今まで生えてきたことのない形の…

先月、歯を抜いた。
私は歯を抜くのが好きではないし、得意でもない。
今まで、人並みに(たぶん)何本か歯を抜いてきたが、何度抜かれても慣れないし、上手に抜かれることができない。「抜かれ上手(抜き上手)」になれない。
言うまでもなく、歯を抜くときは痛い。また、抜いた後も、ずきずきと痛さを、だいぶ長く引きずってしまう。よせばいいのに、ふと思い出したように口の中を舌でまさぐって、この間まで歯があったはずのところに、ぽっかりと穴が開いている感覚を確かめてみたりもする。そして、たまらなく悲しく、寂しくなってしまう。
歯を抜かれるときは、たいていはいつも突然だ。少なくとも、私の場合はそうだ。場合によっては、いついつに抜こうと(抜かれようと)決めてその通りにすることもあれば、あるいはそろそろ抜けそうだな、もう抜けるかなと思っていたらなんとなく抜けてしまうこともあるけれど。
以前、親しくしていた女性に、「歯を抜くのは痛いから嫌だ」と言ったことがある。彼女は、「好きな人なんていないよ」と言った。
「でも街中とかで、歯を抜いたばかりで痛そうにしている人なんてあまり見たことがないよ。よくみんな、あんな痛いのを平気な顔をしていられるな」と私は言った。
すると彼女は、一瞬真顔になって、「みんな、平気じゃないんだよ。我慢してるの。一見なんでもなさそうな顔で歩いているあの人もその人も、電車であなたの隣に座っている人も、一週間前か、二日前か、3時間前か、もしかしたら歯を抜いたばかりかもしれないんだよ」
私は彼女をオトナだなぁと思った。私より年下の人だったけど、そう思った。
その彼女も先月、歯を抜いた。私と同じ日に抜いた。
彼女もいま、痛いのに耐えてまた地下鉄に乗り、オフィスで仕事をし、カフェでお茶を飲んでいるのだろうか。いや、もうとっくに痛さなんか忘れてしまって、本当に何事もなかったかのように暮らしているのかもしれない。いずれにせよ、もう彼女に会って確かめることはできないけど。そして、「僕はまだ歯が痛いよ」と伝えることもできないけど。



Even if half of this world is torn, we get on the subway this morning.人気blogランキング

今日の時事ネタ

昨日は職場の宴会。同じテーブルにいた、日大出身の同僚と関学出身の同僚が乾杯しようとしてたんで、「あ、もう乾杯できるんだ(笑)」と軽口を叩いたら、テーブルの空気を軽くピリつかせてしまった件。



うちの職場で関学出身者は本当にレア。人気blogランキング

ツァイガルニクの南天

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

山崎方代の歌集『こおろぎ』より。
山崎方代という歌人を私はあまりよく知らなかった。小説家の山川方夫*1と字面が似ているので、混同して「山川方夫って、歌も詠んでいたのか」と思ったぐらいの知識だった。

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

先週、吐血して病院に運ばれた。大量飲酒によって嘔吐を繰り返した結果、噴門あたりが裂けて血が出たのだ。
吐血する直前に、ごぼごぼと酒を飲みながら読んでいたのが、この歌だった。
大量の飲酒がもたらす「結果」というのは、たいていの場合、誰でもわりと似通っている。しかし、大量の飲酒を引き起こす「理由」は、人によって多少は違うのかもしれない。
そして、私の場合の「理由」は。

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

彼の60代のときの歌だという。60代には、まだなってみたことがないのでわからないが、それぐらいの年代になってふり返ってみる、「本当の恋」とはどのようなものなのだろう。
人は一般に、完成・成就したものごとよりも、未完成・中断したものごとのほうが、強く、長く印象に残るといわれている。それを示した心理学者の名前から、「ツァイガルニク効果」と呼ばれる現象である。実感として、心当たりはないだろうか。

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

だからきっと、この「一度だけ」あったという「本当の恋」は、様々な理由があって実らなかったものだったのだと思う。ぷつんと中断して、宙ぶらりんになったままなのか。あるいは、恋して焦がれて、全力で恋しきった結果、実らなかったのか。それは、当事者たちにしかわからない。そして、やさしく穏やかだが、「どんな恋だったんですか?」という問いの余地を与えない、きっぱりとした下の句。それは、他人に語った段階で、「言葉で汚されてしまう」恋なのかもしれない。だから、「南天の実が知っております」とやわらかに突き放すのだ。

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

詳しいことはよく知らないが、山崎方代は生涯独身を貫いたという。そのこととこの歌は、もしかしたらまるで関係ないかもしれない。でも、その事実を透かしてみると、この歌がいっそう、しんと染みわたってくるように感じる。



