Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

会社上層部に疎まれて着実に退職に追い込まれている。

僕は食品会社の営業部長、先日、ある問題社員を上層部から託された。営業部門は表向き「会社の看板を背負っている」と持ち上げられるが、他の部署でパッとしなかった人材が送り込まれてくる姨捨山のような場所でもある。僕は会社から珍獣使いとして評価されている。自称必要悪くん、「刺身が生だ」部長、仕事中の居眠りが止められない眠狂四郎君、役職を与えられれば本気出しますよ氏、言われたこと以上の仕事は出来ませんマン……思いつくだけでここ十年くらいの間にこれだけの厄介な人を面倒を見てきた。時間の無駄であった。これからの職業人生でこの無駄な時間を少しでも取り返していきたい。と心に誓った矢先にこれだ。

問題社員はクライアントから運営を委託されているレストランの責任者だ。腕はよく、客先からの評価は高い。その一方で問題をたびたび起こすため取り扱いが難しい。手を焼いた上層部が珍獣使いとして評価を得ている僕に彼を任せたのだ。上層部からは「一任するからフリーにやってくれ」と言われた。実際に問題の社員と会ってみて、会社上層部が彼の取り扱いになぜ苦労しているかはすぐにわかった。当該社員は阿部寛似で睨まれると圧力を感じた。ただし身長が阿部寛より25センチほど低いためその圧力は弱かった。アベちゃんは大酒飲みで無断欠勤を繰り返していた。だが、腕は確かだった。客先からの評価も高い。上層部は、アベちゃんを何とかコントロールして客先からの評価を継続したいと考えていた。一方、アベちゃんは、客先からの高い評価を背景にふざけた仕事をしていた。守秘義務があるので、ここには書けないが、無断欠勤以外にも問題はたくさんあった。レストランの運営は当初うまくいかなかった。責任者となったアベちゃんが運営を安定させた。その実績によって客先から信頼を得ていた。そのため、上層部はアベちゃんに問題があっても目をつぶって放置していたようだ。

上層部が僕に期待したのはアベちゃんを制御することだった。僕の出した結論はシンプルだった。解雇だ。本人に反省がなく改善の見込みがないと判断した。理由を淡々と伝えたらアベちゃんは納得していた。未練もないようだった。「俺がいなくなったらあのレストランの仕事がなくなるかもしれませんよ」と言われた。「結構です。こちらの問題です。君には関係ありません」と答えた。「こんなふうに社員を乱暴に切っていいの?部長さんはそんなに偉いの?」「僕も社員なのであなたのような仕事をしていたらクビになるでしょうね」「部長さんご家族は?」「資産家の娘である妻と小学6年と3年の娘。それからシベリアンハスキーと港区白金台の一軒家で暮らしている」嘘である。もう会うことのない人にプライベートを教える意味がないので、僕が目指していた理想の家族を教えた。「忘れないぞ部長さんのこと」脅迫かしら。「この会社の事はすぐ忘れて、新しいところで頑張ってください」。心優しい僕は、本人からの退職という形で終わらせた。脅迫に屈したわけではない。

 僕の対応は、会社上層部から非難された。叱責を受けた。「問題から逃げただけだ」「問題に対処していない」「1番楽な解決法を選んだ」等々。社内規定に反している人間を見逃すことはできない。特定の客先からの高い評価を得ていたとしてもだ。それで免責されるような組織は腐っている。結局のところ、会社上層部は僕が気に入らないのだ。僕がどのような対応をしても非難されるのだ。「客先からの評価はどうなる」と会社上層部から詰問。「そんな評価はクソでしょう。問題人物で獲得した評価をあてにする位なら撤退したほうがいいです。対応してこれまでよりも良い評価を得ればいいだけです」「そんなことができるのか」「わかりません。客先に説明して理解を得てしっかりとした対応を取る。我々がやるべき事はこれだけですよ。皆さんがやることですよ?わかってますか」と助言したが返事がない。ただのしかばねのようだ。

連休明け。会社上層部は当該客先に赴き、自らの手で問題社員を解雇したので今後ともよろしくお願いします、と挨拶したらしい。クソが。僕は脅迫されたのだ。命を狙われているかもしれないのだ。今この瞬間もアベちゃんは僕の家族(架空)を狙って、白金台でシベリアンハスキーを探しているのかもしれない。恐ろしや。会社上層部は僕に様々な難題を押し付けて退職に追い込もうとしている。薄々気づいていたけれども最近はそれを隠そうともしない。それがムカつく。会社上層部の意のままになるのは嫌なので、相手の神経がすり減る位に嫌がらせをしながらギリギリまで会社にいたいと考えている。50歳をこえて転職活動するのもダルいからね。これが正解なのか、そうでないのか、僕にはわからない。(所要時間32分)

「大谷ハラスメント」は存在しませーん!

