2024年4月のまとめ

いろんなものが動く4月は過ぎるのも早い。

遅めの桜をゆっくり堪能する暇もなく、バタバタと駆けている間に外を吹く風はすっかり初夏の気配。
「新年度」を意味する月でなくなって久しいのに、染みついた何かが自分を慌ただしくさせているのか、あっという間に月末を迎えることになってしまった。

今月のページビューは6,000強、セッション4,400弱、ユニークユーザーは2,200弱。まぁなかなかこのスパイラルからは脱出できずにいる。

<ユーザー別市区町村(24年4月)>
1.↑ 千代田区 140
2.→ 港区 137
3.↓ 大阪市 124
4.↓ 新宿区 102
5.↓ 中央区 91
6.→ 渋谷区 50
6.↑ 横浜市 50
8.→ 神戸市 47
9.圏外名古屋市 41
10.↓ 札幌市 38

久々に千代田区首位浮上…が何を意味するのかは神のみぞ知る。

続いて検索語ランキングも。

<検索アナリティクス(24年4月分) 合計クリック数 1,216回>
1.→ 企業法務戦士 48
2.→ 学研のおばちゃん 現在 46
3.↑ 知恵を出さない奴は助けないぞ 25
4.圏外アドマイヤムーン事件 18
5.↓ 企業法務 ブログ 13
6.圏外シャルマントサック 裁判 10
7.圏外法務 ブログ 7
8.圏外パンサラッサ 大欅 7
9.圏外取扱説明書 著作権 6
10.圏外猪狩俊郎 死因 6

時々現れる「アドマイヤムーン事件」とか、(サイレンススズカではなく)「パンサラッサ」と「大欅」の組み合わせ*1で訪れてくれる方がいるのは、本ブログならではかな、と思っている。

ということで、ブログの更新が滞っているのは、日常的なあれこれだけでなく、誘惑に駆られてついつい契約してしまったDAZNのせい、という面もあることは否定はしないのだけれど、日々たまっていく「やりたいこと貯金」をどこかで存分に堪能できる日まで引き続き、走るのみ、である。

*1:ちょっと懐かしいこの記事ですな。k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

強いのはいつまでも昔の名前、という寂しさ

国家の象徴の名を関した伝統の一戦・・・にもかかわらず、春の天皇賞があまりワクワクしないレースになって久しい。

元々言われている「距離が長すぎる問題」というのもあるが、近年ではそれ以上に、「世界を巡れば高額賞金荒稼ぎも夢ではない」この春シーズン、日本に張り付いてローカルGⅠに出走すること自体が”もったいない”と考える陣営が増えてしまっているような気がしていて、結果、昨年の覇者・ジャスティンパレスも、昨年国内を賑わせた古馬勢も軒並み出走回避、という状況になっているのは大阪杯と同じ構図なわけで、今年も何とも微妙な気持ちで馬柱を見つめていた。

もちろん、一線級の馬が出ていようがいまいが、春の天皇賞が優勝本賞金2億2000万円の伝統あるGⅠであることに変わりはないから、日本に残った馬たちにとっては、悲願のタイトル奪取と次のシーズンに「主役」に躍り出るための絶好のチャンスであることもまた事実。

そして、今回も昨年のダービー馬ながら、サウジ、ドバイに出走した馬たちに大きく水をあけられた感のあるタスティエーラ大阪杯に続いて果敢に出走し、さらに昨年の菊花賞馬・ドゥレッツァ金鯱賞を叩いて満を持して出走、ということで、個人的には期待していたし、多くのファンもここで「次に向けた世代交代」が起きることをひそかに期待していたはず*1なのだが・・・。

*1:人気順ではドゥレッツァが2番人気、タスティエーラも前走11着、と大きく期待を裏切ったにもかかわらず依然として4番人気に支持されていた。

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今の形を残すことって、そんなに大事なのか?

