Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

中小企業、価格に転嫁できませーん。

僕はフミコフミオ。食品会社の営業部長だ。中小企業なので新規開発営業だけでなく、既存のクライアントとの交渉も一部、任されている。僕と同じフミオという名前を持つ首相が、春闘の集中回答日に大手企業の「満額回答」「満額を超える回答」といった良い感じの回答が相次いでいることを受け、中小企業の賃上げの流れを期待したい、という内容のコメントを出しているのをニュース番組で見た。僕は大手の満額回答も、首相のコメントも、冷凍倉庫にいるような冷めた気持ちで受け止めていた。確かに、中小企業からの製造コストや労務コスト増大を転嫁した価格アップ要請を不当に排除することは禁止されており、悪質な企業は公表されることになっている。僕のXのポストにもそういうレスがついている。

だが、実際に中小企業の交渉役となって、大手企業に価格交渉をした経験のある人ならわかるはずである。そんなにはうまくいかないことを。実際は一見クリーンでグレーな取引に持ち込まれて有名無実化されていることを。こんなことがあった。昨秋、とある大手企業との価格交渉に臨んだ。加工食品を入れさせていただいている仕事で、食材高騰と適正な労務費をカバーするために、その分を価格に転嫁するしかなかった。事情を懇切丁寧に説明した。今の価格では採算が取れません。パートスタッフの時給アップをしなければ生産量を維持できません。正当な利益を確保しなければこの仕事を続けられなくなります。必死に交渉した。大手担当者は親身になって話を聞いてくれた。そして交渉の終わりに「うん。確かに。苦しいよね。私たちも御社にはこれまでお世話になっています。事情はわかっているつもりです。前向きに検討させてください」といって新価格の記載された見積書(理由書付き)を受け取ってくれた。数日後。担当者から「検討の結果、コンペを行うことになりました」という連絡が入った。当社も含めて5社に声をかけたので、見積書と商品サンプルを指定日までに持ってくるようにと告げられた。プレゼンの機会はなかった。結果は失注。年明けからは他社の同様の商品が納められている。「これは労務費転嫁価格アップを排除しているのではないか?」と問い詰めたが、否定された。「もしそうなら、以前の価格のままでお願いしますとお願いしているはずです。私はそんなお願いはしていませんよね」と言われた。ウチが出した価格改訂案はコンペのきっかけですらないと言われた。「契約から5年経ったのでコンペを実施する時期だった」「今回決定した会社様の商品ですが、品質が5社中トップの評価でした。そのうえたまたま一番安かったのです。ウチにとってはラッキーでした」と説明された。あくまで質。値段が決め手ではない。とのこと。閻魔様に舌を抜かれないといいですね。「前向きに検討します」は「業者切り替えを前向きに検討します」の意味だった。ていうかクソ安い価格で受注する会社があるから、中小は大手になめられるのだ。中小の敵は中小なのだと改めて思い知らされた。まあ、この件については価格アップ交渉をする段階でポシャるのを覚悟していた。なので交渉の席についたときには、別の販路を確保していたからよいものを、こんなのは氷山の一角だろう。いくつかの大手は、こうした素晴らしくクリーンな取引で、中小からの値上げアップを排除し、利益を確保して賃上げをおこなっている。この件の大手も賃上げだそうで。ビバ!満額回答!めでたい!こんなんで中小が大手に続いて賃上げできるわけがない。(所要時間21分)

10年かけて準備してきた早期退職プランが無になりました。

先日、10年間構想していた早期退職を奥様に告げたら理解を得られなかったとSNSに投稿したら線香花火程度に燃えた。FIREするつもりでFIREが実現したのだから本望である。

反応を観察すると「しょうがない」「残念でした」という意見と、否定的な意見で3対7くらいの印象。100年しかない貴重な人生を費やして丁寧にメールで人生指南してくれた奇特な人もいた。僕のことよりご自身の人生を見つめ直してもらいたい。

否定的な意見は「10年間奥様に相談をしていないのは馬鹿だ」「家事をやらない夫が会社を辞めても邪魔なだけ」「収入がなくなったら生活できない」「いきなり辞められても家族が困る」、だいたいこれに集約されていた。

