『亡国のイージス』福井晴敏

亡国のイージス 上 (講談社文庫)
亡国のイージス 下(講談社文庫)

誰も見てないだろうということでコッソリ。

恥ずかしながら、実は福井晴敏の作品を今まで読んだことがなかった。
もちろん、名前を耳にする機会も多く、個人的に強く興味を持っていた作家だったのだが、悪い癖で、そういう「気になる」作家の作品ほど何故か敷居が高く感じられてしまって、手に取るのを躊躇してしまうのだ。

今回その方針を転換することにしたのは、別にガノタとしての共感が強まったから、というわけではなくて。

司馬遼太郎の「坂の上の雲」を(これまた恥ずかしながら、今更)読んだのを切っ掛けに旧海軍や米海軍・海自などに興味を持ち、そこから派生する形で福井作品に行き当たった、という感じである。

    • -

で、読後の感想だが。

さすがに著作がバンバン映画化されてるだけのことはあって、エンタメ作品として超一級の完成度。

「どこかで見たような」燃えるシチュエーションがふんだんに取り込まれていることで、作者と趣味が被るであろう同世代の特定の趣味の人間にはたまらない興奮を感じさせ、それでいて全体を通じて一つの明確なテーマ性のもとにそれらのネタを上手く消化しているため、独特の臨場感溢れる文体(映像先にありきの文章、という感じ)と相まって最後までぶれることなくノンストップで読みきらせる力に満ちている。

    • -

それにしても、この中途半端な国にあってはクーデターすらも中途半端なものでしかありえない、という作品の運び方は上手いと思う。

煮え切らない宮津艦長。
その眼前で吐かれる「よく見ろ日本人。これが戦争だ」というセリフ。

単なる二元化ではなく、二元化した両極の中において更にそれらを多様化させることで、物語はどんどん迷走していくわけだが、その迷走こそが作品の根幹である、というテーマ構築には、単なるエンタメ作品に陰影をつけて深みを与えた作者の高い技量を感じる。

    • -

しかしまぁ、かわぐちかいじの『ジパング』を読んでいた時にも感じた事だが、イージス艦ってのは実に面白い題材だと思う。
ほとんどはそのネーミングセンスの勝利だと思うのだが、海軍というのが「他者と隔絶された状態での戦争」を戦う軍隊であり、それ故に戦場でありながら「理想」や「甘さ」の入り込む余地を持っている、ということも大きな要因なのだろうか。

ただ、面白い題材であることが、そのままリアルな政治の世界でも、なんとなく旧海軍における戦艦信仰のような考え方に繋がってるとしたら問題ではあるかもしれない。韓国軍や海自の微妙な配備の仕方を見てると、そんな印象がなきにしもあらず。作中の「亡国の楯」じゃないけど。

まぁ、範たるべき米軍も規模が違うだけで、それほど大差ないのかもしれないなぁ、とも、新イージス艦のデザインを見てると思えなくもないか(笑)

    • -

しかし、作者のHPを見たら、この人本当に仕事の半分はガンダムなんだな……

リモコンが壊れそう

スポーツイベント多すぎるんじゃー

シンクロ

女子シングルフリーをちょっとだけ見る。ラスト3人くらい。

……ドデュ(フランス人の名前は表記が難しい)の点数がありえないんですけど。
これ見せられた後「逆転にはこれを上回る点を…」とか言われても困るだろう(笑)
まぁ、ハイレベルな戦いだったのかなぁ。素人が見ても結構すごかったね。

でも、ドデュの優勝が決まった直後、客席に駆け上がってスタンドで夫と抱き合い涙を流すドデュの映像をバックに「日本人選手よく頑張った!メダルよりも価値があるよ!」とか延々関係のない話をする松岡修造はいい加減スポーツキャスター辞めるべきだと思った。
というか、日本のスポーツ報道って身びいきばかりで全然世界レベルの視点がねーよなぁ。

フィギュア・女子シングルフリー

ミキティ嫌いなんだが、まおちゃんは持ち上げてる周囲の空気が気に食わない(去年の最終戦のありえない点数とかね)ので必然的にミキティを応援するモードに。(当然本当はキムヨナでも応援すっぺか、という流れだったのだが、残念ながら転倒転倒で既に勝利の目はなくなっていた)

しかしまぁ、浅田真央ってのは確かに天才だわ。
ホームタウンディシジョンやスポンサーディシジョンが入ってるんだろう、と邪推しつつも、彼女の演技が他のどの選手よりも高いレベルの技術的バックボーンを有していることだけは認めざるを得ない。
安藤美姫がそうであったような体型の変化による苦しみがこれから出てくるのかはまだわからないが、キムヨナと彼女の二人が世界レベルの中でも頭二つ三つ抜けた存在なのは間違いないと思う。

