メモ

本日はハロウィンということで、急に記事をあげていますが、実はそれとは別に書き掛けの記事があったりします。
当初書いている、一見バラバラの化け物記事。実の所、以前に書いた私の中でのモンスターの分類を、各ジャンル代表となるような化け物をあげて、分類ごとの説明や私自身の思い入れなどを記事として書いております。
そのジャンルも残すところクトゥルフ神話体系内の超生物達をとりあつかう「邪神または異形のものども」のみ。
その記事が書き掛けなわけでして、それが終われば今までのような各ジャンルを包括的に語るような記事ではなく、今日の『ジャック・オー・ランタン』の記事のような個々のモンスターに焦点を当てて、何か書いていこうかなと思っております。
当初考えていたような「全て落書きを交えて」とかは、とりあえずはこだわらずに、都合が付けば絵も加えてというカタチでやっていこう。
でないと、記事かけないわ(笑)

ジャック・オー・ランタン

今日は10/31、ハロウィンの日。
日本でも、数年前くらいから、急にメジャーになった気がするが、キリスト教的宗教観とは全く関係ない日本社会で定着しつつあるのは、他のキリスト教関連記念日同様、偏に新たな市場時期の開拓を謀った日本の商売人達の購買煽動・情報操作のおかげであろう。
Wikipediaを見てみると

ハロウィン (Halloween) は、カトリック諸聖人の日万聖節)の前晩(10月31日)に行われる、英語圏の伝統行事。諸聖人の日の旧称"All Hallows"のeve(前夜祭)であることから、Halloweenと呼ばれるようになった。

とかなんとか。ほほう、それは知らなかった。
このハロウィン、実の所もともとはケルトの収穫感謝祭で、例によってカトリックに、まるで最初から自分のものだったかのように取り入れられたもののようだ。
さて、このハロウィンと言えば、、有名なのは子供達のお化けや魔女の仮装や、「トリック・オア・トリート(Trick or treat. お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ)」、そしてお化けカボチャの『ジャック・オー・ランタン』。
一般的にこのお化けカボチャの認識は、あのオレンジ色のカボチャをくり抜いて、バケモノじみた雰囲気の目や口をくり貫き、中に蝋燭を立てて作ったランタンでしょう。
しかし、我らが領域では『ジャック・オー・ランタン』と言えば、かぼちゃ頭男の姿が常識でしょう。そもそもは、イングランドに伝わる、日本で言うところの鬼火のような存在であり、その名前も「ランタン持ちの男」という意味の言葉。伝承では鬼火系モンスターの代表格であるウィル・オー・ウィスプのような「まんま火の玉」と言うべき姿と、光衣装を身に纏ったカボチャ頭の男の姿と2パターンあるようだ。
まぁ、もっとも、我らが一般常識である後者の姿形も、「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」等で、普通の人々にも認知されていないわけではないが。…そういえば、「ナイトメア〜」の主人公であるジャックは、ジャック・オー・ランタンであるにも関わらず、なぜ丸くて白い頭をしているのかと思っていたのだけれども、あれよく考えたら、カボチャじゃなくてカブなんでしょうね。
というのも、本来のケルトのお祭りでもお化けランタンとして使用していたのはカブで、化け物としてのジャック・オー・ランタンもカボチャ男ではなくカブ男なのだ。
ではここでWikipediaをジャック・オー・ランタンの項目を見てみよう。

生前に堕落した人生を送ったまま死んだ者の魂が死後の世界への立ち入りを拒否され、悪魔からもらった石炭を火種にしたカブのランタンを片手に彷徨っている姿だとされている(→ウィルオウィスプ)。また、悪賢い農夫が悪魔を騙し、死んでも地獄に落ちないという契約を取り付けたが、死後、生前の行いの悪さから天国への入園を拒否され悪魔との契約により地獄に行くこともできず、カブに憑依し安住の地を求めこの世を彷徨い続けている姿だともされている。