私にも本当の恋がありまして吐いた血のみが知っております。人気blogランキング

*1:『菊』という掌編がよかった。

スパゲッティーの年に

家の近所に、小ぢんまりとしたトラットリアがあった。入りやすいけれど、ちょっとこじゃれていて、ピッツァ(気恥ずかしい言い方だけれど、あれは「ピザ」と呼ばれるそれじゃなくて、ちゃんとした「ピッツァ」だった)がおいしい店だった。だから、ときどき行っていた。
しかし先日、その店が突然、閉店していた。毎日とまではいかないが、頻繁にその店の前は通っているので、もし「◯月◯日で閉店します」的な張り紙が出ていたら気が付いたはずだし、閉まるんだったら最後に食べに行こうと思ったはずだから、本当に予告なしの閉店だった。
「当店は、◯月◯日で閉店いたしました。2年間のご愛顧ありがとうございました。なお、2月下旬からはパスタ専門店としてリニューアルします」
そんな張り紙が、ひっそりと、閉じたシャッターに貼られていた。
あまりに唐突な印象がしたので、ちょっとGoogleなどで検索してみたら、店長のものと思われるブログが見つかった。そのブログの閉店についてのエントリには、こんな記述があった。
「◯月◯日をもって閉店いたしました。突然の、そして事後のご報告で本当に申し訳ありません。事前にお知らせしなかったのは、してしまうと、自分の決心がぶれてしまいそうだったからです」
どう見ても、前向きに閉店、そしてパスタ専門店への転身を決めた人の書くことではなかった。そして、店長(と思われる人)を個人的に知るとおぼしき人のコメントと、それへの返信も気になった。
「お疲れさん。なんだか、いろいろ察したわ」
「ありがとう。うん、察して」
何があったかは知らないし、推測することもできないが、私が気に入っていたトラットリアが、何らかの事情で閉店せざるを、そして業態を変えざるを得なかったことだけはわかった。
数日後、店の前を通ったら、その店は、店名はそのままに、ロメスパの専門店としてオープンする旨の告知と、出される予定のメニューが貼ってあった。
むろんロメスパはロメスパでおいしいし、私も好きだが、もともとのトラットリアとはずいぶん隔たりのある転身だ。ちらっと、前に読んだブログのエントリが頭をよぎった。
メニューには「なつかしのナポリタン」「デカ盛りも可能」「トッピング イシイのハンバーグ150円」などの文字が書いてあった。なんだか、少しやりきれない思いになった。店名が変わらぬまま、というのも、やりきれなさに拍車をかけた。
先日、リニューアルオープンしたその店に初めて行ってみた。入るときや、頼むときに、なぜだか少しどきどきした。注文したのはデカ盛りのナポリタン。あらかじめ茹で上げてあるスパゲッティは、うどんのように太くて、真っ赤だった。以前のトラットリアだったら、決して出すことのなかったようなパスタだ。
ひと口食べてみた。おいしい。懐かしい、とか、珍しい、というのではない味がした。あえていうなら、「やさしい」味がした。アルデンテのカペッリーニもスパゲッティなら、太くてデカ盛りのナポリタンもスパゲッティだ。どちらが上で下、ということはない。私はどっちも好きだ。でも、確かに後者のほうが、私には「やさしい味」に感じられた。
いつかまた、かつてのようなトラットリアをどこかで開けるようになるのか。それとも、このままロメスパ専門店として続けていくのか。それはわからないけれど。
でも、私はまた、ときどき「やさしい」スパゲッティを食べに行きたいと思う。




