旧被扶養者減免の条例改正は不要か

国民健康保険料には、旧被扶養者減免という制度があります。

…という書き出しからして、正確な表現ではありません。少し正確に言い直せば、「国民健康保険料について、ほぼすべての保険者が、条例及び減免基準を定めて、旧被扶養者に対して減免を実施しているものと思われます。」くらいのところでしょうか。

いちいち正確な物言いをしてるとめんどくさいので、ここからは旧被扶養者減免を当然に実施しているという前提で記事を書くことにします。地方自治って何なんだろうね一体。


旧被扶養者減免は、高齢者医療制度の発足に伴い、平成20年度から始まりました。当初は2年間の時限的な激変緩和措置として制度設計されましたが、政治的にいろいろあって、平成22年に「当分の間」とする制度改正を行い、現在まで「当分の間」が続いています。

このへんの経緯については、9年前のD-lizさんが詳しく解説してくれているので、そちらを参照のこと。


さて、9年前にも書いたとおり、旧被扶養者減免というのは、もともと高齢者医療制度にあった激変緩和措置を、国保にコピーして持ってきたものです。(高齢者医療は社会保険の被扶養者自らが高齢者医療の被保険者になった場合、国保社会保険の被保険者が高齢者医療の被保険者となったことにより、被扶養者が国保の被保険者となった場合)

平成22年に期間が「当分の間」とされてからすでに9年、激変緩和措置という制度の当初の趣旨を考えれば、そろそろ本来の姿に戻す頃合いです。

そんなわけで、高齢者医療確保令が改正され(平成29年1月25日政令第9号による改正後の高齢者医療確保令附則第11条の2:条ずれにより現附則第4条)、平成31年4月1日から「応益分についてのみ」減額期間が本来の2年間に戻されることとなりました。なお、応能分は「当分の間」のまま据え置き。

※応益分とは、保険料のうち、1人当たりいくらのように、被保険者が受益者として等しく負担すべき部分(均等割・平等割)。応能分とは、被保険者の負担能力に応じて賦課される部分(所得割・資産割)。国民健康保険料は、応益分と応能分の合計として算定される。


さて、高齢者医療確保令が改正されたということは、この激変緩和措置をコピーしている国保においても、同様の見直しを行うことを検討する必要があるでしょう。

しかし、厚労省から送られてくる条例参考例に倣って条例制定している保険者にあっては、旧被扶養者に対する保険料の減額を「減免」として定め、減免の対象者となる旧被扶養者の「定義」において2年間に限る旨を定め、これを附則で「2年間」→「当分の間」に読み替える対応をしています。減免額は条例に明記されず、各保険者が減免基準を定めて対応していることと思います。

今回の旧被扶養者の減免期間の見直しに当たり、条例改正が必要なのか、改正するとすれば条例のどこをどう改正するのか、気になっている関係者の方も多いと思いますが、D-liz的結論としては、「条例参考例に倣っている限り、今回は条例改正不要」という考えです。


条例改正が不要な理由を解説します。

条例参考例では、「2年間」の期間制限は、旧被扶養者の「定義」として書かれています。今回の減免期間見直しは、保険料のうち応益分のみの見直しであって、応能分は引き続き「当分の間」減免対象となるのですから、条例改正して旧被扶養者の「定義」を「2年間」に戻してしまうと、応能分の減免について意図したものと違う結果になってしまいます。なので、応能分の減免のために「当分の間」の文言を残す必要があるので、条例に手をつける必要はなく、応益分の減免を2年間に限る対応は減免基準の中で何とかするほかにない、ということになります。

…そう言われても、何となく不安、というあなた。

条例で「当分の間」となったままなのに、基準で期間を2年間と区切ることに抵抗感のあるあなた。

その不安はもっともです。

しかし、その不安は、10年前に解決しておかなければならなかった不安であり、条例参考例をコピーして現在の条例を作ってしまっているのなら、今さら不安がっても仕方のないことなのです。