これが元々の伝承(ちなみに前者の伝承はウィル・オー・ウィスプと同じもの。つまり呼び名が違うだけで、二種のモンスターは同じ存在であるという事。カボチャ男の形態が有名になっていることから、前者の鬼火状態をウィル・オー・ウィスプと、カボチャ男状態をジャック・オー・ランタンと呼称していると考えればよいだろう)。
つまり、「ナイトメア〜」のジャック君は伝承に忠実だったわけである。
では、このカブ男がカボチャ男として定着してしまった経緯というのはどうなんだろうか。
それは、ハロウィンの祭りが新大陸への移民とともにアメリカに伝わった後の話となる。当時のアメリカ人達は、くり抜きやすいという理由でカブをカボチャに変えてしまったのだ。アメリカ移民達は、開拓や新しいことは大好きだったが、古い伝承や約束事をそのまま大切にするということはあまり重要には思っていなかったようだ。ちなみに英国やアイルランドでは、今でも伝統どおりカブでハロウィンを執り行っているとのこと。
かくて、カブ男ジャックくんはフロンティア精神によりカボチャ男として生まれ変わり、世界へと広がっていくことになるのであった。ヒーホー。

めも

随分と前に、この拙い覚え書きのようなモノの先行きに期待を込めてチェックしてくださっていた方(居られれば、ですが)、偏ったキーワードから誘い込まれ迷い込んできた方、ごらんのように見るからに滞っていますごめんなさい。
久々に、記事をアップしたわけですが、決して完全にほったらかしていたわけではないのです。妖怪絡みの話は、随分と前からチョットずつ書いていたのですが……書いている間に「悪文拙文しか書けない病」にかかってしまいまして(冗談ではなく、これが結構度々かかる)。書いては消し、書き直してはやり直し、書いてるうちに意味のわからない文章になったりで、昨日やっとこさまとめ上げて……あの始末(笑)
しかも今回、記事のトップに絵も無し。これは絵が描き終わるまで待っていては、それこそいつあげれるかわからないというのが、本当の所。気が向いたら描き足すかも、です。

