀愁を帯びたマイナーコードから始まる曲でイントロから胸キュンしちゃいます。

コリン&ロッドのゾンビーズもいいけどちょっと曲がクドいかなとか思ってるアナタ(ってそんなアナタは大体こっちもチェックしてそうだけど)、これを機会にゾンビーズのホワイト曲を聴きなおしてみるのはいかがでしょうか?

ちなみに今AmazonさんではAs Far As I Can SeeとNew World、どちらも千円以下で買えてしまうので60年代のゾンビーズしか聴いてないという方もあわせてこの機会に再結成ゾンビーズに手を出してみてはいかがでしょうか?
Odessey & Oracleのような文句なしの名盤とはいきませんが、美メロとコリンのボーカルは健在ですよ。