ニュースに触れて「まだやってたんだ・・・」という感想しか出てこなかった地方自治体「持続可能性」分析」

10年前に「消滅可能性」自治体のリストが公表されたときはずいぶんと騒がれたものだが、冷静に見れば至極もっともな分析がなされていたとは思うし、今回「人口戦略会議」が出した報告書*1に関しても、当時との比較の視点を入れつつ、より丁寧に分析を試みたものになっているので、これはこれで資料的価値はあるのは間違いない。

ただ、この10年の間にも、どうやっても抗えない人口減少トレンドが明確に見えているこの世の中において、今全国にある市区町村のすべてを、30年後、50年後、そのままの形で維持しようと考えること自体がもはや失当というほかないと自分は思っているし、今回の報告書を警鐘と受け止めてあれやこれやと手を打とうとする自治体がまた出てくるのだとしたら、それより他にやった方が良いことは山ほどあるだろう・・・ということは言っておきたいところではある。

国土面積に恵まれず、過剰な人口増加と都市圏の極端な人口密度の偏在に苦しんできたなかったこの国にとって、本来は「人口減少」がむしろ吉報だったりもするわけだから、「過去を守る/今を守る」という思想に陥るよりも、発想を切り替えて未来志向で臨む方が、この先良いことがあるに決まっている。自分はそう信じてやまない。

何のための競争か?ということを考えさせられる結末。

メディア等で大々的に報じられた公正取引委員会によるGoogleへの「行政処分」。

米国でもEUでも巨大プラットフォームに強い「圧」がかけられているこの時代に、日本だけ取り残されるわけにはいかない、という思いは当局関係者も強く持っていただろうし、既に昨年秋には、まさにGoogleを対象に大々的な情報・意見募集を始めたところでもある*1

だから、早い段階で何かしらかは動いてくるだろうな、ということは予測していたのであるが、ここで出してきたのが「検索連動型広告」に関する対ヤフーの話、しかも行政処分といっても独占禁止法の規定に違反することを認定したものではない」という前提の「確約手続」とは・・・*2

個人的には何とも拍子抜け感が否めない「処分」だったし、それゆえ、沸き立つメディアの有り様も空騒ぎのように思えてならなかった。

今回の公正取引委員会のリリースにも記されているように、そもそも、事の始まりは、元々「自社のウェブサイト等において用いる検索エンジン及び検索連動型広告の技術を有しておらず、米ヤフーから技術提供を受けていた」ヤフージャパン(旧ヤフー㈱)が、米ヤフーの開発停止によって技術提供が受けられなくなり、Google検索エンジン検索連動型広告技術の提供を受けざるを得なくなったことに起因している。

その名のとおり、「検索連動型」広告というのは、「検索」サービスあってこそ成り立つものだから、本件で競争制限行為の存在が指摘された「モバイル・シンジケーション取引」*3にしても、本来なら「検索」サービスの根幹たる検索エンジンの技術や、検索連動型広告技術と切っても切り離せないものであるはずである。

もちろん、Google LLCとヤフーが検索エンジン及び検索連動型広告の技術の提供に係る契約を締結するに先立って行った公正取引委員会への事前相談で、

「当該技術の提供の実施後も、インターネット検索サービス及び検索連動型広告の運営をそれぞれ独自に行い、広告主、広告主の入札価格等の情報を完全に分離して保持することで、引き続き競争関係を維持する」

という説明をしていたにもかかわらず、実際にはそれと異なる対応をしていた、というのは決して褒められたことではないし、事実上顔を潰される形になった当局が一定の処分に踏み切る動機付けになったことも間違いない。

ただ、そもそも自前の検索エンジン検索連動型広告技術も持てなくなった会社のために、その先の広告配信と収益分配の部分だけの「市場」を観念して「競争」を維持しようとすることにどれほどの意味があるというのだろうか・・・。

元々、この分野で「競争」が成り立っていたのは、ヤフーがGoogleと並ぶ有力な検索エンジンを持っていて、それに基づく検索連動型広告サービスを提供できていたからに他ならないわけで、開発投資を怠った結果、自らの武器を失った会社のために市場の席を残すことは、かえって不公正な状態を生み出す可能性すらある

さらに言えば、デジタルプラットフォームの世界での「独占」は、イノベーションの停滞やユーザーにとってのサービス低下を必ずしも意味するものでもない。

むしろ、新しい技術を生み出し、自社のサービス、プロダクトに実装するために巨額の投資が必要となる今のデジタル&ネットワーク社会では、独占による利益の集中こそが新たなイノベーションを生み出している、という状況すらあるわけで、そこであえて当局が「官製競争」を強要することは、かえってその分野における進化を遅らせることにもなりかねない・・・*4