付喪神

陰の気より生じ、万物の法則に囚われぬ、人とは相入れぬもの。多種多様の姿と性質を持つ彼らを、我々は畏怖と親愛の情を込めてその名を呼ぶ。バケモノ・オバケ・アヤカシ・モノノケ・ヨウマ……それが、妖怪変化である。
妖怪の殆どが、1体1体独立した生態系化で進化・変化したかのような独自の形態であるものの、その性質・成り立ち等からいくつかの分類にわけられる。分類としては『妖怪図鑑』(安城市歴史博物館[1998年])における小松和彦氏提案の、生物・環境・現象など『自然』の存在が妖怪としての形に変化・具現化した『自然妖怪』・人が作った道具の変化としての『器物妖怪』・人そのものが超常化怪物化した『人妖怪』の3つへの分類が有名(らしい)且つ解りよく優れていると思われる。
上記の分類は妖怪が「存在するもの」と前提した上での分け方であり、これとは別の考え方、つまり哲学・民族学・宗教学的な立場から分類整理すれば、「神道以前の古い神々が宗教的勢力争いに敗北したことによって妖怪化したとする存在」・「怪現象の呪術的解説として生まれた存在」・「小説や絵画に登場するキャラクターとして創造主が独自に、または元あったものを変化させ新たに創作した存在」というように分けることもできるが、ここではあくまで、妖怪を概念や文化の形態として考えず、「そこに存在する」モンスターとして、小松先生の分類を主として話を進めることとする。
幼少の頃から、水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」や藤田和日郎の「うしおととら」といった漫画や、鳥山石燕の「百鬼夜行」などの絵画、民話や説話・昔話、小泉八雲の「怪談」などの文学作品など、様々なメディアで慣れ親しみ、心惹かれていった妖怪変化。その成り立ちや付随する物語、様々なものが、惹き付けられた要因となったわけだが、その最たる原因となったものといえば、やはり妖怪たちの造詣そのものといえるだろう。
形無い現象を、畏怖やある種のあこがれといった感情を媒介に妖怪としてのあたえられた姿形。人間の生の感情から「ぬるり」と生み出された形が、私の心を掴んで離さなかったのだ。恐ろしさの中に滑稽さが紛れていたりするその独特な造詣は、幼い私にも馴染みやすく、受け入れやすいものであり、妖怪変化の存在が、不可思議なもの・自然ならざるもの・全ての怪異に対し興味をもった契機となったと言えるだろう。
千差万別のその姿。獣の混じったもの、人を模したもの、概念のイメージによる可視化、見間違いに恐怖が味付けされねじ曲がった姿等々、種により様々な姿を持っているが、造形の自由度・おもしろさで言えば、やはり付喪神だろう。
付喪神とは狭義では古くなった器物が妖怪化したものであり、広義では歳を経た動植物の妖怪化も含まれる。その姿は、妖怪化する前の姿に目鼻口手足を付けただけの陳腐な擬人化のものから、人の姿に一部だけ元の姿を残すもの、完全に新たな生き物として独自の生物としての姿を持つものまで、実に様々である。生活内の身近な存在のあり得ない混合体というものが、どこかちぐはぐで、滑稽でありながら、「見慣れているはずの物の異質感」が、見るものの心に拭うことの出来ない違和感と恐怖心を植え付ける。身近な存在であるからこそ、そこに感じる異質性は、より深く昏い闇を、人の心に落とす。人という物は「理解できないもの」に恐怖を感じる。知っていると思っていたものが、全く理解できないものだと解ったとき、その落差による恐怖の度合いというものは、計り知れない物があるであろう。
天狗や河童等、あまりにも有名になってしまった妖怪達に比べ、個々の知名度は非常に低い。しかし、人の居るところであれば何処にでも存在し得る「付喪神」は、常に人の恐怖の裏に存在する。キャラクターとしてではなく、恐怖の根元として、「付喪神」は妖怪の代表格であると言っても、決して過言ではないだろう。
また、「付喪神」とは、本来は「九十九髪」と書き、「九十九」とは「100ー1」…「百」という文字から一番上の「一」を引いた「白」の髪を持つもの、すなわち御髪の白くなった老人の事を指し、長年の人生により培った知恵・知識に富む者を表す言葉であった。そして、ここから「古き知識を持つもの」「古きもの」という意味が残り、転じて、「永く生きた獣」や「古道具」から生じた妖怪を指すようになったとか。その根底にあるのは、古き者を畏れ敬う心と、日本古来からの宗教観にも通ずる、万物に魂が宿ると考えるアニミズム。形は違えども、自然の中に在るとする八百万の神々と、同じ考え方が妖怪というものにもあるのではないだろうか。
日本において「神」というものが、どうにもならない「自然の驚異」の投影であり、畏れ敬い奉ることで厳しい自然と付き合っていくための存在と考えるのであれば、付喪神を初めとする妖怪というものは、恐怖という決して拭うことのできない根源的な感情と、折り合いを付け、付き合っていくための存在だと言えるだろう。
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の分類

3回ほど、私をこのおぞましき世界に引き込んだ契機となったような存在の、愛すべき化け物共をご紹介してきたが、ちょっと閑話休題
心に眠る魑魅魍魎を思い出していくに連れ、自分の中で分類がされているようだったので、ニギヤカシで御紹介。過去3回の記事も、自然とその分類ごとの私の中での代表的なものを書いていたようだ。


◎怪獣
ゴジラガメラウルトラ怪獣に代表される生態系外に存在する生物。
体長30M超の巨大な体躯を持つモノが殆どだが、ミクロサイズのモノや人間サイズのものも存在すれば、体躯のサイズを極大から極小まで自由に変えられるものも存在するので、体躯の大きさの別は、分類上は無関係。生態系の円環の中には組み込まれていない独立した存在であり、1個体ないし1家系で存在するものが殆どの特別変異体と考えられる。分類上、地球外の知能を持っ生命体・地底を住処とする別文明の人類・人類等をベースに改造された怪人・機械や生命体の別は無関係に人為的に創造された人造物等も、これに含むとする。大雑把な分類規則を言うならば『特撮怪獣』。

◎クリーチャー
神話の時代の魔獣から外宇宙の凶悪生物まで幅広く存在し、食欲・享楽等様々な理由から、人間を殺戮するものが主である。この分類そのものは生物学的なものではなく、使用方法表現方法によるもの。その分類定義は「着ぐるみ・人形アニメーション以降の近代特撮技術により命を吹き込まれ怪物」である。アニマトロニクスの発展により、顔の表情などの細部の微妙な生物的な動きが表現可能になり、特殊メイク・SFX等の特撮技術と組み合わせ、より生き物臭い、生き生きとした動き・表現が可能となった。分類的には、オリジナルの場合は存在そのものを、別に出典のある場合は造形物個体をクリーチャーとする。