まず、「なぜ早期退職する必要があるのか」。理由は明確で、限界を感じつつあるからだ。30年近く営業職を続けてきた。ノルマに終われ、人間関係に疲れ、心身ともにすりへってしまった。あと10年このペースで働いたら壊れてしまうと感じた。じっさい、僕の周辺にいる、営業の諸先輩方は有能・無能にかかわらずぽっくり亡くなる方が多い。昨年は立て続けて二人亡くなった。皆定年まで営業という仕事を続けた人たちだ。引き際を誤ったとしか思えない。

あと5年。55歳まで営業職として働いて身を引く。これが僕の決めた引き際だ。奥様には「もう営業を続けるのは難しい」「ノルマに追われる夢をみる」と告げてきたので状況は理解しているはず。「死なれても困ります」「ボケても面倒みないよ」と言ってくれている。優しい。なお、僕のこづかいは月19,000円である。

「いきなり辞められたら家族が困る」という指摘については「今すぐではない。5年後」と申し上げておく。よく考えてほしい。家庭というダサい社会的な枠組で生きている僕に、いきなり辞めるような暴挙が許されるわけがないだろう。我が家を構成しているのは僕と奥様の2名である。うち奥様だけが常任理事で拒否権を持っている。つまり奥様が拒否権を行使したら何もできない。「明日会社辞めるね(^^♪」なんて告げても、拒否権を行使されるだけなのである。昨今の国連の機能不全を思い出していただけるとイメージがしやすいのでないか。

また「10年間奥様に相談しないのは馬鹿」というご指摘についても、先に述べたとおり、営業としての限界、55歳での引退をたびたび相談してきた。彼女からは「生活レベルの維持が守られれば、キミが何をしようと私は関係ない。会社に行かないならこづかいは減額してもいいよね」という優しい言葉をいただいている。なお現在のこづかいの額は月19,000円である。

「収入面は大丈夫なのかよクソブロガー」というご指摘について。奥様から具体的な金額を公にするなと厳命されているので、ヒントから想像してもらいたい。僕は中小企業の営業部長だ。その給与収入(グーグルで「中小企業、部長、給与、平均」で検索すると出てくる額とほぼ一致)。これが本業の収入。

プラス副業。金額が多い順に家賃収入(K市内の古民家1軒)、執筆業の収入(原稿料(記名、別名)、書籍の印税(これまで書籍は4冊出した)、その他諸々。副業の収入は月額平均で大卒新人の初任給のだいたい1.5倍に少し足りないくらい。加えて正社員として働いている奥様の給与がある。

子供とローンはなし。奥様と格安賃貸マンションに住んでいる。贅沢はしていないので月の支出(生活費他)は副業でまかなえている。つまり僕と奥様二人分の本業の給与はすべて、副業収入から生活費を差し引いた額が貯蓄になる。ついでにこれまで月収入の20分の1を奥様が運用してきた。今のところ収支はプラス。20分の1は、全部を失っても、障子に北斗百裂拳を喰らわせて悲しみを紛らわせれば、リカバリーできると推定した割合だ。今月を最後にこれ以上金は入れない予定(運用だけ)。なお、僕の月のこづかいは19,000円である。

転職や数か月の無職期間といった浮き沈みはあったが平均すると10年はこのような生活である。通帳の残額は老後2000万円問題を余裕でクリアして毎月増え続けている。素晴らしい。早期退職といっても本業のサラリーマンを辞めるだけで副業は続けるつもりだ。執筆業を増やし、もう1軒使っていない家屋のリフォームを終わらせれば家賃収入は倍以上になる見込み(ありがとう鎌倉ブーム!)。

懸念材料は箱職人の義父が「やらせてくれ」と申し出てきたので仕方なく任せているリフォームが計画通りに終わりそうもないことである。SNSに「家でゲームをするつもり」とポストしたところ、「旦那が仕事をやめて家でゲーム三昧なんて無理!」的な反応があったけれども、仕事の時間を圧縮することになるので、その時間を趣味にあてたいというだけの話である。

家事についての批判もあった。「家事をやらないクソブロガーが家にいるだけで奥さんが迷惑なんだよ」」というもの。的外れである。あの投稿でなぜ僕が家事をやっていないことに繋がるのだろうか。豊かな想像力に感心する。もしかしたらご自分の状況を勝手に投影しているだけでは?