メジャーリーグのスーパースター大谷翔平さんに関する報道が加熱している。世界最高の野球選手がニュースになるのは当たり前である。だが、謎の正義感や妬みなどから大谷報道を気に入らない人が世間には一定数存在する。なかには加熱気味の状況を「大谷ハラスメント」と呼んで非難している人もいる。「大谷の結果はテレビで速報するほどの価値のあるものなのか?」「大谷以外に報道しなければならないものがあるだろう」がその理由。なかには大谷の情報を大量に流すことで国民に知られたくない情報を隠ぺいしていると主張するインボーロンもあるようだが、デクノボーの僕にはよくわからない。昨年から、そして今年になってからさらに頻度を増して、毎日、NHKから民放までニュース番組やワイドショーが大谷さんの打席を速報している。天気予報より多い。特にフジテレビ。サンケイ系列のヤクルトスワローズの試合結果をろくに放送しないのに「今日のオオタニサン」とかふざけているとしか思えない。実は、これらの大谷報道については僕も「やりすぎじゃね?」と異議を唱えたことがある。すると、ウチの奥様は「テレビ業界はコンテンツを作る能力がないから大谷に頼ってしまう」説を唱えて大谷をかばった。

この問題は大谷に起因するものではなく、メディアにその原因があるのを看過した彼女は鋭い。そう、メディアの問題なのである。「大谷ハラスメント」ではない。「大谷報道メディアハラスメント」なのだ。この説に対しては「政治家や芸能人や有名スポーツ選手のご子息をコネで、大学のミスコン上位者をアナウンサーとして、採用しているテレビ局が、自力でコンテンツを作れない、コンテンツ・インポテンツにかかっているなどありえない」「たいして面白くないが世の中に拡散したポストを投稿すると《貴兄のポストを番組で取り上げたいので取材していいすか》とダイレクトメールを飛ばしてくる超強力な取材力をもったテレビ局がネタ集めできないはずがない」と反論しておいた。大谷情報をハラスメントととらえる人がいるのは、大谷速報の情報が薄く手抜き感がするからではないだろうか。こんな取るに足らない情報をいちいち電波に乗せるなということ。クソ忙しい毎日を過ごしているのに大谷大谷大谷大谷オオタニサンオオタニサンを連呼されたら、大谷からポルシェをもらっていない赤の他人はムカムカするのも無理もない。たとえば大谷の速報。ヒットやホームランを打った場合、当該打席すべてを見せずに打った球のシーンだけである。三振や凡打に終わったときも三振や凡打にとられたシーンだけで、観戦するデコピンの様子は報じられても打席の過程、投手との駆け引き等は報じられない。メディアからみればDHに専念している大谷は打席を報じればいいので扱いやすい。打つか打たないかを報じればよいからだ。衛星中継をみていれば素人でも伝えられる内容。もっとメディアにはプロの意地をみせて取材し、濃い情報を流してほしい。最近は打球速度や飛距離も報じられるようになってきたがまだまだ足りない。入手できる野球関連の数値データはもちろんのこと、取材で得た大谷の毎日の体重・血圧・心拍数、家を出た時間、デコピンの散歩の有無、今日の朝食、パワプロ新作への関与、真美子夫人コーデ等々圧倒的な濃いデータとともに毎回の打席を、打席に入ってから結果が出るまでを完全中継されれば「あ、この局は本気で伝えたいのだな」と認識をあらためて大谷ハラスメントは蒸発するのである。いや、大谷は不世出のスーパースターだ。打席のたびに全国民に対して緊急地震速報のシステムで流すべきだろう。画面の上部に「本日の大谷翔平。4打席3安打うち2本はホームラン。打点3」のように常時テロップで表示すべきである。そこまで徹底的に本気の報道姿勢を見せればハラスメントと言われることはなくなるはずである。片手間に大谷大谷騒いでいるから駄目なのである。繰り返すが、大谷の報道が加熱しているなかで、メディアの怠慢こそあるものの、大谷起因のハラスメントは存在しないのである。なお、僕はウチの奥様から「大谷君はカッコよくて背も高くて世界最高の野球選手で超お金持ちなのに、なぜキミは年齢以外は負けているの?」的な発言を毎日のように喰らっている。これこそ、大谷が原因となっている真の大谷ハラスメントといえるだろう。(所要時間22分)