◎モンスター
古今東西・神話・伝承・都市伝説等々……出典に関わらず、様々な時代・場所を舞台に描かれる人外の存在全ての内、日本土着の妖怪変化を除くもの。「RPG等のゲームにおいて敵役または味方として登場するキャラクターユニット」と考えれば、ゲームをやる人間にとっては解りよいだろう。若干乱暴な分類分けではあるが、私自身の化け物好きの嗜好に色濃く影響を与えた部分でもあるので、ここでの大分類として理解していただきたい。

◎妖怪変化
自然現象・動物・人間・器物・概念、あらゆるものが、恐怖・畏敬の念といった人の心の動きを糧に、新たな形と命を持つようになって生まれた、日本土着のモンスター。起源や性質から行けば上記[モンスター]の分類に含んでもよいのだが、そうするにはあまりに多様性・独自性に溢れ、あまりに私が愛着を持ちすぎているため、この陰の気から産まれし陽の存在達を、独自の分類として分けることにした。

◎邪神 または異形のものども
この存在を忘れてはいけない。人の狂気を形にした様な存在。ラブクラフトが創造し、ダーレスが体系化した、太古の地球を支配していた強大な力を持つ恐るべき異形のものどもの神話「クトゥルフ神話」。他の存在とはあまりに異なり、私にとっても特別であるため、「モンスター」とは別の分類とさせて頂く。


この場で、私の愛しいおぞましき存在の話をする際、これらの分類で話を進めていくつもりだ。
読み手にとってはさして重要なことではないが、いずれカテゴライズするなどで利用するとしよう。

人狼(Were Wolf)

半人半獣の代名詞、擬人化(昨今の「萌キャラクター化」の意に非ず)されたモンスターの代名詞と言っても良いでしょう。ウェアウルフライカンスロープとも呼ばれる『人狼』。一般人に理解し安い最も俗な呼び名で言うならば『狼男』。
その起源は古く、遙か神話の時代まで遡り、現在に至るまで文学作品から映画・マンガ・ゲームといった娯楽作品まで、数多くのメディアで愛され続けている存在である。
また、古来、「狼憑き」「獣化症候群(ライカンスロピィ)」といった「実際に人が変じ存在するもの」として扱われ、「吸血鬼」といった存在と共に、数ある化け物どもの中でも、最も身近で、恐怖され続けてきた存在と言えよう。



私が、この『人狼』という存在に心を奪われた切っ掛けは、今となっては覚えていないが、映画や小説といった作品からではない。
幼少の頃からゲームというものが身近にあった世代である私は、当然ゲームからも影響を色濃く受けるわけで。
この人の姿をした狼が心に刻み込まれたのは、ファンタジー世界を舞台にしたRPGの敵役としての姿だった。
嗚呼、何度その姿を目にし、追い込まれ、戦慄し、命を奪われたことか!(レベルが足りなくて)
ゲーム内で描かれるその姿は、作品が違っても大抵同一で、毛並み等は様々であるが、狼の頭が筋肉質な人間にくっついたもの。この狼頭人体の異形を、当時の私は美しいと感じ、また変身ヒーローのようなかっこよさを感じていたのである。



だからこそ、映画に出てくる「狼男」には非常に幻滅したのを覚えている。当時の特殊メイクの造形の限界、半獣人に対するアメリカ人のイメージ、そう言った物で作り上げられたクリーチャーの姿は、私にとっては『猿の惑星』の猿たちや『西遊記』の堺正章と何ら変わらない印象だった。
やはり狼男は狼頭に限る。映画では『Dog Soldiers』(2002 イギリス)・『UNDERWORLD』(2003 アメリカ)・『Van Helsing』(2004 アメリカ)などは、非常に心躍らされる造形をしていたのでご紹介しておこう。



ビジュアル的に表現されている「人狼」には幾つかのタイプがある。


1つは「半獣人型」。これは古き良き時代のホラー映画の姿が代表的な物で、人間と獣を足して混ぜ合わしたようなもの。ベースは人間であり、獣のエッセンスが混ざっていると言った物。映像メディアで使用される際、特殊メイクのみで表現される場合の姿である。人狼モノと思って見ていた映画の最後の最後で、出てきたのがこの半獣人型の人狼だと、テレビが壊れるか人死にがでるかどちらかだ。


