男女倉口から霧ヶ峰(男女倉山~山彦谷)

お世話になっている写真館さんが霧ヶ峰に行った話を聞いて、久々に霧ヶ峰のことを思い出した。

埼玉在住時代は長野や群馬は近かったので、母が主導してあちこち行っていたのだが、霧ヶ峰は自分が気に入ったのもあって数度行き、美ヶ原、横岳、八子ヶ峰などにも足を伸ばした。さらには中学時代に友人と夜行(今はなき急行アルプス)+1泊で美ヶ原~白樺湖を歩き、茨城に住むようになってからも一度友人と行き…(もう1回くらい行った気もするが記憶が定かでない)。

(余談だが、当時、1990年代はまだバスの本数も多く、西・東白樺湖のバスターミナルは活況を呈していた。ビーナスラインを走るJRバスに乗ってJRバスのファン?になった。白樺湖~小諸、白樺湖~姫木平などのバスに乗れたのも今となっては良かった。)

そんな霧ヶ峰からも10年以上足が遠のいていたが、コロナ前の2019年、千葉の中学校の修学旅行が乗鞍→白樺湖で、近くの鷹山牧場で昼過ぎに解散となったので、これ幸いと普通ならまず登ることのない男女倉口(県道がVの字になっているところ)から上がった。

 

 

人っ気はゼロ、地図で道が折れているあたりからは踏み跡もなく、緩い斜面を地図を頼りに適当に上がり、無事男女倉山の山頂に出た。

 

男女倉越から男女倉山頂に出たところ

季節は5月だったのでまだ冬枯れだったが、これはこれで悪くない。しかしカラー写真では絵にならないだろうとモノクロに切り替える。撮影仕事の帰りだったのでD850に24-70/2.8で撮ったが、上がりを見てD850の風景・モノクロもいいなとなった(ふだんは旅のお供は富士で、D850では人物ばっかり撮っているため)。

 

男女倉山からは山彦谷へ普通のハイキングルートを歩いていく。車山~蝶々深山~八島湿原は霧ヶ峰ハイキングのゴールデンルートだが、静けさと視界一面に広がる草原の景色を堪能するならこちらのルートの方がお薦め。八ヶ岳もよく見える。

 

山彦谷北の耳から南の耳を見る。奥は車山。



撮影終わりの13時過ぎから上がったので、下りの時間も考えて山彦谷南の耳までは登らずに引き返し、地図東側のルートを取る。しかしこちらも行きのルート同様に不明瞭。不明瞭というよりルートが完全に消滅していると行った方が良いかもしれない。GPSを持ってくれば良かったと後悔しつつ、感度の悪い携帯のGPS機能を供に、何本かある作業道を繋いで適当に降りていく。最後は送電線の巡視路から県道に降りられる場所をこれまた適当に見繕い、日没前に無事車に戻った。

東側ルートの取り付き。防火帯はあるが道はなし。



 

 

THE BRINK OF TIME

自分が高校1~2年くらいの頃だったろうか、おかんが駅前のレンタル屋で定期的にCDを借りてエンヤやら何やらを聴いていたのだが、ある日おもむろに「クロノ・トリガーのCDあったわよ」と1枚のCDを借りてきた。

おぉサントラかなと見てみると、ジャケットにはどうにもクロノ・トリガーと関係のなさそうな目玉焼きが写っている。とりあえずかけてみると、よく分からない足音から始まるが確かにあの旋律は流れてくる……そして謎の英語シャウトとよく分からんトランペットソロ。正体は「THE BRINK OF TIME」というアレンジアルバムだった。

色々と多感な思春期の少年には「こういうのもいいよね」と鷹揚に構える余裕もなく、素晴らしい原曲を変に引っ掻き回す、小っ恥ずかしいものとしてろくすぽ聴かずにいた(ただ、表題曲でもある「THE BRINK OF TIME」、すなわち時の最果てだけは純正ジャズアレンジというのもあって、ソプラノサックスのソロをコピーして吹いていた)。

そして、鈍感な大人になって聴いてみると、結構いいではないかとなる。元々の素材がいいのはもちろんとして、ゲームのシーンにぴたっと当て書きされているものを、(成功の度合いはそれぞれだが)よくぞこうアレンジしたものだと思う。3曲目のジール宮殿などは、原曲は荘厳な雰囲気で、自分などにはなかなかロック(と少々のアシッドジャズか)調にすることは思い及ばない。魔王決戦も同様で、原曲のイメージを敢えて崩してくるようなミドル~スローテンポでのロックアレンジ(個人的にはあんまり好きでないが…)である。

