『茉莉花官吏伝』 封建制の中華ファンタジーのガワで描かれる女性の為政者への立身出世物語

茉莉花官吏伝 〜後宮女官、気まぐれ皇帝に見初められ〜(1) (プリンセス・コミックス)

評価:まだ終わっていないので未評価
(僕的主観:★★★★★5つのマスターピース

🔳少女小説に時折現れる大長編大河ロマンサーガ

少女小説には、時折、小野不由美十二国記』や須賀しのぶの『流血女神伝』のような、もうそれって少女小説の枠を遥かに超えて大サーガ、大河ロマンじゃないかとというような傑作が生まれることがよくあります。僕は、石田リンネさんの『茉莉花官吏伝』は、このレベルの傑作だと思っているし、なによりも、好きで好きでたまらない物語で、マンガ版、小説共に、何回も読み直しています。特に、小説はすでに『茉莉花官吏伝 十五 珀玉来たりて相照らす』(2024/3時点)の15巻までの長編なんですが、何度も読み返しています。

🔳「普通」の少女の立身出世物語

どんな物語か?と問えば、中華風ファンタジーの世界で、晧 茉莉花(こう・まつりか)という16歳の少女が、平民生まれで官位のない宮女(後宮の底辺の下働き)から、女官に抜擢され、科挙に合格し官吏になり、出世を遂げて、多分物語は、彼女が宰相になるか、位人身を極めるであろうところまで描かれるビルドゥングスロマンです。

2024年のMe Tooやフェミニズムが吹き荒れ、ポリティカル・コレクトネスが浸透していく2020年代の物語にあたって、過去には「少年(男)が主人公であった物語パターン」に、同じパターンで少女(女)を当てはめていく実験というか、物語の作り方はブームであり、かなり思考実験くさい部分があるので、イデオロギー的臭みがあるものも多いのですが、それはそれで、豊穣な物語世界の多様さを生み出す大きな挑戦なので、それはそれで僕は非常に肯定的。なのですが、やはりね単純に少年を少女に置き換えているだけだと、いわゆる男尊女卑の「男社会のヒエラルキーや権力闘争の構造」に対して「男性的価値観で競争で押しのけて打ち勝っていく」というものを描くと、明らかに「ひねり」が足りないんですよね。いわゆるフェミニズム第一世代みたいなもので、女性が単に男性化しただけ。これはこれで価値はあるものの、多様性という観点では、かなり窮屈な物語になってしまう。だって「普通の女の子」の価値観や「女性であること」を否定してしまうから。でないと、弱肉強食の社会は、サバイバルできないって話にオチがつく。だから、この物語の石田リンネさんのこの晧 茉莉花の設定は、本当に素晴らしいし、見ていて、いやまさに今の時代の最前線の物語だなってうなります。


まぁ、なんか難しいこと言っているけど、茉莉花がとてもいいんだよね。等身大で、無理がない。


茉莉花は、16歳の最初から、目立つことを嫌い、とにかく出世とかしたくありません(笑)。


立身出世の大ビルドゥングスロマンなのにさ。この物語の主軸は、その彼女が内面的に成長していくんですが、とにかく、「普通の女の子」なんですよ、スタート地点も、本質も。ただ単に、国を動かすレベルのテクノクラートとして「適性があった」だけで、野心も自意識もゼロ。なんなら「記憶力」という才能はあるものの、その武器の使い方を知らず、幼少期に失敗をしているので、自信も全くなく。でも決してネガティヴに、それが「トラウマになっていて」、そのトラウマをバネにというようなドラマトゥルギーにもなりません。別に、そこまでたいしてトラウマでもないので。


本当に自由な社会とは、「ただの普通の人」が「適性があった」からで職業を選んで生きていくような世界だと、僕も本当に思う。そこには、男とか女とかよりも、そもそも適正だし。また、男性的な競争社会のマッチョイズムも、ここには全然ないのが、とてもいい。「国を動かしたいから!とか、国を良くしたいから!」とか、そういう「大きな野望や志」を、茉莉花微塵も持っていない(笑)のが、本当に素晴らしい。仕事における「大きな目標」が全くないのが、本当に「ただ適正だけ」という感じがして、素晴らしく良い。


なのに、凄い頑張るんだもん。そりゃ、珀陽も惚れちゃうよ(苦笑)。


少女のビルドゥングスロマンって、とてもとても現代的。


そしてですね、マンガ版の『茉莉花官吏伝~後宮女官、気まぐれ皇帝に見初められ~』の、サブタイトルが、とても面白いといつも思うんですよね。


後宮女官、気まぐれ皇帝に見初められ


この構造は、中華風ファンタジー後宮の物語では、基本構造じゃないですか?。これって、国家の統治が「血統」によってなされているために、皇帝とその妃たちは、ブリーダーにブリーディングされているようなものですよね。男の子を産む生まないの運によって、人生が支配される、基本的人権のなき地獄の世界。このあたりは、よしながふみの傑作『大奥』や『ザ・クラウン』( The Crown)なんか見ていると、ほんとしんどいなと思います。あとは、韓国ドラマの歴史ロマンは、基本的にこの構造を持ちますよね。少しずれますが『宮廷女官チャングムの誓い』とか、中華ドラマなら『コウラン伝 始皇帝の母』とかとか。