現在、家事は完全に分担されている。「何をやるか」で分担すると不公平感が出ることは不可避である。たとえば食事はミーで洗濯はユーという業務分担をしたとする。この場合、食事と洗濯にかかる労力や時間がイコールにならないと不公平感がでる。日によってメニューや洗濯量が異なるからややこしい。

我が家は曜日で分担している。月曜日ならその日のすべての家事を1人がおこなうシステムである。10年、このシステムを続けているが不公平感はない。月、水、金、日曜が僕。残りの火、木、土が奥様。「あれ?僕の方が分担日が多い気がする」と指摘したら奥様から「今日はキミ、明日は私で平等に割り振っているだけですよ?」と説明された。なるほど納得。このように家事をやっていない人間扱いは完全に間違いである。早期退職してもこれは変えないつもりであった。なお、僕のこづかいは月19000円である。

このように、僕の早期退職計画はただ一点をのぞいて万全のものであった。しかしその一点が致命的かつ無視できないものであった。それは奥様の「1日、家にいられたらしんどい」=「僕が家にいる時間、僕と顔を合わせる時間が長くなるのはイヤ」というピュアな気持ちである。経済面、生活面、仕事面が万全であったがために、奥様の僕の在宅時間の増大に対する抵抗感が浮き彫りになった格好である。きっつー。こうして構想10年の早期退職計画は頓挫したのである。この悲しみを乗り越えるためにはこづかいの増額しかない。目指せ月2万円。エイエイオー(所要時間45分)

部下の作成した企画提案がザ・ビートルズの『ホワイトアルバム』からインスパイアされた素晴らしいものだったのでこの感動を共有したい。

「打ち合わせをしたい」と僕がいったから2月20日は打ち合わせ記念日。前日2月19日、部下Sに、仕事の進捗を確認するために打合せを行う旨を告げた。「任せている企画提案を確認したい」と。企画提案書はパワポのスライド3枚で構成されていた。PCの画面を表示させたSは「提案内容はコンパクトにまとめるつもりです」と言った。「つもりです?」一抹の不安を覚えた。「つもり」は「前もっての考え/意図」を意味する。言い換えれば、「まとめるつもりです」は「まとめる意図がある」イコール「まだやっていない」を意味する。そのため一般的に「つもりです」は、一抹の不安どころか大きな不安、超不安を誘発するフレーズである。「私はやっていません」と胸を張っているのだから。

ところが一抹の不安に留まったのはなぜか。パワポの構成からより大きな不安を感じたからだ。3枚のスライドにそれぞれ見出しタイトルがセットされているのが目に入った。1枚目「表紙」。2枚目「提案」。3枚目「ご清聴ありがとうございました」。これが何を意味するのか。気持ちを落ち着かせるために、冷静になって申し上げますと、これは肝心の提案が1枚しかないという厳しい事実を突き付けていた。

「提案が簡潔なワードで過不足なくまとめられドンキホーテのように圧縮陳列されているにちがいない」と好意的に解釈して精神崩壊するのを堪えた。1枚目の「表紙」が画面に表示されていた。タイトルと日時と社名が記載されていた。フォントは明朝体。必要最低限の情報。Sは2枚目の内容を表示させた。嘘だろ。目を疑った。画面は真っ白。ビートルズのホワイトアルバムのジャケットのようだった。

ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)

ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)

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いや。そんなはずは。当初、フォントが小さすぎて見えないのだと思った。僕は50歳になった。視力の低下が著しい。先日も入浴する際に脱ぎ捨てた真っ白のブリーフが汚れていて家族に叱られたばかりだ。脱いだときにピュアホワイトだったはずのブリーフを、家族からうながされてあらためて確認すると、ブラウンの極細LINEが走っていた。30代の僕ならば、運の付着を見落としていなかっただろう。

このような事件があったばかりなので僕は自分の視力に対する自信を完全に喪失していた。だから一見、真っ白のパワポでも、小さいフォント、薄い色のフォントで内容が記されていると考えたのだ。提案書というものは受け身のメディアである。あえて視認性の悪いフォントにすることによって「何が書かれているのだろう?」と受け手の関心を惹く孔明の策かもしれない。