で、まぁ「4回転やる!」と言い出してまたハラハラさせた安藤だが、正直浅田の点を見てしまうと、私も「これは逆転するには4回転やるしかねーかなぁ」と不覚にも思ってしまった。
しかし、そこはさすがに名伯楽が後についていたということなのか、コーチの説得で4回転を封印しての逃げ切りに成功、ってあたり、トリノ後の世代交代で追われる立場になったトップ選手としての精神的成長というやつなのだろうか。

それにしても、浅田真央の演技終った後、点が出た時、それぞれの報道・場内の雰囲気は、「出来レースのシンデレラストーリー」みたいでムカムカした。
安藤に対しても「空気嫁」って感じで、拍手もまばらだったのが、なんともね。
まぁ、安藤自身もそうやってのし上がってきたわけだからそういう世界なんだと割り切るしかないんだろうけど。

寿司ボンバー

中村といい、高原といい、なんで彼らの能力はワールドカップになると封印されてしまうんだろうねぇ。

オシムはとりあえず海外組を呼んで一回勝った後、アジア杯は『ヨーロッパ組が合流しなかったから負けた』という言い訳で乗り切る気に違いない」という噂話をどこかで見たけど、実際そういうこともあるかもしれないなぁ。
谷間の世代が主力になってるってのもあるけど、やはり国内組オンリーのA代表の力はかなり見劣りする。

ま、こんなもんでしょ。素人ボクシングじゃね。

ランダエタとの再戦でやったスタイルに戻さないと、ポンサクレックには100年かかっても勝てないんじゃない。
戻したら戻したで「亀だとKOはワンセット」(笑)のビッグマウスは封印してもらわないと(TBSが)困るが。

まぁ、ポンサクレックも歳だからパーラみたいにモチベーション喪失で半引退の金稼ぎモードに入らないとも限らないし、それをゆっくり待ってるんだろうけどさ(笑)

変化

直接対決で力でねじ伏せても「優勝じゃないと」「星の数が足りないでしょ」と言って横綱昇進が見送られた過去があるんだから、白鵬が変化してでも「勝ち」を取りに行ったのはしょうがないと思う。

特に、自分が千秋楽結びの一番で格下相手に変化しておきながら「上を目指す人が変化するんじゃダメだ」とその15分後にしゃあしゃあと言ってのける男が相手なんだから、変化するしないはもはや完全に勝負上の駆け引きレベルであって、外野が口を出すことじゃあない。(これで白鵬の相手が貴乃花だったりしたらそれは確かに変化するべきではなかろうが)

横審も、難癖つけるばっかりでどういう理想を求めてるのかよくわからんよなぁ。
「毎場所全勝優勝、どんな相手にも変化などせず正面から受ける横綱相撲、しかも普段から品行方正」なんて、そんな完璧超人どこにいるのさ。
そんな事ばっかり言ってるから貴乃花みたいな「サイボーグ横綱」を生んで二子山の看板潰させることになったんだよ。

「衛生兵〜!」

京都四条寺町に面白いメイドカフェがあるということで、見学に行ってみた。

この店の掲げる特徴的なコンセプト。それは、「ミリタリー(!)メイドカフェ」。

本格的サバゲーグッズショップの2Fにあるこの店、店員の着ているメイド服は全て迷彩仕様(彼女達の事は「メイド」ではなく「メディック(衛生兵/看護兵)」と呼称するらしい。野戦病院・軍病院的な設定なのだろう)。
店内の各テーブルにはどーんと銃が置かれてるし、そもそもそのテーブルに案内される際も、「Aテーブル」「Bテーブル」などではなく「アルファチーム」「ブラヴォーチーム」と呼称される(笑)
オーダーした時の店員の返答は「Sir!Yes,Sir!(敬礼)」だし。
とにかく、何もかもが混沌とした恐ろしいマグマ状態。

といって、色物カラーだけが売りなのかと思いきや、メイドカフェとして見た場合も店員達の異常なまでにテンションの高いネタの連発が生み出す熱気が凄まじく、どこまでがネタでどこからがリアルなのかの境界がどんどん曖昧になっていく。

他にも色々書きたいのだが、あまり個人的体験は書かない方針なので、割愛。
しかしまぁ、いろんな意味で一度は見てみる価値のある店ではあった。

ちなみに、我々の行った18日は「メガネデー」ということでメディックも客も皆メガネ、ということだった(メガネ客は割引がある)。他に、3日の「耳の日」や、30日の「コンバットデー」などがあるらしい(店のHP参照)。