でもね、この小説のタイトルって、「茉莉花官吏伝」なんですよね。


わかります?。官吏として、官僚テクノクラートとしての立身出世の物語なんですよね。だから、「皇帝の寵愛」とか、いいかえればビックダディ的な、結局は裏で操っている権力者の男がいるっていうのとは、相反している話なんですよ、ドラマが。このへん自覚的で、最初から茉莉花が「普通の女性なのに立身出世を遂げて官吏として成功して、その物語が後世の官吏を目指す女性のバイブルになっている」という未来の部分から物語は始まります。・・・なのに皇帝珀陽と恋仲になちゃって悩むところとかも、ドラマトゥルギーとしてとても話に緊張感を与えてて、上手いなぁ、と感心しちゃう。なんかね、いや、これ、普通の女の子の自意識持っていたら、普通にぶつかる心理的バリヤーとかガラスの壁とかを、素直にぶつかって超えていくし、変に捻くれて、ならば私は恋などしない!とか、男よりもより強い男となって権力をににぎるぅぅぅぅみたいな話にずれない。素直に、悩んでて。なんというか清々しい。


まぁもちろん、彼女がとんでもなく「仕事ができる」という適性の持ち主であり、物語に主人公にふさわしい適性を持つのは事実です。


そこで起きるイベント、事件が、、、、なんというか、どれも、リアルな政治であり、戦争であり、謀略でありって、「現実を直視せざるを得ない」厳しいものばかりなんですけど、何が素晴らしいかって、


この大イベントの問題の解決能力の高さ!です。


よ、よく、、、、こんなエピソード考えられるなってもののオンパレードで。茉莉花の、、、「自信のない等身大の女の子の自意識」を持ちながらも、「国を揺るがす事件に対する問題解決能力」どころか「問題構想能力まで成長していく」、仕事人としての成長の仕方が、いやはや見事。これって、内政ものとか、戦記サーガとかでも、ここまで鮮やかに問題を解決するテクノクラートって、なかなかなくない?って思います。


しかも、赤奏国での内乱を内戦なくして収拾する方法とか、地方のに飛ばされて殺人事件捜査のミステリー仕立てから戦記ロマン(笑)に入っていく話や、叉羅国という部族主義の「家」ごとの意識しかない国におけるナショナリズムを作り出すことによる内戦回避とか、バシュルク国へのスパイ潜入・・・・どれをとっても、それひとつで素晴らしい小説じゃないか!というレベルの完成度で、うなります。


通常、ライトノベルとかファンタジーの「人を殺したくない」とか「戦争は嫌だ」みたいな話は、ただのお題目で、多分そこまで本気ではなくて、「現実にそのヤバい戦争状態とか殺し合いの状況に放り込まれた」ら、すぐに適応しちゃって戦うしかないとなるんですよ。だって、「解決の方法」がなければ、それ以外は自分とかが殺されるわけですから。


でも、茉莉花の問題の解決能力、構想力は、確かに!それかよ!と思うような射程とがあって凄い。例えば、異世界転生のチートって、自衛隊が、つまり現代の武力が転生したとか、現代の能力を持ち込んでいる「格差」によってなされるものばかりで、ほとんど現実味はありません。それはそれで、楽しく素晴らしい物語ですが、ここで描かれている茉莉花の物語は、全然違うものだと僕は思うんですよねー。戦争は嫌だって、普通の少女である茉莉花は思うんですが、為政者としての彼女の発想は「戦争は現実的解決策」という身もふたもない選択肢を無視しません。それを回避しようとしたら、ではどうやって?というのを、具体的に考えて解決方法を模索していくところに凄みがあります。


これって、中華風ファンタジーの「時代もよくわからない曖昧な設定」の中で、茉莉花の思考の冴って、本当に凄い。僕は、叉羅国編、8巻の「三司の奴は詩をうたう」9巻の「虎穴に入らずんば同盟を得ず」のあたりの話とか、、、、この叉羅国というのは「家」という部族主義の国で、「国家」言い換えればネイションステイツの概念がないんですよね。茉莉花は、もし自分が、この国に生まれたジャスミンという少女だったらという思考実験で、自分のご主人様を殺された人を許せないだろうな、とかどんどんシュミレーションを深めていって、感情移入した上で、


では、どうするか?


と、凄まじく鋭い現実認識をして、その上で、解決方法を「手持ちのもの」だけで考え出していく様は、マジで、これって超優秀なコンサルタント的な発想じゃんって、うなります。師匠である芳子星との会話とかも、物事を解決に導くときに必要な「思考形式」の話とかやりとしてて、なんやこれ、なんでこんな楽しく、面白くこんな難しい話かけるんだっていつも震撼します。


とはまぁ、ペトロニウス大絶賛の、大好きな小説です。


ちなみに、マンガも大好きです。絵が、めちゃくちゃ好き。


ちなみに、『十三歳の誕生日、皇后になりました。』は、茉莉花が宰相補佐として実力を発揮した赤奏国のスピンオフ作品です。これも、マジでこのタイトルかよ!しかも、ヒロインの皇后の名前は、虂 莉杏(ろ・りあん)(笑)って、あなた、少女小説家でしょう!って、言いたくなるナメたネーミングとかなのに、これが、、、、、マジで素晴らしい。石井リンネさん、何者なの???小説がめちゃくちゃ素晴らしすぎます。


十三歳の誕生日、皇后になりました。 コミック 1-4巻セット


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『葬送のフリーレン』 2クール28話を見終わりました。素晴らしいアニメーションでした。

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評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★★星5つ)  

2024年の3月で2クール28話。見終わりました。アマプラで見てはいましたが、基本的にほぼリアルタイムで追っかけていました。岡田斗司夫さんもYoutubeで言っていたけど、原作のあるアニメって基本あまり見ないんですよね。やはり原作の漫画の方が神すぎて、アニメが劣化版にしかなっていない場合は、わざわざ見なくてもという気持ちになるんで。このアニメーションは素晴らしかったです。2クールをがちっと抑えたのも凄いし、クオリティも素晴らしいし、しかも演出がマンガで描きたいものをよくよく考えて洗練している。メディアミックスの良さが、素晴らしい。『進撃の巨人』がマンガだけではなく、アニメが素晴らしいと同じような感じです。これは見る価値がありました。


🔳ロードムービーは本当に楽しいのか?