そもそも、高齢者医療制度では「減額賦課」である旧被扶養者軽減が、国保制度ではどうして「条例による減免」になってしまっているのでしょうか。

高齢者医療確保令と同様の規定をどうして国保令に設けなかったのかは知りませんが(どうせ大した理由じゃないんだろうな、と思いつつ)、国保料の賦課が政令で定める基準に従い条例で定めるものである以上、政令に何ら定めのない旧被扶養者軽減を条例でいきなり「減額賦課」として定めるのは、無理筋であるように思います。

したがって、政令に規定がない以上、保険者に裁量権のある「条例減免」として定めるくらいしか方法はないわけですが、論理的には、「そもそも国保令でちゃんと書いとけばそれで済んだ話じゃん」としか言いようのないところです。


無いものねだりをしても仕方ないので。政令に規定がない以上、旧被扶養者の軽減を条例減免として定めるのは、現実的な対応です。(還付金として返せないものを寄附または補助金として返すことは現実的な対応です、というのと同じくらい、どっかズレた話ではありますが)

そして、現行の条例参考例によれば、減免の対象者である旧被扶養者の要件について明記する一方、減免の具体的内容については条例に定めず、別に定める減免基準に任せています。

このことは、減額賦課と条例減免の根本的な違いから生ずるものであって、賦課算定基準が条例に明記されて一律に賦課決定されるものであるのに対し、条例減免は(処分基準を設けるにしても)被保険者からの申請を受けて個別に判断して処分するものであることによると、私は考えます。

つまり、条例に基づく減免には長に一定の裁量権があること、個別の被保険者の状況に即し裁量判断をすべきであることから、減免の具体的内容が条例事項とならず、長の定める基準(申請に対する処分基準)となるものだと理解しています。

言い換えれば、今回の旧被扶養者の軽減で「条例に書かなくっていいの?」という違和感を感じるのは、その奥底で「そもそも、旧被扶養者軽減って、何で減額賦課じゃなくて条例減免なの?」という違和感と、根っこがつながった問題なのだ、と私は考えているのです。

したがって、条例減免として旧被扶養者軽減制度を定めてしまっている以上、今さら不安だと騒いでも仕方がないから、今回は条例いじらずに減免基準だけ改正しとけ、というのがロバ耳的結論。


地方自治って、自主財政権って、ほんと何なんだろうね、一体。

9年前の自分に教えを請う

あけましておめでとうございます(しれっと

年が明けると条例改正シーズンですね。あまりに久しぶりすぎていろいろ忘れてますしそもそも自分、今年は条例担当ではない感じなのですが国保条例の改正の見込みをちょっとだけ整理。

 

【改正動機1:国保料(税)の賦課限度額引き上げ】

国保料(税)は、前年の所得に応じてかかる「所得割」の分があるため、所得が高くなればなるほど、保険料の賦課額も高くなります。

このため、保険料の賦課額には「賦課限度額」が定められており、限度額は、政令国民健康保険法施行令)で定める基準に従い、各保険者が条例で定めています(国民健康保険法76条、81条、施行令29条の7)。

保険料は「医療分」(療養の給付等、医療保険制度のために使用される分)「支援分」(後期高齢者医療保険へ拠出金する支援金の原資となる分)「介護分」(介護保険へ拠出する介護納付金の原資となる分)の合計として算定されますが、現行の政令では、医療分の限度額が58万円、支援分が19万円、介護分が16万円と定められています。

今回、医療分の限度額を61万円に引き上げるため、政令改正が予定されています。(支援分・介護分は据え置き)

限度額を引き上げた効果としては、高所得者の負担が増となり、その分、中間所得者層の負担が軽減される、と一般的に説明されます。(医療給付等に要する経費総額が変わらない以上、集めるべき保険料総額も変わらず、賦課限度額をいくらにするかという問題は、集めるべき保険料総額のうち誰にいくら負担してもらうかという問題になる。言い換えれば、限度額を引き上げることで、中間層への影響の大きい保険料率そのものの引き上げを抑制できる)

保険料の賦課については、政令に基づき各保険者の条例で定めており、限度額も条例に明記されているため、基本的に、政令が改正されれば条例も改正されるという判断になります。(政令改正無視して条例の限度額を据え置いたらどうなるだろうと想像してみたが、療給負担金や調整交付金などの公費が引き上げ後の限度額を前提として算定される結果、引き上げ相当分を市町村が自主財源で独自に軽減したのと同じ効果になりそうな気がする。そうすると、税金使ってわざわざ高所得者を優遇しているような見かけになり、現実的でないのか)