「配属ガチャ」は優しさでできている。

「配属先が希望と違う」と「配属ガチャ」を訴えて、入社即退職する新人の話題がこの季節の風物詩になった。「やってみないとわからないよねー」みたいなクソにも薬にもならない世の中の反応までがワンセット。僕は「配属ガチャ退職、別によくね? 」派。ガチャとは「自分の力が及ばない運で決められてしまう」ことだ。ガチャ自体はそれほど悪いものではない。なぜなら長い人生において全てを自分の責任にしていたらもたないからだ。すべてを自責にするのはよほどのマゾだろう。普通無理。誰かに責任転嫁できるならそれがいい。そこでガチャの出番となる。「ガチャで決められてしまったよ」といえばガチャのせいにできる。「ガチャはひどい」「ガチャありえない」というふうに否定的に語られているけれども、人生なんてガチャの連続である。僕らは皆、多くのガチャを通過してきている。ガチャの結果を、そのときの自分の置かれた立場や状況をかんがみて、受け入れるかどうかの違いに過ぎない。経験の少ない新人には立場や守らなければならないものもないので「配属ガチャ外れた〜ないわ〜」と嘆いてあっさり退職するのも仕方ないことなのだ。

僕は新卒採用のとき、会社の総務法務部門に配属された。希望通りだった。配属ガチャで当たりを引いたのだ。しかし、何ヶ月かその部署で働いているうちに「これは自分には合わない仕事だ」と考えるようになった。ガチャで当たりを引いたのに分からないものだ。そこへ営業部門への異動の話が来た。営業だけは嫌だった。「異動ガチャでハズレを引いた」とキャバクラで嘆いたものである。ところがどうでしょう。28年経った現在も営業職として働いている。なお、営業の仕事が楽しいと思ったことはない。何が言いたいのかというと、ガチャの当たり外れはとらえ方次第ということだ。

生きていると様々なガチャに遭遇する。配属ガチャ、異動ガチャ、上司ガチャ、座席ガチャ、プロジェクトガチャ、昇進ガチャ。ガチャは運次第で、自分の力では何ともできないが、どのガチャを選ぶかはある程度コントロールできる。ガチャガチャコーナーでどのガチャを回すかは自分で選ぶだろう?それと同じだ。極論を言ってしまえば配属ガチャがいやなら配属ガチャを回さずにすむようにすればいい。例えば自ら起業すれば配属ガチャを回さなくていい。配属ガチャのかわりに融資先ガチャ、販促ガチャといった別のガチャを回すだけのことだ。

ここまでガチャは運で決まることを前提に話を進めてきた。だが、すべてのガチャは本当に運で決まっているのだろうか。僕はそうは思わない。ほぼ全てのガチャは回す前に結果が出ている。たとえば意識と能力の高い学生たちが、新卒採用された全員が希望する配属先に配属されるとは思っていないはずだ。それでも自分は大丈夫だと思うのは、自分の力量なら希望するポジションを勝ち取れると信じているからだ。一方でポジションには定員があって配属される人数は限られている。人気のある企画系や広告系に希望は殺到する。より優秀で適性や能力のある人が選ばれる。漏れた人は営業部のような不人気な部署へ配属される。つまり運悪く配属ガチャで外れたのではなく、客観的な選考を経て能力や適性で自分より優秀と評価された人が選ばれたにすぎない。運ではなく実力で破れたのだ。ガチガチの配属ガチャもあるだろう。だが配属ガチャの多くは、実力の無さをガチャ運の無さに変換して自尊心を守る自分自身への優しさなのだ。「運が悪かった…」と思い込むことでダメージを最小限におさえて次に進むために「配属ガチャ」は必要なのである。すべてをガチャのせいにして今日を生き抜こう。

余談だが、結婚もガチャだ。僕は「結婚ガチャで大当たりを引いた」「僕の結婚ガチャは当たりっぽい」「当たりだと思う」「当たりかもしれない」と毎日繰り返し唱えて自分に言い聞かせている。言葉は神だ。希望の言葉を唱えていればやがてそれは真になるのである。(所要時間24分)

カーオーディオにDVD/Blu-ray再生機能は必要か?