「真っ白だね。ビートルズみたいだ」と僕は評価した。「そのとおりです。何も書いていないのですから」とSは言った。試されている、と思った。だが、甘い。僕にはもっと酷いプレゼン資料を見せつけられた経験がある。今は亡き上司がつくったパワポ資料で、すべてのアホはロックに通じるのだろうね、それは奇跡的に伝説のロックバンド・ジョイ・ディビジョンの『アンノウン・プレジャーズ』のジャケに酷似していた。すべての価値観を破壊するような亡き上司のパワポを経過していたので、部下の白紙回答を目にしても、心身が壊れずに済んだ。ありがとう上司。

アンノウン・プレジャーズ

アンノウン・プレジャーズ

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上司がパワポをはじめたら - Everything you've ever Dreamedより

なぜホワイトアルバム状態なのか、Sに尋ねた。緊張を和らげるために「内容がないよー(^^)。締め切りに間に合わないよー」とフランクに。Sは、どうせ僕から全面的なダメ出しを受ける、のであればダメ出しを受けてから作成したほうが的を得たものがつくれると答えた。Sは僕よりも年上である。これまで年下の上司からあれこれ指摘されて恨みが募ったのだろう。知らねえよ。僕はブチ切れた。ハラスメントを受けたら人事部に報告をするよう言われている。報告したければ報告すればいい。駆け込めよクソが。そんなの関係ねえ。

僕は「ふざけんなよ。頼んだ仕事くらい低クオリティでいいからやれよ。なんだよ、最初からやらないって。怒られるからやりませんでしたって馬鹿か。こっちだってダメ出しをしたくない。けどダメだからダメを出しているだけだ。仕事だから。こっちだってアホに付き合いたくないよ。つか一週間も猶予をあたえて白紙回答して開き直っている人間を部下に持つ気分わかる?モチベーションがあがらない?モチベーションが上がったって人並の仕事はできないだろ?ああ、もういいわ。言うだけ無駄。任せた私が馬鹿でした。本当に嫌になるわ。クソだ」と罵った。心の中で。その日の夕方、僕は人事部に駆け込んでカス部下からのハラスメントを訴えた。これが本当のカスハラ。2月20日はカスハラ記念日。(所要時間28分)

元給食営業マンが名古屋市発注中学校給食事業入札で起きた談合のヤバさを解説してみた。

news.yahoo.co.jp

名古屋市発注スクールランチで談合か 公取委、給食業者を行政処分へ(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

僕は元給食の営業マン。名古屋市が発注している中学校給食の入札で、入札に参加した給食会社6社が談合を繰り返したとして、約3億9000万円の課徴金納付命令が出された。6社は葉隠勇進(東京)、魚国総本社(大阪)、日本ゼネラルフード、松浦商店、ミツオ、メーキュー(いずれも愛知)、コンパスグループ・ジャパン(東京)。

ウチは今回の談合には関わっていない。だが、昨年まで2年間、東海営業所の所長代理を給与据え置きで兼務させられ、名古屋の給食案件にも参入した過去があるので他人事とは思えない。我々も名古屋のスクールランチ(名古屋市:中学校スクールランチ(暮らしの情報))にも参入しようと検討したが、以下に書いてある事情で断念した。断念して良かった。

どれくらいヤバいのか

まず事件のヤバさについて確認しよう。

今回6社に課せられる課徴金3億9000万円だ。独占禁止法によれば、不正な取引制限は10%(のはず)(課徴金制度 | 公正取引委員会)。 詳細はわからないが30億円前後規模の不正になる。長年給食の営業をやっているが、これだけの規模の不正は初めてだ。これまで学校給食の入札に参加するたびに何回もモヤモヤしたけれども、そのモヤモヤを煮詰めたものが今回の事件のように僕には見える。

何が行われてきたかやばいところあげてみよう。最近は電子入札で情報公開されていて便利だ。(https://www.chotatsu.city.nagoya.jp/ejpkg/EjPPIj 以下の画像はここのスクショ)。画像を見て欲しい。ここ最近のスクールランチに関する入札結果だ。

落札者にはニュースであげられていた社名が並んでいる。クリックすると個別の詳細が見られるけれど毎年ほぼ同じ会社が並んでいる。他の年度も同じような感じだった。

特に香ばしい2例を見てくれ

特に香ばしいのが次にあげる2例だ。まず1つ目。「令和元年度/中学校スクールランチ調理等業務委託(熱田区)入札結果」を見てほしい。この入札はメーキュー株式会社が55,440,000円で落札している。着目すべきは上位4社の入札金額だ。