 

【改正動機2:軽減判定所得の引き上げ】

低所得者の負担軽減のため、国保料には、所得が一定の基準額を下回った場合に、保険料が一定割合軽減となる仕組みがあります。

具体的には、

  • 世帯主と加入者の合計所得金額(軽減判定所得)が33万円以下の場合は、7割軽減
  • 軽減判定所得が「33万円+(27.5万円×加入者数)」以下の場合は、5割軽減
  • 軽減判定所得が「33万円+(50万円×加入者数)」以下の場合は、2割軽減

となっています。これも、政令で定める基準に従い条例で定める事項です(国民健康保険法76条1項、81条、施行令29条の7第5項)。

ところで、景気拡大・物価上昇の局面にあっては、低所得者の実際の生活水準が変わらないにもかかわらず、所得金額が上昇するため、生活水準が向上しないのに軽減措置の対象から外れてしまう事態が想定されます。このため、慣例的に、物価上昇率を踏まえて、軽減判定基準額の見直しが行われてきています。

今回は、30年度の政府経済見通しを踏まえて、5割軽減の基準額を「27.5万円→28万円」、2割軽減の基準額を「50万円→51万円」に引き上げる方向で、政令改正が予定されています。これを受けて、条例改正が必要となるものです。(法令と条例の関係・改正しなかったらどうなるかについては、改正動機1の場合と似たようなもの。こちらは条例改正をしないと、国費等を受け取って低所得者軽減費用に充てることができるものを、わざわざ国費を受け取らず、その分を低所得者から保険料として徴収しているような状態になるのかな?)

こちらの改正については、「物価上昇の影響で軽減対象者の範囲が狭くなってしまうのを防ぐため、軽減判定基準額を引き上げ、前年までの軽減対象者と同等の範囲を引き続き軽減対象とする」ためのものなので、理論的には、この改正によって国保財政への影響はないことになります。(むしろ、この改正をしないと、軽減対象者が減る=低所得者の負担が実質的に増加する、という理屈になります。)

 

今回の改正は以上2点です。平成31年4月1日から施行し、平成31年度分の保険料から適用されます。

条例改正のスケジュールは政令に依存しますが、昨日(1月22日)の閣議で、改正政令閣議決定された模様です。平成31年1月22日(火)定例閣議案件 | 閣議 | 首相官邸ホームページ

なので、今週末くらいの官報で出てしまうので、3月議会の当初議案に載せない理由がないですね(白目)。

 

以上のほか、検討事項として「旧被扶養者の減免期間の見直し」というやつがありますが、D-lizの個人的見解としてはこの件は条例改正不要で。つーか、長くなりすぎたのでこの件は別エントリとしたい。

ここまで書くために、9年前の自分のブログのエントリを必死で読み返していろいろ思い出しつつ、小声で「どひー」と呟いております。

審査請求の立証責任

つれーわー決算と審理員手続のピーク重なっちゃってマジつれーわー(ミサワ風)

 

昨年度から引き続き審査請求の案件を(審理員補助者という立場で)抱えているのですが、当事者の主張が微妙に噛み合わなくて困っています。

審査請求人は、弁護士を頼まない限りは素人なので、審査請求書が訟務のプロトコルに乗ってこないのは仕方のないところです(むしろ、形式的な最低限のラインが守られている限りは、適法な審査請求なのですから、請求人の意図を最大限に汲み取って審理手続をいかに有益なものとするかが、審理員の腕の見せ所でしょう)。

問題は、私が関わった事案においては、処分庁の主張・立証にも、少なからず不十分なところがあることです。

 

一般的な民事訴訟行政訴訟においては、自らに優位な主張と、その主張の根拠となる事実の立証は、自身で行うべきものです。

したがって、自治体が訴えられた場合において、原告の主張に関わる事実についてあやふやな部分があった場合には、当該事実の認否に関わる答弁としては「知らない」としておいて、原告のさらなる主張立証を待ってから反論する、という手段もとりえます。