作曲者本人アレンジ、しかもゲーム発売からそう間を置かない発売とのことで、作曲の時点でこれだけの曲の「横の可能性」(=異ジャンルへの展開性)を想定していたことに驚く。時折ある少し意地悪なアレンジは己の曲の横の可能性を試そうとしているストイックな姿勢であろうし、それは、どう料理しても俺の曲は旨いんだと、素材への自信がある故のことでもあるのだろう。鳥山&堀井&坂口の鮮烈なイメージを除いたときに残る俺の音楽のエッセンスはこれだ、と見せたかった思いもあるのではないか。

……もしかすると、こちらがそもそも「元」で、原曲がクロノ・トリガーの世界観に寄せたアレンジである可能性もあるのかもしれない。それを類推できるほど光田氏のスクウェアデビュー前の足取りを自分は知らないが……少なくともオープニング曲やエンディング曲にはその匂いを感じる。

そのエンディング曲の、何とも言えない女性ボーカルがまた思春期の自分にはかなり小っ恥ずかしかったのだが、これは次回作のクロノ・クロスゼノギアスでボーカル曲が導入される先鞭で、構想自体はこの頃からあったのだろう(いかんせんSFCで声の再現は厳しかった…FF6参照)。いずれにせよ、一クロノ・トリガーフリークにとっては、このアルバムの存在そのものが光田氏の音楽の構想やルーツを示す一級の資料であるのは間違いない(そして…その後の光田氏の展開からしても、ドリームチームという大舞台と枷が、クロノ・トリガーの保守性と革新性の両面を備えた唯一無二の音楽世界を作ったのかなとも思う)。

 

 

世界の奥行き

 どうも自分の興味関心や行動原理を一歩引いて眺めると、その空間に「奥行き」があるかどうか、というのがアクションを起こす上での重要な指針になっているような気がする。「奥行き」というのは、強いて言えば、未知であったり、想像力で補う必要のあるような空間が十分な拡がりをもって存在している、といったところか。

 

例えば、山を例にしてみると、東北以北の山は林相が豊かで森の景色に「奥行きがある」。さらには森林限界も低いので森林から灌木帯、高山帯への変化を観察しやすい。加えて、雪、季節風、水といった要素が加わり更に複雑な景観のバリエーションを見せる。よって、真昼山地のように1000mにも満たないのに高山帯があるかと思えば、吾妻連峰のように2000mを超えているのに針葉樹林帯があるような山もまた存在しうる。行ったことのない山の様相を容易に想像しづらい。

 

自分が関心を持ち続けている平地林もこれで、林の中にいると次に何が現れるのか、想像が付かない。いきなり切り開かれた畑が現れるかと思えば産廃処理場や住宅地が現れもする。筑波学園都市はそれなりに拓けた街だが、高い建物の屋上から景色を見ると断続的に存在する街路樹や公園によって森が延々と広がっているように見えるのがお気に入りだった。

 

単純に未知であったり、「そこに何があるのか確かめたくなる」ような空間であるだけではどうも訴求力がないようで、拡がりが重要な要素でもあるようだ。その拡がりの只中を心ゆくまで歩き堪能したいという欲。

 

とくにオチはないが、ひとまずのメモとして。

 

「学校写真」というジャンル

 昨年度の仕事の比率は、アマチュアスポーツ:学校:音楽:web素材・広告≒3.5:3.5:1.5:1.5、といった具合だった。もともと山や風景を撮る仕事がしたかったが、まともな写真を生み出すために費消する時間の膨大さと業界の間口の狭さに、売り込みに行くことすら躊躇い、仕事の量のあるアマチュアスポーツや学校にふらふらと流されてきた。人を撮りたいと思ったことは一度もないのだが、いつの間にか人物を毎年数十万枚単位で撮影し、それなりに撮れるようになってしまっている(スポーツの仕事にはいつの間にか愛着さえ生まれている。コロナの自粛でスポーツの仕事は2月から完全になくなり、今月の第一週に実に5ヶ月ぶりに野球の大会を撮影した際には思わず涙が零れ出たほどだ)。

 ここに来て思うのは、学校写真というジャンルの特異性である。よく言われるのが、「学校写真には全ての要素がある」。確かに、スナップから簡易なスタジオ撮影、式典、スポーツ、音楽、集合写真、ちょっとした物撮りとやることは多い。しかしそれ故か、スポーツや音楽、物撮り、建築のときのような、ひたすら構図やライティングを追い込み、研究しブラッシュアップしていくような感覚は得にくい。

 学校運営が優先されることと、アルバムとして仕上げる際は写真を大胆にトリミングしていく場合が多いので、全ての状況に妥協が付きまとう。もちろん、プロとして仕事をしていく上でどんな仕事にも時間の制限はあり、どこまで追い込みどこで妥協するかを判断するのも技術の一つだ。しかし、それにしても……と思うことは多い。例外的なのは証明写真だろうか。数百人をわずかな時間でひたすら同じライティング、同じ構図で撮っていく仕事だが、人の姿勢の癖を即座に見抜いて正対を作り出す技術は磨ける(正対を即座に把握するのはカメラマンの大事な技術だ)。