あきらめた夢のひとつもあるほうが誰かに優しくなれる気がする (柳澤真実)。人気blogランキング

母校のこと

先日、とりたてて用事はなかったが、自分の卒業した高校まで行ってきた。母校に来るのは、たぶん8年ぶりぐらいのことだ。
人間だって、8年も会わないでいれば、最後に会ったときと比べて様子や事情などがけっこう変わる。学校だってそうだ。
8年前と大きく変わった点が二つある。一つは、校舎が全面リニューアルされ、大変立派になっていたことだ。
シンボルだった、高く白い時計塔は、(かつてのものとほぼ違わぬものとはいえ)新しく建て替えられていた。門を入ってすぐのところにあった噴水は跡形もなく、合格発表の日に私が自分の受験番号を見つけた掲示板が立てられていた事務棟も、立派な建物に生まれ変わっていた。中には食堂とホールと図書館がある由。建物の中にまでは入らなかったが、窓からうかがえる図書館の様子は、蔵書も多くて、明るく、利用しやすいものに見えた。学校でトイレに行かない日はあっても、食堂と図書館に行かない日はない高校時代を私は送っていた。当時の図書館は、開架式ではあるものの、かび臭くて薄暗く窓もない、倉庫みたいなところに書架があり、決して利用しやすいとはいえなかった。だから、図書館で私以外の生徒を見かけることはあまりなかったが、そこで私は本を読み耽ったものだった。
食堂も、私の頃とは違ってきれいで、おいしく栄養のバランスが取れたメニューがあるのだろう。揚げ餃子を卵でとじて、それを丼めしの上にぶちまけた「ギョーザ丼」(略して「ギョー丼」)や、メンチカツの上にミートソースがかかっているという無国籍感満点なのに、なぜか「メキシカンランチ」と名付けられていた不思議メニューなど間違ってもないはずだ。なぜならその食堂は、私の頃とは違って、女子生徒も利用するからだ。
もう一つの大きく変わった点は、共学になっていたことである*1。一昨年度から、付属中学ともども男子校から共学となり、その効果や、鉄道事情の変化によるアクセス向上、最寄り駅の再開発などにより、近年ではちょっとした人気校らしい。偏差値も、私が入った頃に比べればけっこう上昇しているのだという。
母校の発展は喜ばしいことだ。少子化で、私立も公立も生き残りをかけてしのぎを削る中、清潔で快適で新しい、行き届いた設備で学べる環境は、生徒にとっても学校にとっても大きなアドバンテージだろう。
ただ。
こんな立派で隙のない学校に、かつての私みたいな、勉強もスポーツも大してできず、女の子とも縁がなくて、読書とクイズぐらいしかやることのなかったような、さえない生徒の居場所はあるのだろうか。それがちょっとだけ気がかりだった。それとも、そんなしょーもない生徒は、人気校になった今はいないのだろうか。リア充ばっかりなのだろうか。
公立に毛が生えたような、クソぼろくて小汚くて男臭い学園で、友達もろくにおらず、でも女子もいない環境だったから、クラスメイトにいじられ、からかわれつつも排斥はされず、細々とクラスの中に生息して、ひたすら読書をし、早く大学に行きたいとひたすら願っていた当時の私のことを思った。いま、あいつがこの学校の生徒だったら。明るくて蔵書の多い図書館を喜んだだろうか。小ぎれいでおいしい学食を楽しんだだろうか。
真新しい芝のグラウンドで、女子生徒が体育の授業をしていた。移転されたわけでないとはいえ、私が通った学園は、なくなってしまったのだと思った。どこに行っても、あの学校はもうない。
一度でいいから、隣に女の子を連れて歩いてみたいと願いながら、毎日一人ぼっちで通った通学路を、私は駅へと戻っていった。



まぁ、廃校とか統廃合されるよりはましなのだろうけど。人気blogランキング

「近所づきあわない」の罠

いま住んでいるマンションでは、個人的に近所づきあいが全くない。もちろん、エレベーターなどで住民に会えば挨拶ぐらいはするが、隣の住民の顔も名前も本当に知らないし*1、顔見知りもいない。
さて先日、近所に買い物に行ったら、会社員時代の先輩・アンザイさん(仮名)にとてもよく似た人とすれ違った。一瞬のチラ見だったから、本当にアンザイさんだったかどうかはわからないが、本当に彼だったとしても、納得してしまいそうなくらいに似ていた。
アンザイさんは、新人時代に所属していた部署の直属の先輩で、とても世話になった人だった。よく飲みに連れて行ってもらったり、ごちそうにもなった。しかし、それと同じかそれ以上くらい、うっとうしく嫌な思いもしたので、正直、いまさら関わりを持ちたいとは思わない。以前、Facebookの「知り合いかも」に出てきたことがあって、そのときは横浜市在住となっていたから*2、もしかしたら本当にその人だったのかもしれない。
何が言いたいかというと、もしかしたらお互い知らないだけで、私とアンザイさんが実は同じマンションに住んでいるという可能性もゼロではないかもしれない、ということだ。私みたいに近所づきあいが全くないと、しばらくご無沙汰の知人と、知らず知らずのうちに偶然いっしょに住んでいてもわからないのだ。もう会いたくない人であっても、また会いたい人であっても。
もしいつか、マンションのエレベーターホールでばったり出くわしたアンザイさんに、「あれ、一斗じゃん? うそ、今ここに住んでるの?」などとと声をかけられたら、と思うと。
ちょっとだけホラーな気分である。