昨日あまりに、アニメが素晴らしかったんで、最近アニメ見まくっている下の娘ちゃん(10歳)に、フリーレンみた?って聞いてみた。

ただ、考えれば考えるほど、見れば見るほど引き込まれる素晴らしい物語なんですが、基本地味なんですよね。


だって、基本構造が


勇者が魔王を倒した後の世界がどうなっているのかを100-200年単位でロードムービー的に旅してみて回る物語


「すでに終わってしまった」勇者ヒンメルとの恋を、彼の思い出を、自分の心振り返りながらたどる物語


って、どう考えても地味すぎる。血湧き肉躍る要素が全くない(笑)。個々のエピソード的にも、群像劇になっているので、胸にすみる良いエピソードの塊だけど、やっぱりドキドキ激しいわけじゃない。
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娘ちゃんの返答は、あんまり面白くないでした。


「だって、フリーレンって何がしたいのかわからないよ!、ただ歩いてばかりいるだけじゃん!」



と、だよね!と思う意見をストレートに言ってくれて、非常に納得でした(笑)。うちの娘は、結構、物語を見る目があると思うんですが、上の娘さん(16)と下の娘ちゃん(10)では観点が位置も違って、上の娘は、僕そっくりで解釈するのが好きなんで、裏読み、深読みしてくるんで、最終的に僕とほぼ同じ感想になるんですよね。だけど、下の娘ちゃんは、めちゃめちゃストレートで、僕が観念の中である「普通に物語を楽しむ人」の発想することが多い。下の娘ちゃんが、何が面白いのかさっぱりわからない!!!!と力説していて、「ただ歩いてるだけじゃん!」と連呼していたので、だよね、普通にみたらそうとしか思えないよね!と思っていたので、とても安心しました。


僕には、ロードムービー形式は、「記憶や過去の物語体験を、重ねてみる作法」がなければ楽しくないって自論があって、、、、いいかえれば、豊かな物語体験を持っている人が、「それとの比較」によって楽しむ物語だと思うんですよね。なので、「それ」がない子供が見ても楽しくないはず、という仮説があったので、その通りでちょっと嬉しい。


🔳モブキャラの魅力が炸裂してくると、「世界」を感じることができる物語なんだなって、じわっとくる

それにしても、アニメーションでも、メチャクチャ人気で、驚きでした。まぁもちろん出来はいいのですが、うちの会社の役員がチャットで、いつもゾルトラークとか。フリーレンいいよねって、毎回書いてくるので、この世代のおっさんアラカン(Around 還暦)すよ!にすら、刺さるのか、、、いや確かに年寄りの方が刺さりそうな話だけど、社会のかなり広範囲に届いているんだって、驚きでした。特に、LDさんが、ユーベルとメガネくんのイチャイチャが好きすぎて、よくYoutubeのまとめ記事とか送ってくるんですが、こういうふうにモブキャラの関係性に萌え始めたら、もうかなり「その世界」にハマっている証拠ですよね。

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解説動画見始めたら、もうかなりハマっているってことですよね(笑)。


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ちなみにこのヨルシカさんの『晴る』が好きすぎて、ヘビロテしていました。


本当に好きになってくると、もうとにもかくにも、いろんな解説聞き直して、注目ポイントを変えながら、アニメ見直したり、漫画見直したり、、、、これが物語を楽しむ醍醐味ってやつですよね。

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岸田総理のアメリカ訪問の際のスピーチ

なるべく気になっているスピーチ見ないなものは、全文、フルスピーチを見よう、聞こうと思っている。今は、それができる時代だから。メディアとか、仲介物を挟んでいると、全然違う誤解をしていることが多いってのが、長く生きているとわかってきた。あと、マスコミって、本当に印象操作に長けているんだよね。もちろん民意ってのは、いろいろな形で積層されて形成されていくわけだから、「そう言った仲介による操作」も含めてなんだろうとは思うけど。でも2020年代のアメリカを見ていると、二極化が進んできて、ポストトゥルースと言われるような「それぞれの陣営にとっての真実(事実無視)」が軸になるこれからの時代、ちゃんと「直接に見ること」で、自分がどう感じるかを見極めるのはとても大事なのではないかと思う。・・・あと、僕のようなパンピーが、歴史を動かす場面を全て「直接に見る」ことができるというのは、素晴らしい時代なんだと思う。民主主義とテクノロジーが発達している現代に生まれていなければ、このような贅沢は味わえあなかったと思うんだ。

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“Boldly go where no man has gone before!”(誰も行ったことのないところへ果敢に行く)

この公式晩餐会でのスピーチが本当に素晴らしかった。広島が、これだけ連発するスピーチが、アメリカのこれほど公式な場所であり得たことはないんじゃないかって思う。ちょうど、今は2024年4月14日。最近オッペンハイマーを見て、ゴジラマイナスワンの思いを馳せていたわけで。いやー時代は、移り変わる。