「競争政策」というのは、本来それぞれの国の置かれている状況をストレートに反映しなければならないものであるはずだし、実際、この国の社会が置かれている状況は、米国とも欧州とも全く異なる。それにもかかわらず、何かと米欧のやり方を真似して追従しようとしている(ようにも見えてしまう)この国のあり方に対しては、常日頃から首を傾げたくなることが多いのだが、今回の「処分」も、勇ましく語られるようなものでもなければ、これによってこの国の社会を良い方向に導くものとも言い難い、ということは、ここにしっかり書き残しておくことにしたい。

*1:(令和5年10月23日)Google LLCらによる独占禁止法違反被疑行為に関する審査の開始及び第三者からの情報・意見の募集について | 公正取引委員会

*2:(令和6年4月22日)Google LLCから申請があった確約計画の認定について | 公正取引委員会

*3:公取委のリリースでは、「検索連動型広告の配信を行う事業者が、ウェブサイト運営者等から広告枠の提供を受け、検索連動型広告を配信するとともに、当該広告枠に配信した検索連動型広告により生じた収益の一部を当該事業者に分配する取引をいう。」と定義されている。

*4:あくまで独占しているのは日本企業ではなく米国の企業なのだから、日本の政策の影響なんて受けないのではないか?という見方もあるだろうが、自社の突出した技術を生かせず無益な競争を強いられる国の市場には力を入れない、という経営判断もあり得るのだから、やはりこの国におけるイノベーションに全く影響しない、とは言い切れないと思っている。

そして生まれた神話。

競馬の騎手がいかに危険な職業か、ということは、自分がそれを見始めた時期に立て続けに起きた不幸な出来事の連鎖*1ゆえに知識としては理解していたつもり。

だが、この週に突然飛び込んできた「殉職」の報は、そんなうわべだけの理解を飛び越えるほどの衝撃だった。

中央でも地方でも落馬事故は常に起きているし、JRA所属騎手だけでも、今年に入ってから、上野翔騎手、佐々木大輔騎手といった躍進著しいホープから、ドバイでのルメール騎手の事象まで、気になる事故はいくつもあった。地方の高知競馬では、まだ25歳の塚本雄大騎手が命を落とす、という痛ましい出来事もあった。

それでも、この20年間、レース中の落馬死亡事故だけは起きていなかった中央競馬で、まさか、藤岡康太騎手が命を落とすことになってしまうとは・・・。


15年前、自分が初めて出資した馬のうちの1頭にデビュー戦から乗ってくれたのが、まだデビューして間もなかった藤岡康太騎手で、その馬の初勝利こそ浜中騎手に手綱を譲ったものの、未勝利戦脱出後はしばらく騎乗してくれていた*2

最初の頃は、父親の厩舎の馬に彼が乗ると「勝負捨てたのか」と騒ぐファンもいたが、実績を重ねてノーザンF系の馬たちに騎乗する機会も増え、気づけば毎年重賞を勝てる騎手になっていった。そして昨年のマイルCS、ムーア騎手が直前で乗れなくなる、という非常事態の中「代打」騎乗したナミュールで久々のGⅠ制覇を成し遂げたことで*3、いよいよ時代が来た!と思ったのは自分だけではなかったはず。

それがまさか、それから半年も経たずにこんなことになろうとは・・・。

*1:1990年代前半、玉ノ井健志競馬の騎手がいかに危険な職業か、ということは、自分がそれを見始めた時期に立て続けに起きた不幸な出来事の連鎖((1990年代前半、玉ノ井健志騎手、岡潤一郎騎手と2年続けて若い騎手の殉職が続いた。

*2:中には8番人気で2着に食い込む、という名騎乗を見せたレースもあった。

*3:参照。https://k-houmu-sensi2005.hatenablog.com/entry/2023/11/19/233000

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明けない夜はないと知ってはいても。

今月、日経朝刊の「私の履歴書」に登場されているのが、日本製鉄の三村明夫名誉会長。

我が国有数の名門企業でキャリアを積まれた方、というだけあって、特に社会人になられてからのエピソードは”大企業あるある”満載。

もちろん、時代としては自分が経験したそれよりも更に30年以上前のエピソードだから、多少”昭和のドラマ感”はあるのだが、それでも「こういうこともあったよな・・・」という話が所々で出てくると、朝から何となく得した気分になる。

