ゆるやかな死を死ぬ

リンドウは陽にあててやらないと花がひらかない。
朝、白い一輪挿しに活けた枝を窓ぎわの日なたに出してやり、錐状のつぼみが藍色にほころぶのを待って食卓に飾りなおす。閉じては開き、開いては閉じるのを幾日か繰りかえすうち、深緑の葉の縁が赤茶けて、いくら待ってもひらかないつぼみが増えていき、それでも咲く数輪のために捨て時がわからないでいる。

渓流オセロ

谷間を南へ流れくだる川にかかる橋から、下流をみやると、きのう降った雪がかわらの石の輪郭で溶け残っている。
視線を川上に転じれば、見わたすかぎりの雪は溶け、黒々とかわいた石がいつものように続いていた。
ドウダンツツジの一株ごと北側に丸く溶け残った雪を、屋根の輪郭に切り取られた斜面の雪を、目にするたびに、ああ、いつもは黒い影の部分が雪で白く反転しているのだと思う。

自由の価格

車がなくても当面の日常生活に支障はないけれど、何かをしようと思ったときにそれを成し遂げるための手数や時間が格段に増えるので、何かを思いたってはそのたびにガラスの天井に頭をぶつけているような日々が続く。
何百万というお金を払って買っているのは、実は実質的な利便性よりは、この「何でもやろうと思えばすぐ出来る」という感覚なのではないかと、車で通りすぎれば一瞬ですむ坂道をとぼとぼと登りながら延々と考えていた。人は自由にはすぐ慣れてしまうけれど不自由には敏感だ。

甘い情景

しばらくは抜け道のない谷間の道で自然渋滞につかまってしまった。あきらめの息を吐いて、シートにもたれ、ワイパーを止める。
十分にあたたまったフロントガラスに、おりからの淡雪が降りかかってはほろりと砕け、砕けては溶ける。舌先にほどける綿あめを思えば、にじむ車窓は祭り提灯の色で、テールライトがはるか彼方まで連なっている。

インプリンティング

年末の休みを数日後にひかえ、朝から車を走らせていると、小雪舞う路肩を、郵便局員の赤いバイクに遅れまいと、全力で立ちこぎをしている高校生に出会う。
一週間の後にはこの子たちの手によって、懐かしい人の近況を知ることになる。二時間あまりのあいだにそんな光景を三度ほど見た。