シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

白いファンタジー

「葬送のフリーレン」にはまっています。ストーリーもキャラクターも魅力的で、印象深いシーンが多いわりに意外に展開が早くてスルスル入ってくる。まるで「見るストロングゼロ」。
でも、ちょっと引っかかっている点があります。それは、登場人物が“白人”ばかり、というところです。
フリーレンの舞台は中世?(近世)ヨーロッパをモチーフにした世界だから(名前から伺えます)というところはあるでしょう。しかし、中世?(近世)ヨーロッパには、魔法も魔族も魔物もいません。あくまでもモチーフに過ぎないはずです。自由な想像力を駆使してよいファンタジーで白人ばかりがキャラクター、というのはどういうことか。
これは、作者を含め日本社会の白人への憧れ、といえるかもしれません。もっと付け加えるなら、それ以外の人々や世界が存在していない、想像が及ばない、ということ。
“ポリコレに屈している”と云われるディズニーですが、ディズニーが多様なキャラクターや世界を登場させているのは、それだけが理由ではありません。
近世(近代)ヨーロッパでは、イスラムやインド、中国文化、そして日本文化が積極的に取り入れられました。“スゴイ日本”ネタで扱われる話ではありますが、目を向けられたのは日本だけではなかったのです。自分たちの社会だけでは得られなかった多様で豊潤な文化、それに触発されるように自分たちの想像力を拡げていく。ジャポニズムから学ぶべきは夜郎自大な“オレ達スゴイ”ではなく、自分達の価値観とは異質なものを取り込むことでしょう。ディズニーはそれを実践しているわけです。
もっと世界は広く深く知らないことばかりなので、“自由に”考えてみたらどうか、と思います。フリーレンにそうしろ、というわけではありませんが、創作においてもヨーロッパ以外に目を向けたら*1、何か変わるかもしれませんね。では。

自民党の本質

先日、地元選出の衆議院議員自民党所属)の広報がポスティングされてました。チラ裏でもメモに使おうかと紙面を見た瞬間、愕然としました。あまりの衝撃に二度見、三度見したほどです。

広報

広報2


その紙面がこれなのですが、私の感じた衝撃がお分かりになるでしょうか?
現在、自民党といえば、パーティーに裏金(あ、還付金でしたっけ?)、脱税、統一教会と大騒ぎになっているところです。

 

1からわかる政治資金事件 自民派閥 いったい何が?
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/104266.html

 

【詳報】自民裏金「20年以上前から…」 聞き取り結果発表 不記載の理由は? 何に使った?(全文PDFあり)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/309487

 

裏金を「還付金」と言い張り続ける自民党 脱税かもしれないのに…これは正しい日本語なのか
https://www.tokyo-np.co.jp/article/310908

 

教団機関誌はフリーペーパー?首相ら問題視せず、盛山氏は続投宣言
https://www.asahi.com/articles/ASS2N6RWZS2NUTFK00V.html

 

なのに、紙面を飾る言葉は「フードロス削減!」。そのズレ方に眩暈がします。
この議員の認識はどうなってるんだ?と思い、裏面も見てみましたが、裏金問題については何一つ触れていません。自民党に“逆風”とはありますが、なぜ、どうして、どのように、逆風となったのか、という根本は一切書かれていないのです。
なので、“信頼回復のためにもお力を”と金の無心をする始末。当然ながら、問題に触れて反省し改善策を謳う、というようなことも無いわけです。
さらに問題なのは、こんなもんで選挙区の有権者は納得する、と高をくくっていることです。少なくとも、自民党員はこれで充分だろう、と考えなかったら、こんな「フードロス削減」など載せようとは思わなかったでしょう。本気かどうかはともかく、「裏金問題を所属議員として真摯に受け止め党一丸となって再出発すべく努力いたします」(増税野郎がいいそうなフレーズですね)ぐらいは書くのではないですかね。こうしてみると、ニュースで話題にのぼる議員はもちろん酷いのですが、自民党というのは、議員も党員もシンパも腐りきってる、としか云いようがありません。
今年中に選挙があるとみて広報に力を入れている議員は他にもいるでしょう。他の議員もこんな感じなんでしょうかね。少なくとも、コイツは救い難い。
では。

デュアルユースについて

2001年宇宙の旅」「幼年期の終わり」等の数々の作品で知られる作家、アーサー・C・クラークには「優越性」*1という短編があります。ストーリーは、ある元軍高官の申し立て、という体裁で語られる宇宙戦争の顛末です。そこでは、ある宇宙戦争が、優勢側の科学者が発案する「新兵器」や「新戦術」によって形勢逆転し、ついには敗北を喫する、という奇妙な話です。その味方を逆アシストする科学者の弁解には、さるムラ世界の御仁たちを思わせる不思議なリアリティがあります。