1位メーキュー(55,440,000円)と2位魚国総本社(55,572,000円)の差が132,000円。1位と3位の差が361,000円。1位と4位の間が500,000円。確かに大きい金額だ。だが年間5千万円超という巨額の委託費の1部として、また年間の金額として考えると、それほど大きな金額ではない。月額にするとわかりやすい。1位と2位の間の差132,000円を12ヶ月で割る。1万2000円だ。4位との差額でも月額だと41,666円。

営業担当として入札に参加したことが何回もあるが、これだけギリギリの数字で入札するのは至難の業だ。ましてや4社がギリギリの金額を入れるのは芸術点高すぎる。なぜ執行者は気が付かないのか。目が節穴なのだろうね。はっきりいえば落とそうとする会社の金額を知らないと狙えない差だ。まさかそんなことをする人がいるとは思わないけど、いたのですな。ビバ談合!

もう一つ香ばしいのがこちら。「令和元年度/中学校スクールランチ調理等業務委託(天白区)入札結果」。株式会社魚国総本社が落札している。落札額は108,009,000円だ。なんと1億円!ワオ!

オールスターキャストが入札に参加しているが、2回目の入札ではなぜか辞退続出。無事に決定。かなり不自然だ。まるでロシアの大統領の政敵が偶然バタバタと死んでいくようだ。例えば落札者の次点は年間312,000円差。月に直したら26,000円だ。1億円の仕事を26,000円差で辞退する営業マンは転職したほうがいい。まさか謎のパワーが働いているなんてね。真面目に参加する会社が不憫だ。

通常なら市場原理が働き、よろしくない企業は退場していくものだ。ところが今回は排他性によって、新たに参入する真面目な会社は排除されている。つか新規参入できないのだ。ビバ談合!

なぜこんなことが起きるのか

スクールランチは給食と言うよりは弁当のイメージに近い。セントラルキッチン(拠点)で調理工程を行い、各中学校に配達する。今回問題になった入札はその調理業務の民間委託案件だ。現受注業者から見ると拠点を維持することが最大の懸念事項になる。なぜならこの件のセントラルキッチンが学校給食に特化しているからだ。大規模な改修なしでは病院給食用へ転換することは難しい。規模面でも1日千食から数万食もの受注を失った場合、新たにその規模の顧客を獲得するのはほぼ不可能だろう。

つまり入札でしくじった場合、そのセントラルキッチン自体が死ぬ。そういう危機感が業者間にあってお互いに既得権益を守ろうねーという意識が働いた。これがまず1点目の要因。

もう1点。どういうわけか僕の手元にこの名古屋市が発注となっているスクールランチの入札書類一式がある。

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(令和5年度中村区のスクールランチ調理等業務委託関係の書類。年間委託料での入札が明記されている)

詳細は省くが募集要項・仕様書・契約書等々。今となっては無意味な理念や目的が書かれているけれども、注目すべきは入札公告の2番「入札参加資格」だ。引用する。

(9) 名古屋市内又は隣接する市町村に本社又は営業所を有すること。

(10)名古屋市内又は隣接市町村に調理施設ないし炊飯施設を有すること。

(11)過去5年間(平成30年4月1日以降)に、集団給食事業(委託者の調理場における 1回当たり合計 1,670食以上の提供がある場合に限る。)を継続して3年以上受託履行した実績を有する者であること。

まとめると名古屋市内に拠点(本店や営業所)があり、かつ市内にセントラルキッチンを持ち、相当な規模の給食事業実績があること、ちなみに1回当たり1670食と言うのは学校給食か超巨大病院レベルだ。参考までに7校2000数食規模の給食センターで19億円かかる。日本建設新聞社 » 工事費概算で19億円 東給食センター S造2階2459平方mで環境配慮(栃木市)