かといって、戸建てに住むのは面倒である。人気blogランキング

*1:LÄ-PPISCHみたい。

*2:以前は、現在の私と同じ沿線の都内某所に住んでいた。

不意打ち表参道

あれは、表参道ヒルズがオープンした年だから、2006年のことだった。そうか、もう11年も前の話なのか。当時、私はフリーランスで仕事をしており、あるクイズ番組の問題作成をお手伝いしていた。
その日は、表参道ヒルズがオープンする前日だから、2月10日のことだった。赤坂で、その番組の定例会議があり、それが終わった後、同じくその番組に参加しているリサーチャーの女性と私はカフェにいた。次週までの宿題の相談をしたり、とりとめのない話をしたりしていた。
どういう話の流れでそうなったかは覚えていないが、そのうち、その女性が「一斗くん、このあと予定ってある?」と聞いてきた。悲しいかな、そんなに売れっ子ではなかった私は時間があり余っていたので、そう答えると、彼女はこう言った。
「だったら、表参道ヒルズ、見に行ってみない?」
「でも、オープンって明日でしょ?」
「うん、知ってる。外から見るだけなんだけど。だめ?」
「いや、構わないけど。ああいうところ、興味あるんだ?」
彼女は決して野暮ったかったり、おしゃれでないという人ではなかったが、派手な浮ついているような人ではなかったし、そういう流行のスポットや、ハイブランドなどにはあまり興味があるようには見えなかった。だから、私はちょっと意外だった。
「ちょっと行ってみようかな、と思って。悪いけど付き合ってくれる?」
そんなわけで、私たちは千代田線に乗り、表参道で降りた。表参道ヒルズに着いては見たものの、当然のことながら中には入れない。外からちょっと建物を眺めて、それでおしまいである。何がしたくて彼女はここへ来たんだろう、と思っていたら
「ねえ、もう一つ付き合ってほしいところがあるんだけど」
言われるままに一緒に歩いていくと、彼女は「ラ・メゾン・デュ・ショコラ」へとやってきた。言わずと知れた高級チョコレート店だ。そして、今日は2月10日。そこで私は、ようやくピンときた。
「そうか、表参道ヒルズは口実なんだ。彼女は私に、少し早いバレンタインデーのチョコレートをくれようとしているんだ」
次に番組の会議で会うのは2週間後だから、少しフライングだけど、今日渡してしまおうということなのだ。それならそうと、早く言ってくれればいいのに、回りくどいなぁ。とちょっとうきうきしながら彼女と一緒に店内に入った。
ちょっとやそっとの義理チョコではあげられないしもらえない代物があふれ返った店内では、多くの女性が真剣な顔でチョコレートを物色していた。ただ一人、私の隣にいる彼女を除いては。
「うわっ、何これ。高っ! 覚せい剤でも入ってるのかってくらいの値段だね」
「確かにおいしそうだけど、私は『キットカット』とかのほうが好きだなぁ」
いささか場違いな感想を、彼女はフランクに、割りに遠慮なく口にした。私のほうが、他の女性の視線を気にしてしまうほどだった。結局、彼女は何も買わずに店を出た。
本当に、何がしたくて彼女は私を付き合わせたんだろう。軽くがっかりしてとぼとぼ歩いていたら、彼女はまた立ち止まった。
「ここ、入っていい?」
そこは、新潟県のアンテナショップだった。「ラ・メゾン・デュ・ショコラ」よりは個人的に興味があったので素直に入っていくと、ちょうど日本酒の即売会をやっていた。現金なもので、さっきまでがっかりしていたのも忘れて、いろいろな日本酒を眺めていると、彼女が聞いてきた。
「一斗くんて、ここに出てるお酒、ほとんど飲んだことあるの?」
「まさか。飲んだことないもののほうがずっと多いよ」
「ふーん。どれがおすすめ?」
私は、たぶん彼女が自分の父親にでも買っていくのだと思い、なんだったか忘れてしまったが、ある銘柄をひとつ挙げた。
「これはおいしかったと思う」
「そう。じゃあ、これにするね」
彼女はレジで会計を済ませると、私といっしょに店を出た。外はもう日が暮れていた。表参道の駅まで歩いていくと、彼女は原宿から帰るという。
「気を付けてね。いろいろな店に行けて楽しかったよ。ありがとう」と私が礼を言うと、彼女は私に、さっき買ったばかりの日本酒の瓶を手渡した。
「はい、これ」
「え、お父さんに買ったんじゃないの?」
「うち、誰もお酒飲まないもん。一斗くんに」
「ありがとう。でも、なんで?」
「だって一斗くん、チョコレートよりこっちのほうが好きでしょ?」
そういう不意打ちのバレンタインデーも、この年になるととんと縁がない。ちょっと懐かしい。彼女の消息は知らない。



20代最後の年でした。人気blogランキング