そのせいか、審理員の審理手続きにおいても、処分庁が、聞かれたことだけにしか回答せず、積極的に事実関係を説明しようとしない傾向があるように思うのです(うちの市だけでしょうか…)。

 

審査請求を訴訟と同様に、勝ち負けを第一として負けないための戦略をとるべきものと考えるのであれば、処分庁が余計なことを話すまいとするのも頷けます。

しかしそれでは、審査請求制度は単なる行政訴訟の劣化版になってしまいます。

対審構造を採るとはいえ、行政庁の内部手続である審査請求において、あまり行政訴訟を真似すぎるのも考え物です。訴訟と異なり、行政庁が自ら処分の見直しをする機会であること、違法なものだけでなく不当なものも扱いうることを考えれば、処分行政庁には、訴訟とは異なる形の主張・立証の責任が課せられるとしても、それほど不思議な話ではないでしょう。

少なくとも、争われる対象が行政庁の処分である限り、当該処分に至る事実関係は、審査請求人と処分庁とのどちらに有利な事実かにかかわらず、第一には、処分庁に立証責任があるとするのが、制度として望ましい姿なのではないでしょうか。

 

とりあえず、目の前の案件については、審理員の質問権と物件提出要求権を最大限に行使して、処分庁から必要な事実を引っ張り出すことにします。

債権管理のシステム化

私のお師匠さんの一人が「債権管理条例は好きじゃない」というお話をしてくれたことがあります。理由はいくつかありますが、本来、債権管理のルールは地方自治法政令・省令、自治体の規則で定まっているのだから、その通り粛々とやればよいではないか、というのがいちばん大きな理由だったと思います。

このような見解は(昔ながらの行政法を学んだ身としては)至極もっともだと思う反面、債権管理条例に象徴される自治体の債権管理のシステム化には、大変なメリットがあるということもまた、否定できないように思います。

債権管理条例の制定、債権管理マニュアルの作成、債権管理部門の組織的位置づけの整理は、自治体における債権管理をシステム化し、ある程度のところまでは、誰がやっても同じようにできる状態を作り出しました。

その結果、ITとアウトソーシングを軸としたソリューションビジネスに大きなビジネスチャンスを開き、今や多くの自治体が、電話催告や滞納額通知など、債権管理のかなりの部分を外部委託するようになってきています。

 

保険料担当課に新規配属された職員として、滞納管理の電算システムの操作研修を受講させてもらいましたが、よくぞまあ標準化・システム化をしたものだと感心します。納入義務者(滞納者)ごとに交渉記録も文書発送の経過もすべてシステムで一元管理され、時効計算までシステムがやってくれます。

そして実際、システム導入と外部委託化は、少なくとも我が市では明らかに徴収率向上に結びついており、定型業務を外部化した結果、市職員は個別の納付相談や滞納処分(差押・換価・充当)に労力を集中することができるようになっています。

 

全体としては望ましい状況なのですが、しかし他方で、冒頭紹介したようなお師匠さんの違和感が、私の中にもまだ少し残っているのです。

システム化の宿命として、マニュアルがあれば誰でも仕事をできるようになり、根拠法令が読まれなくなる、という傾向は、避けられないように思います。必要な情報を過不足なく記した債権管理マニュアルを最初から手にしている今の若い職員は、(十数年前の私がやったようには)自治法施行令の条文を必死で探す、という経験をしないで済んでしまうのでしょう。

であれば、私のような古い職員の果たすべき役割は、滞納管理システムを使いこなせるようになりつつ、他方で、常に根拠法令との結びつきを見失わないようにすることなのでしょう。「強制徴収公債権って言うけどさ、強制徴収債権か一般債権かっていう(滞納処分の)問題と、公債権か私債権かっていう(時効の)問題は、一緒にしない方がいいよね」というくらいのひねくれた視点は、持ち続けていたいと思うのです。

ミッション完了

昨年度から言い渡されていた、新規採用職員研修の講師という任務も、本日、なんとか完了しました。

次年度へ向けての反省としては、まだまだ詰め込みすぎで、もっと削っていい、ということ。もっと雑談や豆知識でにぎやかすつもりだったのに、硬い話だけで持ち時間を使い切ってしまいました。せっかくネタ帳作ってきたのに披露できなかったじゃないか(おい