カーオーディオにCDやDVDといったディスクメディアの入らないディスクレス仕様が増えてきている。このままDVDは使えなくなる!? ディスプレイオーディオ台頭でどうするファミリー層 - 自動車情報誌「ベストカー」音楽はBluetooth等で連携させる仕様。時代の流れだが、僕はこの流れに大反対。そもそもレスという文字が中に入っている言葉全般が好きではない(人名除く)。セックスレス、ストレス、ドレスコード、嫌いなものばかりだ。車を運転するときはいつも音楽を聴いている。CDから取り込んだファイルやDVDやBlu-rayを再生している。それらは通勤やドライブの思い出の一部だ。まだ小さかった甥っ子が車の中で泣き喚いたとき、後部座席のモニターにファインディングニモを流して泣き止ませたのも懐かしい。そういう家族や友人との運転にまつわる想い出も失われてしまうような気がする。僕の愛車のミニバンはCD、DVD、Blu-rayが再生できる。もちろんSDのファイルを再生できるし、Bluetooth接続もできる。リアモニターも付けてあるし、スピーカーは高音質のものに交換済み。運転する時はだいたい音楽を聴いていて、ときどきライブBlu-rayやDVDを流している。

ミニバンという乗車定員多めの車に乗っていると、法事で親戚を乗せる役目を任される。「あんたの車、ちょうどいいから」と言われるが何がちょうどいいのかわからないし、乗せた後に残る強烈な加齢臭を想像するだけで憂鬱になる。先月、法事があった。最寄駅で待ち合わせをして目的地の寺まで親族を乗せることになった。車に乗っても話題はない。ないわけではない。アレにはまったバカな従姉妹の話題はある。だが、口に出すといろいろ面倒な事態になるかもしれない危険性があるので誰もしない。寺までの20分。沈黙に耐えられない。こういうときこそ、ご機嫌なライブBlu-rayを流して気分をアゲていこう。さいわいサザンオールスターズの茅ケ崎ライブ2023Blu-rayが入ったままであった。

僕はディスプレイでディスク再生をタッチ。前回中断したところから再生されるはずである。『ミス・ブランニューデイ』か。『みんなのうた』か。ところが映し出されたのは、あえて説明しないが○ぼみという女性が毛深いキモメンの尻に顔を埋めている地獄絵図であった。その刹那、前夜、奥様から隠れて視聴するために、サザンからディスクを替えたのを思い出した。地獄絵図は電気信号を通じてリアモニターにも映し出された。地獄音は重低音から高音域までクリアに再生するスペシャルなスピーカーで再生された。毛深い尻に顔映像が流れた絶望の数秒間。死ぬ。終わる。僕は瞬間的に絶望からのリカバリーをはかり、カーオーディオを操作してラジオに切り替えた。四半世紀前に入り浸った早取り方式のてれくらでの経験が役に立った。着信して音がなるまでのコンマ数秒内で点滅する光に反応して受話器をあげる戦いだった。音が鳴った時点で勝者と敗者は決まっていた。戦いの中で僕は反応速度を極限まで高めた。それが四半世紀の時空をこえて僕を助けてくれた。「どんな経験でも将来役に立つ時が必ずやってくる」と「希望していた部署と違う」と言って入社3日で退職する若者たちに僕は伝えたい。とはいえ僕以外の6人の親族が数秒間の毛深い尻に顔映像を目撃した可能性は高い。不幸中の幸いは、ウチの奥様が別便で現場へ向かっていたので地獄に遭遇せずに済んだこと、目撃したのが全員高齢者で死ぬ間際に見る走馬灯と勘違いしてくれる可能性があることだ。サブリミナル効果は偽物と否定されているが、70歳オーバーの彼らが新たな癖に目覚めないことを今は祈るしかない。僕は気を取り直して「お寺まで20分くらいかかるよー」と明るい声を出した。反応はなかった。きっつー。笑ってよ尻のために。笑ってよ僕のために。誰も毛深い尻に顔映像に触れることなく法事は終わった。それから一カ月経ったが、陰でなんと言われているか想像するだけで下痢と便秘が同時多発テロを起こしてしまう。そもそもただの移動手段である車に音楽や映像を持ち込むのが間違っていたのだ。ましてや髪の毛やその他の毛まで識別できる綺麗な映像を再生できるDVDや Blu-ray等のメディアは車にいらない。こうして僕はディスクメディア否定派へと宗派を変えたのである。人間を変えるのはいつの時代も悲劇なのだ。(所要時間25分)

ボケた親を見捨ててはいけないの?

