IWA2009-08-11

今朝はじしんで目が覚めました。寝てたらCDが降ってきてびっくり。揺れながらとっさに思ったことは「ついに来たか。いやだなこわいな。でもまだ眠いし、今寝間着だし雨だからめんどくさいなー。」でした。ものぐささんだ。
父は飛び起きて、まだ揺れているのに買ったばかりの大型液晶テレビが倒れないように支えていたし、母は動揺して地震のあいだ階段をのぼりおりしていました。きっとどっちに行ったらいいのか迷ったんだろうねえ、息子としてはわかる気がします。母は父にあとから「私よりテレビが大事なら今夜からテレビの隣で寝ればいい」とぶつくさ言っていました。この人たちは何があっても大丈夫なのだなー。犬はまったく無関心。ラジオを付けたら、市の防災課の人が電話でゆれた時の状況をアナウンサーに聞かれて「変な話ですが、私は家でトイレに入っていたら揺れました。」と真面目に答えていて、ちゃんとできたのかが気になりました。朝のとうふ屋さんも「すごかったね!」「観念しかけたね!」と笑顔で盛り上がっていました。けっきょく被害はなかったけど、友人のやっているバーのお酒が倒れてないかが心配。とはいうものの、しぞーかの人は地震については長年培ってきた前向きな諦めマインドのようなものがあって、やわらかい雰囲気(全然ピリピリしてない)が漂っていて安心しました。
そして、北海道から沖縄から「だいじょうぶ?」という連絡をもらえたのはほんとうにありがたかったです。帰省ラッシュと高速道路が通行止めが重なり、いつもは15分の学校からの帰り道に3時間かかったけど、おかげでほくほくとした気分で帰路につきました。

梅雨長かったです。歳をひとつとりました。いち年前とは住所も仕事もパートナーも違っていて、30代前半らしい激動の年だった…としみじみ。感謝したいひとがすごく増える。身の回りでは、退職した劇団が解散したり(12年目から18年目まで在籍。新しい劇団も立ち上がってハッピーエンドだったみたい。よかった)、父が心臓の手術をして快復(ちょう元気)、1回目の試験が終わって(お酒もつき合いもほとんど断っていてごめんなさい。試験がいくつかあるからあと1年ひきこもる予定)、はなればなれの恋人がお店を開店(うれしい)、その恋人が訪ねてきて両親と一緒に食事したりしていました。朝早くに起きて、隠居生活に入った両親と毎日おんなじような話をして、犬を撫でて学校に行き夜まで勉強をして、家に帰って両親とテレビを見ながらどうでもいい話をして、寝る前に恋人とテレビ電話をする。あとはたまに泳いで図書館で本を借りる。それでぼくの生活の95%は再現できています。うんざりとしあわせを足してまったりで割った感じ。あはは。去年までは仕事の年が続いていたから、今は家族と恋人と準備の年なのだと思います。

連日の夏日。今朝、父が物置から扇風機を出してました。早いよ!でも戦前生まれの人はきびきびしていてさすがだ。
土曜日の朝、平日よりも空いている国道を通りながら、このぼけぼけとしたのどかな感じはどこか懐かしい…と思ったら沖縄の風景に似ていた。土曜日の朝の町のような島。先日、恋人に会いに少しだけ帰りました。ある晩、恋人の父から突然スナック楽喜(ラッキー)にいるから会いに来いと呼び出されて、カウンターで恋人の父と、恋人と、ママ(スナックの)と飲みました。恋人の父とはちゃんと話すのは初めてでしたが、緊張したのとゆるいのと面白いのが一緒くたでさいこうでした。帰ってきてから恋人とテレビ電話を始めたので、恋人にこちらの両親とも画面上で対面してもらいました。60歳の母と70歳の父が、パソコンのディスプレイに映った恋人に向かって挨拶している風景はなんだか近未来っぽかったですが、ほのぼのと心温まる感じでした。よかった。
母がおいしいお菓子を出してくれたので、おいしいねと言ったら「高かったけど、富士山横っ飛びで買ったのよ。」ん?その富士山横っ飛びって何ですか。「清水の舞台から飛び降りるって言うでしょ。あの富士山版。私は母の代から使ってます。」あーそうか、実家語なのか。実家語いいですね。ほっとします。「はしえす(箸s)」(父)曰わく「箸は二本だから複数形のエスが付くんだよ、中学で習っただろう。」…父の冗談は昭和の香りがします。「さきっぽちょ(先っぽーちょ)」(母)ちょが付くことで、より先っぽ感アップ。「よろしく」(父)おいしいものを食べている家族に対して「おっ!母さんよろしく。」という風に使う。よろしく(やってるねえ)の略。標準語だけど、いまだに父以外の人間の口から聞いたことがない言葉のひとつ。普通はおっさんがしもねたにしか使わない気がする。そしてびっくりしたのは「あぶらぎっちょんちょん」は標準語だった。ぐぐったら出てきた。死語みたいだけど、実家ではものすごく生きている。日曜の夜に毎週欠かさず笑点を見るのもさすが実家だと思いました。