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なんだか、米国連邦議会上下両院合同会議における安倍総理大臣演説『希望の同盟へ』2015年4月29日(米国東部時間)以来、日米関係って、基本とてもいいよね。対中国という同盟国としての理由がはっきりしているのもあるし、日本側がこの同盟路線を明確に選択しているからだと思うんだよね。僕は、日本が同盟を結ぶべきは、英国、米国など海からの戦略を取る国だと思うので、やはりこの路線だと安心できるなーと思う。

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『オッペンハイマー( Oppenheimer)』2023 クリストファー・ノーラン監督 米国保守派とリベラルの分断ポイントをえぐる途轍もない傑作

評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★★星5つのマスターピース  

とてつもない傑作だった。会社半休取って日比谷の映画館に見に行ったのですが、頑張った甲斐がありました。

🔳2つ視点の対立で進む構成

かなり難解との噂を聞いて、予習をしていったのだが、オッペンハイマーキリアン・マーフィー)視点がカラー(FISSION(核分裂))で、対立するストローズ(ロバート・ダウニーJr.)がモノクロ(FUSION(核融合))で、異なる時系列(1954年の聴聞会と1959年公聴会)がシャッフルされながら、話が進むという構成の難解さを先に理解しておけば、話は、少なくとも僕には単純明快で、わかりやすかった。ストローズという対立軸を設定したことで、言いたいメッセージが、クリアーになったと思う。これがクリストファー・ノーラン監督か?と思うくらいに、シンプルで驚きだった。わかりにくくないわけではないので、難解なものを、彼のような時系列のシャッフルする演出する技術が円熟味を増しているのではないかと思う。

登場人物が多く出て誰が誰だかわからないとも言われていたけれども、基本的に、オッペンハイマーとストローズだけを柱で追っていけば、その他の登場人物は、彼らが描き出すテーマの背景に過ぎないので、無視しても何の問題もないと思う。もちろん、水爆の父であるテラーやアインシュタインやハイゼンベルグくらい知っていると、面白いかもしれないが、主軸ではないと思う。

ただなかなか日本人には馴染みがないだろう大きな理解に必要だと思うポイントは、劇中ではめちゃくちゃ指摘されていて英語で聞ければかなりクリアーではあるのですが、

1)オッペンハイマーとストローズが共にユダヤ人であること。

2)オッペンハイマーが裕福なボンボンで、ストローズが極貧から這い上がった成り上がりであること。

オッペンハイマーは、ヨーロッパに遊学して、神経を病んでフラフラできるぐらい、むちゃくちゃ金持ちのボンボンで、恵まれまくって裕福だからこそ、繊細で弱いものの味方に見えた共産主義ファシズム抵抗するスペイン内戦にシンパシーを感じたのですね。だから彼ははっきりとした民主党員(デモクラット)だったこと。その比較として、ストローズが、高卒で大学進学をあきらめて靴のセールスマンをしているところから這い上がってきた生粋の叩き上げの共和党員(リパブリカン)であることです。わかると思いますが、金持ちのボンボンのオッペンハイマーは、理想主義者です。苦学して辛酸を舐めてコンプレックスから成り上がったストローズは、現実主義者です。同じユダヤ人でありながらも、見ている世界が全く違うんです。こういう二人が、安全保障上の問題意識で意見が合わなくなっていくのはむしろ当たり前です。


とにもかくにも、この2つの対立する視点が、時系列無視で同時にシャッフルして、比較対立されながら物語が進んでいくというこの一点を理解できれば、とてもシンプルな映画です。映画を見慣れている人が、まずわからないとは思えませんが、ここは肝だと思います。鑑賞前に、先に知っていると、とても楽に物語に入れます。


🔳米国保守派の視点から見たとしてもシンパシーを感じられるところが凄い

この映画を評価する上で、最大のポイントは、米国が分裂の時代において、リベラル視点でも保守派視点でも、そのどちらが見ても、感情移入できるバランスを持っている点だと思います。ところが、この作品を揶揄するというか賢しらに批評するポイントで、


原爆の被害を描かなかった


点がよく挙げられます。真面目にこの映画を見るときに、そこが日本においては最大のポイントになるのは、仕方がないと思います。流石に日本において、被爆国の立場から、米国素晴らしいと素直にバンザイを叫ぶのは難しいと思います。しかし、この結論は、大抵「だからダメなのだ」という話に繋がります。完全な反戦、完全な戦争反対みたいな行き着いた「土下座謝罪」みたいなものが、多分観念の中にあって、そこまでいかないと評価できないと言いたいわけなんでしょう。


でも、これが全く話にならないのは、わかると思います。まず、そもそもエンターテイメントとして、面白くないでしょう。そして何よりも、米国の映画ですから、米国人に受け入れ難いでしょう。しかも、最初に2020年代のアメリカ社会の社会的前提は、二極化、分断です。2024年の現在は、トランプ元大統領とバイデン現職が、真っ向から戦ったいる真っ最中にあります。そもそも、ディープステイツ(DS)など陰謀論的なものが受け入れられるようなポストトゥルース的状況であることからも、ちょっとでも「それぞれの陣営の持つ真実」からずれているものは、相手の妄想だと切って捨てて無視する状況なんです。このなかで、原爆の開発は、アメリカの兵士を救い、戦争を終わらせたというアメリカの保守派が持つベーシックな神話への批判を書いたところで、半数は全く身もしない、宣伝映画に成り下がって終わることは目に見えています。