 アーサー・C・クラーク第二次世界大戦中、軍のレーダー研究に関わっていました。バトル・オブ・ブリテンは英軍がレーダーを駆使して戦況を有利に進めましたが、その貢献者の一人であるクラークは、こんな皮肉な一篇を描いているわけです*2

 さて、巷のデュアルユース論の何が問題なのか、といえば、つまり「優越性」ほど極端ではないにせよ、「新技術による兵器」や「戦術」というのは、それほど安易なものではなく、充分に改良し、検証されなければ使い物にはならない、ということです。

 私は若いころからアウトドアでの活動を趣味としたのですが、今とは違い、気軽に手に入る道具はほとんどありませんでした。あっても高価で専門店でなければ買えなかったり。そんな中で比較的安価で実用に耐えたのが「米軍放出品」というヤツでした。無骨で飾りっ気も無いものでしたが、頑丈で耐久性が高く、使い勝手が良かった。いわゆるヘビーデューティというヤツです。MA-1ジャケット、だとか、クロノグラフなんてのも、その流れですよね。いわゆる民生品とは違う、証明済みの実用品、そういう扱いの道具がありがたかったのです。

 つまり、単純な道具に留まらず、軍事レベルで利用されるものは民生レベルとは全然違うのです。これは、単に耐久性とかだけでなく、そもそもの運用体系や目的、思想が違う。民生品をそのまま軍事転用、などそもそもできないのです。
 民生品やその技術を軍事転用するには、それなりの「転用研究・開発」が必要です。だから、軍関係が欲しがっているのは、デュアルユース、軍事・民生の両方に使えると称する、研究などではなく、軍事利用・転用するための研究・開発従事者、なのです。
そのための囲い込み手段こそが、研究予算を防衛予算から助成すること。心理的障壁を下げる、または、しがらみを作るか…

 もともと、デュアルユースだ、というなら別に防衛予算経由でなくても良いのです。あえて防衛予算から研究費を補助すること、それこそが軍関係者にとって重要な意味があるわけです。

 軍事研究への関与の是非をめぐる論争では、デュアルユース論(例:電子レンジ、インターネット、ロケット、原子力、等々)を見かけますが、発言者はほぼ問題点を理解できていないのです。
では。

*1:「前哨」(ハヤカワ文庫)に収録

*2:これは、クラークが私が述べるデュアルユース論と同様のことを主張している、ということではない。念のため

岸田には使用済みの検尿カップでビールでも飲んでもらおうか

福島第一原発の汚染水が垂れ流されることとなりました。

 

福島第一原発の処理水、海洋放出始まる  - BBCニュース

 

政府はしきりに「科学的根拠に基づき」という詐術を用いています。

しかし、重要なのは科学的根拠などではありません。たとえ、その「科学的根拠」とやらが正しいとしても、問題を起こした側が強行することは許されないのです。

例を挙げましょう。

例えば、あなたに対して誰かがほかに容器がないから、といって使用済み検尿カップにビール注いで「さ、飲んでください」と言ったとしましょう。あなたはそれを飲みますか?

尿は「科学的には」無害です。出したては無菌状態だし、有害物質も含まれていません。もし、有害物が入っているとしたら、注がれたビールを気にするより、尿を出した人の健康を気にするべきです。遭難時に尿を飲んで助かる人は数多く存在しますし、何なら好んで飲む人々もいます。(飲尿療法で検索してみるといいでしょう)

ですが、「科学的根拠に基づけば」無害であっても、私は使用済み検尿カップでビールを飲まされるのはゴメンです。

この問題の本質とは、科学的根拠、にあるわけではない、というのはそういうことです。人の同意なしに、勝手に物事を進めることの是非が問われているのです。

大体、政府が責任を持つ、といいますが、原発事故の責任は政府も東電も取っていません。

 

【解説】原発事故で国の責任認めず 最高裁の判断は

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220617/k10013676431000.html

 

ほぼ同じ証拠と争点なのに…旧東電経営陣の責任を問う訴訟の判決が民事と刑事で正反対になった背景
https://www.tokyo-np.co.jp/article/226007

 

むしろ、政府と東電、そして原子力ムラのいずれも責任回避に全力を注いできました。

私に責任がある、と言った原子力関係者は一人もいないのです。

だいたい、どう責任を取るのでしょう?原子力事故の被害は甚大で広範囲かつ長期に及ぶことはすでに知られています。なにをどうしたら責任を取ることができるのでしょう?また、「責任を痛感する」だけではないか、と疑ってしまいますね。言葉を信用などできるわけがない