日曜日にぶらりと町へ出かけたら、おでんフェスティバルをやっていた。…おでん祭り? 町中の商店街、公園、アーケードに、ひたすらおでんの出店が並んでいる。おでん屋台の隣りにおでん屋台があり、その向かいにはおでんの屋台が…というおでん四面楚歌。町中におでんの香りが漂い、街角にはおでんスタンプラリーが。今日はなんとしてもおでんを食べてもらいます!という主催者の気迫が感じられる。それに応えるように、ホコ天の道に並べたテーブルで老若男女がおでんを食べている。わざわざ食べに来たのかたまたま来てじゃあしょーがないという感じなのか、どちらにせよみんなせっせとおでんを食べている。つまり町中がおでん横町だ。日曜おでんテロル。おそるべししぞーかおでん。うっかり白はんぺんの方が好きだなどと口走ったら、市民権を剥奪されておでん横町の裏路地に連れて行かれておでんの具にされちゃうんじゃないだろうか。同じ日に城下町マラソンも開催されており、全体的にもうおでんを食べるか走るかもしくはおでんを食べながら走るしかない感じでした。
ところで好きな人ができると面影が他の女性にも映って、町を歩いてもテレビを見てもその人を思い出してしまう…男子のみなさんそんなことないですか。それで今はきれいな女性を見るたびに付き合いたての恋人のことを考えてしまいます。あほですね。エイプリルフールだ。もうすぐ春です。12年ぶりに見られる春の桜が待ち遠しい、わくわくします。

年明け早々、住所不定無職を満喫してた。
 キャプテンクックの様に俺は今 住所不定無職おまけに低収入〜♪(C細野晴臣
だからというわけではないけれど、吉祥寺のいせやで77歳のおじいさんと呑んだり、新宿御苑で寝転んだり、桜を見たり海を歩いたり、別れたり出会ったり、寝不足になったりしてました。今年1年間に起こる分を、ひと月で終えた心持ち。あとはしばしふるさとで、老人と犬との穏やかな受験生活。毎朝6時前に起床、まず豆腐屋さんに豆乳を取りに行くことからその日が始まるスローライフぶり。12年ぶりの故郷の町を南国ナンバーでトロトロと走っています。しぞーかに訪れるのですら2年ぶりで、友人同士が結婚していたり、お店を出していたり、家建てたり離婚してたり行方不明になってたりと、みんなアラサー満喫だ。
最後の仕事で沖縄にいたとき、劇団員が4か月の赤ちゃんを連れてきたので、稽古中は僕が赤ん坊を抱きながら仕事してた。すっごく愛想の良い子で、抱いたまま弁当を買いに行ったら弁当屋のおばちゃんが「この子は誰にでも育てられるねえ。人さらいに気をつけなー。」と言っていた。人さらいって…。ともかく、赤子を抱きながら、6年間おもしろい仕事をさせてもらったなーとしみじみする。今の自分を育ててくれて感謝。そのあとサプライズで送別会までやってくれて、そんなの慣れてなくてすごい恥ずかしかったですが、まじありがたいと思いました。俺がんばります。
久しぶりの実家生活。重ね着、でかいテレビ(マジでかい)、浴そう、花粉症…半袖で寒いねえと言い合っていた南島生活が早くも懐かしいです。

今年の抱負は「たしなむ」
 勉学を第一に嗜み、人を思って想いを嗜み、美しくあろうと身を嗜み、酒もやや嗜みます。
酒といえば、年末年始にと日本酒を五升買い込み、友人たちと四升を飲み干した。がんばりました。今年の「初しぼり(群馬泉)」もとても美味しかった。連日飲みながらあんこう鍋とおせちをひたすら食べる。あんこう鍋大好物!ビバあんきも!を食べたことがないという島の友人たちに振る舞い、「おいしー」と言う顔に二度満足。将来的には樽酒の購入などもできるような生活をしたいものです。