つまり新規参入する会社は名古屋市内に拠点と20億円以上かけてセントラルキッチンを作ったうえで入札に参加し、かつ談合の会社の包囲網を突破しなければならない。事実上無理だ。僕の会社は、このハードルの高さの前に断念せざるを得なかった。ウチの会社上層部は攻めの姿勢が大事だといって当初は前向きに考えていたけれども、ハエでもわかるように僕がリスクについて説明したら「もししくじったら誰の責任だ!」と責めの姿勢へ転換していた。バカだけど保身に長けていて助かる。「セントラルキッチンを作ってもし受注できなかったら…」と想像したら「恐ろしくてとてもとても参入できない」と考えるのが普通だろう。

学校給食という特性上、どんな会社が入ってもいいはずがない。実績は第一である。だが、そもそも新規参入する側から見れば、新たにセントラルキッチンを建設して取れるか取れないかわからない今回の入札に参加するのはリスクが高すぎる。こうして既に入ってる既存業者の閉鎖的な環境が出来上がる。絶望的なのは、学校給食の排他性は名古屋だけではなく全国共通のものだということだ。

以上のように、「既存業者たちのセントラルキッチンを持ってるがための危機感」と「新規業者が入れない排他的な環境」、この2点が今回の背景にあると思われる。参入する要件のハードルが高く、リスクも大きすぎるのだ。同じ給食会社にいた者として理解はできるけれども、同情はできない。死ねよと思う。

選定の仕方がおかしいのでは?

そもそも子供たちに提供する給食を数字だけで決めていることに問題がある。昨年は話題になったホーユーの倒産による学食の提供停止事案と根底は一緒だ。

delete-all.hatenablog.com

雑な仕事をしている。それにつきるのだ。子供たちの食事のことを考えるならば、競争入札と言う数字だけの選定方法ではなく、試食等の方法で時間をかけて選定するべきだろう。しかし…競合各社の担当営業がほぼ同じようなスレスレの金額で入札したり、2回目の入札に参加するのが、なぜか一社のみだったり、パッと見ただけでおかしなことが起きているのに誰も気が付かなかったの?

給食の入札案件には闇が深い。某原子力関係の団体が発注した食堂の入札ではなぜか発注者の担当者から前日に「明日の入札、貴社はこの金額で入札してください」と言う連絡が電話で入ったことがある。「電話では金額を間違えてしまいそうなので、メールで送ってください」と依頼したら断られた。なんでだろうね?痕跡が残るからかな?(^^)。今回の課徴金についてはÇ社がうまく立ち回ったなぁと言う感想しか残らない。

名古屋市立中「スクールランチ」で談合、公取委が6社に3億9000万円の課徴金を納付命令へ(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース《6社とともに公取委の立ち入り検査を受けた「コンパスグループ・ジャパン」(東京)は違反を事前に申告し、課徴金減免(リーニエンシー)制度でいずれの命令も免れる見通しだ。》

これ悪く言えば、今後、名古屋市の展開ではÇ社の1人勝ちなんじゃない?なんかキナ臭くなってけれど、セキュリティ上の問題で今回はここまでとしよう。あれ見たことのない番号の着信が…。(所要時間50分)

『面倒なことはChatGPTにやらせよう』を文系ゴリゴリおじさんが読んでみた。

『面倒なことはChatGPTにやらせよう』(カレーちゃん氏、からあげ氏著)を2回通読した。著者のひとり、からあげさんは、僕がキャラクターを認識できる数少ないブロガーだ(お会いしたことはない)。現在、データサイエンス研究者として大活躍している。なお、僕は勝手に彼をターミネーター2に出てくるサイバーダイン社の開発者ダイソンさんをイメージしている。人類の未来のために、凶悪なターミネーターを開発することのないことを祈るばかりである。僕はゴリゴリの文系の営業職の50歳のオッサンで、本書の推薦人である松尾教授とは真逆の人間である。もしかしたら本書のターゲットから外れている人物像かもしれない。そういう人物に本書がどう役に立つの?という視点でレビューになる。

本書を一語にたとえると「ブルドーザー」だ。ChatGPTへの抵抗感や不信感や偏見という壁をぶっ壊し、日常に即したツールとするまでの道を舗装するという意味だ。昨今、生成AIが大ブームである。数年前まで某感染症の感染者数をリアルタイムで報告していたテレビのワイドショーでも毎日のように「生成AIでこんなことができる!」「生成されたリアルな画像が現実と区別がつかない」などと内容のあるようでまったくないくだらない取り上げ方をしている。書店に立ち寄れば「ChatGPT」が表紙を飾る本を見かける。そんな世の中で生きている僕は、ガンマgtpだけでもヤバいのに、そのうえ生成AIを使わないとヤバいことになりそうだという危機感を持つようになった。