この状況下で、全般的に明らかに、オッペンハイマーは、原爆の開発を罪としてとらえて批判的な視点で、全体が構成されています。にもかかわらず、アメリカの保守派が、これは見るべき、感情移入できる映画だと人気を博したところにこそ、この映画の価値と意味があることは明白です。基本的に大量殺戮兵器を生み出すこと、使うことに強い違和感と疑念が理想主義者のボンボンのオッペンハイマーにはあるので、全体に疑念のあるトーンで描かれている。


これは、光と波の幻想的な映像、人々の足踏みの音に代表とされるイメージと音で、表現されています。この作品は、IMAXよりも、むしろ音こそが主役であると言ってもいい作品だと思います。オッペンハイマーが、原爆の開発に感じ取る罪と恐怖を、つねにこの音で表現しているからです。


しかしながら、たとえそうだとしても、この巨大プロジェクトを、マネジメントと経験のない若手の繊細なオッペンハイマーが、癖があり過ぎてどうにもならんだろうという知の巨人たちをチームとして機能させて、プロジェクトを完遂させたことには、驚嘆を禁じ得ない。正直、これが日本人で、被爆国である我々の視点で見ているから、視点が批判的にどうしてもなってしまうが、それを除いたら、こんな大成功、歓喜して叫びまくって自尊心肥大して、USA!、USA!とか怒号を叫びまくってもおかしくない、大成功だ。いやはや、アメリカという国のプラグマチィズム、底知れない潜在力に圧倒される。ナチスを止めるために使命を帯びた巨大プロジェクトを成功させたアメリカの凄さ!は、これほど不安が貴重低音で描かれながらも、それでも、胸にブッ刺さってくるほど、偉大さが圧倒してくる。


この二極化する分裂するアメリカの両サイドから、どちらもシンパシーを感じる形に攻めた構成になっていることこそ、この映画の真価だと僕は思う。であるならば、この背景において、単純に原爆の被害を描くことなく、その恐怖を音やさまざまなものでクリアーに(僕にはクリアーに感じる)原爆の被害の恐怖を伝えて、しかも、反対の神話を信じる米国の保守派にさえ伝えているところが、ものすごいのだ。まさにオスカー納得の作品だ。


🔳見る時のスタンス〜自分とは逆の立場に「自分」を連れ出してくれること

アメリカに住んでいるときに、『ミッドウェー』を見にいったときに、前の席のおばあちゃんが、日本の空母に爆撃する米軍の部隊が失敗するたびに「ああー」とか「あたれー」とか、ハラハラどきどき呟いているのを聞いて、あれなかなか微妙に気分になるのと同じ感覚を味わったことがあります。

https://petronius.hatenablog.com/entry/2019/12/07/032912

自分の祖父母の世代だものね。祖母は東京大空襲で死にかけてるし(死んでたら僕は今ここにはいない)、Jpaneseという言葉が出てくると、「ああこれはファンタジーでもただの空想の映画でもないんだ」と、不思議な気持ちになりました。巨大なプロジェクトの成功には、血湧き肉躍る高揚を感じるけど、それがすなわち、自分たちの国に向けられる大量破壊兵器なのだと突きつけられる恐怖。


こういう映画は、本当にいい映画だ。


🔳リベラルの視点から見た

日本公開が延期したとかいろいろ問題になったというが、よく理解できない。原作のタイトル、American Prometheus(アメリカのプロメテウス)もそうだし、

Prometheus Stole Fire from the Gods and Gave It to Man. For This, He Was Chained to a Rock and Tortured for Eternity.”

で始まるところも、とてつもないものを作ってしまったというオッペンハイマーの自らの罪への苦悩がテーマであるであると思う。配給を決めたビターズエンドには、感謝を。

それにしても基本的なアメリカの世論は、原爆が戦争を終わらせたというコモンセンスがある中で、批判的なメッセージで中和するハリウッドの大作をつくり、それがオスカーを受賞するのは、素晴らしいことだと思う。同時に、このような映画と同時に、『ゴジラ-1.0』のような反核のメッセージと共に育ってきたコンテンツがアメリカでヒットすることもまた、そういうのこそが大事なことだ、と思う。

またもしこれが、原爆賛成の映画だったとしても、それならば尚更日本で公開しなければならないと僕は思うけれども。日本も、アメリカと同じく、この硬直化して結果を何も考えられなり純粋リベラル派の浸透は根深いんだろうなと、なかなか頭を抱えます。この映画を見て、原爆さん生映画だと感じる人も結構見ます。いやはや、ちょっと信じられない。文脈を読む力無さすぎだろうと、お決まりの批判を言いたくなるけれども、多分そこではなくて、二極化した極端脳の世界に住む人々はエコーチェンバーの世界に閉じこもって世界を眺めているから、そもそも文脈を「読む気がない」のが基本なんでしょうね。


でも、『バービー』を見た時にも思ったんですが、アメリカ映画には、この二極化する社会の分裂に対して、いかにして「共通のものを見ている」感覚を抱かせながら、その両者に、「自分お立ち位置」の欺瞞性を、批判生を気づかせる仕組みになっているのが素晴らしい。仮に「気づかない」でも見れてしまうところが、素晴らしい。

petronius.hatenablog.com


この映画のポイントは、保守派には、大量破壊兵器が生み出す罪を突きつけるし、リベラルには、ナチスが原爆を開発しようとする時にどう対抗すべきなのか?、この争い合う人類社会で力を制御し、安全保障を考えるにはどうすればいいのか?と、そのどちらも、自分を「正しい」立場だけには置けない、しかし解かなければならない難問に直面させる。素晴らしい物語だと思います。


ちなみに、この2020年代の二極化の時代の米国の背景を知るには、この本がベストです。

キャンセルカルチャー ~アメリカ、貶めあう社会~


🔳米国の保守派もリベラルも、同じものを共有できることにどれだけの価値があるか!

note.com

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ついに宝塚にいってきました!『RRR × TAKA"R"AZUKA ~√Bheem~』で礼真琴さんを見てきました!