もう1つは「完全狼型」。古来より伝承・神話などで表現されているのはこの形であろう。通常の狼に比べ、体躯がおおきかったりはするが、完全な狼の姿に人が変じるというもの。または人の姿に変ずる狼の元の姿であることも。
見た目「人狼」と言えないかも知れないが、この場合は「狼への変身能力を持った人間(またはその逆)」という意味の人狼である。ビジュアルイメージとしては手塚治虫先生の『バンパイア』、これのテレビシリーズ(主演:水谷豊)のが近いかな?
このタイプは狼の姿しか持たない場合も存在する。人または中間的存在に姿を変じないということ。この場合は、化け物的な狼・高等な狼として表現される物で、やたらとでかかったり、高等知能で人語を使えたり、そのまま2本足で歩いたりする。狼の姿は好きなので、嫌いではないのだけれども「人狼」と呼ぶには抵抗があるなぁ。


最後の1つは「狼頭人体型」。狼の頭に人間の体。この姿は絵画的表現としてはずっと昔から使われてきているものだが、狼の擬人的表現として使われているこの途方が多い。ファンタジーを題材とした話やゲーム・マンガでは、最早この形態が抄紙機と言っても良いだろう。映像メディアで使われる際は、アニマトロニクスの使用が必然となるため、低予算のテレビ番組等ではお目に掛かることは出来ないだろう。



人狼が私を魅了する要素は3つ。
『「狼」の造形の美しさ』
『人以上のモノへの変貌』
『獣の本能以上の狂気と人外の暴力』
好きな化け物は数多けれども、自分が変じてみたい化け物といえば、この人狼が1・2を争うなぁ。
また機会が在れば、もうちょっと掘り下げてみよう。

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エイリアン(ビックチャップ)

SFホラーの金字塔『エイリアン』!
R.H.ギーガーデザインのこの恐怖の宇宙生物に、一体どれだけの人間が衝撃を受け、その多大な影響を受けたか!
勿論私も例外ではなく、これもまた私がMonsterフリークとなる切っ掛けとなった存在の一つであり、また最も愛すべきクリーチャーの一つである。


映画の公開は1979年であるが、私のファーストコンタクトは1982年、テレビの洋画劇場番組での放映時。
当時小学生低学年であった私には、あまりにも衝撃的であり、闇の中で僅かに見え隠れするする「エイリアン」の姿から、目を離すことが出来なかった。
それまで父親が見ている横で漫然と見ているだけだった外国映画のテレビ放送(とりわけSF・ホラー等人間外の生物が出てくる物)を、自分の意志でのめり込む様に観る様になった切っ掛けとなった作品である。


この映画もシリーズ化され4作品までつくられ、さらには亜流ともいうべき「エイリアンVSプレデター」まで制作(これの2が2007年12月21日に全米公開予定)されており、様々な形態のエイリアンが登場している。
その全てが愛すべき存在であり、もう、いっそのこと全て集めて野山を共に駆け回りたいくらいなのだが、スタート直後5秒程で肉塊に変えられ美味しく頂かれそうなのでここはぐっと我慢の子。
とは言え、私にとって「エイリアン」と言えば、やはり一作目に登場した「ビックチャップ」と呼ばれている固体。
ビックチャップとは「大きな頭部」という意味であり、その後ろに伸びた頭部は、非常に画期的なフォルムであり、これ以後登場する様々なクリーチャーに影響を与えていることは明白であろう。
H.R.ギーガーがデザインし、また直接その原型をつくり、監督リドリー・スコットによって命を吹き込まれた「エイリアン」ビックチャップは、人の形をしており、人が中に入って動かしているにもかかわらず、獰猛なクリーチャーであり、また冷徹な機械のようであり、見事に「恐怖の象徴」たり得る存在となっている。


余談であるが、「ビックチャップ」の次には、結構悪評を効く「エイリアン3」のドッグエイリアンが好きだったりする。
嗚呼、彼ら12頭立て位の犬ぞりに乗って縦横無尽に走りまわれたら……いったいどんな阿鼻叫喚の風景に(恍惚)

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