不安にかられて僕も著名人(あえて名は出さない)またはそのゴーストライターが執筆した「生成AIを使わないと損をする」「生成AIで世界はこう変わる」という本を何冊か読んだ。危機感を煽られただけで途中で読むのをやめてしまった。大変もやもやした。くだらないのが「AIに仕事を奪われる!」「こんな仕事は滅びる!」と繰り返される内容だ。人類が科学を発展させてきたのは、言い換えれば過酷な労働から決別するためである。技術の発展でなくなる仕事があるのはこれまでの歴史と一緒でしょ?仕事の在り方が変わるだけだ。

「ChatGPTとどう向き合えばいいの?」「ChatGPTを前に文系オジサンは最初に何をすればいいの?」本書はそういった不安を解消する内容となっている。かなりの頁数を割いて、どういった命令を与えれば、こういう答えが返ってくる、うまくいかないときはこうやってみてという実例が掲載されている。データを加工してグラフ作成やパワポの資料作成、顧客別の販促メールの作成法、簡単なブラウザアプリの作り方まで、ゴリゴリ文系の僕でもわかるくらいの、これ以上分かりやすく書けるのか?というレベルまで視点を下げてくれている。

<めちゃわかりやすい実例>

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生成AIで世界はこう変わる系の書籍の大半は「AIすげー」「やべー」で思考停止してブラックボックスのように扱っているように見える。その方が危機感を煽れるからだ。けれども、本書はChatGPTの優秀さや便利さを嚙み砕いて、こうやって使うことで身近なツールになるよ、という優しい視点で書かれている。多くの文系中年おじさんは、生成AIはヤバいよ、といわれて、そっかヤバいんだな、で止まっている人間が多い。なぜか?それは「何をすればいいのか」「最初の一歩でどうすればいいのか」そして「それをすることで何が起こるのか」をわかりやすく解説する教材がなかったからだ。

そしてプライドの高い文系中年おじさんはChatGPTや生成AIを「質問を投げかけると人間っぽい答えをしてくれるツール」「文章から現実顔負けの画像を作成するツール」という限定・矮小化されたイメージで固定させてしまう。何を隠そう僕もその一人だった。だが本書を読んで、それらはChatGPTの一部にすぎないことがよくわかった。実際にはもっと自由度と汎用性の高い可能性を秘めたツールであることを《プロンプトと結果とうまくいかない場合のコツ》の繰り返しの実例で示している。素晴らしい。

タイトルにあるように今抱えている面倒なことを頭に浮かべながら読むとより効果的だろう。僕の場合、ほぼ同じような話に終始する会社上層部との打合せが死ぬほど面倒くさい。上層部が死んでくれたらいいのにと毎週思っているくらいだ。打合せ自体は変わり映えのしないものだが、その場に用意しなければならない資料を毎回作らなければならないのが面倒くさいのだ。死んでくれと思う。

だが、本書で紹介されているパワポ資料の作成法なら、同じデータからでも違うものが簡単に作成できるようになる。どんな内容を作ればいいのかという悩みからも解放される。「どんなの出来る?」とChatGPTへ尋ねるだけでいい(記述法はコツがあるけれども本書に紹介されている)。提案された候補から選んで実行すればよい。面倒クサさとはおさらばである。最高だ。

本書をガイドにChatGPTをとりあえず使ってみて、身の回りにある、クッソ面倒くさいことをChatGPTに投げてしまおう。それで浮いた時間と労力を別のまだデータが出そろっていない新しい仕事の企画作業や趣味や休憩に投資すれば、QOL向上につなげられるだろう。

『面倒なことはChatGPTにやらせよう』、身もふたもないタイトルだけれども、これ以上僕ら人間とChatGPTとの付き合い方を端的にあらわしている言葉はないだろう。面倒なことをAIにやらせる、そこにいたるまでの少しだけ面倒な道のりを平坦な道に整地してくれているのが本書である。なお、最新アプデに対応している。今まさに読むべき本だ(所要時間45分)