そんな中、今週火曜日の回で書かれたエピソードは、なかなか衝撃だった。

以下、少し長くなるが引用。ハーバードビジネススクールへの留学を終えて帰国した直後の話である。

「こうして東京に帰任したのが1972年7月。ポストは輸出第一部の輸出調整課掛長だった。ここで思いがけないことが起こる。課長にあいさつに行くと、「人事が君を引き取れというから引き取った。だが私としては欲しくなかった」と面と向かって言われた。意味が分からず戸惑ったが、課長の言葉に噓はなかった。私は本当に何の仕事も与えられず、30代前半の若さでいわゆる「窓際族」のような境遇に追いやられたのだ。
暇潰しにしょっちゅう散歩したのが皇居前の広場だ。当時の新日鉄本社は東京駅北側の呉服橋にあり、皇居まで歩いて10分もかからない。天気のいい日にふらふら歩いていると、観光客に交じって私と同類らしき人もいる。「自分はこのままでいいのか」という焦燥がこみ上げた。
日本経済新聞2024年4月9日付朝刊・第44面、強調筆者)

そうでなくても昔の話。ましてや、既に功成り名を遂げ頂点を極めた方が振り返って書く話だから、多少の逆バイアスがかかっていても不思議ではない。

だが、それを差し引いても、「あるある」だな・・・と思ったのは決して自分だけではないはず。

さすがに自分はここまでストレートに「欲しくなかった」と言われたことはない。だが、大きな組織であればあるほど、人を動かす側と動く側、そして受け入れる側の距離は遠くなる。

動かした側は、相思相愛のマッチングをしたつもりでも、それぞれのイメージとか、その職場で求められるスキルと動いた者のスキルが微妙にズレていれば、それは即座にミスマッチに変わる。同じ会社の中、同じようなカテゴリーで仕事をしていても、異動した先の半分以上は知らない人、というのが大企業の常だし、ましてや畑違いの部門への異動だったり、しばらく離れた後の戻り異動だったりすると、イメージと現実のズレは大きい・・・。

ということで、皇居の周りでも散歩しないとやってられない*1、という状態に陥ったことは自分にもあったのだった。

私の履歴書」に話を戻すと、三村掛長(当時)は、思い悩んで人材リサーチ会社の門を叩き転職を相談する。そしてそこでのやり取りを経て会社に残ることを決めた、それが「人生の岐路」だった、という回顧の後に、最後に記された一文がこれだ。

「今から振り返っても、課長がなぜあれほど冷たく私に接したのかは分からない。皇居前広場の切なさを打ち明けるのも、これが人生で初めてのことだ。」(同上)

人生、明けない夜はない。

三村氏のその後のご活躍は改めて強調するまでもないことだし、自分も(よりスケールの小さい世界ではあるが)出だしがあまりフィットしなかった職場ほど、数か月経った頃になって急に大きい仕事が舞い込み始め、何年か経った頃にはジャストフィットする、という経験を何度も味わっている。

だから、短い「夜」の話を強調しすぎるのは、いささかバランスを失するのだけれど、ただそれでも、何かの弾みにちょっとだけ胸をよぎるのが夜の記憶だったりもするわけで・・・。

*1:といっても、現実には皇居は遠かったので、周りのビル街の喫茶店で時間をつぶすくらいのことしかできなかったわけだが・・・。

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それでこそ、スウィープだ。

いろんな気候の偶然が重なったとはいえ、「桜花賞」の背景映像であんなに美しい桜を見ることができたのはいつ以来だろうか*1

そして、そんな舞台設定に、「混戦」と言われながらも2歳GⅠの1,2着馬が順当に上位を占める、という古典的な展開が見事にはまった。

なんだかんだ言っても、昨年末の時点で、牝馬マイル路線では頭一つ抜けていたのがアスコリピチェーノステレンボッシュだったわけで、今回僅かな差で順番が入れ替わったのは、騎手の格と厩舎の経験値の違いゆえ、なのかもしれないが、それでも2頭とも甲乙つけがたい出来だった。

さらに、この2頭に続いて、名牝の血を引くあの馬が来てくれていれば、文句なしのクラシック第一弾となったはずだったのだが・・・。

*1:ここ数年は、阪神の桜といえば大阪杯のために用意されているものだと勝手に思い込んでしまっていたのだが・・・。

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