人生で一度は、宝塚に行ってみたいと思いながら、なかなか機会を得ず、行けていませんでしたが、ついに、宝塚デビュー。3/26の午前のRRRの星組の公演に行ってきました。礼真琴(コムラム・ビーム)さん、舞空瞳(ジェニファー(ジェニー))さんの主演ですね。

チケットを取ってくれた友人は、暁千星(A・ラーマ・ラージュ)さんが、推しだそうで。

110年の伝統を誇る、日本のオリジナルコンテンツ宝塚。ついにデビューしました。一言で言って、最高でした。特に、ダンスシーンが圧巻で、ナトゥも当然素晴らしいのですが、その前の普通のダンスがあまりに見事で、このレベルのダンサーなんだと衝撃でした。友人曰く、宝塚は劇団四季に比べてダンスが上手いのですが、礼真琴はその中でもかなりのレベルなんですと、解説してくれました。

kageki.hankyu.co.jp

いつもは、有楽町の駅から日比谷のTOHOシネマズに行くのですが、その先に行ったことは、一度もなくて、ここにあったんだ!と驚きました。知らないと、視界に入らないものですね。

レビュー・シンドローム『VIOLETOPIA(ヴィオレトピア)』なんですが、RRRも1時間半であの長大な物語をよく見事に収めた脚本で、本当に素晴らしかったのですが、レヴューもまた、素晴らしかった。しっかし、3時間近く、あれだけ動き回って、息が上がっていないのがわかるので、一体どんだけなんだ、と感嘆の嵐でした。一緒に行ってくれた友人曰く、宝塚の出し物はだいぶ、???という感じの残念なものもあるので、いろいろ差が激しいとのこと。RRRは見事な出色の出来なうに、星組で、かつ礼真琴さんという最強クラスの布陣で、なかなかこのレベルは最高峰と言っていました。だけれども、伝統のレビューは、むしろこちらをメインで見にくる人もたくさんいるくらいで、良いですよとのことでしたが、本当に驚くほど良かった。

これとか、なんだよって(笑)。って感じですが、こういう遊び心は、いいですね。もちろん僕も食べました。しっかし、女性ばかりで、本当に女性に愛されているのだなという感じでした。僕の横に座られた、ご年配の奥様(僕から見てもなので還暦クラス)が、もう若い娘のようなはしゃぎぶりで、楽しそうで、ああこういう夢の世界に生きれたら、人生最高だなって思いました。近くにいると、とても楽しい気分の波動が伝わってきて。そんな中に、おっさん二人(笑)でしたが、こういうところに、誘ってくれる会社の同僚がいる自分も、ラッキーだなって思いました。

110年の歴史があるんですね。そういえば、松岡修造さんの娘さん(松岡恵さん)もいらっしゃるそうで、稀星かずとさんというらしいです。宝塚のトップにはどうすればなれるの?という質問をしていたときに、どのように選ばれていくか?というのが、不透明で何もわからないのが燃えると言っていました。ちょうど、会社の出世競争の話もしていたのですが、本当に何が基準かよくわからない。実力だけでもないし、ビジュアルだけでもないし、歌やダンスの能力だけでもないし、もちろん、松岡修造さんの娘さんのように血筋や実家の太さだけというわけでもない、、、、とのこと。話を聞いていて、ネットフリックスのドラマで相撲界を描いた『サンクチュアリ』を思い出していました。

応援する人は、ただ一人の推しを、卒業前から30年間くらい推し続けて、その人が卒業すると燃え尽きて、宝塚ファンもやめてしまう人も多いとか。何と深い世界なんでしょう。

創業者の小林一三

せっかくだからと、対面のビルで衣装展示をしているので見に行きましょうと。グッズもたくさん売っていて、いやーこれは購買意欲湧くんだろうなぁーと感心しきりです。友人曰く、関西の宝塚も一度は行くべきと力説されていました。また人生でやりたいことが増えてしまいました。

僕の宝塚の知識なんて、ほぼ全てマンガからなのですが、あらすじを説明したら、まんまですねって、すごい面白がってくれました。その友人は、舞台とか演劇の人なのですが、マンガを全く読んだことがないようで、同じ物語を好きで、かなりのオタク体質なのに、全く違う人生なんだなって感心してしまいました。自分の人生を振り返ると、マンガを読まないなんて、どうやって生きてきたのかまるでわかりません。

かげきしょうじょ!! 1 (花とゆめコミックス)

左翼の理想に溺れないバーニーサンダースは見事。

バーニー・サンダースのこのスピーチ素晴らしかった。バリバリの左翼なのに、理想に溺れない、このプラクティカルな姿勢は本当に素晴らしい。

政治学者のTweetが秀逸なコメントだった。

これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、
またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。
民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。
実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。
これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。