呆けてしまった親を見捨ててはいけないのだろうか。冷たいようだけれども各々好きにすればいい、と僕は思う。面倒をみるのも見捨てるのも正しい。僕の母はさいわい元気で、呆けるのは貸した金を返すように僕が文句をいうときだけである。僕自身は家族に面倒をみてもらいたいとは思わない。つか面倒をみてくれる家族がいなかった。奥様からは「キミがボケても面倒はみないから」と言われている。ハードコア・ライフだ。そんなことを考えているのは、実家の裏に住んでいる高齢女性が原因のちょっとした騒動に巻き込まれて警察沙汰になりかけたからだ。母からは裏のオバサンが呆けてヤバいという話を聞かされていた。「約束をすっかり忘れる。約束したことすら覚えていない」「一緒に出かけて帰ってきた直後にまだ出かけないの?と訊いてくる」「娘の旦那宛の電話をウチにかけてくる」等々。オバサンは母よりも少し年上なので八十代前半。僕の一学年上の娘が一人いる。オバサンとはもう何年も話をしていないけれど、高校生くらいまでは「フミオちゃん」と呼ばれて可愛がってもらった記憶がある。僕は今やただのイケオジだけれども、かつては地域で評判の神童だったのだ。

母から連絡があった。貸した金を返す気になったのかと思ったら、裏のオバサンとの間でトラブルが起きているので助けてほしいという内容。駆け付けると裏のおばさんが警察を呼ぶと騒いでいた。オバサンがスマホ(シニアスマホ)の充電器が見当たらないというので、たまたま同じ機種を使っている母が貸したらしい。貸した充電器も戻ってきた。おばさんのスマホは使えるようになった。良い話だ。ところがオバサンは「充電器を盗まれた。公共料金に支払う金もみつからない。盗られたかも」とウチの母が犯罪者だと近所に向かって騒ぎだしたのだ。近所の人たちもオバサンのことをよーく知っているので、ウチの母親に「気を付けて」と親切に教えてくれたのだ。

騒ぎを沈静化させるためにオバサン宅へ行った。オバサンは一人暮らしをしている。玄関に近所の人たち(全員高齢者)が集まっていて、オバサンをなだめていた。久しぶりに見るオバサンは記憶より白髪が増えて細く見えた。玄関から見るかぎり、家は綺麗で、生活は出来ていて、荒んでいるような印象はない。母や近所の人たちとオバサンが話し合いをするなかで、オバサンの娘に連絡を取ることになった。娘と年齢が近いという理由で僕がその役を任された。挨拶そこそこに、現在の状況を伝えてから、大変なことになっているから今から来るよう依頼した。すると娘は「悪いけど母とは縁を切っているので」と断った。だからウチの母親に「娘の旦那宛て」の電話をしてきていたのか。オバサン…呆けていても、娘との微妙な距離感があるのを知っていて、それでも助けてもらいたくて…娘の旦那に電話をするつもりで、でも出来なくてウチの自宅に電話をしてしまった…オバサン…。僕はなんだかやりきれない気持ちになってしまって、意地でも娘をこの場に連れてこなければと決意した。「そんな無責任な!ウチは盗人扱いされて大変なんです。娘のあなたから話をしてください」と説得すると「無理です。私がどれだけ苦労してきたか」それからしばらく沈黙が続いて「私が彼女のためにやってもやっても彼女はわかっていないもの。何度もババア〇ね!って思ったわ。このままだとコロしちゃうかもしれないと思ったから縁を切ったのです。彼女は落ち着いているときは一人で生きていけますから」と言うと「地域の皆さんには母がお世話になっておりますとお伝えください。母とは縁を切りましたので今後ともよろしくお願いいたします。費用が発生したらお知らせください。すみやかにお支払いします」と勝手に通話を終わらせてしまった。

通話の内容をその場にいた人たちに伝えた。なんともいえない重い雰囲気になった。オバサンは一人娘に棄てられていた。オバサンは一人になったことに気づいていない。ウチの母が僕をオバサンに紹介した。「オバサン。ご無沙汰しています」僕はオバサンの前に出た。するとオバサンはかつて僕の頭を撫でてくれたときのような穏やかな表情を浮かべると「フミオちゃん……。じゃないわ。誰これ、悪い顔をしているわ。知らない知らない。騙されないわよ。詐欺師よー!警察呼んで。警察ー!」と騒ぎ始めた。ババア〇ねよ…。娘の気持ちがわかった。親と子が罵りあって最悪の結果になるくらいなら、縁を切ったほうがいいだろう。血の繋がっていない人間が対応した方が、お金で解決した方が、うまくいくことがあるのだ。オバサンは僕を指さして「詐欺師。犯罪者。警察!警察!」と騒いだあと、コロっと静かになると「フミオちゃん!立派な大人になってー」と僕を褒めた。うん、ついていけない。僕もオバサンと縁を切ることにした。縁を切ることで、守られるものが確かにあるのだ。(所要時間25分)