スイッチ。

10月10日(月/祝)今日から夫が出張。朝ご飯を作り(海外に行く前と、帰国した日は和食を食べる、というしきたりがある)朝の6時から一緒に食卓を囲む。夫が出発後、娘が起きて来たのでまた一緒に朝ご飯。1日5食くらい食べている私。することもなくなったので、娘と近くの公園に遊びに行った。1時間近く、遊具で遊びお昼を食べたら3時間半お昼寝。午後に出かけようと思っていたところには行けず。

10月11日(火) 連休明けは仕事が忙しい。今まで長時間労働で何とかこなしていたけど、今は限られた時間でいかに役に立つか、を考えながらの仕事。

10月13日(木) 朝から委員会のためバタバタ。長時間の会議は脳が疲れる。定時で帰ろうと思っていたのになんやかんやと時間がかかってしまい、結局いつもと同じ時間。帰ろうとしたら、人身事故で中央線がストップしてしまい、しばらく動かないという。まったくよー、と思いながらしばらく様子を見ていたが、再開見込みが1時間後だというのであきらめて地下鉄で途中まで帰ることを試みるも、人の多さにホームまで辿り着けず、やっと辿り着いたときにはすでに会社を出てから1時間がたっていた。当然、保育園のお迎えに間に合わず・・・。結局19時半まで保育園に預かってもらい、帰宅して、食卓にまだ朝ご飯の食器が残っていたのを見て見ぬふりをする。

10月14日(金) 今週も4日間しか会社に行かなくて良いのに忙しかったからか長い1週間だった。金曜日の帰り道は仕事のスイッチをオフにして、母親のスイッチを入れる瞬間。

10月15日(土) 保育園で運動会があるという。娘はまだ小さいので出場しないが、先生が遊びにくれば?というので買い物がてら寄ってみた。暴風雨が収まってから家を出たので、見れたのは最後のリレーとダンスだけだったけど、リレーは一番年上のクラスの子が2組に分かれて一生懸命走る姿に、先生や参観していた親たちもうるうる。まったく関係ない私も娘を抱っこしつつホロリ。

色々ある昨今ですが、子どもでも大人でもやっぱり一生懸命であることが大切なわけで。自分に取っての正解をゆっくり見つけて、毎日を丁寧に生きて行きたいと思う。

母のイカナゴと春の到来

ふるさとの兵庫県の一部の地域では、毎年3月の初め頃になるとイカナゴという魚が出回ります。イカナゴの釘煮という郷土料理をどこの家庭でもだいたい炊いて春が来たなぁ、と実感するのです。
その日の朝穫れたイカナゴを昼頃スーパーに買いに行き、その日の午後すぐに炊かないと鮮度が落ちてしまい綺麗に炊くことができないという魚。そして解禁から2、3週間でシーズンは終了し、だんだん魚の大きさが大きくなってくるので崩れないように上手に炊くのは難しいらしい。醤油、ざらめ、しょうがと一緒にかきまぜないようにしてコトコト煮たものが今年も母からとどきました。

宅急便もゆうパックでも送れるように、各社が用意した専用のタッパーと箱まであるんですよ!

日本らしい文化だなぁと思ってしまいます。

同じ関西でも京都や大阪ではほとんど食べない(自分の家庭で炊くところもあまりないはず)イカナゴ。自分では炊いたことがないけれど、一度くらい挑戦したいものです。

実家周辺のサクラ並木はそろそろ咲き始めるころ。春ですね。

15歳の君へ

16年前、私は15歳になろうとしていた。毎日とても幸せと実感していたわけではないが、困難に直面したことも心の底から悩んだこともほとんどなかったように思う。1月17日の朝、何が起きたのか少しずつ理解できたのは、地震から数時間たって電気がつくようになってからだ。テレビの画面に映し出される恐ろしい光景、台所の床にちらかった鮭の粕汁(前の晩の残りが鍋に残っていて、それが床一面にこぼれていた。だから今でも鮭の粕汁を食べるとその日のことを思い出す)、ほとんどすべてぺしゃんこになっている町内の様子、そして家族で自宅を離れて避難しなければならない現実を目の当たりにした。ガスや水道は震災後2ヶ月くらいで復旧したように記憶しているが、その間不自由なことがいろいろとあっても決して弱音をはかない両親をはじめ、いろんな人に助けてもらいながらいつもどおりの生活をとりもどしていくことができたのだ。
その経験をした自分には今何ができるだろう。いろいろな偶然が重なって生きている自分には。何かあるんじゃないかな、とずっと考えています。

あかちゃんもってる


吉田戦車の絵本「あかちゃんもってる」を集中して読む。同じフレーズが繰り返されて、絵もインパクトがあって、面白い。写真に描いてあるロボットがもってるのは昆虫のとんぼ、ということが次の頁で明らかになるのですが、なぜとんぼ?