ウィンストン・チャーチル 下院演説 (November 11, 1947)

もう既に82歳(2024年時点)。ルース・ベイダー・ギンズバーグは、87歳で、2020年に亡くなった。バイデンが、81歳(2024年時点)、トランプが、77歳(2024年時点)本当に高齢者が、アメリカ政治を支配している。とはいえ、大統領になることもなく、2016年のヒラリー・クリントンの対抗馬として登場して以来、有名になったが、きっと、これから30年、40年後には、あまり顧みられることもなく忘れさられてしまうのだろう。多分同時代にいなければ、またアメリカ政治に興味がなければ、この凄まじい存在感は、わからないだろうなぁと思います。

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劇場版『大雪原のカイナ ほしのけんじゃ』安藤裕章監督 巨樹「軌道樹」の上に「天膜(てんまく)」に住み世界を見下ろすビジュアルの未見性だけで満足できるくらい好き


劇場版
評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★★星5つ)  

アニメシリーズから劇場版にかけてきちっと終わっている。とにかく素晴らしく好きだった。満足。そ、そんな大事なことがなぜ伝わっていないんだ!人類(笑)と僕も、叫び出しそうになったけど、過去に何か大きな出来事があって情報が断絶したんだろうなって思う。

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アニメシリーズ
評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★★星5つ)  

どんな作品かと言えば、エンターテイメントを追求してた頃のかつての宮崎駿の世界を弐瓶勉が描いたというノラネコさんの感想が、僕も同感。しかしかといって、オリジナル性がないわけでもない。オマージュを強烈に感じるのだが、かといってコピーやマネを感じない、見事な世界観がある。どうこれを説明すれば良いのかわからなかったけれども、最近のノラネコさんのTwitter(X)で言及している


未見性


という概念で、かなり説明できるような気がする。僕がよくSFに対して求めているのはセンスオブワンダーという言い方をするんですが、これの中身を分解していくと、「見たことがないものを見せてくれたかどうか」という部分で、これがまさに未見性というやつなんだと思います。そして、『大雪原のカイナ』で僕がぐっときたのは、巨樹「軌道樹」の上に「天膜(てんまく)」に住んで、世界を見下ろすビジュアルだと思うんですよね。風の谷をもっともっと小さくして、滅びる直前の最後の生き残りだけの村の若者のカイナが、食糧を狩るために、虫を狩り、食べるシーンから物語が始まる。もう、ここだけでノックアウトですよ。

ここで語られているように、物語のストーリーを楽しんだり、その整合性を気にしていると、未見性を楽しむというセンサーが薄れる気がするんですよね。SFのアニメーションや映画は、何よりもこの、「いままで見たことがないものを見せてくれること」ができているかどうかが、最も大きなコアの魅力だと僕も思います。評価をするのならば、物語性や、その整合性は、2番目だろうと思うんですよね。でも、これが許せないと主張する人は、なぜかネチネチいますよね。あれなんなんでしょう。僕も、どちらかというと、ストーリー性を評価しがちなので、たとえばギャレス・エドワーズ監督の『ザ・クリエイター 創造者』とかが、とても評価悪いです。でも、これもやはり「未見性」という評価軸で見ると、素晴らしい出来の作品なので、この辺りの「どの視点で自分は見る癖があるのか?」と「自分が得意ではない見方を育てたり感受性を高める」というのは、人生を楽しみため、映画を楽しむためには大事な意識だと僕は思います。僕も、初見の時に、『大雪原のカイナ ほしのけんじゃ』も『ザ・クリエイター 創造者』も、世界観の解説、説明が弱いよ!って不満を持って見ていましたし、終わったときのモヤモヤも基本そこでした。そういう意味では、典型的な日本の観客なんだろうと思います。でもこれを、未見性を体験させてくれたか?という視点で見ると、評価がガラリとかわる。ストーリーを追う分には、情報摂取なので、小さなiPadの画面で十分。しかし、SFの未見性のセンスオブワンダーを感じたいのならば、大画面の方がいいし、最終的には、映画館の方がダントツに良いだろう。この視点からは、両作品とも、かなりの水準に到達していると思う。

🔳ストーリーとしての評価

SF的には、「これだけ人口が少ない」滅びそうな村という設定から、この若者は世界の謎を知ろうと、そして家族を作るために女の子を探しに村を出るんだなとしか思えません。また、軌道まで大きな木があって、膜を張っているなんて、地球を浄化しているか、異なる星でテラフォーミングしているとしか思えません。最初の10分もしないで、この時点で、全て普通にわかるでしょう。水が軌道樹から出なくなって人類が滅びそうということは、普通に考えて、浄化プロセスかテラフォーミングが終わって、フェイズの変更しなければいけないのに、システムが狂っているとかなんとかそうとしか思えない。と考えましたが、ほぼ当たりでした。でも、この既視感のある設定だからといって、全然、このセンスオブワンダーの感動は損なわれなかったんですよね。


そして、地上から女の子が浮いて登ってくる!!!(笑)。ラピュタの逆じゃん!