 

 得られるものがない、ということはあまり技術保持と精神に良いものではなく、どうも学校写真の現場を立て続けにこなしていると写真が荒れていくような気がしてならない。これからもここ茨城の土地でこの稼業を続けていくなら学校写真と完全に縁を切ることは難しいだろうし、子どもたちと交わるのはむしろ好きな性質だが、一歩立ち位置を退いておかないと技術的に磨り減るばかりなのでは、という予感がある。

 

狂騒の終わり

初夏からずっと、月に5日程度の休み(といってもほとんどが画像処理や次の撮影地への移動に費やされたのだが)で動いてきた。暑さが過ぎた夏もあっという間の事で、気付けば秋が深まり、学校やスポーツの写真を主業にする者にとっては閑散期である長い冬が来ようとしている。

ひたすらに写真を撮ってきた日々はハレとケでいえば「ハレ」の日の連続で、「ケ」すなわち生活や暮らしには目もくれず後回しにしてきた。
今、まさにそのツケが冬の寒さの予感を伴って訪れようとしている。

かつて伯楽寮にいた頃は暮らすことに重きを置いて、それは経済的な辛苦を伴ったが一つの僥倖であった。その頃は、命の気配が消え辺りが静まる冬は、澄んだ空気と再生の予感に満ちた、楽しむべき季節だった。
しかし、暮らすということがどういうことだったのか、忘れかけてすらいる今の己に冬は容赦がない。冬の備えを満たし、手で一つ一つ生活をまた組み立てていかないと、冬の長さに押し潰されてしまいそうな暗い予感がしている。

[雑記]誕生日

35歳になってしまった。なる前から自分はすでに35歳と勘違いしていたので、余計に歳を食った感が強い。山を登っていると頂上がちらちらと見え始める8〜9合目あたりの急登が往々にしてあるが、40代、そして老病死という頂上がいよいよ見え始めた感があり、焦燥も強い。

仕事のほうは、ここ数ヶ月暇になってしまったのもあり、普段やらない料理や小物、取材といった仕事をちらほらと請けていた。日々翻弄されているだけだったようでも積み重ねは馬鹿にならないもので、事前に勉強する力、現場でどうにかする応用力、現場をとりまとめる力、そういった諸々の力がいつの間にか伸びていて、不慣れな仕事でもどうにかまとめて、それなりの成果物を残せるようになった。ようやくまともなカメラマンになれたのかなという小さな安堵がある。

そしてやはり、変化し発展していくためには時間と財政と精神の余裕が必要だなというのも一つ。無一文なのに無一文なりの金の遣い方をせず支払いの月末には毎月緊張が走る、わざわざ遠回りするような人生を送ってきたが、それでもようやく丸一ヶ月収入がなくても堪え忍べるような財政状況になった。
暇があれば溢れ落ちたランクの高い仕事を拾うこともできるし、そういった仕事への準備期間もできる。若い指揮者がマエストロの代役で注目を浴びデビューするようなやつだ。

お陰様で来年度の依頼は多く、体さえ壮健に保てば餓え死にすることはなさそうだ。むしろ、自分のキャリアパスを引くにはどういった仕事を請けて行けばいいのかという贅沢な悩みまで発生しつつある。いよいよ気を引き締めて写真のクオリティと精度を高め続けていきたい。

青色申告悲喜騒乱

一昨年、昨年と2〜3月は大変忙しかったのをいいことに、青色の届け出をしたにもかかわらず確定申告をサボってきた(いちおう、申告の時効は5年)。

今年は一社契約をやめたのもあり、見事なまでに2〜3月は仕事なし。一発奮起して青色申告に取り組むも、簿記の知識ゼロでいきなり取っ組むには立ちはだかる壁が高すぎる…。素っ頓狂なトライアンドエラーを繰り返しながらも、ようやくのことで青色申告の概念と複式簿記の基本を理解した(と思われる。まだ穴だらけ)。
にしても自動化やデータ連携もない状態での3年分の申告はあまりに作業量が多い。そこに襲いかかるPCのマシントラブル…

そして、模範たる納税者の皆様はご存知ないだろうが、2期連続の届け出遅延は青色申告取り消しの要件になる。その場合も、まず青色で届け出、その後取り消し処分を受けた場合に再度白色で申告しなくてはいけないことを色々調べているさなかに知った。

二期連続の期限後申告に伴う青色申告の取り消しについて | 目黒区・品川区・世田谷区を拠点 | 山田税理士事務所

全ては自分の怠惰が招いたことではあるが、資金の流れを把握するのはなかなか楽しく、資金繰りに対する反省点や改善点も見えてくる。今やっている作業は徒労となる可能性大ではあるが、青色と複式簿記の概念を知ることができたのは一つ僥倖だった。
取り消されても期間を於けばまた再申請できるので、出来る限り今後も青で行こう…。