 

もっとダメ押ししてしまえば、「科学的根拠」事態が疑わしいのです。

政府も東電も「処理水」、放射性物質汚染された地下水をALPSでトリチウムしか含まれないレベルまで浄化した水、だといいます。それが本当だとすれば、「処理水」とは「純水」レベルということになります。

私は仕事で純水をよく利用します。純水製造装置には「脱イオン水」と「蒸留水」の二種が取り出せるようになっていますが、自分は「蒸留水」の取り出ししか使いません。

「脱イオン水」では、浄化が充分では無いからです。「脱イオン水」は逆浸透膜とイオン交換樹脂フィルターで不純物を取り除いたものですが、それでは実験に使うことができないのです。

ALPSはつまり逆浸透膜とイオン交換樹脂フィルターの組み合わせです。となると、その処理量からいっても「トリチウムだけ」には到底出来ないでしょう。というか、出来ていないことは、明らかになっています。

もっと言ってしまえば、放射性物質を希釈して廃棄するのは「やってはいけないこと」です。なぜなら、放射線被曝による健康被害は確率的に生じ、閾値がありません。つまり、薄めれば被曝領域を増やすので、一定数の健康被害を生じさせる可能性がある。(希釈度と発生確率が1:1の比例関係ではないので、影響が小さくなる)なので、放射性廃棄物の原則は、集めて閉じ込め、です。薄めるからいい、というのは放射性物質の管理からいえばダメなのです。かつて、原発推進派が被曝の影響をLT(閾値あり)モデルにこだわり続けていたのは、薄めれば大丈夫、というためでした。

 

そもそも、政府も東電も何度でもデタラメを繰り返し続けています。信頼に値するような存在ではない。それが、強行すれば批判を受けるのは当然でしょう。

官房長官が「関東大震災時の朝鮮人虐殺は政府内の記録に見当たらない」などと言ってしまう政府が「安全です」などということを信じることは不可能でしょう。

 

関東大震災の朝鮮人虐殺 松野官房長官「政府内の記録見当たらず」 | 毎日新聞 (mainichi.jp)

 

では。

日本はアジア各国に「良いこと」もしたのか?

「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」 が売れているようです。私も買おうと思ったら、売れ切れていました。現在、注文中。いつ入ってくるのか。

岩波書店のブックレットとしては異例の売れ行きだそうですね。こうした本が売れるのは良いことだと思います。

 

まだ、読んでない状況で述べるのも何ですが、感想や一部閲覧できる内容から伺えるのは、歴史修正主義に対する的確な反論だということです。ナチスの行った「良いこと」が、「悪いこと」と表裏一体であることを論証しており、ナチスは良いこともした、という言説に対する効果的なカウンターになっています。そして、「良いこと」だけ抜き出して弁護することの問題を指摘しています。

ちょっと興味深いのが、田野先生に突撃する有象無象たちです。彼らは知識もないのに、なぜ、ナチスを弁護したがるのでしょう。

 

彼らは、スターリンもよいことをした、ポルポトもよいこともした、とは言いません。
こう指摘すると、スターリンポルポトだってよいこともしたことを否定していない、絶対悪などない、どんなものごとにもよい面とわるい面がある、というようなことをいいます。
しかし、その言葉に意味があるでしょうか。なにごとにもよい面と悪い面がある、などと有耶無耶にしても、行為が消えるわけではないわけです。

それは、問題点の矮小化にすぎません。

 

では、なぜ、彼らはナチスはよいこともした、と云いたがるのか?
おそらく、彼らの目的はナチス自体ではありません。庇い立てるには、あまりにナチスについて基本的知識がなさすぎます。彼らの大概が、「右でも左でもない、日本が好きなだけの、普通の日本人」つまり、ネトウヨ。そう考えると、彼らの動機、意識しているかしていないかはわかりませんが、伺えることがあります。

・朝鮮は植民地でなかった
・朝鮮は日本と併合して発展した
・台湾は日本に感謝している
・日本は欧米列強からアジア各国を解放した
・日本の植民地経営は欧米とは違う

かつて日本が、朝鮮半島や台湾を侵略・併合し、アジア各国に戦火を拡げたことを正当化するためのデマ、これらの構造はナチスの弁護に通ずるところがあります。

つまり、日本はアジア各国に「良いこと」もした、と云いたい人々、こうした人々がナチスの相対化に努めるのでしょう。


あの、悪魔のように扱われるナチスですら「よいことも」した、いわんや日本は…

 