構造的には、『シュナの旅』と同じだと思う。本当に宮崎駿ワールドなんですが、やっぱり素晴らしいよ。BOY MEETS GIRLって、「女の子が降ってくる」というラピュタガンダムUCで定型化したある種のご作法じゃないですか。それを、物凄い単純ですが、逆に地上から浮いて登ってくるって、素晴らしいです。「それを納得させる」世界観を作り出さなければ、ダメだからなんですよね。僕は、この最初の「軌道樹の虫の狩のシーン」と「アトランドの王女リリハが軌道樹の根元から登ってくる」シーンだけ、何度も実は見返しているんですよ。好きで好きで。


全体的に、ストーリーとして何かの新規性はないんです。とても骨太で、古典的。既知の世界観、ストーリーなんですが、これを緻密に練り上げて、それビジュアルで示す力は本当に素晴らしい。僕は大好きな作品で、これからも何度も見返すでしょう。

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倉本圭造さんの「(右翼さん以外のための)『川口市のクルド人問題』まとめ」を読んで、相変わらずバランス良くて素晴らしい!とうなりました。

(右翼さん以外のための)『川口市クルド人問題』まとめ 倉本圭造


倉本さんの記事が相変わらずいい。

ペトロニウスは、アメリカに長期間住んでいたので、移民問題には、いろいろ思うところがあります。何よりも社会問題として抽象的ではなくて、「自分ごと」ととして感じるんですよね。こればっかりは、自分の国のマジョリティ(日本人であり男性の中産階級)であることと、マイノリティ(アメリカという異国の地で滞在資格を気にしながらアジア系のマイノリティとして生きる)であることを、両方経験しているので、その「差異」に敏感なんだと思います。


とはいえ、社畜リーマンであり、3人子持ちのアラフィフのペトロニウスには、時間がないので、あまり政治的なことには、関わりを持ちようがないし、事件を追っている余裕もありません。なんでこの問題を気にしてたかというと、映画のマイ師匠(←勝手に思い込んでる)のノラネコさんより、『マイスモールランド』をお勧めされてみたところ、めちゃくちゃ良くて、人に勧めまくっていたんですね。そうすると、結構な比率で、


「あークルド人問題ね、、、、それ背景わかっていないでしょう?。クルド人可哀想とかいうリベラルに騙されてはいけないですよ。」


という忠告を広範囲で観測したんですよね。はっきりいって、移民問題に関しては、だいぶ心情的に(自分も外国で住んだことあると、どうしてもそうなる)リベラル寄りの発想というのもあるんでしょうが、なんか歯の奥になんか挟まったいいようで、「リベラルに騙されてますよ」的に忠告されるのが、鼻についてムカついたんですよね。


その態度ってネトウヨ(=たいして事実関係も知らないくせに思い込む)じゃないの?という風に反発を感じてしまって。だから、知りたかったのですが、軽く調べるだけでも、基本的にイデオロギーに偏った視点での罵り合いしか(メディアでさえ)ほとんどないので、具体的な対応方法が全く思い浮かばなくて、、、それで黙るしかなくて、うーんとなっていたんですよね。自分の肌感覚や、あたりまえの自由主義に基づく近代国家としてのコモンセンスからこれらの報道や言説が、ぜんぜん腑に落ちなくて。


多分題材的に、「俺は真実を知っている」といいやすいやつなんだと思います。日本の大手メディアって機能していないので、事実関係からグローバルスタンダードな世論を組み上げるインフラを提供する機能が弱いので、こういう陰謀論的なものをいいやすい。特に、この



欧米の国でも普通にやっているような出入国管理上の当然の国家の権利を行使しているだけ



という部分は、


国家権力による秩序の維持


と、


人権をどのように守っていくか?


という右と左が対立するセンシティブな領域なので、この辺りの時系列的な大きな流れとファクトベースをちゃんと網羅しないと、話にならないんですよね。僕はこの記事を読んで、非常にフェアに情報が提供されていて、素晴らしく勉強になりました。こういう機能こそ、大手報道メディアが提供するべきで、NHK以外まともにできていないのが、よくわかります。ただ、もう少し踏み込んでくれないと、NHKだと、リテラシー高くないと、本当に伝わりにくいんですよね。まぁだからこその、NHKなので、それを要求するのは酷なんでしょうけど。でも、倉本さんという個人でも、ちゃんと調べれば、これらのデータは、いくらでも公開されているのが、自由な近代国家なんで、可能なんですよね。


記事の内容は読んでもらいたいですが、あっちゃんの入管法の話をすごく連想しました。ペトロニウスの感覚ではこの問題のイシューは、


入管法の問題なんですよね。


ようは、グローバルスタンダード、、、この言い方は手垢に塗れていますが、ペトロニウスが言うときは、西ヨーロッパ先進国と北米アメリカとカナダの基準と言い切っていいと思います。それ以外の国を参考しても、少なくともリベラルな市民社会と国家の維持を両立できているのは、ここしかないしょう、ここ数百年。その基準からして、厳格さと人権に関する対応が、両方とも甘すぎるんですよね。だから、右翼と左翼とのぶつかり合いの場になってしまう。


僕も倉本さんと結論は同じです。日本は、もっと移民に対して厳格になっていいと思う。同時に、人権に関しての管理があまりに甘すぎる。この「両方」を法律的に整備していくことは、自由で公正に開かれた近代国家の最前線の水準からして、当たり前のことであり、あまりに仕組みがザルだと思うのです。


これ左右両方の言っていることが、「それなりに」どちらも正しいことを示しているんですよね。


だったら、ちゃんと具体的に、そこを狙って、社会を漸進的に良くしていくように考えて行動しようぜ、って思いました。特に、この場合はリベラルがダメなのは、間違いないですね。リベラルサイドが、極端な陰謀論的な極右を生み出したくて動いているとしか思えない、「結果をまるで考えない」行動をしているのがよくわかります。


いやー勉強になりました。

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