異動しました

ご報告遅くなりましたが、4月1日付けの人事異動で所属が変わりました。

新しい職場は国民健康保険の担当課です。いや、この歳で新しいことを覚えるのはなかなか骨が折れますね。優しい上司と温かい同僚に支えられて、どうにか生きております。

着任初日に頂いた「窓口応対マニュアル」が70ページ以上あることにまず戦慄。読み返して既に若干ボロボロですが、そのわりに内容が身についていない辺りに確かな加齢を感じます。

 そんな中で、マニュアルの中に「平成22年度から始まった非自発的失業者の負担軽減制度が…」とか書かれているのを見ると、かつての戦いの記憶がふつふつと甦ってきたり。

機関=器官

新規採用職員研修の準備を進める中で、後輩(2017年度新規採用)に講義内容をチェックしてもらっています。

 

俺「今年、研修受けた中で、ここが分かりづらかったなーっていう部分とかあったら、教えて?」

後輩「あの、法定受託事務自治事務、でしたっけ?あのへんの話が難しかったです」

俺「なるほど。法定受託事務っていうのは、『本来、国や県が行うべき事務だけど、法律上市が行うようになっているもの』だね。本来国がやるべきものを第一号法定受託事務、本来県がやるべきものを第二号法定受託事務という。第一号法定受託事務の例を挙げると、戸籍事務とかパスポート発行とか国勢調査とか」

後輩「そう、それです!そういう具体例があるとすごく分かりやすいです」

俺「なるほど、具体例大事、と(メモメモ)。第二号法定受託事務は、具体例が難しいんだよね。県知事・県議会議員選挙とかかな」

後輩「分かります、分かります」

俺「自治事務は、自治体の事務のうち法定受託事務以外のものが、全部自治事務だ。…法定受託と自治事務について深く知ろうとするなら、分権一括法による機関委任事務の廃止から説明しないといけないんだけど。平成12年(分権一括法施行の年)だと、後輩君、何歳だった?」

後輩「小学校入ったくらいですねー」

俺「だよなー。…俺が役所入った頃は分権一括法直後だったから、このへんの話は感覚的に分かるんだけど。今の若い子にそのへんを感覚で理解してもらうのは、難しいか」

後輩「機関委任事務の話も研修で教わったんですけど、正直、難しくて…」

俺「機関委任事務っていうのは、知事や市町村長が、国の『機関』として、国の指揮命令の体系に入って仕事をすることなんだ。『機関』って言葉の意味は分かる?」

後輩「…分からないです」

俺「『機関』ってのは『器官』なんだ(ノートに『機関=器官』と書いて見せる)。法人である自治体を一個の人間の肉体だと考えると、機関っていうのは手足であったり心臓や肺であったり胃腸であったりする、器官に相当する、って考えるとイメージしやすい。ところでこの『機関=器官』っていうのは、とある有名な発言エピソードからの受け売りでね。誰の発言か、分かる?」

後輩「さすがに分からないです」

俺「昭和天皇だ」

後輩「…………?」

俺「美濃部達吉天皇機関説っていうのがあってね」

後輩「(顔がぱあっと輝く)分かります、分かります!日本史の授業でやりました!」

俺「天皇機関説美濃部達吉フルボッコにされてたときに、昭和天皇が『機関って、器官だろ?国家を人体に例えれば天皇は脳髄だって、そういう話だろ?そんなに変なこと言ってるようには思わないけどなあ(超意訳)』って言って美濃部を擁護したってエピソードが残っていてね」

後輩「なんか分かってきました」

俺「話を戻すと、機関委任事務っていうのは、市長が国の手足となって仕事をするってことなんだ。…(ここで時計を見る)うわ」

後輩「?」

俺「話が広がりすぎて時間内に収まらないのが、俺の悪い癖だ。…講義、3時間で収まるかな」

 

後輩の理解力が高すぎるので、何だか自分がすごくいい先生になったような錯覚に陥っているのは内緒だ。