「コンバットデー」はメディック達も全員迷彩メイド服ではなく通常の迷彩戦闘服で接客。客も1Fのサバゲーショップでコスチュームコンテスト(優勝賞品はメディックとの交換日記だとか……それでいいのか、戦士達よ(笑))をやってるので、迷彩服での来店OK、だそうな。
ものすごく見てみたい気がするが、怖くて行けそうにないな。

『エピタフ』あせごのまん

エピタフ (角川ホラー文庫)

短編3本の作品集。これまたE中さん提供。

「墓碑銘」

作者が長年書きたいと暖め続けていたネタだそうな。
確かに、妖怪やら民俗学やらを絡めたホラー物語のプロットとしては優れているかもしれない。
(ちょっと型にはまりすぎてる気もするが、この手の話ではそれは別に良いかとも思う)

しかし、物語のボリュームと尺とが合っていないのか、必要な描写がいくつも欠落しているような気がする。何というか、微妙に物足りない気分が後に残った。

ニホンザルの手」

これまた物語の筋・最後のオチ・電波系な一人称スタイルという個々の要素は優れているように思えるのだが、やはりどれもほんの少しずつだけ「面白い」という評点に届いてないような気がしてしまう。
なんとも消化不良な気分。

「憑」

これは怖い。

「社会ホラー」とでも言うのか、「あっち側」のある意味ピュアな美しさを感じさせる怖さじゃなくて、「こっち側」の生々しさを感じさせる恐怖。
大阪という土地(私は微妙に大阪ではないけど)に暮らす者通じ合う(ひょっとすると全国どこでもこんなもんなのかもしれないが、私には分からない)地域臭が余計に生臭さを出しているのだろうか。

多分作者が本来書きたいのは「墓碑銘」みたいなお話なんだろうけど、短編スタイルだとやはり難しいのかなぁ、と逆説的に感じさせる作品だった。

『ΑΩ』小林泰三

ΑΩ(アルファ・オメガ)―超空想科学怪奇譚 (角川ホラー文庫)

この世で最も過酷な仕事といえば某宇宙戦艦の第三艦橋のクルー、という笑い話がその筋ではあるそうだ(実際にあそこに人が乗ってるわけではないのだろうけど)が、高い能力とモラルを求められる一方でその待遇が明らかに割に合っているとは思えない仕事というのは確かに世に多く見られる気がする。

数々の不条理な制約の下、数々の困難を単身押し付けられる職場としてよく例に挙げられる中には、連邦艦隊士官といった有名どころ等もあるわけだが、私としては「光の国」の警備隊員なんかが、特にしんどそうだなぁ、と思ってしまう。

幸い、我々が身近に接する機会を持った光の国の警備隊員や測量員は、皆優秀で人柄もよく、献身的態度を最後まで崩さない方々だったため、幸福な出会いであったと回想することが可能なわけだが、やってきたのがあまり優秀ではなく、しかも理屈っぽい割りにモラル面では手抜きをするという手合いだった場合、巻き起こる悲劇の質・量が凄絶なものであったろうことは想像に難くない。

この作品は、つまり、そういう話である。

明らかにB級パロディな設定、随所にみられるネタ演出。
それでいて、真面目で堅いSF的な語り口を維持しつつ、全体に肉と汚液とをぶちまけてデコレートするこの作者特有のスプラッタな雰囲気が、そうしたパロディネタから生臭さを完全に取り去っていて、一つの新たな作品としてキッチリ昇華してみせている。
とにかく、全てにおいて私好みの作品だった。

惜しむらくは、中盤、「超人」的世界観から「悪魔人」的世界観へとスイッチしていく過程が少々一足飛びに過ぎてしまい、後半のプロットがやや混乱気味になってしまったことと、その過程で嫁姉妹や刑事など、もっといい演出・ネタに使えそうなキャラクターが今ひとつ弾けきれないまま終わってしまった点。
小林泰三が度々取り上げる宇宙的恐怖ネタについても健在だが、これまた後半話を収束させるためにガが作者の代弁者的立場でコミュニケートを取ってくるようになってしまったことで若干薄れてしまったのが残念だったかも。

とはいえ、いずれの点も許容できないほどの崩壊・問題点という訳ではないので、序盤の猛烈な加速を受けて一気に読みきってしまえばどうということはない。
久々に痛快(痛不快?)な時間を過ごさせてくれる怪作であったことに間違いは無い、と個人的にはこの出会いを嬉しく思っている。

しかしまぁ、褒めておいてなんだが、こんな不快でバカバカしい作品、喜んで受け入れる人はそんなに多くないのかもしれないなぁ(笑)

『僕僕先生』仁木英之

僕僕先生

第18回日本ファンタジーノベル大賞・大賞受賞作品。
毎度ながら本の提供はE中さん。

日本ファンタジーノベル大賞と言えば、日本に数あるファンタジー系の小説賞の中で、唯一と言って良い「非ライトノベル」の賞で、相当真面目な文学賞だというのが私の印象だった。

