折り返し

今朝の千代田線は久々にそれなりに混雑していた。各方面から出社してくる会社のひとたちの話を聞くにつけても,鉄道は1日で大きく平常に近づいた印象がある。
一方,テレビや新聞など声の大きなメディアの言うことを鵜呑みにする人というのが予想以上に多いことに驚かされる。昼食はチームの人たちと一緒なのだが,あまりにも無責任な発言ばかりに感じられていらいらする。今日はいらいらするときはそっぽむいて不快感を120%表明し,放射能がどうたらこうたら逃げたほうがいいどうたらこうたら「まだ家のローンが残ってるのに俺死んじゃったらどうしよう,HAHAHA」どうたらこうたら。特にローン発言には殺意を覚えたので,「私は今回自分の科学的リテラシの欠如を深く恥じているので,軽はずみに発言する権利は自分にはないと思っています」と声たからかに宣言しておいた。伝わったかしら,私の気持ち。
だいたいそのローン発言の主は給料泥棒なので,お前のローン誰が払ってやっとるとおもっとんじゃというのも怒りの一因である。いつもスポーツ新聞の見出しレベルの発言しかしない人。「実家に帰ってこい,と親に言われる」と言った私に「女の子だから親は帰ってきてほしいだろうね,男ならともかく,HAHAHA」とのたまい,別の女性に「いや男とか女とか関係ないけど」とばっさり斬り捨てられてもいた。

平日2日目

私もはてな記法を思い出しつつある。
会社で仕事の合間にみんなニュースサイトなんかをチェックしている。どこどこで通常の●倍の放射性物質を測定,という見出しを見ては,「●倍」という数字に過剰に反応している。ゼロは何倍してもゼロのまま,ということはみんな知っていると思う。「●倍」の基準となる数字の意味と,それが「●倍」されたときに変容する意味と,その二つの意味の差とが理解できて初めて正しいリアクションがとれるのではないかと思うのだけど,みんな意外とリアクション芸人である。
通勤は今日も特段不都合なく。朝は,東西線が混雑による車両一部破損とやらで止まっていたので,乗らなかったけれど。自分の生活があまりにも平穏に感じられるので,なんだかいろいろなひとに対して申し訳なさを感じる。

平日初日

都内では多くの出社困難者が出る中,特に大きな苦労なく出社し(むしろ朝の電車で座れるという奇跡が起きた。直通運転中止のため人が少なかったのか,他の賢明な方々はもっと早く出勤していたのか),帰りも銀座線・東西線の混乱を避ければあとは至って平穏だった。
うちの会社は,少なくともわれわれひらひら社員には特段のBCP的なものを示さなかった。うちの会社,緊急時連絡網しかないけど,携帯電話が通じないことは既に立証されているし,それでも特にリアクションないし,公的側面の強い企業としてそのあたりのこといったいどう考えているのだろう。
心の平穏は,仕事してるほうが保たれることがわかった。ただし私の頭上の天井板が今にも崩れんとしているので,もう少し大きな余震がきた場合,まず間違いなく脳天に直撃するだろう。

ひさしぶりに。

東京都内も大きくゆれた,11日午後3時前の地震のときは,渋谷の屋外にいました。
最初は自分のめまいかと思ったけれど,あまりにもゆれが長くておかしいと思い,次第に周りの人も異変に気づき,地震だとわかりました。
免震構造なのか,それほど高くないビルが小刻みに激しくゆれていたこと,そしてセルリアンタワーがものすごくテンポゆっくりなメトロノームのようにゆらゆらとゆれていたことが,とても不気味でした。
明日から平日。私は私で,日常を営むべくがんばらなくてはいけないのだと思う。

誰か私を、引っ張って。

トウキョウソナタ』鑑賞。
予告等見る限りでは、家族4人がそれぞれに言えない秘密を持っている設定だと理解していたのだが、果たしてそういうストーリーだったのかいな。予告篇にひっぱられないように今後気をつけていかねば。
さて、現代日本で言われる「家族崩壊」の記号を煮詰め、それだけで構成すると、こんなにぎこちない「家族」になるのかと驚かされる。みんな、何のために食卓に並んでご飯を食べているのか。香川照之がダメ人間過ぎて、泣けた。
途中から半分寝ながら見ていたせいか、役所演じる泥棒の果たしたストーリー上の役割がよくわからなかった。あんなにどうしようもなかった家族が、最後どのようにして希望を見出だしたのか今ひとつぴんとこないまま、割と唐突にお話は終わってしまったのだった。
しかし、楽器演奏シーンって大概吹き替えだが、撮影現場はどういう空気なんだろうかといつも気になる。