ナチスとの比較によって日本を免責したいのが本音、隠れた動機なのだと思います。 では。

EVの時代はこない…かも

ちょっと前のことになりますが、トヨタ自動車が開発戦略を転換することが話題となりましたね。。

 

トヨタ「EV計画」大刷新の衝撃
https://toyokeizai.net/articles/-/576308

 

現在に至るまで、EV戦略の妥当性について騒ぎは続いていますが、まあ、あきらかにEVへの取組みでは日本の自動車産業は遅れを取っていましたから、ようやく失敗を認めて、スタート台に立った、というところでしょうか。正直なところ、EVシフトにおくれを取っただけでなく、まだ、水素、とか合成燃料とか云っているので手遅れ感が強いですが。
おそらく、数年内に日本の自動車産業は終焉を迎えるでしょう。家電、半導体、PC、携帯電話等に続く失敗の典型例です。


しかし、EVがモビリティの主役となるか、といえばそうならないかもしれない、と私は考えています。別に、内燃機関車が存在感を保つ、という話ではありません。

ちょっと前にですが、国連が世界の都市圏人口増加に関するレポートを出していました。
いわく、

世界の都市圏の人口割合は年々増加傾向にあり、都市人口は2015年の約40億人から2030に50億を超え、2040年には60億人まで増加すると推定されている
(United Nations "World Urbanization Population Prospects 2018" https://population.un.org/wup/ より要約)

ということで、都市部への、それも大都市部への人口集中が続き、人口の約3分の2が都市へ居住するようになる、という予測です。
さて、そうなると居住環境の他、過密化する都市交通とはどうあるべきか、が問題となります。
そこで、先進国、特にヨーロッパの諸都市では、都市空間を大きく占有し、渋滞等の問題を引き起こすクルマを追放する動きが活発化しているのです。

日本でもオランダやデンマークの自転車利用については知っている人も多いでしょう。しかし、現在、もっともラディカルにクルマ排除を進めているのはパリです。

 

パリ市長、アンヌ・イダルゴはコロナ禍以前から「徒歩や自転車で生活できる街」「車を使わず、日常生活を自転車で15分でアクセスできる街にする」を掲げ、パリ市内交通の主役を自動車から自転車へシフトさせる政策を実行してきました。

youtubeで 「paris+bicycle」 と検索するといろいろ出てきます)

 


www.youtube.com

(https://www.youtube.com/watch?v=sI-1YNAmWlk)

 

こちらの動画を見て貰えば、かつては自動車で溢れていたパリ市街が歩行者や自転車が安心して通れる空間に変貌していることがわかります。しかも、どんどんその領域は拡がっています。
パリだけでなく、ヨーロッパの諸都市も同じです。自転車先進国のオランダやデンマークだけでなく、ロンドンやベルリン、バルセロナなど、特にバルセロナは自動車の排除を積極的に進めています。自動車大国アメリカでさえ、ニューヨークやサンフランシスコやポートランド等の東西海岸部の都市では自転車利用が進んできています。アメリカでも海岸部の都市が人口の大半を擁していますから、Z世代の意識と相まって自動車の利用が減る日も遠くないかもしれません。


そうなると、世界各国諸都市で交通変革とその成果を取り入れることになるでしょう。
e-bikeやe-scooterは使用する資源もエネルギーも占有面積もインフラも大気汚染も騒音も少なくすることができる。自動車が必要、欲しい、という呪縛から解かれれば、都市緒問題の解決手段として自動車排除が進むことになるでしょう。


日本の自動車メーカーがそうした認識を持っているか判りませんが、世界の自動車メーカーはその問題に気づいているようです。各社はe-bikeの開発・製造・販売に乗り出しています。
都市内交通の望まれる形が、徒歩、自転車、小型モビリティ、公共交通(バス、タクシー、鉄道)のシームレスな連携、つまりMaaS(Mobility as a Service)となるわけで、自動車の存在を疑問に思わないと各社の戦略が理解できないのです。


自動車は交通の主役から滑り落ちようとしています。EV化しても、その存在は都市間交通の補完的役割か、地方の足、好事家の娯楽ということになるでしょう。その視点が無いと、どういうEVを造るべきか、で誤ることになります。というか、日本メーカーは勘違いしているようですが。

日本でもSDGsだGXだと叫ばれる状況なのですから、交通のあり方を考え直す時ではないでしょうか。

 

参考

世界の「MaaS」新潮流を読み解く 第14回
道路は誰のもの? 歩行者優先、オープンレストラン出店、NYの今
https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/18/00582/00014/