そんなわけで、それなりに構えて読んだこの作品の内容を簡単に説明すると、「資産家の一人息子であるニート青年が、ある日突然超人的能力を持った一人称が「ボク」(だから「僕僕先生」というわけだ)な不老不死の美少女に気に入られ、一緒に旅するうちにラブラブハッピーになる」という感じ。

重ねて言うが、ファンタジーノベル大賞は硬派な賞である。
選考委員一つとっても、井上ひさし椎名誠鈴木光司といった作家がやってる賞である。

まぁ、実際には堅い部分もかなりある。
舞台である唐・玄宗皇帝代に活躍した人々の伝記や、古代から中世への過渡期において道教的世界観が崩壊していく様相、僕僕先生の周囲に現れる仙道達の思想のあり方など、どれも初歩的なステージに収められてはいるものの、テーマとして非常に面白いものを感じさせるのは確かだ。

そうした硬派な横糸に、ボーイミーツガールな縦糸を絡め、更にその上に「仙道モノ」のSF的な色合いや、萌え文学的なキャラクター描写や、ここ数年流行している「ニート・ヒッキー」文学的な要素を染め上げた作者の作品構成能力の高さは、確かにこの賞を受けるに相応しいだけの実力者、という表現をしても良いのではないか、と考えることは十分に可能であろう。(内容の心にも無い度と文末表現の回りくどさは比例する)

しかし、その一方であえて私の個人的な感想を付け加えるならば、やはり「中途半端すぎてつまらん」という点に収束してしまうのだ。

横糸となる世界観の描写はどれも皮相的な部分にのみ終始し、仙道モノとしては既存の諸作品の描写や古典的エピソードを逸脱することもなく、萌えキャラモノとしては僕僕先生の抱える「陰」の部分に踏み込む事もできず、ニート文学としてはあろうことか「黙っていても天から助けが降ってきてハッピー」という「なめとんのかワレ」的展開をやらかしてしまうありさま。
ニート文学部分については、多分作者はちょっとした皮肉・ジョークのスパイス程度に思っていたのを作品解説や帯で取り上げて拡大宣伝してしまった編集が悪いとも思うんだけど)

特に、主人公が抱える様々な葛藤に対して「苦しいなら無理しなくていいよ、全部ボクがいいようにしてあげるから」的な救済で最後まで済ませてしまい、何一つ主体的行動を取らせない物語展開は、それが「仙道」を語る上では一種当然の事であるとは言いながらも、やはりカタルシスに欠けることこの上ない。
物語の結末からエピローグにかけての展開も、古典においては王道的であることは十分に理解できるのだが、結果的に作品の中心軸を強調するどころか、埋没させる展開としか思えず、ストレスが溜まる。

まぁ、やたらと辛口になってしまってはいるが、その原因はちょうど昨日たまたま積んであったアフタヌーン3月号で「ラブやん」を読んで「これはニート文学におけるディープインパクトだなぁ」とやたらと感心させられた反動があるからであって、決してこの作品自体が「糞つまんねーんじゃ、このボケェ」という完成度だから、という訳ではない。と、思う
総合的な評価をするなら、この作品は極めてよくまとまっており、何処をとっても平均よりも高い位置にあるのは確かなのだ。

作者本人は歴史モノを書きたい、という人らしいので、この作品が果たしてその実力を十分に出し切ったものなのかどうかは分からない。
そう言う意味では、次回作を読んでみたいような、でもわざわざそこまでするほどでもないような、このなんとも言えない微妙さこそ、この作品の持ち味なのだろうか(笑)

千と千尋の神隠し

実はまだ見たことがなかったのだ。

前半はすごい面白かった。
「これはトトロを超えるか!?」と期待させられるクオリティ。

それだけに、後半銭婆が出てきてからの展開が無駄に複雑すぎて、若干消化不良気味だったのが残念。
最後の湯婆の謎掛けも、何故正解できたのか私には理解できなかった(ひょっとして私がアホなのか?)
白と千尋の絡みももっと描いて欲しかったなぁ。
まぁ、TV放映版なんでどっかカットされてたのかもしれないけど。

しかしまぁ、宮崎アニメってのは完全にブランド化してるんだなぁ、と。
「宮崎アニメのお約束」ってのを日本人の多くが理解してるってのはある意味ですごい事だ。

まぁ、これならお金払って見に行っても満足できるな。
これの次にハウル見せられたら、そりゃ普通の人はガッカリするわなぁ。
私はどっちかというとハウルの方が好きかもしれんが(笑)
※褒め言葉ではない